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名無しのエース  作者: 慎之介
六章
64/82

 火薬独特の臭いが漂い、爆発音と粉塵が四方八方から聞こえてくる首都内で、フォースである住民達は家に引きこもっている。敵が来たと教えられた兵士達と違い、なんの情報もなく住居から出るなと指示された住民達は、外から聞こえる音の一つ一つに怯えていた。


 住民の多くがよくない事が起こっており、最悪自分達にも危険があるかも知れないと考えているが、洗脳の効果で住居から自発的には誰も出ようとしない。


「ねぇ? 兄たん?」


 奴隷として扱われている者達が住まう地下には、爆発音だけでなく振動も伝わり、土くずが落ちてくる場所もある。両親がいなくなった事で家の無い少年とその妹は、土くずの落ちてくる通路にいるしかない。


 不快な状況で、いつもの様に兄が泣くのではないかと考えた妹の想像は、大きく裏切られる。


「ははっ……あのお兄ちゃんだ……。本当だったんだ……本当に……」


 返事をせずに土くずを喜んで浴びている兄を見て、妹は通路のむき出しである地面へと目を向け、口の中に唾液を溜めて自分の手を頭へと乗せた。幼い少女は省吾の念話による話を理解できていなかったようだが、乾パンの美味しさと手の温もりは忘れられないようだ。


 子供達から話を聞いていた他の奴隷として扱われる人々も、絶望しない様に期待し過ぎてはいけないと自分に言い聞かせてはいるが、目に光が灯り始めていた。


「失礼します!」


「おっ! おお、待っていたぞ。どうだ?」


 その奴隷達と違い、宮殿内の会議室で顔をしかめていた参謀達は、部屋に駆け込んできた兵士を一斉に見つめる。参謀達の顔を見ることも出来ない兵士は、喋り難い内容である為か、小さくなった声で報告をしていく。


「それが……マイケル様、ジャック様が、先程宮殿の救護室に運び込まれました。そして、フォースの兵士は更に怪我人が……」


「ああ……分かった。もういい」


 ネイサン達五人の参謀は、腕を組んで目を閉じているギャビンに視線を向け、口を開くのを待つ。


「やはり、並みのフィフスでは、あの男に歯が立たないか……」


「何を悠長な事をいっているんだ! ギャビン! これは、失態だぞ! その中でも、現場の指揮をしたお前の罪が一番重い!」


 参謀である中年男性は、ギャビンの落ち着いた口調が逆にしゃくに障ったらしく、目の前にある丸い机に両手を強く叩きつけた。


「それは分かっている。他人事などとは考えていないし、罰は受けるつもりだ。だが、今は敵の殲滅が最も重要なはずだ」


「まあ、落ち着け。我らが焦っていい争いをした所で、事態は好転しない。で? どうするんだ?」


 立ち上がったまま拳を握った中年男性の参謀を座らせた初老の男性は、少し重いトーンでギャビンに問いかける。


「私か……ウインスの弟が、あれと戦わねばいけないかもしれないな……」


 ギャビンの発した言葉にデビッドの事が含まれていた為、ネイサンが即座に異論を唱えた。


「それでは、王の警護がいなくなる。お前は、敵が王を目指しているといった。自分のその言葉を忘れたか?」


 ネイサンに視線を向けたギャビンは、無言で忘れていないといいたげに鼻から息を吐く。


「敵は、何故かこの首都の地理をよく理解している。私達が出向いても、裏をかかれる可能性は高い」


「ならば、余計に……」


 喋り出そうとしたネイサンに掌を向けたギャビンは、自分の考えた策を続けて説明し始めた。


「君の部隊には、引き続き宮殿内の警備をしてもらう。ただ、玉座の間へとつながる部屋で、私も待機しよう。万が一他のフィフスが破れても、これならば問題ないはずだ」


 ディランを倒した省吾が来ていると分かっている参謀達だが、ギャビンやデビッドの持つ強さへの信頼は消えていない。最強が作る二枚の壁があれば、いかに敵が強くともどうにかなると、参謀達はお互いの顔を見てうなずきあった。


「異論はないな? では……」


 立ち上がったギャビンは、会議室内で指示待ちをしていた紺色の軍服を着た兵士達に、命令を出す。


「井上省吾が潜んでいる方面には、これまで通り、フィフスのみであたらせろ! ただし、特異能力者や超感覚側に特化した者は、他の地区へ振り当てるか宮殿まで後退だ! 無駄に被害が増える!」


 二人組ではフィフスでも省吾に敵わないと判断した参謀達は、戦闘力に特化した者達だけを三人以上で行動させる指示を出した。ギャビンからの指示を聞いた兵士達は急いで部屋を出ると、テレパシーを使って参謀達からの指示を拡散する。


「あらぁ? やっぱり、報告はしておいた方がいいかしら?」


 テレパシーによる指示を受けたハンナは、道の端に移動させていたこん睡状態の仲間から手を離し、エミリに顔を向けた。仲間の救護を優先したいエミリも、受信した指示で相手の焦り具合が分かったらしく、手を止める。


「そうね……。運ぶのを手伝ってほしいし……。報告しましょうか……」


 エミリは身体能力を底上げする強化の力を持っている為、女性にしてはかなり筋肉を鍛えていた。だが、仲間数人を宮殿に運ぶのは骨が折れそうだと考えたらしい。


「はっ! 遅いってんだよ。もう、俺が片付けたっての」


 省吾の死体を探している男性は、大通りをきょろきょろと見回しながら、鼻から強く息を吐いて笑う。


……行けっ!


 男性がある建物の前を通過しようとした瞬間に、銃声と共に白から黒に変わっていく弾丸が、薄い金属で出来た扉を貫通する。


「うおあああぁぁぁ!」


 肩とふとももを撃ち抜かれた男性は、扉に出来た穴の先に省吾の姿を見て仲間に警告をしようとした。しかし、体に食い込んだ弾丸と、体内の金属生命体が情報交換を始めてしまい、思考が麻痺してしまう。


 熱病にも似た意識の混濁に落ちていった男性は、感覚が麻痺しているおかげで苦しまずに夢の世界に到着した。ぬるま湯のような心地の良い、自分とそれ以外の境目があやふやな世界を一人で漂う男性は、それを死後の世界なのだろうかと考えている。


 そのまま目を閉じてしまおうとした男性だが、小さい頃から一緒に首都で育ってきたハンナを思いだし、悲しみで顔が歪む。自分が死んだことよりも省吾を仕留めそこなった事で、ハンナが危険になる事の方がその男性には辛いようだ。


 使い方によっては最強達にも匹敵できる自分の力が、省吾に何故通じなかったのかと、男性は誰もいない空間に問い続ける。男性は記憶をたどり、自身の能力で石畳を蹴って吹き飛んでいく省吾を思い出したが、どうしても答えを見いだせない。それは、男性に謎を解く鍵となる二つの情報が欠落しているせいであり、新しい情報を得られない今の男性ではどう足掻いても答えに辿りつけないのだ。


 ガブリエラ達から、能力者の情報を全て受け取っている省吾は、男性の強力な能力についても、弱点を知っていた。分子運動を強制的に抑え込んでしまう男性の放つ光は、影響範囲も広く、まともに受ければ確実に死んでしまう。


ただし、光が触れた物体を凍らせる能力の特性上、貫通力が皆無であり、光が届かない様に遮蔽物で体を囲えば防げるのだ。遮蔽物のほとんどない大通りに立った省吾にとってそれは容易な事ではないが、事前の準備によってその穴を埋めた。


 省吾を追う事に注意が向いていたその男性だけでなくフィフス達は誰も気付いていないが、人の住んでいない建物には少し目立つ傷がついている。戦場となる場所の全てを利用しなければ生き残れない省吾は、人のいない建物の鍵を事前に壊し、ナイフで扉に傷をつけていたのだ。


 それによって、敵の攻撃を防ぐだけでなく、フィフスやフォースの使う精度の高い索敵から逃れている。建物には鍵がかかっており、中に敵はいないと勝手に思い込んだ索敵能力者達は、リアムを除いて省吾を捉えきる事は出来ないだろう。


「ぐっ! はぁはぁはぁ……」


 建物内に入る事で強制的に敵の隙を作りだし、戦闘不能に追い込んだ省吾だが、代償なしに高レベルの能力者を倒す事は難しい。


 刹那の時間で目的の建物に到達する必要のあった省吾は、全力で石畳を蹴り付け、体に慣性の力を乗せた。体自体の強度を高める力を持っていない省吾は、その代償として足にダメージを負っている。骨にはまだ異常が及んでいないが、首都に来る前から酷使していた筋肉や軟骨は歩行に支障が出るほどに痛んでいた。


 また、扉を開く間に男性の放った光が掠めた、ふくらはぎや背中には凍傷とも、火傷ともいえる怪我を負っている。それだけでなく、省吾はフィフス達との戦闘で、すでに怪我をしていない箇所を探すのが難しいほどダメージを受けており、満身創痍といった様相だ。


……来る! 敵が来る! タイミングを合わせるんだ!


 深刻なダメージを受けている内臓からの血を吐き捨てた省吾は、千里眼も発動せずに敵が自分の潜む建物へ向かっている姿を正確に捉えている。扉の前から隣の窓際へ移動した省吾は、銃が暴発しない様に安全装置をオンにしながら、ダメージの少ない右肩を微弱に光らせた。


「しっかり! しっかりして! お願い! 目を開けて!」


 銃弾によって吹き飛ばされた男性に駆け寄ったエミリは、うつ伏せのその男性を反転させ、頬を叩く。


「許さない! 絶対に!」


 動かなくなった幼馴染の男性を見て、ハンナが目に涙を溜めながらドアノブを掴み、体を発光させた。


 ハンナが穴だらけになった建物の扉を開けて突入してくるのと、全く同じタイミングでサッシのついた窓にショルダータックルをした省吾は、外に転がり出ていく。そして、男性をなんとか目覚めさせようとしていたエミリと目があい、素早く立ち上がった。


「えっ? あ……なっ! この!」


 建物内に入ったハンナは、省吾が居なかった事で動きが固まった。だが、すぐに外へ逃げられたのだと気付く。


「このっ! 悪魔ああぁぁぁ!」


 省吾を見たエミリは、頭の線がぶちりと音を立てて切れ、発光させた全身が強化能力によって一回り大きくなる。


……逃走経路は、ここしかない!


 エミリが男性を寝かせる間に、省吾は先程飛び出した建物へ向かって走り出した。ハンナが開け放ったままにした扉のドアノブに足をかけた省吾は、体を屋根の上まで浮き上がらせる。


「皆の仇! 私がああぁぁぁ!」


 強化能力で筋力をあり得ないほど高めているエミリは、ドアノブ等の足場による補助もなく、建物の屋根まで跳び上がった。


 高レベルの能力者を前にした省吾の力は貧弱と呼ばれる部類に入るが、いくら不利になろうとも瞳に灯った炎を揺らがせはしない。作戦の実行前から自分が圧倒的に不利だと知っており、想いと未来を自ら背負うと決めた省吾にとって、それは小さな問題でしかないのだろう。


……こっちだ! 追ってこい!


 エミリよりも先に平らな石作りの屋根に着地していた省吾は、先程よりも強く輝かせた左足でその屋根に蹴りを放った。左足の骨と屋根を構成している硬い石にひびを入れた省吾の蹴りは、主を重力から一時的に解き放ち、斜めにではあるが建物を三つ飛び越えさせる。


「逃がすかあああぁぁ! このおおおぉぉぉ!」


 かなり大きな代償を払って跳んだ省吾だが、強化能力者であるエミリは、軽い一蹴りで重力を無視したように体を跳ねあがらせた。そして、軽々と省吾に空中で追いついてしまう。


「らああああぁぁぁ!」


 憎しみを前面に出した表情で省吾の眼前まで迫ったエミリは空中で体を捻り、蹴り出す事にも使った足を敵に向かって振りぬく。


「ぐがあぁ! くっ……」


 エミリが体を横に回転させ、巻き込む様に放たれた蹴りは、体を傾けて跳んでいた省吾の右側面に直撃する。省吾の持っていたアサルトライフルはいとも容易く砕け散り、右上腕と肋骨から、鈍い音が響く。


 蹴りが敵に当たった事で、エミリは反動によって空中でバランスを失いながらも笑みをこぼした。しかし、建物の屋根に叩きつけられた省吾を目で追った所で、自分の攻撃すら計算されていたのだと知り、恐怖で顔を引きつらせる。


……そこだ! 行けええぇぇ!


 あらかじめアサルトライフルを隠しておいた屋根に、転げるようにぶつかった省吾は、体の勢いを殺すよりも先に掴んだ銃の引き金を引いた。


 エミリは加速した意識の中で、両手を光らせるが、彼女の防御能力は腕から限られた範囲だけしか効果がなく、省吾に向けた側面全ては防ぎきれない。途切れそうになった意識を無理矢理つなぎ留めた省吾が、焦げ臭いにおいを嗅ぎながら放った弾丸の一発は、エミリの脇腹を掠めた。


……まだっ! まだだああぁぁぁ! 動けえええ!


「えっ?」


 文句なしに負けたと感じたエミリの顔からは、少し前まで浮かんでいた憎しみが消え、体から力が消える。そのエミリが次に回転しながら見た省吾は、屋根から落ちない様にナイフを突き刺すだけでなく、自分に向かって走りだしていた。歯を食いしばった省吾の鬼を思わせる顔を見て、自分は殺されてしまうのだろうと考えたエミリは、諦めたように息を吐く。


 屋根を転げながら、省吾は銃の安全装置を作動させるだけでなく、その銃をベルトで肩にかけていた。銃を掴んでいた左手を自由にした省吾は、右手にナイフを握ったままエミリに駆け寄っていく。省吾が見ているのは殺されると諦めたエミリではなく、屋根の上まで体を浮き上がらせ、頭上で巨大な火球を作ったハンナだ。


「おおおおおおぉぉぉ!」


 まだ落下しきっていないエミリの足首を左手で掴んだ省吾は、そのまま独楽のように一回転し、力の方向を無理矢理変える。全身からの凄まじい激痛をかみ殺した省吾は、そのままハンマー投げの要領でエミリをハンナへと投げつけた。


「エミリ!」


 自分に向かってきたのがエミリだと認識できているハンナは、火球を霧散させて友人を受け止める体勢をとる。


「そ……ん……な……」


 エミリの陰に隠れるように跳び上がっていた省吾は、仲間を助ける為に防御も出せなかったハンナの頬を、黒いナイフで軽くではあるが傷付ける。エミリだけに意識を集中させてしまったハンナは、死角からいきなり突きだされたナイフに、切られたその瞬間まで気付けなかった。


「あ……この人……」


 ハンナに背中から受け止められたエミリは、自分の体を遮蔽物にした省吾の顔が、急接近した事で頬を染める。諦めた事でハンナの意識は戦いからそれており、省吾の烈火を思わせる瞳を、純粋に見つめていた。


 大の大人でも恐れるほどの殺気を放つ省吾の目は、エミリの嗜好をくすぐってしまい、呼吸を止めさせている。


 女性であるにもかかわらず、細身ではあるが腹筋が割れるほど体を鍛えているエミリは、友人達も気付いていないが自虐癖を持っていた。自分の持つ強化能力を高める為に、苦行の様な筋力トレーニングをするエミリは、いつしかそこに喜びを見出していたのだ。


 虐められたいと思うほどではないにしろ、奉仕する事にも喜びを感じるエミリは、恐怖を感じるほど強い者にひかれてしまうらしい。当然ではあるが、戦闘の真っ最中に不謹慎ともいえるエミリの考えを、省吾が気付けるはずもない。


……下にまだ二人。ぐううっ!


 建物の屋根に着地した省吾は苦痛に襲われたが、そのまま屋根伝いに走り出し、敵から距離を取る。ハンナを庇うように屋根に落ちたエミリは、顔をぶつけて鼻血を垂らしたまま気を失ったが、表情は安らかなものだった。


 ただ、殺されたと勘違いしている幼馴染の仇も取れず、何も出来なかった悔しさの中で気を失ったハンナは、エミリと対照的な表情を作っている。


「お、おい! どうするんだ?」


 屋根に落ちた二人が起き上がりもしない事で、敵に倒されたのだろうと推測した大通りにいるフィフス二人は、顔を見合わせていた。


「あ……あの……。そうだ。三人で戦わないといけない! そうだ! 他の奴と合流するのが先決だ!」


「おっ……おう! そうだな! 指示には従わないと!」


 なんとか自分にいい訳が出来たそのフィフス二人は、その場に仲間を放置したまま、宮殿に向かって戻っていく。瞬く間に、フィフスである八人もの仲間を戦闘不能に追い込んだ省吾が、その二人は本当に怖いのだろう。


 二人の戻っていく宮殿内のある部屋に、リアムが戻り、椅子に座って紅茶を飲んでいたネイサンへ頭を下げる。


「なに……かまわんよ。こんな事で、優秀なお前を失う事の方が、私には我慢ならないほどだ……」


 戦わずに戻った事を悪いとは思ってもいないリアムだが、念の為に頭を下げており、それを分けっているネイサンもそれ以上の言葉を口に出さない。


 ネイサンの隣で、窓の外をぼんやりと眺めていたデビッドは、森の中で省吾を吹き飛ばした事を思い出していた。木のもりで自分に向かってきた省吾は脆弱であり、自分と同等の力を持った兄を倒したとは、どうしても思いないらしい。兄が殺されてもなんの感傷もないデビッドだが、自分の本気を出した衝撃を受けて死ななかった省吾が、気にはかかっているのだ。


「あのぉ……」


「なんだ?」


 振り向いてネイサンに顔を向けたデビッドは、髪の先をねじる様に弄びながら、自分から提案を出す。


「なんか……苦戦してんすよね? 自分、行きましょうか? それか、どっかで待ち伏せでもした方が、いいっすか?」


 省吾に対しての好奇心だけでデビッドが提案を出したと、ネイサンだけでなくリアムもすぐに理解した。


「必要ない。王は、ギャビンが守っている。それに、宮殿の入り口がいくつあるとおもっているんだ? 下手な待ち伏せなど、するだけ無駄だ」


「はあ……そうっすか……」


 ネイサンに逆らおうとしないデビッドは返事をすると再び窓に顔を向け、爆発音を聞きながら雲の少し多い空を眺める。デビッドが従順な訳を知っているリアムは、姿勢正しく立ったままゆっくりと目蓋を閉じた。


 そのリアムに、紅茶の入っていたカップを持ち上げて見せたネイサンは、戦場となっている首都では場違いなほど呑気な言葉をかける。


「マイヤーズ。君も一緒に、どうだ? なかなかいい葉があるぞ」


「はっ。ご相伴にあずかります」


 リアムの返事を聞いて笑ったネイサンは、ベルを使って使用人を呼び出し、紅茶のおかわりと茶菓子を持ってくるようにと命令した。


「おっと……忘れていた。君は、甘い物は平気か? 私は、甘い物に目が無くてね。お茶の時は、必ず甘い物を食べるんだ」


 ネイサンが余裕を持っている理由を前日に聞かされているリアムは、寝起きのあたふたとした様子が嘘のように落ち着いて返事をする。


「はい。私も甘い物は嫌いではありません。お気遣いありがとうございます」


「そうか、そうか……。なによりだ……」

 何があっても自分達は安泰だと考えている二人は、心のこもっていない会話を続けながら、優雅にお茶を楽しむ。


 目を閉じたリアムが紅茶の香りを楽しみ始めるのと同じ時間、反乱軍の拠点近くにある丘の上で、ケイトが薄目を開ける。完全に昇りきった太陽が、意識のはっきりしていないケイトを照らし、心地の良い風が肌を撫で、鳥達の鳴き声が耳に届く。


 幾度か続けた瞬きのたびに、少しずつ目蓋の開く範囲を広げていったケイトは、眠る前の事がすぐには思い出せない。その為、心地の良いまどろみに全てを委ね、もう一度眠ってしまおうかとすら考えていた。


「あ、起きたみたいね」


 部屋にいなかったケイトを心配して、丘まで上がってきたオーブリーとカーンは、空に向けて視線を泳がせている友人を見下ろす。


「そう……みたいですね……」


 一晩中、ケイトの隣で星を眺めていたヤコブは、今も隣に膝を抱えて座り、元気の無い声で返事をする。前日に何があったかを見ていただけでなく、ケイトを眠らせた張本人であるヤコブは、居心地がよさそうには見えない。ガブリエラや、古参の者達によって育てられたヤコブは、人に対して申し訳ないと思える正しい心を持っているようだ。


 ケイトも使う念波による脳へ直接刺激を与える能力は、記憶を曖昧にさせる効果もあり、ヤコブは目覚めた女性が忘れてくれていればとつい考えてしまう。


「うおっ! お……おお? おい?」


 目を最大限にまで開いたケイトは、上半身をカーンが驚くほどの勢いで持ち上げ、口元を両手で抑えながら眼球だけで周囲を見回す。今までの人生でも上位に入るほど強烈な出来事を経験したケイトは、ヤコブの願い通りに記憶を失う事はなかったようだ。


「おまっ! お前ええぇぇぇぇ!」


 意識がはっきりとした瞬間に、ヤコブの姿を確認したケイトは、幼い少年に膝立ちのままあり得ない勢いでつめより、胸ぐらをつかむ。


「ちょ、ちょ、ちょっ! ケイト! 何してんの!」


「ばっ! 目を覚ませっ! 寝ぼけんな! おいっ!」


 ヤコブが語らなかった為、前日のやり取りを知らないオーブリーとカーンは、それぞれがケイトの腕を掴んだ。


 焦ったオーブリー達に腕を引っ張られたケイトは、爪が割れてしまったが、それを気にする事はない。省吾とは違う種類の殺気を放つケイトの眼光は、悲しそうな表情を作ったヤコブに突き刺さる。


「どうしたのよっ! ちょっとおおぉぉ! ケイトってば!」


 髪をふり乱したケイトは歯を食いしばり、血走らせた目に涙を溜め、掴まれている腕に力を込めた。


「あの人を……お前ええぇ! 分かってて、あの人を行かせたなああぁぁ! 人殺しいいぃぃ!」


 長い付き合いでも見た事がないほど取り乱したケイトの、あの人という言葉で一人の青年が思い出せたオーブリーとカーンは、手から力が緩まってしまう。


「あっ! しまっ!」


「きゃああぁぁ!」


 女性とは思えないほどの力で仲間の手を振りほどいたケイトは、四足で歩く様にヤコブに近付くと、両手を首にかける。ケイトが両手に力を込め、自分の首を絞め始めてもヤコブは抵抗せず、省吾の顔を思い出して目を閉じた。


 地面にしりもちをつき、あわてて立ち上がったオーブリーとカーンが止めに入るよりも早く、ケイトは力を抜いた両腕をだらりとたらす。前日省吾の前でいたヤコブをなんとか思い出せたケイトは、自分の奥から湧き出す黒い感情がなんなのか理解できたのだろう。


 省吾を止められなかった事が悔しくてどうしようもないケイトは、その苦しみから逃げる為に、ヤコブを責めようとしていたのだ。苛烈な本性を持つケイトだが、まだ人の心は残っており、自分が吐きかけてしまった言葉を後悔する。


「すみません……貴方は……何も悪くない……本当にすみません……私は……」


 咳き込むヤコブの前で力なく座っているケイトは、顔を地面に向けたまま瞬きをせずに、涙だけをこぼしていく。


「すみません……すみません……すみません……」


 全身から力が抜けているケイトは、壊れてしまったかのように謝罪を呟き続け、オーブリーとカーンは息を飲む。二人にもケイトが省吾の関わる事で、ただ事ではなくなっていると推測できたが、自分達が何をするべきかまでは思いつけない。


 ケイトを見たヤコブは咳がおさまると同時に、省吾から分け与えられた意志の強さを瞳にともした。


「しっかりしてください! あの人は……兄ちゃんは! 貴女の事も信じて、戦ってくれているんです! 貴女はそれを、裏切るんですか!」


 ヤコブの強い言葉でびくりと体を反応させて顔を持ち上げたケイトは、瞳に意思の光を戻し、悲しそうに表情を歪める。


「ごめんなさい……ヤコブ……私……」


「はい! 分かってます!」


 少し前までとは明らかに違う謝罪を聞いたヤコブは、地面に落ちたトレードマークの帽子をかぶり直し、笑顔でうなずいて見せた。


「僕達の戦いも、これから始まるんだ。それを成功させるには、貴方達の力が必要になる。お願いしますよ!」


 涙を擦り取りながら、省吾に抱かれた温もりを思い出す事で、ケイトもなんとかヤコブにうなずく。


「あの……ええぇぇ……」


 ケイトとヤコブが、とても重要なやり取りを行っていそうだとは分かっているカーンだが、状況が推測出来ずに頬を指で掻いていた。


「な……なにか……あったのよね……多分……」


 カーンの隣で腕を組んだオーブリーは真剣な顔をしているが、疎外感から寂しいとだけしか考えられていない。情報とは使い方によって凶器になるほどの力があり、戦う場合以外にも、人間関係を円滑にする為に使用できる便利なものだ。


「運命の時間が迫っているよ。立てる?」


「はい……」


 ヤコブから差し出された手を取ったケイトは、立ち上がると手櫛で乱れた髪を整えていく。


「あの……エーは……今……」


 ケイトからの問いかけで目を閉じたヤコブは、優秀な頭脳でどうするべきかと考え始め、眉間にしわを作った。


 ヤコブは時間介入組の者達を本当に信用はしているが、省吾のようにノアの内部情報までは、渡していない。それは、洗脳まで使っているノアの情報を聞く事で、ケイト達が敵を崩す事さえできないと絶望に飲みこまれる可能性があったからだ。目的へと到達する為には、予想が難しい他人の心という問題を少なくする必要があり、やむなく黙っていたヤコブ達に悪意はない。


 微力ながらも絶望に抵抗を続けていたヤコブを最後に支えたのは、見返りもなく自分の命を掛けてくれた英雄の言葉だった。憧れを抱ける手本となるべき相手が現れた時、人は心の階段を上へと昇らせる事が可能になる事がある。


 予知の能力があったとはいえ、幼いながらも懸命に戦い続ける事でヤコブの中に生まれていた英雄の資質に、省吾は大きな影響を与えていた。省吾の策が失敗した時の事を考えれば、ヤコブはまだ情報を伝えるべきではないだろうが、全てを英雄の勝利に賭けると心が決まったらしい。


 決断するとともに目蓋を開いたヤコブの瞳には、輝く意思の光が宿っており、それを見たケイト達は心音を高める。


「皆さんには……情報を受け取って頂きます。ただし、取り扱いには十分注意して下さい。そして……英雄を信じ、諦めないでください」


 喉を鳴らして唾液を飲み込んだケイトが、ヤコブの差し出した手に自分の手を乗せ、顔を見合わせていたオーブリー達も続く。


(いいかい? 情報を流すよ?)


 三人がうなずいたのを見て、ヤコブは洗脳などの今まで隠していたノアの情報を、ケイト達に能力を使って伝えた。


「なっ……王妃? じゃ……えっ? こんな……」


(まだだよ。重要なのは、今ノアの首都で、何が起こっているかだ)


 驚きから離れていきそうだった三人の手を掴んだヤコブは、省吾が実行している作戦の情報を送りこんだ。思いもつかない作戦を決行していた省吾の事を知った三人は、絶句したまま動きを止めてしまう。


 ケイトが前夜の事を思い出した為、意図せずその情報まで知ったオーブリーとカーンは、省吾を止める事は出来なかっただろうと理解できている。


「中尉さんよぉ……。あんた……あんたって人は……」


 省吾がその策を選ばざるを得なかった寿命については、ヤコブも心の問題で伝える事が出来なかった。しかし、省吾の寿命に関係なく、劣勢に追い込まれた反乱軍が逆転するには、正しい作戦だろうと分かるカーン達はヤコブを問い詰めるようなことはしない。


「ねぇ? 一つ聞いていい? この作戦の……成功する確率って……どれぐらいなの?」


 ヤコブから情報を受け取り終えたオーブリーは、手を離して腕を組んで何かを考え込んでいたが、恐る恐る問いかける。表情が険しくなり、視線を三人から逸らしたヤコブだったが、下手な嘘で誤魔化すべきではないと思えたらしい。


「成功する確率は……一割もないよ。でも! これが、未来へと繋がるほぼ唯一といっていい……作戦なんだ。他は、小数点以下の確率しかない」


 隠されていた情報を聞いただけで絶望しそうになったオーブリーは、ヤコブ達親子がどれほど苦しんでいたのだろうと目線を下へと落とす。逆にカーンは、弱音の一つも吐く事なくぼろぼろになって戦い続けていた省吾を思い出し、天を仰ぐ。改めて事実を数字で突きつけられたケイトは、省吾を失う怖さから指を強く噛んだまま、体を小刻みに震わせていた。


 平和な世界を手に入れる為に戦ってきた三人だったが、覚悟のステージが省吾と違いすぎると感じ、複雑な表情を作っている。三人が絶望しない様に踏ん張っているのだと分かっているヤコブは、それぞれが答えを出すまでの間、沈黙を続けた。


「これが……英雄って存在なのか……。うん? あれ?」


 青と白が半分ずつに溶け合う空を見ていたカーンは、視線をヤコブに戻し、自分の中に出来たごく単純な疑問を口に出す。


「あのよぉ。中尉さんが強いのは分かってるんだが……、あの人はセカンドなんだよな? 強すぎやしないか? フィフスを倒せるのは、戦略の力だけか?」


「あ……自分でも、セカンドの中で特出した能力がないって、いってた……。えっ? あ、でも弾丸の威力を倍加出来るって……」


 カーンの言葉を切っ掛けに、第三世代の男性から聞かされた省吾の能力について思い出したオーブリーは、首を傾げる。


「あ、ああ……。そういえば、それは伝えてなかったね。えと、どう説明すればいいかな。あの人は、セカンドであってセカンドじゃないんだよ」


 知能の高いヤコブは、三人が理解できるように、順序立てて省吾の異常な戦闘力について説明を始めた。


「誰にでも持つことが出来た力だけど……あの人以外は使いこなせなかった能力と、いえばいいのかな。あの人は、特別な能力者なんだ」


 省吾本人さえ知らなかった特別な強さにはからくりがあり、ガブリエラの過去視によってのみそれを知る事が出来たのだ。


「貴方達は、金属生命体同士の情報交換については知っているね? 最古の能力者や、細胞に融合した金属生命体の説明も省いていいかな?」


「んっ? ああ。それは、知ってるな」


 ガブリエラ達親子が未来を予知するのに使っていた丘で、ケイト達三人は省吾の強さの秘密について知っていく。

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