六
未来の世界で、世界の中心と呼べるノアの首都に眩しい朝日がさし、宮殿や街の中を光と影が彩っていく。
自然と人工物の織り成すその光景は、感性が豊かな者ならば涙を溜める事もあるほど美しかった。ただし、光が徐々に満ちていくその都市中には、数え切れないほどの無粋なトラップが仕掛けられており、きな臭い風が吹き抜けていく。
運命の字名を持つものが細工をした月光が太陽からの光にかき消された事で、絶望は首都に望んでいない人物が入り込んだと気が付いた。だが、遅行性の力しか持たないそれがいくら焦ろうとも、時代を変えるほどの速さで回転している歯車は、止まらない。
建物の平らな屋根で伏せた姿勢のまま、スナイパーライフルのスコープから、宮殿を覗いていた青年は湿り気を帯びた風で少しだけ目を細める。
能力者達に気付かせない為に、千里眼すら発動していない省吾は、身じろぎひとつせずに、やがて訪れるはずの時間を待ち続けていた。タイミングが一つでも狂えば致命的になりえる作戦を前にしても、強い意志に支えられた省吾が恐怖する事の無い。
深くゆっくりとした呼吸を続けている省吾の目は、獲物を狙う肉食の獣を思い出させるほど鋭く、臨戦態勢を維持している体は発汗するほど体温が高まっている。今まさに戦いの狼煙が上がろうとしている首都にある宮殿内で、朝日の眩しさから、片手で目元に影を作った者がいた。
「ふふふっ……。これほど心地のいい朝は、そうはないだろうな……」
ネイサンから世界の真実を教えられたリアムは、興奮して眠れなかったらしく、吐き出す息が酒臭くなっている。片手で掴んでいるグラスの中にある琥珀色の液体を、リアムは朝日に透かして見た後、一気に飲み干した。
「くくっ……ふふふふっ……」
自分が真に目指すべき頂を知り、それに繋がっている道に進めた事が、リアムは嬉しくてたまらないらしい。笑う事を止められないリアムの目は、徹夜のせいで血走っており、異様としかいえない雰囲気を醸し出している。
笑ったままのリアムは、机の上に置かれた酒瓶の蓋を外し、中身の液体をグラスに注ぐと一度目を閉じた。そのリアムの脳内では、すでに最終目的を実現する為のネイサンを食らう計画が輪郭を見せ始めている。心のネジが生まれつきとんでいるリアムの中に義理や恩と呼ばれる言葉はなく、ネイサンを自分の求める場所に行きつく為の道具としか考えない。
「なっ! なんだ?」
目蓋を開いて酒瓶に蓋をしたリアムが、グラスに手を伸ばした所で、首都内に耳をつんざく爆音が響く。
予想すら出来ない事態が起きた事と深酒のせいで、珍しくリアムの脳も一時的に回転を止めてしまった。それだけでなくリアムの泊まっている部屋からは、変わらない街並みと舞い上がった粉塵しか見えず、状況の把握は遅れる。
「なんだ? いったい何があった?」
窓を開け放ち、上半身をその窓から乗り出したリアムは、粉塵で隠れたままの門を見つめている。だが、それだけで情報が全て正確に得られるはずもない。
「くそっ! どうなっているんだ! くそっ! 折角、最高の気分だったものを!」
壁を蹴りつけたリアムは、脳の回転を取り戻そうと乱暴に頭を掻きむしり、部屋から出て行く。東西南北に一つずつある首都の門は、省吾の仕掛けた時限式の爆弾で吹き飛ばされているのだが、それすら正確に分かっている者はまだ少ない。
「どうだ?」
「駄目だ。壊れてる。全く開かない」
門番達は泊まり込んでいた建物から出ようとしているが、外から省吾に細工をされているせいで、扉が開かなかった。
「どうする? 早く報告に行かないと!」
「いや……。開かないんだよ。あの……壊すぐらいしか……なさそうだけど……。どうする?」
紺色の軍服を着た兵士は、扉のノブをこじっている仲間に訴えかけるが、その仲間の返事で顔をしかめてしまう。
「くそ……。どうすりゃいいんだ?」
鉄で出来ているとはいえ、超能力者である兵士達は、能力で扉を壊す事など容易に出来る。しかし、洗脳により法を頑なまでに守ろうとする兵士達は、王の持ち物である建物の扉を壊すことが出来ない。
「ええい! 報告しに行くんだ! 別の出口を探すぞ!」
「あっ! ああ!」
兵士達が見張りをしていた、首都を囲む壁と一体になっている建物には、外敵が侵入しない様に入り口が一つしかない。洗脳によって自身での深い思考が出来ない兵士達は、報告をしなければいけないと建物内で右往左往している。ただ、その兵士達が扉か壁を壊さない限り、目的は達成されるはずもなかった。
八つある見張りをする兵士用の建物には、省吾が全て外から細工を施しており、宮殿への報告が遅れる。正確な情報を掴んでいる省吾は、兵士達が動けなくなるであろう事も、計算ずくだった。
宮殿内にある中庭では、異常事態に個々の戦闘能力が異常に高い者達が集まり、指揮権を持った者の到着を待っている。
「何があったんだ?」
「いや……分からん。知っている者はいるか? あの大きな音はなんだ?」
首都に住むマニュアルに沿った動きしか出来ないノアの兵士達は、門番達からの報告がないだけで、次に何をすればいいかを自分で判断できない。通常は首都以外で仕事をする兵士も幾人か混じってはいるが、他の者に指示が出来るほどの階級を持っていなかった。
「はぁはぁ……くそ……」
誰よりも早く動き始めたのにもかかわらず、酔いを醒ます必要があったリアムは、最後に中庭へと到着する。
参謀の候補となり、階級の低いフィフスに命令することも出来るようになったリアムが、もう少し早く到着していれば省吾の不利になったかもしれない。しかし、省吾が命を掛けて回転させ始めた歯車の勢いは凄まじく、絶望の流れを完全に押しかえしている。
「私達はどうすればいいの? ねぇ? 誰か、分かる?」
敵味方に関係なく、運も不運も平等になった状態では、情報を掴み、策を練り、隙を見せない者が事を優位に運んでいく。
「静まれ! 狼狽えるな! それでもお前達は、誇り高いノアの戦力なのか?」
中庭に集まっておろおろと問い合いをしていた兵士達は、悠然と建物内から出てくる白い軍服と参謀の腕章をつけた男性の一喝で、私語を中断した。朝の風に金色の髪をなびかせ、他の参謀達を引き連れて兵士達の前に立ったギャビンを見た兵士達は、急いで整列して背筋を伸ばす。
「あれは……」
地位が上がった事で、フォースの兵士達が並ぶ列の一番前に立っているリアムは、ギャビンの隣に参謀ではない者がいる事に気が付いた。その者が、超感覚側に特化したフィフスだと知っているリアムは、ギャビンはなんらかの情報を既に掴んでいるだろうと推測している。
「東西南北、全ての門が何者かによって破られた。信じがたい事だが、我等に刃向う勢力が侵入した可能性が高い!」
リアムの予想通り、能力者を使って爆発音の原因を掴んでいたギャビンは、冷静に兵士達へと指示を出していく。
「戦力外の住民達にのみ、住居に鍵を閉めて立てこもる様にとの指示は、すでに出している!」
「敵の正体はまだつかめていない! フォースは四人、フィフスは二人のグループを作り、街に侵入した敵を捕まえて正体を暴くのだ!」
ギャビンに続いて口を開いた参謀達は、すでに方針を決めているらしく、迷いなく命令を下していった。
「宮殿の警備は、デビッド率いるネイサンの部隊だけで十分だ。他の者達は、全員、侵入者狩りにむかえ!」
「抵抗が激しい場合は、処分しても構わないが、可能な限り生かしてここに敵を連れ帰れ! 分かったな?」
参謀達の威圧的な言葉に何の不満も感じなくなっている兵士達は、敬礼によって命令を認識したと相手に知らせる。
「では……行くぞ! ノアに仇なす敵を、後悔させてやるのだ!」
ギャビンの気合が入った号令を受け、兵士達は宮殿内の出口へと向かって、小走りでの移動を開始した。
「では、後は任せたぞ。ネイサン」
「ああ。任せてくれ」
ネイサンだけでなく他の参謀達にも声を掛けたギャビンは、隊列を崩さずに移動する兵士達と違い、胸を張ってゆっくりと出口へと向かって行く。
「うん? マイヤーズは……行ってしまったのか?」
他の参謀達と違い、最後まで宮殿を出て行く兵士達を見送っていたネイサンは、流れに乗ってリアムも出て行った事に気付いた。
「ふぅ……勇敢だとは聞いていたが……。まだまだ、青い。指揮官が戦場に出てどうするんだ」
苦笑いを浮かべたネイサンは、首を左右に振りながら呆れたように息を吐き、建物内へと戻っていく。
爆破された四つの門に向かう為に、宮殿の庭で四つに分かれた兵達は、それぞれ別の出口から外へ向かう。その中でもギャビンが付いて行ったグループの者達は、宮殿から出てすぐに隊列を組んで整列し、号令を待っていた。
「よし。では、出撃だ! な……まっ! 待て!」
街に背を向けてギャビンに敬礼をしていた兵士達にライフルの弾丸が降り注ぎ、対応が遅れた者がその場に崩れていく。フィフスの能力者達は一人も脱落しなかったが、フォースでしかない者の半数以上が、戦闘不能状態に陥る。
「この……戦い方は……まさか……」
兵士達の中でも練度が高いリアムは、弾丸を能力の膜で防御する事に成功したが、顔が青ざめていく。実弾を使った不意を突く戦い方をする人物に心当たりがあるリアムは、農場での出来事を思い出しているのだ。
「おっ! おい! しっかりしろ!」
特殊な金属で出来た弾丸が体を掠めた兵士達は一人も死んではいないが、体内で情報交換による体調の変化をきたし、起き上がることも出来ない。
「こっちも、駄目だ! 中に運び込め!」
嘔吐する者まで出た仲間を見て、兵士達は更に飛んできた弾丸を能力で防ぎつつ、建物内へ負傷者を運んでいく。首都内から出ていない兵士達は、本来仲間を思いやれる者達が多く、反乱軍の拠点を襲った者達のように負傷者を見捨てたりはしようとしない。
……来た!
「そこだああああぁぁぁ!」
ライフル弾による攻撃の第三波が届くよりも早く、フィフスの一人が掌から光の球体を発生させ、建物の屋上へと向かわせた。千里眼が発動できない為、宮殿のかなり近くに潜んでいた省吾は、敵の射程圏内に身を置いていたのだ。
省吾のいる建物に触れた光の球体は、閃光と共に爆裂し、触れた個所を破壊していく。建物は複数の爆裂によって、一瞬でがれきに変わり、省吾が住んでいる者のいない建物を選んで居なければ、住民は死んでいただろう
「やったか?」
建物を構成していた硬い岩を容易く噛み砕いた能力で作った閃光は、その場にいた兵士達の視界を一時的に麻痺させた。能力を放ったフィフスである男性も、片腕で目元を隠しながら、黙視できない結果を仲間へと問いかける。
超感覚側の能力が得意ではない為にそうしたその男性は、十分な手ごたえを感じ、敵の一人を駆逐できただろうと考えていた。笑いじわまで作っている男性は、フィフスの中でもサイコキネシス側に特出した能力者である為、敵を仕留めそこなった事がなく気を緩めたのだ。
他の兵達も、自分達より早く敵へ攻撃を仕掛けた男性が、限界に近い速度で光球を放っていたのを見てその場の対処は終わっただろうと思い込む。
兵達が目的を達成するには今まで自分達が一方的に殺してきたのが、抵抗する意思もほとんどない家畜になってしまった奴隷達だけだと思い出すべきだろう。そして、ノアに単身で戦いを仕掛けてきたのが、牙と爪を研いだ凶暴な獣であると認識するべきだ。
「馬鹿か! 防げ!」
敵を恐れなければいけないと分かっていたリアムが、自分の膜を維持したまま、外面を保つ事も忘れて叫ぶ。
「気を抜くなっ! まだだ!」
リアムの声に逸早く反応できたギャビンも、優れた直感で向かってくる殺意を感じとり、警告を発した。
フィフスの男性から光球が放たれるよりも早く、隣の建物へ飛び移っていた省吾の弾丸は、再びその場の兵達に降り注ぐ。勘だけでの正確な先読みという、人間離れした事をやってのけた省吾によって敵に出来た隙は、敵の兵力を大幅に削り取る。
「あぐっ! ああ……」
「ごほっ! なん……だよ……これ……」
ギャビン達フィフスは、攻撃と防御を両立できるため、自分の頭上で軌道を変えた弾丸を防ぐことが出来た。だが、リアムを除いたフォースの兵士達は能力の発動が遅れ、白い弾頭に体の一部分を触れさせてしまう。ギャビンが率いようとしていた、三十人を超えるフォースの兵士達は戦闘不能となり、フィフスだけがその場に残っていた。
「そんな馬鹿な! くそっ!」
仲間達のうめき声を聞いて先程光球を放った男性が、信じられないといった表情で泡を食って背後へと振り返る。自分の発生させた膜を貫通して地面へと刺さった弾丸を見て、軌道がそれていなければと青ざめていたリアムは、自分達に顔を向けた男性に再び叫ぶ。
「馬鹿はお前だ! 前! ちがっ! 上だ!」
リアムからの叫びで、自分の体を影が覆ったと気付いたフィフスの男性は、急いで振り返りながら手を突き出す。
……よしっ! 突貫!
連射式であるスナイパーライフルの弾丸が尽きた省吾は、相手が動き出すよりも早く、建物から敵に向かって飛び降りていた。
「うわああああぁぁぁ!」
自分に迫ってくる影におびえた男性は、反射的に突き出した両手に全ての力を向かわせ、一メートル以上はある光球を視界いっぱいに発生させる。
「はぁはぁ……これで……」
自分の上空一メートルほどの位置で、何かに接触した光球が、連鎖爆裂した事で男性は再び気を抜いた。何もなかったはずの空間で能力が爆裂した事で、敵を捉えることが出来たと、勝手に思い込んだからだ。
「はぁはぁはぁ! ああ? あえ?」
男性が放った光球は、省吾が手放したスナイパーライフルを跡形もなく壊したが、それだけにとどまった。ライフルを投げつけ、自分と距離のある位置で光球は爆裂させ、かすり傷だけの被害で省吾は地面に着地している。
……そこだっ!
目に見えない力の流れまで感じ取れるほど研ぎ澄まされている省吾は、着地すると同時に流れるようにナイフを抜いて振り上げた。突き出していたせいで、自分の発生させている防御の波から出た手の先を切られた男性は、金属生命体同士の情報交換により視界が白んでいく。
一番手前にいた男性の手を傷つけると同時に、拳銃を抜いていた省吾は、倒れ込もうとした男性を盾にする為に肩へ乗せた。
「ぐがっ! こ……の……」
「はぁ? え? なによ……これ……」
仲間の発生させた閃光で目を閉じていたフィフスの二人は、目蓋を開こうとしていたが、開ききる前に弾丸が体を掠め、力が抜けていく。
「くっ! 防御を緩めるな!」
仲間を盾にされたギャビンは攻撃指示が出来ず、戦闘不能者を増やさない為の策を口に出すしかなかった。
……あれが、最強の一人か。
ガブリエラ達から映像まで転送できる能力で情報を受けた省吾は、残った敵の能力を思い出していく。
ナイフをケースに戻し、泡を吹いている男性を掴んで盾にしたまま、拳銃を握っている省吾を見て、リアムが後ずさる。直感もかなり優れているリアムは、省吾が以前よりも強くなっていると感じ、頬が粟立つ。
「井上……省吾………お前……」
不用意に飛び込む事も、背を向ける事も出来なかった白い軍服を着たフィフスの兵士達は、リアムの呟きを聞いて冷たい汗をかいた。
「あ……あれが、ディランを倒した男なのか?」
自分達よりも実力が上だったディランを倒している男性の名前を、兵士であるその場にいた者達は覚えている。
「なるほど……セカンドと聞いていたが……この感じは……嘘ではないようだな」
表情を引きつらせる他の者達と違い、ギャビンだけが薄く笑うと、右手を持ち上げていく。
……来る!
ギャビンの右手から省吾に向かって光の線が走り、盾にされていた男性が石畳の上に倒れ込んだ。針の穴を通すほど精密な能力の発動が可能なギャビンは、盾になっている仲間に被害なく省吾を攻撃できる。
「何?」
必殺といっていい能力を放ったギャビンは、その場に省吾が居なくなっていると分かっており、眼球を右へと移動させた。ギャビンの攻撃自体ではなく、兆しを感じ取った省吾は、敵の攻撃が放たれるよりも早く、地面を転がる様に移動していたのだ。
「避けた? いや……そんな事が、人間に出来るはずがない……。ただ、運がいいだけだ……」
笑みは消していないギャビンだが、絶対の自信を持っていた攻撃を避けられた事で、心音が高まり、隙が出来る。
……今だ!
敵に出来た隙を見逃さない省吾は、迷うことなく背中を見せて、全力でその場を離脱していく。省吾が自分達に向かってくると思い込んでいたギャビンを含めたフィフス達は、目を見開いて固まってしまう。
「あっ……」
「追え! 追うんだ! 逃がすな!」
間の抜けた声しか出せなかったギャビンに変わって、冷静さを取り戻しつつあるリアムがフィフス達に指示を出す。
「ふふっ……。侮られたものだ……」
……来る! このっ!
相手に背を向けてさえ、殺気と兆しを感じ取った省吾は、視線を前方から自分の足元へと落とした。大通りを真っ直ぐに走っていた省吾だが、地面を踏みこもうとしていた足を無理矢理斜めに向け、転倒する事で建物と建物の間に転がり込む。
「なっ! そんな……」
少しずつ小さくなっていくだけだった省吾がいきなり死角に入った為、両拳を握ったギャビンが息を飲んだ。消えた様にしか思えなかった省吾が、本当に報告の通りセカンドなのかと、ギャビンは考え始めている。
……ここからだ! こんなものおおぉ!
全速力で移動中に転倒した省吾は、額に裂傷を負い、ぶつけた肩と軌道を無理に変えた足の筋を痛めた。だが、何事もなかったように転がる勢いを殺さずに立ち上がり、路地を再度全力で移動し始める。
「待て! エヴァンジュリン! 編成を組み直す!」
省吾を追いかけようとしたフィフスの一人を引き留めたギャビンは、その者のテレパシーを使おうとしていた。
「マイヤーズ! 君は、各部隊の状況を能力で確認してくれ!」
エヴァンジュリンと呼ばれた女性の肩に手を置いたギャビンは、兵士達へ再度の指示をする前に、リアムへと状況確認を命令する。
波打った肩にかかる髪を持つ、茶色い瞳のくりくりとした目が特徴的なエヴァンジュリンは、その間に首都内へ指向性のテレパシーを飛ばす準備をしていた。
「分かりました」
ギャビンにその場で逆らうべきではないと素早く判断したリアムは、目を閉じてソナーのように索敵の力を飛ばしていく。
「どうだ?」
「はい! 仲間の八割を捕捉しました! いつでも、接続できます!」
リアムと同じように頭部を発光させていたエヴァンジュリンに問いかけたギャビンは、相手からの返事で目を閉じる。
「なっ! 今度はなんだ?」
省吾を危険と判断したギャビンは、自分のいる地区に仲間を集めようと考えていたが、その命令を出す前に耳に爆音が届いた。
人間の耳に、音の発信源を確実に特定できるほどの性能はなく、反響してしまえば音のした大よその位置さえ分からなくなってしまう。首都内で発生した爆音は、一つや二つではない上に、タイミングも位置もバラバラだった為、ギャビンは仲間の肩に手を置いたまま首を左右に振る事しか出来ない。
省吾の仕掛けていたトラップに、人を殺すほどの火力はないが、フォースの兵士達を戦線から離脱させるには十分だった。
「うぐぐぐっ……くそっ……」
「駄目だ! 気を失ってる! 手伝ってくれ!」
トラップに対する知識がない兵士達は、人の気配すらない場所で謎の攻撃を受けたと思い込み、混乱していく。爆発音がしたのは、省吾の逃げた方向ではないとだけ分かったギャビンは、判断を下せず、リアムに顔を向ける。
「マイヤーズ! どうなっているんだ? 敵は、どれぐらいいる? 戦力は?」
索敵を続けていたリアムは、ゆっくりと目を開き、自分の考えを交えずに状況だけをギャビンに報告する。
「敵の気配は全くありません。井上省吾も、索敵範囲からさきほど消えました。敵の人数や戦力は不明です」
追われながら戦闘を続けている省吾だが、地下や建物の屋上を使う事で自分を見失わせ、敵の隙を強制的に作っていた。
自分の索敵から省吾が逃れた方法や、大よそ向かった方向まで推測したリアムだが、その情報をギャビンに渡さない。農場と違い、敵前逃亡が許されない状況で、省吾の近くに寄らない様にする自分が咎められない様にとリアムは考えているのだ。
「くっ……敵は、複数と見るべきだな……。マイヤーズ、一つだけ聞かせてくれ」
深く息を吐く事で落ち着きをすぐに取り戻したギャビンは、リアムを戦いに慣れているとみて問いかける。
「君は、あの井上という男よりも、強い者が敵にいると思うか?」
その質問でギャビンは優秀なのだろうと改めて認識したリアムは、珍しく損得なしで返事をした。
「敵の過小評価は、危険ですが……。あの男以上は、いないと私は考えますね。もし同等か、それ以上の者がいた時点で、こちらの敗北もあり得ます」
ネイサンから洗脳の事まで聞かされているリアムは、敵にフォース以上の者がいないだろう事を知っており、返事に迷いがない。
「そうか……。君は、そんなにネガティブな思考の持ち主だったか?」
「あくまで、いればの仮定です。十中八九いないとは、思っていますよ」
冷たささえ感じさせるほど淡々と語ったリアムに影響されてか、ギャビンも完全に落ち着きを取り戻していた。
「エヴァンジュリン。接続先を、フィフスだけに絞りなおしてくれ。引退した者も含めてだ」
「え? あ、はい!」
フィフスの者だけを省吾撃退に向かわせ、フォースの兵士はそれ以外の敵捜索を続けるようにと、ギャビンの二段階に分かれたテレパシーが首都の中を飛んでいく。ギャビンの指示を真横で見ていたリアムは妥当な判断だと感じ、次に自分がどう動くべきかと考え始めていた。
「マイヤーズ。君は、指揮能力も私が考えていた以上だ。フィフスがいなくなる地区の現場指揮を、任されてくれるか?」
「了解しました」
ギャビンからの指示を受けたリアムは、敬礼と返事をすると、省吾が逃げた方向に背を向けて走り出す。
「ふん……。あちらに敵はいないだろう……。悪いが、お前達に付き合っていられないのでな……」
ギャビンの視界から逃れた瞬間に、リアムは足を止めて身を宮殿の影に隠し、省吾の目的についての考察を再開した。
「エヴァンジュリン。君も、井上討伐に向かってくれ、宮殿に残った者も応援に向けわせる」
「はい!」
戦場に似つかわしくない可愛げのある容姿を持ったエヴァンジュリンは、洗脳によって戦う事に疑問も持たず、大通りを走り始める。知略的には十分指揮官をこなせるギャビンも、本来は正々堂々とした行いを好み、好戦的ではない為、洗脳さえなければ参謀にはなっていなかったかも知れない。
「ふぅぅ……。さて、これも所詮は一時しのぎか。敵の目的を考えるべきだな……」
自分の顎を掌で軽く撫でたギャビンは、自分の前に姿を見せた省吾を思い出しながら、宮殿内へと一時的に戻っていく。
歪められた世界の中で、省吾は自分に牙をむくフィフス達ではなく、裏で暗躍を続ける黒幕だけに怒りを向けている。
……背中が、がら空きだ。
建物の屋根に伏せていた省吾は、アサルトライフルの引き金を引き、固まって走っていたフィフスの一団に弾丸を放った。
「うん? 来た!」
フィフスである能力者達は、背後から迫ってきた弾丸を感知し、立ち止まって能力を発動するか、前方に飛び退く。
「きゃああああぁぁ! 痛い! 痛いぃぃ!」
「あがあぁぁ! 助け……」
立ち止まった者達は、アサルトライフルの弾丸をいとも容易く防いでしまったが、飛び退いた者は悲鳴を上げる。飛び退いた者達が着地した場所には、ワイヤーと手榴弾を使った罠が仕掛けられており、無事なフィフス達は粉塵で視界を奪われ、仲間の悲鳴だけを聞いていた。
敵の背後に向かって省吾が放った弾丸は、トラップに誘い込む為のものであり、敢えて白い弾丸は使っていない。気を抜けば全てが終わってしまうと知っている省吾は、殺さないと決めているようだが、戦い方を緩めるつもりはなかった。
実際にトラップにかかったフィフス達は、能力でダメージを軽症に抑え込んでおり、省吾の考えは正しいのだろう。生まれてから怪我すらほとんど負わなかったフィフス達は、大げさに悲鳴を上げているが、自然治癒可能な怪我しか負っていない。
「エミリ! 無事? おほっ! おほっ!」
「ええ! ごほっ! そっちも無事ね? 早く怪我人を……」
視界が煙で奪われているフィフス達は、咳き込みながらも声でお互いの無事を確認し、倒れた仲間を救おうとしていた。その者達は仲間の事を先に考え、粉塵に紛れて一匹の狂獣が自分達に近付いている事に気付かない。
「えっ? 嘘! 嘘よ! ごほ、ごほっ! ハンナ! 皆の声が!」
エミリと呼ばれていた浅黒い肌と、赤銅色の長い髪を持つ体格の大きな女性は、仲間の悲鳴が聞こえなくなった事で、最悪の事態を想像して顔が青ざめる。
「分かってる! おほっ! 落ち着いて!」
ハンナと呼ばれたエミリよりも黒い肌と、ベリーショートヘアーがトレードマークの女性は、口元をハンカチで抑えて煙から逃れようとしていた。
まるで子供のように、軽症にもかかわらず叫んでいた者達は、省吾のナイフによって怪我を増やされ、戦闘不能に陥っている。
「おまっ……お前かあああぁぁぁ!」
「きゃっ!」
透視の能力で煙を無視できた男性の一人が、仲間の元へ到着し、そこにいた省吾を見た所で怒声を上げた。
……あれは、まずいな。奴の能力は、簡単には防げない。
全身を発光させ、体から巻き起こった風で粉塵を吹き飛ばした男性を見て、省吾は素早くナイフをしまう。デビッドやディランには劣っているかもしれないが、その場にいる者全てが、人間など容易く壊せる能力者ばかりだ。
「嘘! カーター! しっかり!」
ハンナは男性が能力を放とうとしている先にいる省吾を見たが、エミリは粉塵の中で倒れている仲間を助け起こす。
「うっ……ああ……うぅぅ……」
エミリに上半身を起こされた男性は、全身を痙攣させて眼球をぐるぐるとまわし、苦しんでいた。トラップでダメージを受けていた者だけでなく、粉塵の中で隙を作っていた者も、省吾のナイフで既に切り裂かれている。
首都で能力をあまり使わなくても問題なかったフィフス達は、練度が反乱軍を襲ったフォース達よりも低い。フィフスが攻撃と防御を一度に行えるといっても、常時敵の攻撃を意識し続け、防御を展開し続けるだけの力は、そのフィフス達にはないようだ。
エミリは、自分が超高速状態になっている事も認識できておらず、助け起こした勢いで仲間に止めをさした事に気付いていない。
「あああああああぁぁぁぁぁ!」
両拳を握り、構えたまま全身の発光を強めていくフィフスの男性は、仲間を殺されたと思い込み、怒りで全ての力を解放していく。
「ああぁぁぁ……おあああああぁぁぁぁ!」
……今だ! あれに!
怒りを声で表していた男性が息継ぎをした瞬間に、省吾は敵に背中を見せると、両足を発光させる。
……間に合えええぇぇ!
石畳を砕くほどの威力がある省吾の蹴りは、体を吹き飛ばすように進ませ、敵からの距離を一瞬で稼いだ。
「逃がすかあああぁぁぁぁ!」
省吾の動きが全て見えていた男性は、全身に纏っていた光を両拳に移し、仲間を巻き添えにしない様に歩み出て腕を突き出した。そして、大きな破裂音の後に、男性の掌から大通りを全て包み込むほど大きな青白い光の筋が、真っ直ぐに伸びていく。
「はぁぁぁ……はぁはぁ……どう……だ……はぁはぁはぁ……」
前屈みになり、両腕をだらりとたらした男性は、白く変わる息を吐き出しながら、景色の変わった前方を見つめている。物体の分子運動を無理矢理抑え込む力を使う男性により、大通りの植物は凍りついて砕け散り、凝固した空気中の水分が道や建物を白く染めていた。
対生物には絶対の破壊力を持つ能力者である男性の攻撃に、ハンナは拳を握り、省吾の生存はないと確信した。
「さっすがぁ! やっぱ、あんたが次の最強候補ねぇ」
笑顔になったハンナは脱力したままの男性の肩を叩き、調子のいい事を告げて、白くなった大通りを見つめる。
「あれ? でも……あいつは?」
ハンナに笑い返した男性は、前屈みになっていた上半身を持ち上げながら、同じように大通りの先を見つめた。
「はぁ……はぁ……全力だったからな……はぁ……砕け散ったかもしれない……」
「マジで? 回収……は、まあ! 誰かにやらせればいっか!」
二人の会話と徐々に氷が溶けて色を取り戻す大通りを見て、安心したエミリ達は仲間の手当てをしようとしている。
「ちょっと! ハンナ! こっちを手伝って!」
「ああ、はいはい。そっちの方が、嫌なもの見ないでいいわよねぇ」
苦笑いをした後、男性の背中を意味ありげに叩いたハンナは、倒れている仲間の近くにしゃがんだ。
「はぁぁ……。俺は、血が苦手なんだがな……」
ハンナが、ぐしゃぐしゃになっているはずの省吾を確認に行けといっているのだと分かった男性は、顔をしかめて大通りを歩き出す。
「あ、ギャビン様に報告しないといけないわよね?」
「それよりも、怪我人の手当てが先よ! これ……もしかして毒? どうすればいいの?」
その男性は、人間が持つには過ぎた能力を身につけており、強者と呼ばれる事もあるが、戦場を知らない。
戦闘服を血で染め始めている息を殺した凶暴な獣が、気の抜けてしまった男性を待ち構える。そして、敵の確認もせずに、戦場となった首都内で隙を見せたフィフス達を、運命の歯車が巻き込もうと近付く。