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名無しのエース  作者: 慎之介
六章
61/82

 反乱軍が使用する拠点内にあるシェルターの一室は、大人数で一度に食事ができる食堂がある。


 その食堂の壁や床は、元々タイル柄のシートが貼り付けられていたらしいが、長い年月を経て剥がれ落ちてしまいコンクリートがむき出しになっていた。作られてからかなりの時間が経過している為、床に据え付けられた横長の白い机も、もれなく角が割れ、強度が落ちている。


 それでも、反乱軍に所属した皆が、自分達で使用する為に手入れをしており、室内も合わせて不潔と感じる事はない。シェルターを作った者達が用意した椅子の多くは壊れてしまった為、手作りの物や切り株でしかない物も並んでいるが、食事をするだけなら問題なく、数も十分に整っていた。


 長机の並んだ一角には、火の灯ったランタンや台に乗ったろうそくが置かれ、闇を遠ざけている。見張りをしている者達だけでなく、ガブリエラや一人で動く事がまだ難しい第三世代の女性もその食堂には来ていないが、その以外の者達はすでに席についていた。


 ただ、元々百人に満たない反乱軍の者達だけで使うには広すぎるその食堂には、空席の方が多い。


「皆行き渡ったわね? じゃあ、いただきます!」


 配膳が済んだ事をオーブリーに報告された班長である女性は、仲間達を見渡した後に食事の開始を声で知らせた。


 その日の食事は、保存のきく野菜と干し肉のパスタ。そして、フィッシュアンドチップスだけだ。飽食の時代を生きた者には物足りないだろうが、日頃から隠れ住むことしか出来ない反乱軍の者達で用意できる食事の中では、かなり豪華な部類に入る。


 食堂に集まった者達は、その日頃よりも充実した食事を、ノアの大規模攻撃から生き延び、英雄が到着した事の祝いなのだろうと理解していた。ヤコブの能力が回復しきっておらず、予知が出来ていない為、敵の再度進行が絶対ないと言い切れない状況で飲酒は出来ないが、文句をいう者はいない。


「ケイト達が、作ったのか?」


「はい。こちらです」


 食堂の出入り口から聞こえたケイトと男性の声で、パスタを頬張ろうとしていた者達の手が止まる。


「あの……あの……。私なりに……なんですけど……一生懸命作りました」


 外に出ていた省吾を呼びに行っていたケイトは、案内をしながら精一杯のアピールを続けていた。まだ省吾と話すだけで息苦しいケイトだが、自分の作った食事を食べてもらえるという気持ちが勇気を呼び起こしており、目を直接見なければ会話は出来るようだ。


 相手が嫌がらない程度を心得ながらも積極性のあるケイトの言葉を、省吾は素直に受け入れている。


「そうか。それは楽しみ……だ?」


 ケイトの開いてくれた金属製の扉をくぐった省吾は、大勢から一斉に見つめられ、半歩後退した。省吾に注がれている視線に敵意は全くないが、到着してから半日も立っていない為、英雄の顔を見た事が無い者も多く、好奇は多分に含まれている。


……これは。


 扉を入ってすぐの場所で固まっている省吾と違い、隣に並んだケイトは尊敬と憧れを受ける想い人が誇らしいのか笑顔になっていた。


「あっ……あちらです。もう、用意はしてありますので」


「あ……ああ……」


 オーブリーの手招きに気付いたケイトは、頬を緩ませたまま省吾に配膳だけがされた席を指さして教えた。人々からの視線を気にしながら端にある席へ向かった省吾を見て、班長である者達は立ち上がって頭を下げようとする。


「うん? ああ、必要ない。食事を続けてくれ」


 省吾に対して礼を尽くしたいと班長達は考えているようだが、実益の無い行為を好まない英雄は簡単な言葉だけでその場を済ませた。


「は……はぁ……」


 立ち上がった班長達は渋々といった様子で席に座りつつ、戦闘時と雰囲気の違う省吾を観察するように見つめる。


「はい。中尉さんは、ここ。あんたは、その隣ね」


 省吾の向かった机には、時間介入組の者達が座っており、オーブリーが遅れてきた二人に席を指示した。


……フィッシュアンドチップス? ケイトの計らいか? ありがたい。


 席についた省吾は目の前にある料理を見て、久しぶりに故郷の料理が食べられるのはケイトのおかげだろうと分かったらしい。


「いただこう……」


 省吾が木で出来たフォークを手に取った所で、静止画のように固まり、静かになっていた食堂全体が動き始める。


……少し変わった味付けだが、悪くないな。温度も、ケイトは気遣ってくれたんだな。優しい女性だ。


 フォークに突き刺した魚のフライをかみちぎった省吾は、自然と何度かうなずく様に首を振っており、ケイトは顔を更に緩ませた。


 ケイトは過去の時間介入で、省吾が熱い物を好まないと知っており、配膳を最初に行っている。その気遣いが分かった省吾は、少し前に逃げ出されるほどの不手際をしてしまったと思っている事もあり、ケイトへの好感度を高めていた。しかし、省吾がそれを口に出すはずもなく、周囲からは料理を気に入ったのだろうとしか推測できない。


 もじもじと動いているケイトは、食事を続ける省吾に視線を幾度か送っているが、言葉は口から出てこなかった。喋りたい事は山ほどあったはずのケイトだが、いざ省吾の隣に座ってしまうと、頭の中に何を話せばいいのかが浮かんでこないようだ。


「どう? どう? ケイトの料理? 悪くないでしょ?」


 省吾の左前方に向かい合うように座っている第三世代の女性が、食事と会話の進まないケイトを見かねて話題を振る。


「材料に制限があるけど、いい出来でしょ? 中尉さんの故郷の料理を、ケイトの提案で作ってみたの」


 その第三世代の女性を援護する様に、オーブリーも口を開き、ケイトの手柄を相手に印象付ける。


「ああ。ありがたい」


 少し多く盛られたポテトを見る間に口内へ放り込んでいく省吾は、食事に集中しており、話が弾まない。自分の用意した食事を喜んでくれているだけで嬉しいケイトは、フォークをくわえたまま笑顔を作っていた。


 だが、オーブリー達は口数の少ない省吾を見て不満を感じたようで、ケイトを持ち上げるような話題ばかりを振っていく。


「でね? ケイトって怪我の治療も出来るし、お裁縫なんかも得意なのよ」


「ああ。知っている」


 木製のスプーンとフォークを使って、汁気の多いパスタを食べる事に集中している省吾は、取りつく島の無い返事を続けた。


「前にね。中尉さんの時代で、化粧して着飾った事あるんだけど……。ケイトって、何着ても似合うの。中尉さんもきっと見惚れるんじゃないかなぁ……」


「ああ、そうか……」


……この肉は、鳥か? なるほど。何種類か混ぜてあるのか。悪くない。


 ケイト以外の時間介入組である女性達が苛立ちを募らせる中、男性陣は目を細めて会話に加わらない。


「あっ。塩……とってくれ」


「ん? ああ。ほらよ」


 第三世代の男性から塩の入った瓶を投げ渡されたカーンは、ポテトに塩をふり、ただ食事を続ける。他の男性三人もケイトの気持ちを知っており、女性達が苛立っていると気付いているが、下手な事をしたくないと考えているのだ。


「あの人……。ある意味、すげぇな」


「ああ。全く気にしてないな」


 女性達から言葉の集中砲火を浴びながら、意に介さず食事を続ける省吾を見て、カーン達だけでなく班長達も感心している。


 口うるさいフランソアや、食事中でも理屈をこねるマードックと長時間過ごした省吾は、色気が微塵も無い意味で女性との会話に慣れているのだ。問いかけられれば、最小限ではあるが返事をしており、会話の内容も覚えている為、相手が怒り始める隙を与えない。


 ケイトは料理を食べてくれているだけで満足しているのだが、省吾の手慣れた対応は、ケイトを意識させたいオーブリー達には不満が残る。


「そういえば、中尉さんは……えっ?」


 誰よりも早く食事を終えた省吾は、オーブリーの手元を指さし、初めて自分から口を開いた。


「冷めてしまと、折角の料理が台無しになるぞ?」


 反論することも出来ない省吾の言葉で、オーブリー達だけでなく、ケイトも止まっていた食事を再開する。


……九人。確か、ダリアだったな。


 食事を終えた省吾は、時間介入組の人数を数え、少し前にカーンから伝え聞いた悲報を思い出す。省吾のせいではないのだが、零れ落ちていく命を自分で背負ってしまう省吾は、心の傷から更に血を噴き出させた。


……俺はなんて無力なんだ。信じろといった相手すら、ろくに守れない。くそっ。


 食事に本腰になった女性達の会話が止んだ事で、省吾の耳に少し離れた周囲の会話が届き始める。


「そうか。それも、いいなぁ。お前の、親父さんもだっけ?」


「ああ。うちは、代々農家だ。平和になれば、嫁さんと畑をどんどん開墾して、子供もいっぱい作りたいな。あ、牛や馬も育ててみたいし……」


 反乱軍に所属した者達の話題は、すでに戦いをどう終わらせるかではなく、戦いが終わった後の事に移っていた。


「あたし、服の店とかやりたいな。ほら、一応、裁縫とか得意だし」


「そういや……。お前、デザインのセンスもあるよな。うん。いいんじゃないか?」


 誰もが自分達にとって豪華な食事に舌鼓を打ちながら、仲間達と明るい未来の事を嬉々として喋っている。


「俺さぁ。大工仕事とか得意じゃん? まんま、大工とかいいかなぁと……」


「えっ? 大工? お前、ずぼらだしな……。お前が作った家って、雨漏りとかするんじゃないか? 大丈夫なのかよ?」


 班長になっている者達だけは、戦いが終わっていないと考えているようだが、皆の会話を止めようとはしない。先の事を思い浮かべるのはまだ早いと思いつつ、班長達も未来への希望は内心で膨らんでいるのだろう。


……せめて、ここにいる全員だけでも、守りたい。いや、守って見せる。俺は、その為だけに生き延びたんだ。俺の価値は、そこにしかない。


「えっ……」


 何の気なく視線を隣に向けたケイトだけが、省吾の鋭い視線と瞳に燃え盛っている炎に気が付いた。


「どうしたの? 何かあった?」


 フライドポテトの刺さったフォークを机の上に落としたケイトに、オーブリーが問いかける頃、省吾はゆっくりと目蓋を閉じる。


「あ……ああ、いえ。なんでもありません。すみません」


 省吾が何かを真剣に考えている事をおかしなことではないと考えたケイトは、取り繕うように笑って食事を再開した。ケイトの持つ超能力者特有の鋭い直感が、省吾の覚悟には反応しているが漠然としたものだ。省吾の瞳に灯った真っ赤な炎が気にかかってはいるケイトだが、その事を問いただす事は出来なかった。


 残念な事に、才気煥発なケイトでも、時代を変えるだけの力は持ち合わせておらず、運命には選ばれない。例え、その場でケイトが問いただしたとしても、すでに選択を済ませた省吾の心は変わらないだろう。


 それは仕方がないと呼べる問題で、懸命に頑張り続けているケイトは、なんら悪いわけではない。そして、誰に相談する事もなく決断した省吾も、我欲の先に人々の平和を望んでおり、間違えてはいないのだろう。


 人々が平和と幸せを望む事が、より多くの罪を重ねると分かっていても、人間であるならば自分の事を棚にでも上げない限り否定出来る者は少ないはずだ。あるがままに時間という流れを進めていく現実は、真っ赤に咲いた命を動力とした歯車を、回し続けていた。


 自身を特別な存在であるなどと考えもしない省吾は、己が生きる意味を戦いに見出し、魂そのものをベットする。望む未来へとつながる歯車へ力を伝える為、命という代償を支払おうとしている省吾は、自らを歯車の一つとして使う。数え切れないほどの弱者だけでなく、大勢の強者すら散っていた戦場を歩いてきた省吾は、現実を変える術をすでに知っているからだ。


……これでいい。これで、準備は整った。後は、俺が。


 食事を終えた省吾は、ガブリエラの部屋を再度訪れ、最後となる打ち合わせを行っていた。


「後は……任せた……」


 床に置いていた、簡単な作りの黄ばんだ布袋を掴んだ省吾は、念話をする為に掴んでいたガブリエラの手を離そうとする。しかし、省吾の顔を悲しそうに見つめたガブリエラは、ベッドで体を横たえたままその手を両手で掴み続けた。どれほど頭で分かっていたとしても、いざとなれば人間は愚かともいえる行為をしてしまうものだ。


 過去視の能力を持つガブリエラは、誰よりも省吾を信頼しているはずだが、二度と会えないかもしれないと恐怖から手に力が入っている。あまりにも省吾が現実を切り裂いて突き進むため、予知でも未来が見通し切れなかった為、ガブリエラは恐れを抱いているのだ。


(俺を……信じてほしい。この命で必ず、未来へと繋いで見せる)


 ガブリエラの想いを感じ取った省吾は、強い視線を向けて傷だらけの柔らかい手を、優しく握り返す。小刻みに震えながら目に涙を溜め始めたガブリエラは、何をしても曲がらない省吾の意志を感じ取り、手の力を緩めた。


(信じて……おります……。貴方様に……神のご加護が……あらんことを……)


 ガブリエラに大きくうなずいて見せた省吾は、木製の丸いテーブルに置いていたランタンを持つと、そのまま部屋を出る。外から鍵の閉まる音を聞いたガブリエラは、震え続けたまま目を閉じ、幾粒もの涙を枕へと染み込ませていく。


……よし。後は、これを返すだけだな。


 ヤコブから預かった鍵を握った省吾は、暗い拠点の通路をゆっくりと力強く、地上へ向けて進む。


「あ……あぁ……あの、急いでください」


「あ、ちょっ、待ってくれって……」


 扉が開け放たれたカーンが住む部屋の前にいるケイトは、省吾の歩く姿を見て、焦りながら催促していた。相手が喜ぶことをどうしてもしたいケイトは、カーンがポケットに入れていたおかげでタイムマシーンから持ち出せた物を、省吾に渡そうと考えている。


「おっ! あったあった! ほらよ」


「ありがとうございます! 後……ごめんさい……」


 金属で出来た十センチほどの筒を投げ渡されたケイトは笑顔を作り、頭を下げると扉を閉めて小走りに立ち去った。


「ばれて……た……よね?」


 ベッドの奥で身を潜めていたオーブリーは、苦笑いを浮かべながら立ち上がり、カーンに問いかける。


「まあ……。後頭部丸見えだったしな……」


 オーブリーから目を逸らしたカーンは、真っ赤な顔で渋い表情を作り、しばらく恥ずかしさからか身悶えしていた。


「もう……誰もこないよねぇ……。えい!」


 扉の前まで移動したオーブリーは耳を壁につけ、周囲の音を拾いながら、扉の鍵を内側から捻って閉める。それを見ていたカーンは呼吸を浅くし、心臓を爆発させそうな勢いで脈打たせながら、不自然にベッドへと座った。


 気恥ずかしそうに笑っているオーブリーも、ゆっくりとカーンの隣に座ると、艶のある息を吐き出す。一時的に会えなくなってしまった事で、お互いの気持ちを誤魔化せなくなった二人は、ベッドの上で見つめ合い、目を閉じながら唇を近づけていく。


 だが、その二人の唇の先が触れ合うと同時に、部屋のドアノブが何者かによりガチャガチャと捻られ、戸を叩く音が室内に響いた。


「おぉい。カーン? 寝てんのか? 見張りのシフト! 相談したいんだけどぉ?」


 第三世代の男性の声を聞いたカーンとオーブリーは焦った為に互いの前歯をぶつけ、痛みで口を押えている。


「ちょっ、待て! すぐ行く!」


 今度は見つからない様にオーブリーが隠れた事を確認したカーンは、鼻息を荒くさせながら扉の鍵を開く。


「お? 寝てたのか? わりぃな。ちょっと、いいか?」


「い、いや。いい。それより、お前の部屋で話そう。な?」


 部屋の中に入ろうとした第三世代の男性を押しかえしたカーンは、焦りを隠しきれないまま部屋を出て行く。


「あぁ? ま、いいけど……。どうしたんだ? 顔赤いけど……。あっ! お前、酒でも飲んでたのか?」


「ばっ! 違う! あの……うとうとしてたから、驚いただけだ」


 ベッドの奥で口を押えていた血の付いた手を見たオーブリーは、早くなった鼓動を深呼吸で落ち着かせていく。


「はぁぁぁ……。ほんと……心臓に悪いわ……」


 両想いである二人の仲が進みにくかったのは、お互いが奥手だっただけでなく、常に弾三世代の者達に頼られ、絶え間なく話し掛けられていたせいもあるのだろう。


 その日、恋人未満の扉を開けないと諦めたオーブリー達と違い、ケイトは意気揚々と暗い通路を明かりもなく小走りで移動していた。ヤコブから、省吾がノアとの戦いで犠牲になるかも知れないと教えられているケイトは、一刻も早く関係を深めたいと考えている。省吾が何も恐れずに死へと突き進めるのだと、ケイトも分かってはいるが、自分と深く関わればもしかすればという気持ちがあるのだ。


 ケイトの考え自体は至極真っ当なものだが、残念な事に想い人である英雄と呼ばれる男性は、それに当てはまらない。悲惨としかいえない人生の中で戦い続けた省吾は、大事な感情を幾つも過去に置き忘れてきているからだ。


「あ……でも、どうしよう……」


 地上へと向かっていた省吾の後を追ったケイトは、小屋へと繋がっているコンクリート製の階段を前に、立ち止まった。月夜の中でのロマンチックな告白だけを想像していたケイトだが、省吾の背中を見た瞬間から、自分の身だしなみが気になり始めている。


 昼間、ノア兵士達と激しい戦闘を繰り広げた後、シェルターで睡眠をとり、食事の準備をしたケイトは、体が汗や埃で汚れていた。他人に対して比較的おおらかな性格をしている省吾は、ケイトの細かな部分になど気を回さないが、女性側からすると大問題なのだろう。


 異性からすれば甘く、不快感のない体臭を纏わせているケイトだが、自分で自分のそれをいいとは思わない。ぼさぼさの髪まで気になって仕方がないケイトは、すぐにでも階段を上りたい気持ちを抑え、自室へと駆け戻っていく。


「えと……顔洗って……。ええぇ……歯磨きも……うん。後……」


 頭の中でやるべき事を整理していくケイトは、もっとも最短で省吾の元へ向かえる計画を練っている。


「異常はないか?」


 ケイトが自室に戻り始めた頃、小屋へと上がった省吾は、見張りをしている二人に確認をした。


「あ、はい! 定期的に、能力で調べてますが、問題なしです」


 省吾の姿を見た見張り二人は、座っていた椅子から急いで立ち上がり、背筋を伸ばして報告をする。


「そうか。引き続き頼む」


「はい!」


 食事を取る前から続けて見張りをしている二人は、省吾が外へ出ても疑問を持たず、扉が閉まると同時に椅子へ座りなおした。


……あの場所には、なにか思い入れでもあるのか?


 ヤコブの気配を勘だけで察知した省吾は、昆虫や動物達の鳴き声を聞きながら、巨石によって削られた道を上っていく。巨石の無くなった丘の上で、木の根元に座っているヤコブは、虚ろな瞳を月へと向けていた。可能な限り予知をするという名目で外に一人で出ているヤコブだが、能力を発動させてはいない。


 省吾の事が気にかかっているヤコブは、家族と過ごす明るい未来を手放しで喜べないと、気分を沈ませているのだ。いくら老成していようとも、十一才の少年にしか過ぎないヤコブは、覚悟を決めたはずの事で悩んでしまう。


 ガブリエラから伝え聞いただけの省吾は、ヤコブの中で現実味の薄い存在で、ケイトに覚悟を決めてほしいと伝えることも出来た。実際に省吾の戦歴と成果だけを見れば、ヤコブでなくとも不死身のスーパーヒーローを、思い浮かべるだろう。ガブリエラから省吾の死期が迫っていると聞いただけのヤコブは、その無敵のスーパーヒーローが死ぬはずもないと、何処かで考えていたのだ。


 身震いするほど鮮やかに自分達の窮地を救ったところまでは、省吾とそのスーパーヒーローはヤコブの中で重なっていた。だが、血と泥にまみれた姿を見てから、ヤコブの中で省吾も自分と同じ人間なのだと、脳内で修正されている。


 自分と同じ存在であるにもかかわらず、己の身を削りながら人々を助け、苦しんでいた母親すら癒した省吾に、ヤコブは強い感銘を受けた。自分達に頭まで下げた省吾を、一人の人間として尊敬するだけでなく、父親を知らないヤコブは近親者のように感じている。省吾が未来の世界にいてほしい存在となってしまったヤコブは、胸に穴が開いた感覚に襲われ、一人で苦しんでいるのだ。


「どうかしましたか?」


 ほとんど足音も立てずに近づいた省吾に、ヤコブは勘で気が付き、先に自分から声を掛ける。


「ふぅ……。これを返しに来た。戸締りはしてある」


 少し険のある言葉を吐いたヤコブに、息を吐いて目を細めた省吾は握っていた鍵を差し出した。


「はい。ありがとうございます」


 ちらりと横目で鍵を確認したヤコブは、素早く掴みとると、省吾と目を合わせない様に首をそむける。


……さて、どうしたものかな。まだ、時間は問題ないか。


 左手首にある腕時計を見た省吾は、握っていた布袋を地面に置くと、腕を組むと目を閉じた。提示した作戦に仕方なく同意したヤコブが、まだ心にかなりわだかまりを残しているのだと、省吾は的確に読み解いている。


「うっ! なっ! なん……ですか?」


 動きのない省吾の事が気にかかっていたヤコブは、もう一度視線を向けようとしたが、相手の予想外な行動で狼狽えた。ヤコブの正面にしゃがんだ省吾は、相手の頭に手を置くと、帽子の上から頭を少し乱暴に撫でる。今まで反乱軍として過ごした人生が、ヤコブにとって辛いものであり、そのせいで大人びるしかなかったのだと、省吾は理解できているようだ。


 真っ直ぐに自分の目を見つめ、頭を撫で続ける省吾に対して、ヤコブは強張らせていた体の力を抜いていく。それは、無言でしかない省吾の行動で、何故か胸の奥がじんわりと暖かさを感じ始めているからだ。


「辛かったな。よく頑張った。偉いぞ……」


 ヤコブを年相応の少年として真っ直ぐ見ている省吾は、相手の心に直接響く言葉を直感で選び出し、心を込めて伝える。省吾の言葉から微塵も自分を馬鹿にしたような気配が無かった事で、ヤコブの目に涙が溜まり始めた。


 精神的に限界を迎え、支えるしかなかった母から、残念な事にヤコブは十分な愛情は受けられていない。そして、大勢の仲間達に指示をする側のヤコブは、弱音を吐く事が許されない環境だった。一人前の大人として扱ってくれる仲間達を、ヤコブは悪く思っていないが、無理をし続けた心はいつの間にか傷ついていたのだ。


 頭よりも先に心で、省吾には本心を見せてもいいと理解出来たヤコブは、大粒の涙をこぼしていく。


「うぅ……うえええぇぇぇぇ……」


 真っ直ぐな強い瞳でヤコブを見つめる省吾は、泣き出してしまった目の前にいる子供の頭を抱え、泣く為の胸を貸す。しばらくの間ヤコブの泣き声を聞き続けていた省吾だが、涙の量が少しだけ減少したところで、声を掛ける。


「さあ……教えてくれ……ヤコブ……。お前の望みを……」


 数年ぶりの涙を流し続けているヤコブは、しゃくり上げながらも、省吾からの言葉に返事をしていく。


「マ……マと……ひっくっ! おど……うどと……えぐっ……。いっじょに……ひっ……へい……わに……ぐだじだいっ!」


……ああ。分かっている。


「その依頼も……確かに、受け取ったぞ。ヤコブ」


 ヤコブの背中を優しくぽんぽんと叩いている省吾は、目を閉じて徐々におさまっていく泣き声に耳を傾けている。


……この子の為にも。この世界を変えなければいけない。罪は、俺が背負おう。それが、この世界に来た俺の役目だ。


 自分から更に重荷を背負った省吾は、強靭な精神でそれを高々と持ち上げ、瞳に宿る強い意志を強くしていた。


 涙を流し終え、自分の胸元から額を離したヤコブの両肩を、省吾は両手で強く握ると、相手の目を見つめる。


「俺を信じて……。いや、俺を行かせてくれるか?」


「でも……。一人でなんて……やっぱり……」


 再び泣きそうになったヤコブに省吾は腹の底から出した声で、直球過ぎるともいえる言葉を投げつけた。


「兄ちゃんに任せろ! 俺が運命を切り開いてやる!」


 鼻をすすったヤコブは、両目を強く閉じて苦しそうな表情を作ったが、すぐに目蓋を開いて腫れた目を省吾に見せる。


「よし! それでいい。お前は、それでいいんだ」


……子供は子供らしく。それが正しい世界の形だ。今なら言える。この世界は間違えているんだ。なら、俺が変える。


 心の中で階段を一つ上がったヤコブは、作ったものではない笑顔で、省吾にうなずいて見せていた。


「そんな……」


 重荷を下して心を軽くしたヤコブと違い、木の陰に隠れているケイトは、震え始めている。


 身だしなみを整えたケイトは、泣いているヤコブを介抱する省吾を見て反射的に見を隠し、二人の会話を聞いてしまった。ヤコブの事に集中していた省吾も、敵意がなかった事で直感がうまく反応せず、ケイトにまだ気が付いていない。


……もう、猶予はないな。なっ!


「誰だ!」


 腕時計を確認した省吾は、立ち上がって布袋を掴もうとしたが、そこでケイトの気配に気づき、振り返る。省吾の大きな声でヤコブはびくりと体を反応させ、木の陰からとびだして両手を前に突き出しているケイトに目をやった。


……ケイト? 聞かれたか? 迂闊だった。くそ。


 ケイトが震える両手で掴んでいるのは、カーンから受け取った金属製の筒であり、それが何かを省吾もすぐには認識できない。


「行かせない……。これは、その時計の起爆スイッチです! 私は、行かせない! 絶対に!」


 筒のキャップを外し、赤いボタンを省吾からも見えるようにしたケイトは、右手の親指を立てる。


 自分の左手首へと向けていた視線をケイトに戻した省吾は、顔をしかめて相手の目を見つめた。目を血走らせたケイトが本気なのだと、月明かりの元でも分かった省吾は、予想外の事態に動けなくなっている。急いで立ち上がったヤコブも、ケイトと省吾を交互に見て、唾液を飲み込む。


 緊張感に包まれたその場を、運命だけが冷めた目で見つめ続けていた。

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