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名無しのエース  作者: 慎之介
六章
60/82

 人間の持つ欲望とは、良きにしろ悪きにしろ、死に直面してさえ尽きる事がなく、底が見えない。その欲望とは、言葉の印象で奪う事と取られがちだが、与え守りたいと思う気持ちもそれの一部であり、一概に悪といい切れない。それは人それぞれで在り方の違いや重要性も違うものだが、人が生きる為に必要であり、本能にさえ刻まれている。


 欲望の中でも繁殖という生物の根源部分に直結した恋愛は、言葉で簡単にいい表せないほど複雑で強い欲求だ。好いた者から与えられるだけでなく、自分が相手の役に立ち、相手に与えられて満足出来る欲求もある。その側面から見れば省吾に好意を抱いた女性は、満たされる可能性が低く、男性を見る目が無いといえるだろう。


 恋愛の感情を文献や人の教えでしか理解していない省吾は、色恋の面では相手が求めている行動をとれない。いくら省吾が人として正しくとも、与えられるものは色気がなく、相手に求める事はほとんどないのだ。


 省吾の馬鹿じゃないのかとも思える行動で、人知れず消えていった恋や愛は、それなりの数に達していた。他人とかなり違う価値観を持っている省吾は、その事に薄々気付いた事もあるが、深く考えない。それは飢餓的に平和と幸せを求めた結果、自分は罪を犯したと考える省吾にとって、足かせにしかならないと思われた為かも知れない。


 今も死の淵に立たされてさえ、恐怖をかみ殺し、他人でしかない者達の為に戦おうとする省吾を愛した者は、やはり不幸といえるだろう。その一人であるケイトは、深い眠りによって短い時間で体力だけでなく能力残量も十分に回復させていた。


「ううぅん……」


 眠りの浅くなった短い時間ではあるが、シェルター内で毛布にくるまっているケイトは、昔の夢を見ていた。ケイトが見た夢の中で、彼女が過去に好意を持った二人の男性が、戦火の中で命を散らしていく。目の前で好きな男性が二人も死んでしまっているケイトが、心に傷を抱えないはずもなく、その夢も初めて見たものではない。


「い……や……」


 ケイトの脳が作り出した少年と呼ばれていた頃の省吾は、二人の男性が飲み込まれた戦火の中へ、銃を構えて突き進む。夢の中でケイトは、必死に省吾を止めようとしたが、声が上手く出せず、いくら走っても追いつけない。


 焦点すら合わずに見る事すら上手くいかないケイトが、戦闘服を着た男性に精一杯手を伸ばしたところで、夢は終わる。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 大きな両目の目蓋を勢いよく開いたケイトは、鼓動を早めて浅い呼吸を繰り返し、毛布を力一杯握りしめた。夢と現実の違いが認識できていないケイトは、胸の痛みを堪えながら、眼球だけで周囲の情報を取り入れていく。そして、自分が眠ってしまっていたのだと気付き、言い知れない焦燥感から上半身を急いで起こした。


「きゃっ! っと……。えと……」


 目の前に立ったカーンと、座ったまま話をしていたオーブリーは、ケイトによっていきなり視界が半分ほどふさがれ、小さな悲鳴を上げる。自分の胸元に手を置いたオーブリーは、高鳴った心音を確かめながら、幾度も瞬きを続けていた。


「おっ? 起きたか? ちょうどいい。これで、全員起きたな」


「全員?」


 カーンの言葉に首を傾げたケイトは、自分のいる左ななめ後方に目を向け、重症だった女性がまなこを開いている事を知る。


「あ……ああ……よかった……」


「あの……。心配をおかけしました……」


 体を横たえたままの第三世代である女性は、今までの事を弟の様な男性から聞いているらしく、照れて指で鼻の先を掻いた。


「ねえ? ここ」


 大きく息を吐いたケイトに向かって、オーブリーが自分の口元を指さして、何かを知らせようとしている。


「ふえ?」


「よだれ。跡になってるよ」


 顔を赤くしたケイトは、急いで服の袖で自分の口元を拭い、その光景を家族の様な仲間達が笑う。本当に小さな事ではあるが、時間の介入という大仕事をしていた九人は、それで幸せを感じられた。ダリアの事が頭を掠め、笑って知る時間は短いものだったが、省吾の到着は確かにその九人に幸せを与えていたのだ。


「あっと、それで……。ええ……。これからの段取りなんだがな」


 しばらく続いた沈黙の後、カーンは省吾からの指示を思いだし、仲間達に必要な部分だけ説明していく。すでに説明を省吾から直接聞いているカーン以外の二人も、話が終わるまで真剣な表情を崩さなかった。


「って事で……。動ける奴は、手伝いを頼む。時間の余裕はあまりないからな」


 カーンからの説明を聞き終えると同時に、ケイトが目を向けたシェルター内では、人々が動き始めている。


「じゃあ、私達は回復するまで、食料の準備ね」


「はい」


 うなずいてから立ち上がったケイト達だが、毛布を畳み始めると同時に、カーンから別の依頼を受けた。


「あ、そうだ。お前達は、食事の準備を頼めるか? 皆、朝から何も食べてないからな」


 カーンはオーブリー達に分かり易くするためか、食堂のある方向を指さしながら視線を向ける。


「あ、そういえば……。了解。分かった」


 畳んだ毛布を壁際に積み上げたオーブリー達は、仲間に目線だけを送って、食堂の奥にある炊事場へと向かう。数歩進んだケイトの中で、省吾に対する想いから欲望が大きくなり、表情を笑顔へと変えさせていく。


「えっ? ああ……そっか。これは、腕によりをかけないとねぇ」


 ケイトが省吾に食事を食べてもらえると喜んだことが分かった第三世代の女性は、少し煽るような言葉を口に出す。


「あっ! いえ……その……あの……」


 表情から考えを的確に読み解かれたケイトは、歩きながら視線を床へと向かわせたが、笑顔は消していない。 それだけ、ケイトにとって省吾に何かが出来るという事は、喜びを感じられる事のようだ。


「ああ、それなら和食でも作ってみる? あの時代にいたおかげで、多少は作り方も分かるし……」


 オーブリーの言葉で俯き気味に歩いていたケイトが急いで顔を上げ、省吾が余り和食を望んでいないだろう事を教える。


「エーはイギリス出身です。確か……和食は得意じゃないっていってました」


 二度目の時間介入時に少年兵が話した事を、ほぼ丸暗記しているケイトは、仲間にイギリス料理を提案した。


「イギ……リス……。ねぇ……。え? 本気?」


 ケイトからの提案を聞いた仲間達は、渋い顔でそれぞれがいい印象を持っていないイギリス料理を思い浮かべる。


 イギリス料理は、食べる各個人がテーブルの塩や酢で味付けるのが基本であり、素材そのものにあまり手をくわえない。他国の料理に劣っている訳ではないが、シンプルな作りのイギリス料理は、素材の良し悪しで味がきまってしまう。保存用の食料しかない地下で、ケイトの提案にはオーブリー達も素直に賛同できないようだ。


「あっ! フィッシュアンドチップスで、どう?」


 オーブリーの目線を受けた仲間達は、相手のいいたい事を察して、ケイトの死角でうなずいて見せる。


「ああ、いいですね! エーもきっと喜んでくれると思います」


 ケイトは仲間が魚に下味をつけ、フライドポテトには塩を振ろうと考えていると、気が付いてない。


 省吾の到着と危機から脱した事で、反乱軍内の空気はぬるくなっており、隙も出来ていた。だが、絶望の字名を持つ存在は、その反乱軍拠点へは近寄ろうとせず、ノアの首都を眺めている。それは現実を歪めても、省吾一人が隙を作らないだけで手が出せないと、認識しているからだろう。


 ケイト達が食事の準備を進め始めた少し後に、小屋での見張りについて自分のノウハウを教え終えた省吾は、ヤコブの自室へと移動していた。


「そっ……それって、もしかして……」


 省吾が背嚢の奥から取り出した白い金属を見て、ヤコブは驚きを隠せず、両目を大きく開いている。農園でディランの命を奪った弾丸は、ボロボロになりながらも省吾が回収しており、背嚢の奥にしまわれていたのだ。


「ああ。これは、ファントムを発生させてしまうからな」


 ベッドの上で上半身を起こしているガブリエラも、省吾が背嚢から取り出した弾丸を見て、目を丸くしていた。


「一発も? 一発も使わなかったの? そんな……無茶な……」


 ディランに放った弾だけでなく、金属生命体で作られた弾丸を省吾は農園での戦闘以降、一度も使用していなかった為、二人は驚いているのだ。


 各シェルターへの武器配備数は未来予知で計算されており、本来は反乱軍と合流するまでに省吾が使い切っているはずだった。それは敵兵士よりも能力の劣る省吾が生き延びる為に、最低限必要だとヤコブとガブリエラが考えての配備だ。


「通常弾でも、相手がフォースならば戦える。なにより切り札は、最後まで取っておくものだ」


「はっ……ははっ……。貴方って人は……」


 乾いた笑い声を出したヤコブは、帽子をとると乱暴に頭を掻きむしり、常に予想を超えてくる省吾を見つめる。声も出せないガブリエラは、自分達の為に敢えて辛い道を省吾が選んだのだと理解し、瞳に悲哀を滲ませた。


「ふぅぅぅ……。まあ、この通りだ。これだけあれば、通常弾と組み合わせて、多少の戦力にはなる……」


……この二人なら、きっと理解してくれるはずだ。土下座でもなんでもしてやる。


 俯いていたガブリエラは、省吾の手が肩に触れた事で、体をびくりと反応させて頬を紅に染める。


「悪いがお前もだ。俺に……俺に、力を貸してくれ。もう、時間が無い」


 自分を見つめながら、真っ直ぐに手を伸ばしてきた省吾の、時間が無いという言葉でヤコブは唇を噛んだ。


「はい。よろこんで……」


 帽子を何時もの様に逆向きにかぶりなおしたヤコブは、なんとか自分の感情を殺して作り笑顔を英雄へと向ける。


……こんな顔は。そうだ。この子に、こんな顔をもうさせちゃいけない。俺なら、止めさせられる。


 省吾はその考えを伝えるつもりなど毛頭なかったが、手が触れているガブリエラは読み取ってしまう。そして、ガブリエラは目に溜まり始めた涙を堪える為に強く目蓋を閉じ、自分の手を省吾の手に重ね、感情を奥底へと沈めていく。


 ランタンの光だけしかない暗い部屋の中で、発光した能力者達二人の手に触れている省吾は、他の者に隠した作戦のもっとも重要な部分を伝える。省吾がそれを隠したのは、明確な理由があり、下手に希望を増やし、皆を絶望に捕えさせない為だ。


 ヤコブ達の情報から省吾が考えた策は、不可能とは言い切れないものだが、成功の確率がかなり低い。だが、時間の無い省吾でも実行可能で、成功すれば世界の状況を変えられる事は間違いないものだ。


 自分の命すら惜しまない省吾は、唯一の可能性が残る危険な策に挑み、死の間際まで戦うと決めている。その作戦で最後の決め手となるのは、ヤコブ達親子であり、省吾は力を貸してほしいと念波でも再度頼み込む。


「こんなっ! こんな作戦……」


 作戦を理解したヤコブは手を振りほどき、わなわなと震えながら、省吾の真っ直ぐな目線を見つめ返していた。


「情けないが、最後はお前達を頼るしかない。もし、失敗すれば、更に厳しくなるのは分かっている。だがな……」


「そうじゃない! そうじゃないよ!」


 優しいトーンで説得を始めようとした省吾の言葉を、ヤコブの腹の底から出た叫びが中断させる。


「これじゃ……あんまりじゃないか……これじゃあ……」


 両手を強く握り、うつむいたヤコブは、感情をうまく整理できない。省吾が死ぬとわかっていたはずのヤコブだが、いつの間にか慕う気持ちが強くなってしまい、自分を納得させられないのだ。辛い現実を見てきたヤコブは、平和が犠牲の上に成り立っていると分かっているはずだが、反射的に拒絶してしまう。


……うん? なんだ?


 自分から距離を取ったヤコブに歩み寄ろうとした省吾だが、ガブリエラが手を強く掴んでおり、そちらへと目を向ける。肩にある省吾の手を握ったまま、なんともいえないほど悲しげな目線を送るガブリエラだが、テレパシーによる言葉は送らない。


 省吾が自分を犠牲にしてでも平和を手にしようとする事は、過去視の能力を持つガブリエラには分かっていた事だ。もっと一緒にいて、笑いあいたいという欲求はガブリエラも募らせているが、それは望んではいけないとも理解している。 悲しくてどうしようもない状況で、覚悟を決めた相手に何を伝えるべき事が見つからないガブリエラは、しばらくの間省吾を見つめ続けた。


……ここで協力が得られなければ、意味がない。どうする?


 省吾が選んだ道が、明るい未来へとつながるもっとも最良の道だと分かっているガブリエラは、弱弱しく息を吐く。想いを寄せる男性の中で反転した砂時計が、今も砂を落とし続けていると、ガブリエラは自分にいい聞かせようと、握っていた手を離して目を閉じた。


 自分達が望んだ未来の為に戦おうとしている男性を、我がままで邪魔する事は愚かな事だと、ガブリエラには理解できている。何もかもが分かっているはずのヤコブとガブリエラを苦しめるのは、人が常に持て余してしまう心だ。


 省吾が反乱軍の窮地に駆けつけなければ、大勢の仲間が死に、望んでいた未来へとは行きつけないと二人も分かっている。だが、直接省吾に会ってしまった事で、二人の中に生まれてしまった情は、体の内側から痛みを発してしまう。


 どう足掻いても寿命が尽きてしまう男性を前に、明るい未来の中に省吾もいてほしいと望むのは、残酷な現実が受け付けてくれない。目を閉じて俯いてしまった親子は、明るい未来を選ばなければいけないと頭で理解しながらも、心で省吾と一緒に居たいと望んでしまい、正しい選択を掴めないでいる。


「頼む。俺に、力を貸してくれ」


 自分自身の心と静かに戦っていた親子に対して、省吾は腰を九十度に曲げて頭を下げ、もう一度頼み込む。


 自分では省吾を止められないと先に心の整理をつけたのは、目蓋を開いて唇を噛んだガブリエラだった。省吾を見つめたままのガブリエラは、手招きをする事で呼び寄せた息子の頭を優しく抱きしめ、頭部を発光させる。


 親子が能力で会話しているだろう事が推測できた省吾は、その抱き合って目を閉じた二人を黙って待つ。墓所のように重く冷たい空気が纏わりつく室内で、お互いに輝き合っていた親子は体を離し、自分達を見つめたままの省吾に視線を送る。


「お願い……します……」


 自分に頭を下げた親子を見て、省吾は癖である軍用の敬礼をすると、強く優しい眼光と真っ直ぐな言葉を向けた。


「ありがとう。感謝する」


 作戦の為に準備をしなければいけない省吾は、そのまま二人がいる部屋を後にして、反乱軍の倉庫へと進む。


……さあっ! これからだ!


 怪我も十分に回復しきっていない体は、今も痛みを発しているが、迷いの消えた省吾は力強く歩いていく。


「おっ? おお……」


 通路をすれ違った幾人かは、ランタンも持っていない省吾に声を掛けようとしたが、それが出来なかった。全身から空気が歪むほどの闘気を放ち、鋭い眼光を前に向けている省吾を見て、二の足を踏んでしまったのだ。


「うっ……はぁぁぁぁ……。おい。見たか?」


 省吾の眼光にあてられ、通路に立ったまま呼吸を止めていた男性が、隣に並んだ仲間に笑顔で声を掛ける。


「ああ……。流石だよなぁ。雰囲気からして、あれだよ」


 全身から醸し出す省吾の雰囲気が意味している事を、正確に理解している者は少なく、雄々しい英雄の姿に希望を膨らませていく。その場にいなかった者達も、省吾ならば反乱軍を勝利に導き、必ず明るい未来を自分達に与えてくれると都合のいい会話を続けていた。省吾自身が自分の体について語らないのだから、無知である者達を責めるのはお門違いではある。


 だが、反乱軍の者達は、少しでも自分達で現実を見て、考えようとするべきなのかも知れない。そうすれば、セカンドでしかない省吾に自分達が背負わせた期待は、不相応だと気付けるはずだからだ。


 地下の暗い拠点の中で、全てを知っている反乱軍の長である二人の親子は、自室で黙ったまま心を殺していく。そうでもしなければ、絶望によって歪まされた現実の世界は、生きていく事が難しいのだろう。


……持ち運べるのは、ここまでだな。


 倉庫の中で準備を終えた省吾は背嚢を背負い、大きなカバンを両手に持つと、地上へと向かった。


「異常はないか?」


 小屋の中で見張りをしていた二人は、ランタンを持って階段を上ってきた省吾を見て、立ち上がる。


「あ、はい。お疲れ様です。あの……」


 焦り気味に返事をした反乱軍の二人は、省吾の持った重そうな荷物を見て、視線で中身について問いかけた。


「ん? ああ。森の中にトラップを仕掛けてくる。引き続き頼んだぞ」


「ああ……。はい。任せてください」


 必要であれば嘘をつく事をいとわない省吾は、表情を全く変化させない為、見張りをしていた二人は何も気付けない。


……覚えてはいるが、俺に分かるだろうか?


 河原へと向かって一人降りていく省吾は、馬の気配や小さな鳴き声を聞き、友人からの教えを思い出していく。


 元居た時代で、実家が農場を営んでいる兵士の一人から、省吾はいい馬の見分け方を教わった事がある。だからといって、それは月とランタンの光しかない状態で、見分けられるほど簡単な事ではない。


「ふぅぅぅ……」


 木の根もとに背嚢などを隠した省吾は、半時間ほど馬を見分けようと試みたが、上手くいかなかった。


……駄目だな。分からん。


 川の前で片膝をついた省吾は、両手ですくい上げた水で顔を洗い、水気を切りながら空に浮かんだ月を見上げる。少しだけかけた月を見ながら、省吾はサラやニコラス老人達の事を思いだし、心にある火に燃料を注ぎ込む。


「うっ! げほっ! ごほっ!」


 月を見上げていた省吾は、刺し込むような痛みと共に咳き込み、胸元のシャツを強く掴んだ。自分自身で最後を理解できている省吾は、歯を食いしばって痛みに耐え、瞳の中にある紅蓮の炎をたぎられる。


……戦える。俺は戦える。俺は、まだ。


 川辺の砂利に両膝を抱えながら座っているサラは、自分が見えなくなった想い人の隣で、ただ目を閉じていた。省吾自身が死ぬか、魂の存在を心から信じない限り、今も隣で身を案じている女性を見る事は出来ないだろう。


「はぁはぁはぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」


 苦しみが少しだけ和らいだ省吾は、倒れるように砂利の上に突っ伏し、ゆっくりと体を反転させていく。自分を強い意志のともった黒い瞳で見つめる男性に、月は怪しくも優しい光を浴びせ、見つめ返していた。


 同じ頃、窓際に移動させた椅子に座って月を眺めていたリアムは、ネイサンの事を考え続けている。


「どうなっている?」


 不機嫌そうに鼻で息を吐いたリアムは、足と手を組みながら、ゆっくりと首を傾げていく。


 参謀になれるとネイサンに確約されたリアムは、午前中で飲酒をやめており、頭もいつもの様に回転していた。しかし、ネイサンの事について、自分の脳にあるはずの情報が引き出せない為に、悩んでいるのだ。


 参謀に昇格したいリアムは、事前に現在参謀である者達の事を、一人一人調査して頭に叩き込んだはずだった。実際に、ネイサン以外の者がどこで生まれ、どのような経緯で参謀になったかまで、リアムは思い出せる。


「おかしい……。この私が、調べ損ねていた? いや、調べたはずだ。調べ……たのか? なんだ? これは?」


 リアムの優秀なはずの脳内で、ネイサンの情報に何故かもやがかかっており、上手く考察することが出来ない。何度試みても、東洋人であり、長い髪を首筋で束ね、丸いメガネをかけているという外見の情報しか、リアムは思い出せないでいた。


「待て……。あいつは、誰だ? いや、昔から居た……のか? なんだ、これは?」


 王が能力で洗脳の力を使っている首都内では、流石のリアムも上手く考え事が出来ず、独り言が増えていく。謁見が参謀以上にしか許されていない王の姿を知らないのは、リアムも疑問を持っていない事だが、ネイサンの事がぼやけている件はどうしても納得できない。


 リアムの脳内でネイサンのパーソナルデータどころか、存在自体があやふやになっていく。ネイサンの事を、リアムは昔から知っていたと頭で考えながら、今まで知らなかったと直感が語りかける。超能力者特有の優れた直感と、凡人とは違う思考回路を持ったリアムは、そうして夕食も取らずに窓の前で悩み続けていた。


 自分でもどれほどの時間座り続けたか分からない椅子から立ち上がったリアムは、真剣な顔で月を睨む。ネイサンについて相反する情報を天秤にかけたリアムが、最後に信じられたのは、やはり自分自身だった。


「やはり、おかしい。取り越し苦労でも、調べておくべきだ」


 迷いの吹っ切れたリアムは、靴を脱ぐと白い靴下から黒い靴下に履き替え、そのまま部屋の出口に向かって行く。夜間の宮殿内は電灯が消されている場所も多く、黒い靴下を履いておけば怪しまれ難く、足音もかなり消える。


 頭が良過ぎる為にネジが外れているとしかいいようがないリアムは、普通の者が選択しない事を簡単に選ぶ。どうしてもネイサンの事を知りたくなったリアムは、部屋に忍び込んで情報を掴もうと動き始めたのだ。


 宮殿内の通路を歩いていくリアムに、仕事をしていた使用人達は頭を下げ、声も掛けない。いつもと変わらず堂々と通路を歩いていくリアムの足音が小さかろうとも、使用人などの通り過ぎた者が気に留めるはずもないのだ。


「そういえば、反乱軍の鎮圧はどうでしたか?」


「それが、まだ報告が無くてなぁ。まあ、あいつはマイペースな奴だ。明日には、帰ってくるだろうが……」


 宮殿内を歩き回っても怪しまれないリアムは、通り過ぎた参謀を含む幾人かと何食わぬ顔で短い言葉を交わしていた。


「さて……ここからだ……」


 誰に怪しまれる事なく参謀達の部屋がある棟へ着いたリアムは、闇にまぎれて壁際を素早く移動していく。能力によって周囲の状況を認識できるリアムは、難なくネイサンの部屋がある場所までたどり着いた。


「ちっ……」


 能力で室内にネイサンがいると分かったリアムは、舌打ちをして周囲を見回し、隠れる場所を探す。ネイサンの部屋に入る扉は、窓の並んだ通路の途中にあり、電灯がついていなくとも月明かりで歩くには困らないほどで、その場にとどまるのは賢くない。


 扉から一番近い角を曲がったリアムは、月明かりが届かない位置で背中を壁につけ、息を殺した。影に隠れて両目を閉じたままのリアムは、窓の外から聞こえてくる虫達の鳴き声さえも拾うほど、耳をすませていく。


 目的を達成する為には焦ってはいけないと考えるリアムは、暗闇の中で腕を組んだまま動かない。苦行とも思えるほどの長い時間を待ち続けたリアムが、扉の開いた音で両目を開き、口角を上げた。


 だが、笑っていたはずのリアムは、能力を使うと同時に目を細め、ネイサンの動きに注意を払う。扉を出たネイサンは、周囲を確認すると自室がある方向ではなく、王の御所しかない方向へと歩き始めた。参謀であるネイサンが、王のいる場所へ向かう事自体は何ら問題ないが、分かり易く周囲を警戒した事で、リアムは違和感を覚えたのだ。


 そのまま目的の部屋に入ろうかとも悩んだリアムだが、知的好奇心に負け、ネイサンの後を追う。幼少時にウインス兄弟から可能な限り逃げ続けたリアムは、省吾とは違う種類の気配を消す術を身に付けている。能力でネイサンの位置を掴み、一定距離を保ったリアムの尾行は熟練しており、相手に気付かせない。


 玉座の間に移動したネイサンは、そのまま奥へと進み、リアムはその部屋の外で動きを感知し続けた。


「なに?」


 能力を使っているにもかかわらず、玉座の奥でネイサンの存在が消えた為、リアムは目を見開く。音を立てない様に扉を開いたリアムは、柱と玉座以外に何もない部屋に、ネイサンがいない事を黙視し、首を傾けた。


 テレポートによる移動でもしたのかと考えたリアムは、無駄足だったと息を吐き、扉をそのまま閉めようとする。しかし、能力を発動し続けていた為、玉座の間にある仕掛けに気付き、ごくりと喉を鳴らした。


 玉座のある少し高くなっている場所の奥は、壁以外に何もないとリアムは思い込んでいたが、そうではないと気が付いたのだ。扉を少しだけ開けて中を覗いているリアムは、数度に渡り能力を使い、自分の感じた事が間違えていないかを確認していく。


「間違いない……。何かある……」


 透視の能力を組み合わせたリアムの索敵でも、玉座の奥にある空間は調べる事が出来ず、情報が返ってこない。それが逆に、謎の空間以外を把握できるリアムの脳内で、地図の中に出来た空白のように浮かび上がったのだ。


 特定の者だけしか見る事を許されている宮殿の見取り図にも、その玉座の奥にある空間は書かれていない。それが玉座の奥に秘密が隠されている事をリアムに分からせており、好奇心を最大限にくすぐる。


 怪しい行動が見つかってしまうと、参謀への昇進が危ういかもしれないと考えながらも、リアムは自分の欲求を抑えられなかった。室内へと入ったリアムはゆっくりと扉を閉め、円柱の柱が等間隔に並ぶ部屋を、奥へと進んだ。


 床から数段高くなっている玉座の周りは、赤く金糸で装飾がされた布で囲われており、壁が見えなくなっていた。壁の布に切れ目を見つけたリアムは、周囲を見回した後、心音を高めながら手触りのいい高級な赤い布をめくる。


 そこで高鳴った心音を体内で響かせているリアムは、眉間にしわを作ると一度動きを止めた。ドアノブもない金属の扉らしき物を初めて見たリアムは、開き方も分からなかった為、次にどうするべきかを迷っているのだ。自動ドアすらなくなっている未来の世界では、その金属の扉が、ボタンを押すとスライドするとすぐに分かる者はいないだろう。


 好奇心に突き動かされていたリアムも、その状況で少しだけ冷静さを取り戻し、直感が知らせてくる警告を認識する。好奇心だけでそれ以上その扉らしき物を調べても、納得がいく結果には繋がらないだろうと考える事に成功したリアムは、片手で持ち上げていた布を離した。


 その瞬間、金属で出来た扉はモーター音を響かせて横方向へと開き、室内に謎の空間からの光が漏れ出す。


「君は、私が思っていた以上に勇気があるようだな。だが、これは少々やり過ぎだ。ここまで来ると、愚かともいえるな」


 扉の中から顔を出したネイサンを見て、リアムは先程まで以上に鼓動を早め、中腰の姿勢で固まってしまう。心臓発作でもおこしてしまいそうなほど驚いているリアムの目に、にやけた顔の見慣れた男性が映った。


「まあ、優秀なんですけどねぇ。ちっと、自惚れてるところがあるっつうかぁ……。まあ、馬鹿もやるんっすよぉ」


 幼馴染であるデビッドはネイサンに、リアムの事を皮肉とも思える言葉で、笑いながら説明していく。


「君にここを教えるのは、もう少し後の予定だったが……。ふふっ……。まあ、いいだろう」


 ネイサンとデビッドから敵意を感じ取っていないリアムだが、すぐには動けない。日頃は驚くほど冷静なリアムだが、墓穴を掘った後まで、それを維持するのは難しいようだ。ごく一部の者しか知ってはいけない情報を嗅ぎまわったのだから、処罰は免れないだろうと恐れを抱いていた。


 目の前にいるデビッドがその気になれば、すぐにでも殺されるとわかっているリアムの体中から、冷たい汗が噴き出す。そのリアムの心中を見透かしたように笑ったネイサンは、デビッドに声をかけた。


「お前は先に戻っていろ。私も、すぐにいく」


「はい」


 ネイサンに対して何故か従順なデビッドは、反論すらせずに強い光を放つ奥へと戻っていく。それを確認し終えたネイサンは、笑顔をリアムに向け、手招きをした。


「こちらへ来なさい。世界の真実を教えよう」


 リアムの常軌を逸した行動は、世界の裏につながる扉の鍵を開き、真実へとたどり着かせる。時代の本流に乗っているリアムには、省吾達が得られない幸運がつき従っているのだろう。

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