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名無しのエース  作者: 慎之介
一章
6/82

 オーストラリアから日本に向かう小型旅客機に、一人の男性が乗っていた。その五十歳手前である黒人男性の名前は、ローガン・ヒル。ローガンの頭に髪の毛はなく、代わりに白髪交じりの眉は太く長い。


 国連軍で特別軍事教官を務めているローガンは、作戦立案時の助言等はするが、もう直接戦いの場へ赴く事はもう少ない。だが、現役でも十分するほどの筋力を有している事が、体の形にそって隆起した灰色の背広姿を見るだけでも分かる。


 ローガンはわざと小さいサイズの背広を着て、他人を威圧したいわけではない。生活のほとんどを軍用のシャツや制服で過ごす為、私服をあまり持っていない。更にいえば、服装に対して個人的な興味も薄いのだ。


 オーストラリア特区内にある衣料品店で、ローガンは一番サイズの大きな背広を買った。それでも、鍛えすぎて膨らんだ筋肉を持つローガンには、適したサイズではなかっただけだ。


 口元や目尻に笑いじわが深く刻まれたローガンは、優しい顔つきをしている。だが、そのローガンの正面に座っている国連の役人は、ローガンが手渡した書類に目を通している間、緊張を感じて幾度も紙コップの水で喉の渇きを潤していた。


 その役人は、傍目から見ても額に汗を滲ませ、落ち着きがない。それは彼が、ローガンの過去をよく知っているからだ。ローガンは、災害発生前から軍人だった。ある国の海軍特殊部隊で二十代を過ごし、退役後傭兵になったのだが、その時代に敵から死神と恐れられるほど優秀な人物だった。


 死神とは安直で仰々しい呼び名だが、ローガンにはそれを背負えるだけの実力と実績があった。相手兵士はローガンが敵側に雇われたと聞くと、拠点を放棄してまで戦闘を避けようとする事があったほどだ。その彼を前に、事務職である役人が緊張するのも無理はないだろう。


 役人からローガンに渡された書類は、日本特区の警備に関する重要書類だ。ローガンは、日本特区の警備に穴が無いかを見極めるアドバイザー及び兵士達を鍛える教官として、日本特区へと向かっていた。半年ほど前から続く、日本特区での武装組織による学生襲撃は、国連の指導者達を悩ませている大きな問題の一つだからだ。


 国境よりも厳重な警備で、正規の方法以外では出入りがほぼ不可能と思われていた特区内で、連日武装組織の活動が確認されている。特区の安全を謳って超能力を持った子供達を集めている国連は、武装組織に侵入された事実を公表できないでいた。


 公表に踏み切っていない理由の一つに、国連軍兵士の尽力により、子供達が一人も犠牲になっていない事がある。だが、その代償を兵士達は命で支払っていた。このまま特区を放置すれば、公表せざるを得ない事態になるのは誰の目から見ても、近い将来避ける事が出来ない。そして、それによる混乱は、国連の信頼を著しく損なう事になるだろう。


 特区への追加予算が厳しい状況で、国連が最も早く着手できた対応策は、優秀な人材を日本特区へ配置転換する事だった。ローガンだけでなく、省吾が日本特区へ配属されたのも、その対策の為だった。


「うん? この報告書は……イノウエ?」


 ローガンの声を聞いた役人の男性は、握っていた書類のコピーを急いでめくる。そして、内容を速読した。その報告書は、省吾が提出したものだ。


「何か、お気に召さない点がありましたでしょうか?」


 おどおどとした役人に、ローガンは笑いかける。


「いいや。逆だ。こいつは、中々いい着眼点だと思ってな」


 省吾は、撃退した武装集団の中に、超能力者が大勢混ざっていた事を一番知っている。その為、特区への侵入は何らかの超能力による可能性を考慮するべきで、普通の人間向けの警備強化は無駄になる可能性があると、報告書に記載したのだ。


「私は超能力に関して知識があまりないが、あのぉ……あれだ。テレポート? が出来る超能力者は、いるのか?」


 役人の男性は、以前仕事中に友人から説明を受けつつ読んだ資料を思い出し、ローガンの質問に答える。


「確か、理論的には不可能では無いそうですが、難しいそうです。現在も、その能力者は国連内には一人もいないそうで……」


 テレポートは映画等フィクションの中でよく見かける能力だ。そのせいでローガンはいるものだと思っていたらしく、さらに説明を求めた。


「私も専門家ではありませんが、研究所の友人曰く……。別の場所にいきなり自分の体を移動させるのは、元々あった空気などを含めた物質を無理矢理押しのける事になるそうです」


 役人の男性はローガンの鋭い眼光で緊張しており、かなり早口になっている。


「その対策が出来なければ、岩や水どころか、空気による圧力でも人間は耐えられないそうです。あの……まあ、受け売りで、絶対ではないですが……」


 全てを吐き出し終えた役人の男性は、間違えていても怒らないで欲しいという意味合いで、絶対ではないと付け加えたようだ。


「なるほどな」


 資料に再度目を落としたローガンは、省吾の所属情報を見て眉間にしわを寄せた。ローガンは、戦時中特殊部隊員の指導を主に行っており、堀井を含めたほとんどの人物を記憶していた。だが、井上省吾という名前は心当たりがなく、忘れているだけかもしれないと必死に記憶を手繰っていた。


「あの、まだ問題が?」


「ふぅ。私も年かも知れないな。この井上という奴を、思い出せん。可もなく、不可もない奴だっただろうか?」


 ローガンが悩んだ理由がすぐに分かった役人の男性は、顔から少しだけ緊張を和らげて自分の知っている情報を教える。


「彼は、先日名前を変えたばかりです。それまで戦時中の混乱で、国籍を持っていなかったらしいので、申請したと聞いています」


 災害後の混乱で国すらも崩壊する事態となり、戦争中に生まれた子供が、遅れて国籍を申請する事は珍しい事ではなかった。だが、ほぼ大人だけで構成されていた特殊部隊員の中では珍しい事であり、ローガンはすぐに省吾の顔を思い出した。


「国籍が無い? まさか、こいつは……」


「戦時中は、アルファフォーもしくは、エースと呼ばれていましたね」


「なるほどなぁ。今は中尉か」


 報告書に再度目を落とし嬉しそうに笑顔を作ったローガンを見て、役人もハンカチで汗を拭きとりながら愛想笑いを浮かべた。


「ふふっ。フランソアが、手元からあいつを派遣したのか……。私も、気合を入れなければいけないな」


「は、はい。よろしくお願いします」


 窓の外に見えてきた日本列島を見て、笑顔のままローガンは訓練中の省吾を思い出す。大人に混ざっても一際優秀だった省吾は、ローガンの記憶の中ではまだ少年のままだった。


 小型の軍用輸送機が、日本特区内にある空港の滑走路にそのタイヤを接触させ、独特の焦げ臭さを漂わせていた。管制塔からの指示を受け、所定の位置までたどり着いたその軍用輸送機が、完全に停止すると同時に密閉されていた扉が金属音を響かせて開かれる。


「うっ……はぁぁ」


 軍用輸送機から最初に出てきた堀井は、背筋を伸ばしながらの深呼吸で、長時間座って硬くなった体をほぐす。


「かなり気温が下がってるはずですが、日本の方が温かく感じますね」


 堀井と同じ事を感じた省吾は、迷彩色のコートを脱いだ。


「そうですね」


 学園の連休に、北海道よりも北にある国で仕事を済ませて帰ってきた二人は、本格的な冬を前にした日本が温かいと感じていた。


 ユーラシア大陸にある同じ国へ出向いた二人が、同じ飛行機に乗ったのは偶然であり、同じ軍務をこなしたわけではない。堀井はその国で行われた会議に出席し、省吾は武装集団殲滅の応援に出向いていたのだ。


 空港内を並んで歩ていく二人は、国連の領土内を移動したことになり入国等の手続きが必要なく、軍拠点へ直接徒歩で向かっていた。


「先程の話ですが、中尉も気になっておられますか?」


「神山の事ですか? そうですね。敵のスパイではないと分かりましたので、大きな問題ではないと思います。でも、力を発揮できない理由の確認及び改善は、しておいた方が良いと思えますね」


 隣の席に座っていた二人は、省吾のクラスメイトについて移動中に会話を交わしていた。その中で、彰の挙動が怪しい事について、省吾側から堀井に質問をしていたのだ。


 入学時の面接や調査で、彰が本来の力を使わない理由を知っていた堀井は、省吾にその全てを喋った。そして、悩んでいると自分の素直な気持ちも、隠さずに話していた。


 彰はかなり早い段階で、セカンドとしての覚醒を済ませていた。中学生にあがってすぐに、彰本人も自分にはセカンドとしての力があると分かったらしい。だが、能力を持つことで戦場に駆り出されるかもしれないと恐れ、超能力者である事自体を隠して生活していた。


 その力を抑制した生活は、彰へいい影響を与えなかった。超能力のコントロールをほとんど身に付けないまま、力だけが強くなってしまったのだ。結果として、家族を襲ったファントムを前に、強い力が暴走してしまったのだ。


 狭いマンション内の一室で、ファントムへの恐怖から溜め込んだ力を暴発させた彰は、ファントムだけでなく両親と妹にも大怪我を負わせてしまった。その家族を治療するお金の為に国連と政府からの要請を受け、逃げ続けていた戦場へ出たのだ。


 家族への負い目から、終戦までの一年間を必死に戦った彰へ、国連は肩代わりした家族の治療費を請求しなかった。だが、幸せだった暖かい日常に戻れると思った彰を待ち受けたのは、閉鎖的な日本人による差別と、怪我の回復しきっていない家族の姿だった。


 戦場から帰った彰を、周囲の人間は力を隠していたと蔑み、異質な存在だとのけ者にした。そして、顔に消す事の出来ない大きな傷が残った妹、片足を引き摺り新しい職を何とか探そうとしている父親、彰とは目も合わせない程怖がる母親が、家庭内でも彼に居場所を与えなかった。彰は戦う事から逃げた自分を、毎日後悔し続けた。


 彰が省吾を必要以上に嫌う理由は、そこにある。戦わない省吾に彰は昔の自分を重ねてしまい、嫌っているのだ。それとは反対に、自分と違って戦いの場に向かう綾香を尊敬し、異性として好きになっている。だが、その事は堀井だけでなく、省吾や綾香も気が付いていない。


 国連からの誘いを受け、家族や周辺住民から逃げる為に彰は学園へ来た。彰が学園に編入した時既に、全力を出さない癖がついてしまっていた事も、堀井から聞くまで省吾は知らなかった。


 プライベートに立ち入り過ぎてはいけないと思いつつも、何とか改善する手助けをしたいと考えた堀井は上官である省吾に相談をしているのだ。縋るような目をした堀井に、省吾は真っ直ぐな返事をする。


「それは、貴方の職務であって、俺の職務ではない。貴方が、貴方なりに考えるべきだ」


 身も蓋もない返事だが、それは省吾が省吾なりに考えた返答だった。クラスメイトではあるが喋った事も数えるほどしかなく、友人と呼べない存在でしかない省吾は彰の力にはなれない。


 また、軍人としての身分を可能な限り隠す必要がある省吾は、職務として彰に何かをするべきではないとの結論を出した。それを上官としての口調を戻した省吾が簡潔に伝えたせいで、ひどく冷たい物言いになってしまったのだ。


「そっ、そうですね。すみません」


「ただし、貴方が考えた案に、俺の力が必要であれば、職務に差し支えが無い場合のみ、力を貸そう」


 背筋を伸ばしてきびきびと自分を見ずに歩く上司に、堀井は顔をひきつらせた。


「それは、あの……その時はお願いします」


「了解した」


 悲しそうにも笑っているようにも見える堀井の表情に、省吾は気が付かない。


「はぁ……そういえば、明日と明後日はお休みでしたか?」


「ああ。ほぼ、寮の部屋にいるので、緊急時は遠慮なく呼び出してくれ」


 戦後出来た労働基準により、省吾は半強制的に休日を取らされる。その省吾が何をするか分かっている堀井の顔は、愛想笑いを浮かべようとするが苦笑いになってしまう。


「また……あのゲームですか?」


「はい。ただ、明日は、明日発売になる新作をプレイする予定です」


 仕事から趣味の話にそれ、敬語になった省吾を、堀井は複雑な表情で見つめる。それほど、職務中とそれ以外では差が激しいのだ。それまで冷たく怖いと思えるほど引き締まっていた省吾の顔は、可愛げのある学生のそれに変わっていた。


「明日発売の新作は、ですねぇ」


「あっ、いえ。結構です」


 その趣味の話が、嫌になるほど長い事を知っている堀井は、先手を打った。休暇に入る省吾と違い、出席した会議と学園用の書類を纏めなければいけない堀井には、時間にも精神的にも余裕がないのだ。


 軍の拠点にあるロッカールームで、省吾と堀井は私服に着替える。そして、それを終えて部屋を出た堀井は見知った人物が視界に入り、驚きで固まってしまう。


「えっ? ローガン……教官?」


 固まった堀井とは違い、省吾は即座に背筋を伸ばして敬礼をしていた。それを見たローガンが、嬉しそうに笑っている。


「休め!」


 省吾を見て遅れながらも堀井が敬礼した所で、ローガンは休めの指示を出した。その指示に、二人は従う。


「二人とも喋っていいぞ。久しぶりだな」


「はっ! ご無沙汰しております!」


「お久しぶりです。教官」


 大きな声で答えた省吾に続き、堀井も笑顔で挨拶をする。二人にとって、ローガンは恩師なのだ。


「二人とも、元気そうだな」


 恩師から差し出された無骨な手を二人は笑顔で握り返し、ハグで締めくくる。そして、オーストラリアから日本に来た理由を聞いた。


「ああ、それは……それはだなぁ」


 友人に対しても、軍務について軽々しく喋るべきではないと考えているローガンは、自分の後ろで腕時計をちらちらと見ていた役人の男性に、視線を向けた。その意図をくみ取った男性は、ローガンの求める言葉を発する。


「はい。そのお二人なら、問題ありません」


 ローガンが一時的に警備特別顧問として日本特区に赴任する事は、特務部隊員には後程通達される予定であり、役人の男性は前倒しで情報を漏らしても構わないと判断したのだ。


 男性から確認が取れたローガンは、自分が来た経緯を二人へ簡単に説明した。ローガンが説明を簡潔に済ませたのは、自分が最も気に入っている教え子と、早く仕事以外の話をしたかったせいだ。


「髪が伸びたな。名前が変わり過ぎて、分からなかったぞ? 本名が分かったのか?」


 自分の正面に立ったローガンからの質問に、省吾は休めの体勢を崩さず、滑舌よく答えていく。


「いえ! 自分が考えました!」


「そうか。で? 新しい名前には、どんな意味をこめた?」


「いえ! 特別な意味はありません!」


 予想していた事ではあるが、省吾の返答にローガンは少しだけ呆れる。名前を変えた事すら知らない堀井は、二人の会話についていけず、省吾とローガンを横目でちらちらと何度も確認していた。


「意味がないのか? 自分で考えたんだろう?」


「はっ! 正確には、日本で敵への潜入任務時に、差支えが無い様にと考え! 出来るだけ目立たない名前を選びました!」


 省吾が、山田太郎と名乗ろうとした理由は、日本では目立たない名前だろうと考えたからだ。英米でいえばジョン・スミスに当たるその名前が、あまり使われなくなっていた事を省吾は知らなかったのだ。


 省吾の知り合いである唯一の日本人兵士が、偶然一郎という名前だった。そして、その事が勘違いの原因となっていた。


 その友人は省吾に、自分の名前は太郎と並ぶほど代表的で面白味のない日本人男性の名前だと、自虐的に説明をしていたのだ。災害前に日本への留学経験があり、日本文化をよく知るフランソアが確認して結果的にはよかったのだろう。


 フランソアから怒られた理由を、省吾は三十時間近くかけて自分の中で導き出した。省吾が行きついたのは、安直すぎる名前は馬鹿にされる事もあり、日本では逆に目立ってしまうという事実だった。


 日本の文化を知らない省吾が、文献のみでその答えを出したのは、彼が優秀である事を示している。だがそれは、フランソアの怒った本当の理由ではないと、本気で気が付いていない。


「お前は、相変わらずだな」


 省吾らしい答えを聞いたローガンは、呆れたように笑い。その頭髪の無い頭を、掌で撫で上げた。それを黙したまま見つめる堀井は、二人がかなり親しいのだろうと推測する。


「まあ、いい。話は、またゆっくり聞こう。今夜の夕食でも、一緒にどうだ?」


 省吾を夕食に誘ったローガンの隣に、焦った役人の男性が駆け寄る。


「あのっ! 今日、夜は会食が……。それに、今も、もう時間の余裕は……」


 会食の予定を忘れていたと、ローガンは両手を広げて首を振りながら、ジェスチャーで表現して見せた。上司を待たせている時間のない状況でも、ローガンに強く出られない男性は、焦りから顔色がどんどん悪くなっていた。


「仕方ない。しばらく、日本には留まる予定だ。食事は、またの機会だな」


「はっ!」


 時間が無いと分かりながらも、省吾と会話を続けたいローガンは、尚も問いかける。


「休みはとっているか? 今から、また別の任務に向かうのか?」


「いえ、これより自分は、四十八時間の休暇に入ります」


 省吾からの返事を聞き、ローガンは振り向こうとしたしていたが体を止めてしまう。それを見て、役人は今にも泣き出しそうな顔で、堀井と省吾に助けを求める視線を送った。だが、省吾はそれを気にも留めない。省吾の中で、その男性の優先順位がローガンよりも低いからだ。


「お前の事だ。また、トレーニングだけで潰してしまうのだろう?」


「いえ! 戦略シミュレーションゲームのオンライン対戦に、いそしむ予定です」


「そうだろうな。おま……えっ? 今、何といった?」


 予想外の返答に、ローガンの細い目が驚きから少しだけいつもより開かれた。


「お前……あの、何があった?」


 ローガンからの質問に、省吾は自信満々に笑う。そして、待ってましたといわんばかりに説明を始めようとした。


「こちらへ来て、私が気に入ったゲームなのですが……。子供向けと侮れないほど奥が深く、不合理な点もありますが、戦略をシステム化した部分の……」


「中尉。教官には、お時間がありませんよ?」


 省吾の話を、堀井が急いで中断させた。そして、省吾が喋れないよう矢継ぎ早に、ローガンと役人の男性へ違う話題を振った。


「私も次の業務まで、時間の余裕がありません。よかったら、車に同乗させて頂けますか?」


 堀井が無理矢理作った絶好の機会に、男性も急いでローガンを誘導する。


「それは大変ですね! ぜひ、送らせてください! さあ! 特別顧問! 急ぎましょう!」


 堀井と役人の男性に手を引かれたローガンは、驚いた顔のままだが、何とか車へ向かい歩き始めた。


「じゃあ、また今度夕食だ!」


「はっ!」


 後ろ髪をひかれながら駐車場へ向かうローガンを、省吾は敬礼で見送った。そして、自分の休日を楽しむために、軍の拠点から立ち去る。


「分かっている。もう、離せ」


 ローガンに手を払らわれた堀井と役人の男性は、申し訳なさそうに愛想笑いを浮かべる。馬鹿では無いローガンにも、二人の気持ちは分かっていた。だが、省吾の変化が信じられず、話を続けたい衝動にかられていたのだ。


「すみません。教官」


「いや、私も悪かった。急ごう」


 二人への謝罪を口にしたローガンは、足早に車へと向かう役人の男性に続く。


「じゃあ、私はここで」


「なんだ? 乗って行かんのか?」


 立ち去ろうとした堀井を、運転席のドアを開けた役人の男性も、感謝の気持ちから止めようとした。


「方向が同じなら、乗ってください。これから、C十二地区へ向かいますが……」


 男性の気持ちが嬉しかった堀井は、うなずいて車に乗り込む。


「途中まで、お願いします」


「はい。喜んで」


 助手席に座り、窓の外へ目を向けていたローガンは、隣に座る堀井へ質問をする。


「あいつが、ゲーム? 何があった?」


「以前は違ったのでしょうか? 中尉がこちらへ着任した時には、もうあの趣味をお持ちでしたよ」


 休日にはジムやトレーニングルームへ通い、体を鍛えていた省吾しかローガンは知らない。それに対して、休日はゲームやプラモデルに興じる省吾しか知らない堀井では、話がかみ合わない。


 二人で首を傾げる状況を、バックミラー越しに見ていた役人の男性は、参考になればと自分の意見を述べる。堀井がいてくれることで、ローガンに対する緊張が幾分紛れたのだろう。


「中尉に嘘をつくつもりはなくても、人にいえない秘密の一つや二つは、あるんじゃないですか?」


 男性の意見を聞き、それまで二人の中で全く逆の印象だった省吾が、重なる。


「いや。あいつは正直が服を着て歩いているような奴だ。あり得ないな」


「ええ。中尉が、軍務以外で嘘をつく事は、考えにくいです」


 堀井は、省吾の人柄に対する印象がローガンと一致した事で、人が変わったもしくは二面性があるのではないと考えた。そして、これまで大勢指導してきた学生達のパターンから、自分なりにたてた推測を口に出してみる。


「あの年齢は、色々と多感な時期ですし、新しい趣味が出来てもおかしい事ではないと思いますよ。それに、もしかすると元々あの趣味は持っていて、たまたま教官に見せる機会がなかっただけの可能性はあるんじゃないでしょうか? 中尉は、聞かれなければわざわざ自分の事を、あまり喋りはしませんから」


「あいつは、馬鹿真面目だから、それは無いともいいきれんな」


 ローガンが省吾をかなり気にかけているのだと感じ、役人の男性はフランソア以外の国連指導者達からも気に入られていたという噂を思い出す。


「彼は、事務総長の秘蔵っ子でしたよね。階級もあの年で中尉ですし、可愛がられていたんですかねぇ」


「まあ、そうかもしれませんね」


 役人の男性は、言葉に省吾が少なからず贔屓をされていたのではないかという意味を含めていた。それは彼が、省吾の戦歴を知らないのだと、ローガンに教える事となった。そして、男性に愛想笑いを返す堀井も、同じなのだと分かる。


「お前は、あいつが中尉になるのは、早すぎると思っているのか?」


 ローガンからの質問に、堀井は素直に返事をした。それは、ローガンが嘘を見抜くのに長けており、下手に誤魔化すべきではないと考えたからだ。


「そうですね。実力は、私も十分知っていますが、年齢的にはまだ早すぎるのではと思える事があります」


 堀井からの言葉で、ローガンはある事を思い出した。階級が下の堀井には、省吾の詳細な戦歴を閲覧する権限が無いのだ。


 戦時中、最前線で功績を上げ続けた省吾には、今の階級でも不十分だ。だが、甘やかされているのではといったひがみからのよくない噂を知るフランソア達指導者が、やむなく中尉に省吾を留めたのだとローガンは知っている。


「そうだな。あいつは、自分から不必要な事は喋らないんだったな」


「はい?」


 信号により速度を緩めた車の窓から、ローガンは街を行き交う人々へ目を移した。そして、不敵に笑う。


「あいつが語らない以上、俺からは何もいわん」


「何をですか?」


「お前もあいつと同じ戦場にいれば、嫌でも思い知る事になる」


 省吾の力を知った時に堀井がどう驚くかを考え、ローガンは笑ったのだ。そんなローガンの言葉が分からない堀井と、後ろへ首だけ振り向いた役人の男性は、顔を見合わせていた。二人は大戦中もっとも過酷だったヨーロッパで、多くの人を救い、数え切れないほどのファントムや敵兵を駆逐し、英雄譚として今も語られている准尉が、中尉へと昇任して日本にいる事を知らない。


「青に変わったぞ」


「ああ。すみません」


 ローガン達三人を乗せた車が休日で賑わう商店街付近で渋滞に巻き込まれ始めた頃、車内で噂になっている本人は電車を使い一足先に学生寮へと戻っていた。


 その手には、スーパーのビニール袋一杯に詰まった日持ちのする食料が、握られていた。


「さて、始めるか」


 食料を冷蔵庫に並べた省吾は、パソコンの電源スイッチを押して起動を待つ。その間に腹筋と腕立て伏せをするのが、省吾らしいといえるだろう。


……今日は、休日だけあって、ログイン中の人間が多いな。


 目的のソフトを立ち上げた省吾は、ログインを済ませてリストを眺めている。そして、同じ階級の相手を見つけ、対戦の申し込みとチャットで相手への挨拶をする。


 相手の長考中に、ダンベル運動やスクワットをしながらも、省吾はディスプレイから目を離さない。その目は、仕事でこなしている学生の間では考えられない程、生き生きとしていた。


 省吾の現状は、ローガンのように彼をよく知る人物なら、驚くべき事だろう。だが、省吾の実直な性格と、常識のなさを考慮すればあり得た事態だ。


 省吾が趣味に目覚めたのは、日本特区へ来て半日ほど経過し、外出した時からだった。戸籍の承認が必要だった省吾は、その処理にかかる四日間を軍務着任前の準備期間として与えられていた。だが、敵兵力との交戦が始まった地区への異動が多く、常に荷物を少なくまとめてあった省吾は、引っ越しに時間を必要としていなかった。


 日用品と食料を買いに出たその時の省吾は、ある店舗の前で足を止めた。その店は子供の玩具を扱う店だった。足を止めたのは、店頭で[今、学生の間で大人気! 本格シミュレーション! 本物の戦略を、君は体感する]と書かれたポップを見つけたからだ。


 フランソアから楽しめといわれ、日本文化を調べた省吾の中では、学生は子供、子供には玩具、日本の子供に人気のある玩具は、テレビゲームという式が出来上がっていた。


 テレビゲーム自体に興味はないものの、一度はやらなければいけないと真面目に考えていた省吾は、戦略なら実戦経験のある自分にも少しは、楽しめるのではと考えた。そして、ゲーム機本体と、ソフトを購入した。


 省吾が買ったゲームは、日本だけでなく海外でも人気のあるロボットアニメを元にした、続編が作られ続けている人気のシミュレーション作品だ。そのゲームシステムは慣れている者ならば、難しいとは思えない類のものだろう。


 地球征服もしくは、地球防衛を目的としたそのゲームは、自分の拠点をお金で育て、防衛力や生産性を高め、新型兵器を開発し、敵拠点を攻め落とすだけだ。そのゲームで一番楽しめる戦闘に関しても、ジャンケンを思わせる、近距離、遠距離、飛行のロボット兵器で相性や効率を考えて戦う比較的簡単なものだった。


 小学生でも楽しめるそのゲームに、省吾は躓いた。日本語で書かれた説明書を完全に解読できていない状態で、ゲームの電源を入れたのが最初の間違いだろう。次に、そのゲームで最初に行うチュートリアルの、難易度が低すぎた為、省吾はシステムを誤認してしまったのだ。


 現実の戦場で、ナイフや剣しか持たない兵士が、銃を持った敵に正面からぶつかって勝つことは難しい。そして、上空から爆撃してくるヘリや戦闘機に、銃しか持たない兵士は嬲り殺されるだろう。


 だが、そのゲーム内では、光る剣しか持たない近距離型ロボットがビーム砲を持った遠距離ロボットを圧倒し、その遠距離型ロボットは飛行型のロボットを撃ち落とすのだ。遠距離型のロボットだけで、近距離型のロボットに戦いを挑んだ省吾は、最初の面で挫折を味わい続けた。


 人間にはそれぞれ個性があり、根底は苦しい時ほど表に出やすい。どんな困難にも立ち向かう本質を持った省吾は、子供向けに作られたゲームという難敵に立ち向かい続けた。徐々にシステムを理解し、二十四時間をかけ五面を終わらせた省吾が、空腹を感じた時には既に手遅れだった。フランソアからの楽しめという言葉は、省吾の中で行ってはいけない方向に開花していた。


 大人の兵隊達の中で育った省吾は、遊びといえばポーカー等の、戦場で遊戯可能な物しか知らなかった。その為、テレビゲームに全く免疫がなかったのだ。それまで感じた事のないほど脳内から快楽物質が分泌されるそのゲームに、省吾はのめり込んでしまった。


 普通の兵士より給料が高く、使う事のほとんど無かった省吾には蓄えがあった。原作となったアニメのブルーレイボックスを買い、PC版ではオンライン対戦が出来ると雑誌で読むと、その日のうちにパソコンとソフトを買い込み、シューウインドウに飾られた模型にまで手を出してしまう。


 省吾の真面目で真っ直ぐな性格が、どんどん暴走してしまったのだ。そして、残念な事に日本では、彼の暴走を止める知り合いや友人がその時にはいなかった。


 結果、ロボットをこよなく愛し、髪を切りに行く時間すらゲームにあてる現在の省吾が完成した。唯一の救いは、その作品の小説を読むために、辞書とにらめっこをする事で不得意な日本語が、上達した事だけだろう。


……なるほど。攻撃は最大の防御か。なかなかの作戦だ。


「だが、俺の軍はそれでは落とせない」


 ゲームパッドを握り、ディスプレイに向かって鼻から息を吐き出した省吾は、上位にランキングされるほどゲームが上達している。そして、敵の戦略を褒めながら、全力で駆逐していった。


 省吾は、フランソアや戦場で肩を並べた仲間達が、その光景を見れば嘆き悲しむかもしれないとは考えない。今日も全力で間違った方向へ、学生として楽しみを求めて走り続ける。


「よし! 俺の勝ちだ」


 ガッツポーズをした省吾は、勝利の余韻を楽しみながら、チャットで対戦相手といい試合だったとお互いをたたえあう。

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