弐
森の中にある反乱軍の者達が使用する道は、元々動物達によって作られたけもの道だったものだ。それを人間達が幾度も歩いて踏みならし、完成させたのだ。
人が二人横並びで歩くには狭いと感じる広さで、地面のむき出しになっている箇所もあるが、大部分は雑草が生えている。森の外からは発見され難いその道は、反乱軍の者達によって邪魔な石や枯れ木だけでなく木の根や岩等も能力で排除された為、比較的平坦にはなっていた。
その道をノアの兵士が使っていた馬とそれに引かれた荷車が、ゆっくりと川へ向かって進んでいる。道に馬を自由に走らせるだけの広さが無い為、隣を歩くカーンが馬の馬具を掴んで誘導しているのだ。
「あれ? こいつ……もしかして……」
荷車が脱輪などしない様にと、気を遣って後ろを歩いていた反乱軍の男性は、隣を歩いていた仲間に声を掛ける。
「なあ。もしかしてこいつが、指揮してた奴じゃないか? ほら、あれ」
仲間の指さした方向に目を凝らした男性は、荷車に乗っている息絶えた男性の胸元に星が三つ並んでいる事に,その時初めて気が付く。
「ああ。本当だな。あれ? こっちも、三つ……。同格? こいつほんとにボスか? こいつらの更に上にもう一人いるとか? 四つってあったか? あれ?」
「いや、白服は四つまであるが、紺服は三つまでだったはずだぞ。たしか……」
後ろから来る二人の会話が聞こえたカーンは、ちらりと荷車に横たえてある二人を見た後に、首だけを後ろに向ける。
「トップが二人はないだろうからな。どっちかが、補佐役って所じゃないか? もう、遺体はこの二つだけのはずだしな」
カーンの出した簡単な答えで納得できた男性二人はそれ以上その質問をせず、血で染まった二人をまじまじと見ていた。その荷車の後ろを歩く男性二人は血や死体に慣れているらしく、顔色を変えたりはしない。
「あの……例のナイフで一撃ってところか?」
「そうじゃないか? 争った感じじゃなかったしな。どうせ、あの人数がやられるなんて考えてなかったんだって」
カーンと同じく帰還した余力のある二人は、省吾の戦闘を目の前で幾度か見ており、隙を作った敵の愚かさを鼻で笑う。
「あの人に隙見せるなんて、ノアの奴等も案外間抜けなんだなぁ」
「まあ、知らなかったってのが、一番の原因だろ? 逆にいえば、あの人はその隙を無理矢理作って勝ってきたんだろうし」
敵を侮るなと注意しようかとも考えたカーンだが、未だに反乱軍内でお客様扱いを受けている自分が、偉そうに忠告をしては不況をかうかも知れないと口を開けない。
その場面ではカーンが気にし過ぎているのだが、同じ釜の飯を食い、能力の指導をしていたとはいえ、人間の心にある溝が簡単に消えないのは事実だ。自分達が能力も高く知識もあるのだからと、時間介入組の者達が幅を利かせてしまうと反乱軍内によくない空気は流れるだろう。
省吾の元居た時代で敵武装兵力と交渉までしていたカーン達は、空気を読む能力には長けているらしく、下手な事はしない。消極的ともいえる時間介入組の者達が選んだ行動は、ジョージの様な存在を生んでしまった。
ただし、時間介入組の面々が我を通し過ぎては反乱軍の内部分裂も発生した可能性があり、間違いといい切れないのも事実だ。未来の見えるガブリエラやヤコブでさえ掴みきれない人の心は、人間にとって掛け替えのないものであると同時に、面倒なものなのだろう。
「おっ? なんだ?」
一人で時間介入組のありかたについて考えていたカーンは、川の音で下に向けていた顔を上げ、道の先に見知った人物がいる事に気が付く。
拠点入口付近で索敵をしていたはずのヤコブは、川原まで降りてきており、そこへ向かっているカーン達を見つめていた。何か異変があったのかと考えたカーンは、少しだけ歩くのを早め、後ろの二人もヤコブに気が付いて移動速度を合わせる。
「お疲れ様です」
「お、おう。どうかしたのか? まさか、まだ敵は来てないよな?」
カーンはヤコブから焦った雰囲気は感じられない為、違うと分かっていながらも、つい問いかけた。ヤコブから省吾が休息に入ったと聞かされていたカーンは、やはりとしかいいようがないが、ノア兵士の再度進行を恐れている。
カーンの問いかけた理由まで分かっているヤコブは、頬を人差し指で掻きながら、理由の説明を始めた。
「その遺体から、情報を抜き出したいと思っただけですよ。ああ、索敵は代わってもらってますから、そちらもご心配なく」
「あ、ああ、そうか。すまないな。やっぱり、あの人がいないと、どうにも……な」
心を見透かされたと感じたカーンは、それを隠そうとせず、照れくさそうに顔をそむけて笑う。そして、情報を抜き出すといったヤコブの言葉を少し遅れたが理解し、眉間にしわを作って視線をヤコブに戻した。
「代わってやれないが……。こいつらの記憶を読んで大丈夫か? ケイトは、昔苦しんでたが……」
ヤコブは反乱軍の者達が班長達数人を除いて自分を大人として扱っている為、子ども扱いされた事で少し驚いた顔をしたがすぐに笑顔を作る。
「大丈夫です。それに、今は悠長な事もいっていられませんよ。任せてください」
「そうか……。そうだな。頼む」
カーンからの気遣いにむず痒さを感じながらも、ヤコブは仲間達に男性二人の遺体を下させ、能力を発動した。
「うっ……くっ……」
硬直の始まっている敵二人の、血が付いていない部分に手を触れたヤコブは、手と頭部を微弱に発光させながら見尻にしわを作る。ジョージに操られていた者達のように狂っていないだけましだが、精神の未熟なヤコブにそれは負担が大きい。敵の情報を読み取りながら、自分の内面が汚れていくような不快感により、ヤコブは少し粘り気のある汗を額に浮かべる。
反乱軍の男性二人はそのヤコブを不思議そうに見つめるだけだが、ケイトから相手の心に触れる怖さを聞いているカーンは表情を変えた。ヤコブを心配する気持ちは大きいようだが、それを止めるだけの能力を持ち合わせていないだけでなく、決心もつきかねているようだ。
カーンの決断力が弱い部分もオーブリーは可愛いと思えているようだが、他の者ではなかなかそうは思えないだろう。時間介入組の者達を仕切っているのが、カーンではなくケイトなのも、セーラと長く一緒にいた事だけでなく、その部分が原因となっている。本人もオーブリーに引き摺られていると分かっているようだが、なかなか本質的な部分は変えられないらしい。
「はぁぁ……」
その場に自分ではなく省吾が居ればどうしただろうかと考えたカーンは、大きく息を吐いて拠点入口のある小屋へと目を向ける。カーン達のいる川原からでも、巨石によって見晴らしがよくなったせいで、今は小屋がはっきりと見えるのだ。
拠点内で少し前から活動を再開している省吾は、ランタンの光が照らす地下の暗い通路を迷いなく進んでいた。
……情報はここでなら手に入る。回復も出来た。時間的に考えて、これが最後のチャンスとなる可能性も大きい。
無表情なまま歩き続けている省吾だが、ノアとの戦いをシミュレートして、熱が出てもおかしくないほど脳を回転させている。省吾の隣を歩くケイトはそれとは真逆で、様々な想いが表情筋に影響を与えてしまい、百面相ともいえるほど顔がころころと変わっていた。
……ああ、そうだ。忘れていた。
「そういえば……。すまないな、ケイト」
「あっ! はい!」
通路を進んでいた省吾は、足を止めずに隣を歩くケイトに顔を向け、申し訳なさそうに眉を歪める。
「薬は、ヤコブが用意してくれた物を使ってしまった。用意してくれるといっていたのにな……」
トイレを出てから頬を染め続けているケイトは、省吾が自分に気を遣ってくれた事が嬉しいのか、首を激しく左右に振りながら笑う。
「そんなっ! 気にしないでください!」
「そうか……」
想い人の隣で呼吸が苦しくなるほど胸が締め付けられながらも、幸せを感じているケイトは手当てを省吾がさせなかった意味を取り違える。予知能力がある二人を除いて、時間介入組を含めた反乱軍に所属する者達は、これからする省吾の選択を知る術はない。
……反乱軍の戦力は、フィフス相手では無力と考えるべきか? 勝手な都合で無理強いなんてしていい訳でもないしな。
真っ直ぐ前だけを向いた省吾を、隣で俯き気味に歩いているケイトはちらちらと見ていた。省吾の全てが気になっているケイトは、相手の無表情な顔とそっけない言葉で少し考えすぎているらしい。
抱き着きたいほど高ぶっている自分と違い、冷たい様にも見える省吾にケイトの百面相は終わらない。
……ノアの王か。真っ直ぐに向かっても、フィフスに囲まれてアウトだろうな。無力化できるか? うん?
機嫌が悪いのかと省吾に問いかけたいケイトは、口よりも先に手が相手の裾部分へ動いてしまう。ケイトが自分のシャツの裾を掴もうとした事に、感覚が鋭敏になった省吾は気付き、足を止めずにするりと回避する。
「どうかしたか?」
自分の方を見た省吾から、真っ赤にした顔をケイトは急いで逸らし、立ち止まってぷるぷると揺れ始めた。
……なんだ? どうかしたのか? 俺に不備は、多分ないはずだが。
省吾の顔を直視した瞬間から、頭の中が真っ白になったケイトは、前後不覚となっている。心音が高まり呼吸が苦しくなっているケイトは、床に見開いた目を向け、胸元を強く掴んだまま固まっていた。
省吾の近くにいる事が嬉しいと同時に苦しいケイトは、自分が何をいえばいいのかも思いつかず、冷たい汗を体中から噴き出していく。
「ど、どうしたんだ? どこか、痛むか? 声が出せないなら、手信号でもいいぞ?」
明らかに挙動がおかしいケイトを見て、省吾は体調の異常ではないかと推測をつけ、気遣い始めた。その事で、相手から今まで以上の嬉しいという感情を引き出してしまい、事態を悪化させると省吾は理解出来ていない。
「動けないか? 誰か人を呼ぶか? なんなら、俺が部屋まで運ぼう。教えてくれ」
肩に触れた省吾の手が、嬉しさや恥ずかしさで訳の分からなくなっていたケイトに止めをさしてしまう。
「ぴぃっ!」
……なっ! なんだ?
ケイトが奇声を発した事で、省吾は反射的に距離を取って固まり、ノアとの戦闘に関する思考を中断した。
「ごめ……ん……なさいっ!」
両手で胸元のシャツを掴んだまま、顔を真っ赤にしていたケイトは泣き出しそうになり、切れ切れに言葉をなんとか吐いてその場から逃げ出す。
「いや……あの……え?」
……やはり、俺が何かしてしまったか? いけないな。悪い事をしてしまった。
走る足を自分で止められないケイトは、頭の中が混乱したまま、省吾に嫌われたかもしれないとだけは分かっている。その事で余計にパニックになったケイトは、考えも纏まらないままシェルターの扉を開いた。
「はぁはぁはぁはぁ……」
「あ、おかえりぃ。えっ? あの……どうかした?」
シェルターの出入り口付近に陣取っているオーブリー達は、顔を真っ赤にして息を切らせたケイトに首を傾げる。よろよろとオーブリーの前に座り込んだケイトは、返事もせずに相手の胸に顔を埋め、泣き始めてしまう。
「ふっ……ふぅぅええぇぇ……」
時間介入組の者達だけでなく、他の者達もオーブリーに顔を向けるが、涙を流している理由はケイトにしか分からない。オーブリーは胸元にあるケイトの頭頂部を見つめていたが、周囲の視線に気が付いておろおろと首を左右に振った。
「ちょっ! ケイト! どうしたのよ! ちょっとぉ!」
泣いている相手に乱暴も出来ないオーブリーは、なすがままに胸を貸し続け、顔をしかめる事しか出来ない。もしケイトが泣いていなかったとしても、オーブリーに上手く説明できたかは、疑問が残る。ケイト自身も、そこまで自分が自分で無くなった事は初経験であり、理由を推測するだけの冷静な思考を持てないでいるからだ。
会えない期間で人生最大といえるまで想いを膨らませてしまったケイトは、恋の病に苦しんでいる。命の恩人にまでなってしまった想い人に、ケイトは単純に好きという以外に尊敬や憧れまで抱いていた。相手に見つめられるだけで呼吸が止まり、隣を少しの間歩いただけで様々な想いが渦巻くのだから、平常心を保てないのは当然だろう。
まともに思考する力すら失ってしまうそんなケイトが、戦う事に集中した省吾と日常会話を楽しむのは時期尚早だったといえる。
「う……うそぉ……」
「えっ? 何? ね……てる? えっ? ケイトどうしたの?」
疲れていた事もあってか、しばらくの間オーブリーの胸で泣いていたケイトは、寝息を立て始めてしまう。それは、もしかするとパニック状態を脱する為に、ケイトの脳が意図的に線を切った結果かもしれないが、オーブリー達に分かるはずもない。
オーブリー達時間介入組の四人は大きく息を吐くと、再び何気ない会話を再開し、自分達の回復を待つ。
「あれ? あ……寝たんだ。いいなぁ……」
時間介入組の男性陣から、声が聞こえなくなった事で目を向けた第三世代の女性は、少しの間羨ましそうに二人を見つめる。
「睡眠導入剤でもあれば、簡単なんだけどねぇ。よっと」
オーブリーは会話が途切れたところで、自分に抱き着いたままだったケイトを引きはがし、毛布を掛けた。
「でもまあ、そんなの飲んじゃうと、起きれなくなるけどねぇ」
本来、脳を休ませるという意味でも、オーブリー達は睡眠をとるべきなのだろうが、寝付けないでいる。命を捨てる覚悟をした戦いの後、仲間の無事を知り、勝利を味わった為、興奮状態がなかなかおさまらないのだ。
疲れから会話が途切れると、横になって目を閉じ、短い間だけうとうととはするが、熟睡は出来ない。娯楽の乏しくなった未来では、寝付けない苦痛を紛らわせる為に、会話を続ける事でしか時間を潰せないのだ。
「眠れない時ってさ……。眠るのが凄く難しく思えるよね。いつもはあんなに簡単なのに……」
「そうね……。ふふっ……。羨ましいぞ、こいつぅ」
眠りの一番深い所にまで落ちたケイトは、オーブリーに頬をつつかれても眉一つ反応させずに、眠り続けた。脳の線を切ってみて初めて分かる事ではあるが、緊張状態が続き、ケイトを含めた時間介入組の者達は心身ともに疲れ切っているのだ。
……やはり厳しいな。敵にこの拠点がばれているのが、何よりも痛い。
ケイトが走り去った後、いつものように謝罪をすればいいだろうと問題に安易な答えを出した省吾は、外へと出ていた。
「どうかしたか? 分からない事があれば……」
反乱軍の班長を務める者達から情報を聞いていた省吾が、難しい顔のまま目を閉じた為、男性の一人が問いかける。拠点入口のある小屋の前に手頃な石を並べ、円を作って座っている他の者達も、全員が省吾に視線を送っていた。
自分に行動の選択権が渡されていると分かっている省吾は、送られている視線を感じて目蓋を開く。
「いや。十分に分かった。少し、考える時間をくれ」
「あっ。どうぞ。考えてください」
了解を得てから再び目を閉じた省吾は腕を組み、反乱軍の安全と残っている時間について整理する。
……他の拠点も、ばれているとなると。シェルターがあるこの場所が、一番ましではあるのか。再度の進行までは、時間が多少は出来たはずだ。なら。
戦力差が大きすぎる為、反乱軍だけで守りに徹しようとしても、すぐに落とされてしまう。
また、省吾が反乱軍に加わり、拠点を移動しながら守りにつけば、時間は稼げるだろうが得策ではない。何故なら、敵の兵力を少数削ぐだけで仲間の犠牲者が増え、省吾の残り時間も削られてしまうからだ。
……攻撃をするしかない。それも、敵が話し合いに応じてくれるところまで、もっていかなければ無駄になる。どうすればいいんだ?
戦力外の者達をシェルター内に残すと、反乱軍内の戦力はフィフス一人にも敵わない可能性は高い。サードの者達は人数が勝っていなければフォースの敵兵士に勝てる見込みは少なく、各都市の奴隷となっている人々の決起には時間が必要だ。
……どの道、犠牲者が出てしまう。それでは、禍根も残る。冷静になれ。何かあるはずだ。何か。
反乱軍の中でまともな戦力となりえるケイト達も、フォースである以上首都に入れば洗脳の影響を受けるだろう事は、ヤコブから省吾も聞いている。敵を殲滅する事で情報を持ち帰らせず、アドバンテージとして稼いだ時間が刻一刻と無くなる中で省吾も焦りを感じていた。
ノアの首都を無力化しなければ先が無い状況で、その首都にいるフィフス達は攻略不可能に思えるほどの壁になっている。
……くそっ。勝ち目が見出せない。どうすれば、いいんだ? 俺は。うっ!
省吾が目を開くと、そこには希望の光を目に灯した反乱軍の者達から、待ちわびるような視線が注がれていた。いくら考えてもどうしようもないと思える中で、その大きな希望は省吾の背中に重くのしかかる。
相手の希望を裏切りたいなどと省吾は思わないが、応えられるだけの材料がどうしても見つけ出せないでいた。
……逃げ出してしまえば、少しは楽なんだがな。
都市から逃げ出した者達の中には、ノアの手が及ばないほど遠くへ向かった者もいない訳ではない。つまり、反乱軍として残った者達は、都市内に家族や友人が残っており、逃げ出す事が出来ない者達なのだ。
「お前達には……都市に……。大事な人がいるんだよな?」
省吾の小さく呟いた言葉に、隣に座っていた男性が、鼻息を荒くして拳を握りながら返事をした。
「ああっ! 大事な家族や友人だ。一人、いや二人……。そう、二人助けられるなら、俺達は死んでもいい。なんでも、いってくれ!」
……ここにいる者だけで、逃げる案はいっても無駄か。これだけの覚悟があるからこそ、耐えられたんだろうしな。
発言した男性の意見にその場にいた者達は全員無言でうなずき、その目を見た省吾は相手の覚悟を読み解く。各都市の奴隷となった人々を連れて逃げる事は、間違いなく追手が来る為、論外の手段といえる。そして、反乱軍の者達だけで逃げる選択を皆がしてくれない状況では、議論する時間さえ無駄になるだろう。
……何よりも、根本的な解決にはならない。逃げた先もどうなっているか分からない事も、大きい。どうすればいいんだ?
省吾は、自分の知っている知能の高い者達を思い浮かべて問いかけたが、返事をする者はいない。フランソアやイリアだけでなく、死んでいった者達も省吾の脳裏に顔を出すが、記憶でしかない彼等は無力だ。
……俺は、戦える。だが、くそっ。
省吾にとって戦う為の基礎を教えたマークと、実戦での応用を教えたローガンも、求めている返事をしてくれない。元の世界で省吾が学んできたものは、兵士としての戦略等であり、現在置かれている状況では活かしきれないのだ。
戦場において兵士とは、所詮消費されるものと考えられる為、大規模な作戦になるにつれ犠牲者はつきものだと通常は計算させる。今も省吾は命を惜しもうとはしていないが、反乱軍の状況を聞いて、相手を多少消耗させる代わりに自分が死んでは意味がないと分かってしまった。
省吾が今まで最前線で前に進めたのは、自分が死んでも代わりの兵士がいると分かっていた部分は大きい。自分の変わりがいないにもかかわらず、皆の前に立った上で犠牲者を抑えなければいかない状況では、いつもの様に無謀な策には出られないのだ。
……戦略云々じゃない。ほぼ、手詰まりだ。くそっ。
戦略も兵站も犠牲者を可能な限り少なくするための策であり、絶対に犠牲を出さない事は約束できるようなものではない。好んで犠牲を出す指揮官は少ないが、犠牲者を全く出さない様になどと綺麗ごとを考えれば、現実の戦場ではかえって余計な犠牲を出す可能性もある。
反乱軍の拠点にも、銃火器などの近代兵器は持ち込まれているが、数が少ない上にサード以上の者は能力を使った方が強いのは省吾でなくとも計算できるレベルだ。どうしても省吾の脳は、ノアのフィフス達を黙らせる為には、各都市の者達を集め消耗戦をしなければいけないと答えを出してしまう。
……駄目だ。それじゃ、意味が無いんだ。くそ。どうすればいいんだ。
「ふぅぅ……」
眉間に深いしわを刻んだままの省吾は、無意識に太陽が沈み始めた空へ目線を向けていた。空には鋭い爪で獲物を捕らえた一羽の猛禽類らしき鳥が、巣へと帰ろうと翼をはばたかせている。少し弱くなった省吾の視線はその鳥を追っているが、頭の中では反乱軍の者達をどういいくるめようかと考えられていた。
今は耐え忍び、仲間を今の数倍以上にしなければ勝機は無いと、反乱軍の者達が納得してくれれば省吾にも動きようがある。省吾が時間の許す限り策のたたき台になる方法をカーン達に教え、反乱軍が逃げる時間を稼げばいいだけだ。
先が長くないであろう省吾は、その際に自分が命を落としても構わないと、考えることが出来る。だが、下手にどうしようもないと希望を断ち切ってしまった場合、どうなるかを考えている省吾は思いを簡単には口にすることが出来ないでいた。
……どうすればいい? くそっ。時間が欲しい。もう少しだけ。くそっ。
自分が死に敗北するまでにやらなければいかない事が、多いだけでなく一つ一つが困難だと感じた省吾は、苦しみから眉間からしわが消せない。
小屋の前で英雄の言葉を待っている者達の中で、カーンだけが省吾は苦しんでいるのではないかと考えている。省吾の死期についてはカーンも気付いていないが、反乱軍だけでノアが作った世界を変えるのが難しい事はよく分かっているのだ。
タイムマシーンの自爆から生還したカーン達も反乱軍と合流し、策はないかと幾度も頭を捻ったがいい答えは出せていない。もし省吾でも一発逆転となる作戦が立てられない場合、どうすればいいだろうと考え始めたカーンの表情が暗くなる。
泣き言ともいえる事を考え始めた省吾とカーンは、気付かぬうちに視野が狭くなっており、反乱軍の成立している理由を思い出せないでいた。
反乱軍がなんとかやってこられたのは、ガブリエラとヤコブの予知能力によって、危機を避けてこられたからだ。未来予知とは、カーン達の行った時間介入によって直接世界を変える力ではなく、本来知りえない情報で事を優位に運べる能力といえる。
正確な情報は、それだけで貨幣に換算できる程価値があり、戦略を立てる為には欠かせないものだ。ガブリエラが自分に教えない情報にはそれなりの意味があり、聞いてはいけないのだと思い込んだ省吾は、答えの近道を自身で塞いでいる。
その自分で作ってしまった道をふさぐ壁に振り下ろす斧は、単純な切っ掛けで省吾の手に渡った。省吾が空に向けていた視線をカーン達に戻すと同時に、拠点の出入り口がある小屋の扉が開き、皆そちらへ目線を向ける。
「おっ? もう、いいのか? 無理するなよ?」
ノアの指揮官から情報を抜きだし、真っ青な顔で自室へと戻っていたヤコブが、外へと戻ってきた。
「うん。もう、大丈夫」
自室へと帰ったヤコブは手に入れた情報の多さに苦しんだが、ガブリエラが能力を接続して処理を手伝い、その苦しみから解放していたのだ。
赤くなった太陽の光で顔色が分かり難い為、古株の男性は心配し続けているが、ヤコブは笑顔で返事をする。そして、省吾の近くまで歩み寄ったヤコブは、ジャケットのポケットに入れていた手を差し出した。
「敵から情報を抜き出しました。かなり、有益な情報もあるのですが……。その、量が多くて……」
ヤコブが自分に能力で情報を渡そうとしているのだと察しがついた省吾は、サイコガードを解くと相手の手を取ってうなずく。
……これは。
情報を能力によって省吾へ直接流し始めたヤコブは、その流し込む情報の補足を、口に出し始める。
「相手は、参謀の候補生だったみたいで……。どうですか? 使えると思いませんか?」
目を閉じて流れてくる情報を理解する事に集中している省吾は、ヤコブに顔も向けずに即答した。
「ああ。これは、かなり助けになるな」
参謀の候補生だった敵指揮官は、フィフスの事から地形まで、首都のありとあらゆる情報を持っていたのだ。絶望したくなるほどの状況は変わらないが、その情報は受け取った省吾に先程出した答えを保留させる。
……ギャビン? こいつが、黒幕か? いや、違うな。反乱軍鎮圧を、反対している。重要人物らしいが、黒幕とは考え難い。
「おい、見ろよ。英雄殿の顔。これは、期待できるんじゃないか?」
頭部と握られた手を光らせるヤコブと、少し表情の緩んだ省吾を交互に見た男性は、笑顔で仲間の女性に小声で喋りかけた。
「ええ。そうね」
男性の隣で座っていた女性だけでなく、二人を見つめる者達の顔には笑みが浮かび、目の光は強くなっていく。先程まで省吾と同様に気分を沈ませていたカーンも、もしやと思える状況に、再び瞳に希望を戻していた。
……うん? これは、情報? いや、違うな。なるほど。
ヤコブが行っているのは、テレパシー能力を応用した方法であり、記憶を含めた脳内を相手に伝える事が出来る。省吾に間違えた情報を伝えない様にと、ヤコブは自分自身の思考は紛れ込ませない努力をしていた。しかし、ヤコブも人間である以上、常に何かを考えてしまい、それは情報と共に省吾へと流れ込む。
またそれだけではなく、ヤコブの処理を手伝ったガブリエラの思考も情報には紛れており、省吾は相手が意図せず流したそれも読み取っていく。能力によって未来の世界を見た者達の記憶は、省吾の切れてしまいそうだった可能性を繋いだ。
「あの……ここまでです」
「そうか……。待たせてばかりですまないが、情報を整理させてくれ。すぐに、済む」
目を閉じたまま手を軽く上げた省吾に文句をいう者はおらず、ヤコブも古株の男性がいる隣へと移動して直接地面へ座りこむ。
……ああ、そうか。そうなんだな。これが、俺の進むべき道なんだ。
全てが理解できた省吾は、地面に顔を向けたまま目蓋を開き、自分の脳に住み着いた不安げな表情のサラやマークに声を掛ける。
……大丈夫だ。俺は戦える。確かに困難だが、やって見せる。そこで見ててくれ。そして、信じてくれ。俺を。
「おお?」
顔を上げた省吾の瞳には、沈んでいく太陽に負けないほどの炎が戻っており、それを見たカーン達は唾液を飲み込んだせいでごくりと喉を鳴らした。
「あの……。いい作戦は……」
古株の男性から問いかけられた言葉に省吾は大きくうなずき、自然と小さな歓声がその場に響く。
……これでいい。もう、迷いはない。後は、俺がやるべき事をやるだけだ。
座ったまま周囲の地面を見回した省吾は、茎の硬そうな雑草を引きちぎり、地面へと表を書き始めた。
「今、もっとも警戒するべきは、ノア兵士達の襲撃だ。まずは、警備を固める。こちらの回復が十分でない今は、セカンドやサードの者達で、索敵能力を……」
省吾の自信に満ちた声による説明を、反乱軍の者達は真剣に聞き、何度もうなずいて分からない部分はその都度質問をする。
「あの……私達、索敵出来ない人はどうすれば?」
「小屋内での見張りは、二人一組だ。索敵が出来る者が限られているから、二人のうち一人は必然的に索敵できない者になる。シフトは……」
ノア兵士達から手に入れられた馬がある為、省吾は必要に応じて逃げる事も説明していく。
「応戦できる人数は、五人までだ。それ以上は、犠牲者が出る可能性が高い。これ以上人数が減るのは、不利にしかならない。それならば、戦闘を避ける方がましだ」
「あれ? その場所は……」
反乱軍の逃げる先を今まで使っていた拠点ではなく、省吾が使っていたシェルターにした事で驚く者はいたが、拒否する者はいない。
「この五つは、まだ俺も使っていない。つまり、手が回る可能性は低いという事だ。見張りの者を小屋に残して、他の者は移動の準備を進めてくれ。荷物は最小限に……」
自分達の命がかかった作戦について喋る省吾の言葉を、暗記でもするかのように聞いている反乱軍の者達は、大きな勘違いをした。
「いいな。それ以外の者は、回復に努めてくれ。それが、先に繋がる」
「ああ!」
省吾から発せられた迷いの無い言葉で、反乱軍の者達は勝手に態勢を整えた後、攻撃に転じるものだと考えているのだ。多くの犠牲者が出る可能性が高いそれを、省吾が選ばなかった事はヤコブでさえ理解できていない。
「すぐに取り掛かった方がいいな……」
「そうだな。水は現地調達にするとして……。食糧は持っていくしかないし……」
十数分ほどの説明を受けた反乱軍の者達は、地面に書かれた情報を見つめて、作戦を頭に叩き込んでいく。
……よし。これでいい。
もう誰にも存在が見えなくなっているサラは、省吾の傍らに立ち、愛する男性に悲しそうな視線を向けていた。