拾弐
太陽がゆっくりと一番高い位置へ向かっている頃、ある森の動物達は人間よりも優れた感覚器官によって、異常を察知し始めた。人間ではまだ感じ取る事が出来ない小さな変化だが、大気は少しずつ振動を強めており、水面に本来出来るはずの無い波紋が広がっていく。
逃げる反乱軍の者達を追いかけていたジョージが川を抜け出すと同時に、動物達は耳をぴくぴくと動かし、首を上げる。そして、周囲で一番高い丘がある場所に感覚器官を向け、自分達に危険が及ぶかを見極めようとしていた。反乱軍の拠点が近くに出来たせいで、自分達にとって脅威である人間を見慣れた動物達だが、危機を知らせる本能は衰えていないらしい。
能力者達の戦闘によって一度空に飛びあがり、巣のある木へと戻っていた鳥達も、耳障りなほど鳴き声で仲間と危険について信号を送り合っている。音が直接地面から伝わっている川の生物達は、すでに巣穴を捨ててまで下流へと向かって行く。等を含めた人間以外の生物達が巨石の並ぶ丘に注意を払い、生きる為に必要不可欠な恐怖に従って逃げ出そうとしている。
絶望と呼称される事が多いものも、座っていた枝の上で立ち上がり、鋭い視線を巨石に向けていた。ベッドの上で尚も涙を流し続けるガブリエラと、木の枝に立っている絶望だけが、これから起こる事を正確に知る事が出来ているらしい。
「あれ? えっ? ちょっ!」
殿でジョージを気にしながら走っていた第三世代の女性は、自分の見た光景が信じられないのか、二度三度と幾度も視線の先を確認する。その女性の隣を走っていた第三世代の男性は、息切れで苦しそうだった顔から表情を消し、目蓋を擦っていた。
「嘘……だろ……。何が……」
第三世代の女性が発した声で、ヤコブやケイト達も大きくなっていく音と振動に気が付き、視線を丘の方へと向ける。想像を絶する現実を見たケイト達は、拠点の入り口がまだ離れているにも関わらず、走る速度を緩めた。
「はぁはぁはぁ……。観念した? はぁはぁ! 中途半端に逃げるなよ! 馬鹿か! ん? はぁぁぁ……。え?」
体力が余りないジョージは、肩で息をしながらケイト達に暴言を吐き、呼吸を整えようとしている。
しかし、立ち止まった事で轟音を聞き取り、揺れている地面とケイト達の驚いた表情に気が付いた。そして、反乱軍の者達が同じ方向を見ていた為、ジョージも自然とそちらへ視線を向け、目を見開く。
「なっ! 地震? えっ? 何が?」
一番小さなものでも一トンを超える巨石が、全て丘を滑り降りてきているのだから、皆が驚くのは当たり前だろう。地面を削り、石や岩を砕き潰し、木々をへし折りながら、巨石の群は轟音を連れて、突き進んでいく。重力と慣性で速度を見る間に増していく巨石達は、周囲の地面を揺らすほどの力があった。
日の光によって照らされている為、肉眼ではほとんど分からないが、その巨石達は確かに光を放っている。そして、先頭から少しだけ遅れて速度を増している一番大きな巨石の上に、人間大の何かが乗っていた。
省吾達の敵であろう絶望の字名を持つものは、人間が負の感情を充満させる為に、現実まで歪めた。その歪んだ現実は、普通の人間がいくら抗おうとも変化させられない強い力を持ち、人々に理不尽を押し付けてしまう。
抗う力を持っているとはいえ、リアムは現実側の流れを受け入れている為、流れを変えようとはしない。資質があるとはいえまだ幼く、体だけでなく精神や能力まで未熟なヤコブは、まだ流れを変える力を持っていない。
真っ暗な未来の世界で、絶望が作った現実を切り裂き、閉ざされた未来へと光を繋ぐことが出来るのは、たった一人しかいない。
……まだ。まだだ。タイミングを見誤るな。
世界大戦を終結に導いた後も戦い続け、時空を飛び越えたその者を、数え切れないほど大勢の人間が英雄と呼んだ。
……今だ!
先頭を進んでいた巨石から順に、ある地点へ到達すると同時に、林のある方向へと進路を変えていく。巨石に黒く変色したナイフを突き刺して支えにした省吾は、ライフル銃を構えて千里眼を発動する。
ごく単純な話ではあるが、六十人ものフォースに真っ向から戦いを挑み、勝てるほど省吾は強くない。そこで省吾が選んだのは、人間では抗えない巨石の重みを最大限に利用した、物理的な力での奇襲だ。
「なああぁぁぁ! うわああああぁぁぁぁ!」
自分がいる場所に向かってくる巨石を見て、尿漏れをおこして泣きそうな顔を作った小心者のジョージは、逃げ出す。仲間であるノアの兵士達がいる林に入れば、自分を守ってくれるはずだとジョージは考えたようだ。
しかし、事態を正確に把握できていない兵士達は、自然災害を恐れて揺れがおさまるのを待っており、臨戦態勢になっていない。
「来たあああああああぁぁぁ! 助けっ! 助けて! 来たあああぁぁ!」
取り乱したジョージは兵士達に必要な事を喋れておらず、相手側は眉間にしわを作って首を傾げる事しか出来ないでいる。ジョージの心がもっと強く、ノアの兵士達が反乱軍狩りに手を抜きさえしなければ、未来は変化していた。
だが、運命は誰に対しても平等であり、現実は時間介入でもしなければ変えることが出来ない。
「はい? なんだ? 急に暗く……」
見る間に速度を増していた巨石達は、平坦な森の中へと到着しても、止まろうとはしない。林の中でぼんやりと立っていたノア兵士達は、巨石達が作った影には気付いたが、大きすぎる自分達への攻撃はすぐに識別できない。
鼓膜が破れるのではないかと思えるほどの音をまき散らす巨石は、木々をトン単位の圧力で押し潰し、ノア兵士達がいる場所へと向かう。
「どっ……土砂崩れ?」
ノア兵士の幾人かは能力によって、自分が使える超感覚を広げ、自分達が置かれた状況を理解しようとした。それ自体は正しい対処をする為に必要な事であり、間違いではないとはいえないが、少し遅すぎた。
肉眼で目視してから対処するには、余りにも巨石達は加速し過ぎており、反射的に超感覚側ではなくサイコキネシス側を発動した兵士達の方が正解だ。ただし、フォースである彼等のサイコキネシスは万能と呼ぶには程遠く、桁外れの物理攻撃にはほぼ無力といっていい。
「たひゅけ……たしゅっ!」
人間の足では逃げる事など出来ない巨石達に、情けない声しか出せなかったジョージが踏み潰された。その光景を見て、やっと能力を発動もさせず呆然としていた半数のノアの兵士達も、自分達の危機に気が付く。
「うおおおおっ! なんだ! なんだ、あれっ!」
「ちょっ! やばい! やばいぞっ!」
超能力の練度が低く、弾丸には反応できない者もノア兵士内には大勢いるが、車と同程度の速度しかない巨石には反応して見せた。普通の人間ではほとんど動くことも出来ない短い時間で、体の様々な部位を光らせ、能力を使えるノア兵士達は、やはり優れているのだろう。
しかし、ノア兵士達はそれすら計算されていた事と、意思の無い巨石達に紛れて敵が接近している事に気が付かない。
……そこだ! 行けぇ!
木や巨石の作った影と、大量に空気中へと拡散した粉塵に隠れた光を纏う弾丸が、ノア兵士達に死神の鎌を振り下ろす。
「くそおおおおぉぉぉ!」
ノア兵士達が個々の判断でとった行動により、命運が大きな差を生みはしたが、省吾がその溝を潰していく。
反応できなかった者や、超感覚を発動させたためにサイコキネシスの力が間に合わなかった者は、巨石か巨石の吹き飛ばした木の餌食となる。そして、能力を使って膜等を発生させ、防御しようとした者は、加速した巨石の圧力によって、押し潰された。また、サイコキネシスを巨石にぶつけ、退路を確保しようとした者は、防御が出来ない為、光る弾丸に撃ち抜かれ、その後加速した巨石の群れに飲み込まれていく。
強化などの能力が使える一握りの兵士達だけが、逃げに徹する事で、人工的に作られた局所的災害から生き残る。
林の木々や地面との摩擦抵抗で、巨石達は徐々に速度を失っていく。そして、その巨石達は、反乱軍拠点近くの地形を変化させられるだけ変化させ、その動きを止めた。
逃げる隙間さえ与えないほどの群れで林に侵入した巨石達により、ノアの大部隊は八割近くが瞬く間に殲滅された。
省吾の姿すら見えていないケイト達反乱軍の面々は、瞬きを忘れるほど目を見開き、呆然としている。へたり込んだ者や、口を大きく開けている者など、驚き方に多少の個性はあるが、反乱軍の者達は全員思考が停止していた。
「あの……えええぇぇぇっと……その……はい?」
「えっ……あ……えっ? あの……」
一番早く思考を回復させたケイトとヤコブだったが、お互いの顔を見て言葉にならない言葉で、理由を知らないかと問いかける。
「あの……これは……事前に準備を?」
ヤコブやガブリエラが巨石に罠を仕込んでおいたのかと考えらしいケイトは、少年が激しく左右に首を振った為、首を九十度ほど傾けた。巨石による反則とも思える攻撃は、省吾が急遽作り出したものであり、二人がそれに気付くには情報が不足している。
粉塵が舞い上がったままの、更地に変えられた林から省吾が出てくるよりも早く、丘の上から人影が拠点入口へと向かって走ってきた。
「あれは……そんな……そんな事って……オーブリー! オーブリー! しっかりしてください! あれ! あれを!」
人影に気が付いたケイトは、固まり続けていたオーブリーの肩を激しくゆすり、丘に向けて指をさす。
「ああ……神様……うそぉ……うそおおおぉぉ!」
体をわなわなと震わせ、顔をぐしゃりと歪めたオーブリーは、両目から大粒の涙をこぼして走りだした。
「無事かあああぁぁ! お前らああああぁぁぁ! ああ? うおう!」
先頭で丘を駆け下りてきたカーンに、走り出したオーブリーは跳びつき、そのまま相手に全体重をかける。オーブリーからタックルを思わせる抱擁を受けたカーンは、走っていてバランスが取れなかった事もあり、背中が地面にぶつかった。
「ぐほっ! おほっ! おい! おま……え……。ふぅぅ……。悪かったな」
転んだカーンはオーブリーに文句をつけようと胸元に顔を向けたが、声を殺して泣く相手にそれが出来なかったらしい。オーブリーの頭を片手で撫ではじめたカーンは、そのまま視界を空に向け、嬉しくも恥ずかしそうな表情を作る。
「こりゃ……なんなんだ? ははっ……死ぬまでに、この目で奇跡ってやつを見られるなんて……。はははっ……」
今にも泣き出しそうな顔で古株の男性は、毛が抜けてしまうほど強く自分の髪を掴み、戻ってきた仲間達を見て笑う。丘から降りてきたのは、全員ではないがダリア達の悲劇があった日に戻ってこなかった者達だ。その者達の帰還はもうないだろうと考えていた反乱軍の者達は、我が目を疑いつつも笑顔を作る。
ガブリエラの魂で書かれたメッセージを見た省吾が進路を変更し、三つあったチームのうち二つを救ったなどと、誰も想像もしていなかったのだろう。
「奇跡……。そう、奇跡だね。でも、奇跡なんてあの人の前では、霞むんじゃないかな……。きっと……」
古株の男性と同じように涙ぐんだヤコブは鼻をすすり、母親と自分の期待した以上を常に実現していく英雄の事を考え、笑う。自室のベッドにいるガブリエラは、届くはずのなかった未来を繋いでくれた英雄の到着に、全身をふるわせてむせび泣いている。
タイムマシーンの自爆も黒幕によって仕組まれていた事であり、本来省吾はそこで人生を終えるはずだった。ケイト達は、タイムマシーンが自爆しても元居た時代へ強制転送される為、ほぼ無傷で助かっている。
爆発からケイト達を守ろうとしたことで、不完全ながらも未来へと転送された省吾は、生き残った。そして、一割もなかった農園での戦いに勝利をおさめ、力に溺れる事もなく反乱軍に合流したのだ。
十年以上前の話だが、生まれたばかりの息子と隠し通路を使って首都を逃げ出したガブリエラは、どうしても明るい未来への道筋が見えず、絶望しかかっていた。明るい未来のビジョンは見えていたが、絶望と呼ばれるものに憑りつかれた黒幕によって、そこまでの道が閉ざされていたからだ。
しかし、諦めなかったガブリエラは、糸よりも細い光がその未来へと繋がっていると気付き、省吾という存在を見出した。
ただ、省吾が今にたどり着く確率はあまりにも低く、予知能力を持つガブリエラも完全に信じ切れていたわけではない。ガブリエラも侮っていたわけではないが、今現在も経験を積み、強さが増していく省吾の数値は、低く見積もり過ぎていた。
大戦の中で幾度も不可能とされる作戦を成功させてきた男性を、誰からともなく人々は英雄と呼んだ。作り物でも自称でもない本当の英雄は、伊達や酔狂で呼称されたわけではない為、予想できないほどの結果を残す事が少なくない。
長い時間を苦しみぬいたガブリエラは、奇跡的な確率にたどり着いた省吾への想いが爆発し、自室で一人静かに泣き続けた。
ガブリエラほどではないが、自然と涙をこぼしてしまうケイトは、目を赤くして再開した仲間にハグをしている。その生き残った仲間達が、能力を使って巨石を丘の上から落としてくれたのだろうとしか、ケイトやオーブリーは考えられていなかった。
「なによぉ! 生きてたんじゃない! もうおおぉ! 早く帰ってきなさいよねぇ!」
「よかったぁ……。よかったですぅ! 本当に……本と……えっ? この音……まさか……銃声?」
巨石達の轟音によって聴覚が一時的に麻痺していたケイトだが、それが回復し始めると同時に、銃声を聞きとる。粉塵がおさまらない更地に変わった林の中では、未だに何者かが銃の引き金を引いており、戦いが続いているのだ。
カーン達戻って来た者は、皆笑顔で粉塵によって視界がふさがれている一点を見つめ、他の者もそれにつられる。
「貴方は……本当に貴方って人は……」
銃を両手でしっかりと掴み、戦闘服を泥と血で汚した省吾が、粉塵の中からケイト達の元へ走ってきた。
……五人。いや、六人取り逃がしたか。くそっ。
震える左手で口元を抑え、涙で歪む視界をはっきりさせようと右手で幾度も目を擦るケイトは、過去の省吾を思い出す。
大戦中修道女の変装をしたケイトは、逃げ遅れた住民を助ける為に、能力を使おうとしていた。だが、いきなり道もない山奥から走ってきた泥だらけの少年兵により、敵は次々と駆逐され、ケイトはその姿に見惚れた事がある。
決して省吾は完璧と呼べる存在ではなく、救えなかった命も数え切れないが、救った命はその何十倍であり、だからこそ英雄と呼ばれていた。その省吾は、本当に必要な時には、必ず駆けつけてくれるのだとケイトは頭が変になるほど感動している。
「エー……。貴方は、どんな時でも、期待以上なんですね……。ふふふっ……出来過ぎですよ」
省吾の姿を見て感極まったケイトは、オーブリーと同じように抱き着きたい衝動に駆られ、足を踏み出そうとした。しかし、戦場で気を抜かない省吾は、まだ臨戦態勢を維持しており、気を抜いたカーンに喝を入れる。
「やったな! 中尉! これ……」
「気を抜くなといったはずだ! 戦場では命取りだと教えたはずだぞ! 作戦を次の段階に移行する! 急げ!」
省吾と数日間共に過ごしたカーン達は、腹の底から出された厳しい声にびくりと反応し、仲間と再会を喜び合う事を止めた。隙を見せれば命が容易く消えてしまう戦場で、省吾の対応こそが絶望を遠ざけ、敵の隙に食らいつく切っ掛けとなる。
カーンを含む帰還した者達は緩んだ表情を引き締めるが、省吾はそれ以上に鋭い目つきと真剣な表情を、ケイト達に向けた。走り出すタイミングを逸したケイトは悲しいのか、眉をハの字に曲げて唇を噛んでおり、喋りかけたいと考え省吾の目線だけを追っている。
オーブリーや古株の男性も、自分に近づいてくる省吾が放つ強い気迫を感じ、緊張感を高めていた。未来の世界では絶滅種となったプロフェッショナルの兵士は、纏った雰囲気だけで周囲の者に影響を与えるらしい。
自分前に到着して足を止めた省吾を見て、ヤコブや班長達は説教でもされるかのように、額から汗を流して唾液を飲み込んだ。
「俺の事は、説明する必要がないと聞いた! 間違いはないか?」
省吾は声で威嚇などするつもりもないのだが、巨石に乗っていたせいでまだ耳鳴りがおさまらず、少し声が大きくなっている。緊張した反乱軍の者達は、それぞれが大きさの違いはあるが鋭い目線で銃を握った青年に恐れを抱き、無言でうなずく。
「よし! なら……力を貸してほしい! 君達の協力なくしては、この作戦は成功し得ない!」
「あ……ああ! 当然だ! 逆にこちらからお願いする。私達は何をすればいい?」
省吾の言葉で緊張状態からいっきに解放された者達は、引きつっていた表情を笑顔に変えた。
……ここからだ。ここからなら、敵の一歩先に進める。
ベルトで下げた銃から手を放した省吾は、近くに落ちていた手頃な枝を拾い、地面へ周囲の簡単な地形を描いていく。
しゃがんだ省吾は反乱軍の者達に、敵を一人残らず殲滅し、情報を与えない事で今後の展開が有利になると説明する。そして、攻防の配置と役割を一つずつ端的に教え、急襲と防衛を同時に行う作戦を提案した。
「まず、こちらの人員は四つの班に分ける。怪我をして動けない者と、サードの半数をシェルター前まで下がらせろ。そこが最終防衛ラインだ。そして……」
敵の残存兵力は、指揮官を含む森にいる十人と、巨石の攻撃から逃げ切った六人だけになっている。人数的には反乱軍が有利になっているが、残っている全員がフォースであり、舐めてかかれば最悪全滅もあり得た。
「残りのサードはこの場で待機。味方ではなく、敵の姿を確認した所で、フォース側の作戦は失敗したものと思え。そこで、能力を無差別に敵へぶつけろ」
省吾は作戦を自分と同じようにしゃがんで真剣に聞いていた班長達に、無差別攻撃の意味を教えていく。
フォースと相対した際に、力がうまくコントロールできないサードは、防御にまわると勝ち目がない。その為、先手を取ると省吾は説明していく。人数で勝ってこそ使える策だが、無差別にサードの者達が遠隔攻撃を仕掛ければ、いくら敵がフォースでも退ける事ならば出来る。
「能力が無くなり次第、シェルター前に撤退。次はファーストやセカンドも含めて、攻撃出来る者全てで、狭い通路に入ってきた敵に一斉攻撃だ」
戦略とは基本的に誰にでも実行可能で、卑怯ともいえるほど合理的な事の積み重ねであり、難しく遂行不可能な事をするわけではない。
「待ち伏せ等の単独行動は、今回なしだ。最悪、シェルター内にこもり籠城戦で時間を稼げ。後、全員定期的な索敵も忘れるな」
索敵の言葉で、班長の女性はジョージが得意げに喋っていた伏兵の事を思いだし、省吾達に教える。
「あの、ちょっといい? 伏兵がいるらしいのよ。それも三十人も……」
その女性に対して、省吾が口を開くよりも早くカーンが少しだけ口角を上げ、説明をした。
「大丈夫だ。そっちは、もう始末してきた。まあ……それで、救援が少し遅れたんだがな……。そこは勘弁してくれよ?」
自分達の出番はないだろうと勝手に思い込んでいた伏兵は、索敵すらしなかった為、省吾達の奇襲によりすでに蹴散らされている。
省吾だけでなくカーン達も服に泥が付着し、怪我をしていると気が付いていたオーブリー達は、プロの作戦には敵わないと感じて苦笑いを浮かべた。大勢の敵が来た段階でオーブリー達はオーブリー達なりに、奇襲作戦を決行したが、省吾の策とは天と地ほどの差があると分かったのだろう。
「ただ、増援やさらなる伏兵もいないとは限らない。索敵は怠るな。敵わないと思うなら、すぐにシェルター内に退避するんだ。いいな?」
省吾の言葉一つ一つが、反乱軍達の心に安心感を与え、火を灯して行き、目に見えて士気が高まっていく。
「防衛策は、ここまでだ。残っているメンバーの意味は分かるな?」
時間介入組の八人はうなずくが、目が充血しているオーブリーだけは隣にいるケイトを見て、苦笑いを止めない。省吾がやっと自分の方を見てくれたとケイトは喜んでおり、不謹慎だと思い真剣に顔を保とうとしているが、自然と表情が緩んでいる。瞳を誰よりも輝かせ、頬を染めて鼻息まで荒くなっているケイトを見たオーブリーは、喜びから尻尾を千切れんばかりに振る犬を連想していた。
「おいおい……。それでいいのか? このメンバーなら……」
姉の様な女性を守りたい男性は、作戦を誰よりも真剣に聞いており、省吾にも意見をしている。
「ああ。お前達には、この逃げた六人を減らした上に、目的のポイントまで誘導して欲しい。犠牲を出さずに遂行できるのは、お前達だけだ」
省吾は事前にも打ち合わせをしているカーンに目を向け、うなずき合うと背負っていた背嚢を下して銃の準備を始めた。銃の扱いに慣れている省吾は、アサルトライフルやハンドガンにマガジンをセットしながらも、説明を続ける。
「奇襲を仕掛け、人数を減らして、後は守りに徹してくれ。人数で勝っていれば、後退出来るはずだ」
省吾は予想できる範囲内での戦い方と流れを説明し、不測の事態が発生した際にはカーンを頭脳にするようにと指示した。複雑な状況になりやすい戦場で、戦い方をマニュアル化する事は、突発的な事に脆くなる反面ミスを少なく出来る。
「地形が変化している。この地点まで下がって、凌いでくれ。反撃は本当に、最後だと思うまで仕掛けるな。そして、奇襲の要は……お前だ」
省吾は誰よりも真剣に作戦説明を聞いていた第三世代の男性を指さし、能力者でも読みにくい空間を押す力をあてにしていると、はっきり断言した。その第三世代である男性は頼ってもらえてことが嬉しかったようだが、元々皮肉屋な性格をしており、つい似つかわしくない愚痴を口に出す。
「おいおい……。俺は一番ひどい怪我してる上に、能力の残量もほとんどないんだぜ? それでもいいのかよ?」
相手からの質問を受け取った省吾は、いつもの様に真っ直ぐな言葉と、少し強すぎるといってもいい真剣な目線を向ける。
「無理強いはしたくない。だが、お前の恐ろしさを俺は身に染みて知っている。だからこそ、頼みたい」
学園で重傷を負った攻撃を省吾の体は忘れておらず、フォースである男性を過大評価はしない代わりに、過小評価などしない。省吾の強い眼光を浴びた男性は、肌が粟立ち身震いをして視線を地面へと向け、笑顔を隠した。
恐怖を感じるほどの強さを持った省吾に認められた事で、男性は心から喜べたらしく、目に今まで以上の気力が滲み出す。
「ふぅぅ……。仕方ない。ぶっ倒れるまで……やってみるとするか……」
「いや、倒れられては迷惑だ。限界がきた所で、お前だけは全力でシェルター前まで戻れ。それが無理でも、他の者の後ろで待機しろ」
気負い過ぎていた第三世代の男性だったが、省吾の真っ直ぐすぎる言葉は、いつもの様に相手から適度に肩の力を抜かせた。複雑な表情になった第三世代の男性を無視した省吾は、カーンに目線を向け、うなずきあう。
「カーン。後は、任せていいな?」
「ああ! 任せてくれ。必ず、川辺に誘い込んで見せる」
省吾は握っていたアサルトライフルの安全装置を作動させ、カーンへ背嚢と一緒に投げ渡すと同時に立ち上がった。
「では! 作戦決行だ! 時間が無い! 急ぐぞ!」
「待って! えっ? こっちの指揮官はどうするのよ?」
重要だと思える部分を問いかけたオーブリーに、時間がないと考えている省吾は、敢えて細かくは説明しない。
「俺に、任せろ!」
移動速度を重視した省吾は、アサルトライフル一丁とハンドガン二丁、ナイフと手榴弾等の軽症装備になっている為、戦闘力自体は若干低下している。そして、指揮官の周辺には十人もの敵が残っており、容易に勝利できないと反乱軍の者達も分かっていた。
だが、省吾の瞳に燃え盛る強い意志の炎と、それに見合った気合の入った声は、相手の心にまで直接届く。先程の第三世代の男性同様に、反乱軍の面々は鳥肌を作って身震いし、頼もしさから心が温まっていくのを感じた。
皆が無言でうなずく中、両手を胸の前で握ったケイトだけが、心によって魂から絞り出した声を口に出す。
「信じてます! 私は、貴方が無事に帰ってくるって! 信じてますから!」
……なるほど。この想いを裏切ってはいけないな。
その言葉にどれほど重い意味が込められたか感じ取った省吾は、背を向けていたケイトに一度だけ顔を向けてうなずきながら言葉を返した。
「シスター……。いや、ケイト。君にも武運を!」
ケイト達に背を向け、銃を強く握った省吾は、短距離走の選手も裸足で逃げ出す程の速度で走り出す。
……敵がいる! この先に! 守るんだ! 皆を俺が守って見せるんだ!
反乱軍の者達に背を向けた瞬間から、脳内にあるスイッチが切り替わった省吾は、まさに火の玉となり、突き進む。川の中腹で停止している巨石を、手も使わずにするすると上った省吾は、そのまま大跳躍で向こう岸へたどり着き、森の中へと消える。
省吾の後姿に見惚れていたケイトだが、オーブリーに肩を叩かれて自分の置かれた状況を思いだし、仲間に目を向けた。
「さあ! 行こうぜ! あいつが上手くやっても、こっちが失敗したんじゃ、元も子もないからな!」
「はい! 行きましょう! 索敵は私が行います!」
カーンは古株の男性に背嚢を渡して、アサルトライフルをベルトで下げ、相手の目を見つめる。
「ここは任せたぞ」
「ああ。いくら怪我をしてもいい……。君達も必ず戻ってきてくれ」
古株の男性だけでなく、ヤコブや他の者達とも無言でうなずき合ったカーンは、仲間達に声を掛けながら走り出す。
「行くぞ! 気を抜くなよぉ!」
「ええ! あんたこそね!」
カーンを先頭に時間介入組の者達が走り出す頃、省吾はすでに敵を射程圏内に捉え、草むらに身を伏せていた。状況が全く分からなくなった敵指揮官は、愚かにも副官だけを残して、他の八人を偵察に向かわせていたのだ。
「さっきの揺れってなんだろうなぁ? 地下まで入って、大暴れした馬鹿でもいるのか? なあ?」
「いや、反乱軍は旧世代の兵器も持ってるらしいし……。もしかして、爆弾ってやつを使ったのかもなぁ」
森をなんの恐れもなく闊歩するノア兵士達は、能力で索敵も行ったが、その結果を仲間が地下へまで進んだとしか考えていない。様子を見に行くだけでも面倒としか思えないその兵士達は、自分達の進む先に銃口が向けられているなどとは考えないようだ。
「まあ、どっちにしろ、終わってるって。待ってりゃいいものを……。なあ?」
「そういうなよ。あの人には俺達世話になってるんだしさぁ。あの人も、参謀にあがる為に必死なんだって、協力して損はないって」
指揮官の周りを固めていた者達は選ばれたメンバーで、ケイト達やリアムほどではないにしろ、能力の練度はそれなりに高い。それでも、気を抜きすぎて隙だらけになっており、狩る側からすればこれほど格好の獲物はないだろう。
……見逃すな。敵の能力を見極めろ。
身を伏せたまま省吾は左手で銃身を支えて右手でトリガーに指を掛け、照準を敵が進む前方にあわせている。鏡のような水面を思わせるほど、心を落ち着かせている省吾の呼吸に全く乱れはなかった。
一度で全員が倒せるなどと考えてもいない省吾は、弾丸によって敵能力を見極めようとしている。弾丸をどう防ぐかによって、敵がどのような能力を持っているかがかなり推測できるようにまで、省吾は能力者と戦い慣れてきたのだ。
周囲を警戒しつつも射撃に集中し始めた省吾は、マガジン内にある弾丸に能力を注ぎ、微弱な光を纏わせていく。
「はぁぁ……。に、してもよぉ。だりぃなぁ」
……そこだ!
虫の鳴き声や風の音まで聞こえるほど静かになっていた森に、アサルトライフルの小刻みな音が轟き、鳥達が一斉に空へと飛び立つ。
「うおおおおぉぉ! くそったれええぇぇ!」
「なっ! 曲がっ……がぐっ!」
省吾の予想した通り、あれだけ隙を作っていても五人が意識を加速させ、弾丸をそれぞれの方法で無効化した。
……よし! 上々だ!
起き上がりながら片手で器用にマガジン交換を行う省吾は、それと同時に空いた方の手で手榴弾を掴み、口でピンを抜いて転がす。そして、伏せていた体を片膝が付いた状態にまで起こし、再びアサルトライフルの引き金を引いた。
省吾の握ったライフル銃から弾丸が放たれるのと同タイミングで、周囲に凄まじい閃光と爆音が広がる。
「なああぁ! あ? えっ? はぁ?」
省吾が転がしたのは、自分もダメージを負ってしまうただの手榴弾ではなく、閃光手榴弾だった。閃光と爆音の効果時間は短いが、いきなりの銃撃で混乱している敵には、これほど効果的な目くらましもないだろう。
兵士のうち反射的に恐怖から防御膜を展開できた二人は生き残ったが、他三人は省吾が放った追加の銃弾で絶命している。強化の能力を持ち、弾丸を避けなければいけない者や、弾丸を補足して能力を放つ必要があった者は、省吾の策にあっけなく命を散らした。
……さあ来い! 俺は、ここだ!
「いたっ! あそこだ! この外道がああぁぁ!」
「このっ! よくも!」
完全に立ち上がった省吾は、くらんだままの両目を閉じ、千里眼を発動して相手の動きに集中する。銃を握っている腕以外の全身から力を抜いた省吾は、相手を誘う為に体を晒し、敵が作るであろう一瞬の隙を待つ。
目を閉じて隙だらけにしか見えない省吾を見た兵士二人は、深く考えもせず、発光させている両手を突き出した。
……ここだ!
両眼を見開いた省吾は、敵の腕が伸びきるよりも少しだけ早く横方向に大きく跳び上がり、能力の軌道から体をずらす。
……ぐうっ!
ベストなタイミングで跳んだ省吾ではあったが、敵が能力で発生させたソフトボール大の球体と、円盤状の力は軌道を変化させられる。省吾は直撃を免れてはいるが、左肩を掠めた球体に皮膚や脂肪層だけでなく筋肉まで焦がされ、太ももを深く切り裂いた円盤の威力で、体が不自然に横方向の回転を始めた。
……いっ、けええええぇぇぇ!
ダメージを受けた省吾ではあるが、短期での戦闘終了を望んでおり、予想の範疇を超える怪我は負っていない。弾き飛ばされながらも全く目蓋を閉じない省吾は、そのままトリガーを引き、光る弾丸を敵に向かわせる。
攻撃をしている最中に防御に力を向けられない敵は、角度を変えて襲ってきた弾丸に無力であり、急所を撃ち抜かれた。これこそ、省吾がノア兵士達と戦いながら見つけた戦い方であり、敵の能力さえ見極めてしまえば、罠なしでも結果が残せる。
捨て身のカウンターと呼べるこの戦い方は、恐怖を少しでも感じれば失敗につながる為、常人では使いこなせないだろう。だが、死への恐れをかみ殺し、勇気すら超えた狂人の域にまで達している省吾ならば、敵の命へと弾丸を届かせる事が可能だ。
「ぐっ! がはっ! はぁはぁはぁ……」
……まだだ!
敵兵士二人が地面に倒れ込むよりも早く、空中で体を独楽のように回転させていた省吾が、落下して木の幹へとぶつかる。そのダメージを無視して動き続ける省吾は、銃弾の無くなったアサルトライフルから手を放して素早くハンドガンを抜き、ハチの巣になった敵へと向けた。
幹を背に木の根もとで座り込んでいる省吾だが、隙を作るつもりはないらしく、敵に銃口を向けたまま立ち上がり、八人の状態を確認する。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
……後、二人!
弾がなくなり足かせにしかならないアサルトライフルをその場に捨てた省吾は、森の先へと怪我の手当てもせずに走り出す。伏兵と戦った際に負った怪我も治療を行っていないが、省吾は痛みを忘れているかのように、素早く動いている。
次も上手くいく保証はどこにもなく、敵に情報を持ち替えられない事で一時的な安全まで確保できると知っている省吾は、止まれない。
ケイトやガブリエラ達が、自分の命より大事だと考える英雄に、立ち止まる選択肢はなど元からないのだろう。




