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名無しのエース  作者: 慎之介
五章
55/82

拾壱

 ノアが支配する首都の宮殿は広く、外壁を一周するにもそれ相応の時間が必要なほどだった。宮殿の建屋は一つだけではなく、王の住まう場所から使用人達が生活をする場まで、いくつも隣接して立てられている。


 複数あるそれらの一番端に、円柱状の建物があり、そこは他の都市から仕事で訪れたノアの兵士が、一時的に宿泊する施設だ。能力によって、鏡を思わせるほど表面が滑らかに削られた大理石で出来たその宿泊施設に、リアムはいた。


 参謀候補として優遇されているリアムは、宿泊施設の中でも最上級の部屋に泊まっており、部屋自体に不満はない。しかし、部屋の中央に置かれた机には、午前中だというのに酒瓶が封を切られており、椅子に座っているリアムはとても機嫌がいいといえる表情はしていなかった。


「くっ……」


 歯を食いしばり、グラスを握っていない空いた手を強く握りしめたリアムは、怒りで顔に深いしわが出来ている。現在ノアの兵士達は反乱軍の拠点を攻めている最中であり、その場の指揮権が与えられなかった事が、リアムは悔しいのだろう。


 リアムがジョージから情報を聞き出して参謀に報告した結果、反乱軍の場所を突き止めた功績は大きく評価された。だが、参謀達から現場へ攻め込む指揮権を与えられたのは、リアムよりも年長の参謀候補生の男性だ。


 珍しく表情を参謀達の前で変化させたリアムは、仲間の仇を討つために自分が向かいたいと願い出たが、受け入れてもらえなかった。手間をかけて準備した情報源と計画だけをかすめ取られたとリアムは感じ、一人部屋で不貞腐れているのだ。


 現場の指揮をする事になった四十代の男性候補性に、参謀となる名目が与えられてしまうだろう事も、リアムには分かっている。近々できる参謀の空席は一つだけであり、それが自分には与えられないのだと理解したリアムは、数年ぶりに午前中から酒に手を出した。人と違う価値観を持ったリアムでも、手に入るとも思ったものが目の前で消えれば、悔しいと感じるようだ。


「うっ……ふぅぅぅ……。ちっ!」


 グラスの酒を一気に飲み干し、酒瓶に手を伸ばしたリアムは、酒瓶の中身が空になっていた為に、舌打ちをした。遺伝的に上戸らしいリアムは、朝からすでに酒瓶を二本ほど空にしたが、頬を少し染めただけで他に変化はない。


「はぁぁぁ。こちらにするか……」


 椅子から立ち上がったリアムは、ガラスの引き戸がついた木製の棚から、新しい酒瓶を取り出す。


「うん?」


 リアムが新品の酒瓶を持って、再度席につくと同時に扉がノックされ、返事をする前に男性二人が入室してきた。


「邪魔をするぞ。なんだ? 一人でやっていたのか。どれ、私も一杯頂こう」


 デビッドが扉を開き、メガネをかけた東洋人男性である参謀が、入室すると同時にリアムの対面に座る。


「えっ……あの……」


 椅子から立ち上がろうとしたリアムは、信じられない光景を見て中腰のまま固まり、言葉を詰まらせた。


 中年男性が席に座ると同時に、我がままの塊だったデビッドが、無言で棚からグラスを取り出しに向かったのだ。それも、参謀が使うグラス一つだけを机に置いたデビッドは、中年男性が座る席の隣で後ろ手に腕を組み、休めの姿勢を取った。


 いくら参謀がフィフスよりも権限があるとはいえ、頭がおかしいといえるほど歪んでいたデビッドが、そこまで従順に従うのは異常にしか見えない。デビッドがその東洋人である参謀、ネイサンの下についているのはリアムも知っているが、私語すら喋らない幼馴染は生まれて初めてのようだ。


「あっ! これは、失礼しました」


 ネイサンが催促する為に握ったグラスを少しだけ前に出したのを見て、リアムは急いで酒瓶から赤い液体をグラスへ注ぐ。自分のグラスへも酒を注いだリアムは、信じられないといった表情で、ネイサンの左ななめ後方で立ったままの幼馴染を見ている。


「さて、マイヤーズ……。これから君に、私は重要な話をする予定だが……。準備はいいか?」


 酒を二口ほど飲んだネイサンは、グラスを机に置くと、瞬きが増えているリアムに問いかけた。重要な話に思いつく事が無いリアムは、怪訝に感じながらも首を縦に振り、ネイサンからの言葉を待つ。


「反乱軍鎮圧の功績を取られたと……。君は勘違いをしているだろうと思うんだが……。私の考えは、間違えていないな?」


 その通りなどと返事が出来るはずもないリアムは、目を細めて少しだけ視線を逸らしたが、ネイサンはそれを気にもかけず言葉を続ける。


「君は、もう十分功績を上げた。能力も申し分ない。おめでとう。君の参謀へ昇進は、内定だ」


 唐突に願いが叶ったリアムは、握っていたグラスを机に落とし、そのグラスは割れなかったが、鈍い音を部屋に響かせた。


「あ、ああ? えっ? あの……。内定? ですか?」


「なんだ? 不服でもあるのか?」


 ポケットから取り出したハンカチで、机の上に飛び散った赤い液体を拭き取りながら、リアムは首を左右に振る。それを見たネイサンはグラスの酒を半分ほど飲み、リアムの置かれた状況について説明を始めた。


 ウインス兄弟の手綱を長い間握り、能力的に優れている事も研修中に証明されているリアムは、反乱軍発見で参謀になる条件をすでにクリアしてしまったのだ。それに対して、今回反乱軍鎮圧の指揮に向かったフォースである男性は、参謀になる為のポイントがまだ少し不足している。ただ、次の参謀にはそのポイントが不足した男性をとギャビンが押しており、なんとかしてやろうと他の参謀も考えたのだ。


「まあ、あいつは参謀二人に五年ずつつくし……。年齢も四十を過ぎたからな。年功序列というわけではないが、ここは一度我慢しろ」


 ポイントは自分が勝っていると聞き、納得できない部分もリアムはあるようだが、内定まで貰っている以上、下手に逆らおうとはしない。


「後……三年。いや、二年以内には、もう一つ席が空く予定だ。その席はお前の物だ。代わりといってはなんだが、その間私の下についてもらう」


 ネイサンの元で参謀としての仕事を覚え、宮殿内にある仕来りや暗黙の了解を覚えろといわれたのだろうと、リアムは相手の言葉を裏まで正しく理解した。


「全て理解したようだな? なら、その優秀な脳細胞が、酒でこれ以上壊される事はないな?」


「はい」


 リアムの返事を聞いて満足げに数回うなずいたネイサンは、グラスに残った酒を飲み干して立ち上がる。


「私だけの特別な仕事もある。お前になら手伝えるはずだ」


「はっ! 謹んでお受けいたします」


 急いで席から立ち上がったリアムは、デビッドよりも早く扉を開き、腰が直角になるほど深く頭を下げた。


「君には期待させてもらうぞ。リアム・マイヤーズ」


 ネイサンが扉をくぐると同時に、リアムは少しだけ顔を上げ、一言も喋らなかった幼馴染に目線を向ける。リアムからの視線に気が付いたデビッドだったが、小さく鼻で笑うと視線を上司の背中に向け、何もいわずに部屋を出た。


 デビッドに続いて通路にまで出たリアムは、ネイサンの背中が見えなくなるまで頭を下げ続け、相手が納得するであろう礼を尽くす。


「ネイサン……。侮っていいような相手ではないかもしれないな。ああいった手合いは、腹に何かを抱えている可能性がある」


 馬鹿のように誰彼かまわず信用しないリアムは、内定の喜びを味わうよりも先に、ネイサンについて考える。


 ネイサンは、ギャビンを除いた他の参謀達よりも黄色人種であるせいかかなり若く見えるが、実際にはかなり高齢だろうとリアムは推測した。それは、纏っている雰囲気が重厚な事と、会議の場での発言を見る限りギャビンと同格並に扱われていたからだ。


 机に置いてあるグラスを持ったリアムは、ネイサンに気を許し過ぎてはいけないと考えながら、窓から外を眺めて酒に口をつける。リアムが見つめた視線の先、人間の視力では見る事が出来ないほど離れた場所で、参謀候補である男性が腕を組む。


「あの……どうでしょうか? 最悪始末するにしても、労働力が増えるのは悪い事ではないと思いますが……」


 参謀候補である太めの体と黒い肌を持った男性は、ジョージからの提案を真剣に考えている。その男性は指揮官である為、森の奥へは踏み込んでおらず、護衛数人と荒野がまだ木々の隙間から見える位置にいた。


 男性は参謀達からは、希少な能力者であるガブリエラとその息子を、可能な限り殺さずに連れ帰れと指示されている。圧倒的な人数がいるにもかかわらず、じわじわとケイト達取り囲んでいるのは、追い詰めて降参させる為だ。


 敵がシェルターを使わずに逃走を試みた際の事も考え、主力部隊がいる反対側に伏兵も潜ませている。ガブリエラと息子以外は殺しても構わないとの指示を聞いていたジョージは、自分のように寝返る者がいれば捕虜として連れ帰ってはどうかと、男性に申し出ているのだ。


「しかし……。そう簡単には寝返らないのではないか?」


「その点でしたら、お任せ下さい! 僕に交渉させて頂ければ、寝返ってくれるはずです」


 自信満々に自分の胸を拳で叩いたジョージは、下心を前面に出した歪んだ笑顔を作っているが、指揮官である男性はリアムのように的確には気付けない。


「まあ……。フォースの者もいるんだったか? ううん……。どう思う?」


 部隊の副官として付いてきた男性に、判断力の乏しい指揮権を持った男性は問いかけ、意見を聞く。


「そうですねぇ。俺も、いますし……。負ける事はないでしょうから、どちらでも問題はないんじゃないですか?」


 副官である男性はフォースではあるのだが、戦闘力はフィフスに匹敵すると評価されており、本人も自信を持っている。


 質と量がフォースの最高レベルにあるその副官の男性は、テレパシー能力によって相手の金属生命体から情報を抜きだし、能力を完璧ではないが真似ることが出来る。フォース同士であれば、それは何があっても負けないほどの戦闘力になり、フィフス相手でも十分善戦できるのだ。


「そうか……。分かった。試してみろ」


「はい! ありがとうございます。それで……その……。上手くいけば、仲のよかった者を私が預かっても……。よろしいでしょうかぁ?」


 まだケイトへの未練が大きいジョージは、相手に死ぬ覚悟があるなどとは想像することも出来ない為、ノアの兵士を使って脅せばと考えている。


「うん? まあ、いいんじゃないのか……」


 指揮官になっている男性はノアの中では比較的実直な性格だが、頭がいいと評価された事はなかった。それが分かっている参謀達も、絶対的に優勢な作戦だからこそ出撃させただけで、特別目を見張る戦果は期待していない。ネイサンの秘蔵っ子であるコピー能力を持った男性を副官につけたのも、万が一の場合を懸念する必要があったからだ。


「では、行ってまいります!」


 満面の笑みで頭を下げたジョージは、勝手を知る森を走り、最前線となっている川辺へと急ぐ。兵士達にケイト達が殺されるのを、どうしても防ぎたいと、ジョージは考えているのだろう。


 ジョージの思考回路は浅はかではあるが、ケイト達が追い詰められているという予想は、外れていなかった。


「この! くっ! くそがあああぁぁ!」


 空中で素早く手をふるっている怪我が治りきっていない第三世代の男性は、敵能力を地面へと叩き落している。


 敵がヤコブを殺さない様にと手加減をしているが、反乱軍に飛ばしている能力の数は、容易にさばききれるものではない。それでも、シェルター内でなんとか死の峠を越えた姉の様な女性を守ろうと、傷口が開いたのも気にかけずに全力を出していた。


「はぁはぁ……。ぐっ! くそっ! ぐあっ! はぁはぁ! これぐらい!」


 光の膜を敵能力によって突き破られた第三世代の男性は、血の流れ出した傷口を片手で押さえ、もう片方の手を敵に向けもう一度能力を発動させる。省吾が居た時代でアンチマテリアルライフルの弾丸を防いだ光の膜は、実弾よりも能力の攻撃に弱く、十人以上から一斉に攻撃を受ければ破られてしまう。


 ケイト達がいる周辺の木々は、もうすでにほとんどが能力で吹き飛ばされており、ノアの兵士達ははっきりと相手に姿を見せていた。怪我をした仲間を抱え最後尾にいるサードの能力者は、ひざ下近くまで川の中に入っており、最終防衛ラインを守るならもうそれ以上は下がれない。


 サード達は光る板や球状のサイコキネシスを放出し続け、いつ暴走を始めてもおかしくない上に能力の残量がどんどん限界へと向かって行く。余裕を持っている反乱軍の者は一人もおらず、敵からの攻撃に冷たい汗を流し、能力残量を考えて心音を高めていた。


 それに対して六十人もの仲間で陣形を組み、放出に手加減をしているノア兵士達は、余裕があり過ぎてつまらなそうにしている者までいる。


「はぁはぁはぁ! この……ひっ! くっ!」


 第三世代の女性はついに集中力が切れ始め、敵の攻撃が体に触れてしまい、やけどと裂傷を負ってしまう。しゃがみ込んでしまいたいほどの痛みを感じたその女性だったが、絶え間ない敵の攻撃を見て、なんとか発光させた手を突き出す。


 時間介入組の者達は、仲間を庇う為に能力を使い続けており、目の前が幾度も真っ白になっている。それでも死ぬ覚悟までしているだけあって、気力だけで防御を続け、ぎりぎりで最後の時を先延ばししていた。


 ただし、それは先延ばしでしかなく、逆転の見込みなど全くない為、ノアの兵士達からすれば早く諦めれば苦しまないだろうと考えられている。


 敵からの攻撃が続いている事で、瞬間の防御だけに集中し、自分達の先を考える暇もないのは反乱軍の者達にとっていい事なのかもしれない。少しでも考えてしまえば、未来が閉ざされた事に気付き、絶望に飲みこまれて両膝をついてしまうだろう。


「こんのぉ! 痛いじゃないのよ! もおおぉ!」


 徐々に敵からの攻撃が防ぎきれなくなり、怪我を増やしていくオーブリーは、怒りの力を借りて気力を保っている。そうでもしなければ、能力の残量が限界を迎えているオーブリーは、意識が飛んでしまうのだろう。


「まだ! まだです! こんな所で! こんなぁ! ひぐっ!」


 ダメージを受けても集中力を切らしていないケイトだが、目から汗ではない透明な液体がこぼれ出した。戦闘開始から三十分以上の時間が経過し、ノア兵士達の多くが手を抜き始めた頃、事態は変化する。


(そこまで! そこまでです! 攻撃を一時中断してください!)


 テレパシーを受信したノア兵士は能力の放出を中断し、森を抜けてきた人物へと目を向けた。


「あい……つ……。くそっ!」


 厭味ったらしい笑顔を浮かべたジョージは、兵士達をかき分け、ケイト達の前に歩み出ようとしている。敵の攻撃にさらされ続けた反乱軍の者達は、衣服が破れ、怪我をしていない者がいないほどぼろぼろになっているが、瞳を怒りに染めた。


 ノアの兵士達全員が攻撃を中断した事で、粉塵が舞い上がり、けたたましい音の続いていた戦場は静まる。


 ケイト達の正面にいた兵士達の隣にまで出たジョージは、反乱軍の者達にいきなり背を向け、大きな声を出し始めた。命知らずの行動をジョージがしたようにも見えるが、ケイト達が攻撃を仕掛ければ兵士達が守ってくれると分かっており、勇気などではない。


「皆さん! これから、僕が敵との交渉をします! 指揮官殿より許可は頂いています! しばしの間、ご休憩を!」


 攻撃を中断させられたノアの兵士達は、馬鹿らしいといわんばかりに頭や頬を掻いていて、冷たい視線をジョージに向けている。ノアの兵士達は、移動中も自分達に馴れ馴れしく喋りかけてくるジョージに、好意は抱いていなかった。しかし、指揮官となった男性やギャビンに丁重に扱えと命令されており、渋々であるが従っている。


 兵士達が自分の言葉に従った事で、同列ではなく下のように錯覚したジョージは、機嫌よく表情を緩ませ続けている。


「はぁはぁ……あのくそ野郎……。のうのうと……」


 少しでも回復したい反乱軍の者達だが、ジョージを見て怒りから呼吸を整える事もままならない。


「あの……。あいつらが、攻撃してきたら、こちらからも攻撃してくださいね。お願いしますよ」


 声を小さくしたジョージは、自分の近くにいる者だけに聞こえるように、守ってほしいという意味を込めて喋りかける。その指示に従いたくないと感じた者もいたが、参謀直々の命令を思いだし、仕方なく無言でうなずく。


「さて! 皆さん! お元気でしたか? なかなか苦しい状況ですよね? ふふっ……。なんですか? その目は?」


 小心者であるジョージはケイト達に二歩ほど近づきはしたが、それ以上近づく危険は犯さない。それでも優位に立っている為に、殺気のこもった目線でも怯まず、笑顔で両手を広げ、交渉を開始する。


「まさか、この状況からどうにか出来るとでも? よく状況を確認してみてくださいよぉ。勝てるはず……いえ、逃げる事も無理ですからぁぁ」


 相手の気持ちを思う存分逆なでするジョージに、反乱軍の者達はヤコブを含めて震えるほどの怒りを感じたが、動けない。


 ジョージがその場に到着するのがもう少し早ければ、ケイト達は能力による攻撃を向けていただろうが、今はその余力も残っていないのだ。殴りつけたいと全員が考えてはいるが、回復と策を練るのに時間を使おうと、ケイト達は考えている。


「折角、皆さんを助けに来て上げたというのに……。感じ悪いですねぇ。少しぐらい感謝して頭を下げるなりなんなりしてはどうですかぁ? 人に嫌われますよ?」


 気持ちを落ち着けて策を練りたい反乱軍の面々だが、ジョージが煽ってくるせいで上手くいかず、興奮から出血量まで増やしてしまう。敵を興奮させる事だけならば、頭のおかしいとしかいいようのないジョージも、省吾より勝っているらしい。


「なんですか? まだ僕を睨むんですか? 貴方達は……。はぁ。馬鹿なんですか? それとも本当にいかれてます?」


「あんたねぇ! 裏切っておいて……この……よくも!」


 第三世代の女性がジョージのいい様に声を荒げたが、怒りが頂点を超えており、上手く言葉が出てこなかった。広げた両掌を空に向け、少しだけ上げながら肩をすくめたジョージは、鼻から息を吐き出した。


 相手が限界を超えるほど怒っているとジョージも分かっていようだが、後ろに控えたノア兵士のおかげで余裕を維持している。相手を虐めようとしているもったいぶった交渉を見て、ノア兵士の半数が苛立ってきているが、ジョージは全く気付いていない。


「仕方ないですねぇ。なら、こんな情報をあげましょう。拠点入口の奥にある林には、伏兵がいます。三十人ほどですがね」


 その言葉を聞いて、ケイト達は分かりやすく顔が青ざめていき、ジョージは嬉しそうに気分が悪くなるほど口角をつり上げた。


「あ、勿論ですが……。シェルターの事は教えてありますよ。あれは外側からも開けられるのが、最大の欠点ですよねぇ。そうは思いませんか?」


 反乱軍に所属する疲弊した者達の幾人かは、神に祈るか呪い、どこまでも青い空をあおいだ。


 元々勝ち目は少ないと分かっていたが、反乱軍の者達は全くないわけではないはずだと、希望にすがろうとしていた部分がある。最低限、自分達が死ぬ事になっても、希望の種となりえる者達がシェルターに残るとでも考えなければ、反乱軍の者達は立ち上がれなかったのだろう。その希望をジョージの言葉は絶望へと変え、反乱軍の者達から戦意をそぐには十分すぎた。


「ひへっ……。ひへへっ……」


 どうしようもない状況に打ちひしがれ、川の中で膝をついていく者達を、ジョージは嬉しそうに笑いながら見つめる。自分が優位に立ち、思い通りに事が進んでいる事で、相手の不幸を心底喜べる歪んだジョージの心は、満たされていく。


「さて、もう考えるまでもなく選べますよね? 私達……いえ、私の奴隷になれば、生き残れます。降伏……しますよね?」


 相手の心が折れた臭いを敏感にかぎとったジョージは、やっと交渉の言葉を口にだし、ケイトの全身を舐めるように見つめる。寒気すら覚える笑いを浮かべたジョージを見て、ケイトは一度目を閉じ、省吾の事を思い出す。ケイトにとってその泣きたくなるほどの状況で頼れるのは、省吾だけであり、他に心を支えてくれるものはない。


 だが、今も戦い続けている省吾が、都合よく助けに来てくれるなどとは、現実をよく知っているケイトは考えなかった。自分達がその場で息絶えたとしても、省吾ならば世界を平和にしてくれるだろうと、希望をもう一度持つ為に頼ったのだ。どう足掻いても結ばれないのであればという気持ちが、ケイトに残った最後の導火線に火をつける。


 ジョージは相手をどん底まで追い詰める事で、必ず自分の要求は受け入れられるだろうと考えていた。ノアの兵士達もプロと呼ぶにはあまりにも未熟で、追い詰め過ぎた敵がどういった行動に出るかを考えない。


「なんだ? あいつ……。すげぇ……きもいな」


「あいつサードだろ? ギャビン様の言葉がなきゃなぁ……。どさくさで、ぼこぼこにしてやるんだが……」


 ジョージを見ている事さえ不快に感じ始めたノアの兵士達は、気を最大限まで緩め、仲間内で喋り始めている。兵士達全員が、どんなことがあっても自分達は怪我さえしないだろうと考えているのだから、誰も注意をしない。


 余裕から能力を完全に停止させた兵士達は隙だらけで、勝てはしないだろうが時間を稼ぐことは出来ると、ケイトは判断した。


(皆さん。そのまま反応せずに、聞いてください)


 テレパシー能力に指向性をつける事も出来るケイトは、仲間達だけに聞こえるように能力で喋りかける。体を発光させずに指向性をつけられるのは、ケイトが仲間の中で一番コントロールに長けているからだろう。


「さぁさぁ! 早く返事を下さいよ。僕の後ろで貴方達を殺したい人が、待ってるんですよ? 考える必要ありますぅ?」


 ケイトのテレパシーを受信した者達は、視線こそジョージに向けているが、意識はそちらに向いていない。


(私達が、時間を稼ぎます。その間に拠点内に戻り、一本だけ残した通路で、逃げて下さい)


(あんたら、もしかして……)


 時間介入組の面々は、ケイトの言葉で息を吐きだし、少しの間目を閉じたが、再び目蓋を開く頃には目に気力が戻ってきていた。その輝きを取り戻した瞳からは、死ぬ覚悟もなく時間に介入したわけでもないという気持ちが読み取れる。


(ケイトさん! そんな……)


(ヤコブ。貴方だけは何があっても、生き延びて下さい。貴方こそが、反乱軍なのですから……)


 テレパシーによって伝わったケイトの強い気持ちで、ヤコブは強く唇を噛みはしたが、それ以上何もいわなかった。


(他の皆さんも、残るか逃げるかは自由です。それで、私達の行動が変わる事はありません。お任せします)


 自分達を信頼したケイトの言葉で、反乱軍の者達は目に涙をため、それぞれがヤコブの護衛につくか、残るかを決めていく。怒りなどといった負の感情で思考が鈍っていた者達も、伏兵がいたとしても時間を稼いだ上で逃げに徹すれば、幾人かは生き残れる可能性があると気が付いたようだ。


(なら……。私は置いて行ってください。一人ぐらいは道連れにして見せます)


(そうだな。どの道、この怪我じゃ足手まといだ。俺も、置いて行ってくれ)


 怪我をして動けなくなっている班長の女性が決断した事で、他に怪我をして動けない者も踏ん切りがついた。動けない者達はサードである為、力を暴走させて自爆する事で、時間を稼ごうと決めたらしい。


(ったく……。地獄で会おうぜ、兄弟達ってところか?)


 第三世代の男性はその場に似つかわしくない言葉を出すが、瞳の覚悟は本物であり、仲間の緊張をほぐそうとしただけのようだ。


(ちょっと、黙ってなさい。時間ないのよ。それに……生まれ変わるぐらいは、神様も許してくれるわよ)


 オーブリーが付け足した言葉で、誰からともなく反乱軍の者達は、表情から歪みが消え、瞳に明日への希望を信じた光が灯る。


「はぁぁぁ……。勘弁してくださいよぉ。これ以上は、待てませんよ? いいんですか? 僕が声を掛ければ、攻撃が再開しちゃいますけど?」


(では、皆さん。明るい未来で、生まれ変わって再開しましょう)


 そんな場面だからこそといえるのかもしれないが、誰よりも省吾を信じたケイトは、笑顔を作った。


(その時は……。ふふっ、仲良くしてくださいね)


 哀愁に満ちた表情で笑ったケイトに、光を目に宿した他の者達は無言でうなずき、決死の覚悟で身構える。


「おっ? 決まりましたね? じゃあ、川から出て、取り敢えず土下座からお願いしますねぇ。ひひっ……」


 ケイト達が覚悟を決めた頃、シェルターには敢えて入らず、自室のベッドで横になっていたガブリエラが目を見開いて上半身を起こす。起き上がって天井を見つめたガブリエラには、地上の状況が分かっているらしく、涙を流し始めた。


 精神が異常をきたしているガブリエラの流した涙に、どんな意味が込められているかは、理解し難いものだ。人に見えないものが見える為に十年以上苦しんだガブリエラは、事の顛末がもうすでに分かっているのかもしれない。


 目を閉じたガブリエラは、全身を発光させ、ケイトでも不可能なほど強力な指向性をつけた念波を地上へと向けて放つ。


(川から出て、こちらへ戻ってきなさい! 早く!)


「えっ? あ……今のは……。えっ?」


 今まさに動き出そうとした反乱軍の者達は、強制力すらある念波を受け、驚いた顔で動きを止めた。


「ママ? えっ? 何?」


(早く! 急いで!)


 ガブリエラの念波に真っ先に従ったのは、幼いヤコブを補佐し、反乱軍を実質的に束ねている古株の男性だった。


「急げ! あの方の導きに間違いはない! 急ぐんだ!」


 橋は落としていた為、反乱軍の者達は胸元まで沈む川を精一杯の速度で、拠点入口へと向かう。ケイト達も戸惑いを覚えたが、あまりにも強いガブリエラの思念に、頭で判断を下す前に従ってしまっていた。


「あ……ああっ! 待て! おい! 逃げられないって言ってるだろ! 死にたいのか!馬鹿か! お前らはああぁぁ!」


 笑顔を作っていたジョージは、ケイト達が逃げ出すとは全く考えておらず、焦りながら叫ぶ。その場で降伏しなければ、ノアの兵士達に手に入れたい女性達が殺されるだろうと考えたジョージは、焦り始めた。


 ジョージの叫び声でよそ見をしていたノアの兵士達は、川を渡ろうとしているケイト達に目を向ける。しかし、兵士達は反乱軍の者を助けたいとも思っていない為、伏兵がいる事もあり、すぐに追いかけようとはしない。


「ほら見ろ……。あんな交渉で、上手くいくはずなかったんだ。時間の無駄だってのに……。なあ?」


「怒るのもだりぃ……。とっとと追い込んで、帰ろうぜ。だりぃよ」


 ノアの兵士達は、暇を持て余す時間が出来たせいで緊張感が無くなり、だらだらと歩き始める。


「おい……。なんか、必死だなぁ。はっ! かわいそうに……」


 川に怪我からの血で赤い線を作る反乱軍の者達と、それを追いかけて水に入ったジョージを見て、兵士達は馬鹿にしたように笑う。


「服を着たまま入って、気持ち悪くないのか? あいつら? 理解できんなぁ。頭の悪い奴等の事は……」


 優れた能力を持っているノアの兵士達は、川に体重を支えられるだけの膜を作るか、水面に立つ。


「あ……。おい。誰か、向こうの連中に、連絡入れろ。そっちに逃げたって」


「ああ、そうだな。あっちからも攻めれば早く済むよな」


 ガブリエラが感知したこれから何が起こるかを、ケイト達を含めて、誰も何も気が付いていない。


「はぁはぁ! あの! どうするんですか? 時間を稼がないと、すぐに追いつかれますよ?」


「そうよ! それに、伏兵も来るんでしょ? 何、他に指示は……はぁはぁ……ごほっ!  届いてないの?」


 怪我をした者に肩を貸しながら走っているケイトとオーブリーは、前を走るヤコブに問いかける。帽子を何時もの様に逆向きにかぶっているヤコブは、少しだけ顔を後ろに向け、首を左右に振った。


「待てっていってるだろうが! 死にたいのか! 投降しろよ! 優しくしてやるから! なあって! おい! 聞けよ!」


 本性を丸出しにして叫び続けているジョージは、自分の声で周囲が変化している事に、気が付かない。


「なんだ? あいつ? 必死だな……。きもっ!」


 駆け足で反乱軍の者達とジョージを追うノアの兵士は、敵ではなく寝返った異分子を嘲笑していた。


「あれぇぇ? 返事がこないな……。寝てるのか? うん? なんだ?」


 テレパシーを離れた場所にいる仲間へ飛ばしていた者が、一番早く異変に気付き、走る速度を緩める。


「ああ? えっ? なんだ?」


 他の余裕を持ったノア兵士達も、空気を微妙に振動させている音を聞き取り、不思議そうに首を傾けていく。


「はっ? なんだ? この音……。おい、お前にも聞こえてるか?」


「えっ? 何が? 音? えぇ……ああ、聞こえるわ。で、何?」


 近くで蚊が飛んでいるかのような小さかった音は、徐々に大きくなって行き、やがて轟音へと到達した。地震はおこっていないが、地鳴りを思わせる音を聞いたノアの兵士達は、拠点の入り口が見える林の中で次々に立ち止まる。


「おい! なんだ? 地震? えっ? なんだ? おいって!」


「いや、俺に聞くなよ。なんだ? ええ? 揺れてないよ……うおおっ!」


 木々だけでなく地面が揺れ始めた事で、ノアの兵士達はよろけ、周囲ではなく何故か空を見つめた。林の木々が音の発信源を隠している為、ノアの兵士達は本当の地震だと勘違いしているのだろう。


 ノアの兵士達の中には、近くにあった木にしがみ付いた者も数人おり、恐怖を感じている。能力がいくら高かろうが、自然災害の前にはどうしようもないと、その場の者達は知っているようだ。


 情けなく狼狽えているその場の者達は、誰も局面が変わった事に気付かない。

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