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名無しのエース  作者: 慎之介
五章
54/82

 真っ直ぐに伸びた地平の先から、徐々に顔を出し始めた太陽の光は、木や草の影を伸ばしていく。存在感をはっきりとさせていく太陽とは逆に、まだ目視できている月は、ゆっくりと消えようとしていた。


 外に出ていたカーン達が戻らず、ダリアやイーサン達が死んだ反乱軍にとって絶望的な夜が、明けようとしている。


「うん? なんだ?」


 首都にいる参謀達に朝一番で反乱軍の事を報告したいリアムは、いつも使っているコースから外れていた。その理由は、リアムが逸る気持ちから最短距離を走り抜けようとした為であり、思いつきによる偶然だ。


 直感で人がいると分かり能力を発動したリアムは、自身の思いつきが絶望により歪められた運命の歯車に導かれたものだと知りはしない。


「フォースではない……。セカンドでもないな。奴じゃない。となると……」


 馬の速度を落としたリアムは、荒野の先に見える林を見つめ、無表情なままだが少し目を細めた。


「はひぃ! はひぃ! ひぃ! ひぃ! あああああっ! 嫌だ! はぁ! はぁ! こんなの嫌だ! ひぃ! ひぃ!」


 木々の枝に引っ掛けたせいで服のいたる所が破れているジョージは、追われてもいないのに泣きながら走っている。涙だけでなく、鼻水や唾液でどろどろの顔を情けなく歪めているジョージは、両腕を不規則にばたつかせ、腰を曲げ、両足を左右にぶれさせながら、無様に逃げていた。


 安住の地を失う代わりに仲間からの制裁を受けないジョージは、命もかかっていないのに何故か死に物狂いになっている。嘘がばれた事で自分の犯した罪に押し潰されそうになっているジョージは、決して消す事の出来ない自分の中にある恐怖から逃げようとしているのだ。


 勿論、胸中にあるものからは、たとえ地の果てまで走りきろうが、逃げ切れるわけもない。汗や尿を含めて全身をびしょびしょに濡らしながら走っているジョージは、まともな者には見えない姿になっており、実際に思考もおかしくなっている。


「嫌だ! 嫌だあああぁぁぁ! ひぃ! はひぃ! 助けてくれ! ひぃ! 誰か、僕を! もう、帰れないぃ! 助け……」


 林を抜けて荒野を走っていたジョージが少しだけ顔を上げ、太陽を背にしたリアムの影に気が付いた。


「ひぃぃぃぃぃ!」


 止まるよりも早く両足を縺れされたジョージは、背中を地面にぶつけ、慣性によりリアムがいる方向へと転がる。


「あ……あああっ……ああ……ノア……ああ……」


 リアムが乗る馬の後ろ足手前で泥だらけになったジョージは止まり、うつ伏せの状態から顔を上げていた。都市で暮らしていたジョージは、リアムが着た紺色の軍服を知っており、目に見えるほど早く顔から血の気が引いていく。


 動く事も出来ないジョージを、馬を完全に止めたリアムは無表情のまま見下ろし、頭を回転させていた。空に月と太陽が浮かぶ夜と朝の狭間で、絶望が手繰り寄せた偶然により、出会うはずのなかった二人が出会う。


「嫌だぁぁぁ……。死にたくない……。僕はまだ、死にたくない……。女とキスもした事ないのにぃぃ……。ひいぃぃ……」


 呼吸が落ち着き、上半身を起こしたジョージは立ち上がろうとしたが、腰が抜けて立ち上がることが出来なかった。それにより恐怖が限界を迎えたらしく、顔を気持ち悪いほどぐしゃぐしゃに歪めたジョージは、情けなさすぎる言葉を吐きながら再び泣き始める。


 生まれつき脳のネジが飛んでいるリアムは、人を殺す事を躊躇しない代わりに、ウインス兄弟のように極端な加虐癖も殺人衝動も持っていない。常に冷たい思考で物事を分析してから判断を下すリアムは、ジョージが反乱軍に所属しているという事だけでなく、そこを追われたのではないかと推測していた。


 走りながらジョージの叫んでいた言葉と、目の前に出てからの行動だけで、幾種類かある可能性の中から最もそれらしいものを選べるリアムは、やはり優秀なのだろう。


「落ち着け。殺しはしない。よければ、話を聞かせてはくれないか?」


 わざわざ馬から降りたリアムは、ジョージの目線に合わせる為に、片膝をついて笑顔を作る。


「えっ? はぁはぁ……。殺さない? 僕を助けてくれ……あの、僕を助けて頂けるんですか?」


 反乱軍からあぶれた者であれば、利用できる可能性があると考えているリアムは、殺さないといった。その言葉の責任を取るつもりなどリアムにはなく、価値が無ければ始末しようと考えている。


「ああ。その通りだ。私が、嘘をついているように見えるか?」


 笑顔によっていとも容易く心の隙に入りこまれたジョージは、まだ多少震えてはいるが首を左右に振った。ジョージは自分がダリアを殺した男達に仕掛けた事を、自分が仕掛けられ、まんまとはまったと気が付いていない。


 タイミングがよかったのもあるが、リアムは男達の隙に入り込むのに時間を要したジョージと違い、一瞬で同じ事をやってのけた。それもその心理的な効果を知っている相手に気付かせないのだから、リアムは詐欺師的な意味でもジョージとは役者が違うのだろう。


「まずはそうだな……。服がぼろぼろじゃないか。これを、進呈しよう」


 上等な絹で出来た紺色の軍服を、笑顔を崩していないリアムは鞄から取り出し、ジョージに差し出した。相手の心をからめ取る際に、焦れば失敗につながる事をリアムはよく知っており、いきなり問いただしたりはしない。


「こんな……。いいんですか?」


「ああ。勿論だ。後ろを向いているから、着替えるといい。その服は、気持ちが悪いだろう?」


 傍から見ればなんとも間の抜けた光景だが、異臭がするほど汚れた服だけでなく、下着まで脱いだジョージは、荒野で全裸になっている。急いで下着をつけずにノアの軍服を着たジョージは、服の着心地がよかった事と、自分もノアの一員になった気分を味わい、半笑いになっていた。


「あの……」


「うん。よく似合ってるじゃないか。落ち着けたようだな?」


 頬まで染めているジョージを見て、吐き気を覚えたリアムだが、それを微塵も感じさせない喋り方で情報を聞き出していく。


「なるほど……。つまり、その女は一生懸命に働いたお前に、濡れ衣を着せたわけか……。それで、一人命からがら脱出したわけだな?」


 もう自分でも何が嘘で、どれが真実なのか分からなくなっているジョージは、ケイトの陰謀で反乱軍を追い出されたとリアムに説明した。説明を聞いたリアムにはどの部分が本当で、何が虚言なのかまで分かっているが、敢えて指摘はしない。ジョージが反乱軍についての情報をかなり持っているのだと、リアムには理解できており、昇進に利用できると考えているのだ。


「はい……。もう、行くところが無くなってしまいまして……」


 両手を胸の前で祈る様に組んだジョージから、何度も上目使いの視線を送られ、リアムは吐き気を感じたが情報の為に相手の思惑に乗る事にした。


「なるほど……。もう一つ聞かせてほしい。まだ、ノアを恨んでいるか? それなら……」


「いいえ! 滅相もない。僕が間違えていたんです。都市を出て思い知りました。ノアの方が支配する世界が、平和だと。反乱軍こそ、平和を乱す不届き者達です」


 元々世界の平和などどうでもよく、自分の利益しか考えられないジョージは、ノアに寝返りたいと考えている。たとえ都市から逃げ出した自分を拾ってよくしてくれた反乱軍の者達が、悲惨な目にあおうが自分さえよければジョージはそれでいいのだろう。


 ジョージのそんな浅い人格部分まで見抜いているリアムは、魅力的過ぎる甘い言葉を相手に告げた。


「そうか。私の見込んだ通りの男だな。君は。私達は、平和を乱す反乱軍の情報が欲しい。代わりに、君が望むものを出来る限りになるが、与えようじゃないか。どうだろう?」


 自分でも吐き気がするようなことを喋らなければいけないリアムは、ストレスを溜めているが、出世の為だと我慢している。リアムの笑顔をひきつり始めている事に気が付かないジョージは、どん底から這い上がれる光を見て、心臓を張り裂けそうなほど脈打たせていた。


「あの……。貴族なんていいませんので……。そのぉ、僕はフォースの方と同じに扱っていただけるでしょうか?」


 都市から逃げ出し、反乱軍を混乱させた上に裏切ったジョージは、厚顔無恥ともいえる願いを口にする。


「いいだろう。交渉成立だな」


「はいぃぃぃ! 頑張ります! 誠心誠意で、ノアに尽くします!」


 気持ちがどん底から天国にまで届いたジョージは、フォースとして扱われれば奴隷である女性に色々できると、下心を膨らませていた。ジョージの気持ちが悪い笑顔をそれ以上見ていたくないリアムは、鐙に足をかけて馬にまたがる。


「では、話は首都で聞こう。後ろに乗りなさい。身の安全は、私が保証する」


 リアムに差し出された手を取り、馬に生まれて初めて乗ったジョージは、この世の春といわんばかりの笑顔を朝日の中で作っていた。そんなジョージと違い、奴隷の汚い手で腰を触られているリアムは眉間にしわを作っており、ジョージをとりのがした反乱軍の面々は全員青い顔をしている。


「本当に大丈夫? なんなら、一緒に寝ようか?」


 第三世代の女性とケイトは、自室の扉を開いたオーブリーを心配して、自分達も心労を溜めているのに気遣っていた。仲間二人に背を向けているオーブリーは、少しの間だが動きを止め、振り向いて返事をする。


「大丈夫。一晩寝れば、またいつも通りだから……」


「でも……」


 オーブリーは仲間に笑顔を作って見せたが、目には全く生気がなく、明らかに無理をしている事がケイト達には分かった。


「お願い……。少し一人になりたいの……。自殺なんて、絶対考えないから……。お願い……」


 顔を床に向けたオーブリーの震える声で、ケイトと第三世代の女性は次の言葉を出せなくない。無言になった二人に顔も向けず、オーブリーは自室へと入り、服を着替える事もなくベッドに仰向けに寝転んだ。


「はぁぁぁぁ……」


 ろうそくの火をつけていない暗い部屋で、天井を見つめて息を吐いたオーブリーは、疲労により全身が鉛のように重くなったと感じている。長距離マラソンを終えた後のように疲れ切っているオーブリーは、眠ろうとしているようだが上手くいかない。


「おかしいなぁ……。疲れてるのになぁ……」


 右手の甲を額にあて、焦点の定まらない視線を泳がせているオーブリーに、表情はなかった。何も考えない様にしなければ、発作的にでも自殺を選んでしまう可能性があると、自分でも分かっているのだろう。


 長い間苦難を共にしてきた家族のような仲間達が、一度に四人いなくなったのだから、悲しまない人間などそうはいない。ダリアの死は確実だが、他の三人はまだ生きている可能性がないわけではないと、オーブリーも分かっている。


 だが、厳しい現実にさいなまれ続けてきたオーブリーは、下手に希望を持ってはいけないと知っているのだろう。明日立ち上がる為に眠りたいオーブリーは、無表情のまま何度も寝返りを打ち、頭をからっぽにしようと努力する。


「えっ? あ……え……」


 うつ伏せの状態から仰向けになったオーブリーは、しばらくまた天井を見つめていたが、視界が歪んでいる事に気が付いた。本当に無意識ではあるが、オーブリーの両目からは、涙が絶え間なく流れ出しており、髪や耳を濡らしていく。


 いくら頭で忘れようとしても、胸は鋭い刃物で抉られる様な痛みを発し続けており、それに体が勝手に反応するのだ。


「なんでだろ……。今は、考えたくもないのに……あぁあっ」


 暗闇の中で小さく独り言をつぶやいたオーブリーは、服の裾で涙を拭き取って止めようとしているが、上手くいかない。帰ってこない仲間の中に、この世で最も愛している男性が含まれているのだから、オーブリーの頭は忘れても体が忘れてくれるはずもないのだ。


「涙って……。なかなか枯れないのねぇ……」


 なんとか自分を誤魔化そうと呟いたオーブリーは、つい母親代わりだったセーラが死んだ時の事を思い出してしまう。その時も泣き止めなかったオーブリーだが、無理矢理笑顔を作ったカーンが、肩を抱いて慰めてくれた。


「あ……ああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 ついにカーンの顔を思い出してしまったオーブリーは、悲しみの感情が溢れ出してしまい、どうする事も出来なくなる。


「ひっぐ! ふぅぃぃぃ! うああああああぁぁぁぁ! いやぁ! あああぁ! いやあああああぁぁぁ!」


 枕を力の限り抱きしめたオーブリーは、子供のように泣き叫び、暗闇の先にいるはずもないカーンを求めて手を伸ばす。


 オーブリーの悲痛な声を聞いた絶望は口角を上げたまま、他の者達も苦しんでいるだろうと、目を見開いた。その絶望を喜ばせるには十分なほど、反乱軍の地下にある拠点内にいる者達の心には、闇が充満している。


 オーブリーと同様に眠れない第三世代の男性は、重傷を負った二人の部屋で椅子に座り、険しい顔のまま壁を見つめていた。その双眸が赤く充血しているのは、寝不足や疲れのせいだけではないらしく、コンクリートがむき出しの床に水滴がにじんだ跡が残っている。


 ノアが攻めてきた際に、自分なら時間が稼げると見張りを申し出た第三世代の女性は、一度も泣いていない。しかし、頭を乱暴に掻き毟る回数が増え、一所に留まる事なく歩き回り、悲しみとも怒りともいえる感情を処理しきれてはいないようだ。オーブリーのように人知れず泣いてしまえば、その女性も少しは気がまぎれるのだろうが、そんな悠長な事をいっていられないほど反乱軍は窮地に立っていた。


 それでも泣く事はストレス解消の効果があり、それに頼らざるを得ないものは拠点内に幾人もいる。自室に戻るまで我慢を続けたケイトも、その一人だった。


「ふっ……。うぐぅぅぅ……。ううぅぅぅ……」


 顔を枕に押し付けたケイトは、通風孔から声が漏れるだろうと考え、精一杯鳴き声を抑え込んでいる。悲劇が重なった状況の中で、自分が誰かの負担になってはいけないと懸命に努力するケイトは、それが何よりも苦しい泣き方だと理解していない。


 無理に我慢した悲しみや涙は、胸の奥にあるくぼんだ部分に深く刻み込まれ、精神が病む原因にもなりえる。ノアと戦おうとしている大義を前に、あり得ないジョージ達の悪意に触れてしまったケイトは、なおさら苦しいだろう。


「ううううううぅぅぅぅ……」


 顔につけた枕を両腕で強く抱いたケイトは、反乱軍内だけでなく、世の中すべてが嫌いになってしまいそうな自分自身に絶望しそうになっていた。


 ノアの作った社会を壊すことが出来ても、奴隷だった者達はつまらない事でいさかいを起こす可能性がある。そして、何不自由なく生きてきたフォースの者達は、洗脳されていなくとも、ノアをもう一度作ろうとする可能性は少なくない。


 ノアを壊してしまっては、再び自分達がいた世界のように、勝者のいない戦争が起こるかも知れないと、ケイトは分かってしまったのだ。何をしても明るい未来が無いと答えを出してしまう自分を、ケイトは拒絶したいらしいがそれが出来ていない。


「うううぅぅ! いぃぃ! ううぅぅぅ……」


 自室でもがき続けているケイトが暗い部分に落ちてくる事を、絶望は手ぐすねを引いて待っている。人知では捉えきれない残酷な世界を、普通の人間一人ではいくら足掻こうが、変える事など出来るはずもない。


 小さな現実を一人一人が力を合わせて変えるだけの人数が、今の反乱軍には残っていない。唯一変えられる資質を持ったヤコブも、まだ幼く力の成長が十分ではない為、目の前に迫った闇を払える可能性は低いままだ。


 絶望側の流れに乗っているリアムはいうまでもないが、単独行動を続けていた省吾も今のケイトを支えられる場所にはいない。


「ふぐっ……ううぅぅぅ……」


 口を堅く結んで顔を上げたケイトは、机の上に置かれたろうそくの火を見て、届きはしないが手を伸ばす。火を見るといつも思い出す、強い意志の現れた瞳を持つ男性に、ケイトは無意識に助けてほしいと考えているのだろう。そのケイトの動きが、ふいに止まる。


 反乱軍内で作られたろうそくには不純物が多く含まれており、火の大きさが変化する事は少なくない。いつもより大きく燃える火を見たケイトは、省吾のどんな時も諦めない姿と、必死に頑張るヤコブを思い出す。そして、今まで考えもしなかった答えが突然閃き、動きだけでなく涙をぴたりと止め、目を閉じる。


 現時点の反乱軍では前日の襲撃やダリアの悲劇がなくとも、ノアに対抗するどころか、フィフス一人とも対等に渡り合えない。奴隷となっている者達を決起させて大人数で戦えば、勝機はあるかも知れないが、フォースだけでなくフィフスを大勢抱えたノアに勝てるはずもないのだ。


 ファーストからサードまでの戦力を、どう掻き集めても勝てない中で、ヤコブは勝機があるとケイトにいった。大部隊に省吾が加わればとケイトは取っていたが、その解釈で正しいのかと考え始めたのだ。


 元居た時代では、フォースの足元にも及ばない程度の力しかなかった省吾だが、それでもルークを倒して見せている。更に、未来の世界で最強の一角を崩し、ケイトと同レベルの敵兵士達を、すでに一対多で百人以上は撃破していた。


「そんな……それじゃあ……」


 腫れて充血した両目を手で擦ったケイトは、うつ伏せに寝ていたベッドから起き上がり、椅子に座る。際限がないとさえ思える省吾の強さのみで、ヤコブ達はノアに対抗しようとしているのではないかと、ケイトは手をふるわせて口元を押さえた。


 反乱軍とは省吾の補助をするだけでなく、ノアが無くなった世界を正しく導く為に作られた可能性が高いと、ケイトは答えを出したらしい。


 もしそれが成し得たとしても、圧倒的な戦力を持ったノアに戦いを挑めば、省吾が無事で済むはずはないと、ケイトには分かっている。そして、兵士として真っ先に死ぬのが自分の仕事だといい切った省吾なら、それを知っていても止めないだろうとも理解したようだ。


「こんなの……こんなの……。お母さん……私は……どうすればいいの?」


 世界と愛する者を天秤にかける事になるのだと答えを出し、ヤコブが自分だけに話し掛けた理由がケイトはやっと推測できた。ノアの無くなった世界で、正しい道徳や様々な知識を持った時間介入組の者は、導く側に回らなければいけない。その中で省吾の死で絶望に飲みこまれる可能性が一番高いのは、想いを寄せるケイトなのだ。


 ケイトにヤコブから伝えられたのは、驚くほど遠まわしではあるが、生きて欲しいというメッセージだった。省吾の本質を超能力者特有の勘で感じ取っているケイトは、自分と二人で逃げようなどといっても無駄だと理解している。そして、自分が共に死ぬ事も省吾は望まないだろうと、いとも容易く答えに辿りつけてしまった。


 何よりも、今まで自分の人生を捨ててまで時間介入をしてきたケイトが、求めていた平和の邪魔など出来るはずもない。どうにかして別の答えを出そうとしていたケイトだが、考えれば考えるだけ不可能とより分かるだけだ。


「はぁぁぁぁ……。これが……神様に逆らってまで平和にしようとした……私への罰ですか?」


 椅子に座って天井に顔を向けたケイトは、全身を脱力させ、両腕をだらりとたれ、口がだらしなく半開きになっている。元々綺麗な作りをしていたケイトの顔から表情が消え、本物の人形にしか見えなくなった。


 焦点の合っていないケイトの目は、ほとんど瞬きもせず、気力が完全に失われたとしか思えない。ついに落ちたと絶望が笑おうとした時、ケイトだけでなく他の三人にも、示し合わせたかのように突然目の強さが戻っていく。


「そう……運命なんですね? なら、分かりました。でも、ただで受け入れるつもりはありません。抗います。命懸けで……」


 全身に抜いていた力を戻したケイトは、両手で自分の頬が真っ赤になるほど強く叩き、気合を入れた。省吾とは強さも種類も違うかも知れないが、時間介入をすると決めた時からケイト達も、覚悟を決めている。時間介入をしていた時に味わった、数え切れないほどの悲しい事や辛い事は、ケイト達を強くしていた。


 何もかもを捨てるだけの勇気を持った者が、英雄と呼ばれた者を脅かした事例も、歴史では珍しくない。四人それぞれを最後に支えたものは別々だが、形がない言葉だったのは、運命の作り出した偶然なのだろう。ケイトは信じろといった省吾の言葉であり、オーブリーは平和な世界を目指そうといったカーンの言葉だ。


 別々に立ち上がる気力を回復させたケイト達や、現時点でも十分すぎるほどの窮地に立たされている反乱軍の面々は知らないが、ジョージによって事態が悪化の一途をたどっていると知りはしない。首都でリアムによって心を縛られたジョージは、反乱軍の情報を余すことなくノアに伝えており、ケイト達は崖の際まで追い込まれようとしている。


 人間がいくら足掻こうとも、絶望が作り出した蜘蛛の巣は、狡猾にして残酷であり、逃げられない。そんな事は百も承知といわんばかりのケイト達は、三時間ほどの仮眠を取り、動ける四人でケイトの部屋に集合しスクラムを組んだ。


「分かっているわね? ここが正念場よ」


 気力を取り戻したオーブリーの言葉に、他三人はうなずき、両腕にこめた力を強くしていく。


「いいですね? 平和は目の前ですが、そこに行きつくのに……。私達は命を捨てる必要があります」


 ケイトの言葉に瞳から怯えを見せた者はおらず、それぞれが窮鼠を思わせる眼光を放っている。


「やりましょう! 私達は、その為に生きてきたんです! 平和の為に!」


 防音がされているケイトの部屋で、スクラムを組んだまま魂からの声で叫んだ四人は、それぞれがやるべき事をする為に部屋を出る。


 反乱軍内はまだ暗い雰囲気が消えておらず、寝不足等の理由で顔色が優れない者も多かった。しかし、ノアがいつ攻めてくるかもわからない状態で、準備をしない訳にも行かず、皆慌ただしく動いている。


 反乱軍の拠点はその場所だけでなく、他に下水道を改造した場所や、地下街を改造した場所などもあったが、移動はしないようだ。


「これも中に運び込みますか?」


「ん? おお。そうだ。頼めるか?」


 保存のきく食料が入った袋を肩に担いだケイトは、班長である男性にうなずいて、後ろをついていく。壁に取り付けられたろうそく台が点々と続く通路を、ケイトだけでなく大勢の者が奥に進むか、或いは引き返してくる。


 今居る場所から更に地下へと向かう階段を下りたケイトは、分厚い金属で出来た扉の先にある大きなフロアに入った。そして、厨房と食堂になっている場所の隣にある食料庫へ、重い袋を下し、元居た場所へと戻っていく。


 ケイトが食料を運び込んだ場所こそ、反乱軍が拠点を作った理由そのものであり、最終手段だ。大戦中にまだ戦う力が残っていた国連は、最大級のシェルターをその地下鉄の駅に作っていた。核爆発にも耐えられるように作られた地下のドームは、元々数千人が避難する為の場所であり、反乱軍全員が入っても十分すぎるほどの広さがある。


 いつノアが襲ってくるかも分からない状況で、下手に逃げ回るよりはシェルターを使おうと、ヤコブは決断したらしい。閉じこもるだけではどうしようもなくなってしまう為、反乱軍の者達は非戦闘員だけでもシェルターを使って生き延びさせようとしているのだ。


 超能力の前に、そのシェルターがどれほど堪えきれるかは分からないが、もしかすれば敵が見つけられない事もあるだろうと、ヤコブ達は考えている。敵にジョージが情報を漏らした事で、その可能性はなくなっているが、最悪の場合でも戦闘をする者達より、閉じこもる者達は少しだけ長生き出来るだろう。


 各地から集めた燃料や食料を、いつも使っている部屋から、反乱軍に所属した者達はシェルター内へ移していく。また、日ごろ使っていなかった発電機等のシェルター内設備を、機器に詳しい者がメンテナンスしていった。


「で? どうするんだ? 流石に能力で運ぶにしても、限界はあるぞ?」


「大丈夫。考えてある。もうすぐ、道具が届くから」


 反乱軍が拠点を作った地下鉄から少し離れた場所には、昔文明があった頃に作られたため池がある。そのため池を起点に地形が変化し、深さも水量も多い川が出来ており、反乱軍の者達を支えていた。


 シェルターに長期間隠れなければいけない可能性もあり、第三世代の男性と他数人は地上に出て川岸に向かい、川の水を拠点内へと運ぼうとしている。


「待たせたな。シェルター内の準備は出来た。後は、引きこむだけだ」


 シェルター内にはすでに水を蓄えるタンクの準備がされており、そこへつながっているであろう大きな蛇腹のホースを、反乱軍の男性が川岸まで引っ張ってくる。


 地下まで引かれているホースを見た第三世代の男性は、川周辺に高低差がなく、ポンプの動力もない事で、眉間にしわを作った。それは、どう考えてもホースを川に入れただけでは、水が拠点内まで届かないと分かっているからだ。


「なぁ……。これで、どうするんだ?」


 問いかけられた男性達は、靴を脱ぐだけでなくズボンもひざ部分までめくり、川の中へ入ろうとしていた。


「なんの為に、この人数がいるんだよ。能力で水を流し込むんだ」


 第三世代の男性は非効率的だと考えて頬を指で掻いたが、それ以外に方法がないのだろうと諦め、靴を脱ぎ始める。


 それと同じ頃、シェルターとは全く関係ない場所で両手を発光させているオーブリーは、ヤコブに視線を向けた。


「ここで、いいのね?」


「ええ。思い切り崩してください。地上側は、すでに処理してあります」


 ヤコブからの返事を聞いたオーブリーは、隣に並んだ者達とうなずき合って、天井のひびが入った部分へサイコキネシスの力をぶつける。


「危ないわ! 離れて!」


 ひびが大きくなったコンクリートは、重さに耐えきれなくなり、端からどんどんと崩落していく。どうなるかが分かっていたオーブリー達は、粉塵を吸い込み過ぎない様に布で口元を覆っており、崩落に巻き込まれない様に素早く逃げる。


 ヤコブと古株の男性が指示をしているのは、地下の無駄な出入り口や通路をふさぐ作業だった。人数の減った反乱軍では、全ての出入り口や通路に人員を配置する事は不可能である為、最低限を残して潰すと決めたらしい。地下へノアの兵士が侵入してきては、どうしようもなくなる可能性が高く、その決定に反対する者はいなかった。


「ここはこれでいいわね? 次は?」


 離れた位置で潰れていく通路を見ていたオーブリーは、轟音がおさまると同時に耳をふさいでいた手を下し、古株の男性に近付く。男性は班長だけが持つ事を許された地下の見取り図を広げ、オーブリーの差し出したランタンの光で確認を始めた。


 元々駅員が使っていた物に加筆した見取り図は、読むのに苦労するほどごちゃごちゃで、加筆した本人以外は分かり難い。指示を待つしかない黄色い作業用ヘルメットをかぶったオーブリーは、図ではなく目を細めている男性を見つめている。


「よし……。ええ……ここだ。次は、ここを潰そう。少し戻って、左手に進んだところに潰しやすい場所があったはずだ」


「了解。行きましょう」


 ほぼ休息無しで行われた反乱軍の拠点改造は、三十四時間ほどで完了し、その間ノアは攻めてこなかった。出来る事をすべて終えた反乱軍の面々は、元々二十四時間体制だった見張りを強化したが、手の空いている者は時間を全て休息に回す。いつ敵が襲ってくるかもわからない生殺しの状況で、皆精神をすり減らしていくが、自分達から動く事は出来ない。


 三日目の朝を迎えた所で、反乱軍内の幾人かはこのまま襲われずに済むのではないかと考えたが、そんな都合のいい事は起こるはずもなかった。


「来た! 来たぞおおおぉぉ!」


 正午を迎える数時間前に、見張りをしていた男性は、声だけでなくテレパシーも使い、仲間へ危険を知らせる。


「この子の事は……任せたぞ」


 シェルター内で、お腹が大きくなっている女性の隣に座っていた男性は、その女性の腹を撫でる。目に涙をためた女性は、震わせている口から言葉がうまく出ないらしく、夫である男性の手を握った。


「じゃあ、行ってくる」


 笑顔で妻の手を優しく振りほどいた男性は、死を覚悟して拠点の出入り口へと向かって、走り出す。


 シェルター内からは、幾つものすすり泣く声が聞こえているが、騒ぎ出す者は一人もいなかった。反乱軍に所属した時から、今目の前に迫っている最悪の事態を、全員が覚悟をしていたのだろう。


「あれは……」


 まだ身を隠したままだが、仲間と能力を組み合わせ、土煙の上がっている方向を確認していたケイトは、唇を噛む。馬に乗った七十人ほどのノア兵士の中に、反乱軍から逃げ出したジョージの姿があったからだ。


 馬を操れないジョージは、兵士の後ろに乗っているが、周りの者に得意げに反乱軍内部の情報を喋っていた。それによりシェルターの事まで、敵が知っているだろうとケイト達は分かり、皆一様に怒りを覚える。


「くそっ! あの……野郎ぉ……」


「どうすりゃいいんだ……。くそ、くそ、くそ……」


 逃げ出したくなるような状況で、少しだけ救いになるのは、重症だった第三世代の男性が、怪我をおして戦闘に参加した事だ。それでも情報が筒抜けている上で、七十人もの敵に、二十人そこそこのサードと、ケイト達だけでは、ほぼ勝ち目がない。


「ふぅぅ……。こうなっては、相手の隙を突くしかありません。皆さん……いいですね?」


「ああ。やろう……。やるしかない」


 ケイト達は拠点の出入り口ではなく、川原に近い森の中で身を潜め、敵を待ち伏せしようとしている。


 出入り口周辺は林になっており、いつもヤコブが予知をしている巨石のある丘も近くにあり、そこから川を挟んで森になっていた。その先に雑草がまばらに生える荒野が続き、現在ノアの兵士達はその荒野を馬で、真っ直ぐに進んでいる。


 森の一番高い木の枝に座っている絶望は、ケイト達の無残な最期を想像して、笑顔を作っていた。ケイトを含めた人間達には気付けないようだが、運命と違って絶望という字名を持ったそれは、どんどんと存在がはっきりしてきている。絶望とは本来人間の中にある感情であり、ケイト達を見つめているものの事はささないのだが、間違いなくそれは絶望と呼ばれていた。


 具現化するのではないかと思えるほど、確実にその世界へ干渉を始めているそれは、省吾の勘があれば位置を掴める可能性がある。だからといって、超自然現象と類似したそれに、人間である以上省吾でも勝てる見込みは今の所ないだろう。その超常的な力を持つ絶望がゆがめた現実で、ケイト達に運など向いてくるはずもない。


 馬を森の端につないだノアの兵士達は、等間隔で扇のように三列並ぶと、それぞれがフォロー出来る状態で、森へと進行する。更に、能力で常時索敵を行い、ケイト達が奇襲をかける隙を与えなかった。


 ケイト達時間介入組の者は、全身にめぐらせたサイコガードで索敵にかかってはいないが、下手に動けない。攻撃に転じれば、その瞬間に見つかり、追い立てられることになるだろう。サードの者達も時間介入組の指導により、うまく索敵を受け流してはいるが、それが精一杯だ。


 テレパシーも使えない為、アイコンタクトだけで仲間に合図を送ったケイトは、省吾もかつて山岳部でダメージを受けた精神波の力を溜める。サイコガードで敵の索敵を受け流しつつ、能力を溜められるケイトの練度は、かなり高いのだろう。


 精神波で敵をひるませ、奇襲をかけて離脱を繰り返せば、多少なりとも敵を減らせたかもしれない。しかし、ケイトの能力が十分に溜まりきる前に、ノアの兵士がにやりと笑い、木々をなぎ倒すほどの力を放出する。サードの一人が恐怖から集中力を乱し、索敵にかかってしまったのだ。


「いけない! 防御を!」


 仲間が殺されるのを見過ごすこともできないケイトは、溜めていた精神波を放ち、目くらましとして使ってしまう。それによって殺されそうになっていたサードの仲間は助かったが、味方の位置が敵に発見されてしまう。


 ノアの兵士はサイコガードを展開していないため、精神波でも目眩を起こしたが、セカンドのように気絶はしない。すぐに体勢を立て直し、反乱軍の者を殺そうと、体の色々な部位を発光させ、走り出していく。


 怪我をしたサードの仲間を抱えた反乱軍は、奇襲に失敗しただけで総崩れとなり、能力で防御しているが川岸まで押しやられていく。逃げながら時間介入組の五人が放った攻撃で、ノア兵士が幾人か怪我をしたようだが、戦闘不能にまでは至っていない。相手も全員がフォースであり、来るとわかっている攻撃は、防御できるのだ。


 扇のように広がっていた兵士達は、陣形を徐々に狭めて半円状にし、ケイト達を取り囲んでいく。川を最終防衛ラインと決めていたケイト達だが、戦闘開始わずか数分ほどで、川辺まで追い詰められた。


 サードの仲間達をケイト達が囲み、飛んでくる様々な能力を防いではいるが、破られるのも時間の問題だ。例え死ぬつもりで特攻をしても、仲間が誰も助からないほどの窮地に、ケイト達は追い込まれた。

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