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名無しのエース  作者: 慎之介
五章
53/82

 今がどん底だから、後は這い上がるだけだし頑張ろうと、頼もしく思える程前向きな発言をする者がいた。失敗や間違いを犯す人間にこの気持ちは大切なものであり、その境地に達した者の中には裸一貫で上り詰めた者もいる。


 ただし、気を付けなければいけないのは、不幸が重なるという言葉が存在する事実だろう。小さな事であれば気の持ちようである事が多いが、運に見放されたとしか思えない状態は、確かに存在する。


 そこで人生が終わらないならば、幾度でもやり直せばいい話ではあるが、死にゆく者であれば話が違う。絶望は時として、どうしようもない残酷な現実を連れてくることがあり、脆弱な人間ではそれをどうしする事も出来ない。自分がいる場所をどん底だと勝手に勘違いして気を抜くと、明るい未来へとたどり着けない事もある。


 大よそ物理法則も含め、重力内にいる人間は高い場所に昇るよりも、低い場所へ落ちる方が早い。落下中の者が口先だけで、今がどん底だから這い上がろうなどといえば、絶望を喜ばせるだけだ。だからこそ、戦場で苦汁を飲み続けた省吾は隙を見せない様にしているのだが、反乱軍の中でそれを十分に理解している者は少ない。


 ケイトを含めた時間介入組の者達は戦場を生き抜いており、それをよく知っているはずだった。だが、忘却を消す事の出来ない人間は、衝撃的な事があれば心に隙を作り、真っ黒な存在に魅入られる。


 カーンの事ばかりを考えているオーブリーも、仲間を救いきれなかったケイトも、隙だらけだ。姉のような存在である女性を心配し過ぎている男性や、イーサンと手を握り合っているダリアも、歩み寄ってきた絶望に注意が向かない。


「えっ? あ?」


 反乱軍の者達が大勢佇んでいたホームで、誰かに背後から押されたダリアは、体を少しだけ揺らした。


「ダリア? どうかしたのか?」


 自分の背後ではなく腹部を見て動きを止めたダリアに、恋人であるイーサンは質問をする。大勢の人が集まっている中で、押されたからといってダリアが怒った訳ではなく、他の異常を感じ取ったのだ。


「え? あれ? えっ? 何? 熱い?」


 衝撃を受けたのは背中だが、腹部までから熱を感じたダリアは、下に向けた顔を傾けた。


「あれ? ちょっ……これ……なんで? あの……痛い……痛いよ。イーサン……」


 自分に起こった事態が全く理解できていないダリアは、遅れて襲ってきた激しい痛みに顔を歪ませて脂汗を流す。


「は? えっ? どうしたんだよ? 大丈夫か?」


 腹痛でも起こしたのかなどと呑気に考えたイーサンが、その時ダリアの身に何が起こったかが分かっていれば、結果は変わっていただろう。ダリアの声を聞いて顔を向けた周囲の者もいたが、あり得ないという思い込みにより、すぐに現実は受け入れられない。


 訳の分からない痛みで恐怖に囚われたダリアは、動くことも出来なかったが、背後から男数人が近づいた所でもう一度体を揺らした。


「何? こ……れ?」


 背中に燃えるような熱を感じたダリアは、足腰が急激に力を失い、床に向かって顔面から倒れ込んだ。鈍い音を周囲に響かせたダリアは、自分が受けている苦痛の理由も分からず、恐怖を恋人に訴えかけようとした。しかし、声を出せる力すら残っていなかったようで、倒れたまま口をぱくぱくと開閉しているだけに見える。


「えっ? あ……え? ダリア?」


 恋人の握っていた手がするりと零れ落ちたイーサンは、ただ事ではないと分かっているようだが、すぐに動き出すことが出来ない。周囲も倒れたダリアと、背中から幾本も生えている何かの柄を、不思議そうに見つめたまま動きを止めている。


「ダリ……ア? えっ? なん……えっ? あの、これ……」


 ダリアの頭元にしゃがんだイーサンは、そこで初めて恋人の背にナイフが刺さっていると理解したようだ。状況が分かってもイーサンの脳はそれを受け入れられず、ジョージが作った繭から出てきた男達とダリアを、交互に忙しなく見ている。ノアの襲撃を切っ掛けとして、反乱軍拠点内が騒々しくなり、我慢できなくなって出てきた男達は、手から赤い液体をしたたらせていた。


 省吾は背後からの襲撃を常に想定しているだけでなく、死角から攻撃されたとしても勘だけで回避してしまえる。それは省吾が野生の獣顔負けといえるほど神経をとがらせている為であり、直感に優れている能力者達でもまねできる者は少ない。


 銃弾すら回避できるダリアでも、仲間しかいないと思っている背後に神経を集中するのは難しく、背中は隙だらけだった。更に、ノアの襲撃で重傷を負った仲間を見て動揺した状態だったのだから、なおの事タイミングが最悪だったといえるだろう。


 ジョージの洗脳によって、被害妄想に近い他人への恐怖を刷り込まれた繭の中の男達は、部屋を出る際に身近にあった果物ナイフ等を握った。そして、イーサンと手をつないだままのダリアを見て、脳の線が切れてしまい、自分が握った刃物を隙だらけの背中に向けたのだ。偶然とも必然ともいえる不幸が重なったそれは、絶望が運んできたのだろう。


「きゃあああああああぁぁぁ!」


 床にダリアの体から流れ出す血が描き出す模様を見て、やっと一人の女性が悲鳴を上げてケイト達もそちらへと目を向ける。


「何? どうしたの? 敵?」


 反射的に時間介入組の者達が行ったのは、その場面では間が抜けているようにも思える、敵の探索だった。ケイト達には仲間同士で大事件が起こっているなどと考えられないのだから、仕方がない事だろう。


「ダリア! ダリア! しっかり! しっか……えっ?」


 膝を赤く染めたイーサンは恋人の肩に手を置いてゆすり、何かを呟いているとやっと気が付いた。


「いや……イー……サンと……もっと……私……怖……い……」


 恋人に自分の恐怖を伝えたダリアの体から、わずかに残っていた力が抜け、目蓋も閉じていない目の瞳孔が開く。第二世代の者達と苦しい訓練を耐え、時間介入という戦いに挑んだダリアだが、呆気なくこの世を去ってしまった。


 どんなに大きな運命を背負った偉人だったとしても、ふいに襲い掛かってくる終わりに、抗うのは難しい。第三次世界大戦中の戦火や階段から足を滑らせる等様々だが、ダリアのように全く関係ない事で死んだ者も、時間介入者の中には幾人もいる。


 今のところ時間介入組の中でも、省吾と死闘を演じたルークは、一番派手な最期を迎えた者といえるだろう。


「うわああぁぁ!」


「ひっ! なんなのよおおぉぉ!」


 ダリアの最後を見た周囲の人間達が感じたのは恐怖であり、反応は大きく二種類に分かれた。自分の身を安全な場所に移そうと逃げる者達と、表情を強張らせたまま立ち尽くす者達だ。


 逃げる者達の逃げる方向や距離には違いがあり、立ったままの者も心境はそれぞれだが、ケイト達に事件が起きた場所を教える事は出来たらしい。


「嘘でしょ? 何よ? これ?」


 ダリアの手当てをしようと動き始めたケイトと違い、オーブリーはその場に座り込み、眼球を小刻みに痙攣させている。愛する者だけでなく、妹のようなダリアまで奪われたと感じたオーブリーは、一番絶望に飲みこまれているのだ。


「そんな……嘘……だ。なあ……。おい? ダリア? ダリア? なあって……」


 ダリアの口元から自分の耳を離したイーサンは、全く動かなくなった血で赤くなっている恋人の手を取った。そして、その手に頬ずりをしながら、笑っているようにも泣いているようにも見える顔で、喋りかけている。


 脳を含めた体中の細胞が見る間に死んでいくダリアは、愛しいはずの恋人にしたくても返事が出来ない。人間という生物としての生命活動をダリアは終了してしまったのだから、どうしようもない事だ。


「ひへへっ……。全部、お前が悪いんだ……。これは、正義なんだ……」


 人間として大事な部分をジョージに壊された笑う男達は、ほとんど周囲に聞こえないほど小さな声で、呟き続ける。


「くそっ……。なんでこうなるんだ?」


 危険を感じてその場から逃れ、少し離れた線路の上から状況を見つめていたジョージは、喉の奥から絞り出すように震えた声を出す。


 ジョージは、ダリアとイーサンの関係を妬み、洗脳した者達で修復できないほど引き裂こうと考えていた。しかし、イーサンは反乱軍から追い出すか殺そうとしていたが、ダリアは将来的に自分の物にしようと計画していたのだ。つまり、予期せぬ異常事態で繭から男達が勝手に出てきてしまい、ジョージの計画は破たんしてしまった。


 ジョージが考えた計画や方法は、目的に対して間違えていたとはいえないが、決定的に足りないものがある。それは、先を予測する事や、リスクを計算する事等の、知恵と呼ばれるジョージ自身の能力だ。


 ジョージはリアムと同じ反乱軍の害となる流れではあるが、小物過ぎてヤコブは注意を払えなかった。リアムがもしジョージの立場で同じ目的を目指せば、いつ破たんしてもおかしくない穴だらけの計画など、立てる事はないだろう。ノアに所属するリアムが省吾の敵である以上、能力の高い事は厄介でしかないが、ジョージとはあらゆる面で格が違うのだ。


「どうしよう……どうしよう……。いや……。そうだ。ばれなければ、いいだけじゃないか。そうだよ……」


 事態の一局面しか見る事の出来ないジョージは、少し調べれば自分の存在が浮かび上がると考えられない。


「僕が、この優秀な頭で何日もかけて考えた計画だ……。まだ、いける……」


 嘘をついて目の前にある事態を乗り切れば、自分の思い通りにいくと、ジョージは本気で思っているらしく口角を上げた。リアムによって反乱軍そのものが危機に陥っている事を、ジョージの脳は都合のよく忘れているようだ。


 だからといって、ジョージの頭が極端に悪いわけではなく、窮地に立った者が本来持っている頭の回転を悪くしてしまうのは、よくある事だろう。逆に追い詰められて閃く者もいるが、ほぼすべての事に能力を落とす事なくあたる、リアムや省吾の方が異端ではある。


「へへっ……。そうだ。僕が、こんな所で終わるはずないんだ。僕は……」


 ジョージの思考をもっとも狂わせ始めているのは、半端に持っている良心が原因であるダリアの死による罪悪感だ。一般人にしては大きすぎる野望と悪意だけでなく、普通の者よりは小さな良心をジョージは持っている。


 いっその事、その極端に小さな良心が無ければ、ジョージは悪い方向で大成できたかもしれない。しかし、中途半端な黒と白を心に抱えたジョージの分は、小悪党程度がいい所なのだろう。


 ノアが支配した世界で自分の分をわきまえていないジョージは、その小悪党にもなれず、最悪の方向へと人生が転がっていく。己は何も間違えておらず、悪くないと自分を騙そうとするジョージに、悪い流れを止める力はない。


「お前……お前えええぇぇぇ! 何してるんだあああぁぁぁ!」


 ケイトからダリアの死亡を告げられたイーサンは、座ったまま全身のいたるところを痙攣させていた。だが、ダリアを殺した男たちの一人が、もう二度と動いてくれない恋人の体に唾を吐きかけた事で、脳にあるネジがすべて外れてしまう。


「待って下さい! 駄目です! 貴方はサードで……」


 イーサンの怒りが十分に理解できているケイトは、説得を試みようとしたが強い力で、ホームから弾き飛ばされた。


 重症の仲間を直接治療しただけでなく、最後を看取ったケイトはすでに精神的には、ぼろぼろもいい所だ。それでも更なる悲劇を避ける為に、自分に出来る精一杯でダリアと愛し合ったイーサンを止めようとした。


 時間介入組の中でセーラに一番早く拾われたケイトは、苦しくても先頭に立つのが自分の役目だと自覚している。自分の痛む心を後回しにしたケイトは懸命に現実に立ち向かおうとしたのだが、絶望に支配された空間はそんなケイトをあざ笑う。


「許さない! 絶対にいいぃぃぃ!」


 鬼のような形相のイーサンは、涙を絶え間なく流しながら、全身を眩しいほど発光させる。


「んっ! ひぐっ!」


 イーサンの作った衝撃波によって壁に叩きつけられたケイトは、能力でダメージをほとんど消す事には成功した。だが、後頭部と背中をコンクリート製の壁にぶつけ、短い間ではあるが行動不能になってしまう。


「いけない! 止めるんだ!」


 ノアの兵士が来る可能性がある危険な状況で、仲間数人に守られながら予知をする為に外に出ていたヤコブは、地下への入り口に向かって走り出した。ジョージにとっても予想外だったことを、ヤコブはなんとか読み取り、絶望に立ち向かおうとしている。


 イーサンの近くにヤコブか、護衛として一緒に外へ出ていた班長達がいれば、事態は変えられただろう。それでも現実が非常であり、地上への出入り口とホームまでの距離が、最悪の結末に結びつく。ホームにいる怪我や心神喪失状態で時間介入組の者達が動けない中で、すでに全てが手遅れとなった。


「うわあああぁぁぁ!」


 ダリアを見て立ち尽くしていた者達が、輝いているイーサンを見て、我先にとその場から泡を食って逃げ出していく。イーサンの近くに残ったのは、自分が見た事さえまともに判断出来なくなっている、ジョージの傀儡達だけだ。


「うへっ……ひひっ……お前だ。お前達が悪いんだ。そうだ、全部お前達のせいだ……」


 愛する者を奪った不気味な薄笑いを浮かべる男達に、イーサンは激しい怒りの表情と両掌を向ける。


「うがああああああぁぁぁぁぁぁぁ!」


 怒りに全身が支配されたイーサンは、その激しい感情全てを憎い者達へ向けて解放した。我を忘れているイーサンは、それがどのような結果になるか判断出来なくなっているようだ。


「がっ! あああぁぁぁ!」


「ひぃぃ! う……がっ!」


 ケイトが上半身を起こして首を左右に振っている頃、反対に位置する線路側の壁に、正気を失った男達がぶつかった。まともでなくなっていた男達は、能力でイーサンの攻撃を防がないどころか、受け身すらとらない。


 高速でコンクリートに直撃した男達は、ひびが入って汚れた壁に彼岸花を思い出させる、大きな赤い模様を作った。そして、原形を留めないほど姿を変えた男達は、ずるずると線路だった場所に落ちて行く。


「こんなの……ないよ……。こんなのって……」


 線路側からホームを見つめたケイトは、泣き出しそうなほど顔を歪め、悲劇を止められなかった自信を悔やむ。


「う……ああ……。ごほっ! ごほっ!」


「だ……れ……誰かぁ! あの! きゅ……救護班の人を!」


 先程ケイトが治療を行い、生きるか死ぬかの瀬戸際にいる女性と似た力を使ったイーサンは、サードでしかなくフォースのように能力コントロールがうまくない。全身から出した衝撃も技として完成しているものではなく、サイコキネシスの力を無制御に放出しただけだ。


 当然ではあるが、その力にはジョージに狂わされた男達だけでなく、周りにいた者全てが巻き込まれた。近くにいて無傷で済んでいるのは、第三世代の男性が作った光の膜に守られたオーブリーと、怪我をして泣いていた男性と、膜を作った本人ぐらいだ。


 光の膜を作った男性はケイトのようにダリアに近付いておらず、イーサンを止めるのが間に合わないと判断して仲間だけでもと守りに徹していた。イーサン達から距離を取っていた者は無事で済んでいるが、逃げている最中だった者は、幾人も怪我をしている。


「いてぇぇ……くう……ううぅ……」


 担架に乗せられて移動した瀕死の女性に付き添った救護班の女性が、声を聞いて急いでホームへと戻っていく。


「うっ!」


 救護班の者だけでなく、拠点内部にいた者の幾人かもホームに出たが、信じられない光景を見て絶句しながら唾液を飲み込む。息を切らせて戻ってきた救護班の者達も、状況を知ろうとして、無事な者を探して首を激しく左右に振っていた。


「こりゃ……何があったんだ? まさか、敵が?」


 ホームは治療を受けた時間介入組の二人が流したものと、ダリアの作った血だまりがイーサンの力で広げられ、いたる所が赤く染まっている。そして、イーサンによって作られた怪我人がうめき声をあげており、地獄ではないかと思えるほどの姿に変わっていた。


「あ……あ……。ダリ……ア……。ダリ……」


 目から液体を流しながら、自分で吹き飛ばしてしまったダリアに向かってゆっくりと歩くイーサンを見て、周囲の者は顔をしかめる。サードでしかないイーサンは能力を暴走させてしまい、数え切れないほど皮膚が引き裂けて、全身から血を流しているのだ。


 そのイーサンが目から流しているのは、涙といえなくもないが、透明ではなく全身と同じ赤だった。両手を伸ばしてふらふらとよろめきながら歩いたイーサンは、ホームの柱に引っかかったダリアの前で力尽き、倒れてしまった。


 少し前まで幸せの絶頂期にいたはずの恋人達は、血塗れで折り重なって横たわり、人生を終えたのだ。全てを見ていたオーブリーは、何に悲しんでいいかも分からないほど混乱しているが、我慢していた涙が頬を伝っていく。


「イーサン……」


 逆にケイトは口を押えて涙を堪え、怪我人の治療をしなければいけないと歯を食いしばり、立ち上がった。恋愛の事となると途端に弱くなるケイトだが、今まで仲間を引っ張って来たのは彼女であり、芯はオーブリーよりも強い。省吾の元いた時代で仲間の為に銃を愛する者に向けられたのも、ケイトの奥底に強さがあったればこそだろう。


「ぐっ! 遅……かった……」


 遅れて地上から戻ってきたヤコブは、凄惨な光景を見て眉間に深いしわを作り、悔しそうに唇を強く噛む。


「はぁはぁ……何があった? おい! 誰か! 報告を!」


 ヤコブについていた班長達は、イーサンから距離をとっていたおかげで無傷の者から、状況を聞いていく。


「はぁ? なんだ、それは?」


「いや……。俺に聞かれても……。俺達も訳が分からないんだよ。ダリアさんが突然倒れて……なあ?」


 仲間からそれぞれ報告を聞いた班長達は、目を白黒させて各々が別々の混乱を、体で表現している。


 予知によって大よそがすでに理解できているヤコブは、ジャケットのポケットに両手を入れ、悔しさを紛らわせるために強く握っていた。ジョージと違い、ガブリエラや班長達に育てられたヤコブは、正しい常識を持っているようだ。


「あれ? おかしいな……。僕の予想が外れるなんて……」


 ケイトが傷心により弱るだろうと予想していたジョージは、その隙に付け込んで距離を縮めようと考えた。しかし、怪我人の治療をするケイトは、真剣な顔を崩さずに黙々と仕事を続けており、ジョージに隙など見せない。


 悲しむよりも先に重症の者を治療しなければいけないと、ケイトは悲しみを奥に押し込んで頑張っているのだが、ジョージにそれは読み解けないようだ。


「こんな時に……なんて事だ……。くそ……」


 状況確認を終え、怪我人を運ぶ手伝いなどをし始めた班長達は、全員が渋い表情を作っている。ノアが再び反乱軍への攻撃を開始した中で、戦力を大幅に削がれてしまった為に、どうすればいいかと考えているのだ。


 未帰還の者と、イーサンの件で戦闘不能になった者を合わせると、反乱軍全体の四割以上になる。反乱軍の人数が半数以上残っているといっても、その中にはレベルが低く等の理由で戦えない者もおり、実際の戦闘は三割強で行わなければいけない。


 戦闘要員となる反乱軍の者は、ほとんどがサードであり、数で勝りでもしなければ、フォースの敵に勝つ見込みは少ないだろう。ヤコブ達は銃火器も準備はしているが、省吾のように能力をのせられる者はおらず、効果的には使えない。


「はぁぁ……。あ、ごめんなさい。違うのよ」


 治療を続けるケイトを見て、女性である班長の一人は、少し大きな溜め息を漏らしてしまい、急いで謝罪した。その女性が考えたのは、主戦力となるはずだった時間介入組の者が多数未帰還と戦闘不能になっている事だ。


 時間介入組の者達は、元々十人しかいなかった。その上で、未帰還の者が三人に、怪我をして戦力として数えられない二人。更に、ダリアまでいなくなって四人だけしか残っていない。


「はい。今は治療を続けましょう……。こちらの方を運びますので、手を貸してください」


 相手のいいたい事が分かっているらしいケイトは、謝罪をすぐに受け入れて怪我人の治療を続ける。


「あ……後、薬と包帯を持ってきてください。もう、なくなってしまいます」


「あ、私が行く。すぐ、取ってくるから」


 班長の女性ではなく、ヤコブ達と戻ってケイトのそばで治療の手伝いをしていた第三世代の女性が、急いで立ち上がり、拠点内へと走り出す。


「えっ? あ……」


 第三世代の女性に、薬は自分がとりに行くと話し掛けようとした男性は、喋るのを止めて運ぶのを手伝う為に黙って後ろをついていく。


 拠点内を早足で移動する女性は、ケイトから見えない場所に入った瞬間、涙を流し始めていた。ダリアと仲の良かったその女性は我慢の限界を迎え、ケイトの気力に穴をあけない様にと気を遣って、薬を取りに向かったのだ。


 その女性と同じように未帰還の夫を待つしかない女性達も、涙を流しており、友人に慰められていた。反乱軍の拠点内はどんよりと暗く重い雰囲気に包まれており、血だけでなく大量の涙が床に染み込んでいく。


 その反乱軍に所属した者達には無理だが、ノアに所属しているリアムは、絶望と同じように笑うことが出来た。


「分かった。もう、下がっていいぞ」


「はっ!」


 かつてディランが統治していた都市の館で、リアムは報告に来た部下を部屋から早々に追い出す。


「予想より……かなり悪いが……。まあ、いい。これを報告すれば……。ふふっ……」


 部下達の被害と戦果を聞いたリアムは、椅子から立ち上がって窓から外に目を向け、一人で口角を上げる。そのまま目を閉じたリアムは、反乱軍と偶然遭遇し、撃退したという報告をする事で、十分なポイントが得られると考えているのだ。


「おっと……。ここで、気を抜くべきではないな」


 椅子に座りなおしたリアムは、白い紙を取り出し、急いで作ったように見える報告書と、反乱軍殲滅の計画書を書き始める。リアムは自分も反乱軍と戦ったふうに装い、首都へあわてて報告に向かったように見せかけようとしているようだ。


 敢えてリアムが完璧にこなしたように見せないのは、参謀達に怪しまれない上に、相手を油断させることが出来るからだった。そつなくこなし過ぎては、参謀達に嫉妬等の感情で危険視される可能性があるだろう事まで、リアムは計算している。


 偶然出会った反乱軍の者に仲間を殺されたといえば、敵討ちという名目でリアムが出陣したいといっても、不自然はない。省吾や反乱軍の者達にとって嬉しくない事だが、リアムが本気を出せば、ジョージとは比べ物にならない結果が付いてくる。


 首都の桁外れな豪華さには見劣りするが、十分すぎるほど豪華な館に、ガラス製の鈴から発せられた音が響く。


「はい。なんでしょうか?」


「急いで、馬を一頭用意させろ。出来るだけ足の速い馬だ」


 計画書を書きながら使用人を呼ぶ鈴を鳴らしたリアムは、翌日の朝までに首都につく為に、馬を用意させた。リアムは一度に複数の処理を同時に行い、都市を出た後に部下が失敗をしないかということまで、再計算している。


 堀井から脳の有効活用法を教えられた省吾も、似た事が出来る様にはなってきているが、リアムのレベルには至っていない。個人戦で有利となる、瞬間的な集中力側が優れている省吾は、リアムと根本的に脳の作りが違うのかも知れない。


「これでいい……」


 書き終えた計画書を見直したリアムは、納得したように呟き、事前に用意してあった首都へ戻る為のバッグに手を伸ばした。リアムが作った計画書には、参謀達が適度に指摘し易い部分を残しており、リアムは指揮権を得た現場で修正すればいいと考えている。


 ジョージとは違う次元で抜け目のないリアムは、不測の事態を考えており、計画書も一つではなく複数用意してあった。その用意された計画は、どれが実施されても、ケイト達を追い詰めるには十分なものばかりだ。


 教育機関も衰えた未来で育ったにしては、優秀過ぎるといっても過言ではないリアムと違い、自分の計画が破たんしたと分かっていないジョージはケイトに近づく。


「お疲れ様。いや、素晴らしい手際だったよ。惚れ直してしまいそうだ」


 褒められて喜ばない人間はいない程度の事しか考えていないジョージの笑顔は、両手を治療の為に真っ赤に染めたケイトの気持ちを逆なでした。少し前に信じられないほどの悲劇があった場所で、ジョージ以外に笑顔を作っている者はいない。


 泣き出しそうな気持ちを堪えたままのケイトは、一緒に治療をした救護班の者達と握手を交わした。しかし、治療を一切手伝いもせず、笑顔を作って手を差し出したジョージを、ケイトは無視する。


 勇気が足りなかった者まで、怪我人達を庇ってノアの兵士と戦う為に見張りについており、ケイトの隙ばかり探していたジョージはそれすらもしていない。相手の底を知ろうと心がけるケイトには、ジョージの労せず体面だけを取り繕う心が、はっきりと見え始めたのだ。


 握手をする為に手を出した状態で固まったジョージは、再びケイトに恥をかかされたと、顔を真っ赤にしていく。ケイトが自分を好きになった後で、仕返しをしようと考えるジョージを、存在自体が黒いものが見つめる。それにとってノア側だろうが反乱軍側だろうが、人間に変わりはなく、等しく底へと突き落としたいと考えるようだ。


「待ってください! 私がやります!」


 冷たくなっていくジョージに洗脳をされていた者達の前で、ヤコブは能力を発動させようとしていた。ヤコブはまだ幼く、ガブリエラの補助が無ければ十分な予知は出来ない為、悲劇はなんとか予知できたが犯人までは分かっていない。


 精神力や知識だけでなく、情報処理までガブリエラを頼っているヤコブは、自分が事件を防げなかった事を悔やんでいるのだ。幼い心で罪を犯した者の精神に触れるのが、どれほど危険か分かっているケイトは、ホームから線路に飛び降りる。


「ケイトさん……。でも、僕がやらないと……」


「はぁはぁ……。いいえ。私にも、サイコメトリーは可能です。私に任せてください。お願いですから」


 骸を見ただけで恐怖を感じてしまっていたヤコブは、ケイトからの申し出を断れず、また唇を噛む。それを見たケイトは、強い気持ちでなんとか自分を奮い立たせ、無理矢理ではあるが笑顔を作った。


「任せてください。ね? 戦場にいた私は……。慣れてますから……」


 頭部から右腕にかけて発光させたケイトは、男の一人に手を触れ、ダリアを刺した原因を探る。


「あ……そうか……能力で……。まずい……まずいよ……」


 光を放つケイトを見て、やっと自分の窮地が理解できたジョージは、体中から粘り気のある汗を流し、小刻みに震えた。


 勇気以前に心が異常ともいえるほど弱いジョージは、全身に変調をきたし、微量に尿まで漏らしている。怪我人の看病や見張り等で忙しい反乱軍の面々は、そのジョージに全く気が付いておらず、視線も向けない。


「うっ! うぅぅ……」


 骸から必要な情報を読み終えたケイトは、吐き気を感じて急いで口を押え、両目蓋を固く閉じた。


「ケイトさん! 大丈夫?」


 相手の心を読むサイコメトリーは、見たくない事まで見えてしまい、能力者は苦しむ事も少なくない。


「うう! おほっ!」


 ダリアをナイフで刺した感触まで読み取ってしまったケイトは、胃酸をその場に吐き出してしまった。


「誰か! 誰か、水を持ってきて! 早く!」


 自分の代わりに苦しんでいるケイトを案じたヤコブは、隣にしゃがんで背中を擦り、仲間に水を持ってくるように頼む。


「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……うぐっ」


 なんとか読み取ったものを自分の精神に干渉しない様に処理したケイトは、差し出されたコップの水を飲み干した。そして、立ち上がると上半身ごと首を左右に振り、犯人である見知った人物を探そうとする。


「ケイトさん? あの……」


「ジョージさ……ジョージです! 犯人は、ジョージなんです! 探してください!」


 ヤコブだけでなく、ケイトの発した大きな声が聞こえた者達は、先程までホームで震えていたジョージを探す。だが、病的なほど臆病なジョージは、最悪の事を想定するのだけは人よりも早く、すでに反乱軍拠点内から逃げ出していた。生まれ育った都市から、周囲の者に責められたというだけの理由で逃げ出しているジョージは、躊躇が無い。


 地下にいた者達だけでなく、班長達や見張りをしていた者も加わり、ヤコブとケイトはジョージ捜索を行う。たいまつやランタンを大量に用意し、日ごろ使っていない箇所まで捜索は行われたが、ジョージは見つからない。


 元々地下鉄だった場所を反乱軍の者達が拠点に改造した際、不必要になる出入り口はほとんど塞いでいる。しかし、緊急の脱出に使う為に、出入り口は一つに絞っておらず、反乱軍の中でも古株の人間しか知らない通路も存在した。そのような出入り口には見張りの者もおらず、誰かが勝手に出入りしたとしても分からない。


 班長達すら忘れていた出入り口を、ジョージが何故知っていたかといえば、真面目に働いているふりをして地下道を意味もなく歩き回った際に、見つけていたのだ。行き場を失ったジョージは、反乱軍の者達からではなく、自分の中で肥大化していく恐怖から逃げる為に地上を走る。


 反乱軍の者達が探索を一時中断した夜明け頃、顔の穴という穴から粘り気のある液体を噴き出して、気持ちが悪い表情をしているジョージは立ち止った。


 腰を抜かして転んだまま狼狽えるジョージを馬上のリアムは無表情で見下ろし、絶望が二人の接触に口角を上げる。

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