七
省吾が研究施設のある地下から出て武器の確認を行っている頃、リアムは自分の部屋で珍しく怒りの表情を、部下の前で見せていた。
「何故、こんなことが出来ないんだ! この、馬鹿が!」
「はっ! 誠に申し訳ありません」
日頃は本心を隠している為、あまり怒らないリアムに怒鳴り散らされている部下は、体を直角にしたままひたすら謝っている。その部下はリアムよりも年上で、レベルも同じフォースだが、胸には星が二つしかなく、逆らえないのだ。なじられて悔しさと悲しさから目に涙をためているその部下は、体を震わせているが、リアムはそれを気にするつもりもない。
「まったく! 使えない馬鹿だ! 生きている価値もない! このクズが! はぁぁ、ノアの面汚しめ」
リアムはディランが統治を任されていた都市に戻っており、部下に足を引っ張られたと感じて怒っている。参謀の部屋で片づけをしながら点数稼ぎにいそしんでいたリアムに、部下が走らせた早馬からの連絡が届いたのは反乱軍の資料を見つけてすぐの事だった。
上司のいなくなった部下達はリアムが用意していた手順に従わず、自分が気に入った奴隷を工場から召し上げていた。その中に、ろうそくの生産で重要な役割を担っていた若い女性がおり、生産ラインに致命的なミスを出したのだ。
各都市へ配られるはずだったろうそく製造が、どうしようもないレベルで滞った部下は、リアムに泣きついた。それを聞いた参謀は、各都市にとって重要な仕事を参謀研修よりも優先させろと命じ、リアムは従うほかなかったのだ。
「今すぐに、奴隷共を叩き起こせ! 工場で働いたことがある奴隷全てだ! 屋敷で働いている者も、例外は認めん!」
リアムからの指示を聞いて顔を上げた部下は、窓から見える景色が真っ暗になっている事を確認する。
「生産ラインを、不休で稼働させろ! ノルマ達成まで、お前達が直接監督しろ! いいな!」
自分達のミスとはいえ、本来休んでもいい時間から働かされる事に抵抗がある部下は、恐る恐るではあるが問いかけた。
「今から……ですか?」
「何か……文句でもあるのか?」
こめかみ部分に青い筋が浮かび上がったリアムは、低い声と鋭い眼光を向けて全力で威圧する。それを見た部下の男性は、額から汗をたらして急いで敬礼と裏返った声で返事をした。
「はっ! はひぃ! ただちに!」
全速力で部屋を出て行く部下の姿を見送ったが、リアムは怒りが収まらないらしく、立ち上がって壁を靴の先で何度も蹴りつける。参謀になる事だけに注力したいリアムは、都市へ一時的にとはいえ戻った事で、マイナス点が付かないかと悔やんでいるのだ。
リアムの引継ぎは書類を含めて完璧だったが、それを部下がうまくこなせるかは、別の問題といえる。知能が優れているリアムは、今まで観察し続けた部下達の性質も考慮に入れて、今後の計画は立てた。
だが、ディランの強い抑圧によって、リアムの想像をはるかに超えるほど、部下達は鬱憤を溜めこんでいたのだ。その為、枷の外れた部下達は、リアムが余裕を持って作ったはずの計画では到底追いつかないほど、羽を広げた。
「くっ! あの……馬鹿は……。死んでまで、私の足を引っ張ってくる! くそっ!」
今後の事を考えたリアムに、こめかみの青筋を消す時間はなく、今度は拳で壁を殴り始めてしまう。
不眠不休での穴埋め作業を命じたリアムは、部下達に嫌がらせをしたいなどとは考えていない。そうでもしなければ各都市機能に支障が出てしまう為であり、他に方法が無かったといえる。
リアムが壁を殴り始めてしまったのは、取り敢えずの対応だけで仕事が終わるはずもないからだ。無理をさせた部下や奴隷達に休みを取らせつつ、他の業務を調整し、都市全体のバランスを正常に戻さねばならない。ざっと見積もっても、三日以上かかるその作業を済ませたうえで、リアムは部下の再指導をする必要がある。
参謀になる為に、一刻も早く首都へと戻りたいリアムの怒りが頂点に達しているのはそのせいだ。
「ふぅぅぅぅぅ……」
拳や足が腫れるほど壁に攻撃を続けていたリアムは、なんとか八つ当たりで怒りを紛らわせ、息を大きく吐いた。怒りに身を任せるよりも、その時間を使って生産ライン再生の計画を立てる方が大事だと、リアムは十分に理解している。
いらいらとした気持ちがおさまっていないリアムだが、自分が首都に早く戻り為に、机に向かった。
「はぁぁぁ……やってられんな……まったく……」
机と書類に向かって愚痴を吐き続けるリアムは、喉の渇きを覚えて、使用人を呼び出す為の鈴をならす。そして、頭をはっきりさせる為にと、濃いブラックコーヒーを部屋に入ってきた使用人に持ってくるように指示した。
「はい。すぐにお持ちいたします」
まだ若い使用人が部屋を出ると当時に、リアムは目を細め、握っていたペンを置いて腕を組んだ。
リアムは無駄な事を極力したくないと考える為、多少の八つ当たりはあっても、使用人達を意味もなく虐めたりはしなかった。そのせいでディランや他の者に呼び出された時よりも、リアムの前に来る使用人達の緊張は少ない。それでも、自分に笑顔で返事をした使用人を見て、リアムは不信感を持ったようで、筆を止めたのだ。
使用人達も、壁を殴った音や怒鳴り声でリアムの機嫌が悪い事は、察することが出来るだろうとリアムは推測した。その上で、笑顔を見せるほど使用人の機嫌がよかったのは、直感で不自然ではないかと考えている。リアムもれっきとした超能力者であり、省吾ほど特出してないにしろ、ただの人間よりは勘が働く。
「いや……なにか、違うな。何かを、見落としているのか? この私が?」
ディランがいなくなり、部下達が遊ばせていたせいで使用人達の気が緩んでいるのかと考えていたリアムだが、その答えでは納得できないようだ。
「計画を作る為に……情報は不可欠だな。仕方がない……。ふぅっ」
使用人の笑顔がどうしても無視できなかったリアムは、両目を閉じ頭部を発光させ、能力で使用人達の様子を探り出す。超感覚側が優れているリアムは、透視や暗視だけでなく聴覚も拡張出来る為、ほぼ完ぺきに使用人達の動きを把握していく。
それを知らない使用人達は、フォース達のいない場所で、いつもの様に未来への希望を話し合う。
「あの化け物を倒すほどのお人だ。きっと、見るからに凛々しい方なんじゃないか? 嫁さんももう、何人もいたりしてなぁ」
「ちょ! やめてよねぇ! 救世主様は、純白みたいな人なんですぅ! あんたみたいな、下世話な事はしないんだから!」
使用人達が台所の奥で喋るのは、相変わらず姿も知らない省吾の事であり、その情報の多くは反乱軍の者達からもたらされている。
「おい、聞いたか? また、くそ野郎共を返り討ちにしたってよぉ。それも、十人以上だぜ」
「ああ。聞いた、聞いた。すげぇよなぁ。ノアの終わりも、夢じゃなくなってきたなぁ。へへへっ」
省吾の存在が、奴隷として扱われている者達の希望そのものになっていた。
「なっ……。そんな馬鹿な。何故だ?」
目蓋を開いたリアムは、使用人達が囁き合っている話を聞き、いつもより驚きから目を大きくして口をぽかんと開けている。ディランがいた館の使用人達が、省吾の存在を知っていても不思議ではないが、兵士を撃退している情報は本来知りえない。
「失礼します。コーヒーを……あの……どうかなさいましたでしょうか?」
ノック後にコーヒーを持って入室した使用人は、口を開けたまま固まっているリアムを初めて見たようで、問いかける。
「あ、あの……。あ、いや。なんでもない」
思考が驚きにより正常ではなかったリアムは、反射的に使用人に質問しそうになったが、踏みとどまった。そして、息を吐きながら首を左右に振り、使用人が自分の机に置いたコーヒーに口をつけ、想像以上の苦みに眉間にしわを作る。
「うん? もういい。さがれ」
「あ、はい。失礼します」
部屋で自分を見つめていた使用人を退室させたリアムは、都市の外から情報を手に入れている奴隷達の異常について考え始めた。真っ先に奴隷達が能力を使って、探索を行っており、省吾の事を知り得たのかとリアムは考えたが、不可能だろうと答えを出す。ディランが統治していた都市は、農園からも首都からもかなり離れた位置にあり、その距離を探査できるサードはいないのだ。
次に、テレパシーを使っての各都市での情報交換をリアムは疑うが、それも無理だろうとすぐに結論が出る。都市を跨げるほどのテレパシーを奴隷が発すれば、ノアの兵士達も否応なく気付く為、あり得ないのだ。
長距離のテレパシーを飛ばすだけの能力なら、サードでも使える者はいるかもしれないが、それに指向性をつけるにフォースのレベルが必要になる。何故ならば、金属生命体との融合が完全でないサードは、量においてフォースに匹敵できても、質では限界値が低いのだ。
サードである能力者達は、血中に限界近くまで金属生命体を宿している為、発現できる力の量はかなり高い。しかし、融合の不十分さから、力を限界まで引き出す前に制御できなくなり、自滅してしまう。
それに対して、フォースは量でサードより劣っていても、完全に制御できるため、全開で能力をふるえるのだ。さらに、フィフスは限界量さえサードを超えており、制御も訓練さえ積めば完璧になり、隙が無くなる。もっとも能力制御が難しいサードは、フォースやフィフスだけでなく、セカンドにすら遅れを取る事も少なくない。
「都市間で情報を伝達する者がいる? あの井上とやらではない。なら、部下が情報を漏らして……。いや、いる。自由に動ける者がいるじゃないか」
急いで自分のバッグへ手を伸ばしたリアムは、参謀の部屋から持ち出した資料を取り出し、にやりと笑う。リアムはなんとか反乱軍の討伐計画を立て、リスクなく自分の手柄にしたかったのだから、絶好の機会を得たといえる。
「そうだ。簡単な事じゃないか。反乱軍は、仲間が必要だ。なら、あの井上を利用するに決まっている。ふふっ……なるほどな……」
予期せず反乱軍の尻尾を掴んだリアムは、自分に運が向いてきたと感じ、心音を早めていた。能力を再度使用し始めたリアムは、反乱軍の事に集中して使用人だけでなく、街中の者達からも情報を集めていく。
「くっ! 馬鹿な事をしてしまったな……」
元々情報処理能力が卓越しているリアムは、いとも容易く反乱軍の情報を収集し、喜びから拳を強く握った。壁を殴ったせいで腫れていた拳から痛みが走り、すぐにそれを止めてしまったが、機嫌はかなりよくなっている。
「ふふっ……。ふふふふっ。あの馬鹿な部下にも……感謝してやらないといけないな。ふふふっ……」
使用人達の会話から、反乱軍の者が翌日新しい情報を持って都市近くまで来ると知ったリアムは、一人で自分の手を見つめて笑う。
都市の生産能力回復というれっきとした名目を持って、首都を出たリアムには自由な時間がある。そして、首都へ戻るのが数日遅れても、それを咎める者はいるはずもなく、作ってしまったマイナス部分も、すぐにそれ以上のプラスで補えるだろう。
「これで、今期の参謀昇格も夢じゃないくなった。ふふふっ……。最高のタイミングじゃないか」
コーヒーカップの取っ手部分を掴んだリアムは立ち上がり、窓の前に移動し月の浮かぶ空を見つめて笑った。そのリアムの顔は嬉しさから本性を隠しておらず、狂人のものへと変わっており、目は充血していく。
リアムと違い、未来予知を行っていたヤコブは笑っておらず、真剣な顔で星空を見つめていた。ガブリエラと二人で、いつも予知を行っている岩に座ったヤコブは、今までなかった不穏な流れを読み解いたようだ。
未来へとつながる可能性が見えているヤコブには、常によくない流れも見えているが、それがどう転ぶかは分からない。幾つもの未来が確率として見えているからこそ、ガブリエラもヤコブも苦しんでいるのだろう。
空を見つめ続けるヤコブの変化に気が付いたガブリエラは、息子の手に自分の手を重ね、能力を増強する。二人に見える未来の欠片はほぼ同じものだが、体の一部を触れさせて情報処理を二人で行う事で、確率の高い未来を知る事が出来るのだ。
「ママ……、まずい……まずいよ……。これじゃ、間に合わないかもしれない……」
夜空を見つめたまま悲しそうにつぶやいた息子を、ガブリエラは優しく抱きしめ、能力の開放を一時的に中断した。幾度となく零れ落ちていった明るい未来が見えるヤコブは、知っているだけに悲しさも悔しさも他の者より大きい。ガブリエラが能力を中断してでも息子を癒そうとしているのは、その苦悩が誰よりも分かるからだろう。
親子が苦痛に顔を歪めて抱き合う巨石が並ぶ丘を、暗視の出来るケイトは不安そうに見つめていた。ヤコブからのアドバイスで人の本質を見ようと注力したケイトは、他の者達が潜在的な危うさを持っていると気が付いてきている。また、ヤコブが心労を溜めこんでいるらしい事も察しており、心底から心配しているのだ。
「どうしました? 星を見て……何か悲しい事でも思い出したのですか?」
他にヤコブの護衛としてついてきた者達よりも、ケイトだけを見ていたジョージは、相手の変化に早く気が付いた。
「あ、いえ……。なんでもありません」
見当違いな事をいってきたジョージに対して、本当の事を教えるべきではないと考えたケイトは、曖昧な返事をする。その目を逸らしたケイトを見て、心が揺らいでいるのではと考えたジョージは、チャンスだと思ったようだ。
他の者達もいるが、雰囲気のある星空の下で、悲しい事を考え始めているなら慰めれば自分に好意を持つだろうと、勝手な算段をジョージはしている。ジョージは好意と呼ばれるものを持っているかもしれないが、相手の弱みに付け込もうとする方法は、見返りを要求しない本当の愛とはいえないだろう。
「実は僕も、悲しい事を思い出していました……。あれは、どれぐらい前でしょうか……。僕にも親友がいましてね……」
自分も貴女と同じか、それ以上の悲しみを抱えていますよと伝えたいジョージは、一人で語り始めてしまう。ジョージは親友を幼い頃に事故で無くしたと、その時感じた事まで含めて喋り、その場の幾人かは悲しそうに顔を歪めた。
ただし、ケイトの目は加速度的に冷たくなっており、ジョージと目を合わせようともしない。ジョージが喋り始めた事に嘘があると、ケイトは勘で気付いており、聞くに堪えないと思っているようだ。
「その時は……ぐすっ。あ、ごめんよ。そう、その時は神さえ呪ったよ。なんて理不尽なんだろうってね」
ケイトの直感は正しく、ジョージにとって死んだ少年は親友ではなく、ただの近所に住んでいた者にすぎない。それどころか、少年が死んだ事故の原因は、ジョージの失敗によるものなのだが、それを他人のせいにしている。
悲しいつもりの笑顔を作り、なんの恥ずかしげもなく嘘を並べたジョージに、ケイトが好意を持てるはずもない。話を聞き流して空を見上げたケイトは、星の中で一番輝くものを見つけ、目を細めて省吾を思い出す。
自分の事を必要が無ければ語らない省吾にも、言い訳がしたいときはあるのだろうかと、ケイトは考える。ケイトの見た省吾は、大戦中の最中も、自分が敵となった山中でも、劣勢に次ぐ劣勢だった。それでも、人を守ろうとする強い意志だけを胸に秘めて、省吾は命懸けで戦い続けていたのだ。
ある意味で、そんな省吾と常に比べられる事となるジョージは、ついてないといえるだろう。
「おっと……ぐすっ……すみませんね。胸に抱えているには、あまりにも重すぎたもので……」
顔を空に向けたケイトを見て、都合のよい解釈しか出来ないジョージは、涙を堪えているのではないかと考える。そして、相手の固く閉まっていた心の扉が緩んだと読み、その隙をついて一気に畳み掛けようとした。
「ふぅ。辛い事でしたが……。貴女に聞いてもらえたおかげで、少し楽になりました。よければ、貴女の話も……」
直接地面に胡坐をかいていたジョージは立ち上がり、ケイトが腰を掛けている岩へ近づき、相手の顔を見つめながら隣に座ろうとした。近づくだけでなく、肩に腕まで回そうとしていたジョージに気が付いたケイトは、眉間にしわを作る。
ジョージの腕をするりと躱して立ち上がったケイトは、そのまま歩いて相手との距離を取った。
超感覚に優れているケイトは、相手の記憶に干渉が出来るほど、テレパシー能力が桁はずれている。やろうと思えば綾香のように大多数と繋がる事や、イザベラのように触れるだけで相手の思考も読み取る事が可能だ。
能力のせいで、いくら表面上いい顔を見せていても、他人の内面に見たくもないどす黒いものがあると、ケイトはよく知っている。そのせいで他人に触れる事も、触れられる事も極端に嫌う癖がケイトにはあり、特に異性はパーソナルスペースへ特定の者以外はあまり入らせたくないようだ。
それだけでなく、目の前で嘘を並べ、いい印象を持てるはずの無いジョージから、ケイトが離れるのは当然の事だろう。
今までのジョージは、周囲の目も気にして、ケイトに距離を取られた時点で引き下がっている。しかし、その日はいつもと違い、自分から離れたケイトを追いかけ、無視されても執拗に話し掛け続けた。
もう少し頑張れば望むものが手に入るかも知れないと考えているジョージの心境は、ギャンブルをしている者のそれと似ている。カジノなどで負けても粘る事で運を引き寄せる場合もあるが、相手が機械や運ではなく人間の場合、上手くいくはずもない。
「なんていえば分かってくれるかなぁ……。うぅぅん。そうだなぁ。つまりね……僕がいいたい事は……」
自分の背後にどんどん近づいてくるジョージに対して限界を迎えたケイトは、立ち止まって顔を向ける。
「あの……」
ケイトから話しかけられた事で、ついに成し遂げたとでも思ったらしいジョージは、笑顔で軽やかに喋り始めた。
「おっ! なんだい? なんでもいってくれよ。僕なら……僕だけが、ケイトの全てを受け止められると……」
「付いて来ないで頂けませんか。とても迷惑です。そんなに、集中できませんか? 仕事に?」
ジョージに対して吐き気さえ感じ始めていたケイトは、珍しく強さのある救いの無い言葉を吐く。そして、ジョージからの返事も聞かずに元居た岩まで戻り座ると、相手から目を逸らした。
絶句して両手を空中で止め、立ったまま動かなくなったジョージは、思考どころか呼吸さえ停止している。ケイト以外の者達はそのジョージがあまりにも滑稽で、悪いと思いながらもくすくすと笑い始めた。
「あ……ああ……ぐっ! ぐぅ……」
周囲の人間に笑われたジョージは、顔を夜でも分かるほど赤くすると、丘の近くにある拠点への入口に走る。今にも倒れそうな掘っ立て小屋の中にある、地下に繋がった階段へ走っているジョージの顔は、赤から青へと変わっていく。それは肌寒く感じる夜風のせいで冷やされたからではなく、ジョージの顔から血の気が引いている為だ。
日頃、笑顔をよく見せるからといって、その者が生来からの根明かどうかは、付き合いを深めるまで分からない。何よりも、下心がある者ほど笑顔で他人に近付く事が多いのは事実であり、省吾が笑わないのは、下心をほとんど持たないせいだとも考えられる。ジョージは調子がいいとも取れるほど前向きな発言をよくするのだが、どちらかといえば元々マイナス思考をする事が多い。
先程ケイト達に聞かせようとした事故の時も死亡した少年側の不注意があり、ジョージのミスは故意ではなかった為、謝罪をすれば許された可能性はあった。だが、本当の事を喋った自分が周りからどう攻められるかを考えたジョージは、恐れから嘘をついてしまったらしい。
運がいいとも悪いともいえるが、その時周囲はジョージのミスに気付かず、処理を進めてしまった。そしてジョージは嘘が上手くなれば、世の中は渡っていけるのだと覚えてしまい、都市内で周囲から孤立してしまう。上手くない嘘もつき続けたジョージは、最終的に都市内で居場所がなくなり、逃げ出す際も足かせはなかったのだ。
ジョージは走りながら、自分の居場所がまた無くなってしまうと考え、血の気が引いているのだ。生まれ変わったつもりで頑張った反乱軍での出来事を思い出すジョージは、全てが無駄になる事を恐れている。
周囲の者は他の者と変わらない程度にしか働いていないジョージを、良くも悪くも思っていない。その為、ケイトへの告白を失敗した程度では一時の笑い話にする事はあっても、評価を上げも下げもしないだろうが、ジョージは分かっていないようだ。
「うん? 止まれ……って、おい……おいって! 異変は……ないな。なんだ、いったい? ルールぐらい守れよなぁ」
出入り口のカモフラージュになっている掘っ立て小屋内で見張りをしていた男性は、許可もなく地下へ戻ったジョージに文句を呟いた。だが、ジョージの顔を知っていた事と、能力で周囲に異変がない事を確認し、仕事に戻る。
「はぁはぁはぁ……。僕は……終わりだ……終わりだ……」
息を切らせたジョージは地下に入って通路の壁に手をつき、瞬きもせずに一人で呟き続けた。ジョージのネガティブな脳内では、自分が笑いものになる妄想が続いており、狂ったように頭を掻きむしる。反乱軍の誰も知るはずがない、都市内で行った批判されるような事まで、ジョージは顔を歪ませて思い出していた。
実は、嘘をつき人を陥れた事まであるジョージにも、正しい事と間違った事の区別がつくだけの頭がある。そして、嘘をつき続けたせいで相談できる友人がいなかったジョージは良心の呵責にさいなまれる苦しみから逃れる為に、気持ちの矛先をずらしてしまう癖も持っていた。
馬鹿正直な省吾のように、全てを真っ向から受け止めるのは、かなりつらい事だ。生きる為に必要な事であれば、忘却や逃避を悪いとは言い切れないが、全てを自分のせいではないと思い込もうとするジョージを肯定も出来ないだろう。
「どうする? どうすれば、僕のあれは誤魔化せる? 皆があれを忘れるだけの……何かが……何……か……」
自分だけの救いを求めて、思考がおかしな方向へ傾いたジョージは、真っ暗な地下通路をふらふらと歩き始めた。そして、偶然ではあるが、初々しい蜜月を過ごすある恋人達の部屋に、たどり着いてしまう。
ダリアの部屋を訪れていたイーサンは、何気ない会話でも信じられないほど幸福を感じ、笑っていた。地下の部屋はガスが溜まりやすいせいで、通風孔としての小さな穴が数か所ほどあけられており、そこからジョージは笑顔のイーサンを見てしまう。
元々関係もないのに二人を妬んでいたジョージは、イーサンが自分の事を笑っているように感じ、怒りの表情を作った。まさか自分達が覗かれているとは思いもしないダリアとイーサンは、取りとめもない会話を続けている。
「でね! これ! 見てよ!」
「えっ? これ……どうしたんだよ。滅多に手に入る物じゃないよな?」
恋人には隠し事をしないと決めているダリアは、ベッドの奥に隠していた香水をイーサンに見せる。
香水等の嗜好品を未来ではほとんど製造しておらず、目にした事がない者も少なくない。ただ、首都に住む者達が使う香水を生産していた都市に住んでいたイーサンは、偶然見たことがあり、すぐに何か分かったようだ。
「凄いでしょ! まだ普通に使えるんだぁ! へへぇ」
自分の胸元に香水を一噴きしたダリアは、イーサンに匂いを嗅いでもらおうと、手であおぐ。
「えっ? ちょっ……。えっ?」
ダリアは喜んでくれるだろうと思っていたイーサンの表情が曇り、手を止めて目を泳がせ始めた。いい話題になるだろうと、宝物にしている物を見せたダリアに悪気は微塵も無く、イーサンの出した雰囲気に困惑している。
心がイーサンと深く結びつき始めたと思えたダリアは、勝手にではあるが自分が楽しい事は相手も楽しいはずと考えた。ダリアだけでなくイーサンもまだ若く、人生の経験が不足しており、理想が先走っている節があるようだ。
恋人どころか夫婦だろうと他人であり、嫌な面を見出さない事は、不可能に近いほど難しいだろう。相手のマイナス面を可愛いと思えるのは、熱病のような恋をしている間の幻想である事が多い。
心がその病気から平静に戻り、可愛いと思えた部分を見たとき、嫌いという感情がはっきりと輪郭を現す事もある。そうなった場合に重要となるのは、元々持っている気質と、今までの経験による対処だろう。
相手の嫌な面が見えても目を逸らす事や、プラスの部分がマイナス部分より勝っているからと我慢する等、方法はいくらでもある。精神的に病んでしまうほど我慢するのは褒められた事ではないが、他人同士が共に暮らすには妥協や理解は不可欠だ。
イーサンへの想いに全く嘘の無いダリアは、二人の時間に心を弾ませており、相手への配慮を欠いてしまった。そして、ダリアが初めてできた恋人であるイーサンは、若さからその部分を見過ごせるだけの心の余裕がない。
「それって……さぁ……。誰からもらったの?」
イーサンはダリアの奔放さを十分に理解しており、全てを受け入れる覚悟をしたはずだった。だが、相手を好きになればなるほど、ダリアの一番でいたいという覚悟とは真逆の気持ちが、心の奥から首をもたげてしまう。
「あの……それは……あの……」
「それって、貰ったのいつ? 付き合う前? 後?」
恋愛というコミュニケーションでは、どちらかもしくは両方が仮面でもかぶらなければ、上手くいかない場合は少なくない。自分を分かって欲しいといくら考えても、本当の自分をさらけ出すには勇気が必要であり、人それぞれでその難易度は違う。
大よその場合、自我がある人間同士の付き合いにおいて、完全にお互いを受け入れるのは容易ではない。若い二人は、今その人間が持つ永遠に解けないかもしれない試練に、挑もうとしているのだ。
「後……か……」
先程まで満面の笑みを浮かべていたダリアは、イーサンのいいたい事を理解できたらしく、俯いてすぐには返事が出来ない。それに対して、イーサンもまずいことを自分が口走ったと考えながらも、許せないと思う気持ちが勝ってしまい、何をいえばいいかが分からないようだ。
恋人達の甘い空間だった狭い部屋に、気まずい沈黙が流れ、二人には一秒が一分にも感じる拷問に近い時間だろう。お互いに好き合っている者達でも、価値観や考え方の違いは、経験が無ければぶつかり合ってでも埋め合うしかない。
しかし、若すぎる二人はそうしなければいけないと分かっていながら、ぶつかり合う事すら怖がる。
「へへっ……へへへっ……」
関係に亀裂が入りそうになった二人を除き穴となった通風孔から見つめ、ジョージは小さな声で気持ち悪く笑った。
「俺……今日は……戻るわ……。あの……」
ごめんという謝罪の言葉と、また明日が、つまらない事にこだわったイーサンは口に出来ない。二人で座っていたベッドから立ち上がったイーサンは、そのまま部屋を出る為に、扉へと向かう。
体だけでなく、心まで距離が出来てしまうように感じたダリアは、イーサンの背中を見て涙ぐんだ。扉の取っ手に手を掛けたイーサンは、急激に孤独感に襲われ、動きをとめた。ダリアを愛しているイーサンの本能が、外に出る事を拒絶しているのだろう。
「あの……あのさぁ! 俺! やっぱり……あの!」
イーサンはダリアと同じ様に目に涙を溜め、振り返って文章になっていない言葉を、少し大きな声で紡ぎ出す。それを切っ掛けとして、宝物であった香水の瓶をベッドに投げ出したダリアは、恋人の胸の中へと飛び込んだ。
少し物事を斜めから見る者がいれば、強く抱き合う二人は茶番を演じていると、取るかも知れない。ただ、厳しい時代を生き抜き、純粋にお互いを心から求める二人の内面に、嘘は存在しない。
安かろうと、若かろうと、主役である二人が自分達なりに何かを得られれば、それが正解なのだろう。
「くっ……くう……なんだよ……くそ……」
愛を育んでいる二人よりは、笑顔から怒りに顔を変えて目を血走らせているジョージの方が、よほど害になる存在といって間違いではないだろう。
「ごめん……なさい……。もう、しない! もう、しないから! だから!」
イーサンの胸で少しばかりの涙を流したダリアは顔を上げると、恋人へ誠心誠意の思いを伝える。実際に、苦しいと感じたダリアは、何よりも大事だった化粧品や香水よりも、イーサンを取ろうと決心が出来たのだ。
「俺も……ごめん。ごめんなぁ……」
泣き出しそうな笑顔を作ったイーサンも、胸が張り裂けんばかりの痛みを堪え、情けない謝罪をする。そして、お互いを至近距離で見つめ合った二人は、どちらからともなく目を閉じ、不器用に唇の先を触れ合わせていく。
お互いに初経験ではあるが、日本人のように挨拶としてキスをしない民族と違う為か、前歯がぶつかるというハプニングは発生しない。決して恰好のいい二人ではないが、愛や恋と呼ばれるものの力を借りて、なんとか初めての障害を乗り越えた。
「あ……へへっ……」
唇を放したダリアは照れながら笑い、イーサンも赤くした顔を誤魔化したいのか、頬を指で掻く。二回目となる口づけを済ませた二人は、お互いの手を握ったままベッドへと戻り、笑顔で座る。
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」
何もかもが妬ましいジョージは、壁に跡が残るほど顔をつけ続け、瞳からだけでなく吐く息からもどす黒いものを吐き出す。
「あの……あのイーサン? 今日……部屋に帰っちゃったりする? するよ……ね? かな? あの……」
雰囲気に逆らえなくなった若い二人は、砂糖菓子よりも甘ったるい言葉を交わし、やがてろうそくの火を消した。翌日の夜になるまで、イーサンの部屋には誰も入らず、ろうそくに灯がともされる事はなかったようだ。
その出来事で、誰に知られることもなく、運命の歯車が回転させていた長針が、次の数字に向かって進んでいく。