六
懐かしく感じられる場所に到着した省吾は、否応なく決別してきたはずの過去を、思い出していく。脳裏に蘇る母親代わりであったフランソアや、幼馴染といえるマードック達の笑顔は、省吾の胸を締め付ける。
……みんなは、幸せに暮らせただろうか? 笑って死ねたんだろうか? 俺は。
誰に頼ることも出来ず、一人で命をすり減らしながら戦い続ける省吾も、感情の無い殺戮兵器などではなく人間だ。人間としての弱い部分は十分すぎるほど残っており、寂しいと感じる事もあれば、恐怖を抱く事もある。
たとえば省吾が自分の命が惜しくなってしまえば、たちまちのうちに恐怖に飲み込まれるだろう。そして、もしフィフスという巨大すぎる敵に勝てないと思い込んでしまえば、絶望の果てに二度と立ち上がれなくなったかもしれない。
長い年月をかけてニコラス老人が準備を進め、使用人達が命を散らせて時間を稼いだ事で、省吾はディランに勝利した。次はその後ろ盾がない上に、敵は複数人のフィフスであり、勝ち目があると考えられなくともおかしなことではない。
弱い人間である省吾が懐かしいその場所でひざを折り、全てを放棄して逃げ出したとしても、責められる者はいないだろう。万が一省吾がその場で握っている銃を使い、自害してしまったとしても、きっとあの世にいる者でさえよくやったというに違いない。その言葉を受けられるだけ省吾は既に頑張ったのだから、全てを知ってさえいれば不満を口に出来るはずがないのだ。
しかし、ただ一人だけそうなった省吾をどうしても許せず、永遠に罵倒し続ける者が存在する。
……ここで、感傷に浸る為に、戦ってきたわけじゃない!
それは、ニコラス老人から直接バトンを受け取り、アリサ達の未来を掴むと決めた省吾自身だ。
……俺の命は、真の敵を滅ぼす為にのみ、ここにあるんだ! まだ、立ち止まっちゃいけない!
「ふうぅぅぅぅぅ……」
揺らいでしまった心を繋ぎとめるように、戦闘服の胸元を強く鷲掴んだ省吾は、大きく息を吐き出した。そして、目蓋をゆっくりと開き、何一つとして変わらない強い意志をこめた瞳で、工場内を見回す。
工場の隅にある金属製の棚には、武器弾薬だけでなく、食料や医療品等が並べられていた。省吾はすぐにはその棚へは歩み寄らず、背中を窓際の壁につけ、銃を構えたまま顔を半分だけ出して外を確認する。先程動揺して不用意に窓際へ立ったことで、敵に発見させていないかと、周囲の警戒をしているのだ。
省吾は千里眼を発動して、直径一キロほどはある島を見渡し終えると、やっと棚のある方向へと外から見えない位置を通って近寄った。
……ここは戦時中に使われていたのかも知れないな。
省吾が能力で確認した島は、木が生えそろって周囲から建物を隠しているのだが、生え方が均等になっている。それは、明らかに人の手によって工場を隠そうと植林された為であり、天然でそうなったわけではない。また、工場の屋根は人工らしきプラスチック製である木の葉やシートで、上空から見下ろしても分かり難い様にカモフラージュされていた。
……常緑樹ばかりなのも、そのせいだろうな。飛行できる何かがまだあった時代に、使われたと考えるべきだか? どれぐらい昔なんだ?
周囲の確認を終えた省吾は、もう動かなくなったベルトコンベアの上に、背嚢を下して残った道具や弾薬を並べる。そして、棚へと手を伸ばしたところで目を細め、並んでいる弾薬の箱をずらして数を数えていく。
……これは、なにか意図があるのか?
棚には今までのシェルターに置いてあった倍以上の弾薬があり、食料や医療品もかなり多い。今いる場所が発見され襲われやすいのかと省吾は考えたが、それは無いだろうと一人で首をひねる。
能力を使っての探索には、能力者の思い込みが大きく影響する為、入り口となっていた島の地下へもぐれば、簡単には発見されない。
……ここを、主な活動拠点にしろという事か? いや、出入りに時間がかかり過ぎる。なんだ?
シェルターの準備に予知能力を持った者が関わっている為、少しでも変わった事があればメッセージの可能性があった。省吾は、その思惑を見抜こうと脳を自分なりに回転させてはいるが、答えは簡単に出るはずもない。
……新しい背嚢まで。一回り大きいな。ここで装備を整えて、回復をはかれという意味か? ん? あれは。
特に隠されてもいない地下への階段を見つけた省吾は、並べていた弾の入っている拳銃を取った。そして、火を消していなかったろうそくを、金属製の台ごと空いた手で掴み、その階段を下りる。
……多少は変わったか? 奥には勧めそうにないな。
省吾は元々知っていた事だが、工場の地下には簡易宿泊施設や食堂があり、作業員だけでなく警備の兵もその場所で休むことが出来た。
……これは。
警備室や食堂があった奥への通路は瓦礫によって塞がれているが、階段を下りてすぐの数部屋は施錠もされていない。気を多少なりとも緩める為に、部屋の全てを確認していた省吾は、ある一室に入り驚きを顔に出した。
他の部屋は長い年月により、埃だらけで使い物にならなくなっていたのだが、省吾が最後に入った部屋だけは手入れがされていたのだ。部屋の中には電池式の電灯や、簡易コンロだけでなく、貯水槽らしき物とユニットバスまで用意されていた。
……ん? あれは。
部屋の奥に一枚の紙が貼り付けられている事に気付いた省吾は、ろうそくの光で文字を読み、悲しそうに感謝の言葉を口にする。
「ありがとう……ございます」
省吾はその紙に書かれた文字に見覚えがあり、誰が書いたかが、すぐに分かったのだろう。
……あの人らしいな。
貯水槽の水は入浴をするには十分な量があり、ガスの力を使って熱湯に変える事も可能だと紙には書かれていた。そして、貯水槽の説明文の最後に水が腐っているかは、自分で確認しろと書きなぐられていた。
部屋の道具について説明が書かれた文字は、省吾が農園の館にある隠し部屋で読んだノートの文字と同じなのだ。貼り付けられていた紙の一番端には、とても小さな文字で、お前を信じるとだけ少し偏屈な老人はペンを走らせていた。
「はい……。受けた依頼は、やり遂げて見せます。必ず……」
紙に向かって頭を下げた省吾は、工場に弾薬等が多く準備されていた事に、裏の意味はないのだろうと考える。そして、万一の場合を考えて食料と医薬品だけでなく、銃と弾丸も元々使っていた背嚢に詰めて、地下へと持ち込んだ。
……どれぐらいぶりだろう。ありがたいな。
ノアの追手から逃げていた省吾は、不用意に焚き火をすることも出来ず、食事を温める事もままならなかった。熱いものを苦手とする省吾ではあるが、その日は多少熱い物も少しだけ眉間にしわを寄せながら、食べていく。
缶詰に入っていたビーンズをフォークで食べていた省吾は、食事を中断せずに水を温める事も出来る貯水槽に近付き、四十度に設定してスイッチを入れた。
敗血症に苦しんだ事もある省吾は、川や池で体を洗い清潔に保ってはいるが、ゆっくりとした入浴は館を出てから初めてだ。小さな事ばかりではあるが、省吾はその一つ一つに感謝して、つかの間の休息で回復を進ませる。
……そういえば。あれ? 取り壊したのか? 何故?
傷口からの痛みに堪えて温水のシャワーを浴びていた省吾は、脳がリフレッシュされたおかげか、ある事を思い出した。過去、省吾が警備をしていた頃の工場には、武器開発の研究施設も隣接されており、今はその建物が無くなっているのだ。
島の大きさを考えても、その建物をわざわざ潰してしまう意味がないと感じた省吾は、シャンプーを泡立てていた手を止める。省吾が千里眼で確認した工場の周囲には、建物の跡はなくなっており、戦争中に潰れた様には感じなかった。省吾の人よりも優れている直感は、小さく鳴り響かせていたアラーム音を、徐々に大きくしていく。
……確認しておくべきだな。
止めていた手を再び動かし始めた省吾は、少し緩慢になっていた動きを元のきびきびとした動作へと戻した。
「ふぅぅぅぅ……。似ているとは思っていたが……。正真正銘の本物か」
ユニットバスの入り口付近に準備されていた、新しい下着と戦闘服を身に付けた省吾は、タオルに髪の水分を吸収させている。省吾が館を出てから身に着けていたのは、各シェルターに用意されていた迷彩柄の戦闘服だが、その服に省吾は見覚えがあった。気にしている余裕のなかった省吾はすぐにそれを頭から消したが、どうやら理由の説明は頭の中で出来たらしい。
特殊な防弾繊維を加工するだけでなく、その染色が出来ないニコラス老人達は、工場内に残っていた戦闘服を回収し各シェルターに配置したのだ。つまり、省吾は自分が所属している国連軍の戦闘服を、身に着けていた事になり、見覚えがあって当然といえる。
複雑な郷愁にも似た感覚を覚えた省吾だが、すぐに日が沈んでからでは確認が出来ないと考え、銃とろうそくを持って地下からの階段を上った。省吾が周囲を警戒しながら出た外は、日が沈み始めており、まだ暗くはないが木々の影はかなり伸びている。
……土台は残っている。ここに間違いはないな。
工場の隣には木が生えておらず、雑草だけが伸びている一区画があり、省吾はしゃがみ、その地面を調べていく。
建物を支えていたコンクリート製の土台はひび割れており、その隙間から草が伸びていた。そして、そのコンクリートから伸びていたであろう鉄骨は、地面と同じ高さで綺麗に切断されている。
……故意的に潰したのか。何か、その時の理由があったんだろうが、これだけでは分からないな。
省吾は自分の直感を信じ切っていない部分があり、そのまま工場内に戻ろうかと考え、長く伸びた草むらから立ち上がった。
「放置されて……ん? なんだ?」
長く伸びていた草に隠れていた石を見つけた省吾は、頭を指で掻きながら、もう一度しゃがみ込んだ。かなり目立ちにくいが、コンクリートの上に置かれた石は、三つほど積み上げられており、人の介入をにおわせている。
特別な理由はないかもしれないと考えながらも、石を手で退けた省吾は、眉間に深いしわを作った。石の下には金属で出来た取っ手が付いており、それを引けば何かがあると、省吾でなくとも分かるだろう。
石の下には砂や土が溜まっており、小さな虫達が巣を作っていた事から、長い年月その取っ手は忘れられていたようだ。省吾は自分のしゃがんでいた地面を幾度か軽く踏みつけ、金属音とその下に空洞があるらしい事を確認した。
……やはり、この場所には何か意味があるのか? 無視するわけにもいかないな。
省吾は足で金属板の上に乗っていた土を周囲へと散らし、取っ手を握った腕に力を込めて引き上げ、隠されていた階段を見つける。
……何が待っているんだ?
工場内から念の為に持ってきていたろうそくに火をつけた省吾は、その日三度目となる地下へと潜り始めた。
「なっ! これは……」
階段の先には開け放たれたままの扉があり、その先へ進もうと足を踏み入れた省吾は、珍しく声を出して驚く。それは、電灯の感知センサーが動く省吾に反応し、部屋を人工的な光で照らしだしたからだ。
……ここは最近まで使われていたのか? いや、それどころじゃない。電源が生きている? この世界で?
地下にあった部屋は、階段や扉の外と違い、白い壁紙が綺麗に貼り付けられており、床や天井も白で統一されていた。省吾がいた時代の研究所と似たつくりを、その地下は保っており、エレベーターの扉だけが一番奥にある。
罠があるかも知れないと省吾は壁や床を警戒しているが、研究施設に危険な警備システムを設置するはずがない。
……動くな。途中で、ワイヤーが切れたりはしないだろうか。
壁に埋め込まれた下を意味する記号のスイッチを省吾が押すと、スムーズに中央から左右へエレベーターの扉は開かれた。明るいエレベーターの室内を見つめた省吾は、扉が一度しまってしまうまで、何もしない。
文明が退化してしまった未来で、信じられない光景を前にした省吾は、進むべきだと理解しながらも少ししり込みをしているようだ。
「はぁぁ」
……ここで悩んでいても仕方が無いか。
エレベーター内の階層を示すボタンは、三つ並んでいるが、一番下へ向かうボタンは壊れているのか反応しない。必然的に、省吾は地下二階へ向かうボタンを押し、懐かしささえ感じる浮遊感を短い時間味わった。
……非常階段が無い? なんだここは?
地下も自動感知式センサーの電灯が使われており、省吾がエレベーターを降りると、長い通路に光が満ちる。進み始めた通路も、マードックが所長を務めていた研究所と同様の作りになっており、省吾には見慣れた光景だ。白い左右の壁には金属製の手すりが付いており、床は静電気などを遮断する緑のシートが隙間なく敷かれている。
少し進んだ省吾は、トイレや仮眠室等の案内が書かれた看板を壁の少しへこんだ部分に見つけ、迷わずに研究設備のある場所へと向かった。
「これは、超能力か? まあ、銃でこうはならないよな……」
研究設備内へと入る三重の分厚い扉は、強い力で壊されており、暗証番号を入力しセキュリティカードを読み込む壁の操作盤は、エラーを表示している。省吾が銃を構えて侵入した研究施設は荒らされており、全ての扉が壊され、部屋を区切っていたらしいガラスもほとんど割れていた。
……駄目だな。やはり、ここに意味はないのか?
省吾は目についたコンピューターの電源を入れようとしたが、全て壊れているらしく、全く起動しようとしない。銃の威力を計る設備や、衝撃を作り出す装置も省吾は知っており、その施設は自分の知っている武器開発を行っていた場所だろうと見当がついている。
長い間誰にも使われていないその場所に人の気配なく、省吾の役に立つ武器らしき物も持ち出されたのか見当たらない。また、広い部屋の中を探索した省吾だが、紙媒体の資料らしきものは見つけることが出来なかった。
「ふぅぅ」
施設が自分の役に全く立ちそうにないと判断した省吾は、地下に入って幾度目かの溜め息をつく。
電源が生きている仕組みだけ確認して、その場を去ろうとした省吾だったが、部屋全体を見回して動きをとめた。それは、ある扉が気になったからだ。
何者かによって荒らされた室内で、一つだけ壊されていない扉に省吾は、近づいていく。
……鍵がかかっている? まさかな。
「なるほど。ここに何かがある……か……」
壊れていなかった扉が、シェルター用の鍵で開いた事で、ガブリエラの仕業だろうと省吾には理解できた。予知能力者の掌で踊っている事を、省吾は気分がいいとは思っていないが、何が用意されているかという事を確認もせずに否定は出来ない。
扉の先は真っ暗だったが、他の部屋と同様に自動で電灯が光を放ち始め、省吾は通路になっている中へと進む。エレベーターを降りてすぐの通路と似た作りが扉の先には続いており、床も緑色のシートが敷かれていた。
だが、左右の壁は腰の高さまで黄土色の塗装がされた金属で出来ており、そこから天井までは透明な分厚いアクリル板で奥が見えるようになっている。水族館を思い出させるその壁は、奥を見て下さいといわんばかりだが、実際に見る為にそのような作りになっているのだろう。
……なんだ? コンベア? 実験機材か? よく分からないな。
省吾はアクリル板の間近まで顔を近づけ奥に目を凝らしたが、通路の天井以外に光源は無く、全体を正確に把握することが出来ない。通路の両サイド共になんらかの実験機材が並んでいるのは省吾にも見えているようだが、何に使用する物なのかまでは分かっていない。
かなり長い間使われていないらしいその機材達は、埃をかぶっているようで、省吾はすぐに観察を止めて通路の先へと歩き出した。一本道だった通路の先には、扉があり省吾はポケットからシェルター用の鍵を取り出したが、鍵穴に合わない。ただ、その奥にあった扉には鍵がかかっておらず、ドアノブを捻るだけでさらに奥へと進むことが出来た。
……ここも見覚えがある作りだな。イリア専用の部屋にそっくりだ。なら、責任者がここに居たって事か?
管理者が使っていたであろう部屋は、明かりが自動ではなかった為、省吾は壁際の少し劣化したプラスチック製スイッチを押す。白と銀で統一された室内には、他の部屋と同様にほとんど何も残っておらず、殺風景な印象を省吾は受けた。
コンピューターを置いてある強化ガラス製の仕事用机の裏に、いくつも並んでいる本棚に書類や本が無い事で、省吾はマードックを思い出す。
マードックの部屋は机だけでなく、床を含めたそこかしこに書類が積み上げられており、本棚には私物を含めた本がぎっしり詰まっていた。記憶力のいいマードックは、全ての資料や本の位置を覚えていたが、他の者が見ればただの汚い部屋に見える。
……俺に何を知れというんだ?
省吾は迷わず部屋の中を真っ直ぐ進み、部屋の主が使っていたであろう透明な机の前に立った。何故ならば、その机に見つけてほしいであろうアンプルと書類が、隠さずに置いてあったからだ。
透明なガラス製アンプルには、少量のミルクを思い出させる白い液体が入っており、隣には化学繊維で作られた小型のポシェットが置かれている。ポシェットを手に取った省吾は線ファスナーを開いて、中に入っているガラス製の注射器と針のセットを見つめた。
……これを、自分に注射しろって事なのか? それとも、敵に?
ポシェットを机の上に置いた省吾は、アンプルの下に置いてあった資料とノートに手を伸ばし、読み始める。
「えっ? これが? これを国連が?」
先に読んだ資料には、アンプルの中に何が入っているかが書かれており、省吾は驚きから目を見開く。
……これが? これが、国連の研究成果なのか? これを使えって事なのか?
資料には、その研究施設で何が行われていたか書かれており、省吾は掌から汗が噴き出していた。
「これは……こんなことが……」
研究されていたのは金属生命体であり、ニコラス老人達もその場所の設備を使ってナイフや弾丸を作ったのだ。ただ、省吾が一番驚いているのは、国連がその場所で合意の上とはいえ、人体実験をしていた事だろう。
ノアとの戦争で窮地に立った国連は、国連内の能力者から志願者を募り、金属生命体の研究を行った。研究を行ったのがノアやテンペストではなく国連であった為、進んで命に関わる実験はしなかったようだが、事故で死人も出ている。
フランソアやマードックといった指導者のいない国連は、戦争で追い詰められれば、そんな事にまで手を染めたのかと省吾は強く目蓋を閉じた。やってしまったものは取り返しがつかないと自分に言い聞かせた省吾は、しわが出来る程強く閉じていた目蓋を開き、資料を読み進めていく。
アンプルの中には、国連に所属していたフォースの細胞から抽出した、金属生命体が入っている。現在は、テレパシーによって強制的に冬眠状態になっているらしいが、人体へと注射すれば起きるようになっていた。
能力者達が敵へと寝返っていく中で、国連は人工的にフォースを作りだし、戦場に投入しようとしていたのだ。
……どうするかは、自分で決めろってことか。
資料には、そのアンプルの危険な部分も書かれており、事故の状況が明確に記録されていた。
人体へと侵入した金属生命体は、覚醒するとともに自分が生きていくための場所である、細胞へと融合を始める。だが、その人体側の細胞が金属生命体を受け入れられなかった場合、宿主である人間は絶命してしまうのだ。
金属生命体の融合によって強制進化に耐えられなかった細胞は、マクロファージに似たものへ変質しまう。その変質した細胞は、生きようとする為か他の正常な細胞まで取り込み始め、宿主は生きていられなくなるようだ。
……セカンドで適応確率、三割。サードでも五割か。
「ふぅぅぅ……」
絶望的といってもいい状況である省吾は、今にも喉から手が出る程、力が欲しいと思っている。しかし、リスクが高すぎる今回は、なんの迷いもなく自分に注射が出来るレベルの話ではない。
力を求めてその場で絶命してしまっては、元も子もなくなると省吾はよく分かっており、直感も危険を知らせている。
……くそ。せめて、セカンドに半分の確率があれば。
魅力的な誘惑に省吾も惑い、幾度もアンプルに手を伸ばそうとしていたが、そのたびに直感が主をいさめた。直感は主である省吾に、生存率以外の事にも気付いてほしいと信号を出しているが、省吾は気付いていない。
……力。力があれば、皆を救える。俺の命で。力を。
「なっ……えっ?」
ついにアンプルを握ってしまった省吾の脳裏には、突然過去の記憶がよみがえり、動きが止まった。
省吾を育てたマークは、たとえどんなに劣っていても巨悪に知恵と勇気で立ち向かうのが、本当に強い者だと話した事がある。兵士として省吾を研磨したローガンは、核兵器を持った敵でも、戦略と兵站を見誤らなければ、必ず勝てるといい放った。そして、強大な力に溺れ人々を虐げ、国連の敵となった指導者達を、省吾は撃ち滅ぼした実績を持っている。
世界の指導者となったフランソアは、いくら苦しくても力に溺れない姿を、息子のような省吾に見せた。人々を守る為には力が必要であり、その現実は変化しないが、強すぎる力は必ず不幸を呼ぶと省吾は嫌になるほど学んできているのだ。
今の状況で、自分が手に持った金属生命体を使う事は、成功しても失敗しても逃げる事なのだと省吾は答えにたどり着く。省吾は、握っていたアンプルを机の上に戻した。
その瞬間に、全てを黙ってみていた運命は、絶望に気付かれない様に少しだけにやりと笑い、歯車を再び動かし始める。
……情けない。俺はまだまだ未熟者だ。
「はぁっ」
強く握って少ししわが入ってしまった資料を机に置いた省吾は、ノートへと手を伸ばして内容を確認していく。
「また……これか……」
ノートにはガブリエラによる手記がつづられており、回りくどさを感じた省吾は、眉をひそめた。未来を変える手順は複雑かつ繊細で、直接的に語れないのだろうと分かっているが、焦りを感じている省吾はあまり気分が良くないようだ。
しかし、手記の内容を読み進めていくうちに、省吾の目付きは真剣なものに変わっていった。その手記にはガブリエラの正体を含めた、全てが書きしめされており、省吾の中で幾つもの謎が解決していく。
ノアの首都で生まれ育ったガブリエラはフィフスであり、なんの不自由もなく社会に疑問も持っていなかった。フィフスの中で能力はさほど強くなかったガブリエラだが、希少な予知の能力を持っており、幼少時から大切に扱われていたらしい。そして、ガブリエラが二十四歳の時に、ノアの王だった男性に見初められ、第三王妃になった。
ガブリエラ以外にも複数人の妃を王は娶ったが、何故か子供を身ごもる事が出来たのは、ガブリエラだけだったらしい。双子の男児を授かったガブリエラは、それまで以上に大切に扱われ、歪んだ世界ではあるが、幸せに暮らしていた。
だが、ある光景を境に、ガブリエラの中で常識が変わり始め、ノアの社会から抜け出してしまったのだ。その光景とは、まだ少年だったウインス兄弟が、サードである奴隷を笑いながらいたぶる姿だった。手記である為、おそらく洗脳能力を持ったお腹の中にいる子供の影響を母体も受けたのだろうと、ガブリエラの推測が補足として書かれている。
子供のおかげで王からの洗脳効果が薄れたガブリエラは、徐々にノアの社会が狂っていると気が付いた。そして、自分の子供達もウインス兄弟のようになってしまうのかと、心底恐れはじめたらしい。
身重な状態ではなにをすることも出来ないガブリエラは、表面上は変わらずに笑顔を作り、一人で苦しみ続けたようだ。省吾には未来予知の能力も、ガブリエラを苦しめてしまった原因なのだろうと、なんとなく察することが出来ている。
……今まで、私が知らずに虐げた人も大勢いただろうか。これは、自殺まで考えていそうだな。
ガブリエラが苦しみ初めて半年の時間が経過し、ついに双子の男児はこの世に生を受けた。連日首都の宮殿では後継者の誕生を祝う祭典が開かれ、ノアの未来を祝って酒盛りが続けられたらしい。
そんな誰もが気を緩めたある深夜に、果物ナイフを持ったガブリエラは、我が子が眠る部屋へと忍んではいった。子供の狂った姿は見たくないと考え、思い余ったガブリエラは、愛する無力な二人に手をかけようとしたのだ。
……ここまで思い詰めていたのか。辛く、苦しかったんだろうな。
ガブリエラが思い出しながら書いていたらしいページは、涙により文字がところどころ滲み、全体的に紙がよれている。自分の子供にナイフを振り下ろす事が出来るはずもないガブリエラは、最悪の未来を知りながら、謝罪の言葉を書き残していた。
二人の子供を連れて逃げ出したガブリエラは、頼る相手もなく一人で生き延び、やがて反乱軍を作っていったようだ。手記には、追手との激しい戦いについても書かれており、省吾の優しい心にもガブリエラの気持ちが届いた。
最後になるページにガブリエラは、最悪しかない狂った未来の中で、省吾を見つけてしまった自分を恨んでも構わないと書いてある。そして、省吾に自分が殺されても文句をいわないが、どうか子供達の未来を変えてほしいと、嘆願の文章で締めくくられていたのだ。
「ふぅぅぅ……」
直感が優れている省吾は、手記に嘘が無い事を感じ取っただけでなく、最後になるページの後に何かが書かれていただろう事を察知した。
……これは。もしかして。
ノートの終わり数ページが破り取られていた事に気付いた省吾は、床にぐしゃぐしゃに丸めて落ちているそれを見つける。本来、それは完全に破棄するべき物なのだろうが、ガブリエラの無意識がそれをさせなかったのだろう。
床にしゃがんで紙を伸ばした省吾は目を細め、ガブリエラの本心によって綴られた、悲しいページを見つめた。
子供達と生きたい、死にたくない、苦しい、何故自分は未来が見えるのか、死にたいとガブリエラはページ全てが真っ黒になるほど、本心を書き込んでいたのだ。そして、三枚ほど続いた真っ黒なページを省吾は全て確認し、最後のページを見て険しい顔で目を閉じる。
最後のページには、分かりやすく短い文だけが、ガブリエラの血によって書き残されていた。助けてだけでなく私を殺してと書かれたそのページを見た省吾は、トラウマであろう戦場での出来事を思い出していく。
省吾が自分を過信せず、全力で事に当たれるのは、過去の忘れたいほど辛い経験がそうさせている。ヨーロッパのある町で、省吾は一人の少女を守りきることが出来なかった。
連日の戦闘と能力の使い過ぎで満身創痍だった省吾に、敵武装勢力は容赦なく攻撃を仕掛けた。激戦の中で仲間は全滅し、一人生き残った省吾は、降伏さえ受け入れてくれない敵から人々を逃がす為に全力を尽くした。
だが、所詮は一兵士の力には限界があり、敵戦車隊の砲撃により幾人もの犠牲者が出てしまったのだ。瓦礫に体の半分を潰され、息も絶え絶えな幼い少女は、苦しみから逃れる為に手を握った省吾に、殺してほしいと願い出た。
省吾はその意志の強さがあだとなって、逃げ出す事も出来ず、己の身を引き裂く思いで引き金を引いたのだ。今もその少女が最後にありがとうといって流した涙を、省吾は忘れておらず、慢心を戒める楔となっている。
……確かに。確かに! この想い! 受け取った!
紅蓮の炎を瞳に灯した省吾は立ち上がり、アンプルをそのままに施錠をしてその部屋から退室した。




