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名無しのエース  作者: 慎之介
一章
5/82

 現在の日本には通称、特区とっくと呼ばれる地域が出来ていた。その特区は日本国内にあるにも関わらず、日本政府の管轄下にはない。国連が、全ての権限を持っている地域なのだ。


 当然ではあるが、国連が無理矢理その地域を奪ったわけではない。隕石が着弾し、人が住むのには適さなくなっていた土地を日本政府や国民の許可を得て、ある目的の為に国連が買い上げたのだ。


 国連は買い上げたその土地にさらに莫大な資金と資源を投入し、理想的な近代都市を作りあげた。特区内は日本国ではなく国連の一部であり、司法・行政・立法全てを国連の職員がこなしている。その特区へは日本国民でも、正式な手続きを取らなければ入る事を許されていない。


 国連の目的とは、未来ある子供達を守る事にあった。海という理想的な壁で戦争の影響を受けにくく、四季のある穏やかな環境に目を付けたフランソアが進めた計画だ。


 その特区内に住んでいる人間の五割以上が、未成年者だ。また、住んでいる日本人の割合は、一番多くはあるが半分に満たない。


 同じような特区は、日本だけでなくオーストラリアとニュージーランドの三か所に作られた。その三か所の中でも、最初に作られた日本特区が都市として現在一番発展している。


 特区のもっともメインとなる建物は、町の中央に作られていた。Aとだけ呼ばれていた男性が、数か月前から通っているPSI学園だ。世界中から集まった子供達が、親元を離れて寮生活を送っている。


 その学園には超能力者ならば優先的に入学できるが、力を持っていない子供達も試験さえうかれば入る事が可能だった。日本だけではなく世界中の子を持つ親達は、自分の子供をその学園へと入学させたがっている。


 能力を持たない子供達がその学園へ入りたい理由は、死にたくないからだ。子供の親達も、離れて暮らすのは心苦しく思うようだが、子供の安全の為ならばそれを我慢している。


 何故、その学園に入れば死ななくなるかといえば、世界中から国連が集めた若い超能力者達が集まっているからだ。超能力者に囲まれているだけで、能力のない生徒達はファントムに襲われて死ぬ危険が著しく低下する。


 世界大戦が終結し、戦争での犠牲者が減った世界では、災害前と違い一番多い死因がファントムに襲われる事に変わっていた。だが、特区内だけは、病気と事故が死因の首位を争っている。特区とは世界中でも、屈指の平和がある場所なのだ。


 特区内にある学園は、保育園から大学までのエスカレーター式になっており、超能力とは関係なく優秀な学生が飛び級できる制度も設けられていた。


 だが、学園に入るには親元を離れなければいけない場合が多く、入学するほとんどの子供が小学生以上である。保育園や幼稚園に通っているほとんどが、特区内で働く国連職員の子供達だ。それ以外の学生は、ほぼ途中編入してきている。


 また、PSI学園に通う学生の過半数以上が、超能力者ではない。それだけ、超能力を使える者が、まだ世界には少ないのだ。ただし、その超能力者の人数は日を追うごとに増加しており、国連には専門の研究機関が設けられていた。


 入学当初には迷子になってしまう者まで出る大きな敷地の学園には、それ以上に大きな超能力研究施設が隣接されていた。学園から少し離れてはいるが、生徒達の暮らす専用の寮も比例して大きな物だ。


 戦時中に超能力者が犠牲になる、非人道的な研究が行われた痛ましい事件は、確かに発生してしまった。だが、現在は国連が国際法で厳しく取り締まっており、最低限国連の管理する特区で事件が起こる事はない。


 学園に集められた超能力者達には、三段階のランク分けがされていた。まず、もっとも人数が多いのは、超能力者予備軍と呼べる者達だ。彼等は、しゅを表現するSPと呼称されている。そのSPの語源は、ラテン語のSPECIESスピーシーズからとられた、生物学では当たり前の用語である。


 SPである学生達は、ESPカード等を使った研究者達により考案された試験をパスしており、日々能力の発展を目標に努力していた。ただ、その力は強くても災害前の超能力者レベルであり、目で見てすぐ分かるほどではない。


 そんな彼等は見る者が見れば、胡散臭い詐欺師やペテン師にしか見えないだろう。実際に、研究者達が作った試験をクリアした者の中には、本当にただ運が良い者や、超能力としてではなくただ勘が鋭い者も混ざっている。


 分かりやすいサイコキネシスだけではなく、超感覚を持つ子供を見つけ出すには間口を広く構えなければいけない為、それは仕方の無い事だ。研究者達も試験内容を毎日のように見直し、能力者達の発見純度を高めてはいるが、まだ超能力を使えない者達を完璧に振るい落とす事は出来ていない。


 国連の目的は、ファントムの脅威から人類を守る為に超能力者の育成する事だけではなく、子供達に安全を与える事にもあった。一度SPとして入学した者が超能力者ではないと分かっても、自主退学をしなければ大学卒業までは通う事が許されている。また、超能力者ではないと判断された後でも、冷遇される事はない。


 超能力とは、未知の部分が多く、SPとして絶対に超能力者だと太鼓判を研究者達に押されても、能力を開花できるかはほぼ運次第である。トレーニングによって向上はするが、能力が強くなる原因を研究者達はいまだ明確に特定出来ていない。中には、SPのまま学園を卒業する事になる者も、少なくない。


 そのような学園内で、ファントムに対抗できるほどの力を発現さている能力者達は、差別にならないようにと職員達は気を付けているらしいが、どうしても優遇されてしまう。また、希少な超能力者を欲しがる国や企業は多く、学園卒業後も彼等はよほどの罪でも犯さない限り生活に困る事はない。


 その能力を完全に発現させた者達は、ファーストと呼称されており、何時からか一般的な超能力者とはそのファーストランク以上の者をさす言葉となっていた。そのランクに属する者はどんどん数が増えており、能力の強弱も明確に数値化され始めていた。


 ファーストランクの能力者でも、全員がファントムに対抗できるわけではない。ファントムを撃退する力はサイコキネシス側であり、予知や透視といった超感覚側が特出している者は、敵に対抗する力が無い事もある。


 また、双方をバランスよく持った者でも出力自体が低く、ファントムに一撃で致命傷を負わせられない事があった。そのような能力の事情から、超能力者達はファントムと戦う場合に、サイコキネシスの力が強い者がオフェンスを担当し、バランスタイプと超感覚の優れた者はそのサポートにつく事が多い。


 ファースト達の能力には、体が発光現象をおこすほど強い者から、雑誌を浮き上がらせるだけで力を使い果たす者まで、かなりのばらつきがある。研究者達はその能力値を計測し、専用のグラフに記入する事で可視化表現している。


 ファーストから能力がさらにもう一段上にあがり、特殊能力と呼べるほどになった力を持つ者達が既に出現していた。その能力者達はセカンドと呼ばれ、人数が極端に少なく、学園内でも一番特別な扱いを受けていた。


 ファーストの人間が、セカンドに成長する条件は、まだ調査中である。だが、大学生や大人だけでなく、力が強くても小学生からセカンドに成長した者はいない事だけは分かっている。その為、十二歳から二十歳までに成長しなければ、ファーストがセカンドに成長する事はないだろうと推論がたてられている。成長の理由を見つけようと、人間の成長期やホルモンバランス、精神状態なども考慮に入れて現在も研究者達が解明に取り組んでいた。


 学園には特別に作られたセカンド専用のクラスがある。そのクラスは、ファースト時代から学園に通学し中学生もしくは高校生になってからセカンドに成長した者と、外部からの途中編入者が半々になっている。


 特区近辺に出現したファントム達の多くを、そのセカンド達が殲滅しており、学生達から尊敬される対象となっていた。特に、高等部一年生のセカンドクラスには、偶然容姿に優れた者が多く、SPや一般の生徒達からアイドルやスター選手のように扱われていた。


 中尉の階級にいる特殊部隊で活躍していた男性も、ある任務以降能力がセカンドクラスに変わっていた。その為、その高等部一年生のクラスへと夏休み明けから編入されていた。


 男性の年齢は、どう計算しても十八歳以下にはならないのだが、戸籍上は十七歳になっている。それは、フランソアの指示であり、男性に拒否権は与えられなかった。


「おはようございます! 先輩!」


「んっ? ああ、おはよう」


 学園の門をくぐると同時に中等部の女生徒から挨拶された、神山彰かみやまあきらは、顔をひきつらせながら挨拶を返した。その彰とは違い、挨拶を返された女生徒は嬉しさのあまり、友達と騒いでいる。


「やったぁ!」


「いいなぁ。私もさっき挨拶したのに、聞こえなかったみたいなの」


 挨拶を彰から返された女生徒は、相手の進行方向をふさぎ、強引に挨拶をしていた。その為、無視しては通してもらえないと感じた彰が、やむなく返事をしただけなのだ。


 彰は、その友達側からの挨拶も聞こえていたが、故意的に聞こえないふりをしていた。冷たいとも思える彰の行動だが、隙を見せると生徒全員から挨拶され、登校すらままならない状況になる為、仕方が無いのだ。


「はぁ……」


「ふふふっ。まだ、慣れませんか?」


 溜息をついた彰に声をかけたのは、同じ高等部セカンドクラス一年の、高梨綾香たかなしあやかだ。


 彼女は、少し垂れた切れ長の瞳と、胸まである長い黒髪が印象的な和を感じさせる端正な顔を持った女性だ。彼女は顔と性格だけでなく、スタイルも抜群であり、穏やかな物腰と大きな胸で、癒しを求める男子生徒から絶大な人気があった。


「もう、転入してから二か月以上でしたよね? 慣れないと、ストレスが溜まりますよ?」


「慣れたいような、慣れたくないような……」


 並んで歩く二人を、周りの生徒が眺めている。


「あの二人が並ぶと、絵になるわぁ」


「高梨さんに近付くなって言いたいけどさ。あれだけ格好良いと、逆に何も言えんな」


 彰も綾香に引けを取らないほど、容姿に恵まれていた。高い身長と広い肩幅を持ち、手足が長い。また、二重の大きな目と、筋の通った形のいい鼻を持っており、逆立てるようにワックスで固めた短めの髪から爽やかな好青年といった印象を受ける。


「あら?」


 並んで会話をしながら玄関へと向かっていた二人の隣を、一人の男性が追い抜いた。それに気が付いた綾香が、挨拶をしようとした。だが、その男性、井上省吾いのうえしょうごは足早に通り過ぎていく。


「ふぅ」


 挨拶をしようとした綾香がため息をつき、その表情を少しだけ曇らせる。それを見ていた彰は、それほど上手くはないが何とか綾香を元気づけようと会話を続けた。


 早々に玄関へとたどり着いた省吾も、セカンドクラスの一員であり、彰達と顔見知りだ。また、三人しかいない希少な日本人のセカンドであり、彰と同じ編入組でもあった。


 省吾も、顔やスタイルは悪くない。だが、少しきつい目つきと、それを覆う伸びた髪の目元へ作った影が、見る者に圧迫感を与えた。そして、無口なのも手伝い、何を考えているのか分からないと思われ、いきなりナイフで刺されそうだと評されていた。


 陰のある雰囲気と、たまに喋る口調が丁寧だったことで、隠れファンはいる。だが、省吾が高等部セカンドクラス一年生の中で、一番の不人気者なのは間違いない。


 学園に登校し始めた当初は、同じ編入組として何度か話し掛けたていた彰も、ろくに返事をしない省吾へはもうほとんど喋りかけていない。それどころか、嫌っている。


 彰が省吾を嫌っている理由は、無口だけが原因ではない。省吾は、弱いが比較的戦闘向きの力を持っている。だが、ほとんどファントムとの戦闘に参加しないのだ。


 戦闘行為には命の危険があり、参加不参加が生徒の意思にゆだねられてはいる。だが大戦終結まで、幼いながらも戦っていた彰は、力を持つにも関わらず戦わない省吾が理解できない。


 セカンドクラスには、省吾以外にも数人戦闘へほとんど参加しない者はいる。だが、それは超感覚の力しかなく、戦えないからだ。


 クラス内では弱いが、ファーストと比べれば十分な戦力を持った省吾は、戦うべきだと彰は考えている。しかし、それを強制するべきだとは思っておらず、いつも言葉を飲み込んでいた。そして、何時からか省吾を嫌いになっていた。


「彼には彼なりの理由が、きっとあるんですよ」


「あっ、ごめん」


 無意識に省吾を睨んでいた彰に気が付いた綾香が笑いかける。その顔を見た彰は、取り敢えずではあるが綾香に謝罪をした。だが、胸の中にあるもやもやは晴れていない。綾香を見ると、その感情はより高まってしまう。


 綾香は頭抜けた超感覚を持ってはいる反面、能力の強いファーストに劣るほどサイコキネシスの力が弱い。しかし、彼女はファントムとの戦闘にほぼ毎回参加していた。


 彼女の力があれば、かなり離れた場所からファントムの位置を正確につかみ、戦いを有利に進められる。それでも、ファントム達に接近され、彼女も危険は何度も味わっていた。


 人を助けたいと強く思う綾香は、今も積極的に戦いへ参加している。同じグループで戦っている彰は、そんな彼女の優しさと強さをよく知っており、より保身に走る省吾が許せなく思えていた。


 玄関で室内用の靴に履き替えた二人は、そのまま自分達の教室に向かった。二人を同学年の生徒達が、羨望の眼差しで見つめる。その生徒達は、紺色のブレザー型である制服を着ており、ファーストクラスの生徒だと一目で分かる。


 学園には日本人の生徒が多く、元々の土地である日本の文化を取り入れ、制服の着用が校則で義務付けられている。シャツやズボン、スカートは統一の物だが、上着だけが能力識別を容易にするために変えられていた。


 一般生徒は明るめの黄土色、SPはチェック柄が入った灰色、ファーストは紺色で、セカンドは黒色に決まっている。生徒達には、デザイン的な意味でSPの着る灰色が、一番支持されている。学年はネクタイの色で識別可能で、高等部一年はクラスに関係なく赤をつけていた。


「よう」


「おう」


 彰が入ると同時に、白人男性が声をかけてきた。クラスメイトのケビン・ベーカーだ。


 角度によっては女性にも見える程中性的な顔を持ったケビンは、綺麗で長い金色の髪と緑色の瞳を持ち、女生徒から一番人気がある。また、サイコキネシス側の能力と、身体能力でも彰さえいなければトップの実力を持っていた。


「今日の実技は、覚悟しておけよ」


「お手柔らかに」


 悪意なく笑うケビンは、挨拶でもするように彰を挑発し、トイレに向かう為に教室を出た。それを見送った彰は、苦笑いを浮かべる。


 軍隊式の体術訓練で実力が拮抗していると思いこんだケビン側から、彰は一方的にライバル視されていた。ケビンは、彰がまだ本気を出していない事を知らない。


 クラスメイト達に挨拶をしながら、自分の席についた彰は教室の中を見回す。戦場にいた時、自分の置かれた状況を常に把握しようとする癖がついたからだ。


 彰の見回した教室は、日本式の一般的なものであり、日本人にはおなじみの作りだ。ただ、クラスメイトの多くは日本人ではない為、制服の着用や机の作りなどに不満を漏らす者もいる。


 だからと言って、学園側に積極的な抗議は学生側からは行われない。国連側がそのような措置をとる事はまずないだろうが、万が一学園を追い出されたらという強迫観念が学生達の中にはあるのだろう。


 彰達よりも早く自分の席に座っていた省吾は、趣味の雑誌を読みふけっている。他のクラスメイトのように、仲間とのコミュニケーションを楽しんだりはしない。省吾を見て嫌な気分になりそうだった彰は、視線を窓の外に向ける。そして、快晴の空を眺めた。


 ケビンが戻ってからしばらくすると、担任である堀井教諭が教室へと入ってきた。その手には、出席簿が握られている。それを見た生徒達は、友人との会話を中断し、自分の席へと戻る。


 その男性教諭は、細身の長身で、人の良さそうな顔をしている。だが、生徒達を守り育てる任務についた、れっきとした特務部隊員であり、ファーストでもある。支部が違う為に直接任務でかかわった事はなかったが、生徒の中に自分よりも階級が上の兵士がいる事も分かっていた。


 堀井教諭の点呼に、生徒達は思い思いの返事をする。本来クラスには十八人の生徒がいるはずだが、その点呼は十人で終了した。


 学園の容認した欠席者が、八人いるのだ。セカンドクラスはファントム退治をしている者が多く、夜間の戦闘もかなりの割合で発生していた。その為、生徒の出席にはタイムスケジュールが組まれており、クラスメイトが一堂に会するのはイベントや緊急時だけなのだ。


「神山君、ベーカー君、井上君の三人は、一階の測定室へ、今から私と一緒に来て下さい」


……なんだ?


「どうしてですか?」


 出席を取り終えた堀井教諭からのスケジュール外となる依頼に、彰は質問をした。ケビンも首をひねって、訳を聞きたそうにしている。


「昨日の測定に使った機器に、不備が見つかりました。申し訳ありませんが再測定です。その間、他の人は自習をしていて下さい」


 楽が出来ると喜んでいる他の生徒と違い、彰とケビンは顔を見合わせて苦笑いを浮かべる。そして、廊下で手招きしている堀井教諭を見て、席を立った。


「俺も必要なんですか?」


 他の二人に気付かれない様にぼそりと呟いた上官に、堀井教諭は申し訳なさそうな顔をして、小さな声で答える。


「本当に、機器の不備なんですよ。計測結果の提出は義務ですし、改ざんは軍規違反ですから」


……軍規か。仕方ない。


 目的の部屋についた三人を、研究員達が取り囲んだ。そして、吸盤式になっている計測器のセンサーをこめかみや腕などに取り付けていく。


 計測を行う部屋は床や壁など全てが、白一色で統一されており、射撃場に似たつくりになっていた。三人はそれぞれのブースに入ると、一人ずつサイコキネシスで的となるターゲットの印刷された紙を狙う。


 その紙の的は天井からのレールで垂らされており、自動で動く。破れた紙の交換や距離の調整等は、コンピューターからの指示で機械によって行われる。


 セカンドの能力ではなく、純粋なサイコキネシスの射程距離を測定し終えた三人の中で、省吾だけがブースから離れる。省吾のセカンド能力は強化であり、射程距離が全く無いので測定方法が違うのだ。それに対して、彰とケビンは右手に集中した光をターゲットに向かって放つ。


 サイコキネシスは物体に力を与えるもので、分子や電子などにも直接作用させられる。災害前から確認されていたパイロキネシスト(発火能力者)は、分子運動を活発にさせる事で炎をおこしていた。


 ケビンの放った青白い光は、パイロキネシストとは逆に対象物の分子運動を停止させ、凍りつかせることが出来る。それが紙だろうと、関係ない。


 彰の放った閃光は、ケビンとは逆に直径三センチ程の穴をあけ、そのままその紙を発火させた。それは、集約したサイコキネシスの弾丸で対象物を撃ち抜く力だ。また、撃ち抜かれる際に対象の分子が揺さぶられ、結果としてパイロキネシスと似た追加効果がもたらされる。


「くそっ、距離じゃ敵わねぁな」


「特性が全然違うんだし、仕方ないさ」


 能力の射程距離で負けたケビンが顔をしかめ、いつもの様に彰が慰めていた。その隣では、強化した拳で鉄板を殴る省吾がいた。


 衝撃音が部屋の中に響くと、固定された厚さ五センチもある鉄板に拳大のへこ身が出来る。それを見ていた彰とセンサーを外して振り向いた省吾の目線が、短い間だったが重なった。


……あいつ。もしかして、俺と同じように力をセーブしているのか? 何故?


 測定を終えた三人と堀井教諭は、そのまま教室へと戻る。


「おい。聞いてるのか?」


「ん? ああ」


 省吾の力を見てファントムと戦わない苛立ちを思い出した彰は、教室に戻るまでの移動時間に考え事をしていた。彰は省吾にも戦わない特別な事情があるのかも知れないと、色々な仮説をたてているのだ。だが、いくら考えても納得のいく答えは見つからない。


 午前中の授業を終え、クラスメイトと食堂で食事を済ませた綾香は、一人で教室に戻ってきた。友達と図書館に向かう予定だったが、携帯電話を教室に忘れているのに気が付いたからだ。その教室には、自分の席で雑誌を読む省吾だけが残っていた。


 友達のいない省吾は、昼食をパンとパックに入ったコーヒーで済ませる事が多い。そして、昼休みを趣味である雑誌の読書や、携帯ゲーム機で潰している。その省吾を見た綾香が、歩み寄っていく。綾香が、省吾に好意を持っている訳ではない。彼女は正義感が強く、平等な優しさを好み、曲がった事をしたくないのだ。


 力を合わせてファントムに立ち向かう事により、強い信頼で結ばれているはずのクラスメイトから除外されている省吾に、綾香は歩み寄ろうとしているのだ。余計なお節介かもしれないと考えつつも、綾香の正義感は足をすすませていく。


「ふっ……」


 自分が省吾のきっかけになればと勇気を出した綾香が、今まさに声をかけようとした瞬間、省吾が口角を上げて小さな笑い声を漏らした。その瞬間に、綾香は自分の肌が粟立った事を感じ、そのまま教室を出た。


 近付いた事で綾香にも、省吾が見ていた雑誌のページがはっきりと見えていた。それは、アニメ等に出てくるロボットの写真だった。


 カラーの見開きに掲載されていたその写真を見て、省吾はにやりと笑ったのだ。それを綾香は、気持ち悪いと感じてしまった。


 女性は異性に対して好き嫌いの前に、気持ち悪いと感じる事がある。生理的なものであり、ある程度までは我慢できる感情だ。


 だが、日頃笑う事のほとんどない省吾が、ロボットを見てにやりと笑った光景は、綾香の我慢を超えていたらしい。


 綾香も水着を着た女性のグラビア等であれば、若い男性の趣味として理解できる。そして、我慢できたかも知れないと考えながら、綾香は足早に図書館へ向かっていた。その間中、省吾に感じた気持ち悪い記憶を、消そうと何度も頭を振っていた。


「綾香? 貴女、大丈夫? 顔色良くないわよ?」


「ええ。なんでもありません」


 図書館で友人達に心配された綾香は、誤魔化して棚からとった本に集中しようとする。


 だが、記憶にこびりついた省吾の口元が上手く消えてくれない。そのせいで、読んでいるはずの読みたいと思っていた本の内容が、彼女の頭には吸収されなかった。


「ふぅ……ったく……」


 自分を追い回す女生徒達から逃げてきた彰は、偶然綾香達のいる学園敷地内に作られた図書館に飛び込んだ。彼はケビンの様に女生徒をうまくあしらう術を身につけておらず、女生徒達からの視線に耐えられる根性が無い。


「お? よう」


 綾香を見つけた彰は、声をかける。綾香と一緒に図書館へ来ているのは、彼女の中学生時代からの友人達であり、まだファーストのままだ。そんな友人達は、彰を見て目を輝かせる。


「んっ? ああ、神山くん」


 いつもと違う綾香の顔色に気が付いた彰は、緩んでいた顔を引き締めた。


「どうかしたのか? 真っ青だぞ?」


「いえ。なんでもないんです」


 省吾のせいではあるが、彼に何の落ち度もない。綾香が勝手に、気分を悪くしただけだ。それをよく分かっている綾香は、誤魔化そうとした。だが、誤魔化そうとしている事も彰は読み取ってしまう。


「本当にどうしたんだ?」


「本当に何でもありません」


 綾香が珍しく感情を高ぶらせてしまい、声が徐々に大きくなっていた。ある意味で恋人同士の様にも見えるやり取りを、二人は喋ってはいけないはずの図書館内で続けた。


「なあ、お前達。何か知ってる?」


 一向に喋ろうとしない綾香に聞いても、埒が明かないと思えた彰は、友人達へ質問する相手を変えた。同い年ではあるが、憧れている男性からの質問に、友人達は素直に答えてしまった。


「あ、あ、あの。教室に一度戻ってから、こんな感じで」


「ええ。私達にも分かりません」


 その言葉だけで、大よその推測をしてしまった彰は、綾香に視線を向けた。唇をかんだ綾香は、気まずい気持ちを表情に出していた。


「教室って事は、井上だな? 奴に、なにされたんだ?」


「違います。違うの……」


 省吾は関係ないというつもりだった綾香だが、全く関係ないわけではない。そして、嘘をつく事に抵抗を感じた綾香は、上手く誤魔化すことが出来なかった。そのせいで、口論が続いてしまう。


 その口論は、目立つ人物二人により繰り広げられており、図書館内にいた生徒のほぼ全員が聞き耳を立てていた。そして、省吾が綾香によくない事をしたらしく、その事で隠れて付き合っていたらしい彰と綾香が喧嘩をしていた、という噂が学園内に広まってしまう。


「なるほど。これは、甲乙つけがたい」


 教室でプラモデルの専門雑誌を読んでいる省吾は、図書館の出来事を知らない。ただ、雑誌社主催のジオラマコンテストで優勝した作品と、僅差で準優勝になった作品を見比べて唸っていた。


 土煙まで再現したそのジオラマ写真をいろんな角度から眺め、制作方法の特集を念入りに読んでいる彼は、自分の隠れファンがさらに減った事も知らない。


 午後からの授業が始まるまでに、彰は省吾を問い詰めたりはしなかった。あまりにも聞き分けてくれない彰に、綾香が省吾に何かすれば絶交するといったからだ。そのやり取りで、双方ともに悩む結果となった。


 彰は省吾に対するうっぷんや、少なからず好意を寄せていた綾香に対する疑いと失望が胸中で渦巻いている。そして、綾香は自分がすべて悪いのに感情的になり、省吾と彰の溝を深めてしまったのではと妄執していた。クラスメイト達は、授業を聞かずに頭を抱える二人を見て、無言でアイコンタクトをおくり合う。


 図書館での出来事を噂しているのは、セカンドクラス以外の生徒であり、クラスメイト達には伝わっていない。その為、いくらアイコンタクトで探り合っても、答えは出なかった。


 教壇に立つ堀井教諭も教室の異変は感じ取っており、自分に不手際があったのだろうかと疑ってしまっていた。そして、授業を進める速度が遅くなっていく。


 セカンドクラスの嫌な空気を切り裂いたのは、内線電話の呼び出し音だった。そのセカンドクラスに設置された壁掛けの内線電話には、コール音がいくつか内蔵されており、現在鳴り響いているのが緊急出動依頼時のものだと生徒達にも分かる。


 急いで受話器を取った堀井教諭に、生徒達からの真剣な眼差しが注がれた。そして、ファントムの出現によりかかってきた連絡内容を全て聞き終えた堀井教諭は、日頃とは比べものにならないほど真剣な表情を浮かべて振り返った。


 生徒達は、そんな堀井教諭の指示を今か今かと待ち受ける。


「特区内のC七地区に、約二体から四体のファントム出現しました。出動は一チームです」


 先程までの悩んでいた表情が消えた彰は、シフト表を確認し、ケビンと綾香を見た。二人も既に表を確認し終えており、彰の視線にうなずく。


「残りのチームもバックアップ体制を整え、待機場所へ。時間がありません! 作戦開始です!」


 堀井教諭が叫ぶと同時に、クラス中の人間が立ち上がり、装備を整える為に更衣室へと走った。


 戦闘への参加を希望していない生徒達も、現場に向かう者達だけではどうしようもなくなった場合のみ出動する契約を、セカンドにあがる際に学園と交わしている。その為、戦闘参加への意思表示をしている者達と部屋は違うが待機場所で待つ義務がある。


 ただ、特殊部隊員やセカンド達だけでなく、戦闘への参加を希望しているファーストが大勢おり、実際に出動した事例は一度もない。


 彰達三人と、特務部隊員二人を乗せた専用緊急車両が、サイレンを鳴らして現場へと急行した。


 その緊急車両は、軍事利用を目的に開発された車両で、外観こそ普通のワンボックスカーと似ているが、装甲が厚くタイヤや窓も通常車両とは違っていた。


 また、乗車人数を増やすために後部座席部分が、両側面に取り付けた折り畳みベンチ式の椅子になっている。そして、レーダーや高出力の無線通信機といった軍用機材の搭載された内側も、一般人の思い浮かべる車とは違っていた。


 出撃した彰達は、軍が開発したファントム戦闘用装備に着替え、ベルトを着けた状態で移動中の車内に座っている。


 学生達に支給されたファントム戦闘用スーツとは、学園の生徒を守る為に作られたものである。同乗する他の特殊部隊員のつけているボディーアーマーとは、見た目こそさほど変わりはないが、中身は別物だ。


 防弾繊維を貫通する弾丸等には弱い代わりに、衝撃や圧力には何倍も強く、重量も半分以下で装備者の動きをほとんど妨げない。


 ファントムからの攻撃は、爪や牙などの裂傷よりも、腕力による衝撃が一番の脅威だ。その上で、野生の獣並に素早く動くファントムに、対応しなければいけない。


 この二つが敵との戦闘で最も重要だと、特殊部隊員に多くの犠牲を出しながらも蓄積したデータから、開発部が導き出した答えだ。


 彰達の身に付けている装備は、表面はただの防弾繊維だ。しかし、内部にポリマーやゴム等を組み合わせた衝撃を逃がす柔らかく粘りのある特殊な材質が使われており、人体の急所はかなりの確率で保護される。また、貫通弾を考慮する必要がなく、金属板などを埋め込まない事で、筋力に不安のある未成年にも扱える重量を実現していた。


「住民達の避難完了。ターゲット、C九地区へ誘導中」


 移動中の車内に、現場で対応をしている一般兵からの無線連絡が流れた。彰はそれを聞きながら、対面の位置に座って目を閉じている綾香を、見つめる。その綾香は超感覚で、敵の位置を補足しつつあった。


「二……三? いえ、敵は二体です」


 綾香の頭部を包んでいた光が強くなり、彼女は車内の人間にテレパシーで敵の位置や動きなどを正確に知らせた。すると、運転をしていない特殊部隊の一人がその綾香のテレパシーをそのまま利用し、作戦を伝える。作戦が理解できた返事を彰達はそのままテレパシーで行い、運転をしていた兵士は目的の場所へ向かう為に車線を変更した。


 セカンドになった綾香の能力は、サイコキネシスが弱い代わりであるかのように、超感覚側が数種類強化されていた。それは、広範囲の探索能力や、複数人とテレパシーで繋がる能力等といった、戦闘を補助できる程強力な物ばかりだ。


「作戦開始だ! 持ち場につけ!」


 目的の場所に車両が止まると同時に、観音開きである車の後部ドアが開かれ、ヘルメットをかぶった彰達が飛び出す。


 作戦の指揮権は同行する、特殊部隊員に与えられており、その隊員が立てたのは待ち伏せによる奇襲作戦だった。それは、戦闘力の高いファントムに、真っ向から勝負を挑むのは得策ではない為に、超能力による敵の補足が可能になってからもっとも多用されている作戦だ。被害が最も少なく、成功率が高い作戦ともいえる。


「後、五百メートルほどです」


 建物の陰になる路地裏で隠れている彰とケビンが、綾香からの情報を聞きそれぞれ手に力を集中した。そして、ファントムが姿を現すはずの方向へ、光る手をかざして息をのむ。特殊部隊員二人も、もしもの事態に備え、両手にサイコキネシスの力を溜めていた。


「来ます」


 綾香の声と同時に、囮となってバイクで走っていた兵士が、道路の曲がり角を予定通りに左折し、彰達の視界に飛び込んだ。そして、それから少しだけ遅れて道を曲がってきた高速で走る二体の敵が、彰達の射程に入った。


「今だ!」


「行けえぇぇ!」


 彰とケビンの放った光は、的確に敵を射抜き、消滅させた。他の超能力者達よりも能力が高く、射程も長い二人だからこその結果だ。


 セカンドクラスでもトップを争う二人がいれば、作戦に致命的なミスがあるかファントムが予想外の動きをしない限り、このようにあっさりと戦闘が終了するのだ。


「お見事ですね。お二人とも」


 敵の消滅を超感覚でも確認し終えた綾香が、警戒を解き、立ち上がって二人に小さな拍手をおくる。それを見た彰が、色々と考え込んでしまった自分が馬鹿らしく思えたようで、綾香に笑顔を向けた。


 だが、彰は自分以上に綾香が動揺していた事を、理解していない。超能力は、使い手の心境変化に大きくされてしまう。その為、綾香の行った索敵は不十分だったのだ。


 ファントムは、移動中に霧の様に体を変化させる事がある。その状態では超能力による感知が難しく、いまだにファントム達の巣や発生源が特定されていない原因にもなっていた。


 今回出現したファントムは三体なのだが、消滅した二体と違い、霧状のまま様子をうかがっていた一体を綾香は捉えることが出来ていなかった。


 隙だらけになった彰達は、背後にある壁の隙間から黒い霧が漏れ出している事に気が付いていない。何よりも、ファントム以外に自分達の命を脅かそうとしている存在が、もう一つある事を知りもしない。


 ある建物の屋上から、長距離ライフルの銃口が彰達超能力を持つ学生に向けられていた。だが、国連軍特務部隊に守られた学生達が、たやすく殺されることはない。


 トリガーに指をかけようとした、スコープで彰の頭部に狙いをつけている狙撃手は、空を切り裂いて飛ぶ一発の弾丸に気が付かない。


 その狙撃手の隣で、周りを警戒しているサポート役らしき人物も同様だ。弾丸はかなり離れた位置から放たれたものであり、普通の人間が知覚出来ないのは当然だろう。


「えっ?」


 驚くべきことに、そのサポート役らしき人物は、自分達に接近する物体を感知して振り向いた。その人物も、超能力者だったからだ。


 国連に管理されず、武力集団側についた超能力者達もいるのだ。かなり能力も高いらしく、綾香の探知を自分の能力で誤魔化して待ち伏せていたのだ。だが、その人物が弾丸を知覚するのは、少しだけ遅かった。


 コンクリートで出来た屋上の床に、尖った弾丸がめり込む。それと同時にライフルを構えていた狙撃手はその場で倒れ込み、弾丸の貫通した頭から血が流れ出していた。


「くっ!」


 サポートをしていた人物には、もう一発の弾丸が接近している事が分かっており、その場から跳び退いた。


「はっ?」


 超能力者特有の超感覚で弾丸の軌道が分かっていたその人物は、超高速ともいえる感覚の中で驚愕していた。あり得ない事だが、飛んでいるその弾丸が空中で軌道を変えたのだ。


 弾丸が自分に向かっていると分かりながらも、その人物は頭からダイブしている最中であり、床にすらまだ到達できていない。


 音速を超えた弾丸を知覚出来ただけでも、十分人間のレベルは超えている力であり、音速以上で動く事は超能力者でも難しいだろう。


「ぐっ!」


 ダイブ中だった敵の超能力者を、輝きを放つ弾丸が撃ち抜いた。


 頭を撃ち抜いたかと思われたその弾丸は、肩の肉を削っただけにとどまった。その超能力者は咄嗟に体をひねり、弾丸の軌道から急所を守ったのだ。


 ビルの屋上で転がった敵は、肩の傷を押さえ仲間の死体も回収せずに走り出した。敵は、確実に死ぬはずだった状況を切り抜けたのだ。そして尚も国連軍から逃れるために、驚愕すべき程的確で素晴らしい判断をしている。


「外した?」


 弾丸を放った人物も、予想外の状況にいつもより対応が遅れる。もう一度スコープを覗いた時には、既に敵は屋上の出入り口に向かって走り出していた。


 この場合、狙いを外した狙撃手を責めるよりも、逃げている敵側の人間離れした対応を、ほめるべきだろう。


「なんだ?」


 走り去る敵に照準を合わせようとしていた省吾に、悪寒が走る。


……まだ、ファントムがいる?


「くそっ!」


「井上中尉?」


 隣で補助として同じようにスナイパーライフルを構えていた堀井兵長は、省吾の声で顔を上げていた。サイコキネシス側の力が強く、超感覚側を不得意とする堀井兵長には、霧状のファントムは捉えられず、状況が理解できない。


 ただ、堀井兵長が無能なのではなく、敵が一キロ近く離れた場所にいる為、他の超感覚に自信がある者でも捉えるのは難しいだろう。だが、類稀な勘と強力な千里眼の使い手である省吾は、それを捉えた。


「なんだ?」


「今のは? 敵か?」


 自分達の背後で、何かが砕ける音を聞いた彰達は身構える。綾香も能力で再探索を始めていた。


 しかし、それは徒労に終わる。省吾の放った弾丸がファントムを既に消滅させていたからだ。残っているのは、ビルの壁に突き刺さった弾丸だけだ。


「敵はビル内部に逃げ込んだ。可能ならば、生きたまま捕縛しろ」


 敵の姿を完全に見失った省吾は、無線で待機していた別働隊に指示を出した。そして、それが済むと彰達に同行していた隊員達にも連絡を入れる。


「潜伏していた敵は、俺が始末した。速やかに学園へ帰投しろ」


 ファントムを倒す代わりに、武装勢力側の敵を討ち損じた事で、省吾の表情は険しいものだった。それを見た堀井兵長が、頬をぽりぽりと掻きながら精一杯の気を遣った言葉を発する。


「中尉。子供達も無事ですし、十分な成果ではないでしょうか?」


「敵を捕まえられればな。逃げられれば、不十分だ」


 上官の機嫌が直らないことで、困った顔をした堀井兵長に気がついた省吾は、表情を緩める。


「はぁ……。この任務も、楽じゃないですね」


 大きく息を吐いた省吾は、短い時間で気持ちの整理をつけ、スナイパーライフルの片づけを始める。それを見た堀井兵長も、同じようにライフルの解体を開始した。


「敵の残していったものは、すべて回収だ。逃げた敵も肩を押さえていた。血痕が残っていれば、それも忘れるな」


「はっ!」


 学園に帰らなければいけない省吾は、後処理をする部隊に指示を出し、移動用の車へと向かった。


 その頃、後始末は軍がするので帰投するようにと指示された彰達は、既に学園へ向かっている車の中だった。その車内で気がかりなことのある綾香は、俯いていた。敵ではなく、省吾の放った弾丸が帯びた力を、少しだけ感知していたからだ。


「俺達二人が揃えば、楽勝だなぁ」


「まあ、そうかもね。でも、綾香のサポートがあってこそだよ」


 ケビンとお互いをたたえあっていた彰が、綾香の変化に気が付いた。


「あれ? 綾香?」


「えっ? はい。なんですか?」


 綾香は自分の感じた違和感を、彰達には伝えなかった。力を感じたのは一瞬であり、自信を持てるほどではなかったからだ。綾香が尚も問いかけてくる彰を誤魔化しているのと同じころ、堀井は男性の下着姿に顔をひきつらせていた。


「中尉? 帰ってからでいいんじゃないですか?」


「でも、授業に差し支えますから」


 移動中の車内で着替えを始めた省吾は、堀井に敬語を使う。それは、仕事を終え、学生モードに戻った事を示す合図でもあった。


 生徒ではあるが、自分の上官でもある省吾に強く出られない堀井は、それ以上何もいわなかった。その代りに、あまり凝視したくない光景から目線を逸らす。


 移動中の車内でもバランス感覚に優れる省吾は、苦も無く着替えを済ませた。そして、教室に戻る生徒達に違和感なく合流し、授業を受ける。これが、最前線で戦い続け、Aとだけしか名前を持たなかった井上省吾がおかれた、今の日常だ。


 超能力者である少年少女達を陰ながら守る任務にある省吾は、フランソアが学生生活を楽しめといった意味をはき違えている事に、いまだに気が付いていない。そして、フランソアからの指示で正体を隠したのが、他の学生達に特別扱いされず、友達を作ってほしいという気遣いなのだとは考えもしない。


 ただただクラスメイト達との溝を深めながら、井上省吾の学園生活は続く。

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