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名無しのエース  作者: 慎之介
五章
49/82

 口数はさほど多くなく、よく働く事で引き締まった体とよく焦げた肌を持ち、背があまり高くない青年がいた。その青年は黒い瞳と、同じ色の少し癖のある髪を持っているが、東洋人ではなくれっきとした白人種だ。


「おい……あれ……」


 反乱軍で活動を続けている青年イーサンは、周りの者達から噂話をされ、見つめられることが増えていた。


 イーサンの本人はよくない陰口を耳に入れながらも、相手に喧嘩を挑んだり抗議したりはしない。噂自体は間違いでないという事が最大の原因ではあるが、奥底で激しい部分を持ちながらも温厚といえる性格をイーサンが持っているからだ。


「ああ、やっぱそうだよ。くそっ……なんでだ?」


 反乱軍の拠点である地下で、その日もイーサンは妬みによる複数のひそひそ話に晒されている。


「はぁ……。なんだよ……」


 溜息をついたイーサンは、もう勘弁してくれといわんばかりの顔で、両手をポケットに入れながら薄暗い通路を進んでいく。そのイーサンは決して不細工と呼ばれる様な顔をしている訳ではないが、男前と言い切れる顔はしていない。


 可も不可もない顔ではなく、可と不可が同点になっているイーサンの顔は、総合的には五十点だろう。イーサンの持つ顔を細かく説明すれば、目が小さい代わりにまつ毛が長く、形のいい眉は眉尻が少し情けなく垂れており、筋の通った鼻は上向きといった具合だ。


 周りがどう評価しようが、イーサンは既に他界した両親の特徴を受け継いだ自分の顔を嫌ってはいない。また、もし嫌っていたとしても、整形などという手段が使えない時代であり、それをどうしようもないのだ。


「なになに? 元気ないじゃん!」


「いっ……てっ!」


 イーサンの肩を落として歩く後姿を見たダリアは、走り寄ると思い切り平手をその背中に見舞う。痛みによりのけ反って顔を苦痛に歪めていたイーサンだが、犯人を叱りつけようとは考えない。


「もう少し……手加減してくれよ」


「はいはい。ごめんごめん。でね、聞いてよ。実は……」


 両手を上下から背中に伸ばしているイーサンは、数日前から正式な恋人となったダリアに、抗議だけはした。だが、笑って普通の会話を始めるダリアは、その恋人であるイーサンからの抗議を真面目に受け取ったかも微妙に見える。


 すぐに機嫌を直したイーサンは、自分に語りかけてくる愛しい恋人と、腕を組んで通路の先に進み始めた。付き合って間もないイーサンだが、ダリアの事を心底大事にしようと考えており、喧嘩の種は出来るだけ飲み込むことにしている。その二人の光景を見れば、何故イーサンが周囲に妬まれ、陰口を叩かれているかは、押して知るべしというところだろう。


 ダリアは時間介入をしており、反乱軍にいる者達よりも、多くの人間を見て色々な経験をしてきた為、感性が少し違う。外見的にイーサンより好みの男性が反乱軍の中にいないわけではないが、それでもダリアの気持ちに嘘はない。


 イーサンは他の者達のように貢物をしたわけでも、ダリアをお姫様のように扱ったわけでもなかった。ただ、反乱軍の仕事である食料調達やヤコブの護衛時に、さりげなくダリアをフォローし続けたのだ。以前からダリアの事をイーサンは意識していたが、他の者と大きく違ったのは下心と表現するよりは純粋な恋と呼べた気持ちの在り様だろう。


 イーサンは幼い頃に両親がノアの罰を受けて殺され、友人達も同じ目にあったせいで都市を誰の助けもなく逃げ出した。その為、反乱軍の中でもノアへの激しい気持ちは強く、違う未来ではあるがノアに恨みを持ったダリアと共感できたようだ。


 仕事が出来るだけでなく純粋なイーサンを、ダリアは外見で七十点、内面で百二十点と評価した。イーサンだけでなくダリア側からも二人だけの時間を作り始め、男性側からのたどたどしい告白で二人は付き合い始めたのだ。


 男性達を翻弄していたダリアに注意をしようとしていたオーブリーも、その事で一安心している。ダリアの後見人ともいえる第二世代の残り二人も、イーサンの人柄は認めており、温かく見守っていた。


 だが、時間介入組と違って、ダリアに気があり貢物までしていた者達の心境は、穏やかではない。こつこつとダリアの点数を競って稼いでいたつもりの者達が、ろくなアプローチもなしに獲物を掻っ攫っていったイーサンを恨むのは当然だろう。


 ダリアを好きだったが、イーサンと付き合い始めた事で、ターゲットを変更するなどしてすっぱりと諦めた者もいるが、ごく少数だ。大半の者が恨みと妬みの気持ちを日々膨らませ、その負の感情はダリアだけでなくイーサンへと向けられている。


 その者達の多くは何故イーサンが選ばれて、自分が選ばれなかったかという点で、納得していない。イーサンが負の感情を貯えている者達よりも、格段に外見が優れていれば、事態は違っていただろう。


 男女問わず自己愛の無い者は少なく、見慣れている自分の顔に、他人の評価より高い点数をつける者は多いのだ。つまり、ダリアに振られた者の大半が、外見的に特出していないイーサンは自分よりも下だと考えてしまい、必要以上に腹を立てている。


 ダリアの外見だけに魅力を感じていた者達は、自分の事も上っ面でしか評価できておらず、内面を考えない。そして、物で釣ろうとする事や、作り物の優しさをダリアに見抜かれており、いい様に振り回されていたと気付けない。


 今まで頑張った自分達が、何故あんな不細工に負けなければいけないんだと、ふられた男性達は情けなく陰口を呟いている。それでも大きなトラブルに発展していないのは、不満を持っている男性達がフォースである時間介入組を恐れてではない。ふられた上に騒ぎ立てては、いい訳が出来ない程惨めになると男性達は知っており、その小さなプライドを守ろうとしているのだ。


 見透かしてしまうと情けなく惨めな話ではあるが、卑怯な手段に出ようとしないだけ、救いはある。ノアの支配から世界を解放しようと大義を掲げた反乱軍の中で、ちっぽけとも思える事に男性達はうつつを抜かしていた。


 ノアと戦わなければいけない状況下で、反乱軍の男性達がとっている行動は、あり得ないと考える者もいるかもしれない。しかし、男女間の問題が発端で発生した戦争も、傾いてしまった帝国も、死に至った王も存在する。


 正義などの大義名分と比べて小さく感じる事のある男女間の問題だが、人間という生物で考えれば小さくない事なのだ。寂しさを癒し、子孫を残すという本能に基づいた問題は、ある意味で人間の根幹部分ともいえるだろう。また、恨みや妬みも大義名分と違い、誰に教えられることもなく身に付く、人間の基本なのだ。


 生きる為だけでなく進化するためにも必要な欲求とは、得難いものであると同時に、厄介極まりない。幸せそうに腕を組んで喋っているダリアは、その妬みのこもった気持ちの悪い目線に気が付いていないようだ。


 その真っ黒い目線をダリア達に向けている人物は、ふられて鬱屈した気持ちを蓄積している者ではない。恨みは何かの被害を受けた者が抱く感情だが、妬みはそれよりもたちの悪い部分があり、関係ない者でも抱く事があるのだ。


 恋人となって幸せな雰囲気をまき散らすダリアとイーサンを見て、視線の主は妬みの感情を持った。それも、有ろう事か自分より下だと思っていた二人が、自分よりも幸せな事で自尊心を傷つけられたとまで考えている。


 その人物はどこかネジの飛んでしまっているリアムや省吾よりも、人間らしいといえるかもしれない。だが、自分の手を汚さずに人を貶め、それを心底楽しむことが出来る人物であり、性根は腐っている。


 虐めや犯罪を裏で指示し操作しようとする者は、その人物と同様に腐っている事は多いが、見るからに怪しい場合は少ない。他人を誘導して目的を達成しようとする大きな理由は、自分が否定されるのを嫌っているからだ。


 自分は何も間違っていないと、聞かれもしていないのにいい出してしまう者のおおよそは、社交的で一見するといい人に見える。


 恋人達を柱の陰から見つめている人物は、まさにそういったタイプの人間で、人の足を引っ張る事に喜びを感じるのだ。不幸な者だけを増やしてしまう事を平気で行う者が、幾度も歴史を悪い方向に歪めたと、その人物は分かっていないのだろう。


 幸せの絶頂期で浮ついているイーサンは、悪意を持った者が動き始めたとは、考えもしていない。誰に恥じる事なく真面目に生きてきたイーサンが、いちいち他人を疑おうとしないのは普通の事だ。逆にどんな時でも隙を作ろうとしない省吾や、嬉しさの中にありながら他人を疑っているリアムの方が、変わっているのだろう。


 自分が幸せ過ぎると感じ、何かよくない事が自分に降りかかるかも知れないと考えるのは、おかしいとはいえない。それでも、自分を教え導こうとする参謀達の弱みを握れないかと考えているリアムは、やはり異常な思考の持ち主なのだろう。


 驚くほど短時間で仕事の処理と引継ぎを終えたリアムは、ノアの首都へと戻って参謀になる為の教育を受けていた。


 リアム以外にも優秀だと認められた者が、四人ほど首都内や首都以外の都市から集められている。その五人の講師を務めるのは忙しいギャビンを除いた五人の参謀達で、一番講義が多いのは引退する予定の者だ。


 首都の宮殿内には、参謀候補性専用という訳ではないが、教育を行う為に作られた部屋がある。十席ほど講義を受ける側の人間が座る席が用意されているその部屋は、黒板と白墨が準備されていた。


 だが、内装は宮殿内に合わせたようで、床こそ通路と同じ大理石だが、壁紙や窓枠は目が痛くなる色をしていた。その部屋に置く意味があるのかと首を傾げたくなる調度品も多数並んでおり、カーテンは布団に出来る程分厚く端には金糸で装飾までしてある。


 また、参謀だけでなく参謀候補に選ばれた者達は特別であり、学生の様なルールに縛られている訳ではない。部屋の出入り口には給仕用のワゴンと、使用人が常に待機しており、手を上げるだけで飲み物や軽食が準備されるのだ。


「ふぅ……」


 二十代の若さで望んだ権力への階段を、何段もとばして駆け上がっているリアムだが、誰にも気付かれない様に溜め息を吐いた。それに気付きはしなかったようだが、参謀候補生達の前に立っている引退を予定した初老の参謀は、視線をリアムに向ける。


「では、マイヤーズ。この状況で有効な策は、なにがある?」


 黒板には敵と自分の戦力が白墨で書かれており、戦場となった場所の地形や条件も図解されていた。現在は戦術と兵站を主とした講義の最中であり、生徒であるリアムは席から立ち上がって、参謀である男性に自分の考えを述べる。


「下手に、籠城しては補給もありませんので、不利になるだけです。私ならば、拠点へ敵を誘い込み、火計を仕掛けます」


「うん。百点の回答だな。やはり君は優秀だ。ああ、座りなさい」


 講師である男性は、満足したように笑顔を作り、リアムを褒めた後に戦略の説明をしていく。褒め言葉に座ったまま軽い会釈をしたリアムだが、内心は講義内容を馬鹿にしており、時間の無駄だとしか考えていない。


 その場に集められた参謀候補生達は、年齢的に統一性は無いが、フォースとフィフスであり基本教育は幼少時に首都で受けている。参謀になる為の教育とは基本教育の延長線上にあるような内容で、経済学や帝王学等といった知識をリアムは既に身に付けていた。


 他の者達は真面目に授業を受けているので、リアムもそれに合わせているが、もう辟易とし始めている。特にリアムが気に入らないのは、戦術や戦略についての講義であり、役に立つとは思えないようだ。


 その講義には、超能力者のいなかった時代の資料を使っており、現在の超能力戦では役に立たないのはリアムでなくとも分かる。ノアに逆らう者がいなくなって長い年月が過ぎた為、参謀達は平和ボケしているのだと、リアムは呆れていた。そして、そんなボケた頭でいくら考えても、省吾を捉えきれないのは当然だろうと、変に納得までしている。


 基本を馬鹿にしてはいけないと講師の参謀は説くが、リアムは授業内容よりも、他の事にその優秀な頭脳を使っていた。リアムが計算しているのは次期参謀が誰になり、自分が参謀になり損ねればどのような扱いを受けるかだ。


 参謀候補生と講師である参謀達を見て、勘も悪くないリアムは、一番年長の候補生が内定している可能性が高い事に気が付いた。現在リアムも受けている教育で、参謀候補生の順位はつけているようだが、参謀になるには別の評価を得なければいけないようだ。


 一番年長である参謀候補生は、今回引退する参謀とは別の参謀にではあるが、補佐官として十年以上仕えている。そして、何気ない会話でその年長の男性が、教育を意味もなく十回以上受けていると聞かされた。つまり、参謀候補生は参謀になれなければ参謀の補佐官となり、自分の番が回ってくるまで待たなければいけない。


 参謀になる為のシステムが出来上がっていると、リアムは既に気付いているようだ。一刻も早く参謀の地位につきたいリアムは、今回が無理だったとしても、数年以内に参謀につけないかと考えている。リアムが参謀になる為には、日頃の仕事によって参謀達の信頼を得て、推薦を受ける道が正当な方法だ。


 優秀で頭のいいリアムであれば、参謀達から信頼を得るのは難しくはないだろうが、他の補佐官がいる以上、推薦には時間が必要になる。


「ふぅ……」


 正当な方法を幾通りも脳内でシミュレートしたリアムは、小さく息を吐いて使用人達に視線を向けた。


 講義の邪魔をしない様に無言でうなずいた使用人の女性は、紅茶を手早く準備し、トレイに茶菓子と一緒に乗せる。そして、足音にも気を付けながらリアムのいる机に茶と茶菓子を置くと、深く頭を下げて元居た場所へと戻った。使用人及びリアムは当然の行動をとっただけであり、講師や他の候補生も全く気にしていない。


 用意された砂糖やミルクを使わず、スプーンで数回混ぜただけの紅茶をすすったリアムは、考えを切り替えた。正当な手段で参謀になるのに時間が必要なら、特例ともいえる手段を使えば、自分が参謀になれるかをリアムは考え始めたのだ。


 誰もが予想していない功績を上げるには、ノアや王の利益となるなにかを成さなければいけない。参謀が平和ボケしてしまう程システムが出来上がっている世界で、それを成功させるのは容易ではないとリアムも分かっている。


 しかし、突破口をリアムは既に見つけ出しており、参謀が講義をしているような陳腐なものではなく、実践的な戦略を考えていた。その突破口とは、セカンドでありながら、ノアが作った世界を今も揺るがせている省吾の事だ。参謀達の考えた作戦で犠牲者だけが増えていく中で、リアム発案の策が成功すれば、その功績は大きく評価されるだろう。


「ふぅぅ……」


 紅茶を半分ほど飲んだリアムは、自分に向けられた省吾の殺気を思いだし、表情は変わっていないが、頬に鳥肌が立つ。最強と目されていたウインス兄弟の攻撃を、無傷ではないにしろ耐え抜き、銃でフィフスを倒してしまった省吾に有効な手段がリアムは思いつけないようだ。


 省吾の動きを読む事は出来ても、手駒として動かせるのがフォースではどうしようもないと、リアムの中で結論が出てしまった。補給ラインを絶つという方法もリアムは考えたが、その補給をどこで行っているかがノア側は調べ切れていない。


 現場にリアムが直接赴けば、フォースの兵士達をより有効に使え、補給方法も知ることが出来る可能性はある。だが、直接出向けば、リアム自身の命が危険にさらされるだけでなく、失敗すれば参謀候補から外されるかもしれない。


 功績を得る為に省吾を討ち取りたいリアムだが、その為のリスクがあまりにも大きいと眉間に少しだけしわを作った。リアムの表情が変化した事に気が付いた講師の参謀は、教卓に置いてあった懐中時計に手を伸ばす。


 宮殿は教育を主とした場所ではない為、昼を知らせる鐘は鳴っても、授業時間が終わったからといってチャイムは流れない。どうやらリアムが眉間にしわを作ったのは、抗議の時間が予定より伸びてしまったのかも知れないと、勘違いしたようだ。それだけ、何事にも正確で候補生の中でも特に優秀なリアムを、参謀である男性は信頼し始めている。


「いけないな。もう、三十分以上過ぎていた。では、今日はここまでにしよう」


 時間を知らせたくて眉間にしわを作った訳ではないリアムだったが、苦痛の時間から解放されるのは素直に嬉しいようだ。カップに残った紅茶を飲み干すと、自分が使っていたノート等を持ち、席から立ち上がった。


「あ、マイヤーズ」


 そのリアムは、講師をしていた参謀から声を掛けられ、中腰の姿勢から背筋を伸ばして目線を向ける。


「はい。なんでしょうか?」


「これから、予定はあるかね? なければ、部屋の資料整理を手伝ってほしい」


 引退が決まっているその男性は、自分に与えられた宮殿の一室を整理し始めており、候補生にそれを手伝わせる事は珍しくない。四日連続で手伝う事になりそうだったリアムは、他の者を指名してほしいと考えた。だが、その整理でも手際がいいリアムを、引退する参謀は本当に気に入り始めているようであり、リアムは本性を隠す。


「はい。では、所用を済ませ次第、部屋に向かわせて頂きます」


「ああ。すまないが、頼んだぞ」


 点数稼ぎだと自分に言い聞かせたリアムは、荷物を自分にあてがわれた部屋へ置き、トイレを済ませてから目的の部屋へ向かう。装飾は少ないが木目を生かした品のいい扉に向かって、ノックをしたリアムは、中からの返事を聞いてドアノブを引いた。


「おお、早いな。いつもの通りでいい。さっそく頼むぞ」


「はっ」


 引退を予定している参謀が使う部屋は、広い宮殿の奥にあり、日当たりが悪いせいか少しかび臭い。それだけでなく長年放置されていた本等を移動させているせいで、目に見える程空気中に埃が舞っており、リアムは内心舌打ちをしたい気分だった。ウインス兄弟により無駄に鍛えられたリアムは、不快感を表情に出さずに仕事へと取り掛かる。


 リアムが整理を始めた部屋の床には、絨毯が見えなくなるほど本や資料が散乱しており、整理して木箱に詰めなければいけない。壁際にいくつも並んでいる本棚には、半分ほどしか本が並んでおらず、床に散らばる本はそこから抜き取られたのだろう。


 参謀に与えられたその部屋は仕事用であり、ベッド等はないが、大きな机一つと資料を入れる為の家具は多数並んでいる。元々、本や資料を整理しておく癖が無かった部屋の主である参謀は、整理に四苦八苦しており、手伝いを毎日頼んでいるのだ。


 使用人を使えればかなりはかどるであろう作業だが、重要な書類まで混ざっており、手伝える人間も限られている。何よりも、学が無い者では本の題名で中身を判断することが出来ず、あまり助けにはならない。


 その点リアムは、資料も一目見ただけで大よそ理解し、的確に仕分けることが出来る為、気に入られているのだ。資料に目を通して、違うと分かれば床に投げ捨ててしまう参謀に溜息をついたリアムは、端から本や資料を拾い上げていく。


「これは……」


 ある資料を床から拾い上げたリアムは、珍しく手を止め、資料に見入っている。


「反乱? こんな事が……」


「どうかしたか?」


 動きを止めたリアムに参謀である男性は問いかけたが、相手はなんでもないと返事を誤魔化した。リアムが見つけたのは反乱軍に関しての資料で、極秘扱いである事を示す印が書き込まれている。作業を続けながら資料を読み込んだリアムは、何故極秘になっており、問題が解決されていないかが理解できた。


 探査能力を持っている者を多く抱えたノアが、全く反乱軍の動きを察知していないはずはなかったのだ。反乱軍の首謀者は、王の妃だったガブリエラであり、そんな事をノアが公表するはずもない。最後の部分を読んだリアムは、珍しく右の口角を上げ、参謀に見つからない様に資料を懐へと隠した。


 数年前、ノアはガブリエラ捕縛の為に、フィフスを首都外に向かわせたが、激しい抵抗にあっている。お互いに死者は数えるほどしか出なかったが、それ以降ノアはガブリエラの捕縛を困難だと判断して、一時凍結させていた。


 省吾をどうにか出来ると思えなかったリアムが、真っ先に考えたのは、反乱軍の鎮圧による功績だ。参謀である男性に気取られるように作業を続けるリアムだが、優秀な脳は功績をどう上げるかを既に考え始めている。完璧には程遠いが省吾に比べて反乱軍の情報は多く、リアムにも色々な推測が立てられた。


「いや……。そうか、なるほどな」


 本の題名を見て積み上げていくリアムは、超能力者特有の鋭い直感で、省吾のバックに反乱軍がいるだろう事を見抜く。自分が参謀になる近道を見つけたリアムは、表情を変化させない様に気を付けているが、自然と表情筋が痙攣している。


 気持ち悪く笑っているようにも見えるリアムは、一番リスクが少なく、効果的な方法を選別していく。省吾にほぼ関係ない場所で回り始めた運命の歯車に気が付いた絶望は、リアムがいる首都を見て、目を細めて笑顔を作った。


 反乱軍とノアに注視した絶望と違い、傍らで佇んでいる運命は、いつもと同じように岩陰で息を潜めた省吾を見下ろしている。山とはいえない低さで、丘とは表現しにくい高さがある場所に省吾はおり、目を閉じて体の回復を待っていた。


 自分の隣を流れていく透明な湧き水の音を聞いている省吾は、その場に似つかわしくない泥と血で汚れた服を着て、銃を握っている。一時間ほど前にノアの兵士二人を始末した場所からはかなり離れた省吾だが、油断はしていない。省吾が意図せずギャビンの網を掻い潜った事で、襲撃される回数は減っていたが、なくなってはいないのだ。


 ニコラス老人達が用意してくれている次のシェルターは、すぐ近くにあるのだが、省吾は敢えてその場所に向かわずに休憩している。シェルターの入り口を発見されては不利になると為、省吾は周囲に敵がいるならば、先に誘い出そうと考えていた。省吾の千里眼が届く範囲に敵はいないが、それ以上の広さを探査できる敵がいれば、動かない事で必ず襲ってくると推測しての行動だ。


……気配が全くしないな。敵は来ていないのか?


 念のために、省吾は自分が休憩した木々の生い茂っている場所周辺を、千里眼で確認する。


 省吾が隠れていた段になっている岩には、びっしりと苔が生えており、その上を湧水が滑って下へと落ちていく。岩から岩へと落ちていく水は、小さな滝を幾つも作っており、風流な景色ではあるが省吾にそれを気にする余裕はない。


……よし。今しかない。


 周囲を確認し終えた省吾は、階段のように続いている岩を連続で飛び降り、シェルターに向かって走る。


……木が途切れたか。


 森の一番低い場所まで到着した省吾は、前方が明るくなったことで、眉間にしわを作った。障害物が少なくなれば、それだけ戦闘になった場合に、真っ向勝負するだけの能力が無い省吾は不利になる。


「うん? ここは……」


 森を抜けた先には、湖ではないかと錯覚するような大きい池があり、省吾は足を止めずにその池を見つめた。大きな池の中心部には、反対側に続いているかも知れない陸地があり、それを省吾は島だろうかと考えている。


……この場所。どこかで見覚えがあるな。駄目だ。今はそれどころじゃない。


 先程省吾が待機していた場所と違い、松らしき樹木が作った林の中に、シェルターの入り口である洞穴があった。銃から一度手を放した省吾は、周囲を警戒しながら洞窟の奥へ進むために、背嚢からろうそくと手持ちの台を取り出す。


 前回シェルターを出る時にはいっぱいだった背嚢も、わずかな食料しか入っておらず、弾薬はほとんど残っていない。薬等の医療品も尽きており、ポケットやベルトにつけた弾薬が尽きれば、省吾はもう戦えなくなるだろう。


 ニコラス老人達が用意できたシェルターにも限りがあり、仕方ないとよく分かっている省吾は文句もいわずに、体力を削って移動距離を無理矢理稼ぎ出していたのだ。


……想像していたよりも滑るな。それに深い。


 真っ暗な洞窟は先が全く見えない程深く、天井から絶えず水滴が落ちる程、空気が水分を多く含んでいた。天然の鍾乳洞を利用して作られているらしいそのシェルターは、五分以上歩いても入り口に到着できない。


……発見はされ難いだろうが。見つかれば袋の鼠だな。


 ノアが洞窟の中へ入ってきてはどうしようもないと推測した省吾は、顔をしかめて周辺のどこで敵を撃退するべきかと考えている。


……ここか?


 十分以上水たまりも気にせず曲がりくねった洞窟を進んだ省吾は、巨大な鉄の引き戸に到着し、首を傾げていた。明らかに今までのシェルターとは毛色が違う為、危険はなさそうだと感じながらも、不信感は持ったようだ。


……やはりここでいいのか。


 ポケットから取り出した鍵で開錠出来た事で、省吾は違和感を持ちながらも、引き戸を引いた。よく油がさされている扉は、その見た目の重圧感からは考えられない程軽く動き、音もほとんど立てない。


 扉の中には全面がコンクリート狭い部屋があり、その部屋の一番奥には、長く続いていそうな階段があった。


……考えていても仕方が無い。補充が急務だ。


 直感からの警告を受けている省吾だが、それが危険ではないと判断出来ていた為、歩を進める事にしたようだ。


「なっ?」


 階段の先にあった扉を押し開いた省吾は、眩しさで目をくらませてしまい、焦って千里眼を発動した。そして、ゆっくりと目蓋を開き、唾液を飲み込み、自分が改めて未来にいるのだと実感している。


「はぁ……。なんてことだ」


 省吾が訪れた場所は軍需工場であり、今までの様なシェルターではなかったのだ。


「ふぅ……」


 ニコラス老人達は、銃火器を一から作ったのではなく、その工場内に残されていた物を修繕したのだろうと省吾は推測した。


……なるほどな。武器のラインナップはそのせいか。


 銃を下した省吾は、光が差し込んでいる窓へと歩み寄り、先程見た池に浮かぶ島に、建物があるのだと認識する、


……地形がここまで変わったのか。


 国連軍だった省吾は、その軍需工場を知っており、今自分は昔ヨーロッパと呼ばれた場所にいるのだと理解した。周辺の地形は別物になっていたその工場だが、内部はニコラス老人達が整備したのか、省吾の知る姿を保っている。


「はぁぁ」


 その軍需工場の警備を担当した事もある省吾は、複雑な気持ちで工場内を見つめ、もう一度溜め息を吐いた。


 反乱軍やリアム周辺とは違い、省吾の歯車はその瞬間に停止する。それは、省吾が選択の時を迎えた証拠であり、選択次第では絶望に進むしかなくなる事を意味していた。


 省吾の直感は、明確ではないがその事を主に警告していたのだ。

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