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名無しのエース  作者: 慎之介
五章
47/82

 ノアの作った首都の中央には、主要道路として使われている石畳の太い道がある。その道を紺色の軍服を着た者が操る馬が、かなりの速度で走っていた。


「はあっ! はっ!」


 住民も大勢歩いている道を、危険としかいいようのない速度で馬を走らせているリアムは、その事を気にしてはいない。リアムが元々乗馬を得意としていた事もあるが、住んでいる者達はフォースであり、馬にぶつかるような事はまずないからだ。


 また、住んでいない事にされている奴隷は、日のあたる場所に出てくる事がほぼなく、大通りを歩くはずもない。


「はあ! はあっ!」


 それらの事情が分かっているリアムは、掛け声と共に容赦なく馬の臀部に鞭を振りおろし、一刻も早く仕事に戻ろうとしていた。


 首都の建造物は設計図通りに作られており、道の左右を見ても自分がどこに居るかが分からなくなるほど、景色に変化がない。一般人であるフォースが住んでいる家屋は、全て鏡のように研磨された岩で作られた、四角い平屋だ。


 科学技術が無くとも、未来の人類は超能力を使えば岩を削り出して運ぶのに、苦労する事はない。建物内は、その家主が自由に変化させることが許されているが、外観は町の美観を崩すとして変更が許可されていないのだ。


 上下水道だけでなく電気まで通っているその住居は、三段階にクラスわけがされており、宮殿から離れれば離れるだけ住居が小さい。ただ、一番狭い一人暮らし用の住居でも二十畳の広さがあり、不満を持っている者は少ないだろう。そして、少数の不満を持つ者でも、娯楽施設の管理人や宮殿で使用人になるなど、少しでも働けば住居を一つ上の段階へ移す事が出来る。


 特に不満のないフォースの者達は、映画や歌を楽しみ、のんびりと死ぬまで暮らせるようになっていた。映画は大昔に作られた、危険な思想がわかない物を、ホームシアター用のプロジェクターで映しているだけだが、不満を持つ者はいない。また、歌や演劇も西暦が残っていた時代の物をそのままコピーしただけだが、誰もその事を分かっていない。


 元々、火力、風力、水力と三つの発電試験設備があった場所に、ノアの首都は作られている。災害が起きにくい場所を、過去の人間が吟味して作った設備である為、ノアの首都は一度も自然災害に見舞われていない。


 そんな首都で奴隷の死者が増えているのは、発電所等の危険な場所で、重労働を続けさせられているせいだろう。何よりも大事な自分の命を脅かされている奴隷達だが、逆らえばその命がすぐにでも損なわれている事を知っている。


 苦しみに満ちた生殺しの状態で、発狂する様に暴れ出した奴隷もいたが、幾人ものフィフスがいる首都では自殺と変わらない。格が違いすぎる力で、仲間が何も成せないまま倒れた光景を見ている奴隷達に、逆らう勇気は持てないのだろう。


 何よりも、産まれてから奴隷としての人生を生きている者達の多くは、それが当たり前になってしまっている。首都に連れてこられた奴隷は、各都市で暮らしていた時よりも希望を失い、瞳に光を灯す事もなくなっていく。


 大人である者達がそのような状況では、奴隷として産まれた子供達に活気があるはずもない。まだ十分に働けない奴隷の子供達は、罰を受けない様に声を殺して、死んだような目をしたまま夜間に町のゴミを回収している。


 奴隷の子供達は、フォース達に見つかるとどんな目にあわされるか分からない。その為、日中は裏路地や下水の中を掃除し、日が沈んでから大通りに出るのだ。年中腹を空かせているその子供達は、腐っていようが泥だらけだろうが、食べられる物を見つければ口に入れた。今も、腐ってカビの生えているオレンジを、五人の子供達が首都の日が当たらない場所で必死に奪い合っている。


「ひぐっ! あう……」


 奪い合いに敗れたまだ幼い酷く痩せた少年は、他の子供から肘鉄を受けて頬を押さえ、ゆっくりと顔を上げた。みすぼらしい姿をしたその奴隷である少年は、裏路地の隅にしゃがんだまま、馬を走らせているリアムを、別の世界にいる者のように見つめている。最初から希望を持っていない少年は絶望に飲みこまれない為、自殺をしようとはしないがリアムのように笑う事もない。


 すでに笑いが抑えられなくなり始めているリアムは、首都の出入り口である門の門番に不信がられるほど顔が歪んでいた。それは、日頃なら考えられない事だが、参謀になれる事はリアムにとって表情筋も制御できなくなる程嬉しいのだ。


「よしっ! よおおおぉぉしっ! ついに来た!」


 首都を出たリアムは、馬が息切れする程鞭をふるい続け、一刻も早く誰もいない場所へと急ぐ。そして、馬が本当に限界を迎えて速度をかなり落とし始めた所で、リアムは空に向かって大声で叫んでいた。


「ふふふふっ! ぃよぉっしっ! これで、私は参謀になれるんだ! よしっ!」


 自身の能力にかなりの自信があるリアムは、自分が参謀の試験に落ちるかもしれないとは、微塵も考えない。馬の限界を読み取り、手綱を引いて速度を緩めたリアムだが、その馬が止まる事は許さなかった。一刻も早く都市に帰還し、残っている主要な仕事を済ませ、引継ぎの準備をして首都に戻りたいらしい。


「参謀になれば、護衛が付く。そうなれば、あのセカンドの狂人を気にする事もない。ふふっ。それに、デビッドの事も……だっ! くははっ!」


 誰にも話を聞かれない場所で、リアムは隠し通しているどろどろに腐った内面を、口に出していた。


「権力さえ手に入れば、ノアを手中にする事も容易い。世界は私の物だ。くくくっ……」


 馬に揺られながらリアムは口の端を気持ち悪く吊り上げ、血走らせた両眼を限界まで見開いていた。


 あまりの嬉しさによって制御できない感情を見られたくないリアムは、移動中に全てを吐き出していく。そうする事で、人前でいつもの様に冷静な仮面をかぶり続けられると、頭のいいリアムはよく分かっているのだ。


「くはははははっ! 神は私を選んだのだ! フィフスではなく! フォースであるこの私をだっ!」


 曇り始めた空に向かって叫び続ける本性を出したリアムの顔は、まごう事なき狂人のそれだった。


 幼少時期から知能の高かったリアムは、ウインス兄弟にさえ関わらなければ、人を正しい道に導ける者になれたかもしれない。或いは、学者や研究者として名声を手に入れられた可能性もあったのだが、変えられない現実はリアムに狂人としての道を歩ませようとしていた。


 同じように人の命を奪い、狂人としか思えない道を歩んでいる省吾とリアムは、似ているのかもしれない。しかし、他人を愛するかどうかという起点のずれは、自分か他人かの利に違いをうみ、全く異なる存在になっている。その二人だけでなく世界には、ヤコブやギャビンといった異彩を放つ存在は少なくないが、全て別の役割を持っているのだろう。


「これからだ。私の時代はこれから始まるんだ……」


 溢れ出した感情を全て吐き出したリアムは、狂気の表情を内側に隠した。だが、右側の口角は下がっておらず、ぽつぽつと降りはじめた雨も気にしていない。


「ふぅぅぅ……」


……雨か。気温が下がるな。


 リアムと違って、森の中でシャツを脱いで座り込んでいる省吾は、顔を空に向けて表情を曇らせていく。近くにあった大きな木の下に荷物を持って移動した省吾は、フォースとの戦闘で負った怪我の手当てを再開する。


 薬や包帯もニコラス老人によってシェルター内に用意されており、省吾は天へと昇った人々に感謝しながら黙って作業を続けた。


「ぐっ……」


 省吾の左胸に出来た切り傷は、フォースの能力がかすった為に出来たもので、出血は少ないがかなり深い。傷口の消毒を済ませた省吾は、切り傷用の軟膏を塗り、傷が開いた時用のガーゼを医療用テープで張り付けた。


「ふぅぅぅ」


 打撲した個所に先程とは違う塗り薬を塗っている省吾の体は、驚異的な回復が追いついていないらしく、いたるところに治癒しきっていない傷が残っている。


 午前中の戦闘だけで、体力と血をかなり失ってしまった省吾は、治療を終えても致命的となりえる低温低下を恐れ、大木の根もとに留まった。そして、荷物の中からビスケットのように固いパンと、干し肉を取り出し、周囲を警戒したまま食べていく。


 雨が降りはじめた為、動物達はねぐらへと退避しており、森の中は静まり返っており、雨音だけが省吾の耳に届いている。しかし、纏わりつく血と硝煙の臭いが消えていない為、省吾の鼻には雨の日独特の臭いは届いていない。咀嚼を続ける省吾は鋭いままの目付きで、落ちていく水滴を見つめ、雨の音に敵が接近する足音が紛れていないかを注意し続ける。


 化け物であるフィフスが大勢いる首都を、省吾は落とす以外に目的が達成できないだろう。だが、今は目的を達成するどころか、生き残るだけで奇跡と呼べる状況であり、人がその状況下におかれて絶望してもおかしくはない。だが、棺に片足を入れている状態でも勝利し、強い意志で気力を保っている省吾は、絶望を拒絶し続けている。


……来た。


 一時間ほどの休憩後立ち上がった省吾は、背嚢を背負ってから、銃をベルトで肩から下げると、雨の降り続いている森を走り出す。省吾に接近しているノアの兵士は四人だけだが、敵に躊躇が無い以上、少しでも気を抜けばそこで終わる。


……罠を仕掛ける時間はない。遠距離射撃の後、接近するしかないか。


 水たまりも飛び散る泥も気にしない省吾は、移動中に作戦を組み立て、敵に気付かれない様に走っていく。


……あそこだ!


 大きな岩を見つけた省吾は、ロッククライマーも顔負けの速度で登り、うつ伏せの状態でスナイパーライフルのスコープを覗いた。


 レインコートを着たノアの兵士達は、まだ省吾に気付いていないようで、呑気に喋りながら歩いている。それでも、敵が全員フォースである為、省吾の勝率は半分を切っており、勝つために奇襲は最低限必要だ。


 下手をすれば、数時間おきに襲ってくる命の危機に、省吾は今も戦いを挑み続けており、隙を作るつもりはない。


……そこだ!


 雨の降りやまない空を、誘導の力が付加された十発のライフル弾が突き進み、紺色の軍服を着た者達へ向かって行く。


「うわっ! ちょっ! メイクが落ちる!」


 省吾がいる森の空を覆っていた雲は、どんどんとその大きさを広げており、かなり離れた場所にまで雨を降らせ始めた。


「中断です! 皆さん、木の陰かテントへ!」


 時間介入組を講師として、能力の訓練を行っていた反乱軍の面々は、雨粒を避ける為に急いで木陰に入っていく。


「うわぁ……。もう、最悪ぅ」


 ケイト達に続いてテントへと急いで入った、第三世代のダリアという名の女性は、折り畳み式の机に置いてあった手鏡をとる。そして、雨に溶けたマスカラのせいで、自分が黒い涙を流している不気味な顔に、溜め息をついた。


 波打った癖のある髪と黒い肌を持つダリアは、自分用の化粧用ポーチをとると、すぐに化粧を直していく。


「そんな、毎日化粧なんかするからよ。訓練の時ぐらい止めれば?」


 呆れた顔をしたオーブリーは、ダリアにタオルを差し出し、注意を促す。


「だってぇぇ。化粧は私のポリシーなの。いいじゃん」


 訳の分からない反論をするダリアに、もう一度溜め息をついたオーブリーは呆れながらも、見放そうとは考えない。それは、勝気で自由奔放な性格をしているダリアの心根が、正しく優しい事を知っているからだ。


「大体。その化粧品だって、元々は……」


「まあまあ。そう目くじらを立てずに」


 仕方なくダリアの説教をしようとしたオーブリーの前に、反乱軍の男性が割り込み、会話を中断させた。


「あっ! もう!」


 その男性が作った隙にダリアは逃げ出し、オーブリーはわざわざ追いかけようとまでしない。代わりに自分は役に立ったと感じた男性が、ダリアを追いかけて隣のテントへと向かった。


「あっ。ありがとねぇ」


 二つ並んだオーブリーとケイトのいないテントに移動したダリアは、追ってきた男性に目も向けず化粧を直しながら礼をいう。そのあまり好感を抱かれないダリアの態度すら可愛いと感じている男性は、鼻の下を伸ばしたまま照れくさそうに頭を掻いた。


「いやぁ。お前の為なら、なんでもするよ」


「そう? ありがと」


 笑顔にはなったが、尚も鏡を見続けるダリアに、男性の目線は血走っていく。その男性の目線がおかしくなったのは、怒りを感じたからではなく、ダリアのシャツが濡れて下着が透けてみているからだ。


 ダイエットによってボディラインを保っているダリアの体は、男性が鼻息を荒くするには十分すぎるらしい。黒人の血を濃く受け継いだダリアは、面長で鼻孔と唇が少し大きいが、その男性のストライクゾーンのど真ん中なのだろう。


 今すぐにでもダリアに抱き着きたいという衝動を我慢している男性は、化粧をする意中の女性から離れようとしなかった。その事が気に入らない別の男性二人が、雨を避ける為に入っていた木陰から走ってテントに移動し、ダリアに話し掛けていく。


「もう、なによぉ。化粧が終わるまで待てないわけぇ?」


 一度に三人から喋りかけられたダリアは、化粧を中断せざるを得なかったが、顔は嬉しそうににやけている。


「あ、ごめんよ。でも……」


「なになに? 私が楽しい事じゃなきゃ、怒るかもよ? 自信ある?」


 男性にちやほやされ、その男性達を顎で使える状況を、ダリアは心底楽しんでいる。


「ったく……。あれでいいのかねぇ?」


 ダリアと同じ第三世代の男性は、ダリアの状況を見て、溜息と共に姉のような存在である女性に質問をした。


「まあ、いいんじゃないの? 皆楽しそうだし」


 問いかけられた女性は、ダリアに向けていた目線を逸らし、自分は関わりたくないという雰囲気を前面に出す。


「俺達がとやかくいう事じゃないよな。トラブルさえ起こさなければ、だけど……」


 省吾と戦った事もある第三世代の男性は、ダリアに気がある訳ではなく、面倒な男女間のいざこざを気にしているのだ。第三世代の者達は、今の未来にはない戦争孤児専用の施設で、赤ん坊の頃から一緒に育った。


 第三世代の者達はお互いを家族として見ることが出来なくなっており、必然的に恋愛の対象になり得ない。別々の場所で暮らし、一番早く保護されたケイトですら八才だった第二世代とは、その部分で大きく違っているのだ。


「ほらよ」


「えっ? なになに? 寒くないわよ?」


 投げ渡された上着を受け取ったダリアは、カーンが胸元を指さした事で、シャツが透けている事に気が付いた。


「うわぁ! マジで?」


 顔を真っ赤にしたダリアは急いで上着を羽織ると、三人の男性を睨む。化粧や喋り方でちゃらちゃらしたイメージを持たれやすいダリアだが、男性とまともに付き合った経験はなく、恥じらいももっている。興奮して口論をしている男性達は、ダリアからのじとりとした目線に全く気付いていない。


「俺はダリアさんに、掘り出した新品の化粧品セットを渡したぞ。お前らに、同じ事はできないだろ? あ?」


「関係ない。毎朝、彼女の好物を持って起こしに行ってるのは俺だ。これは、夜間待機の俺だけに出来る事だ」


 自分がどうダリアの役になっているかを競っている男性達は、独占欲をむき出しにしており、今にも手を出しそうなほどだった。


「はぁぁぁ。あれぇ……。どう思う?」


 ダリア達を少し離れた場所から見ていたオーブリーは、隣に立って髪をタオルでまだ拭き取っているケイトに話し掛ける。


「別に悪い事はしていないんじゃないですか? 気が多いのは、褒められませんけど」


 タイムマシーンでの移動が不可能になった以上、その世界でパートナーを探す事は間違いではないと、ケイトは考えているのだ。しかし、喧嘩の仲裁に入ったカーンを見つめ、ダリアが男性達を面白半分でその気にさせているのはよくないとは思っているようだ。


「そうよねぇ……。今度はっきり、一人にしなさいっていおうかなぁ」


「上手くいきますかねぇ? あの子、都合が悪い事は、聞いてくれませんし」


 恋愛に関して、他人がとやかくいっても意味がないと何処かで分かっている二人は、大きく息を吐いた。


「ちょっ! 喧嘩するなら、もう絶交。いい? マジだかんね」


 殴り合いを始めてしまいそうだった三人の男性達は、カーンを含めた周りに羽交い絞めにされ、ダリアからの言葉で体から力を抜く。


「喧嘩無しで。ね? そうすれば、私も仲良く出来るし。ね?」


 喧嘩を止めた男性それぞれの頬を撫でたダリアは、計算をしている訳ではなく、天然で小悪魔的な気質を持っているようだ。再び鼻の下を伸ばしてしまった男性達を見て、カーンや他の第三世代である者達も、呆れた表情を作る。


「あっ! また、化粧品のセット持ってきてくれたら、今度はチューしてあげる。ほぺったにだけどねぇ」


 ダリアに男女の好意を抱いていない者でも、意識していまいそうになる妖艶な笑顔を見て、三人の男性は再び鼻息を強くした。


「次は俺が! 俺が手に入れてくるよ!」


「いや! 俺だけに任せてくれないか?」


 化粧を再開したダリアも、それを呆れたように見つめる時間介入組の者達も、自分達の危うさを何も理解していない。歴史の中心となりつつあるのは省吾ではあるが、その事とは関係なく運命の歯車は数え切れないほど回っているのだ。


 雨足が弱まった森の中で、走っているノアの兵士達も、自分に関わる運命の動きを読み解けていない。


「どこだ? おい!」


 その三人は、省吾に狙撃された四人と同じ所属ではあるが、別の場所を探査していた者達だ。


「待て……。いた! こっちだ!」


 仲間達が予定時刻を過ぎても戻らない事から、敵である省吾が近くにいると考えた三人は、別働隊が向かった森に入った。そして、空で急激に角度を変えたライフル弾により、四人だったチームを三人にされたのだ。


 三人の中には広範囲の探査能力者がおり、省吾の移動している位置を常に捉え、後を追いかけている。


「おい! どっちだ?」


 仲間に問いかけられた男性は、目を閉じて全身を発光させながら、ソナーのように能力の波を飛ばす。綾香もそうだったが、広域探査の能力は入ってくる情報を処理する為に、かなりの集中力が必要になる。


「次は……。向こうだ! 移動速度が落ちてる! 疲れてるんだ!」


 省吾にとってプラスになる事ではあるが、訓練をろくにしていないその探査能力者は、移動しながら能力を使えない。


……やはりそうか。なら。


 相手の迫ってくる速度と方向に違和感を覚えた省吾は、効率を考えずに幾度か移動方向を変更し、敵の隙を見つけた。そして、既に最も有効な長距離射撃を防がれている省吾は、敵の移動速度を計算し、罠で対応する方法を選択する。


 省吾の戦闘に関して特筆すべきは、勘だけではなく、一度の経験でより多くの情報を収集できる点だ。普通の五感だけでなく、超感覚によって得た情報を省吾は余すことなくいかし、次に繋げる力に優れている。現時点の省吾はフォースとの戦闘を重ねており、敵に有無も言わさず勝てる程ではないが、戦闘中に容易く敵の隙を見抜くレベルには達していた。


……よし。これなら十分だ。


 増水した川を、ナイフで切りだした竹を使って飛び越えた省吾は、敵を誘き出す為に敢えて移動しない。隙を作らない省吾は、ライフル弾を防いだ敵の能力を甘く見てはいない為、かなり成功率の高い罠を選んでいる。その分タイミングが難しく、別のリスクも発生してしまうのだが、省吾に迷いはないようだ。


「こっちでいいのか?」


 仲間に問われた探査能力を持つノアの兵士は、省吾に千里眼で見られているとも知らずに笑う。


「へへっ。ああ。どうやら、疲れてへばったらしい。動きが止まった」


 探査を終えた仲間の言葉で、残りの二人も顔を見合わせて笑顔を作り、能力で手を光らせる。


「そうか! よし! この手柄で俺達も、出世だな!」


……今だ!


 川のほとりで体を温めたまま立っていた省吾は、すぐ近くまで迫った敵を能力で確認し、全力で上流へと走り出した。その省吾は背嚢や大きな銃を木の陰に隠しており、両手にはそれぞれ拳銃だけが握られている。


「ああ? 川? お、おい」


 川岸まで到着したノアの三人は、肉眼で省吾を探したが見つからず、しかめた顔を仲間に向けた。


「くそっ。移動されたか? 待て……今探す」


 仲間が顔をしかめた理由が分かっている探査能力者は、その場で目を閉じて能力を発動させた。その能力者は、息を潜めている相手も見つけ出せるのだが、周囲数キロに省吾らしい気配を見つけ出せない。


「どうしたんだ?」


 探査を終えて目蓋を開いた仲間が、困惑している為、他の二人は眉をひそめて問いかけるが、すぐに返事は返ってこなかった。


「いない? いないんだ。どこに……」


 省吾を見つけられない探査能力者は、その事を仲間に説明しようとした。だが、説明を終える前に弾丸で眉間を撃ち抜かれ、その場にぐしゃりと崩れ落ちてしまう。


……駄目か。あいつだけ、レベルが違う。


「なっ! くそ! どこだ! くそ!」


 一人だけ生き残った敵は、省吾が誘導の力を付加して放った弾丸を回避しており、周囲を見渡す。しかし、省吾らしい人影はどこにも見当たらず、森の木々と増水した川だけが視界に映っている。


……隙は出来るはずだ。必ず。


「くそっ! 出てこい!」


……今だ!


 やけになっているノアの兵士は、両手を強く発光させ、能力で一番近くにあった木を吹き飛ばした。その瞬間に兵士の体を三発の弾丸が貫通し、意識だけでなく、命ごと男の人生を刈り取っていく。


 木に八つ当たりする為に自分で振るった腕の勢いで、その兵士は空中で反転して頭から地面に落ちた。


「ぷはっ! はぁ! はぁ!」


 かなりの速度で流されていた流木を反転させた省吾は、顔が水面に出ると同時に急いで酸素を取り込んでいる。そして、事前に川を横断する様に張っていた縄を掴み、下流に向かう流木から絡めていた両足を解く。


 省吾が選んだのは、地面と同様に索敵の死角となる水中から接近して、狙撃する方法だった。川の激しい水流に押し流される事を計算していた省吾は、上流に移動してから飛び込み、流されながらも敵を千里眼で確認し、引き金を引いたのだ。


 敵がいるかもしれないと、兵士達が構えた状態ではライフル弾すら弾かれると分かっていた省吾は、強制的に隙を作りだす策を選択していた。敵を探す事に集中してしまった敵は、川の中から弾丸が飛んでくるとは考えておらず、水中で速度の落ちた弾丸でも撃ち抜けたのだ。更にそれすら防いだ敵が攻撃の際に作った隙を、流木によって姿勢を水中で固定した省吾は見逃さなかった。


 幾度となく激しい流れの川に飛び込んだ事のある省吾は、経験を貯えており、千里眼を使う事で作戦に組み込むことが出来る。


……成功だ。他に敵はいるか?


「はぁはぁはぁはぁはぁはぁ……」


 少しふらつきながら川から上がった省吾は、まだ敵がいるかも知れないと警戒を緩めず、周囲を確認し続けた。そして、木で体を可能な限り隠しながら、銃と背嚢を隠した上流へと戻り、草の陰で身を潜める。


……敵の人数が増えている? 行動を読まれ始めたか?


 しばらく伏せた状態で周囲を確認しつつ体を回復させた省吾は、安全だと判断したところで立ち上がり、先程切りだした竹を手に取った。川に向かって助走をつけた省吾は、川の中へ握っていた竹を突き入れ、しなりと跳び上がる力を組み合わせて反対側の岸へと渡る。


「ふっ!」


 川岸で転がっていたもう動かない三人の体を、増水した水流の中へ投げ込んだ省吾は、ブーツで砂利をならして敵が流した血が見えない様にしていく。自分がいた場所を可能な限り知られたくない省吾は、戦闘があった場所を分かり難くするために処理をしているのだ。


……日が沈む。今日の移動は、控えるか? いや、弾丸が尽きてしまうな。


 雲によって太陽が隠されている空を見上げた省吾は、夜間に動く事を躊躇したが、残りの弾薬数を考えて移動を選ぶ。その日も何とか勝つことに成功した省吾ではあるが、余裕は微塵も無く、ケイト達のように笑う事もない。


 目的達成だけを考える省吾は、ぼろぼろになっていく体を気力で支え、背嚢を背負って走り出した。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 ギャビンの敷いたノア兵士による網を、勘だけで掻い潜り、眠りもしない省吾は一定速度で進んでいく。日が変わる時間帯になり、やっと雲間から顔を出した月は、その哀愁に満ちた青年の背中をただ見つめている。


 同時刻、会議を終え地下にある自分の部屋に戻ったケイトは、大きな息を吐いて散らかった部屋を片付けていく。


「はぁぁ……」


 比較的几帳面な性格をしているケイト自身が、自分の部屋を散らかしたわけではなく、嫌がらせを受けているのだ。ケイトが趣味として読んでいる本は、本棚に並べていたはずだが、何処かから持ち込まれた生ごみと一緒に床に散らばっていた。


 ごく単純な話ではあるが、見た目を含めて目立てば、嫌がらせを受ける対象になりやすいのだ。ケイトへの嫌がらせをしているのは、数人の女性グループで、その主犯である女性には夫がいる。


 主犯女性の動機も分かりやすいもので、ケイトの何気ない笑顔に、夫が心を動かされた為に嫉妬しているのだ。その旦那である男性は浮気するつもりは一切ないのだが、無神経にも妻の前でケイトの事を幾度か褒めてしまっていた。理不尽ではあるが無神経な発言のたびに、ケイトはとばっちりとしかいえない嫌がらせを受けている。


 フォースである彼女を恐れた主犯の女性は、当初小さなゴミをケイトの部屋に投げ込む程度だった。しかし、反乱軍内に不協和音を響かせたくないケイトは報復も報告もしなかった為、嫌がらせがエスカレートしている。


「はぁぁ。なんで……」


 ケイトが使っている部屋は、地下にあったデパートらしき一室を改造したもので、ベッドと机と本棚しかない狭い部屋だ。掃除を終わらせても生臭いままの部屋を見回したケイトは、無性に悲しくなり、涙をためている。


 ケイトには手を取り合って敵と戦おうとしている時に、子供じみた嫌がらせをする者達が、悲しく思えているようだ。部屋の中で悪臭を嗅ぎ、気分が悪くなり始めたケイトは、部屋の扉を開け放したままランタンを持って外へ出た。


「えっ? あの……」


 外に出た瞬間、ランタンの光に照らされたヤコブを見たケイトは、恐怖から体を強張らせる。そのケイトを見て、帽子を何時もの様に逆向きにかぶっていたヤコブは、声を出さずに笑っていた。


 省吾のレベルでは無理だが、サード以上になれば超感覚の延長であるサイコガードを、全身に纏わせることが出来る。そして、フォース以上になれば、そのサイコガードによって敵の索敵を受け流し、探知されない様にすることが可能なのだ。


 フィフスであるヤコブは訓練を積んでおり、常にサイコガードを展開している為、ケイトは近距離に接近するまで気付けなかったらしい。


「驚かせてしまったね。すまない。少し君に言いたい事があって」


 胸に手を置き、高まった心音を深呼吸で落ち着けたケイトは、自分を見つめるヤコブに質問する。


「あの。なんでしょうか?」


「君の態度と喋り方についてなんだけど……。その前に少し、いいかい?」


 ケイトが制止するまもなく、ヤコブはまだ生ごみ臭い部屋の中へ入り、眉間にしわを作ってすぐに出てきた。


「こりゃ酷いね。別の部屋があるから、そちらで寝るといいよ。こっちにあるからついて来て」


 悪戯でも見つかった気分になったケイトは、ヤコブに反論しようとせずに、そのまま後に続く。暗く狭い通路を歩いているヤコブはケイトの前方におり、ランタンなしに暗闇の先が見えているようで、足取りに迷いがない。


 見つかってしまった事だけでなく、黙っていた事も後ろめたいケイトに、ヤコブは以前から知っていたような口調で、謝罪を始めた。


「まさか。本当に手を出すとは思えなかったんだけど……。ごめんね。君から密告じゃなく、僕が見つけた事として注意しておくよ」


 眠気もあって頭が回っていないケイトは、ヤコブのいった言葉にピンと来ていないようで、返事が出来ない。


「能力でね。この可能性の未来も見えていたんだ。でも、確率が低くて……。僕は何もしなかった。だから、ごめんね」


 立ち止まったヤコブは、上着のポケットに両手を入れ、ランタンの光を利用して申し訳なさそうな笑顔をケイトに見せる。


「あ……。ああ、なるほど。そうなんですね。気にしないでください」


 謝罪された意味がやっと理解できたケイトは、納得した後に首を左右に振って笑顔を作った。それを確認したヤコブは、前方に向き直って鼻で少しだけ笑い、再び別の部屋に向かって歩き出す。


「さあ、ここだ」


 少しだけ隅が腐食した鉄の扉を開いたヤコブは、ケイトに中に入れと無言で促し、自分も部屋に入っていく。


「ベッドは少し硬いけど。勘弁してね」


 ランタンの光で部屋の中を確認していたケイトは、ヤコブが部屋の扉を閉めた事で、首を傾げた。


「んっ? 閉めたのは、君の為だ。気にしないで」


 色々な未来が見えているヤコブは、他の者では意味が分かり難い事を喋る事が多く、ケイトもそれを半分程度しか理解できない事が多い。


 二人きりになった部屋の中で、何が起こるか全く想像が出来ていないケイトは、ただ首を傾げている。

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