弐
発電機の唸る音をかき消すほど、人々の騒ぐ声が地下に広がり、笑いの絶えない宴が続いていた。反乱軍が宴の会場に使っているのは、地下鉄のホーム内だった場所で、もう使えなくなった自動改札機が並んでいる。
発電機の電力によって光を得ているその場所の床は、つるつるとした手触りのいいタイルで出来ていた。地面がむき出しになり、ひびが走っている箇所も多いが、過去の全てが整っていたその場所を知らない者達は、気にもかけない。
人々から忘れ去られていた地下に眠る、酒や道具を掘り起こして使う反乱軍の者達は、地上の人間よりも恵まれているようだ。
「ねぇ? 本当に大丈夫なの?」
第三世代である女性は、同じく第三世代の酒を飲んで笑っている男性に、不機嫌そうな顔を向ける。
「大丈夫だって。チェックしたのは俺だけじゃないんだ。問題ないって」
女性の言葉で眉を落としながらも笑顔を崩さない男性は、コップに入った酒を飲みながら、光や音が漏れない様にした手順を女性に話す。話を聞く女性は、省吾と学園で戦った第三世代の男性にぽかが多いと知っており、安心して騒げないようだ。その事を女性の弟であるかのように育ってきた男性も分かっており、はぐらかさずに説明している。
「そう。それならいいけど……」
五分以上かけて説明された内容に渋々納得した女性は、不安げな表情を消してはいないが、コップに入った酒に口をつけた。
「ったく……」
女性の過ぎた心配性と自分への信頼の無さを、男性は呆れ気味に笑いながら首をふり、コップにもう一度口をつける。
「大丈夫ですよぉ。俺も、確認しましたからぁ!」
第三世代の男性が座っている隣に座っていた長い髪を後頭部で束ねた男性は、女性に元気のいい声と笑顔を向ける。
「えっ……ええ」
「何か気になる事があれば、俺にもなんでもいってください! 遠慮なく!」
その髪を束ねた男性は、女性が引き気味に笑っている事を気にせず、どんどん喋りかけていく。それを横目で見ている第三世代の男性は、髪を束ねた男性が自分と仲良くするのは、姉の様な女性と仲を深める為ではないのかと、呆れたように溜息をつく。
第三世代の男性が推測した事は半分当たっているが、髪を束ねた男性は半年ほど前に新参者だった時間介入組を悪くは思わなかったのも真実だ。他にその女性へ好意を持っている者が、いつも一緒にいる第三世代の男性を邪魔に感じているのを考えれば、ましな人物だろう。ただ、選ぶ権利を持った女性側は、自身をあけすけすぎるほどアピールしてくる男性が、少し苦手らしい。
「次は、一緒に準備しましょう! そうすれば、不安も消えますって!」
「あ、ええ……その……また、その時に考えます」
髪を束ねた男性との会話を切りたかった女性は、向けていた視線を外して、騒がしい宴の会場全体を見回す。
「皆……。嬉しそうね……」
女性の呟きに、弟と変わらない男性が、目を閉じて笑いながら返事を返す。
「まあ、英雄……殿? の、おかげで……。皆、盛り上がってるのさ。葬式みたいな飲み会より、こっちの方がましだろ?」
「そうね……。あの中尉さんは、期待していいと私も思うし……」
省吾の顔を思い出した第三世代の男性は、口に向かわせていた金属製の取っ手付きのコップを留め、寒気から身震いをした。
「まぁ……。確かに……」
その場にいる面々の中で、本気の省吾と面と向かって対峙した事があるのは、その男性だけだ。眼光だけで人が殺せそうな省吾を思い出した男性は、恐怖を振り払おうと首を左右に振り、閉じていた目蓋を開く。
セカンドでしかない省吾は、元居た時代でフォースだったルークを倒し、未来の世界でノアの中で三人存在する最強と目される一角を崩した。
その底が知れない省吾に、真っ向から対峙した第三世代の男性が、恐怖を刻みつけられたのは仕方がない事だろう。また、省吾の怖さを知っている第三世代の男性が、現状で恐怖以上に心強さを感じ、笑うのは当たり前の事なのかもしれない。
「あの人なら、何かやってくれそうな気がするな。何かを……」
人間は一度負けを認めてしまえば、心情が大きく変化をする為、男性はもう省吾を受け入れているのだろう。
自分達よりも能力が高く、未知の存在であるフィフスを、時間介入組の面々もかなり恐れている。しかし、省吾が自分達の隣に並んで戦う光景を思い浮かべた第三世代の男性は、笑顔のまま体温を少しだけ上昇させた。
時間介入組であるその男性だけでなく、隣に並ぶ女性やケイト達も、信じろといった省吾の姿を忘れてはいない。
「はい。サードの方と違って、フォースの私達は、能力をセーブする必要はありません。ですが……」
ジョージ達、自分を囲んだ男性達に向かって、戦闘の方法を説明するケイトは、今まさに省吾を思い出していた。
「フォースでも、防御と攻撃を一度には処理できません。超感覚とサイコキネシスは佩用できますが、サイコキネシスのチャンネルは二つ開けないんです」
「なるほど……。そこを突くわけですね?」
真剣な顔をして返事をするジョージは、自分の頭が悪くない事と真面目な部分をアピールしている。そのアピールを気にしていないケイトは、想い人の事を考え、返事をせずに説明を続けた。
「後、幾度か応戦したノアの兵士は、能力の訓練が十分ではありませんでした。その部分も、弱点といっていいでしょう」
一呼吸置いたケイトは自信に満ちた顔を作り、皆の勇気になればと考え、省吾のいった言葉を拝借する。
「その事が分かれば、戦術で……レベルに関係なく勝てるはずです。実際に、それを成し遂げた人も知っています」
感心したように唸り声を上げた男性の多くが、自分の顔だけでなく胸元や足に視線が集中していると、ケイトは気付かない。
「具体的に……。よっと。どのような作戦がありますか?」
ケイトは説明をする為に、少し高い位置にある壁の崩れた瓦礫に座っていたのだが、ジョージはその瓦礫に飛び乗った。パーソナルスペースを侵害するほど近くに座ったジョージに、不快感を覚えたケイトは、瓦礫から飛び降りる。
「あ……えと……」
実際に戦略を考えられるのは省吾であり、具体的にと要求されたケイトが言葉を詰まられたのは仕方のない事だろう。
「あっ! いたいた! ケイト! 審判をお願い!」
困っていたケイトを取り囲んだ男性をかき分け、自然な形で助け出したのは、オーブリーとカーンだ。
「あっ! ちょっと!」
「何? まだ、この子の足でも見たりない?」
ケイトを連れて行こうとしたオーブリー達に、文句をつけようとした男性達だが、睨まれて目線を逸らす。そして、口々にケイトを舐めまわすように見つめていた事の言い訳を、小さな声で始めていた。
その言葉を聞く必要もないと考えたオーブリーとカーンは、ケイトの両腕を掴んで元居た場所へと戻っていく。
「少しは気を付けてくれ。頼むから」
「はい? あの……」
呆れ顔のカーンがいいたい事が分からないケイトは、自分になんの非があるのかと首を傾げる。ケイトを掴んでいない方の手で、カーンに掌を振って見せたオーブリーは、渋い顔をしていた。
「無駄だって。それより……今日は負けないから」
「これだけ体格差があるんだ。俺が負けるはずがないだろうが」
喧嘩を始めてしまいそうな二人に挟まれたケイトは、傾げていた首を元に戻し、苦笑いを浮かべている。小さい時からの親友である二人が、本気で喧嘩をしないと知っているケイトだが、毎回仲裁に入るのは疲れるらしい。
オーブリーは作っている部分もあるが、生来からさばさばとした性格をしている為、事情を知らない者には男同士の親友に二人は見える。その二人が実は両想いで、任務が終わるまでその想いをお互いに隠していると、時間介入組の者だけが知っている。
「何? 今日は口論で勝負でもしたいの? 議題を上げてくれれば付き合うけど?」
「いや……。それは勝てる気がしない。酒にしよう。ただ、一気飲みは三杯までだ。それ以上は急性アルコール中毒に……」
二人の勝負が始まり、目の前で繰り返される会話を見ていたケイトは、溜息を吐き出して素直にうらやましいと考えた。そして、明かりとしてだけでなく調理に使う為に維持されている、薪を燃料としているたき火を見つめる。
「水割り! ハーフでいいわ!」
「なら、俺はストレートだ! お前、二杯分飲めよ!」
審判をしているはずのケイトは、いつの間にかカーン達に背を向けて両膝を抱えたまま座っていた。
「ずるい! 貴方も水割りにしなさいよ! 胃は私の方が小さいんだから!」
「関係ないな」
勝負に熱中しているオーブリー達や、その光景を見て煽っている人々と違い、ケイトの目はどこか虚ろになっている。宴の会場中央部にある揺らぐ炎を、焦点を合わせない様にぼんやりと見つめ、周囲の音に耳を傾けていた。
反乱軍の幾人かは、地下で発見した楽器を持っており、それぞれが酒の力を借りた陽気な心のおもむくままに音を出している。人々の騒ぐ声の合間を縫って楽器の音がケイトの耳にも届くが、各楽器が別々の曲を響かせており、雑音にしか聞こえない。
あまり心地のいい音が聞こえなかった為、ケイトの意識はゆっくりと視覚と聴覚の情報を遮り、内側へと潜っていく。その内面で、自分も省吾と口論が出来る程仲良くなれるだろうかと考えたケイトは、戦闘服を泥と血で染めた少年を思い浮かべる。
「会いたいです……。会いたい……」
賑やかな楽しい場所にいるはずのケイトは、何故か急激に孤独を感じ、誰にも聞き取れない程小さな震える声で呟いた。そして、想い人の顔をはっきりと思い出した事で、胸の奥が締め付けられて目に涙が溜まっていく。
両眼を閉じたケイトは、戦火により路頭に迷い、自分が人間であるかも分からなくなっていた日を思い出す。産まれた時から既に父親がいなかったケイトを育てていた本当の母親も、戦争から娘を守って倒れた。それから、言葉もろくに喋れないケイトは戦災孤児として、世界の隅で影に隠れながら同じような境遇の者達と暮らしていた。
似た境遇の中で育ったにも関わらず、一人で生き延びただけでなく、手に入れた力で人を守ろうとする省吾にケイトが心を動かしたのは仕方が無い事なのだろう。ケイトは省吾が武器を持ったとはいえ、どれほど苦しい状況に置かれているかを理解しており、不安が膨らんでいく。
想い人の死をもっとも恐れているケイトは、会いたい気持ちも強いが、それ以上に省吾の無事を願う。
「お母さん……。どうか……。あの人を守って」
本当の母親と、母親代わりだったセーラに祈ったケイトは、意識を内側に閉じ込めたまま歌を口ずさみ始めた。
「あれ? ケイト……貴女……」
ケイトが歌い始めた曲は、二十一世紀にはまだ作られていなかったもので、新しい未来では作られる事もなかったものだ。
「おっ?」
「へぇぇ……」
セーラが子守唄としてケイト達に聞かせていたその曲は、消えてしまった未来で、戦争に疲れた人々を癒すのが目的で作られた。
「何? これ? なんか凄い……」
「ああ。胸の奥がじんわりと……」
少しずつ大きくなるケイトの歌声が聞こえた者から、会話を止めて耳をすまし、目を閉じていく。
「うん。いい歌だ。これは、いいね」
常に人々に囲まれていたヤコブも、両手をジャケットのポケットへ差し込み、目を閉じて表情を緩める。楽器を持っていた者達は、歌の邪魔にならない様に合いの手として、それぞれが音を奏で始めた。
「美しい。まるで、女神のようだ」
ジョージのように邪な目でケイトを見続けている者はいるが、大半の者がサビに入った歌を聞いて心が揺さぶられる。それぞれが思い出している事は違うが、目頭が熱くなっている者が多く、鼻をすする音もちらほらと聞こえた。
皆の騒いでいる声に自分の歌は掻き消されるだろうと考えたケイトは、声を全く抑えずに歌い続ける。ケイトの歌声は、今も巨大すぎる敵に立ち向かっている省吾に向けられたものだが、距離が離れすぎており届くはずもない。代わりに、仲間である反乱軍に所属した者達を癒し、明日への活力を生み出しているが、ケイト本人は気付いていなかった。
「はぁはぁ……。えっ? あの……」
歌が終わった所で拍手喝さいを受けたケイトは、その大きな音でやっと意識を内側から戻し、驚いたまま取り囲まれてしまう。
「いい歌だったよ。感動した」
「素晴らしかったです。また、個人的に歌ってほしいですね」
自分の歌が聞かれていたと知ったケイトは、顔を真っ赤にして両膝の中に顔を埋め、ぷるぷると震え始めた。独りよがりな感傷に浸り過ぎたと後悔しているケイトに、取り囲んだ人々はスタンディングオベーションを続ける。
「あれ……。絶対、嫌がってるよね?」
「ケイトは、基本、目立つの嫌いだしな。ふぅ……」
海底に沈んでいる石のようにふさぎ込んでいるケイトを見て、第三世代の二人が苦笑いを浮かべた。
「どうする? 助ける?」
「助けるっていっても……なぁ? あの中には、割り込める気がしないぞ?」
先程とは違う意味を持った涙を溜めていくケイトは、もう二度と人前で歌わないと考えて、唇を噛む。褒められたからといって、単純に喜べない場合があるのが、人間の面倒で難しい所だろう。
「あの子……。あのままだと、本気で泣くんじゃない?」
オーブリーが助けに入ろうかと考え始めた所で、ヤコブがよく響く高い声で、興奮が冷めやらない人々に話し掛ける。
「そんなに取り囲んでは、歌姫様が困っているじゃないか。最後に気持ちを込めた拍手でしめようよ」
ヤコブからの言葉に逆らうつもりもない人々は、素直にうなずいて手を叩くと、自分のコップが置いてある場所に戻っていく。
「もう大丈夫だよ。また気が向いたら、聞かせてね」
ケイトの肩を優しく叩いた笑顔のヤコブは、出来るだけ優しい声で反応しないケイトに喋りかけて、その場から離れる。
「あの……」
ジョージを含めた何人かが、ふさぎ込んだままのケイトに喋りかけようとしたが、オーブリーとカーンがすかさず自分達が作った輪の中へさらっていった。
「もう! 少しは、考えて行動しなよ」
「だってぇぇ。ううぅぅ……」
泣き出しそうだったケイトは、頭を撫でたオーブリーの腹部に抱き着き、そのまま固まってしまう。肩をすくめていたオーブリーとカーンは、うじうじと悩み始めたケイトに付き合おうと考えない。
「さっ! 続き!」
「おう! 今は、俺の方が二杯多いからな」
がぶがぶとウイスキーの水割りを飲み干していくオーブリーに抱えられたケイトは、酒のせいもありそのまま寝息を立て始める。反乱軍の宴には明確な終わりがなく、酔いつぶれるか、眠気に負けた者からその場で、眠りについていく。
その日は、最後まで一人でアルコール度数の低い酒を飲んでいた、髭を蓄えた男性が腕を枕に横になった所で終了した。反乱軍の者達が眠りに付いた頃、シェルターの扉に施錠をした省吾は、武器と食料が詰まった背嚢を背負い、地上へと向かう。
……西は、あっちだな。よし。
地上に出た省吾は、マンホールを隠していたシートを回収して岩で塞ぐと、地図を再確認して太陽と地形で方角を確認した。そして、なだらかな下り坂を降りて、林の手前にある水たまりを、鉄板の仕込まれているブーツで踏みしめる。
省吾が踏み入れたぬかるんだ場所には、北に向かって分かりやすく省吾の足跡が続いていた。当然ではあるが、それはノアの者達を撹乱する為に敢えて残したものであり、省吾が隙を見せたわけではない。
足跡を残し終えた省吾は、草でブーツ泥を落とし、足跡のほとんど残らない場所を通って、西へと進む方向を変える。
……六割近く回復できた。次だ。
未来の世界全てが戦場となった省吾に隙はなく、鋭い眼光を緩めずに、かなりの速度で黙々と目的地に向かって歩いていく。
それから数時間後、省吾ほどではないがかなり訓練を積んでいるらしい者の足音が、大理石で出来た通路に響いていた。紺色の軍服を着て、両手を腰の後ろで組んだその者は、同じフォースの使用人達から道を譲られる立場にある。
フォースの兵士にもフィフスと同じように三段階の階級があり、通路を歩いているリアムは、その一番上に属しているのだ。階級章らしき胸のバッジに星が三つついているリアムは、白い軍服を着たフィフス達と、特別職である参謀達以外にかしずく事はない。
ディランの件で首都に長期滞在を余儀なくされたリアムは、農園の監査と調整を直属の部下に任せていた。部下が下手をすると自分の命が狙われかねない為、早く自分で農園に向かいたいと考えてはいるが、参謀達には逆らえない。
参謀とは、フォース及びフィフス各三名ずつで構成された、ノアの中で王に次いで権力を持った者達だ。フォースとフィフスの最高階級から、能力ではなく知恵の特出している者がその任を受け、正式な階級はないが権力を持つ。
当然、権力を与え過ぎてしまうと反逆の可能性が出てくる為、参謀達に決定権はなく、報告を聞いた王が承認しなければ何も出来ないようにはされていた。実働能力が必要ない為、現役を引退した者から選ばれる事の多い職だが、現役の兵として働きながらもその職に就いている者はいる。首都を出て仕事をしなければいけないフォースでは無理だが、王の側近であるフィフスには可能なのだ。
現在、デビッドよりも最強に一番近いと皆に評価されているギャビンは、最古参の側近であると同時に参謀の一人でもある。王からの信頼が最も厚いギャビンは、参謀達が決めた事を王へ報告し、許可を得る役目も担っていた。
「はぁぁぁぁ」
来客用の宿泊施設と、参謀達のいる軍本部を繋ぐ渡り廊下を歩いていたリアムは、綺麗に手入れがされている庭園の花を見つめて溜め息をつく。
リアムが立ち止った渡り廊下は、宿泊施設と同じ大理石の柱と屋根で作られているが、デザインはギリシャのパルテノン神殿を思わせる。人類を統一し、綺麗な部分だけをすくい取って設計したらしいノアの首都は、古代ローマや近代的なヨーロッパだけでなく、中国や日本など東洋のデザインも入り混じっていた。
フォースの使用人達が笑顔で手入れをしている庭も、ヨーロッパ的なバラ園と日本の枯山水が混じっており、二十世紀の者が見れば首を傾げるだろう。王の寝所もある、リアムのいる首都の中心である建物も、ベルサイユ宮殿を元にしているだろう事はわかるが、インドやロシアの影響を受け、ちぐはぐになっている。
洗脳によって作られ、暇を持て余すほど満たされた首都の中で、新しい技術を開発しようという者はほとんど現れない。その為、過去の技術をなんのとなく知っている者が、一流と呼ばれる世界であり、デザインの悪さは仕方が無い事なのだろう。
リアムも、ちぐはぐな世界で育ってきた一人であり、産まれてから毎日見てきたものに疑問を持ってはいない。ただ、今から参謀達に付き合わなければいけないのかと考えた為、リアムは顔をしかめており、足取りも重いのだ。
「はぁっ。行くか」
農園と省吾の事を思い出したリアムは、憂鬱な気分を強い息と共に奥に押しやり、参謀達の待つ部屋へ向かう。冷静で我慢強いリアムがそれほど嫌がるのには、納得できる者の多い分かりやすい理由がある。
フォースの最上位とはいえ、リアムに参謀達への意見を述べる権限は与えられておらず、聞かれた事のみを報告するしかない。それも、報告を全て済ませても念の為という事でリアムは、参謀達の話し合いをただ聞き続けなければいけない。
レベルに関係なく六人全てに同等の発言権がある参謀達は、話し合いが堂々巡りする事も多く、聞いている者が苛立っても普通だろう。そのイライラとする退屈な場に、居眠りも許されず座らされ続けるリアムは、拷問を受けているような苦痛を感じるのだ。
「これは……東に抜けようとしているのか?」
丸い卓に広げられた地図を指さして、初老の男性二人が、省吾の行く先を推測しようと話し合いを続けている。
「いや。この井上とやらは、船を持っている可能性もある。南の運河を抜ける可能性を、忘れてはいけないな」
ニコラス老人が住んでいた館が霞んで見える程豪華な会議室で、参謀達の話し合いは三時間ほど続いていた。
「この男の仲間はどれほどいるんだ? 本当にセカンドなのか?」
将来的には参謀になる可能性の高いリアムは、知にかなり長けており、省吾が首都に向かっている可能性が一番高いと分かっている。だが、発言権が無い為意見することも出来ず、赤い卓から少し離れた位置にある椅子に座ったまま、参謀達を見つめていた。
「マイヤーズ君。君はどう見る?」
早く帰りたいとだけ考え、話をぼんやりとしか聞いていなかったリアムは、ギャビンの声でびくりと反応する。そして、首筋から汗を流しながら、上の空で聞いていた話を何とか思いだし、適切な返答をしようと頭をフル回転させた。
「はい。私が見た敵は、少数の可能性が高かったです。それと、能力はセカンドレベルで間違いないのではないかと……」
立ち上がって発言したリアムの意見を聞き、うなずいたギャビンは、少し変わった身体的特徴を持っている。ギャビンの顔立ちは整っているのだが、眉間まで通った鼻と、くぼんでいない目元を持っており、モンゴロイドかコーカソイドか判別つけ難い。
その上で、肩甲骨を隠してしまう程長い真っ直ぐな髪は金色で、眼球は黒に近いこげ茶色をしており、肌はよく焦げた黄色人種の色に似ている。三種類存在する全人種の血が混じり、偶然その様な姿で産まれたギャビンだが、その事は本人もよく分かっていない。
「あ、もういい。座りなさい」
ギャビンからの許しを得たリアムは、一度頭を下げてから椅子に座り、誰にも気付かれない様に呼吸を整える。無表情を続けているリアムだが、気を抜いている所で突然話し掛けられた為、心臓が飛び出るほど驚いたのだ。
フィフスであり超感覚も優れているギャビンは、リアムの事が分かっているらしく、小さく鼻で笑う。
「どうするんだ? 既に、兵士が五十人以上消息を絶っている。フィフスを動かすか?」
不機嫌そうに腕を組んで座った初老の男性に、フォースであるメガネをかけた東洋人らしい中年男性が顔を向ける。
「それも、王に申請しよう。だが、まずは許可が頂けるはずの、フォース兵士達の配置をどうするかだ」
メガネをかけた男性の意見にうなずいたギャビンは、地図に右手の人差し指をつけ、配置について案を出す。
「首都の防衛は、フィフスで十分だろう。必要なら、私が出る。敵の向かう可能性が高い、この場所とこの場所……。そして、この場所に配置をして、囲い込むべきだ」
ギャビン以外の五人は眉間にしわを作り、自分なりに考え込んで案を洗い直した後、首を縦に振った。それを見ていたリアムは、やっと解放されると音を出さない様に息を吐いて農園の事を考え始める。
「では、これで王に伺いを立てる。それで、いいな?」
参謀の中で一番年が低いはずのギャビンだが、一番主導権を持っているようで、締めの言葉を発した。ギャビンに無言でうなずいて見せた五人は、しばらく座ったまま目を閉じていたが、部屋に待機していた使用人を呼んで飲み物を要求する。
「では。私はこれで失礼いたします」
「ん? おお。仕事があるんだったな。ご苦労」
九十度にまで腰を曲げたリアムを見た一人の参謀は、出て行くことを了解したが、ギャビンが呼び止めた。
「待ちたまえ、マイヤーズ君」
「はい」
部屋を出て行こうと、ごてごてと装飾が施されている扉に向かっていたリアムは、驚いた顔で振り向く。
「戻って、仕事の一段落が付いてからで構わないんだが……。ここに戻ってきてくれるかな?」
ギャビンの言葉で自分に何か不備があるのかと考え、目を泳がせ始めたリアムは、相手が笑った意味を読み取れていない。
「そろそろ、参謀交代の時期が来ていてね」
ギャビンに続いて、参謀の中で一番年老いた白人男性が、リアムに顔を向けて口を開いた。
「私は、そろそろ頭が回らなくなったのでね。一年以内に、引退する予定だ。この意味は分かるね?」
権力への欲求が強いリアムは、参謀候補に選ばれたという意味を理解して、すぐさま片膝をついて頭を下げる。
「大変光栄です。処理が済み次第、すぐにでも戻ってまいります」
「そうしてくれ。見極めは三カ月ほどかかるから、その部分も考慮して仕事を済ませてきてくれ」
自分が認められたと感じたリアムは、顔を赤いじゅうたんに向けたまま、口角を少しだけ上げた。
「はい!」
高ぶったリアムは珍しく少し大きな声で返事をし、それをギャビンと引退する予定の男性は笑顔で見つめる。
「では。一度戻りますので」
声のトーンを元に戻したリアムは、参謀達がいる卓に頭を下げたまま扉まで下がり、そのまま使用人が開けた扉から出て行く。
「見所のある若者だな。参謀になれなくても、首都に残すか?」
メガネをかけた東洋人男性の言葉に、ギャビンはうなずき、デビッドの副官にしようかと考え始める。その事を、リアムが断りはしないだろうが嫌がる事を、その場の誰も気が付いていないようだ。
「よし……。これで……。ふふっ」
自分が目指していた高見が、目の前に転がり込んできたリアムは、口角を上げたまま意気揚々と泊まっていた部屋に戻っていく。
プライドが高いリアムが目指したのは、王以外の誰にも頭を下げないでいい立場になっての生活だ。フォースでしかないリアムの理想を叶えることが出来るのは、参謀になる事だけであり、それは先の事だと考えていた。
「運が向いてきた。これをものにすれば……」
部屋に戻ったリアムは、想像もしていなかった幸運に満面の笑みを作り、室内で飛び跳ねている。そのリアムの気分が一気に落ちたのは、ノックもなしに部屋に入ってきた、幼馴染のせいだ。
「よう! あの、馬鹿死んだってなぁ! マジか?」
「はぁ……。はい。この目で確認しました」
溜息をついたリアムは、部屋に勝手に入ってきたデビッドの笑顔を見つめて、吐き出したくなった唾を我慢する。
「そうかぁぁ。残念だ。僕が殺してやりたかったんだけどなぁ。ははっ」
デビッドに意見するのは賢くない事だと分かっているリアムは、そのまま目線を逸らして返事をしなかった。その態度に慣れているデビッドは、リアムを気にも留めずに部屋に置いてあったワインボトルを、勝手に開ける。
「お前、見てたんだろ? そん時の話聞かせてくれよ。な?」
ワイングラスを部屋の机に二つ置いたデビッドは、返事も聞かずに白い酒を注ぎ、椅子に座った。それを冷めた目で見ていたリアムは、仕方なく頭を下げると、断りの言葉を告げる。
「申し訳ないのですが、仕事がありますので、急ぎ戻らなければいけません。参謀の方々からの命令でして」
デビッドでも逆らえない参謀達から、戻ってこいと命令された事を、リアムは自分の都合がいい様に歪めて言い訳にした。
「マジか? なんだよ……。楽しみにしてたのによぉ」
変に勘ぐられ、参謀達にデビッドが余計な事を喋らない様にさせたいリアムは、フォローの言葉も保険として吐き出す。
「仕事が終わり次第、首都に戻ってまいりますので。申し訳ないんですが、話はその時にでも」
「おっ! マジで? なら、我慢するか。貸しだからなぁ」
頭を下げたままのリアムはこめかみに青筋を浮かべたが、その事は酒を飲みだしてしまったデビッドに気付かれていない。
「では。急いで、仕事を済ませてまいりますので」
「おう! 早く済ませてこいよぉ」
宿泊用のボストンバッグに荷物を積めたリアムは、一礼をして部屋をそそくさと後にして、馬小屋へと向かう。
「あのくそ野郎……。へどが出る」
古代の塔をイメージした円柱状の宿泊所を出たリアムは、周囲に人がいない事を確認した後、芝生に向かって唾を吐いた。
本当の良識が分かっている者からすれば、人を躊躇なく殺すリアムも十分すぎる程腐っているのだが、その事を本人は自覚していないようだ。そして、愛情を理解しながらも良心がない歪な心を持ち、社交的な外面と知恵を有している危険な人物が、過去の世界でサイコパスと呼称されていた事も知らない。
「それでいい。急いでくれ」
「はい!」
馬小屋で働いている奴隷に、馬の準備をさせているリアムは、一時的にデビッドへの怒りを飲み込んでいる。ウインス兄弟と幼馴染であるリアムにとって、それは当たり前でしかない事で、慣れてはいるのだろう。だからといって、納得して兄弟を許したわけではなく、コールタールのようにどろどろな恨みは蓄積され続けている。
「早くしろといっているだろうが!」
「げひぃ! すみません」
リアムに脇腹を靴の先で蹴り上げられた奴隷は、情けない声を出して、蹴られた箇所を押さえながら急いで馬に鞍を付けた。真っ青な顔をしたその男性はサードであり、リアムは人間として扱おうとは考えていない。首都に住んでいる八割近くがフォースかフィフスだが、重労働をさせる為に、ファーストからサードの者達も連れてこられている。
ノアの作った首都は、他の都市と同様に空から見下ろせば綺麗な長方形になっており、高い壁に囲われ中心に全てを司る宮殿が建造されていた。それ以外の建物だけでなく、道なども全て計画的に作られており、二つ並べた碁盤のように整っている。
奴隷達を容赦なくこき使い、ゴミすらほとんど落ちていない美を前面に出した都市は、本来あるべき姿をしてはいない。清濁入り混じってこそ、本来人間が住むべき場所なのだが、洗脳により統治され常識すら歪んでいるのだ。
洗脳の影響を受けている上に、偏った育てられ方をしたフォース達は、笑いながら暮らしている。それは、その美しいように見える都市が、多くの悲しみと命で作られた事を知らないからだ。