表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
名無しのエース  作者: 慎之介
五章
45/82

 日の光がほとんど届かず、泥とかび臭い湿った空気が充満している場所に、影がうごめいていた。その場所は、かつて人間達の手によって作られた暗渠であり、天井や壁だけでなく水路自体もコンクリートで作られている。暗渠とは地下等に作られた閉鎖的な水路であり、その場所も雨水や生活排水等を川に向かわせる為に作られたのだ。


 人間に手入れされなくなって長い年月がたったその場所は、壁や床にひびが無数に走り、崩れた箇所も多い。そして、水と一緒に流れてきた土等様々な物が溜まっており、地上とは違う植物や動物達の支配する異質な世界に変わっていた。ただ、人間達が流していた生活と工業排水が流れなくなって久しい為、極端に汚いと感じない者もいるだろう。


 その暗渠の中を悠然と移動している影に、コンクリートの隙間から差し込んだ日光が水面に反射して当たる。小さな双眸を怪しく光らせたそれは、鼻先をひくひくと動かして臭いを確認し、目的の場所へと向かっていた。


 暗闇を主な住家に生きてきたそれは、暗い場所でも目は見えるようだが、視覚情報よりも嗅覚を重視することが多い。中型の成犬並はある体を持つそれは、暗渠に住む他の生物達から恐れられており、気配を感じたものは逃げ出していく。


 実は、その生物に正確な人間のつけた名はなく、昔先祖がドブネズミと呼ばれていたが、今は別物だ。省吾が居た時代から少しずつ進化を続けたそれは、人間の脅威がなくなった時期から、体を巨大化させていった。


 雑食であるネズミは、虫や小型の動物も捕食側である為、隠れ住む必要が無くなれば体を大きくした方が生存競争の中で、生き残りやすい場合がある。進化とは様々な可能性の淘汰によるもので、その体を大きくした種が暗渠の中で繁栄し始めたのは、ただの偶然だ。他の似た環境の中で、同じように進化したネズミがいないのが、そのいい証拠といえるだろう。


 しかし、それはいつの間にか、猫や犬等のネズミを脅かしていた存在よりも強くなっており、繁殖の邪魔をするものがいない程になっていた。その暗渠の中で最強の生物は、個体の強さを持った為、群を作らなくなっており、それぞれで縄張りを持っている。


 特に体が大きく、一番大きな縄張りを持ったその個体は、ある理由からとても機嫌が悪くなっていた。移動中であるその個体は、日頃相手にもしない小動物を威嚇して追い払いながら、暗い道を進んでいく。


 それの機嫌が悪くなっている理由とは、荒らされた事の無い自分の縄張りに侵入者がいるからだ。暗渠内に限定すれば最強であるその個体は、侵入した相手を追い払うか、捕食してしまおうと臭いを追っている。そして、今まで鍵が開かず、締め切られていたはずの部屋までたどり着き、侵入者に気付かれない様に気配を消した。


 侵入者が入り込んだのは、大昔の人間が暗渠の中に作った部屋で、ネズミよりも脳が大きくなったそれにも作った意図は分かっていない。だが、金属製の分厚い扉で守られて今まで入れなったその場所も、それのテリトリー内であり、無断侵入は許せないようだ。


 扉の開け放たれた部屋にゆっくりと入ったそれは、初めて見たしゃがんで眠っている人間を恐れずに近づこうとした。しかし、強烈な殺気をぶつけられ、近づけば自分が死ぬ事まで感じ取って、素早くその場を退散する。


 動物的な勘で逃げ出したそれの判断は正しく、近付き過ぎていれば、間違いなく殺されていただろう。相手は、地上最大の肉食獣よりも強いファントムを、超能力を使うとはいえ素手で倒してしまう程の者だからだ。


……なんだ? 野良犬か何かか?


「ふぅ……」


 気配を感じてナイフに手を伸ばしていた省吾は、暗闇の中でしばらく目を細めていたが、やがてもう一度夢の世界に帰っていく。暗渠の中に作られていた扉は、大昔に人間が作った隠しシェルターの出入り口であり、その場所で省吾は仮眠をとっているのだ。


 シェルターはガブリエラ配下の者が整備を行い、ニコラス老人が武器弾薬と食料を補充してあった。省吾に託された共通の鍵で開くそのような場所は複数存在し、全ての場所が戦時中に作られたシェルターを元にしている。


 農園を後にした省吾は、一番近いシェルターにこもり、三日をかけて瀕死の体を回復させた。そして、託された地図を頼りにシェルターからシェルターへと移動しながら、ノアの首都へと向かっている。


……大丈夫。大丈夫だ。


 夢を見ている省吾は、心配そうに自分を見つめるサラに向かって、優しい言葉を投げかけた。だが、顔をしかめたままのサラは省吾の心配を続け、どうしていいのか分からない為か、落ち着きなく歩き回っている。


……大丈夫だ。心配するな。


 省吾は夢だと分かっていながらも、目の前に現れてくれたサラに向かって、落ち着かせようと喋りかけ続けた。


 ディラン達と戦ってから二月ほど経過しているが、その間に省吾は幾度もノアの兵に襲われている。省吾が農園を出て二週間の間は、ノア側の準備が整わなかったらしく、襲われはしなかったが、それ以降は昼夜問わず襲撃を受けていた。


 ただし、人数の極端に少ないフィフスはその襲撃に参加しておらず、省吾は全ての敵撃退に成功している。ニコラス老人から渡された、金属生命体で出来たナイフを持つ省吾は、戦術で相手の隙をつくだけで勝てるのだ。


 襲撃された場合に備えて常に準備をし、無理な移動もしなかった省吾に隙はなく、フォースでは五人がかりでも相手にならない。地形まで利用して戦う省吾に対して、連携も戦術もなく挑んでは、いくら能力が強くても勝てるはずがないのだ。


 もし、ノアのフォースである兵達が、ケイト達のような能力熟練度に達し、多少でも連係プレーを使えば、省吾は窮地に追いやられるだろう。しかし、省吾と戦ったほぼ全員が訳も分からないうちに倒されていく中で、有益な情報を持ち帰れた兵士はいない。何故兵士達が負けたかも分からない状況で、闇雲に兵を差し向けるノアは、兵力を徐々に減らされていた。


 四六時中神経を張りつめ、ランダムなタイミングで襲撃を受ける省吾にとって、今最も重要な問題は疲労の回復だ。最前線で戦い続けていた事もある省吾は、気力を保ち続けているが、フォースとの戦いは毎回肉体を限界まで酷使している為、疲労が蓄積されている。


 今も眠って体を回復させている省吾だが、その眠りはかなり浅く、回復量もあまり芳しくない。省吾もその事は認識しているが、狭いシェルターにこもって追い詰められれば、どうする事も出来ない為、わざと音に反応できるように扉を開けて浅く眠っているのだ。


 補給できる拠点はあるが、安眠できる場所も仲間もいない状態で、省吾は一人過酷な戦いを続けている。


……なんの問題もない。俺はまだ戦える。


 ノアが世界を支配している未来は、数え切れない悲しみと苦しみに満ちているが、仕方が無いと表現できる社会ではある。


 人類の歴史を振り返れば、王権政治は幾度も繰り返されてきた事であり、一部の者だけが利を得るのは、今に始まった事ではない。社会システムの最終形態と評された事もある民主主義や社会主義も、人間の黒い部分が絡んでしまえば、忽ちのうちに王権と同じ姿に変わる事もある。


 一切の悪意なく正しい教育を行ったとしても、黒い部分の無い者が確実に育つ訳ではない上に、悪とされることが人間には容易く出来てしまう為、仕方が無いのだろう。ただし、それを省吾は認めない。


 正義に別の正義をぶつければ、血が流れてしまうと誰よりも知っていながら、省吾は未来の世界で武器をとる。それは、省吾が大災害の悲しみと、人類が滅亡に向かいかけた戦争を乗り越え、一つの答えを見つけているからだ。


 民主主義と社会主義の、もっともよい融合を果たした省吾のいた時代には、偉大なる指導者が三人いた。その三人は世界の為に、善だけでなく悪からも目を逸らさずに手を差し伸べ、自分自身の利を投げ出して命までかけている。


 未完成とはいえ、フランソア達が導いていく世界を見てきた省吾は、光のない明日だけを作る世界を否定すると決めた。交渉の出来る余地のない世界で省吾が選んだ道は、血を流さずには進めない悲しいものではある。


 だが、何もしなければより多くの無残な血が流れ、誰かが立ち上がらなければ悲劇だけが繰り返されると、省吾は分かっている。だからこそ、人々が流すであろう涙が巨大な川を作ってしまう前に、自分が真っ先に血を流し、命を削ろうと決心したのだ。


 残酷な現実と、フランソア達が支えている世界を見て、そんな決断しか出来ない省吾は狂っているのかもしれない。それでも、誰かに何かを求めるのではなく、与える事のみにしか汚れた自分の存在意義を見いだせない省吾は、別の生き方を選べないのだろう。


 無慈悲な運命と地獄と呼ばれた時代が作り出した、英雄と呼ばれる青年は、苦しみと悲しみで出来た道を進むために、しばしの休息をとっている。


 三時間おきに目をさまし、周囲の状況確認を行い、ニコラス老人達が用意した日持ちする食料を少しずつ食べる省吾は、世界の変化に気付いていない。自分がどれほどの不利であろうとも、他の者に苦しみを渡したくない省吾は、仲間を探そうともしていない為、情報が不足している。


 奴隷として扱われている者達を仲間にする為に動けば、その情報も手に入るのだが、自分が作った戦争には巻き込みたくないと省吾は考えていた。奴隷としてでも各都市で働いていれば、最低限の安全は確保されているのだから、開放するのはノアを無くしてからが人々の為ではあるのだ。


 反乱軍や、ある意味でテロリストと呼んでもいい、ガブリエラ達の事は省吾も頭の隅に置いてはいた。しかし、どうしても納得が出来ない部分がある省吾は、自分からそのガブリエラ達に接触しようとはしない。


 その納得できない事とは、省吾を導く為だったとしても、アリサ達の村で起こった惨劇が、ガブリエラならば防げたかもしないという点だ。一つの疑問は猜疑心として省吾の中でふくらみ、ガブリエラへの信頼を損なわせており、黒幕の一人としてリストから消せない原因になっていた。


 世界は小さな人間が簡単にどうにか出来るものではないと、省吾はもう少し深く考えるべきかもしれない。人間の脳では処理しきれないほどの偶然が重なっている未来を導きだし、そこへ至る為には予知能力を持っていたとしても容易ではない。あの心の強かったニコラス老人も、農園で省吾の成功する確率を聞かされて、絶望しそうになったほどだ。


 省吾に、もしマードック程の知能と知識があれば、ケイト達から教えられた未来は変わらないという言葉を思い出せるのだろう。まるで、その省吾の考えまで読み解いているかのように、ガブリエラ達も活動を続けてはいるが接触をしようとはしない。それだけ、省吾が目指している頂は、一人の選択ミスで壊れてしまう程、繊細なものなのだ。


 また、解放を後回しにした者達の気持ちも、無駄だと思った事を投げ捨ててしまう省吾は、もう少し考えるべきだ。省吾が必要以上に他人と関わろうとしないのは、心を守る無意識の防衛本能ではあるが、それがプラスだけに働くはずもない。


 奴隷として酷い扱いを受けている者達は、洗脳されている訳ではない為、常に自由を夢見ていた。慌ただしくなったノアの動きを、兵士達の使用人として働いている者達は、見逃すはずもなく、希望を抱く。その使用人達が情報源になり、都市の中である事だけでなくない事まで尾ひれがついた救世主の噂が、形作られていた。


 虐げられ続けた人々は、口だけでなくテレパシーまで使って会話を繰り返し、希望であるフィフスを打ち破った青年の姿を想像している。省吾が原因である、人々の心をざわめかせている小さな波紋は、都市全体を巻き込んではいた。しかし、閉鎖された空間に閉じ込められている者達は、自由に別の都市へ行き来が出来ない為、波紋の大きさには限界がある。


 都市から能力を使って逃げ出そうと考えた者は、数え切れないほど存在したが、ノア側も対策を行っているのだ。ノアが作った都市は、越える事が困難な壁で囲まれているだけでなく、不満を持つものが逃げ出さない様に、人々の心を縛っていた。


 万が一逃げ出した者がいれば、その家族を見せしめに公開処刑するだけでなく、友人達まで罪に問われるのだ。過酷な環境で生活させる事で、自然に友人同士で助け合わなければいけない状況まで、ノアの最初に王と名乗った者は計算していた。それだけでなく、都市の外は人間が暮らすには不向きになっていると、ノア側の人間が情報を故意的に流している。


 家族や友人を犠牲にしてまで逃げ出した者が、捕まって殺される光景を見せられた上に、外の世界で怯えながら暮らす不自由な生活を自分から選べる者は少ない。


(フィフスを? それは、本当なのか?)


 夜の暗闇にまぎれ、ある都市の壁際まで接近した者が、内部からのテレパシーによる返事を聞いて、鼻で笑う。


(信じる信じないは、お前の勝手だが……。俺は嘘を教えるつもりはない。何よりも、恩人のお前に俺は嘘をつきたくない)


(あ、いや。言葉のあやだ。お前が嘘をつくとは思ってないが……)


 都市内で使用人として働いている男性は、もう何年も見ていない親友の顔を思い浮かべて苦笑いをする。


(少しいい方が意地悪だったな。俺も、信じられなかったが、本当だ)


(そうか……。そうなんだな。そうかぁ)


 ノアの兵士に尽くすだけの生活を送っていた男性は、反乱軍となった友人の言葉で、期待から笑いながら拳を握った。


(じゃあ、また一週間後に……)


 その場に長居をしてはノアに発見され、大きな計画に支障が出ると考えた男性は、少しさびしいと感じながらも別れを切り出す。


(もう行くのか?)


(ああ。ここで、ミスは出来ないんでな)


 未来の世界で、省吾を除いて自由に活動できるガブリエラ配下の者達は、波紋をどんどん大きくしようと動いていた。反乱軍となった者の多くは都市を逃げ出した能力者達であり、都市内に友人達が残っている為、テレパシーで内部との情報交換は可能なのだ。


 ノアは奴隷達が逃げ出さない様にと対策をしているが、その対策に穴が無いわけではない。その穴を知っているガブリエラは、最大限にその穴を利用して同士を増やし、来るべき日に備えている。


 兄弟のように育った親友に省吾の事を教えた男性は、家族が過酷な状況で早死にし、友人が少なかった事で逃げ出した。逃げ出した男性の友人達は、罰を受けると分かりながら、友を壁の外に送り出し、今に至っている。


 産まれてから一度も出た事が無い壁の外に、夢や希望を友人達は持っており、それを反乱軍となった男性に託したのだろう。その男性がとった方法以外にも、管理側の兵士がやる気のない都市であれば、死を偽造するだけで逃げ出せる場合もある。


 外に出た者達の多くは捕まってしまったが、ガブリエラ達の保護が間に合えば、ノアから隠れる生活を送る代わりに生活の面まで問題が解決するのだ。


 何代も家畜として生活し、牙も爪も削り落とされている者が即戦力にならない事を分かっている為、ガブリエラ達も急いで全体の解放へ動こうとはしていない。だが、何もしていないわけではなく、ノアの基盤を崩す為の準備は着々と進めているのだ。


 省吾の覚悟が出来た事で、全体解放に動く時が近付いている為、反乱軍の活動が活発になり始めた。一人で戦うと決めてしまい、人々の思いに気付かない省吾を無視して、歯車は駆動を続けていた。


「お疲れ様。どう?」


「ああ。万事うまくいった。あの都市は、今後英雄殿の情報を教えるだけで、準備が整うはずだ」


 都市の近くにある林の中へ入った男性は、万一の事態に備えてついて来ていたフォースである女性に、親指を立ててみせる。


「尾行もありませんね」


 男性がつけられていないかを能力で確認した女性は、月明かりの元で仲間にうなずいて見せた。


「成功だな。引き上げよう」


「はい」


 索敵能力が優れた女性の言葉を聞いて安心した反乱軍の者達は、林の中を進んで拠点へと戻っていく。反乱軍はノアから逃れる為に、使われていない地下道を利用しており、拠点も全て地下にある。


 地下への入り口となる縄梯子のついた穴をふさいでいた岩を、能力者である男性は手も使わずに容易く転がす。そして、一人一人順番に穴につけられた梯子に後ろ向きに足をかけ、地下鉄の線路だった場所へと降りていく。


「はぁぁ……」


 最後まで地上に残っていた、先程探索御行った金髪の女性は、空に浮かんだ三日月に顔を向けて溜息を吐いた。その悲しげな顔をした月を見上げたままの女性に、黒髪を持つ女性が眉をひそめて声を掛ける。


「どうしたの、ケイト? 早く隠れないと……」


「あ、ごめんなさい」


 オーブリーから急かされたケイトは、省吾の事を考えるのを中断し、急いで地下に降りていく。


「どうだ?」


「はい。大丈夫です」


 地下に降りてから穴をふさいだ岩が、不信を持たれない様になっているか、能力を使って確認したケイトは結果を仲間に教える。


 その結果を聞いた仲間達は、作戦が成功したと気持ちに区切りが出来、肩から力を抜いた。そして、腹が減ったなどという、他愛ない会話を続けながら、反乱軍の拠点へと戻っていく。


「そんなに会いたい? いずれ嫌でも会うんだから、我慢なさいな」


 一人うつむき気味に歩いていたケイトの考えが分かったオーブリーは、軽い口調で元気づける。


「あ、あの、えと。あの……。はい……」


 顔を赤くして狼狽えていたケイトは、おろおろとしながらもオーブリーに隠し事は出来ないと考え、素直な返事をした。その会話を聞いていた、ケイトに気があるらしい反乱軍の男性は、眉をハの字に情けなく落とす。


「あの人は大丈夫よ。殺しても死なないってば」


「はい。そうですよね」


 オーブリーにそれ以上心配させたくないケイトは、顔を天井に向け、タイムマシーンの自爆にも耐えた、愛する青年の顔を思い浮かべて笑う。


……来たか。


 ケイトに思い浮かべられていた省吾は、地下まで届いた音に素早く反応し、野獣に死を連想させるほどの眼光を放つ。


 目覚めたばかりの省吾だが、脳だけでなく体は瞬く間に戦う為の準備を済ませてしまい、武器に手を伸ばした。そして、サイレンサーのついた銃に弾が十分にある事を、マガジンを引き出して確認し終えると、シェルターの施錠をして地上へと向かう。


「くそっ! なんだこれ!」


 岩に巻き付いた縄により、逆さ吊りになっているノアの兵士は、空中でじたばたと暴れている。日が沈む前に省吾が地上に仕掛けた罠は、葉に隠した木の枝に固定した岩を落下させる仕組みになっており、岩が落ちた音で敵の接近を知る事も出来るようになっていた。


 もう一人いる兵士は、縄で片足を吊り上げられた仲間を助ける前に、周辺を探査能力で探っている。


「罠だ。この近くに……」


 省吾の襲撃に備えて、先に自分の態勢を整えようとしたフォースの男性は、予想外の事でも焦らずに冷静な対応をしていた。その兵士は素早く周辺で一番大きな木の幹に背をつけ、何時でも防御膜を出せるようにした身のこなしを見ても、練度はノアの中で高い事が分かる。


 しかし、その者達が相手にしているのは地獄を先頭に立って駆け抜けた、百戦錬磨の英雄であり、戦力が半減したノアの兵士が選ぶべきだったのは、確認ではなく退避だ。


「おかしい。誰もいない……。待ってろ。今、縄……を?」


 能力によってサーモグラフィーのように見える周囲を、数百メートルほど確認し終えた兵士は、吊り上げられていた仲間に顔を向けて言葉を詰まらせた。片足だけで持ち上げられている兵士は、すでに脳天を撃ち抜かれており、それは兵士である男性に敵が近くにいると知らせている。


……陰から出ろ。そうだ。もう少し。


「どこだ! どこに……」


 焦った兵士は能力による索敵を再開したが、冷静さを大幅に欠いてしまい、先程よりも範囲が狭い。


 サイコキネシスは手や足の延長であり、超感覚は五感の発展したものである為、使用者の心理が能力に影響を与える。人間は恐怖を感じた場合、視界が狭くなる事があり、ノアの兵士はその部分が能力に影響を出してしまったのだ。


 少し違うが似た理由で能力に制限をかけてしまう者が多く、優れた索敵能力者でも何もないと思い込んだ、地面の中は死角になりやすい。迷彩色のシートをかぶせていた地下の出入り口から、ライフル銃の半分だけを出している省吾を、敵は発見できないでいる。


 地上に出るぎりぎりの位置にいる省吾は、マンホールの壁に背をつけ、両足を金属の梯子に固定し、両手を自由に使える体勢をとっていた。地下への入り口が地形の変化で少し高い場所にあった事で、省吾は隠れたままの長距離射撃を選択したのだ。


 ナイトスコープだけでなく千里眼を組み合わせて使っている省吾は、シートの下で息を潜めたまま、敵が障害物である木の陰から身を乗り出すのを待ち構えていた。


「くそ……。どうなってるんだ?」


 一キロ以上離れた位置から狙われているとは考えてもいない兵士は、早く敵を見つけようと体をぐるぐると回転させながら索敵を続けている。そして、その兵士は敵を見つけたい気持ちがはやり、木の陰から出てしまいう。


……出た!


 その敵が作った致命的な隙を、省吾が見逃すはずもなく、引き金を三度続けて素早く引いた。


「どこなんだ? どこ……」


 誘導された弾丸三発に、別々の方向から体を撃ち抜かれた兵士は、回転していた為、独楽のようにまわりながら地面に倒れ込んだ。その者は多少練度が高かったようだが、敵に半強制的な隙を作ってしまう省吾の相手ではない。


 数に限りがある金属生命体の弾丸を、出来るだけ消費したくない省吾は、戦略により通常弾で敵を倒し続けていた。詭道ともいえる戦略を駆使する省吾は、敵の情報を得て経験を積むことで、能力の差を補うどころか敵に圧倒的な差をつけているのだ。


……今回は、この二人だけか。


 穴の中にライフル銃を戻した省吾は目を閉じ、月明かりを活かして千里眼で周囲を確認し、ゆっくりと目蓋を開く。多勢に無勢で戦う事の多かった省吾は、敵を倒したからといって勝利に浮かれる事もなく、隙を作らない。


 省吾は、銃身の長いライフル銃を梯子にベルトで固定すると、腰にフックで吊り下げていたアサルトライフルを手に持つ。そして、出入り口を発見されない様に素早く穴から出ると、身を屈めたまま倒した敵の処理をする為に走り出す。


 敵がいないと確認し終えているが、万が一を常に考えている省吾は、気を緩ませようとはしない。銃を構えたまま敵がいた林まで走った省吾は、敵を事前に掘っておいた落とし穴に投げ込み、使ってしまった罠を再セットする。その作業中に幾度か顔を星空に向けた省吾だが、ケイトのように艶のある甘美な事を考えるはずもない。


……月が満ちてきた。それそろ、移動を再開するか。


 手際よく処理を終えた省吾は、空にあがっている三日月を見て、夜間でも千里眼がかなり使用できるようになったと判断した。敵が接近してくる率が高まった事もあり、省吾は日の出と共に首都への移動を、再開しようと考え始めているのだ。


 暗視の能力が無い省吾は新月の間、ナイトスコープで欠点を補ってはいるが、光に関係なく索敵が出来る敵に対して夜間戦闘が不利になる。その為、新月の間夜は地上に出入り口が発見され難い様に罠を仕掛け、シェルターにこもって休息をとっていた。


 夜間は地下にこもり日中にシェルターがある位置から、かなり離れての戦闘を敢えて行っている省吾を、敵は正確に補足しきれてはいない。また、次のシェルターに向かう移動速度に緩急をつけている為、敵の待ち伏せはまったく成功していなかった。


 後先を考えずに首都へ特攻しようなどとは考えない省吾は、プロとして着実に敵を撹乱し続ける。それがどれほど根気を必要とし、敵から狙われている事も含めて神経をすり減らす事だったしても、省吾は根を上げない。命のバトンと武器を渡された省吾が、戦場で完全に立ち止まるのは、目的を達成するか死んだ時だけだろう。


 覚悟を決めて鉄臭い真っ赤な道を歩き始めた省吾は、たとえ全世界を敵に回したとしても、立ち止まれないのかもしれない。その省吾には劣るかも知れないが、ケイト達はケイト達なりに強い意志を持っており、精一杯今も戦っている。


「おう! お疲れ!」


「ご苦労様。うまくいったようだね」


 地下鉄のホームだった場所を改造した反乱軍の拠点に帰り着いたケイト達を、帽子を逆さにかぶった少年が笑顔で出迎えた。


「はい。状況確認は必要でしょうが、大決起までには間に合うと思います」


 ケイトからの報告を聞いた少年は、満足げに機嫌のいい顔で何度もうなずき、金属製の机に向かう。


「えと……これだ」


 机に広げてあった大きな地図には、都市と情報が書き込まれており、少年は都市の一つに羽ペンでしるしを入れる。


「さぁぁて。これで、情報拡散は……八割完了だね。そろそろ……」


 少年のいいたい事が先に分かったらしいオーブリーは、得意げな顔で腕を組んで口を開いた。


「皆が、決起前に暴走しない様にって部分よね? そこは定期連絡で抑え込んで見せるわ。任せて」


「うん。信頼しているよ。あっ……でも、この間のように中の人と喧嘩はしないでね」


 自分の失敗話を冗談として口にした少年に、顔を赤くしたオーブリーは言い訳と抗議を行い、それを見ていた仲間達は笑う。省吾が発生させた波紋は、反乱軍の中にも影響を与えており、皆の空気も十年間の地下活動で溜まった淀みが消えかかっている。


 皆が祭りの準備でもしているように高揚し、正しい世界を目指して新しい社会を作ろうと笑顔を作っていた。それは人間の長い歴史の中で、幾度となく繰り返されてきた社会の改革であり、目新しいものではない。


 奴隷として暮らしていた為、十分な教育を受けていない者達は、改革後に世界が思い通りにならない事が多いと分かっていなかった。だが、ケイト達は歴史も母親代わりのセーラから学んでおり、どれだけの危険を孕んでいるかは分かっている。


 それでも、ガブリエラとその息子であるヤコブに従うのは、今までの人間に備わっていなかった力を二人が持っているからだ。未来予知の力を用いても、世界を正しい方向に導くのは難しいが、理想の世界を作り出せる可能性は格段に違ってくる。


「これで、三分の一ってところか……。まだ、先は長いわね」


 腕を組んで地図を見下ろし、険しい顔で呟いたオーブリーに、ケイトが笑顔を崩さずに声を掛けた。


「もう……です」


「おっと。ごめんね。そうよね」


 ケイトに注意されたオーブリーは、苦笑いを浮かべて頬を指で掻き、ネガティブな発言を謝罪する。


「はい。もう三分の一ですね。もうすぐ、平和が来るんです。もうすぐ……」


 少年を中心に反乱軍の男性達は、次の都市へ情報を伝える方法を検討し始めていたが、一人だけケイトの笑顔を見て頬を染めた。


 反乱軍になる為には、大なり小なり危険を掻い潜る必要があり、どうしても女性の割合が少なくなってしまう。その上、都市内から夫婦で逃げ出す者が多く、未婚の女性は容易に思い出せる人数しかいない。そのような状況で、ケイト達時間介入組の若く健康的な女性達に惚れている男性が少なくないのは、自然な事だろう。


 革命を前に、恋愛で現を抜かすのは不謹慎だという雰囲気が反乱軍内にある為、直接的なアピールは少ないが、ケイト以外の女性達も複数の男性に気持ちを寄せられている。その事を理解して、男性達の事を手玉にとって小悪魔的な遊びをしている者もいれば、オーブリーのようにシャットアウトしている者もいた。


 ケイトは他の誰とも違い、今も一人で戦っている想い人の事だけを考え、自分に向けられた想いに気付こうともしていない。自分が惚れた相手以外の事を考えようともしないケイトは、ある角度から見れば、ちょっと馬鹿な省吾に似ている。


「準備が出来たぞぉ」


 ケイト達が戻ってきた扉とは逆方向にある扉が開かれ、第三世代の男性が室内にいた者達へ声を掛けた。


「そうか。行こう」


「じゃあ……」


 討論をしていた反乱軍の人々は表情を緩め、うなずき合って部屋を出ると、線路とは逆方向へと歩いていく。その日は、反乱軍の者達にとって、活動を続ける中で唯一の楽しみになっている、酒盛りの日なのだ。


 二週間に一度行われる宴は、元々実行までに時間がかかる計画の中で、気分が落ち込む者の気晴らしとしてガブリエラが作ったイベントだ。計画の実行段階になっても、その宴を楽しみにしている者が大多数を占めており、止める事が出来なくなっている。


 半年以上前から反乱軍に参加しているケイト達時間介入組も、いけないと考えつつもつい楽しんでしまっているようだ。


「今日こそ、カーンを酔いつぶす!」


「もう……。程々にしてくださいね」


 真剣な顔で拳を握ったオーブリーに、引きつった笑顔を向けたケイトは、止めはしないが注意を促す。そのケイトが気になって仕方が無いという表情の男性が、歩み寄って声をかける。


「あの……。ケイトさん?」


「はい?」


 そのジョージという名の男性は、自分の下心を出来るだけ隠す為か、硬い話題をケイトに振った。


「おほんっ! あの、宴の最中で構いませんが……。以前いっていたフォースの弱点について、もう一度ご教示願いませんか?」


 少年を先頭に部屋を出て行く面々について、歩き始めたケイトはジョージの気持ちに気付いていない。


「はい。いいですよ」


 つい浮ついてしまった自分達よりも、真面目にノアとの対策を考えたのだと、ジョージに好感を抱いたケイトは笑顔で返事をする。


「そうですか。では、宴の席で……」


 ジョージの思惑に全く気が付いていないケイトの肩を、オーブリーは肘でつつき、自分に注意を向けさせた。


「貴女に気があるわよ。そいつ……」


 耳元で囁かれたオーブリーの言葉に反応して、ケイトは一度隣を笑顔で歩くジョージを見る。しかし、自分の心が動かせる相手ではないと判断しただけで、オーブリーに目線を戻した。


「大丈夫ですよ。なんとも思えない方ですから」


 問題なのはケイト側ではなく、ジョージ側の気持ちなのにと考えながらも、オーブリーはそれ以上の会話を止める。自分がケイトに余計な事を吹き込み、意識させてはいけないとオーブリーは考えたのだろう。


「では。明日の為に!」


 ヤコブによる簡単な演説と乾杯の音頭と共に、反乱軍に所属した者達の、ささやかな宴が開始される。


 真っ暗なシェルターの中で、水の音を聞きながら緊張状態で眠る省吾とは、全く対照的な夜をケイト達は過ごしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ