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名無しのエース  作者: 慎之介
四章
44/82

拾四

 二十一世紀の地球に激突し、人類を絶望の淵へと追いやった隕石は、人間に超能力を授ける事になる金属生命体だ。個を維持する単位が極小であるその金属生命体達は、ぶつかった影響がおさまるよりも早く、餌である生物の思念や意思を求めて空気に溶け、風に流されて行った。


 人間と金属生命体という二つの異なる存在が、完全に共存するまでにはお互いの遺伝子や体構造を変えなければいけない為、長い年月を必要とした。金属生命体の多くは先を見越して、自分達の餌となる意思を持つ人間の血中に溶け込み、もっとも簡単な寄生という方法を選んだ。それにより世界中に住んでいたほぼすべての人間は、超能力因子の保持者となり、元々の素養と条件がそろった者達が、十分な準備が整う前に未完成な能力者となった。


 未完成な超能力を発現させる条件とは、三人に一人は持っている遺伝子の微細な変化と、強い感情の爆発だけだ。このたった二つの条件を満たすだけで、人類は超能力が使いこなせるようになり、子孫は超能力者になっていく。


 それでも超能力者が増えなかったのは、遺伝子の変化を人間が狙って行えるわけではないからだ。特に成長期を過ぎた人間が変化させ難い遺伝子が鍵だった為、二十一世紀では能力者の多くが若年層に偏ってしまった。


 また、災害時に胎児だった者が一番遺伝子を変化させやすかったはずだが、母体の影響を受けて変化が遅れている。この研究結果を出した研究者達は、因子と条件をそろえた災害時に赤子だった者達を、最古の能力者と名付ける事になる。その最古の能力者に該当する省吾は、人間が到達できる頂点であるフィフスの一人に、戦いを挑んでいた。


 まだディランが最後の技を使う前だった森の中で、省吾は最後の決め手となる罠に向かって全力で走る。叫び声でディランが最終手段に出ると分かった省吾は、相手が力を発動する前に、準備していた場所へ到着する必要があったのだ。


……よし! これだ!


 ディランが能力で出した階段を上り始めたのを見た省吾は、ノートにより相手がどのように力を振るうか推測出来ていた。


 攻防共に使用できる光の壁を作り出せるディランも、能力には限界があり、大技は三種類しかない。光の箱を数え切れないほど飛ばすか、人間大ほどの壁を全方位に飛ばすか、一枚の大きな壁を作り押し潰すかだ。


 省吾は壁を飛ばしてきた場合に用意していた竹を幾本も曲げて固定した、人間投擲用の罠ではなく落とし穴を選ぶ。省吾が木の蓋を開いたその落とし穴の底は、知らずに落ちれば最悪絶命する程の深さがあった。制御する枚数が増えれば増える程程射程距離が短くなる為、ディランは一枚の壁を作る可能性が一番高い事も省吾は想定済みらしく、落とし穴を念入りに改造していたのだ。


 岩陰に隠していた最後の為だけに使う、スナイプ用ライフル銃を握った省吾は、迷いなく落とし穴に自ら飛び降りた。そして、少し細長く掘られている穴の底に背中をつけた省吾は、ポケットから一発のライフル弾を取り出す。


 そのライフル弾は硬度の高い白い金属で作られており、それを省吾はライフル銃にセットする。ニコラス老人が最高の武器と評した弾丸は、省吾がボルトハンドルを一度引いて戻した事で撃ち出し可能な状態になった。


……これで、全て整った。後は、タイミングを間違え中ればいいだけだ。


「ふぅぅぅ……」


 ライフル銃の安全装置を作動させた省吾は、穴の底で集中力を限界まで高めながら、積み重ねた結果が出る一瞬を待っている。


……落ち着け。俺の全てを注ぎ込むんだ。あいつに、命中させて見せるんだ!


「ふぅぅぅぅ……」


 暗い穴の底で深い呼吸を繰り返す省吾が見つめている空は、すでに光る壁だけになっていた。省吾が狙っているのは、大技を出した後に一瞬だけ出来る、ディランの隙だ。館の三分の一を潰した後にディランが隙を作った事を、千里眼で見ていた省吾は見逃さなかった。


 死角から放ったライフル弾が防がれている以上、その隙をつく事でしか勝つ事の出来ない省吾は、敵の攻撃が終わる瞬間を虎視眈々と待っている。


 瞬きをしなくなり、音が消え始めた省吾に向かって、ついにディランの作った光の壁が押し迫ってくる。ガブリエラのように未来が見える訳ではない省吾は、光の壁が消えると同時に、安全装置を外して引き金を引けばいいと考えている。だが、その事に気が付いた絶望は、瞳から怪しい光を放つと同時ににやりと笑っていた。


……なっ! 馬鹿な!


「ぐっ……ぐがああああああぁぁぁぁ!」


 ディランの放った光の壁による圧力は凄まじく、森の木々を潰すだけではすまず、地面をメートル単位で沈下させる。省吾はディランの能力を舐めていたわけではないのだが、可能な限りの時間で掘った穴では攻撃が完全に防ぎきれなかったのだ。


「あ……がっ……」


 想定を大幅に超えたディランの一撃は、省吾が万全に備えたはずの策をあっさりと潰してしまった。光の壁は直接省吾にぶつかってはいないが、崩れてきた地面と、圧縮された空気が殺そうとしてきたのだ。


 岩と土に押し潰されていく省吾は全身を打撲し、怪我をしていた箇所からはもれなく血が噴き出した。そして、省吾に激しくぶつかった空気には想定できない程の圧がかかっており、鼓膜を突き破るだけでなく脳を直接たたいてしまう。


……耐えろ。もう少しだけ。まだなんだ。まだ。


 全身から血を噴き出した省吾だが、燃え盛っている強い意志で意識飛ばさない様に掴もうとした。だが、所詮脆弱な人間でしかない省吾には限界が存在し、化け物である敵の攻撃はその限界を超えている。


……ちくしょう。これぐらい。まだ。


 意志の力だけで無理矢理繋ぎとめていた省吾の意識は、残酷な現実によって強制的に断ち切られた。省吾の負けが確定したその瞬間に、絶望は嬉しそうに笑い始めた。そして、運命も怪しく微笑む。


……まただ。また、守れなかった。俺はなんて弱いんだ。ちくしょう。ちくしょう。ちくしょう。


 意識を断ち切られた省吾は真っ暗などこまでも続く闇の中を、一人で背中から真っ直ぐに落ちていく。


 省吾は、自分が真っ直ぐに地獄へと向かっているのだろうと勘で感じ取り、悔しさで歯を食いしばって拳を握る。それでも、死の世界に落ちていく事しか出来ない省吾は、悔しさから真っ赤な血を両目から流す。


……俺のせいだ。俺が弱かったからだ。皆が命懸けで用意してくれ時間が無駄に。


 何も出来なくなってしまった省吾は、ただ悔しがることしか出来ず、心の底から叫んでいた。


……くそおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉ!


 省吾が心から叫んだ声に、事態を変え力がある訳でもなく、体を包む暗闇に飲み込まれていく。


(へへっ……)


 叫び続けていた省吾の耳に、幾人もの笑い声が届き、絶叫は中断された。


……なんだ? 誰だ?


(あんたらしくねぇなぁ)


(ああ、似合わねぇ。似合わな過ぎる)


……ジャック? それに、タイラー? 何故?


 二十一世紀では金属生命体の研究が進んでいない為、省吾は全く知らなかった事だが、ファーストがセカンドになるには二つの条件がある。一つは遺伝子の変化が幼い頃に出来るだけ早く起こり、血中の金属生命体をより多く拒絶せずに含有できる体質だ。これは、一代で無理だったとしても、世代を重ねる事で、金属生命体を受け入れやすい者が生まれていく。


 もう一つは、世界中に不均等に広がった金属生命体を、可能な限り体内に取り込む事だ。空気中に混ざり込んでいる金属生命体が目では見えない為、こちらは運の要素が大きく、ほぼ生まれ育った地域の環境で決まる。


 だが、例外として、より多くの死を見てきた者は、生まれ育った環境に左右されずにセカンドレベルに到達する事があった。能力の無い者でも体内に微細な金属生命体を含有している為、宿主が死んだ後に抜け出したそれらを、近くにいた者が取り込んでしまうのだ。その金属生命体達は、ごく稀に元の宿主から食らったはずの意思を、吐き出す事がある。


(お前が諦めて、どうするんだ! この馬鹿者が! まったく! わしが大損するだろうが!)


……ニコラスさん。


(兄ちゃん! それでいいのかよ! 兄ちゃんは、もっとかっこよかったじゃんか! なあ!)


……ジョン。


 省吾の前に姿を見せた、この世にはいない者達は、それぞれがそれぞれの言葉で、英雄と呼ばれた男性に問いかけた。


(もう、諦めてしまいますか? んっ?)


 使用人を代表していた男性は、小首を傾げてひょうきんな笑顔を作り、最後に省吾へ喋りかける。闇の中で落下を続けながらも、心の中にある炎を燃やし続けていた省吾は、その場にいた全員へ思いのたけをぶちまけた。


……ノーだ! 俺は戦う! 苦しんだっていい! 死んだっていい! 守る為に勝ちたいんだ! 諦めてたまるか!


 省吾の声を聞いた瞬間に、その場にいた省吾以外の者が声を出さずに笑い、英雄の背後へとまわる。


……お前達。


(これで最後ですからね)


(手間を掛けさせおって。さあ、行ってこい!)


 数えきらない程の者達に背中を押された省吾の体は、落下を止めるだけでなく上へと向かって上り始めた。省吾の見つめる先に、眩しい光を放つ裂け目が出現し、そこから一本の腕が闇の中へ伸びる。


……あれは。


 自分に伸ばされていた手をしっかりと掴んだ省吾は、光の中へと引っ張りあげられていく。


(男は強くて、クールで、格好よくだ)


……マーク。


 闇の裂け目からマークの力を借りて抜け出した省吾の体は、すぐに色が薄くなって行き、その世界から消えていく。その省吾に笑いながら背を向けたマークは、加えていた煙草に火をつけて、煙と共に想いを吐き出す。


(強いお前なら、大丈夫だ。負けんなよ……)


……ああ。ああ! 必ず! 必ずやり遂げて見せる! 見ててくれ! 俺は!


「ぐっ! おほっ! ごほっ! ごほっ!」


 闇の中で長い時間居たはずの省吾だが、体が自立呼吸を回復させた現実では、まだ光の壁が消え始めている所だった。臨死体験らしき記憶は、泡沫のように省吾の中から消えていくが、託された想いからか、胸には体が溶けだしてしまいそうなほど熱い何かが残っている。


……くそっ。どうなった? ぐっ!


「ぐううぅぅ……がはっ……」


 彼岸の瀬戸際から戻ってきた省吾ではあるが、ディランの攻撃により重症どころか瀕死のダメージを受けていた。全身が血で真っ赤に染まり、体中の骨にひびが走っており、筋肉や血管が破裂した個所は数え切れないほどだ。


……体が重い。動いてくれない。なんだ? ぐっ! どうなったんだ?


 右目は目蓋周辺の内出血でふさがり、左目は小石により眼球が傷がついている上に大量の血が流れ込んでおり、省吾は自分の状態すら確認できていない。今の省吾は意識を保っているのが不思議な状態ではなく、生きている事自体が奇跡といえるほどだった。


……くそっ! 銃を。あいつを倒すには、今しかない。動け! 構えるんだ!


 痛みにかき消されそうな触覚で、なんとか自分が銃を握っている事が分かった省吾は、土に埋まっていた腕と銃を持ち上げる。


「ぐがっ! ぐぅ……く……そ……」


 痛みなのかも既に分からなっている苦しみが、省吾の全身を常に駆け巡っており、銃を構えるだけで意識が何度も途切れそうになった。それでもまだ燃え上がり続けている強い意志は省吾の中から消えておらず、敵がいるであろう方向に銃口を向ける。


……負けてやるもんか! まだ、戦える! 敵を撃ち抜くんだ!


 目が見えていない省吾は、スコープが粉々に壊れているスナイパーライフルの銃身が、歪んでいる事を知ることが出来ない。一瞬の隙を逃せば終わりだと分かっている省吾は、懸命に勘だけで敵に銃口を向けようとしているが、その状態で命中させることは不可能だ。


……くそっ! くそっ! 敵はどこだ!


 一か八かで弾丸を発射できる程、省吾が背負ったものは軽くないと自分で分かっており、焦りが生まれる。


「ぐっ! くそ……」


……えっ? これは?


 不意に省吾の全身を駆け巡っていた激痛が和らぐと同時に、絶望の大きな笑い声が止まった。


(エース! いへへっ!)


 魂の存在を信じていないは省吾には、自分の隣に現れた半透明で光を放つ女性の声も姿も認識できない。だが、直感が支配している省吾の体は、愛しい者の気配を感じ取り、脳に無理矢理化学物質を分泌させる。


……今だ! 今しかない!


 省吾の頭を愛おしそうに抱えていた黒髪の無邪気に笑う女性は、自分の体を愛する者の体に重ね、真っ直ぐに右腕の拳をディランに向けた。そして、人差し指と親指だけをまっすぐに伸ばし、女性の右手は銃の形を作り出す。


(そっち、ちがうぅ! あっち!)


……見えた!


 女性が重なると同時に、千里眼が発動した省吾はディランの姿を、はっきりととらえる事に成功する。そして、脳の活動まで活性化された省吾は、今まで蓄えた経験と知識を総動員し、壊れかけのライフル銃の照準を計算し始めた。


 健康な状態でも出来るかどうかわからない行為ではあるのだが、省吾はシナプスの情報伝達を超感覚と直感で補い、人間とは思えない速度で処理を済ませていく。瀕死の状態で、戦いに必要ない感覚を消すほど集中力している省吾は、神がかり的な力を発揮した。


(ばんっ! えへへへぇ!)


……行っけええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!


 照準が定まると同時に、引き金が引かれたスナイパーライフルから、運命の弾丸が発射される。


 高速で飛ぶライフル弾ではあったが、弾頭が黒く染まると同時に、舞い上がった粉塵が避けられない程の速度に達していく。眩しいほど光を纏った弾丸に省吾が込めた能力は、威力の強化でもなく、誘導の力でもなく、加速だ。


 速度が落ちるどころかどんどんと増していく黒い弾丸は、ベイパーコーンのような光の円錐を幾重にも吐き出していく。そして、金属生命体でなければ自壊してしまうほどの、音をゆうに追い越した速度に到達する。


「なっ?」


 ディランは自分に向かってきた弾丸に反応して見せたが、光の壁を出現させ大きくしようとするまでが限界だった。省吾が放った運命の一撃は、フィフスの限界を超える速度に達していた為、反応してからの防御が間に合わないのだ。突き出そうとしているディランの開かれた左手の先には、掌大の壁がすでに出来上がっていたが、それが敵が大きくする前に黒くなった金属が着弾した。


 本来セカンドでは使えない程の能力を省吾が実現させているのは、明確な理由があり奇跡などではない。


 能力者の血中に潜んでいる金属生命体達は、集合する事でより大きな力を発揮する性質がある。そして、意思の力を食べた金属生命体は、ある程度まで自身で動く事が可能で、宿主の死以外では体外に出ない。つまり、ファーストからサードまでの能力者は、血を失えば失うだけ、発揮できる力が高まるのだ。


 しかし、血を失った状態で、強い意志を発揮できる者はほぼ存在しない為、使いこなせる者は少ない。未来でも名前の付けられていない、自殺行為ともいえるその能力を完璧に近い形で使いこなせたのは、歴史上省吾だけなのだ。


「はぁはぁ……えほっ!」


 全ての力を使い果たした省吾の全身が脱力し、構えていたライフル銃が下半身の埋まっている土の上に落下する。


……体が重い。当たったのか?


 溜まっていた血を吐き出した省吾は、まともに動く事も出来ない状態だ。その省吾は、すでに千里眼を発動し続ける事も困難な状態になっていた。


「ぐっ! くそ……うぅぅ……」


 省吾は、なんとか腕を持ち上げて左目を擦ろうとするが、体が引き裂けるような痛みに襲われてそれが出来ない。顔だけはディランがいた場所へ向けている省吾だが、残りの戦力どころか生命力すら尽きようとしている。


 瀕死の省吾に残されているのは、激しい怒りを根幹にした強い意志が生み出している気力だけだ。


「なんなんだ! くそったれが!」


 上空の光るプレートにまだ立っているディランは、自身の右肩に手を当てて状況を把握しようとしていた。


 省吾の放った弾丸に対して、左手を突き出そうとしたディランは自然と右肩を引いており、運よく致命傷を避けていたのだ。信じられない速度で掠めた弾丸により、右肩の肉が数センチほどえぐれてはいるが、骨や筋に異常はない。


「どこから飛んできたんだ! くそ!」


 最大の攻撃をぶつけた省吾が、生きているなどとは夢にも思っていないディランは、まだ別の敵がいるのかと顔をしかめた。


「ふっざけやがって! こ……の……はぁ?」


 次の敵は嬲り殺そうかと考えていたディランの体に、突然異常が発生し始め、プレートの上でふらついている。


「えっ? えっ? うっ!」


 視界がぐにゃりと歪み、熱病のように頭が朦朧としているディランは、強い吐き気を感じて口元を押さえた。その瞬間、眉間にしわを寄せて歯ぎしりをしている絶望ではなく、何処かの誰かがにやりと笑う。


「えっ? なっ? えっ?」


 ニコラス老人達が危険を犯してまで省吾に託した最高の武器は、ただ硬いだけの金属ではない。人間との共生を選ばずに、別の進化を進めたその金属生命体達は、体内に寄生している者達が有していない情報を大量に持っている。


 別の進化をした金属生命体同士は接触してしまうと、テレパシーに似た力で、情報交換を行ってしまうのだ。金属生命達にとって情報交換は、人間が呼吸をするのと同じ生理現象であり、主が危機になるとしても止められない。


 情報交換を行ってしまった金属生命体達は、一時的に情報を処理する為、他の活動が出来なくなる。細胞レベルにまで金属生命体達を受け入れているフォースやフィフスは、能力が使えないだけでなく、体に異常をきたすのだ。


 一度情報交換をすれば、同じ情報で二度と起こらない症状である為、空気中の金属生命体に反応する事はない。だが、一度だけではあるが、ファントムを産みだす個体と高レベル能力者の接触は、相手に強制的な弱点を作り出すことが出来る。


 数え切れない不運が省吾に襲いかかりはしたが、それの引き換えとして万物に平等な運命は、幸運も用意していた。


「ううっ? えっ? なん……」


 自分を支えていたプレートが消えたディランは、地表へ向かってまっさかさまに落下を始めている。


 空中に投げ出されて状況が理解できないディランは、それまで自然に使っていた能力を発動しようとしていた。しかし、情報処理をしている細胞内の金属生命達は、主からの依頼を受け付けず、能力が発動しない。


「はぁ? はぁ? はぁぁ?」


 事態が実感できていないディランは、よそ見をして階段を踏み外した者のように訳も分からずに、無防備に落ちていく。


 加速を続けるディランは、自分が死ぬはずがないと思い込んでおり、恐怖を感じる事もなく手足を無様にばたつかせていた。そして、自分が能力で圧縮し、コンクリートのように固くなった地面にぶつかり、人体が耐えられない衝撃を受ける。


 奇しくもディランの最後は、マシューのように自分の能力で押し潰してきた者と、似た形になったのだ。


……なんだ? 気配が消えた? やったのか?


「はぁはぁ……ふぅぅぅ……」


 短い時間ではあるが無理矢理発動した千里眼で、ディランの最後を確認が出来た省吾は、全身の力を抜いて息を吐き出した。


……これで。いや! 待て! まだだ!


「ふっ! ぐううう! があああぁぁっ!」


 なんとか正常な動きをしている省吾の脳は、リアムの事を忘れておらず、体に動けと司令を出す。


……まだ! まだあああぁぁぁ!


「こん……な……ものおおおぉぉぉ!」


 一秒毎に気絶しそうな激痛に襲われる省吾だが、痛みをかみ殺して、土砂の中から這い出していく。


「はぁはぁはぁはぁはぁ……」


……まだ、終わってない! まだ、戦える! 俺が守るんだ!


 死んでいった者達と生きている者達の顔を交互に思い浮かべた省吾は、瀕死の体を立ち上げていった。


「ぐうううぅぅ……。がっ! ぐっ! はぁぁぁぁ……」


 ぼろぼろの体を立ち上がらせることに成功した省吾は、弾の無くなったライフル銃を握ったまま、目も見えない状態で両足を引き摺って戦いに向かう。


……まだ、死んでない。まだ、戦える。まだ。


(あうぅぅ……)


 その省吾を泣き出しそうな顔で見つめていた半透明の女性は、うつむくと同時に姿を消した。沈み始めた太陽はまだ肉眼で見えているが、女性の心を映したかのように空の雲が集まり、白から黒へと色を変えていく。


「あり得ない……。こんなことが……」


 能力でディランの異常事態に気が付いたリアムは、急いで館の庭だった場所まで駆け戻っていた。顔を真っ青にして口に片手を当てたリアムは、圧縮された地面の上にあるディランだったものを見て、狼狽している。


 リアムはディランの事を嫌っていた為、悲しんでいる訳でなく、無敗を誇っていたフィフスが敗れた事が受け入れ難いらしい。過去、幾度か発生したフィフス同士の争いでも、嘘ではなく引き分けになった結果しか残っていないのだ。


 その無敵であるフィフスがセカンドに敗れるとは、リアムだけでなく未来の世界にいるほとんどの者が考えていないだろう。


「なんだ? これは? こんな馬鹿な事が……うん?」


 感知能力の高いリアムは、人の声と気配を感じ取り、隠されていたシェルターに気が付いてしまった。リアムが見つめるダンパーで支えられた金属板の下から、ぼろぼろと涙を流しながら、アリサが走り出る。


「お兄ちゃん! お兄ちゃん!」


「待ちなさい! アリサ! 駄目っていって……」


 数人の労働者達と協力してアリサを捕まえたグレースは、自分達に目を向けたリアムを見て、絶句した。フィフスであるディランがいなくなったとしても、フォースのリアムは労働者達を一人で皆殺しに出来るとグレースは知っている。


「あ……ああ……」


「なるほど。地下は、能力でも普通は探索しない。よく考えたものだ……」


 アリサ達を見て、短い時間で全てを理解したリアムは、謎が一つ解けた事で顔に血の気が戻っていく。


「ここまで……きて……そんな……神様……」


 リアムが自分達を殺そうとするだろうと考えたグレースは、泣きながら暴れていたアリサを庇うように抱きしめる。そのグレースは逃げても無駄だと考え、死を覚悟してしまっているようだが、アリサだけは守ろうとしているのだ。


 他の地上に出た労働者達も、リアムの姿と何かに引火して端から燃えていく館だった残骸を見て、両膝をその場についてしまう。だが、しばらくの間グレース達を見つめていたリアムは、視線を平らになった森の先へと変える。


「おっ……お兄ちゃん! お兄ちゃん!」


 リアムにつられて人々が向けた視線の先には、全身を真っ赤に染めてライフル銃を握る、省吾の姿があった。


……敵だ。敵がいる。戦うんだ。


 走る事さえ出来ない省吾は朦朧としながらも、体を引き摺って真っ直ぐにリアムを目指している。白目部分にしか傷がついていない、省吾の左目は視力が少しずつ回復し始めており、赤く染まっているがリアムが見えてはいるようだ。


「この感じ……。まさか!」


 省吾の姿を直視したリアムは、消えてしまいそうな感知の記憶を手繰り、顔色を再び変える。


「そんな馬鹿な……」


 リアムはアリサ達の村を全滅させた際、デビッドに森の中で突き飛ばされる前に、省吾の気配を感知していた。そして、今自分の眼前にいるのが、その時に感知した人物だと理解し、口を何度も開閉する程驚愕しているのだ。


「そんな……あの、兄弟の攻撃をまともに受けて……死なない?」


 ノアの中でも、サイコキネシス側に特出したウインス兄弟は、戦闘に関してその時代では最強と称されている。貴重な人材が死ぬ可能性が高い為、フィフス同士の争いを王が禁じており、その称号は決着がつけられない数人が有したままになっている。だが、フィフスの中でもウインス兄弟は別格といえるほど強いのは間違いない。


 その最強達二人の攻撃を受けて、死なないフィフス以外の人間がいる事自体が、リアムの持っている常識ではあり得ないのだ。見るからにぼろぼろな省吾を見て、始末して自分の手柄にしようかと考えていたリアムだが、危険は避けたいとも考えている。


「今にも死にそうだ。だが、あの状態でも、戦えるのか? どうなんだ?」


 自分に向かってゆっくりと歩いてくる省吾を見て、冷や汗が頬まで伝ったリアムは、身構えていく。


「グレースさん! 放して! お兄ちゃんが! あんなに血が!」


「駄目! 駄目なの!」


 霞んだ視界にアリサ達は映っていない省吾だが、声を聞いて安心するのではなく、守ろうと闘争本能をむき出しにしていた。


……守る。俺が戦う!


「うっ! こいつ……」


 瀕死の省吾だったが、解放された殺気は比類出来るものがない程で、リアムは気圧されて後退する。


「まずい……。戦う力が、残ってるんだ……。まずいぞ……」


 リアムはちらりとディランだったものに目を向け、フィフスを倒してしまう相手に、自分では歯が立たないと判断した。


「ふぅ! 降参だ。見えるな?」


 狡猾といえる思考回路をしているリアムは、敵わないと判断した瞬間に、その場にいた者達が驚くほどの潔さを見せる。降参の証として体から力を抜いたリアムは、両手を見えるように上げると、目を閉じて自分が生き残る計算を始めた。


 己の安全を確保したいリアムがまず考えたのは、降参して捕虜になった場合、自分にどれほどの価値があるかだ。農園の者達がリアムの命を引き換えに交渉を望んだとしても、ノアは応じないだろうとリアムには分かっている。捕虜の価値が無くなれば、自分は殺されるだろうと答えを出したリアムは、敢えて捕虜になり脱走する事も考えたが、危険が高すぎるだろう事は理解していた。


 リアムが安全を確保しつつ農園を後にするには、自分の命に釣り合う何かを差し出さなければいけない。目を閉じて一分もかからずに、自分が生き残る道を見出したリアムは、ノアの内情というカードで交渉に入る。


「私からの要求は、私を生かしてここから帰らせて欲しいという事だ」


 立っているだけでも辛いはずの省吾だが、戦力が残っていない為、リアムとの交渉を強制終了することが出来ない。


「フィフスが倒された以上……。ノアは、お前と農園をなんとしても倒そうとするはずだ。私達からの定期連絡が無ければ、調査団が派遣されるだろう」


 自分をこの場で殺せば、ノアは農園と省吾を潰すまで軍を派遣し続けるだろうと、リアムは説明する。そして、自分を逃がせば報告を誤魔化し、省吾と労働者達が逃げられるだけの時間を稼ぐと持ちかけた。


「自分でいうのもなんだが、これでも私は上からそれなりの信用を得ている。二週間は約束できる。どうだ?」


 勘でリアムの言葉に嘘が無いと感じてとっている省吾だが、農園から逃げ出せば労働者達はノアが無くなるまで、逃亡生活を送らなければいけないと分かっている。


「はぁはぁ……。駄目だ。俺が欲しいのは皆の安全と、その保障だ」


 交渉を打ち切られるかもしれないと考えたリアムは、冷や汗の量を増やして逃げ出す方法を考え始めていた。だが、次に口を開いた省吾からの提案を聞き、顔をしかめる。


「農園はこのままお前達の支配下に置いて、グレースを責任者にしてもらう」


 省吾はフィフスが死んだこと自体を隠蔽し、無かった事にしろと提案しているのかとリアムは受け取る。


「フィフスが死んだ事は、どう足掻いても隠せない。無理だ。それに……」


「違う。今回の責任を、俺だけがかぶるように報告しろといっている。俺は、ここから離れてやる」


 守るべき者達の声を聞いた瞬間から、一時的にではあるが、省吾の脳はほぼ正常な機能を取り戻していた。そして、思考回路を冷静に保ち、戦闘の延長線上としての交渉に挑んでいた。


「それは……」


「お前達も農園は失いたくないはずだ。邪魔なのは、農園じゃなく俺なんじゃないのか? はぁ……はぁ……」


 元居た時代で、ミスターと練習を重ねた交渉術が、時間を飛び越えた省吾の役に立ち始めている。朦朧とする意識を、激痛ではっきりさせなければいけない程弱っている省吾は、その場を切り抜け、自分を盾にする事で農園を守るしかないと出来ないと、結論を出したのだ。


「はぁぁ……。さて……」


 より自分に有利な条件を引き出したいリアムは、大きく息を吐いてすぐには返事をしなかった。しかし、再び浴びせられた省吾の強烈な殺気で、喋ろうとした言葉を強制的に止められてしまう。


「勘違いするな。お前の命がその代償だ。約束を違えれば、お前がどこに居たとしても、俺が必ず仕留める。たとえ、ノアの首都にいたとしてもだ!」


 血と共に吐き出された省吾の鬼気迫る言葉に、一度降参してしまっているリアムの心は対抗できない。


「わっ……分かった。農園は現状維持。その代り、お前は我々に狙われ続ける。それでいいんだな?」


「ああ……」


 交渉の内容を聞いていたグレースや労働者達は、言葉もなく小刻みに震えながら涙を溜めていく。グレースや労働者達に、体だけでなく口を押えられているアリサだけが、もがき続けている。


「お前達もそれでいいんだな?」


 リアムに目線を向けられたグレースは、無言のままうなずくことしか出来なかった。


「一週間以内に、再監査と調整に来る。それまで、残していく馬車はそちらで預かっておけ……。これでいいんだな?」


 省吾がうなずくのを見て、複雑な思いのこもった息を吐き出したリアムは、背を向けて馬車に向かって歩き始める。


「まだ、名を聞いていなかったな。報告に差し支える。私は、リアム・マイヤーズだ」


 背を向けて一度歩き始めたリアムだったが、首と上半身を後ろに向け、省吾に名を問いかけた。声を出す事すら辛い省吾だが、最後に隙を見せては計画が台無しだと分かっており、精一杯の声量を出す。


「俺は……国連軍! 特務部隊所属! 井上省吾だ!」


 兄だと思っていた者の隠されていた名と素性を聞いたアリサは、暴れていた力が弱まり、訳が分からないといった表情で省吾を見つめている。


「国連? ふん……。お前とは、また会うかも知れないな」


 ハンカチを取り出して汗を拭きとりながら再び歩き出したリアムは、背後からの攻撃が来るかもしれないと能力を使って警戒している。だが、省吾にリアムを攻撃する力は、もう残っていない。


「ちっ! 最悪だ……」


 夕暮れの太陽光が差し込んでいる農園だったが、空に出来た灰色の雲から糸のように細い雨が降り始めた。落ちてくる細雨を肌で感じたリアムは、ハンカチで汗だけでなく水滴を拭き取りながら、舌打ちをする。


 リアムが何もせずに、農園から遠ざかっていくところまで千里眼で確認し終えた省吾は、もう使えなくなったライフル銃から手を放し、地面に落とす。そして、感覚が何とか残っている右腕を、ポケットの中に差し込み、大事な鍵と地図が無くなっていないかを確認した。


 その鍵と地図は背嚢の一番奥に入っていた、ニコラス老人から省吾に託された遺産だ。


……これでいい。これで、全てが整った。後は、俺が戦えばいいだけだ。それだけだ。


 館が燃える炎と夕暮れの光で真っ赤に染まった省吾にも、細雨が降り注ぎ、血を洗い流していく。


 炎を沈下していく過程で、熱と水蒸気が橙色の光に照らされ、ケイトや労働者達の目に省吾が神秘的な存在に映る。その省吾を中心とした現実味の無い光景は、見てしまった者の心に直接熱い何かを訴え掛けていた。


「お兄……ちゃん……」


 突然、省吾は自分達が不用意に近付いてはいけない存在なのだと理解できてしまったアリサは、涙を流しながら座り込んだ。


「エースさん……貴方は……」


 グレースもアリサと同様に、ゆっくりと農園から出て行こうと歩き始めた省吾に、駆け寄ることが出来ず、目に涙を溜めた。


「英雄様……」


「救世主様だ……。あの人は神の使いなんだ……」


 ふらふらとその場を立ち去って行く省吾を見て、誰からともなく労働者達は頭を下げていく。中には、土下座をしている者さえいるが、ろくに目も見えず、振り向きもしない省吾は気が付かない。


「ぐっ! はぁ……はぁぁ……」


……サラ達の仇をとる。そして、皆を守って見せる。


 瀕死の状態でも歩みを止めない省吾は、ゆっくりと沈んでいく太陽と同じ速度で、農園を去る。


……戦うんだ。俺はまだ、死んでない。


 気分を害して早々に立ち去った絶望と違い、運命はゆっくりと歩いていく省吾を見つめ続け、怪しく笑っていた。

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