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名無しのエース  作者: 慎之介
四章
43/82

拾参

 絶望という神に等しき存在と契約を交わし、運命すら弄んだ者により歪められた世界は、悲しみに満ちていた。


 そんな世界で、愛する者をことごとく奪われた事で、絶望に飲みこまれて憎しみに取り込まれた男がいる。能力の無い者は化け物だらけのノアに逆らえるはずもなく、男の黒い感情は自然と低い方に流れて行く。


 その男は、危険な世界で自分だけの安全を手に入れ、弟妹達を死に追いやった人々とその家族を絶望に引き摺りこもうと農園を作った。うまく復讐の形を作ったはずの男だったが、ガラクタ同然の心は何故か満たされる事はない。


 男が胸に抱えた復讐の炎は、男性自身の精神を焦がし、降り積もった黒い灰は心を更に鬱屈させる。労働者や使用人達に八つ当たりでしかない行為を続けていた男に、一人の高レベル能力者である女性が接触し、全てが変わっていく。


 守るべき少女を保護し、憎しみをぶつけるべき本当の相手を知った男は、己の愚かさを悟った。そして、自分と労働者達の憎しみに真っ直ぐ向き合い、命を含めた自分の存在全てを糧に、償いの道を選んだ。自分の命を掛けるには、あまりにも低い確率しかない勝負に挑んだ男は、ニコラス・ハイデマンという名を持っている。


 ニコラス老人とガブリエラが長い時間をかけて作った計画は、勝敗を決めるといってもいい重要なポイントに差し掛かっていた。自分の墓場と知って掘った地下道に、キーマンとなる青年を誘導する事に、ニコラス老人は成功した。


 ニコラス老人が自分に課した最後の仕事は、化け物でしかないフィフス達と戦うには、あまりにも脆弱な青年に武器を渡す事だ。そして、数え切れないほど大勢の人々が真っ赤な血と、どす黒い憎しみと恨みの感情で作り上げたバトンを、青年に手渡す事だった。


 何も知らない者が見れば、本当にそれは必要なのかと感じる工程も多くはあるのだが、能力者であるガブリエラが立てた計画は全てを活かして、未来へと続く道を作っていく。無量大数と表現できる偶然の重なりで作られる未来は、時間に介入しなくとも変化させる事は可能なのだ。


「はぁはぁはぁ……。そこに……わしを……」


 ニコラス老人が指さした先には、省吾が見張り用の小屋で使っていた物と同じ型の、ソファーが置かれていた。


「はい……」


 ソファーを確認した省吾は、可能な限りニコラス老人に振動を与えない様に気を付けながら座らせる。


 省吾が降りた階段の先には、鉱物の採掘現場を思い出させる地下道が伸びており、裸電球が点々と吊るされていた。その地下道に至るまでが計算されていた事であり、電球を光らせている発電機は、監査の始める前から動いていたのだ。


 地下道の上にある館には、フィフスであるディランの攻撃が続いており、地面と岩がむき出しになっている壁のいたる所から、土屑がぼろぼろと落下している。しかし、その地下道は簡単には崩れない様にと強度計算をされているらしく、不規則に並んだ木材や金属で出来た柱と梁で支えられている。


「ごほっ! げほっ! ごほっ……」


……また、鮮血。


 発電機の低い音に混じって、ニコラス老人の苦しげな呼吸と咳き込む音が、地下道に響いていた。


「何をしている。立て。はぁはぁ……」


 再び吐血したニコラス老人を心配した省吾は、ソファーの前に膝を突こうとしたが、それを止められる。


 ソファーの端に座っているニコラス老人は、ソファーの隣にある小型の机に手を伸ばし、引き出しを開いた。引き出しの中には瓶に入った薬が入っており、ニコラス老人は机の上に置かれたコップに入った水と共に薬をに見込む。


 コップの水には壁から落ちた土が入っていたが、今のニコラス老人はそれを気にするつもりもないのだろう。


「ふぅ……。ごほっ。これで、最後まで喋れる……か……」


 ニコラス老人の最後という言葉で、何も出来ないと分かっている省吾の表情は、悔しげに歪む。それを見たニコラス老人は、鈍く光る目を細めて省吾に向け、怪しさしか感じない笑い声をあげる。


「念のため、教えておいてやろう。ふぅぅ……。わしはどの道病気で、後一月もしないうちに死ぬはずだ」


「ニコラスさん……」


……なんて人だ。この人は。


 死を前にしても笑う事の出来るニコラス老人を、省吾は強い人だと感じ、自分の弱さに唇を噛んだ。自分自身を過信してはいけないと心がけている省吾は、自分も同じことが出来るほど強いと認識できていない。


 善と悪だけでなく、様々な因子が結合してできている人間は、利点が欠点になり、弱さが強さになるのだ。


……これが、マークのいっていた本当の強さなのか?


「これだけ生きて、一月程度を惜しむほど、わしは馬鹿ではない。ごほっ……。さて、本題だ。ノートは読んだな?」


「はい」


 ニコラス老人が最初に行ったのは、自分の情報が間違えていないかの確認であり、省吾は驚かざるを得なかった。自分の過去や未来に来た経緯まで全てを知っていたニコラス老人を、省吾は驚きにより見開かれた目で見つめる。


……全て知られていた? そんな。


 驚いたままの省吾に対してニコラス老人は、ガブリエラは未来視だけでなく過去視の力もあると説明した。


「まあ、過去の変化で未来が変わると同時に、未来の変化で過去も変わるらしくてな……。おほっおほっ……。完璧ではないそうだ。間違えていないんだな?」


「はっ……はい」


 満足したようにうなずくニコラス老人は、薬のおかげで痛みが麻痺したらしく、呼吸が落ち着き始めている。


 最後の仕上げを進める為に、ニコラス老人は枯れ木のように細い震える指を、通路のソファーとは反対側に置かれた箱に向けた。そして、省吾が金属で作られた大きな箱に目を向けるのを確認し、咳を続けながらも開いてみろと指示を出す。


 ニコラス老人に従うしかないと直感で答えを出していた省吾は、無言でうなずきながら箱を開く。金属で出来た横長の箱には、省吾が村から出る時から使っていた背嚢と、武器が入っていた。


 アリサと二人で作った背嚢は、使用人達によって修復と補強が施されており、手榴弾等の武器が詰まっている。また、背嚢に入りきらない大型の銃火器も、弾が装てんされ安全機構を入れた状態で並べられていた。


「お前がどう戦うかは、わし等は知らされていない。ごほっおほっ。だが、戦う為の武器を用意するまでが、わし等の仕事だ」


……これは? もしかして。


 武器を確認しながら取り出していた省吾は、背嚢の下に隠すように置いてあった一本のナイフをケースから抜く。


 省吾が軍で使っていたサバイバルナイフよりも、一回り大きな片刃を持ったシースナイフは、戦闘用だと省吾にはすぐに理解できた。それは、敵に突き刺した際、その敵の体内に空気を送り込み、引き抜きやすくするための穴と溝が刃にあったからだ。


 しかし、省吾がそのナイフに目を止めた一番の理由は、ナイフの素材に使われた真っ白い金属を省吾が知っていた為である。


……白いが陶器じゃなく、金属だ。あのロザリオに、似ている。


「気が付いたか……。そうだ。それは、金属生命体……ごほっ!」


 国連に回収しつくされたファントムを産みだす金属生命体を、ガブリエラ配下の者が回収し、ニコラス老人が武器に加工していたのだ。チタン合金を遥かに凌ぐ硬度を持ったそれを、武器に加工できるのであれば、利用して当然だろう。


……あっ! そうか。


 省吾は自分がニコラス老人と出会った日の事を思いだし、出現しなくなったはずのファントムが現れた理由を理解した。


「それこそが……。お前だけが扱える、最高の武器だ」


 馬車でガブリエラ達と密会したニコラス老人は、加工する為に金属生命体を受け取った帰り道で、省吾と出会ったのだ。馬車の中に積まれた金属生命体は、マシューの邪な心を食らってしまい、ニコラス老人を殺そうとファントムを出現させた。マシューの内面が心底腐っていたからこそ、短い時間で完全なファントムが出現してしまったのだろう。


 省吾の事を、近いうちに出会うとしかニコラス老人は知らされていなかった為、その日横転した馬車の中にある金属生命体を、必死で隠そうとしていた グレースも驚きで立ち尽くしていた為に、礼を言い損ねるほど自然な反応をしており、省吾の勘を誤魔化したいニコラス老人の助けとなったらしい。


 完璧とはいえないが、金属生命体を渡す日まで計算し、可能な限り偶然に見せかけた出会いは、予知能力で作られたものだったのだ。


「ごほっ! 最高の武器といった意味が、ノートを読んだお前になら分かるな?」


……俺を。俺なんかを戦場に立たせてくれる為に、この人達は。


 目を細めただけの省吾だが、体温は触ったものが熱いと感じるほどに上がっており、筋肉や直感が臨戦態勢に変わっていく。じわりじわりと省吾の握ったナイフが黒く変わり始めたのを見て、ニコラス老人は笑いながら体を横たえた。


 体を蝕んでしまうほど強い薬を飲んだニコラス老人だが、怪我による出血と病魔により体を支える事も難しくなってきている。ニコラス老人は意識にもやがかかり始め、焦点の合わない視界が回転を始めては止める事をくり返している。


 それでもまだ最後の仕事が残っているニコラス老人は、息を大きく吐くと同時に、顔を引き締めた。


「こちらを向け。エー……いや、井上省吾」


 使用人達の顔を思いだし、目を細めて唇を噛んでいた省吾は、ニコラス老人の声でゆっくりと振り向く。


「わしは全てを見せた。次は……お前が、今まで胸の奥にしまって、隠し通してきた……おほっ。本性を、わしに見せる番だ」


 本性といったニコラス老人の言葉で、省吾は片方の眉がぴくりと反応し、深いしわが眉間に作られた。


「本性……」


「わしは年数でいえば、年下だがな……。お前より長く生きているんだ。ごほっ! ごほっ! それぐらい、気付いているぞ」


 ニコラス老人の言葉で、省吾は顔をしかめたままうつむき、目を閉じてナイフを強く握りしめる。


「心配するな。誰にも告げ口する時間はない。はぁはぁ……。人間が……この世界が大好きなんだろう? そして、憎くてたまらない……か?」


 瀕死のか弱い老人から発せられた低い声で、省吾はうつむいたまま全身をびくりと反応させた。そしてその省吾は、目を閉じた険しい顔をゆっくりと上げる。


「ごほっ! わしの最後になる頼みが、聞けないか? それとも自分を知られるのが……。いや、自分自身が怖いか? どうなんだ! いってみろ! エース!」


 全てを理解しいるニコラス老人が魂を削って叫んだ言葉で、省吾は目蓋を開くと同時に表情を変えた。


……見たいなら見ればいい。この醜いものが俺だ。


 地獄の鬼達すら怯ませるのではないかと思える形相を作った省吾は、奥歯が割れてしまう寸前まで強く、歯を食いしばっている。通路を全て満たしてしまう程の殺気を放った省吾を見て、ニコラス老人は呼吸を詰まらせながらも口角を上げた。


「ぜぃぜぃ……。そうだ……。それでいい」


 人間という生き物は生まれ持っての業により、生きようが死のうが完全な聖にはなれない。当然ではあるが生きる業を重ねるだけでなく、人を殺した事まである省吾は、聖と表現するには程遠い存在だ。


……俺は、弱く、情けない。醜い人間だ。


 マークやフランソア達の愛を受けて育った省吾は、人々や世界を本当に愛しており、心から平和を願っている。だが、愛する者達や平和を次々と奪われた事で、愛しているのと同じ量だけ人間という生物と現実を憎んでいるのだ。


 激し愛憎の感情がお互いを打ち消し合って、日頃の省吾を表情の変化が乏しい者にしていた。そんな省吾の心に残るのは、愛する者を守れない弱い自分への強すぎる炎の様な憎しみだけだ。


 人からそれをよく思わない事を知っている上で、自分への憎しみそのものさえも嫌っている省吾は、余計に感情が表に現れにくい。


「俺は、残酷な現実も、弱い俺自身も大嫌いだ! だから、笑えない。だから……強くなれない……」


 これから勝てるかも分かっていない敵と戦う限界状態でも尚、怒りを弱い自分に向けて人を守ろうとする省吾を、ニコラス老人は笑った。省吾の年齢よりも長く、恨みの感情に囚われていたニコラス老人は、自分なりに答えを見つけて悟っているのだろう。


「わしからお前への……いや、未来へ向けての言葉だ。よく聞いてくれ」


 ニコラス老人の顔が真剣なものへと戻るのと同時に、省吾の表情からも怒りが消えて、うなずいて見せた。


 咳き込んだ後、一呼吸置いたニコラス老人は、自分に課した仕事として大きくはないが心に届く言葉を吐きだす。


「わしは、憎しみに飲み込まれた。これは、愚かな事だ。だが、憎しみを持たない人間がいないも事実……ごほっ!」


 ニコラス老人の目は既に主の制御下から離れ、景色を歪ませて幻覚すら作ろうとしているが、省吾の強い目は何とか映し出していた。


「ならばこそ……憎しみを受け入れ、真っ直ぐに向き合え。そして、飲み込まれるのではなく、憎しみを飲み込み……強さに変えるんだ」


 省吾は強い意志で憎しみを心の奥に押し込めており、感情の強さで発現する力が変わる超能力には足かせとなっていたのだ。その省吾の中にあるリミッターを、ニコラス老人は人生すべてをこめた言葉で、命を掛けて解除しようとしている。


「憎むべき相手は、自分でも世界でもない! 戦うべき本当の敵を見極めろ! お前にならば、それが出来る!」


 叫ぶだけで口から血が飛び散っているニコラス老人を、臨戦態勢が完了した省吾が真っ直ぐ見つめていた。喉の奥から込み上げてきた大量の血を邪魔だと言わんばかりに、地面に吐き捨てたニコラス老人は強く胸元を掴んで魂で叫ぶ。


「真の敵を討て! エースよ!」


「はっ!」


 今まで抑え付けていた目に見えない何かを爆発させた省吾は、ニコラス老人に敬礼をするとすぐに背嚢を背負い、武器を持って走り出す。


……皆を守るんだ! 敵を倒すんだ! 狂った世界を、俺が殺すんだ!


「ぜぃぜぃぜぃ……。そうだ。うっ! ごほっ! げぼっ! はぁはぁ……前に……進め。エース……」


 遠ざかる省吾の背中に顔を向けていたニコラス老人は、咳き込んで吐血を繰り返し、腹部の傷から上着を変色させるほどの血が染み出している。


 地下道の中には足音と、銃が銃にぶつかり合う音だけでなく、ニコラス老人の苦しむ音も響いていた。だが、全ての覚悟を決めた省吾の目に迷いはなく、強い意志が伝達している足は止まらない。


 地下通路の出口がどこに通じているかを、ノートで既に知らされている省吾は、自分の頭にある森の地図と照らし合わせた。ニコラス老人を労働者達から守る為に、森のほぼ全容を把握している省吾には、それが可能だ。


……ノートの意味を考えれば、あのフィフスがディランだ。正面からぶつかって勝てる相手じゃない。


 少し距離のある地下通路を抜けようとしている省吾は、走りながら手に入れた情報と自分の中にあるものと経験を組み合わせて、作戦を構築している。


 自身は全く自覚していないが、戦闘行為に関して省吾は、天才が霞むほどの類まれな能力を有していた。超能力は天賦といえるかもしれないが、純粋な戦闘能力は、省吾が死と血にまみれた幾度もの死線をくぐって手に入れたものだ。


 必要ないと感じた事柄は投げ捨てる事もある省吾だが、熟考する能力が無いわけではない。ニコラス老人達から与えられた、戦闘に必要な情報だけを選別して整理した省吾は、自分の戦力を計算して戦略を立てる。


 出口へと繋がっている、金属製の梯子が視界に入ると同時に、省吾の脳内では唯一といえる作戦が完成した。


……勝つんだ。それしか道が無い。後は、俺が命を掛ければいいだけだ! 迷うな! 戦え!


 予知能力を持ったガブリエラも見出したであろうその作戦は、耐えがたい苦痛を伴ったものだ。それでも覚悟の決まった生粋のプロである省吾は、梯子に伸ばした手を止めず、多くの命が失われている地上へと、戦って勝つ為に向かって行く。


「はぁぁぁぁ……。辿りついたぞ……」


 省吾が地上へ出る為に金属プレートを押し開き始めた頃には、ニコラス老人の咳は止まり始めていた。それはニコラス老人が、生理的な反応も出来なくなった証拠であり、呼吸や心音が緩やかに停止へと向かっている。


「英雄一人をたき付ける事ぐらい……造作もない……。ローリスク、ハイリターン……。こんなわしの最後に、いい賭けが、用意されていたものだ……。おかしくてたまらん……」


 死神に命のコインを支払い終えたニコラス老人は、全ての仕事を終えたと実感しており、満足げに笑っていた。脳の活動が限界を迎え、本来見えるはずの無い光景を見ているニコラス老人は、死が急速に押し寄せてくる時間を楽しんでいるようにさえ見える。


「あいつらに……謝ってやれんが……まあいい。謝るのは嫌いだ……」


 記憶すら揺らいでいるニコラス老人だが、共に戦った使用人達の顔ははっきりと思い出せるようだ。最後の最後まで素直になろうともしないニコラス老人は、孤独な死の中でも、穏やかな表情で笑っていた。


 死に真っ直ぐ向き合う強さを持ったニコラス老人は、優しく強い青年に託した未来を心から信じているのだろう。それは、自分よりも壮絶な過去を持つ青年が、何者にも負けない強さを持っていると知っているからだ。


「ああ……なんだ……来てくれたのか」


 全身が弛緩していくニコラス老人の視界に、悲しそうな笑顔の美しい黒髪を持つ女性が現れた。ニコラス老人の脳は異常をきたしており、目の前に現れた者は幻覚の可能性は高いのだが、それを幻覚だと証明する術もない。


「わしが向かうのは、地獄だぞ? お前とは違うんだ……」


 幼馴染であり、妻でもある女性は生まれなかったはずの赤子を片腕に抱いたまま、ニコラス老人の頬を優しく撫でる。


「お前らまで……お節介な奴らだ……」


 両親や妻の弟妹だけでなく、戦友となり先に旅だったはずの使用人達も、一人また一人とニコラス老人の前に集まってきた。


「こんなわしに……お前等は……馬鹿共が……」


 ニコラス老人は死を前にして笑顔のまま、生涯で最高の輝く美しい涙を大量に流している。そのニコラス老人を、大勢のこの世にすでにいない者達が、優しい視線の笑顔で見守っている。


「なんだ? お前は? ああ、そうか」


 声も出さない人々の中には再会できなかったが、成長した弟の姿があり、その子供達も親について来ていた。グレースの親には兄がおり、その男性も娘を持っていたのだが、そちらの孫は残念な事にもうこの世にはいないらしく、ニコラス老人の前に姿を見せたのだ。


「なるほど……。そうなんだな?」


 ニコラス老人に無邪気に笑いかけていた孫である女性は、大好きだった男性が自分にしてくれたように祖父の額にキスをする。そして、祖父に挨拶を済ませた無邪気過ぎる黒髪を持った女性は、愛する男性を追って地下道の先へと両手を広げて笑いながら走り出した。


 裸電球に照らされた地下道には、戦場には不釣り合いとしか思えない、省吾を想う無邪気な笑い声が反響する。省吾は、自分自身が直感でニコラス老人に家族がいるかと問いかけた、本当の意味を理解していない。


 何よりも、愛おしい女性にハイデマンというラストネームがあった事を、今となっては知ることも出来ないだろう。


「エースを……。英雄を、頼んだぞ……」


 ニコラス老人は最後となる言葉を残った力で吐きだし、誰もいない地下道で目蓋を閉じる事もなく呼吸を停止した。それと同時に、館のある地上に凄まじい力がぶつかり、地下道が地震を思い出させる振動に見舞われる。


 二度目となる衝撃に襲われた地下道は、支えとなっていた柱が折れながら倒れ、土砂が降り積もっていく。


「どうしたああぁぁぁ! 出てきてみろよおぉぉ! ばあぁぁかっ!」


 三分の二ほど残っていた館の半分を、上空に出現させた光の壁で押し潰したディランは、狂ったように使用人達に向かって叫んでいた。攻撃の回数を敢えて緩めているそのディランは、己の加虐癖と自己顕示欲がかなり満足したらしく、嬉しそうに笑っている。


 顔は青紫から白に近い肌色に戻ったディランだが、頬は興奮から赤く染まっており、目はぎらぎらと輝いていた。


「ゴミってのは、頭も空っぽらしいな。残飯でも詰まってるんじゃないのか? 生きていく価値もない」


「へへっ……。産まれてきただけで重罪なんだ。殺してやるのが、せめてもの情けってやつなんじゃないか?」


 ディランの隣に並んでいるフォースの兵士二人も、光の膜は展開したままだが、腕を組んで嫌らしい笑みを浮かべている。その二人にとっては仲間が死んだ事よりも、必死に抗う使用人達を見て楽しむ事が重要らしい。


「じゃあ、俺達はあいつらにとって、恩人かぁ……。それも気持ち悪いな」


「へっ! 確かにつらい所だな」


 暴走したディランから被害を受けない様に、森の外まで退避しているリアムだけが、道端の岩に座って眉間にしわを寄せていた。どうやらリアムは、ディランに任されるであろう首都への報告内容を、どうするべきかと悩んでいるらしい。


「馬鹿が……」


 愚痴をこぼしたリアムは、足を組むと考え事をする為に目を閉じ、銃声の数が減ってきた事に気が付く。


「誰か! 無事な者はいるか! 弾を!」


 使用人の代表である男性は、能力者達と自分を遮る壁に背を預け、座ったまま大きな声で仲間に喋りかけていた。


「駄目だ……」


「こっちも、残ってない……」


 今にも崩れてしまいそうな館の中は、使用人達の亡骸が転がり、怪我人達の唸り声が聞こえる地獄と化している。戦闘が継続できる五人ほどになった仲間から力の無い声で、男性に返ってきたのは絶望的な知らせだった。


「くっ! ここまでか……」


 自分のマシンガンに残っていた、七発の弾丸を敵に向けて放った男性も無傷ではなく、本来曲がらない方向に片足が歪んでおり、シャツも血で赤く染まっている。ディラン達よりもその状況が正確に理解できる絶望は、悔しそうな代表の男性を見て、嬉しそうに手を叩いて笑っていた。


「これを! ごほっ!」


 生き残れない事ではなく、これ以上時間が稼げない事を悔しがっている代表の男性に、仲間の一人が手榴弾を投げ渡す。手榴弾を投げた女性は、崩れてきた床板に下半身が押し潰されて動けない為、男性に最後の一撃を託したのだ。

 

一矢報いることが出来ると考えた代表の男性だが、手榴弾のピンを抜く前に、目に映った光景で悔しそうに目を閉じた。


「泣き叫べええぇぇ! ゴミがあぁぁ!」


 銃弾での攻撃がやんだ事で、ディランは館の上空に今までよりも一回り大きな壁を作っていたのだ。館は原形をほとんど留めない程ぼろぼろになっており、ディランの作った壁は生き残った使用人達全員に見えていた。


「無念……」


 最後に残っていた使用人達も、代表である男性と同じように目蓋を閉じ、省吾の成功と家族の未来を祈る。


「ラストだ! 受け取れやあぁぁぁ!」


 空に上げていた腕をディランが振り下ろすと同時に、使用人達の全てを掛けた戦いは終結した。ノアのフォースである兵士二人を倒し、時間を可能な限り稼ぐ代償は、使用人達全員の命で支払われたのだ。


「ふうっ! 手間かけさせやがって。ゴミのくせに生意気な奴等だ」


 満足しながらも、むきになった事が恥ずかしくなったらしいディランは、取り繕うかのように唾を地面に吐き捨てた。


「流石! ディラン様! すっきりしましたぁ」


「おっ? そうか?」


 デビッドは掴みどころのない性格で、いつ頭の線が切れてしまうか分かり辛く、その部分を部下達は恐れている。それに対して、ディランの性格は弟よりもかなり直情的で、怒る部分も喜ぶ部分も分かりやすい。


「はいぃぃ! 本当にいつもながら、お見事です」


「まっ……まあな! 制裁が俺の仕事だからなぁ。ふふっ……」


 本来よりも少しだけ多く持ち上げるあからさまなごますりでも喜ぶディランは、部下達から読みやすい為に扱いやすいと考えられている。加虐癖が強い為、怒らせてしまうとデビッドよりもディランはたちが悪い。その部分を心得ている部下達は、精一杯ディランのご機嫌をとった。


「私達は、ディラン様の部下で、本当に幸せです」


「んんっ? そうかぁ?」


 上司であるディランだけを気にしていればいい二人と違って、さらに上へと報告をしなければいけないリアムの顔色はよくない。


「はあぁぁぁ……」


 戦闘が終了するまでに、リアムは農園に必要な労働者達を探す為に、探索の能力を何度か使っていた。その探索で労働者達が見つけられていないリアムは、馬鹿のように騒ぐ三人と違って、表情が引きつっている。


 ディランが農園の管理をしていたニコラス老人を始末した事は、リアムも悪いとは思っていないのだが、労働者が居なくなっては農園が続けられないと悩んでいるのだ。


「どうするつもりなんだ? 誤魔化せないぞ?」


 馬鹿騒ぎをしている三人に腹が立っているリアムは、冷めた目線をその三人に送りながら、探索の能力を再発動する。


「なんだ? 一人だけ? この感じは……」


 リアムの探索にかかったのは、労働者達ではなく一人の能力者だけであり、リアムの額に冷や汗が浮かぶ。超能力者であるリアムも、優れた直感を持っており、その直感が主人に危険を知らせたのだ。


……撃ち抜け!


「えっ? あ……れ?」


 館を囲んだ森に銃声が響くと同時に、ディランを褒め称えていた兵士の一人が、その場に崩れ落ちた。


……まずは、一人。


「おま……お前! 何してくれてるんだぁ!」


「あれが、飼われていた能力者か? 今更出てきて、どうするんだ?」


 省吾の放った十発のライフル弾は、背を向けていた一人にしか当たらず、ディランともう一人の兵士は能力で防ぐことに成功している。だが、その事も想定内である省吾は、顔色を全く変えずに自分を見ている二人に、殺気をぶつけた。


「なんだ? ここの奴等は、全員俺を舐めてるのか?」


 省吾がぶつけた殺気により、ディランは再び顔を真っ赤に変え、自分の前に作っていた光の壁が強く輝かせる。


「ふざけんなよ! ぶち殺すぞ! ごらああぁぁ!」


 再び放たれたライフル銃の弾丸で、緩んでいた堪忍袋の緒が簡単にほどけてしまったディランは、攻撃用の光る立方体を出現させる。それを見た瞬間に、省吾は二人に背を向けて、森の中へと走り出していく。


「待て! おらああぁぁ!」


……よし。ついて来い。ここがお前達の墓場だ。


 ディランが放った光る箱を、省吾は今まで仕掛けていた罠を利用して、いともたやすく回避した。


「こ……のっ!」


 本来侵入者の足を吊り上げる為に仕掛けた罠の、縄を掴むと同時に自分で切った省吾は、吊り上げられる力を利用して、足では稼げない距離を移動する。その罠によって弧を描いて宙に投げ出された省吾は、着地点に生えていた木の幹を蹴り、難なく地面に着地すると同時に走り出す。


「この! この野郎! ええい! くっそ!」


 フィフスであるディランよりも優れた勘を持つ省吾は、木を薙ぎ倒して自分に向かってくる攻撃を黙視する事なく回避する。


「そこだ!」


 省吾の移動速度よりも速く飛ぶ光る立方体を、相手を囲む様に放ったディランだが、思い通りに事は進まない。


……甘い!


 竹の先に結び付けてある縄を掴んだ省吾は、弓なりに固定されていた竹が元に戻ろうとする力で、再び大跳躍をした。


「くっそおおおぉぉぉ! なんだ! あれは!」


 木々や草が盛大に生えている森の中で、省吾に信じられない移動をされたディラン達は、相手を見失う。省吾が考え付いた作戦は、侵入者撃退用に森へ設置した罠を、改造して利用する戦い方だった。


 使用人達が時間を稼ごうとしていたのは、省吾に罠を仕掛ける時間を与える為であり、見事に成功していたのだ。地下道を抜けてすぐに省吾が使用人達を助けに向かえば、幾人かは助かったかもしれないが、ディランを倒す事はほぼ不可能になる。


 結果的にディランを倒せないのであれば、助けた使用人もろとも、省吾達は嬲り殺されるしかない。事前に省吾へ知らせて罠を仕掛けさせても、ディランには勝てないとガブリエラから教えられていた為、ニコラス老人と使用人達は命を捨てたのだ。


 ミサイルや戦闘機すら凌駕する、フィフスのディランに省吾が勝てる可能性は、蜘蛛の糸よりも細い。それでも、その一本の細い糸しか勝ちへの道が無いと分かった省吾は、皆が死んでいく中で気が狂ってしまうほどの悔しさに耐え、着実に作戦を進めていたのだ。


……俺は想いに応えなければ、いけない! なら、やり遂げて見せる! たとえ死んだとしても! 必ず!


「あの! 自分が捉えて足止めします!」


 もう一度暴走しそうなほど顔を青紫に変えたディランを見て、超感覚を持つ兵士が自分から仕事をすると申し出た。


「殺すなよ! 俺が苦しめてから、殺すんだからな!」


「はっ!」


 ディランから許可を得た兵士は、省吾よりも強力な千里眼で敵の位置を捉え、森の中を走り出す。


「見えているぞ! はぁはぁ! そこだ……何?」


……さあ、来い! 俺は、ここだ!


 省吾の位置を能力によって捉えて走った兵士は、敵の姿を目視して森の奥で眉をひそめていた。先程まで隠れていたはずの省吾が、遮蔽物がなく見つけて下さいといわんばかりの位置に立っていたのだから、疑問を感じるのは当然だろう。


「おま……お前、セカンドじゃないのか?」


 兵士である男性が最初に疑ったのは、マシューから教えられた、省吾の能力レベルについてだ。省吾がセカンドではなくサードであるならば、フォースの自分も脅かされるかもしれないと、考えている。


「セカンドだ」


 安心して息を吐き出した兵士だったが、すぐに自分を舐めきっている省吾に、怒りの表情を見せた。


「お前、こら。舐めてんのか? 俺は、フォースだぞ? ああ?」


 セカンドではどう足掻いても自分には敵わないと思い込んでいる兵士は、両手を発光させながら省吾を睨む。敵兵士から冷静さを更に失わせる為に、省吾は煽る為の言葉を投げつける。


「ならお前は、セカンドにすら勝てない。出来損ないのフォースだな」


「こっのっ! クソ雑魚がああぁぁ!」


……今だ!


 元居た時代で、フォースであるケイト達と戦っていた省吾は、攻防を同時に行えない敵の弱点を知っていた。敵兵士が突き出した両手から複数の光る半月状の刃を放つと同時に、省吾の足に縄が絡みついて体を上空へと引き上げる。


 上下が一瞬で逆転し、体が浮き上がり始めた省吾は、握っていたライフル銃のトリガーを引いた。省吾によって撃ちだされた淡い光を纏った弾丸は、敵が能力によって出現させた光の刃を躱し、敵本体へと向かう。


 肩と脛部分を切り裂かれたが、致命傷を負っていない省吾が動揺するはずもなく、自分の足に絡んだ縄を空中で切る。


……予想外だが、まあいい。次だ!


 木の枝をクッションにして地面へと着地した省吾は、傷口が摩擦熱で出血していない事と、敵兵士が二度と立ち上がれなくなっている事で驚いている。


 敵の能力を、ケイト達と同等だと考えていた省吾は、自分が放った弾丸は防がれるだろうと第二第三の罠を準備していた。しかし、戦場を潜り抜けてきたケイト達と違い、敵兵士は攻撃の能力を素早く防御に変化させる事が出来なかったらしい。


 プラスの意味で予想外だった省吾は、数瞬だけ立ち尽くしたが、すぐに自分に近付いてくるディランの気配を感じて作戦を次の段階へと移す。


「この! くそがああぁぁ! ふっ……ざけんなよぉ! こらあぁぁ!」


 省吾が敵兵士を倒してから一時間後の森で、視界が歪むほどの怒りに飲まれたディランは叫んでいる。


 自分の攻撃が回避され続け、見えない位置からちくちくと弾丸の攻撃を受けていたディランは、鬱憤が今までの人生で最高点にまで達していた。その上で、地雷や手榴弾の待ち伏せる罠を続けざまに受け、自分でも訳が分からないほどキレてしまっているのだ。


「おらあああぁぁぁぁ!」


 ディランが全方位へ放った光の箱は、木の太い幹をえぐり取り、地面をへこませるが、敵である省吾へは当たらない。


「クソがあぁぁ! 出てこい! ごらあああぁぁ!」


 いくらディランが叫ぼうとも、省吾が姿を見せる訳もなく、自分の位置を敵へ正確に教えているだけだ。


……まだか? まだなのか?


 体中に細かな怪我を負った省吾は、作戦を着実に進めているが、余裕があるわけではなかった。少ない時間で改造出来た罠の数には限りがあり、木の陰や岩の後ろに隠しておいた銃弾にも限界が近付いている。


……罠は残り約三割。弾薬はもう、予備のマガジン一つ。まだ、だめなのか?


「もういい! もうわかった! ああ、くそ! 限界だ!」


 冷静に動き続けながらも、焦り始めていた省吾の耳に、最後の時を知らせるディランの声が届いた。


……よしっ! 今しかない!


 到達するのも絶望的だったその瞬間の為に、膨大な時間と労力が注がれ、あり得ない程の命が消費されている。その上で、最後にして唯一の反撃チャンスを成功させる確率は、二割どころか一割もない。


 それでもその一瞬に全てを賭ける事しか出来ない省吾は、強い意志の炎を全く揺るがさず、目的の場所に向かって走る。


「お前が、悪いんだからなっ! あの世で後悔してろよ! くそったれが!」


 空へと続く光の階段を能力で出現させたディランは、気持ちの悪い顔色で表情筋を痙攣させていた。そして、省吾に向かっての暴言を吐きながら、十メートルの高さまで上ったディランは、自分が立っているプレートだけを残して他を消す。


 万が一省吾にその階段を上られれば、自分が行おうとしている攻撃が外れると、キレながらも分かっているのだろう。


「もう、死ねよ! お前えええぇぇぇ!」


 上空から森を見下ろしていたディランは両手を天に向け、メートルではなくキロメートルの大きさがある光の壁を、自分のいるプレートの下に作りだした。何もかもがどうでもよくなるほど怒っているディランは、嬲りたいという加虐癖すら放棄して、一撃で森ごと全てを潰そうとしているのだ。


「う……あ……。馬鹿が!」


 嫌な予感はしながらも、ディランならと考えてリアムは、館の庭だった場所に残って報告について考え込んでいた。そのリアムは、上空に出来た信じられない程の大きさがある光の壁を見て、顔を真っ青にして一目散に立っていた場所から逃げていく。


 怒りの頂点に達しているディランが、自分を気にしてくれるとは、リアムは思っていないし、その考えは正しい。


……さあ! 来い!


「これで終わりだああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 空に立っているディランは絶叫と共にあげていた両腕を振りおろし、巨大な光の壁を地面へと直撃させる。ディランの能力の全てで作られた分厚く巨大すぎる光の壁は、館の奥にあった森全てを凄まじい圧力で押し潰した。


 労働者達が避難していたシェルターも、直接ディランの被害を受ける位置にはないが、激しい擦れが襲う。設置していたほとんどのカメラがつぶれ、モニターのほとんどが青一色の画面に変わった。


「い……や……お兄ちゃん!」


「あっ! 駄目! 駄目! 駄目よ!」


 モニターを見ていたアリサは真っ青な顔で叫び、グレースから扉を開く鍵となるハンドルを奪ってしまう。


 グレースを含めた大人達の幾人かは、走り出したアリサを止めようとしたが、外に出たいと考える者達に邪魔をされてしまった。そして、出入り口の階段まで到着してアリサはグレースの隣で方法を見ていた為、迷うことなくハンドルをくぼみに差し込んで回してしまう。


 ハンドルのギミックに連動した丸い扉が回転を始めると同時に、シェルターを隠していたプレートのダンパーが動作する。


「駄目よ! 今、出たら、全てが駄目になるのよ! アリサ!」


「お兄ちゃん! お兄ちゃん!」


 涙をこぼし始めているアリサは、グレースの言葉が耳に届いておらず、一心不乱にハンドルを回した。これこそが、ガブリエラとニコラス老人が恐れていた、人間の心が原因の突発的な計画を崩す要因だ。


 いくら綿密に計画を練ろうとも、実行する人間が計画外の行動をとってしまうと、全てが破たんする事もある。


「そんな……。やめてよ……。おじいちゃん……」


 アリサを止められなかったグレースは、壁となった労働者達の隙間から手を伸ばし、涙を溜めていく。


 すべてが最悪に転落していくように思える状況の中で、ディランと同じ様に絶望は笑おうと考えていた。だが、人間には不可能な感知が出来る絶望は、眉間にしわを寄せて消えていく光の壁を見つめている。


 絶望が笑おうともしないのは、光の壁が消えた粉塵の中を、一発の弾丸が空気を切り裂いて突き進んでいるからだ。


 多くの命が紡ぎ出した弾丸は、絶望を遠ざけ、運命を切り開く為に音を追い越していく。

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