表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
名無しのエース  作者: 慎之介
四章
34/82

 太陽に照らされた自然の塊である森の中は、目が痛いほど色鮮やかで、手で耳を覆いたくなるほど賑やかだ。省吾が身を寄せる村の周辺は、元々そうではなかったのだが、環境の変化により樹海といえる場所になっていた。


 数が激減した天敵である人間の手がほとんど及ばない森は、人間以外の動植物にとっては生きやすい場所だろう。逆に、都会の中で生まれ育った人間がその中に突然入れば、自然の雄大さを楽しむ前に帰りたいと考えてしまう場所かも知れない。


 何故なら、毛嫌いする者の多い虫がおびただしい数で生息しており、人間にとって危険な動植物や地形がそこかしこに見受けられるからだ。


……足跡が新しいな。


「おっ……」


 狩猟をする為に森に入った一団が、先頭を歩く省吾の手信号で立ち止まり、身を屈めて息を潜めた。村人である男性達は省吾の指さした地面に目を向け、シカの群れが作った足跡や残していった糞を確認する。


「群れが大きいみたいだなぁ」


 村人達とうなずき合った省吾は、千里眼を発動してシカの群れと自分達が、まだ離れている事を確認した。自分の指に唾液を付着させた省吾は、目を閉じて風の流れを調べ、他の村人へ指示を出す。


……距離は二キロ程か。


「少し走れば、すぐに追いつける。風下側に誘導するから、ついて来てくれ」


 村人達の中でも、特に省吾への信頼度が高い狩猟に出る事の多い男達は、真剣な顔を作ってうなずいた。


……目標は成体で三匹。駄目でも、一匹は仕留める。


 道なき道を省吾が先頭を任された一団が、走り始める。それは、その日の夕食と家族や仲間の笑顔にありつく為だ。


 少し開けた場所で草を食べているシカの群れと距離を詰めた省吾は、シカに気付かれない距離で手信号を出して仲間を止まらせた。その手信号は、軍が使用する本格的なものなのだが、それを知る者は村人の中にはいない。


「呼吸を整えろ。今から、作戦を伝える」


 シカに気取られないように小さな声を出した省吾は、木の枝を拾うと地面に周囲の地形を書き、作戦の説明をする。


「群れが、ゆっくりと今も移動中だ。罠を仕掛ける時間が無い。三つに分かれて、強襲をかける」


 省吾が考える作戦は基本的に軍用のものなのだが、それで十分な成果が上がっている為、村人達は素直に従う。兵士として修練した指揮官としてのスキルが、原始的な狩猟でも有効に活用できるとは、省吾も考えてはいなかっただろう。


「各地点への移動は、可能な限り気配を消せ。合図は、俺の矢だ。いいな?」


 村の男性達がうなずいたのを見て、省吾は作戦開始を宣言した。その言葉と共に、弓矢ともりを持った村人達はそれぞれの場所へ散っていく。省吾達の動きにまだ全く気が付いていないシカ達は、のんびりとした空気を醸し出しながら草を食んでいた。


 大型哺乳類の草食動物が夜間に活動する主な原因は、闇に紛れる事の出来ない昼間は天敵に狙われる危険が高い為だ。森の中にあって比較的体が大きく、群を作るシカが最も恐れ、活動を夜にうつした原因である天敵は人間だった。つまり、人間のほとんどいない森の中でシカ達は、人間と同じように昼間活動して、夜に睡眠をとるのだ。


……よし。準備は出来たな。


 千里眼で村人達が配置についた事を確認した省吾は、草むらから上半身だけを起こし、矢を弓につがえる。


……行けっ!


 シカの心臓までイメージした省吾は、そこに向けて弓をいっぱいに引き絞り、呼吸を止めると同時に手を離した。猪の骨で出来た矢じりは、日光の元では分かり難いが微弱に発光しており、的確に目標を射抜く。


……よしっ!


 省吾に指揮された村人達が、草むらからとびだす頃、一人の男性が大きく口をあけてあくびをしていた。


「はぁぁ……。暇すぎ。不快だ」


 肩にまで触れるほど長い赤みのある茶色い髪を持った男性の言葉で、馬車の客室に座っていたもう一人の男性が唾液を飲み込んだ。そして、恐ろしさから情けない愛想笑いを浮かべ、頭を小さく何度も下げながら声を出す。


「すみません、デビッド様。もうすぐですので」


 彫が深く比較的整った顔を持つデビッドと呼ばれた男性は、客室の隅に座っている軍服を着た男性よりも力を持っているようだ。


 そもそもの身分が違うらしい事も、身に着けている軍服の色だけで分かる。今もコメツキバッタの様に頭を下げる男性の服は紺色で、デビットは靴まで真っ白だ。


「知ってるよ、能無し」


「ははっ……。すみません……」


 デビッドの動きや発言全てにびくついているもう一人の男性は、愛想笑いを浮かべながらハンカチで額の汗を拭った。


 客室のデビットが座るシートだけに柔らかそうなクッションは敷いてあるが、森の悪路による振動を全て吸収することは出来ないようだ。腰と臀部に不快感を覚えたらしいデビッドは座る位置を変え、不機嫌な表情で両手を頭の後ろで組む。


「はぁぁ……。面倒くせぇ」


 自動車ではなく、馬車を使っている事から、そのデビッド達の文明は省吾が元居た時代より低い事が分かる。だが、窓にはガラスがはめ込まれており、森の中にあるガラスさえ作れない村よりは、進んでいると推測できた。


「うわぁ……」


 デビッドは窓にへばりついた少し大きな蜘蛛を見て、不快感を表情に出した。


「気持ちわりぃな。死ね」


「へっ?」


 窓の外にいるはずの蜘蛛が浮き上がり、はじけ飛んだ。その光景を見ていた部下らしき男性は、ハンカチを持つ手を震わせる。それは、デビッドの機嫌を損ねれば、その蜘蛛のように自分も命を失わなければいけないと想像してしまったからだ。


「ふんっ」


 男性が全身から発している恐怖が読み取れているデビッドは、鼻から勢いよく息を吐き出した。そして、窓から細めた目をそむけた。


「気持ちの悪い所だ。こんな所、人間の住み場所じゃねぇな」


 省吾が幸せを感じた場所を、全否定したデビッドを乗せた馬車は村へと向かう。その馬車の扉には、デビッド達の着る軍服と同じノアの紋章がはっきりと刻まれていた。


……うん?


 仕留めた三匹のシカを、村人達と一番近い川へと移動させた省吾は、食用にする為の処理をしていた。そして、何かの声が聞こえた気がした省吾は、手を止めて辺りを見回す。


「どうした? 何か来たか?」


 シカの処理をしている為、血の臭いに誘われて肉食動物が姿を見せる可能性は低くない。省吾が狩猟に加わるまで村人達はそれを恐れ、肉の味が落ちる事と引き換えに処理をせず村へ運んでいた。


 しかし、肉食動物達を撃退できる省吾が加わってから、村人達は処理を先に行うようになったのだ。勘の鋭い省吾が付近を確認した事で村人達に緊張が走り、作業の手が止まった。


「熊か? 狼か?」


「いや……。気のせいだ。続けよう」


 人間が持っていない何かを身に付ける事は難しく、時間のかかる場合も多い。逆に、それを失うのは簡単で、時間もさほど必要ではない。


 作業を再開した省吾は、自分の勘がどれほど鈍っているかを正確に把握できていないようだ。そして、自分が感じたのは衰えた直感からの警告であり、それは絶望が森中に高笑いを響かせた事に反応したのだと気が付かない。


 所詮人間は完璧とは程遠い存在であり、仕方ないといってしまえばそれまでだ。しかし、そんな事は関係ないとばかりに、残酷な現実は理不尽な対価を人間に請求する。


「お姉ちゃん! 駄目だってば!」


 いつもと同じのんびりとした空気が流れる村の中で、アリサはサラの腕を掴んでいた。それはサラが、ある草を口に入れようとしていたからだ。


「アリサ? だめ? 食べる、だめ?」


 下痢になる程度だが、サラが持っている草には毒性がある。


「うん。駄目。お腹壊しちゃうよ」


 手に掴んだ草をしばらくサラは眺めていたが、アリサの言葉が通じたらしく、それを地面に投げ捨てた。


「あれ? 何?」


 森へと続く道の先に土煙を見たアリサは、サラから手を離し、目を細める。サラも同様に、道の先を見つめた。本来であれば、異常事態に気が付いた時点で、アリサは大人達に大声で知らせるべきだろう。


 だが、生まれた時から森にいたアリサは、狼や熊にはその反応が出来ても、初めて見る馬車にはそれが出来ない。また、長い時間外界から害のある訪問者のなかった村で過ごした者達も、ノアは知っていても警戒心が薄くなっていた。


 その村を最初に作った人々が町から逃げ出したのは何十年も昔の話であり、人間狩りの恐怖を知っているのは村長やゾーイといった、年を重ねた少数だけだ。


「なんだ?」


 農作業をしていた村人達は首からかけたタオルで汗を拭きながら、呑気に顔を上げて馬車から降りてきたデビッドを見つめる。その光景を見た者達の中で、ノアの事をよく知っているゾーイだけが顔を真っ青にして震え始めた。


「あっ! いた! アリサ!」


 アリサを探していたジョンは建物から出ると同時に、友人の名を呼びながら走り出す。目的に集中している人間は視界が狭くなるものであり、その時のジョンも馬車よりもアリサが先に目に入ったのだ。


 だが、村にとってはあまりにも異質な馬車に気が付き、アリサに駆け寄ろうとする速度を緩めた。


「何? あれ?」


 ゆっくりと走っていたジョンは、ゾーイに腕を掴まれ、痛みで顔をしかめた。


「痛いっ! 何すんだよ! ゾー……ゾーイさん?」


 真っ青な顔をして震えるゾーイに、ジョンは怒りの声を詰まらせる。そして、不思議そうに首を傾けたまま、視線を馬車から降りてきたデビッド達に戻した。


「あうう?」


 ほとんど本能だけで生きているサラは、省吾と同じ感じのするデビッドを恐れず、指をくわえてぼんやりと眺めている。


「なんだ? この薄汚いのは?」


 デビッドはハンカチで口元を押さえると、人差し指をサラに向けた。その瞬間に、サラの体は空中に浮き上がり、口から血を噴き出した。


「きゃあああああぁぁぁ!」


 アリサの絶叫で正気に戻ったゾーイは、日頃では考えられないほどの大きな声で、村中に聞こえるように叫んだ。


「皆ああぁぁ! 逃げるんだよ! ノアだ! ノアが来たああぁぁぁ!」


 ゾーイの声でやっと状況が理解できた村人達は、デビッド達がいる方向とは逆へ、全力で走り始めた。ノアの怖さを村長や親から十分すぎるほど聞かされていた村人達に、立ち向かう勇気などあるはずもなく、我先にと逃げていく。


「逃がすわけねぇじゃん。ゴミ虫はやっぱ、馬鹿だねぇ」


 デビッドが指をぱちんと鳴らすと、村中を光の膜が囲った。その膜は、省吾の知るフォースが使ったドーム状ではなく、大きな立方体であり、放つ光もかなり強い。


「さて、ちょっと遊ぶかなぁ」


 恐怖に飲み込まれた人々に、冷静な思考をしろといっても無理だろう。混乱の中で自分だけでも助かりたいと考え、仲の良かった友人さえ押しのけて走る者がほとんどだ。


 それでも、村の宝物であるアリサやジョンを助けようとする者は、少数だが存在した。特に、体の大きなアリサの父親は、真っ先にくわでデビッドに向かって行く。


「ばぁぁか」


「いやあああぁぁ! お父さあああぁぁぁん!」


 残念な事にデビッドへ向かって行った者から、無残な姿に変わり、二度と動けなくなっていく。


「ひははははっ!」


 村人達が死んだ事が本当に楽しいらしいデビッドは、良識ある人間なら考えられない下卑た笑い声をあげていた。


「ああ……」


 一斉にデビッドへ農機具で殴りかかろうとした村人達は、炸裂音と共に空中を赤く染めながら吹き飛んでいく。


「ひはははっ! ばぁぁぁか!」


 腹を抱えて本気で笑うデビッドを見て、同じ客室にいた男性は寒気を感じ、汗を噴き出しながら作り笑いが崩れる。その男性は、デビッドが心底恐ろしいと感じているのだろう。


「ふぅ」


 顔を痙攣させている男性と違い、馬車を操っていた紺色の軍服を着た男性は、冷静に腕を組んで息を吐いた。その男性はデビッドをさほど恐れてはいないようで、村人を見る目も冷たく、感情の揺らぎは見えない。


「おいぃ。お前達も遊んでいいぞぉ。害虫駆除だ」


「おい。仕事だ」


 ハンカチで汗を拭いていた男性は、馬車を操っていた男性に背中を叩かれ、村の奥へと向かって歩き出した。


 ポケットにハンカチをしまい、掌を輝かせ始めた男性も、村人達への目線には感情がこもっていない。腰を抜かして建物の中で震えている女性を見つけた男性は、その女性へと危険な力をぶつけた。


「デビッド様の機嫌がいいうちに、早く済ませよう……」


 村人達を同じ人間だとは考えない能力者の三人は、力の行使に全く躊躇がない。ノアの中で、権利を持つ正式な人間とはフォース以上の者だけだ。そのノアの思想では、能力のない者は人間にカテゴライズさていない為、感傷など湧くはずもないのだ。


 その世界で支配者として君臨しているノアは、ファーストとセカンド達を奴隷として扱い、サードですら労働者という名の家畜としてしか見ない。ノアの支配階級から見て、奴隷以下の人間は資源を食いつぶす害獣でしかないのだろう。


「嫌だぁぁ! 助けっ……」


 転んで足を痛め、逃げ遅れた初老の男性は、デビッドの能力で地面に色のついた水溜りを作る。


「どけっ、ゴミが」


 笑いながらゆっくりと村の中を歩くデビッドは、人だけでなく家や井戸など目についた全てを、能力で吹き飛ばしていく。その姿は、弱い村人達にとって、悪魔以外の何者でもないだろう。


「貴族ってのは大変だ。嫌になるほど義務がある。まあ、大貴族である僕は、素晴らしい人間だから義務を全うするけどなぁ」


 笑いながら首を左右に振るデビットのいっている事が、理解できるのは部下の二人だけだろう。


「なんだよ、これぇぇぇ!」


「なんでだよ! ちくしょう!」


 村を囲った膜の端まで到達した村人達は、拳だけでなく石や農機具で目の前にある光の壁を殴りつけていた。だが、高レベルの能力で発生させているそれは、びくともしない。


「どうすりゃいいんだよ……なんで……」


「ちくしょう……」


 絶望に食われた者からその場に膝をつき、理由も分からずに涙を流し始めた。


「来たっ! 来たああぁぁぁ!」


 膜により逃げ場を失った大勢の村人は、悪魔の様な笑みを浮かべて歩み寄ってくるデビッドを見て震えあがる。


「いたいた。虫ってのは、固まると気持ち悪いよなぁ」


「くっそおおぉぉ!」


 デビッドは気持ち悪いと感じて村人達から目線を逸らした。それを見ていた男性の幾人かは、追い詰められたネズミのように向かって行く。そして、デビッドの能力で容易く弾き飛ばされ、信じられない硬度を持つ膜にぶつかり、絶命した。


「面倒だけど、ぷちぷちっと潰してやる。ありがたく思えよ」


「助けて……死にたくない……」


 馬車の移動で鬱憤が溜まっていたらしいデビッドは、それをなんの罪もない村人達に向けて爆発させる。あまりにも理不尽で非道な行いだが、それに抗える者は村の中に一人もいない。


「嫌だ! 俺は、死にたくない!」


 端まで追い込まれている人々は、少しでもデビッドから離れようと、顔を悪魔から逸らさないまま後ろへと下がる。


「やめっ……苦し……」


 膜と下がってくる村人にはさまれた者が、自分の苦しさを口に出す。だが、目の前に死が迫っている者達は下がる事を止められない。足の不自由な村長は、デビッドの能力ではなく、村人の力で圧死した。


「神様……助けて……助けて下さい」


「ひひっ……はははははっ!」


 村人達の泣き叫び助けを請う声は、デビッドの狂った高笑いで押し潰され、神へは届かないようだ。


「ふぅ……。結局、デビッド様は楽しんでいるな」


 隠れていた村人達を始末した部下の二人は、上機嫌で無慈悲な力を振るうデビッドを見つめている。


「それでいいじゃないか。こっちに矛先が向きさえしなければ、それでいい」


 当然ではあるが、部下の二人も人として認識していない住民達を可哀想などとは思わず、デビッドを止めようとは微塵も考えない。


「まあ、そうだな。こっちは、もう一度見回りをしておこう。万が一はある」


「ああ。怒られてはたまらんしな」


 デビッドが始末をつけている、隅に固まった人々以外に生き残りがいないかを、表情を変えない部下達は確認に向かう。


「ひはははっ! ほらあぁ! どうした? ううん?」


「助けて……」


 村人達が口に出す心からの祈りは、神どころか敵にさえ届かない。それを聞きとっているのは、にやにやと気持ち悪く笑いながら村を覆っている、絶望だけだ。


 直感の鈍ってしまった省吾は、村人達どころか大事な家族の窮地にも、走り出せなかった。もし、省吾が村に来る前の直感を幸せの中でも保っていれば、事態は違っていたかもしれない。


 しかし、無慈悲にして残酷な現実が、もしなどという救いを用意してくれるはずもないのだ。


……これは?


 満足げにシカの肉を担ぎ、帰路についていた狩猟チームの男性達は、会話を止めて走り出していた。それは、先頭を歩いていた省吾が、逸早く血の臭いを嗅ぎ取り、肉を投げ出して走り出したからだ。


「なんだよ……これ……」


 森をかき分けて走った男性達は、変わり果てた村の光景を目にし、持っていた物をその場に落とした。そして、瞬きもせずに目を大きく開いたまま、その場に立ち尽くす。


 人間の脳は信じたい事だけを信じる便利な作りになっており、予想外過ぎる光景をすぐには受け入れないのだ。


……まさか。こんな。嘘だ。


 他の者達と同様に立ち尽くしていた省吾は、その時初めて朝から感じた違和感が、直感からの重要な知らせだと気が付いた。だが、それに気が付くのは遅すぎたのだ。


 すでに省吾達が河原から村へ移動する時間で、村は壊滅させられており、光の膜も消えていた。半数ほどの建物は残っているが、かなり見晴らしのよくなってしまった村には、鉄臭い真っ赤な死臭が満ち溢れているだけだ。


……そんな。そんな。そんな。そんな。そんな。


「ああ……うあああぁぁぁ!」


 狩猟に出ていた男達はやっと脳からの信号が体に伝達したらしく、自分の家族を求めて走り出していく。それと同時に、省吾も呆然自失状態から回復するが、村人達を止める事は出来なかった。


「待て! 行くな!」


……うん? あれは?


 男達の後を追おうとした省吾だが、折り重なるように倒れた真っ赤な人達の中で動く影を見つけ、そちらへ進行方向を変える。


「サラ! サラ!」


「エース? いへへっ……おかえり」


 腕の力だけで弱弱しく動いていたのは、サラだった。苦しそうな呼吸をしながらも、サラは省吾を見て笑う。


「大丈夫か? 痛い所は?」


「痛い……ない……」


 うつ伏せの状態から頭だけを上げたサラは、真っ青な顔で苦しそうに息を切らせながらも笑い続けていた。省吾は急いでサラの体を調べ、外的損傷がない事を確認すると、口元の血を指で拭う。


……よかった。よかったぁ。


「へへへっ……。エース……」


 泣き出してしまいそうな表情に変わっている省吾は、サラの頭を抱きしめた。それに対して、サラはただ笑う。


……なんだ?


 大人達が自分の体を盾にしていた為即死を免れたらしいアリサが、全身を痙攣させながら目を開いた。


「お……兄……ちゃ……ん……」


 折り重なるように倒れている大人達の命を掛けた努力は、アリサを救っていたのだ。


「大丈夫か? 無理しなくていい。そのまま……」


 サラを抱えてアリサの元へ走った省吾は、隣でもう一つの動く気配を感じゾーイを見つける。


「ゾーイさん! しっかりしてくれ!」


「全く……最低の日だよ。この子を頼めるかい? おほっ……」


 サラを抱えたまま省吾は大きな声を出したが、血を吐いたゾーイはそのまま目蓋を閉じる事もなく動かなくなった。そのゾーイが懐に抱えていたのは、ジョンだ。


 そのジョンは、既に生命活動を停止させて冷たくなり始めている理不尽な現実の中で、努力は命を掛けても全て実るわけではないのだ。


……こんな。くそっ! くそっ! くそおおおぉぉ!


 省吾の脳裏に自分の世界で体験した戦争の光景が蘇ると共に、遅すぎたが鋭い直感が戻ってくる。


「助け……て……」


 一緒に狩猟へ出ていた男性の一人が、ふらふらと省吾達のいる方向へと両手を伸ばして歩いてくる。


……敵。敵だ! 敵が来る!


 男性が真っ赤な水を噴き出すよりも早く、寒気がするほどの敵を感知した省吾は、サラだけでなくアリサを抱き上げて草陰へ走った。


「まったく……。仕事ぐらい、ちゃんとこなせよ。この能無しがっ!」


「すみません、すみません、すみません……」


 客室に同乗していた男性の部下は、デビッドから頭を叩かれ、恐怖にひきつった作り笑顔で何度も頭を下げている。狩猟から帰ってきた男達を、部下が見逃したのだと思い込んでいるデビッドは、太鼓でも叩くかのように部下の頭を平手でたたき続けた。


「こんな使えねぇ奴、いらねぇわ。なあ?」


 馬車を操っていた部下の男性は、腕を組んだまま目を閉じ、はいともいいえとも返事をしない。立場上、そうすることしか出来ないのだろう。


「すみません。あの、本当にすみません……」


 謝る事しか出来ない部下の臀部を強く蹴り上げたデビッドは、腕を組んであごだけで指示を出す。


「責任とれよ。ほらぁ、お前がこのあたりを調べろ。お前一人だけでだぞぉ」


「はっ! はい! すぐに!」


 許してもらえる兆しが見えた部下の男性は、顔を明るくしてその日初めてである元気のある声を出した。


……まずい! こっちにくる。


 草むらに寝かせたサラとアリサに視線を落とした省吾は、二人を置いて逃げる選択をしない。そして、二人を抱えた状態で逃げ切れないと答えが出た所で、木の筒に入った矢に手を伸ばした。


……やるしかない! 奇襲だ。


 自分に近付いてくるデビッドの部下である男性に向かって、省吾は先端が微妙に発光する矢を放つ。


「おっ! いたな!」


 矢を見ても表情を変えない男性は、ゆっくりと片手を上げ能力で対処しようとしているが、矢の先端が光を纏っている事に気が付かない。省吾の能力が付加されている矢は、進行方向を急激に変化させ、男性の能力を掻い潜って相手の胸部へと向かう。


「はあっ?」


 村に能力者がいるとは思ってもいない油断しきった男性は、心臓を貫かれてその場にゆっくりと倒れ込んだ。それを見ていたデビッドは、目を輝かせ、怖気しか感じない喜びの表情を浮かべた。


「おっ? 虫じゃなく、遊び相手が混ざってたか? やりぃ!」


「デビッド様。能力者は、奴隷として連れ帰りませんと……」


 部下からの冷静な言葉で、デビッドは眉間にしわを寄せたが、その部下には強く出ないようだ。


「わあぁってるよ」


……どうする? 二度目は防がれる。どうすればいい?


 自分に向かってくるデビッドを見て、省吾は隣で横たわり苦しそうに息をするサラとアリサに顔を向けた。アリサは目を閉じたまま苦しそうな呼吸を繰り返して反応しないが、サラは青ざめながらも省吾に笑って見せた。


「サラ……痛いない……痛いないよ」


……守る! この二人だけは守って見せる!


 覚悟がきまった省吾は、サラの頭を優しく撫で、囮になる為に敢えてその場から走り出した。


「あっ! 逃げるなよ。面倒だろうがぁ……。おい!」


「はい」


 囮である省吾は相手にわざと見えるように、馬車が通ってきた道へと走っていく。それを見ていたデビッド達は素早く馬車の運転席に乗り、鞭で二頭の馬に走れと命令する。


 二人を何とか救おうとした省吾の脳は、もっとも有効で的確な選択をしていた。一人で逃げる以外の選択肢以外で、それ以上はなかったといって良いだろう。


 だが、口を押えて笑いを堪えていた絶望は、ついに噴き出すように笑いだし、気分の悪い笑い声を響かせる。


「痛い……ない……痛いない。サラ、痛いないよ」


 どんどん呼吸が弱まっていくサラは、虚ろな目でいなくなった省吾に呟き続けた。この世で一番大好きな、省吾を心配させない為に。


「好き……エース……サラ、エース好き……」


 最後に誰もが見惚れる最高の笑顔を作ったサラの瞳から、光が消えていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ