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名無しのエース  作者: 慎之介
四章
32/82

 バナナはバショウ科バショウ属の植物であり、熱帯等の高温多湿な環境に適応している。だが、バショウ科の植物は寒い地域に適応した種類もあるが、基本的にその環境を好む為、バナナ以外にも似た種類の植物が生える可能性は低くない。


 つまり、亜熱帯植物に関しての知識があまりない省吾が、バナナの葉だと思っているものは同科のマニラアサであり、果実を食べる事は出来ないのだ。


 代わりに、そのマニラアサの葉は日光や水に強いだけでなく、繊維の強度も植物の中ではかなり高く、使い勝手がいい。その為、省吾が助けられた村では、屋根や扉に使うだけでなく、繊維から縄などを作っていた。森に自生しているマニラアサの葉より、布の方が貴重である村民は、その葉を包帯の代替え品として使っている。


 重傷を負った省吾は、本来包帯だらけで真っ白いミイラ男になるはずだが、その村の環境により体のほとんどが緑色だ。怪我人に対してそれは少々不衛生な処置ではあるが、劣悪な環境の戦場を経験した省吾はその事に不満を持ってはおらず、純粋に感謝していた。


「さあさ、そこに座って。あ、辛かったら横になりなさいな」


 省吾が通された村長の家は、サラの家よりも部屋が多く、その一つからは刺激臭がする。その刺激臭がする部屋に通された省吾は、あまり臭いを気にしていないようで、痛み以外では特に顔色を変えずに床板の上へ座った。


……ここは、病院として機能しているのか?


 省吾の座っている部屋には植物を潰す器具や、ドロドロの液体を煮込んでいる小さな炉等が置かれている。そして、天井からは複数の植物や小動物の干物らしきものも吊るされていた。


……原始的な、民間医療を行っているんだろうな。


 戦場に長く身を置いた省吾は、過酷なサバイバルを幾度も経験しており、虫の死骸が入ったかごを見ても動揺しない。


「さあ、出来たよ」


 植物をすりつぶしたらしいものを、いくつか練り合わせていた村長は、それを終えると省吾の正面に座った。


「少し我慢するんだよ」


「はい」


 村長は、省吾の全身に巻かれていたマニラアサの葉を剥がし、窓から差し込む光で傷口を確認していく。


「ありゃ? これは……」


 その村長は、省吾の怪我の具合を確認し、目を丸くした。そして、急いで他の葉も剥がしていく。


「あんた……これ……」


 村長が確認した省吾の傷跡のほとんどは、既に癒着しており、化膿にさえ気を付ければ自然治癒可能に見えるレベルになっていたのだ。


……うん? そんなに変だろうか?


「よく怪我の治りが早いとはいわれますね。そんなに、変ですか?」


 省吾がけもの道でサラに拾われたのは二日前であり、本来その期間では回復しない怪我を負っていた。その事を治療した村長はよく分かっており、驚いた顔を維持したまま省吾に何度もうなずいて見せる。


「あらっ? 骨は?」


 異常な回復をした体の中で、あまり回復していない骨折部分の方があまりにも凡庸過ぎる為、目立ってしまった。


「ああ、流石に骨折は……」


 省吾の異常な回復を見て、眉をひそめていた村長だったが、皮膚が紫に変色している骨折部分を確認して安心したようだ。


……俺って、そんなに変なのか?


 村長以上に自分の体について悩んでいる省吾は、眉を歪めた。それを見た村長は、省吾に笑顔を見せる。


「まぁ、元気になるのは、いいことだよねぇ。若いって事は、財産だよ」


 省吾の異常な回復を、村長は若さだろうと結論付けたようだ。


「まあ、そうですよね」


 考え事を投げ捨てた省吾は、村長とうなずき合った後、全身の葉とその下にある茶色く変わった薬草らしきものを除去していく。


「あんたも、大変だったんだねぇ。これは、ノアの狩りでやられたのかい?」


 左腕の添え木を縄で縛りなおしていた省吾は、村長の何気ない言葉で、手を止めて目を見開いていた。


……ノア? ノアだと? やっぱりここは、未来なのか?


「ああ、ええよぅ。喋るのは、辛いだろぅ?」


……これは。


 自分の左腕を見た省吾の推測は、確信に変わった。


 その左腕には爆弾になっている時計があるのだが、タイムマシーン内で何も表示していなかったその時計が、時間だけでなく年数と日にちまで表示していたのだ。その表示されていた数字は、ケイト達から聞いていた本来彼女たちがいるべき時間を指し示していた。


……タイムマシーンの時間を、過去から未来へ繋ぎなおしたからか?


 ケイト達からノアという組織が、能力者ではない人間を排除しようとしていると聞かされていた事を、省吾は思い出す。そして、省吾の脳中で情報の整理が行われ、正しい現状把握を進めた。


……あっ、そうか。そうだよな。


 未来と聞かされていた省吾は、映画などで描かれたハイテクな都市をイメージしていたが、それはただの思い込みでしかないと気が付いた。そして、省吾が想像した都市のような場所もあるかも知れないが、戦争から逃れる為に森の奥に逃げ込む人々がいても不思議ではないと理解する。


……大人が生きているのは、過去の介入が影響したのか? と、なると。


 元々、その時代に来るつもりだった省吾は、自分のするべき事を容易に選び出せた。


……この世界で、戦争を止めればいいんだ。俺が生きていたって事は、ケイト達も生きているかもしれない。


 ケイト達を探しつつ、戦争を止めようと考え始めた省吾の目から、失意の光が少なくなっていく。


「さぁてぇ。これで、しまいだよ」


「ありがとうございます」


……さて、少し回復を待つ間に、情報収集をするか。ぬう?


 杖を使って立ち上がろうとした省吾の肩に、村長がそのしわがれている手を置いた。


「あの?」


「あんた、いく所がないなら、この村で暮らさないかい? サラの家族になっちゃあくれないかねぇ?」


 笑顔を消して真剣な顔になった村長を見て、省吾は話を聞くために座りなおした。


「あの子はねぇ……」


 サラも省吾と同じ様に、怪我をした状態で村人に発見された。そして、村長が介抱したことで、村に居ついたのだ。


 だが、村の人間は黒人種が三割、白人種が四割、混血が三割であり、サラと同じ外見をした者はいない。その事をサラは気にしていたのか、似た外見をした省吾を家族だと村長の元へ連れてきたという。


「あの子も、あんなだけどね。何も分からないって、訳じゃないんだよぉ。嫌な事も、悲しい事もあるんだと思うんだよねぇ」


……サラはこの村が出身じゃないのか。森の中で怪我? 何があった?


 サラの怪我は超能力によりつけられたもので、ノアの狩りにより家族を失った可能性があると、村長は省吾に話した。そして、サラはその際に頭を強く打っており、もしかすると元は違った人格を持っていたのかもしれないとも聞かせた。


「それは、何故ですか?」


「元々の身なりが、とても整っていたんだよ。今のサラを見る限り、家族の助けか何かがあったんじゃないかと思えるんだよねぇ」


……なるほど。あのぼろぼろのシャツも、元は綺麗だったか。なるほど。


 腕を組めない省吾は右手を顎に添え、サラの事だけでなく、これからの生活について真剣に考えている。


 戦争を中断させに向かいたい省吾としては、怪我が回復するまで村に居られるのは願ったりかなったりだ。しかし、サラや村人と必要以上に関係を深め、情がわけばそれは戦地へ向かう足かせとなると考えていた。


 任務中の省吾は、冷静な為に人間味の薄く見える部分もあるが、情を完全に割り切れる訳ではない。省吾が必要以上に他人と人間関係を深めないのは、その情が任務に支障をきたすと考えての部分があるのだ。


「どうかねぇ? どの道その怪我じゃ、すぐには動けないだろう? 考えておくれな」


……どうしたものか。


 命の恩人であるサラに何か恩を返したい省吾は、溜息を吐き出して、汗ばんだ髪の上から頭をぼりぼりと掻いた。


「はぁぁ」


……戦争への介入は、命懸けだ。二つは並び立たないだろうな。


 少し薄暗い部屋で、村長に見つめられている省吾は、幾度目かの溜め息をついた。


「ばあちゃん! サラ姉ちゃんが!」


 座って俯き気味に悩んでいた省吾の耳に、ジョンではないかと思われる子供の声が届く。その声から、ただ事ではない雰囲気を感じ取った村長は、腰と膝の痛みをこらえて立ち上がり、声を出した。


「こっちだよぉ。どうしたんだい?」


 村長の家の中へ飛び込んできたジョンは、息を弾ませており、顔が真っ青になっている。


「サラ姉ちゃんが、川に行ったみたいなんだ! 一人で!」


「私達止めたんだけど! いなくなってて!」


 ジョンに続いて入ってきたアリサも、泣きそうな顔で村長に訴えかけていた。


「村の皆も、探しに出てくれたの。でも……」


「あの……僕……僕が余計な事を……」


 後ろめたいことがあるらしいジョンは、アリサよりも溜めている涙の量が多く、ついには両手の甲を目につけて泣き始めてしまう。


……川? まずいのか? あっ!


 省吾はサラの家で眠っていた時の雨を思いだし、その雨で川が増水して危険になっているのではと推測出来た。


「泣いてても、仕方ないよっ。さあ、あたしらも探しに行こう。きっと無事だよぉ。ねっ?」


……どうする? 今の俺で、何かできるか?


 杖が無ければ歩く事も出来ない省吾は、その三人についていく事を躊躇したが、すぐに痛みをこらえて進み始める。


「えっ? エースお兄ちゃん?」


「あまり役には立たないだろうが、恩人の危機は見過ごせない。俺への気遣いは無用だ」


 アリサに返事をした省吾の目には、いつもの様に火が灯ってしまい、相手に二言を許さなかった。


「僕が、余計なこといったから……。僕のせいだぁ」


 ジョンは尚も流れている涙を手で拭いながら、サラが川へ向かった状況を村長と省吾へ喋り始める。


「あの、私もいけないの。お姉ちゃんに、エースお兄ちゃんに栄養があるものを、食べさせてあげようっていっちゃって……」


 省吾が村長の家に向かった直後から、ジョンとアリサは雨の止んだ森へ食料調達に向かった。その二人に、省吾へ食べ物を与えたいサラも同行し、他愛のない会話をしていたのだ。


 そんな三人の会話は、増水した川の事へと自然に移って行った。森の中にある大きな川は、雨が降ると増水し、全体が雨によって流された土で茶色く変わる。


 それにより、釣りや川の中へ入っての漁は困難になるが、魚を取る方法がないわけではない。川の激しくなった水流により陸地へ投げ出される魚もいれば、増水により一時的に広くなった川幅のせいで、くぼんだ箇所に水たまりが残り、取り残される魚もいる。その事を知っていたジョンは、なんの悪気もなくサラに後で大人達と一緒に取りに行こうと話をしたのだ。


 この時の二人が、大物が打ち上げられていれば省吾も喜ぶだろうといったのが、良くなかった。三人が果物や木の実の収穫を終え、村に帰ってすぐにサラは姿を消し、その理由に心当たりがあるジョンとアリサは大人を頼ったのだ。


「大丈夫だよぉ。きっとあの子は今頃、笑いながら魚を取ってるだけさ」


 省吾よりも移動速度が遅い村長は、悔やんで涙をこぼし続けるジョンを励ましながら、川へと向かう。


「こっち! こっちにあるの!」


 それよりも少しだけ前を行くアリサは、すぐ後ろにいる省吾に指を差しながら川の場所を教えていた。省吾はアリサにうなずきながらも、既に千里眼を発動しており、増水した川の周辺を捜し始めている。


……どこだ? どこにいる?


 雨の上がった森の中で、岩は滑り、ぬかるんだ場所も多く、体の小さなアリサは苦戦している。だが、山中や森の中での訓練や実戦を数え切れないほど重ねてきている省吾は、徐々にアリサの移動速度を超え始めた。


 しっかりした足場と、そうでない場所が見分けられる省吾は、左足と右足代わりの杖でしっかりとその個所をとらえる。そして、河原にある岩の上を飛び跳ねる科のように、森の中を突き進む。左足だけで地面を蹴っている省吾は、棒高跳びの要領で次の着地点に突いた杖代わりの木へ反動を伝え、体を浮き上がらせる様に進ませているのだ。


「はぁはぁ……お兄ちゃん……凄い」


……いない。どこなんだ? いた!


 千里眼を使用していた省吾は、村民よりも早くサラを発見出来た。


……よかった。無事か。


 陸に打ち上げられた魚を二匹ほど抱えたサラは、浮き輪の代わりとなる木材や縄を持って探索をする村民達よりも上流の川岸にいる。そして、そのサラは、さらに魚を求めて、村民から離れるように上流方向へ移動していた。


……なっ! くそっ!


 サラの無事を確認し、全身の痛みを思い出した省吾は速度を緩めようとしていたが、ある光景を見てさらに速度を上げざるを得なくなった。胸元から飛び跳ねた魚を追ったサラが、増水した川に飲み込まれてしまったのだ。


……間に合え!


「えっ? 嘘っ!」


 今まで以上に加速を始めた省吾を見て、息を切らしていたアリサは立ち止り、目を丸くしていた。


「どうしたんだい?」


 そのアリサに追いついたすでに疲労している村長は、状況の推測が出来ず、首を傾げて問いかける。そんな村長に対して、驚きから思考が停止しているアリサは、もう点のようにしか見えない省吾の背中を指さす事しか出来なかった。


「ふん! まったく! 迷惑な子だよ!」


 省吾が目指している川岸で、他の村人と共にサラを探しているゾーイは、文句をいい続けていた。


「毎回これじゃあ、こっちの身が持たないんだよ。まったく……」


 そのゾーイの態度に慣れているらしい村民達は、無駄だと思っているのか、苦笑いを浮かべながらも注意しようとしていない。


……まだだっ! まだ、諦めてたまるか!


「はっ? あれは……」


 驚くほどの速度で森から川岸へ跳び出してきた省吾を見て、村人達は驚いたまま動きを止めている。その村人達の一人が肩にかけていた、マニラアサ製の長い縄をひったくる様に奪った省吾は、それを木と自分に素早く結びつけた。


 省吾自身も、海軍の友人から参考程度に学んだもやい結びが、未来の世界で役に立つとは思ってもいなかっただろう。


「ちょっとぉ! あんた!」


「やめろ! 危ない!」


 大きく息を吸い込んだ省吾は、杖代わりにしていた木を投げ出し、そのまま増水した流れのはやい川へと飛び込んだ。


……間に合う! こっちだ!


 左腕と右足が動かせない省吾は、能力で輝かせた右腕と左足のみを使い、まるで日本の古式泳法を思わせる泳ぎ方で水中を進む。薄茶色の水中では、省吾の千里眼もほとんど役には立たないが、直感がサラの位置を主へと知らせていた。


 水流に飲みこまれて数分たつサラは、全身から力が抜け、意識もなくしており、流されるまま下流へきていたのだ。ほとんど水面に浮き上がりもしないそのサラを、泥水の中で村民が見つける事は不可能だっただろう。だが、異常ともいえるほど直感が働く省吾には、探し出す事が可能なのだ。


「ぶはっ!」


 傍目からは奇跡にしか見えない行動で、サラの腕を掴んだ省吾は、水面から顔を出し急いで呼吸をする。


……ぐっ!


 その省吾に、呼吸を妨げる茶色い水が襲いかかるだけでなく、長さの限界にきた縄が衝撃を伝たえ、その衝撃で激しい痛みを感じさせた。


……こんなものぉぉ!


 サラが危険な状態だと省吾には分かっており、助けたいと思う強い気持ちが、体と脳の限界を超えさせる。


「ぐっ! このおおぉ!」


 省吾は、信じられないほどの握力と腕力で、サラの顔が水面に出るように自分の体とロープの間に挟み込んだ。


「おい! あれ! サラだ!」


「えと……あっ! 縄だ! 縄を引くんだ!」


 やっと状況を理解した村民達は、省吾が縄を縛り付けた木へ走り、力を合わせて二人を手繰り寄せようとした。それにより二人が川から引き揚げられ、サラの介抱をするだけで全てがうまくいくと、村人達は考える。


……このタイミング。最悪だ。


 縄を掴もうとした村人達や、まだ川岸に到着していないアリサ達と違い、目の前に大きな流木が迫っているのが見えた省吾だけは歯を食いしばる。


 人間には、偶然の産物でしかない運不運を操作する力はない。その人間である省吾がいくら神に祈りをささげても、現実は何も変わらないのだ。また、事故により人が迎える死の多くとは、映画や小説などで作られた劇的なものではなく、呆気ないものだったりする。


 増水した川へ万全ではない状態で飛び込み、人を抱えている省吾が、流木により人生を終えても不思議な事ではない。しかし、残酷で非情な現実に何もせず祈るなどという選択を、省吾が選ぶはずもない。


 泥水の波が押し寄せる合間を見て、省吾は出来る限りの空気を吸い込み、筋肉へ酸素を送り込む。そして、サラが着ている服の襟に噛みついた省吾は、右手で拳を作り、その拳と左足を輝かせる。


「おいっ! あれ!」


「きゃああああっ!」


 省吾からかなり遅れて流木に気が付いた村人は、縄を持った状態で動きを止めた。その村人達は、もう二人が助からないと考えてしまったのだろう。


 中には、悲鳴を上げて目を閉じてしまった女性もいる。その女性は、残酷な瞬間を見たくないと思ったのだ。


 だが、一番絶望してもおかしくない立場の省吾は、瞳に映る強い意志を消しておらず、呼吸を忘れるほど集中していた。


……今だ!


 能力により威力を強化した左足で水を蹴り、鉄板すらへこませる右拳を直感に導かれるように振るった省吾は、流木の軌道を変える事に成功する。


……ぐううう!


 流木を殴った反動は凄まじく、サラを支えていた省吾の口からは血が流れだし、体には気絶しておかしくないほどの圧力が加わった。そこで救いになったのは、省吾が水中におり、力がその水の中で分散された事だろう。


「ぐっ!」


 折れそうだった歯をかばった為か、省吾は無意識にまだしびれが残る右腕で、サラの体をしっかりと抱えた。


「きゃあっ!」


「うおっ! 熱っ!」


 省吾と木を繋いだ縄に急激な力が加わり、それを握っていた村民の幾人かは、手をやけどしてしまう。チャンスはいともたやすくピンチへと裏返ってしまうが、その逆もあるのが現実だ。


……いける! もう少し!


 泥水の中にいる省吾の目は何も映さないが、千里眼の能力は主へと周辺の状況を教えている。


 流木とぶつかるまでの省吾達は、川の中央付近で下流方向にのみ、体が流されようとしていた。しかし、拳により体周辺の水流を歪めた事で、縄を結んでいる木を中心点とした円運動の力が発生したのだ。その省吾達を上空から見れば、まるでコンパスで円を描いているように見えたかもしれない。


「はぁはぁはぁ!」


 川の流れからはじかれるように、川岸付近へ到着した省吾は、サラを抱えて何とか陸地へ這い出した。


……まずい!


 陸に引き揚げたサラは、自立呼吸を停止しており、白目をむいてぴくりとも動かなくなっている。省吾は、急いでサラに心肺蘇生を試みた。


 当然ではあるが、軍の訓練中に何度も人形を使ったレクチャーを受けている省吾は、心肺蘇生法を正確に覚えている。省吾はサラの胸部を両手で圧迫し、気道確保と共に、鼻を押さえてから口から息を吹き込んだ。


 添え木の無くなった左腕は腫れあがり、右足も感覚を失い始めているが、省吾の脳は体中からの苦痛をすべて無視している。


「起きろ! 起きてくれ! かえってこい! 頼む!」


「えほっ……」


 幾度も省吾が繰り返した心肺蘇生で、サラは口からごぼりと水を吐き出し、自立呼吸を回復させた。


「はぁぁぁぁ……」


……よかった。


 仰向けの状態から自分で横向きの体勢になり、咳き込むサラを見て、省吾は肺の空気をすべて吐き出す。


……もう大丈夫だな。


「げほっ! ううっ……ああ……うあああああっ!」


 咳がおさまり始めた頃、サラは水中での恐怖を思い出したらしく、顔をぐしゃぐしゃにして泣き始めた。そして、涙で歪んだ視界の中で、省吾の姿を見つけたサラは、そのまま抱き着いて泣き続ける。


「うああああっ! ひぐっ! あああああっ!」


 そのサラの背中を、省吾は子供をあやす要領で優しく何度もたたいていた。


「大丈夫だ。もう大丈夫だ」


「だいっ! じょうっ! ぶぅぅぅ! あああああっ!」


 その二人に村人達は駆け寄らず、何故か木の棒を構え、にじり寄っていく。


……うん? なんだ?


「おまっ……お前! 超能力者か!」


……そうか。しまった。


 ノアという、超能力者以外の人間を排除しようとする者達から、村人達が逃げてきた可能性は高い。その村人の前で、不用意に能力を使ったのが良くない事だと、省吾にもすぐに察しがついた。そして、負けはしないかもしれないが、村人と争いたくはないと思った省吾は、顔をしかめる。


……この足では、逃げる事も難しそうだ。どうする?


「これぇぇ! 止めんかぁ!」


 省吾の予期せぬ窮地を救ったのは、遅れてきた村長とアリサ達だ。


「殺そうとする相手を、命懸けで助ける馬鹿はおらん! よお、考えんかぁ!」


 その言葉で構えていた木の棒をおした村人達をかき分け、村長はサラに抱き着かれたまま座っている省吾の前へ出た。


「エース? あんたのレベルはいくつだい?」


……レベル? ああ、超能力のレベルか。


 勘で村長に嘘をつかない方がいいと思えた省吾は、正直に返事をした。


「セカンドだ」


 その省吾の返答を聞いた村長は、にやりと笑うと村人達に顔を向ける。


「セカンドとファーストは、殺されんが、奴隷として扱われとるらしい。分かるねぇ?」


 村長の言葉を聞いた村民達の顔から、緊張感が消えていった。


「それで、逃げて怪我を?」


「多分そうだよ! そうじゃなきゃ、あんな怪我するはずないもん!」


 村民達の説得にアリサとジョンも加わり、省吾からも緊張感が消えていく。


……あっ、これはまずいな。どうしようもないぞ。


「うう? 痛い? 痛い? あ……あううっ!」


「お兄ちゃん!」


 緊張状態から解放された省吾は、痛みを思いだし、呼吸を早めると同時にその場に崩れ落ちた。その省吾は、痛みで顔を引きつらせ、強がる余裕すら無くなっている。


「こりゃ、いかんっ! しっかりおし!」


……これは、ちょっと。


「すまないが、全く動けな……」


 強い意志の消えてしまった省吾は、普通の人より少し我慢強い程度の耐久力しかなく、激痛であっさりと意識を失った。


「あんたらぁ! この子を、うちに運んどくれぇ! はよう!」


「はっ、はい!」


 村人達に運ばれた省吾は、気を失った状態で村長の治療を受け、半日後にサラのベッドで目を覚ます。


……うん? ここは? 俺は、どうなった?


「あっ! お兄ちゃん!」


「よかったぁぁ……。兄ちゃん? 大丈夫?」


 ベッドから上半身を持ち上げた省吾は、サラだけでなくアリサとジョンからも声を掛けられた。壁の隙間から見える景色は既に夜になっており、アリサとジョンは家に帰らず省吾に付き添っていた事が分かる。


「ああ、問題ない」


 自分を心配してくれていた三人を省吾が悪く思うはずもなく、それ以上心配させまいと少し強がってみせた。


……これは、きつい。ベッドから出られないな。


「あの、無理しないでね。これ、私達がとってきたの」


 アリサが差し出したバショウ科の葉っぱで作った皿には、果物や焼き魚がのっており、同じく葉で作ったコップには水が入っている。


「ありがたい。頂こう」


「いひっ! えへへへぇ」


 ベッドの上でまともに動けない省吾は、そのまま食事を済ませ、アリサ達と短い会話を交わした後、再び眠りに落ちた。それだけ、省吾の体は弱っており、命を維持する為には眠る事が必要不可欠だったのだ。


「あれ? 兄ちゃん、また寝ちゃった」


「あうぅ……」


 タイムマシーンの自爆により省吾が負ったダメージは、本来人間が死んでもおかしくないほどのものだった。その怪我が癒えきっていない状態にもかかわらず、省吾は死の運命を捻じ曲げたのではないかと思えるほどの救出劇をやってのけた。


 それを可能にしたのは、屈強な兵士である仲間達から不死身の化け物と表現された、省吾の異常なまでの回復力だ。超能力者や兵士達だけでなく、医者すらも驚かせるその回復にどれほどの意味があるかを、省吾自身もまだ認識していない。だが、直感も人間離れしている省吾は、薄々ではあるが自分の体が異常である事の本質に気付き始めていた。


 省吾は天然といっていいほど抜けた部分は確かにあるが、本当の馬鹿ではない為、なんのリスクもない力が存在しないと知っている。だからといって、人々の平和や幸せと自分の命を天秤に乗せた場合の省吾は、自分の命を選べない。


 命を奪う覚悟を決めて兵士になった自分が、それを選んではいけないとさえ考え、回復の原因追究を止めてしまう。自分にとって重要ではないと思える事を、よく検討せずに投げ捨ててしまう省吾の思考は、プラスにもマイナスにも働く。


「ひへへへっ……」


 アリサとジョンが帰宅し、する事の無くなったサラは、体温を上昇させたまま寝息を立てる省吾を見つめていた。そして、眠気を感じたサラは、笑顔のまま省吾の眠っているベッドへと体を滑り込ませる。


 サラの体が接近した際に、省吾は無意識に手を少しだけ動かし眉間にしわを作ったが、そのしわもすぐに消えた。あり得ないほどの無邪気さを持つサラに対しては、省吾の戦場で鍛えた無意識の警戒も役に立っていないようだ。


「えへっ……暖かい。家族。サラのかぞ……」


 その無邪気の塊であるサラは、暖炉の明かりが続く限り自分と同じ身体的特徴を持った省吾を見つめ続け、やがてゆっくりと目蓋を閉じた。


 今も母の胎内にいる双子の子供であるかのようにサラと眠る省吾は、回復を続けていく。それそのものが、運命の歯車が作った一部分なのだと、省吾は考えもしていない。

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