九
精神や感情と呼ばれているものは、人間にとって身近な存在ではなく、なくてはならないものだ。それを生きる為に必要な脳の活動による、副産物でしかないと表現する者もいるが、一言で言い表していいのかと疑問を持つほど、人間の内面とは複雑怪奇なものだ。
能力者達が食堂として使っている部屋で、腕を組んだまま顔をしかめている省吾の心も、本人が理由を推測しきれない動きを始めていた。今、省吾の心は、小さな波紋に覆い尽くされようとしている。その波紋を発生させているのは、省吾がもつ直感だ。
能力者達から説明を受けるに当たり、思い込みをしない為に省吾は心を風や波のない静かな湖面を思わせるほど、平坦な状態で維持しようと考えていた。だが、その静かな水面に直感が作る小さな波紋が、数え切れないほど発生しており、それは徐々に大きなうねりへと変化し始める。
オーブリー達からの話を聞きながら、今まで感じた事が無いほどの不安に襲われている省吾は、まだその原因を自分でも理解できていない。
「これで、時間介入の方法は、理解できたわよね?」
不安から焦燥し始めている省吾だが、理由もなく騒ぐわけにもいかず、心中を吐露したりはしない。
……落ち着け。焦りは失敗を生む。
「ああ」
「じゃあ、今までの時間介入について、教えるわ……」
時間介入についての説明に、何か不都合があるのか、オーブリーは息を吸い込んで、視線を省吾から逸らした。
「あの……怒らないでね? 出来れば冷静に聞いてほしいんだけど……。実は、貴方の居た世界も、既に何回か変貌した後なのよ」
……予想はしていたが、やはりか。
「だろうな。で?」
オーブリーだけでなく、ケイトやそれ以外の能力者達も、省吾が全く変化しない事で安心したのか息を吐き出した。省吾が、自分のいた時代まで既に歪められていたと聞き、怒りを感じるかもしれないと心配していたのだろう。
「この時間介入のチームは、大きく分けて、三つの世代があるの。その第一世代だったチームのメンバーだけが、時間介入の行われなかった未来の人間だったわ」
「私とオーブリーとカーンが、第二世代で……。他の子達は、第三世代なんです。それで……」
ケイト達からの説明を、省吾は無言で聞く。そして、途中の問いかけには、うなずくことで答えた。省吾は、動揺し始めている自分が、下手な意見を発しないように、気を付けたのだろう。
能力者達の使うタイムマシーンには、異次元で存在を固定できる人数に制限があり、第一世代のメンバーは十二人の大人だった。
その第一世代のいた時代でも、第三次世界大戦は発生したが、省吾達の経験した世界すべてを巻き込むものではなかった。代わりに、その世界での大戦は、省吾達がいた世界のように理想的な終わりを迎えておらず、核によるダメージで各国が戦闘不能になり、仕方なく終結した。
また、その世界には超能力者もファントムも存在せず、人類の進化は止まったままだったようだ。その進化の袋小路に入った人類は、荒廃した世界でも生き続けたが、地球の資源をほぼ使い切ってしまい、絶滅へと向かい始めていた。
そんな絶望の中で人類の希望となったのが、オーパーツから発見された異世界空間だ。
「最初の歯車から繋がったのは、巨大な古代の都市だったそうよ。色々あって、もうそこにはいけないけど」
……古代都市か。
一番その話を知っているらしいカーンが、都市について省吾へと説明を始めた。
「見た目は、その、古代のマヤ文明やギリシア文明に近い都市だったから、古代都市と呼ばれているだけで……。都市が全て、煉瓦じゃなく金属で作られていたそうだ」
「見た目は古く感じたそうだけど、見つかった技術は第一世代がいた時代の文明をはるかに超えていたらしいわ」
……古代都市か。なるほど。
「で、その都市を調査して、このタイムマシーンが作られたわけだ。この時間移動装置以外にも、色々な技術が見つかったらしいがな」
都市と聞いて、今まで黙っていた省吾は、素直な疑問を口に出した。
「それは、誰が作ったんだ? そこの住民も、人間だったのか?」
「いや、住民は誰もいなかったそうだ。建物の中に、生活の痕跡はあったらしいが、墓さえ見つからなかったらしいぞ」
一呼吸置き、コップに手を伸ばしたカーンは、その中身を一気に飲み干した。
「誰が作ったかは、分かってない。宇宙人なのか、異世界人なのか……。もしかすると、もっと未来の人間かもしれない。」
カーンと同じように頭を掻いた省吾は、オーブリーの発した言葉へ、質問を移した。
「そこに行けなくなった理由は?」
「行き来する為の歯車を、第一世代の一人が持っていたのですが……。その方が、亡くなって紛失してしまいました。そのせいで、タイムマシーンもこの一台だけなんです」
その質問と返答から、話は本筋である第一世代の時間介入へと戻った。第一世代の時代に古代都市から見つかった技術は、ごく一部の人間だけが独占し研究を重ねた。
人類が滅亡へと向かうのをただ眺めている事しか出来なかったのだから、それはまさに人類の希望的な存在ではあった。だが、その希望を知っているのは、ごく一部の権力者や研究者だけで、もっとも人数が多かった一般人には何も知らされなかった。
絶望に満たされた世界で、過去を変えられる技術が発見されたと世間へ発表する義務が、その時の権力者達にはあったのかもしれない。それでも極秘扱いにされた理由を、その時の権力者達は、技術的に未熟な状態で発表すれば民衆を無用に混乱させると、研究者達に説明した。
研究者達は、その権力者達の言葉を、全て鵜呑みにしたわけではない。だが、様々な理由で間違えているかもしれないと思う考えから目をそむけ、研究だけに集中したのだ。七人いた研究者達が置かれた様々な状況とは、軍の武力で家族を人質に脅されていた者や、研究者特有の偏屈な思考で守るべき者がいない等だ。
権力者達が本当に望んでいたのは、その研究者達が見抜いた通り、自分達の権力を維持したまま都合のいいように世界側が変容する事だった。そして、権力者達が恐れたのは、過去への介入で、自分達が消えてしまう可能性があると知った時の民衆そのものだった。権力者達は軍を所有していたが、数の暴力に打って出た民衆には負ける可能性が高く、そうなれば計画は御破算になるのだ。
ただ、自分の幸せだけしか考えられない者も人が一人では生きていけないと知っており、願っていたのは人類の明るい未来ではあったのだろう。
様々な思いが入り混じった二年間の調査と研究は終了し、過去への介入計画は発動された。直接過去へと向かったのは、高齢の二人を除いた五人の研究者達と、その五人を守る兵士七人だ。
計画の最終段階として、権力者達と研究者の家族は、時間の影響を受けない古代都市へと一時的に移住した。第一世代による過去への介入は、幾人かの犠牲を出しながらも、すべてうまくいったはずだった。
「だった……か」
「ええ。元の時代へ、六人になった第一世代のメンバーが帰ってみれば、人類は超能力者になってるし、ファントムはいるし、戦争はしてるしって状況だったそうよ」
……超能力者は、意図的に作られてなかったのか? じゃあ、超能力ってなんだ?
オーブリーに続いて、ケイトが話の重要な部分を省吾に説明する。
「あの、一応ですが……。私達も第一世代ではないので、全て伝え聞きでして……」
「そこは確認のしようもないんだろう? 大丈夫だ。理解できる」
省吾の返事を聞いたオーブリーが、第二世代である自分達の話を始めた。第二世代のケイト達を戦争から救い育てたのは、第一世代である一人の女性研究員だったと省吾は説明された。
……なんだ? この違和感は? 何がある? 何が隠れている?
心にあるランプが燃えるような深紅に染まった省吾は、ケイト達への質問を意図的に減らした。そして、堀井から伝授された効率的な頭の使い方を実践し、脳の半分で話を聞き、残り半分で違和感の理由を探す。
第一世代のメンバー達は、想定外に変わった未来を見て、一時過去への介入を中断した。そして、自分達の失敗を取り返そうとした為なのか、人命救助や戦争の終結に向けて動いた。しかし、一握りの超能力も持たない人間では、どうする事も出来ず、第二世代のケイト達を含めて再び時間を逆流した。
「その頃には、第一世代のメンバーは残り三人で、歯車も失っていたわ。古代都市に行った権力者達がどうなったかは、教えてもらってない」
難しい顔を続けていた省吾に、ケイトが少し恥ずかしそうに頬を染め、上目使いの視線を送る。
「その時なんです……。あの、シスターになっていたのは……。それで、その、貴方に会って……」
「そうか」
省吾のそっけない返事に、ケイトが悲しそうに俯いた。脳をフル回転させている省吾は、ケイトを気遣う余裕がないらしい。
「あ……あの、まあ、それで……あれだ。元の時代に戻ったんだが……」
カーンだけでなく、オーブリー達も言葉を詰まらせた為、省吾から話の続きを要求する。
「悪化してたんだな。で?」
「うっ……うん。それで、第一世代最後の生き残りになった、母さんと頑張ってみたの……。でも、その母さんも戦争で死んじゃって……」
第一世代の自分達を育てた女性を、母と呼ぶオーブリー達は、その母を思い出したのか表情が暗くなる。三人の気持ちが落ち着くまで待つしかなくなった省吾は、ケイトが歴史に介入していた事から、自分がいた世界は第三世代へと続く途中だったのだろうと考えを纏めていた。
「あっ、ごめん。で、第三世代の世界なんだけど、私達のいた時代には、大人も生き残ってたんだけどね……」
「超能力を持って戦い続ける子供と、老人しかいなくなっていたわけか……」
……時間介入をすればするほど、悪化する? 人間絶滅の時期でも決まってるのか? どうなっている?
母と呼ばれた第一世代の女性が死亡後、その女性がもしもの事を考えて残した映像が見つかった。時間介入の理論を理解し、逆算できるのは第一世代の者だけであり、その女性がその映像を残さなければ今に至っていない。
ケイト達を含めて五人だけになった第二世代の能力者達は、第三世代の七人を仲間に加え、女性の残した映像の通りに三回目の時間介入を始めた。
……この時間介入が、更に間違えていればどうするつもりだったんだ?
どうしようもなかった、自分は悪くないと能力者達がいっていた事を、省吾は思いだしていた。良かれと思って行った時間介入で悪化する未来を見て、ケイト達がなんとか取り繕おうとした事は省吾でなくとも想像するのは容易い。
「ふぅ……」
多くの命が犠牲になったとはいえ、その事を責めても仕方が無いと溜息をついた省吾は、話題を移す。歴史の介入については、罪悪感からなのかケイト達はよく言葉を詰まらせるので、大よそが理解出来た事もあり、後回しにしようと省吾は考えたのだ。
第二世代の生き残りだったルークの話をしている今も、カーンやオーブリーが発する言葉は歯切れが悪い。
「戦争を起こさない為に、どうしても直接殺さないといけない人もいて……。嫌な事をルークが受け持ってくれたの」
「だが、人を殺した重圧で……。あいつは、だんだんおかしくなって……。あんたを恨んでも仕方ないが、いい奴だったんだ……元は……」
泣きそうな顔で話を続けるカーン達に、爪で机をこつこつと叩き注意を引いた省吾は、分かったという意味を込めて大きくうなずいて見せた。
「大体は分かった。後は、俺が一度整理して、気になった事を個別に聞こう」
省吾のその言葉で、苦しみから解放された能力者達が、大きく息を吐いて表情を緩めた。
……覚悟は本物らしいが、精神面が未熟すぎる。これでは、精神を病んでも仕方ないな。
「で、次なんだが、超能力とファントムについて詳しそうだが、俺にも情報をくれないか?」
「あ、うん。あの、大災害の隕石って覚えてるよね?」
超能力者の説明を始めたオーブリー達は、歴史介入の時とは違い、省吾が驚愕するような内容を淡々と語った。
「あの隕石って、金属で出来てたのよ。正確には、金属生命体。その生命体は、人の心や感情を栄養源にして、超能力やファントムを生み出すの」
……なんだと?
隕石の軌道を変えたのは、第一世代の人間達であり、災害によって負荷を与える事で人類を一つにしようとしたとオーブリーはさらりと説明した。
……ふざけるなよ。あれが、人災? あの地獄を、人間が作ったのか? それも、故意でだと。
災害が大昔の歴史でしかないオーブリー達と違い、苦しんだ省吾は怒りを感じた。だが、その怒りをぶつけるべき第一世代の人間は死んでいる為、仕方なくそれを飲み込んだ。
「その隕石自体が、そんな生命体だとは、母さん達も知らなかったらしいけどね。まあ、その生命体は、今も私や貴方の体の中にいるわ」
地表に衝突した金属生命体に寿命はなく、極小単位でも生き続けられる為、餌の溢れる地球上に拡散した。その生命体が心を食べるとはいえ、人間の食事と同じで吸収しきれなかった部分は、排出される。
「災害と戦争の最中だったから、世界中に負の感情が渦巻いていたのよ。だから超能力者よりも先に、ファントムが出現したの」
「故意的に生み出したファントムは、超能力と同じで操作できる。だが、そうじゃ無ければ存在を維持しようとして、人間を襲うわけだ」
怒りを抑えている省吾は目を閉じ、表情筋を少し痙攣させていた。
「で、まあ、餌が一番多い人間の体内に、その生命体が入り、超能力者が誕生したわけだ」
その生命体は、人間の血中に溶け込む事から始めた。そして、まるでミトコンドリアのように世代を重ねて、共存を深めていった。
人類がその事に気が付いたのは、ごく単純な切っ掛けで、超能力者が金属探知機に引っかかったのだ。省吾達の世代では、血中の鉄分よりも少ない程度しか住み着いていないが、それから時が経つにつれて人間はその生命体の保有量を増やしたのだ。
「その金属生命体には、原始的な意思があって移動も可能らしくてな。見つけるのにも解析するにも時間は必要だったらしい」
「あと、レベルについてだけど、ファーストからサードまでと、フォースには大きな違いがあるわね」
ファーストからサードまでの違いは、その生命体の含有量でしかなく、含有量が多いほど能力が強い。つまり、人間側の体が時間をかけて受け入れる事により、生命体の保有量を増やしたのだ。
だが、フォースは生命体側の変化が起こり、人間の一部として完全に取り込まれている。
……と、なると。
「サードの方が、超能力が強い者もいるって事か?」
ケイトは、うなずきながら返事をした。
「はい。サードまでの能力者は、死ねば生命体が空気中に流出する別の生き物なんですけど……。フォースは先程いったミトコンドリアのように、一生を共にします」
「フォースは、金属生命体と融合した細胞を生み出せるようになっているのよ」
……餌が安定して手に入る人間の体に、定住を決めたのか。
「あ、ただね。全部のそれが人間と融合したわけじゃなくて、いまだに空気中を漂ってる個体もあれば、集まってファントムだけを作る個体もあるの」
金属達が求めたのは、餌だけでなく進化ではなかったと論文を出した研究者がいたと、オーブリーは省吾に説明し、それが正しいと持論まで述べた。
……なるほどな。んっ?
コーヒーを飲み干した省吾は、長時間説明をしていたオーブリー達から、疲労の色を読み取った。
「時間はまだあるんだったな?」
「あ、はい。次の時間に跳ぶために、空間の切り離しと再接続で……二十時間ほどかかります。まだ今は、切り離しの最中です」
……なるほど。
「一時休憩を、提案する。出来れば、トイレを貸してくれ」
省吾の提案を受け入れた能力者達は、肩や首を回して思い思いに緊張をほぐした。そして、省吾はカーンにつれられてトイレへと向かう。
……違和感の理由どころか、情報整理だけで手一杯だな。
三つ並んだ洗面台の一つで手を洗っていた省吾は、隣で同じように手を洗っていたカーンから、頼みごとをされる。
「あの……ケイトの事なんだが、優しくしてやってくれないか?」
……ぬう?
「あいつの能力は、記憶を消しちまう。それで、その……自分の事を覚えていない友人に会うのは、結構きついらしくてな」
……なるほど。彼女のあの行動は、それが理由か。なるほどな。
「了解した」
カーンは二時間ほどの会話で、省吾を真面目で信頼できる人物ではないかと感じており、兄妹のように育ったケイトの為を思って頼んだのだ。真面目が服を着ているタイプである省吾は、自分を作ったり嘘をついたりする者よりは、理解しやすい人物ではあるだろう。だが、人間の本質を、二時間程度の会話で読み取る事は難しい。
カーンは、男女の人間関係について真っ先に考える者も多い恋愛的な事について、省吾が一番後回しにすると気が付いていない。そして、暗にケイトの好意をむげにしないで欲しいといったつもりの言葉に、省吾が別の解釈をつけたとは思ってもいない。
……シスターは、昔の話をしたいだろうな。思い出らしい思い出は、ないんだが。まあ、いいだろう。
「さあ、貴方達。部屋に戻って休みなさい」
省吾がトイレに行っている間に、オーブリーは食堂に集まっていた第三世代の仲間を、部屋に追い返そうとしていた。
「えっ? ん、ああ。分かった」
オーブリーの視線を追い、顔を赤くして俯いているケイトを見て、第三世代の能力者達も素直に従う。
「飲み物。ここに置いておくわね」
俯いてもじもじとしていたケイトの肩に手を置いたオーブリーは、笑顔で机の上に並べられたコップを指さした。
「あ、あの、えと……部屋に?」
恥ずかしさからか、ケイトはオーブリーに一緒にいてほしいと言いたげな目線を送る。だが、笑ったままのオーブリーは首を横に振った。そして、真っ直ぐにケイトの目を、見つめる。
「頑張りなさい」
オーブリーのいいたい事が分かったケイトは、一度俯いて息を吐きだし、顔を上げた。
「あの……ありがとうございます」
女性であるオーブリーでさえドキリとさせるほど、恥ずかしがりながらも笑うケイトの表情には魅力があった。オーブリーはそのままウインクをすると、食堂を出た。そして、省吾と一緒に戻ってきたカーンへと歩み寄る。
「ちょっと、打ち合わせ。あ、ガンマスターは、食堂で待っててくれる?」
「了解した」
歩きながらも情報を整理する事に集中している省吾は、オーブリーの思惑に気が付けていない。逆にカーンはその思惑が分かっているらしく、わざとらしい返事をした。
「打ち合わせか……。うん。それは、必要だな」
「馬鹿」
省吾は、カーンがオーブリーに怒られている光景を見た。だが、重要ではないと感じた事は、いつものように気にも留めない。
……さて、今のうちに整理しよう。
「あっ……」
食堂に入った省吾は、ケイトが居ても全く顔色を変えなかった。それは、まだ自分が信用に足る事をしておらず、監視されて当然だと考えているからだ。
「ひゃん!」
省吾はケイトの隣にある先程まで使っていた椅子に、迷いなく座った。その事でケイトは、椅子から飛び上がらんばかりに動揺し始める。
……さて、第一から第三世代までの時間介入を。いや、第三は、現在だから、第二までの介入か?
だらしないほどに真っ赤な表情を緩めているケイトは、省吾が基本的に規則正しく行動する性格だと気付いていない。
その規則正しい省吾は、先程まで座っていた椅子を自分の席と認識しており、ケイトの隣だからという理由ではなく、自分の席だと思っている場所へ座っただけだ。
「あの、これ……飲み物です」
「助かる」
ケイトに飲み物を差し出されても、考え事を続けている省吾は、視線を真っ直ぐに壁だけを見て隣へは向けない。
「あの……暑くないですか? 空調は調節できますので」
「問題ない」
腕を組んで顔をしかめたまま悩む省吾は、返事を端的なものにしてしまい、ケイトとの会話は弾むはずもない。
……超能力者が、意図せず出来てしまった。これは、問題ない。いや、そうなのか? この気持ち悪さはなんだ?
ケイトが質問や話題を思いつかなくなった事で、二人しかいない食堂は沈黙に包まれ、衣擦れが聞こえるほど静かだった。その状況は、考え事をする省吾にとって好都合だが、ケイトには針のむしろのように感じられたようだ。
「ふぅ」
……んっ? なんだ?
喉の渇きを感じた省吾は、腕組みを止めてコップへと手を伸ばした。省吾は利き腕である右手をコップに伸ばし、左手を膝の上に乗せたが、それは無意識に行った事だ。
その省吾は、左手の上にケイトの手が重ねられた事で、トイレから戻って以降で初めて顔を隣に向けた。ケイトの顔はこれまで以上に真っ赤になっているおり、倒れてもおかしくない程鼓動が早まっている。急ぎ過ぎともいえるケイトのその行動だが、それには明確な理由があるのだ。
戦争の中で産まれ、時間介入を続けていたケイトは、幼い頃から省吾ほどではないが死と隣り合わせの人生を歩んできた。その為、平和の中で育った綾香達とは、恋愛の価値観が大きく違っているのだ。
ケイトは、いつ相手や自分が死んでもおかしくない状況での恋愛では、戸惑いや羞恥心が足かせにしかならないと考えている。寂しさ、恐怖、不安により働き始める種の保存本能と、後悔したくないという強い気持ちが、ケイトの中で恋愛感情を最優先にするのだ。
ケイトは、今までに三度の恋をした事がある。初恋の相手だった幼い少年は、ケイトの居た時代で戦争の犠牲となった。そして、同じ第二世代だった二人目の男性は、任務の最中に帰らぬ人となり、ケイトは想いを伝える事すら出来なかった。
二つの悲恋で、自分には恋愛をする価値さえ無いとすら考え始めていたケイトだが、過去への介入中に一人の少年兵と出会った。
その兵士である少年は、目付きが驚くほど荒んでいるにも関わらず、透き通った黒い瞳を持っていた。そして、少年は自分が眠った状態でも苦しむほどの状況にいながら、自分をないがしろにするほど不器用ではあるが、必死に人を救おうとしていた。
当初ケイトは、自分の琴線に触れてくるその少年兵への気持ちを、戦争の辛さを理解できる事での同情だと考えた。
だが、少年が仕方なくではあるが、名前についての説明をした事で、ケイトは自分以上にその少年が悲惨な人生を歩んできたのだと知った。そして、同情をした自分を恥ずかしいと感じていたケイトに、少年は大したことではないので気にしないでほしいと言い放った。
その時すでに少年の心には、今と変わらぬ覚悟の炎が宿っており、その心を映した瞳を見たケイトは三度目の恋をしたのだと自覚した。
しかし、それは時間への介入中だったケイトにとっては、禁断の恋だ。世界を平和に導く為に、ケイトは少年の記憶を奪わなければいけなかった。街の住人達から記憶を奪い終え、気を失った少年の頭に手をかざしたケイトは、声を殺して涙を流した。
そのケイトは、日本特区の山中でナイフを構えた一人の兵士と正面から向き合い、すぐにその男性が誰なのかを理解した。そして、その場で始末するべきだといい始めていたカーン達に、テレパシーで男性を見逃すように頼み込んだ。
全ての偶然が今に結びつき、運命ともいえる状況に、ケイトは真っ直ぐ歩み出そうとしている。
「どうしましたか? シスター?」
「あの、シスターではなく……。ケイトと呼んでいただけますか?」
……ああ。あれは、仮の姿だったな。仮の姿? んっ? あれ?
「では、ケイト……」
ケイトイコールシスターの情報が、ただのケイトに脳内で上書きされた省吾から敬語が消えた。そして、省吾はコーヒーを飲み干すと、ケイトのいる方向へ座り直し、真っ直ぐで強い目線をケイトへ向ける。その省吾を見たケイトは唇を噛みながらも、口角を上げられるだけ上げ、笑顔を作った。
勿論、色気のある事など考えるはずもない省吾は、ケイトが目蓋を閉じてキスを要求する前に、空気を無視した言葉を口に出す。
「二回目の介入をした内容と、三回目に指示された内容を、大まかでいいから教えてくれ。それから、二回目の世界と三回目の世界の違いももう少し細かく」
省吾は空気が読めないわけではない為、ケイトが醸し出していた雰囲気に気が付いていた。
だが、馬鹿真面目である省吾の脳は、時間介入についての事が、ケイトの気持ちより重要だと自動で選択してしまうのだ。そのおかげで省吾には色仕掛けが通用しない為、兵士としては好都合な部分だが、恋をするべき年齢になった男性としては残念なのかもしれない。
「うん? どうした? 喋れない部分なのか?」
顔と頭から一気に熱が引いたケイトは、自分の鼓動と比例して急下降したテンションをそのまま顔に出した。
「なんでしょう。デジャヴ?」
「デジャヴは、ほとんどがただの錯覚らしいぞ。で、どうなんだ? 喋れないのか?」
悲しそうに省吾を見ていたケイトだったが、すぐに表情を笑顔に戻し、省吾の質問に答え始めた。どうやらケイトは、二人での時間だけでも心がある程度満たされる事を理解しているようだ。
……全く意味が違う。
「はい。二回目と三回目の大きな違いは、救出か消去かです。シスターに変装した私と同様に、オーブリー達も死ぬはずだった人を救っていました」
机に出していたメモ帳に時間介入の情報を書き出していたケイトは、頬が触れ合うほど近づいた省吾を見て顔の熱を取り戻していた。だが、眉間にしわを寄せて目を細めている省吾は、自分の中にある違和感が強くなり、ケイトへほとんど気を回せなくなっていく。
「結果的に、三回目……第三世代の世界は、人数が減ったんだな?」
「はい……。生き残る人数が多すぎたと、母はいっていました。ですので、危険因子になりえる人物を……」
……人数が多くなれば、意思統合は難しい。危険因子もうまれるか。だから、戦争が? いや、戦争は元々あったはずだ。
説明を受けた省吾は、自分の直感がどの部分に反応しているかを考えるが、情報量が多く、上手く答えにたどり着けない。
「ふぅぅ……」
煮詰まった省吾は、反射的にコップへと手を伸ばしたが、そのコップには氷だけで、コーヒーは残っていない。
「あ、持ってきます。同じでいいですか?」
「あっ……ああ、すまない」
……監視はいいのか? まあ、何もするつもりはないが。
メモを見ては目を閉じ、また目蓋を開いてはメモを凝視するという行動を、一人になった省吾は繰り返している。
一度思考の迷宮に迷い込んだ人間が、そこから自力で脱出する事は難しい。そして、マードックのように天才タイプではない省吾は、頭が固い部類の人間であり、同じ事がぐるぐると頭の中で回転し続けていた。
「えっ? 進展なしなの?」
コップを二つ持ったケイトは一人ではなく、オーブリーとカーンを連れて食堂へと戻ってきた。
「あの……まあ……はい」
扉の開閉する音で一度そちらへ目線を向けた省吾だったが、すぐにメモへとその視線を戻し、再び悩み始めた。その省吾は、カーンが机に置いた工具と腕時計を気にも留めない。
「悪いが、保険だけはかけさせてもらう」
……なんだ?
「これは、腕時計型の爆弾だ。遠隔で起爆して、専用工具を使わないと外れないようになっている」
「手榴弾並の威力があるから、死にはしなくても腕は駄目になると思って」
……まあ、当然だな。
カーン達からの要求を想定済みだった省吾は、無表情のまま自分のつけていた腕時計を外した。
「あ、いいのか?」
「抵抗する理由が無い」
多少の説得は必要だろうと勝手に考えていたカーンの方が、無言で腕を差し出した省吾に確認をする。だが、命を掛ける覚悟がすでに出来ている省吾は、腕だけを差し出したまま、何事もなかったようにメモへ視線を戻す。
「じゃあ……。あっ、信頼すれば、外すからな」
……カーンとオーブリーは、ケイトが持っていない情報を持っているか? いや、それは考えにくいか。
「あの、本当にいいのか? このロックを掛ければ、外れなくなるぞ?」
肩透かしを食らったカーンは、これでもかというほど省吾に言い訳と確認を行いながら、工具で腕時計を組みたてた。
「抵抗してほしいのか? 違うなら早く済ませて……」
呆れたようにカーンへ言葉を発しようとした省吾は、ある事を思いつき、その言葉を止めた。
「あの、確かまだ俺の時代と繋がっているんだったよな?」
「あ、はい。切り離しが完了するまで、まだ最低十時間はかかります」
後ろめたそうにしているカーン達へ、可能であればとつけながらも、省吾は願い事を口にする。その省吾が願った事とは、仲間達へのメッセージを残す事だ。
「え……それは……」
「通信機にレコーダー機能がある。帰れないかもしれないが、俺は大丈夫とだけ残したいんだが……」
顔を見合わせているカーン達は、困った顔をして長い時間悩んだが、その省吾の願いを受け入れた。そして、カーン達三人の目の前で録音を行った省吾は、その音声データの入った通信機を転送してもらう事に成功する。
情報を書いたメモを、通信機に忍ばせようかとも考えた省吾だったが、過去への介入は繊細な作業だと説明された事を思いだし、その行為は踏みとどまった。
「転送って、こんなに簡単なんだな」
省吾が最初に来た部屋の中へ入れられた通信機は、扉を閉じて部屋の外にあったコンピューターらしき物を操作するだけで、転送された。
「まあ、ここから出るのは簡単なんだ。入るのは、制限があるがな」
不思議そうに部屋の中やキーボードを眺める省吾に、オーブリーは今後必要だと思ったのか、転送について説明を行う。
「戻る場合は、このバッジを持って特定の場所に移動しないといけないのよ」
オーブリーは上着の内ポケットにつけた、五センチほどの緑色でひし形をしたバッジを、省吾に見せた。
「あ、もう気付いてるでしょうけど、通信機能も内蔵してるわ。イヤホンもつけられるの」
結果的に問題解決へと転がり始めたが、その通信機能で窮地に陥った事を思い出した省吾は、苦笑いをうかべる。
通信機能という言葉で省吾は、ファントムを発生させる隕石だったらしいロザリオ型の金属にも、その機能がついていた事を思い出した。だが、まだ省吾の中にある情報の点と点は、絵どころか線にもならない。
「はぁぁ……まあ、確かに世界は統一されたな」
食堂に戻った省吾は、時間の余裕がある為、未来での作戦を考える事よりも今までの流れや疑問点の問答に、カーン達を付き合わせていた。
……仕方ない? それで、納得できる問題じゃないぞ。
大災害が人類統一の為に必要だったと説明されている省吾は、目眩を覚えて眉間を指でつまんだ。
……ここは、我慢だ。こいつらにいっても、意味はない。
大災害を起こした隕石について、必要悪だと第一世代の女性から教育されていたケイト達を見て、省吾は猛り出しそうな気持ちを我慢した。
「つまり、異世界に入った時点で、元の世界との存在が一時的に分離されるんだ。元の世界がたとえ消し飛ぼうと、異世界にいると情報が更新された人間は、異世界では全く影響を受けなくなる」
……それは、正確には、タイムマシーンじゃないんじゃないか?
「あ、でも、過去への介入にも法則に従った、限界と制限はあるわよ。元の世界を変えすぎると、異世界から戻った場合に存在が不安定になるの」
「ですから、タイムマシーンを使えば使うほど、戻れる時間も短くなるんですよ」
……なるほど。タイムマシーン側に、リミッター機能が付いているのか。
第一世代から教育を受けているオーブリー達は、時間介入の逆算はできないものの、理論はほぼ理解できている。
「もう、第三次大戦中には、戻れないんです。ですから、未来を平和にするには、貴方の居た時代に干渉するしかありませんでした。で、その説明には、この数式を用いて……」
机の上に置かれたノートには、省吾では理解できない難解な数式や、理論が書き込まれていった。
……聞いたのは俺だが、これを理解しろと?
「ただ、この部分は注意しろ。お前が何もせずに元の世界に戻れば、それはお前のいない世界だから、異世界にいた時間だけお前が消えていた世界でしかない」
第三世代の人間に教育をしたカーン達は、説明に慣れているようで、噛み砕いただけでなく順序立てて省吾に教えている。だが、それでも省吾が理解するには、時間がかなり必要な内容だ。
「時間介入後は、元の世界にいた人間がそのままには、ほぼならない。親やその人間のルーツに影響があるわけだから、同じ人間が生まれる可能性はほぼ皆無って訳だ」
……駄目だ。一つ一つは理解できなくはないが、絡み合うと複雑で難し過ぎる。
省吾の脳は既に処理できる量を超えてしまい、壊れかけのコンピューターのように、回転を間欠で止めてしまう。
「万が一同じ人間が居たとしても、生まれも育ちも違う、同姓同名の別人にしかならない。だから、異世界にいた人間が帰っても大丈夫なんだ」
……なんだ? こいつらは天才なのか? それとも、血のにじむ努力でもしたのか?
目眩だけでなく頭痛がひどくなり始めた省吾は、後頭部を乱暴にぼりぼりと掻き毟っている。
「あ、それでも、基礎の部分は同じだから。過去への介入は、小さな事をしても、連鎖的に色々な事が影響を受ける。最終的には、世界全体を変えてしまうのよ」
戦闘に関しては天才的な才能を持つ省吾だが、勉学の部分は一般レベルの優秀でしかなく、未来の超理論はほとんど吸収できない。
「あの、大丈夫ですか? 顔色が……」
吐き気さえ覚え始めた省吾の顔は真っ青になっており、座った状態でぐらつき始めていた。
能力者達を包囲する作戦を、省吾は短時間で準備しなければいけなかった。その為、省吾はすでに睡眠をとらず、五十時間近く活動を続けていたのだ。
更にその状態で、体を動かさずに脳をフル回転させ続けた為、見た目で分かるほど体が変調をきたし始めていた。
……くそっ。流石に限界か? いや、まだ。
「大丈夫だ。続けてくれ」
その返事を聞いても、オーブリーとカーンは説明を再開せず、目線でケイトへと合図を送った。オーブリー達にうなずいたケイトは、膝の上で組んでいた手を、省吾の死角で持ち上げる。
……なっ!
疲労と衰弱からサイコガードが弱まり、隙が出来ていた省吾は、そのケイトに反応できなかった。
省吾の肩に手を触れたケイトは、能力で情報を読み出し、顔をしかめて相手の顔を覗き込んだ。そのケイトを反射的に省吾は睨んでしまうが、潤んだ瞳を見て怒鳴るほど馬鹿ではない。
「もう、二日以上も寝ていないじゃないですか。休んでください。お願いですから」
ケイトの言葉を聞いて、オーブリー達が呆れた表情を作り、息を吐き出した。
「時間もあるし、安全は保障してやるから眠れ。仮眠室もある」
「知識吸収には、睡眠が必要不可欠なのよ。ガンマスター」
自分が眠らない限り、これ以上三人から情報が聞き出せないと理解した省吾は、仕方なくうなずいた。そして、仮眠室でケイトに見守られながら、数日ぶりの眠りへと落ちる。
その一連の流れも、偶然でしかない。だが、運命の歯車は、時間も空間も脳内も関係なく、音を立てて回転を続ける。
何故なら、それは人間が生まれる前から、そうあったもので、それが当然だからだ。