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名無しのエース  作者: 慎之介
三章
28/82

 命をやり取りする戦いの場では、些細な判断ミスが死に直結する。


 その厳しい現実は火薬を用いた銃等、人の命を一瞬で奪う近代兵器が発達した現代では、より顕著になった。これにより、戦場に立つ兵士及び、その兵士に指示を出す指揮官は、常に冷静な思考を心掛ける必要がある。


 兵士達の冷静な思考のバックボーンとなるのは、日頃の訓練や経験により培った自分への自信だ。一兵士にしては優秀過ぎるといっていい省吾も、弛まぬ訓練や実戦だけでなく、イメージトレーニングを欠かさない事で冷静な思考を維持していた。


 訓練によって頭の中に戦闘マニュアルを作り、実戦による経験でそのマニュアルを改善すれば、考えるよりも早く体が反応する優秀な兵士が出来上がる。その自信と実績が出来てこそ一人前の兵士なのだが、それらは慢心へと繋がりやすいものであり、慢心は死を招く。


 何よりも、戦いの場に全く同じ局面が存在しない為、無駄のない動きを実現する為にマニュアルに従いつつ臨機応変な対応も求められる。つまり、自身で作り上げたマニュアルを支えとして使いながらも、極限の状況下でそれにとらわれ過ぎない事で兵士は生き残り、次の段階へと進めるのだ。


 矛盾を含む理論ではあるが、残酷な現実に矛盾や偶然の要素が多分に含まれている以上、か弱い人間はそれと折り合いをつけなければ生きていけない。


 ごく稀にマニュアルを使わず、この理論に反しながらも戦場で生き残り、成果を残す者達もいる。だが、それはただ運が良いだけか、マニュアルを熟知したうえで一般兵が使っていない自分だけのマニュアルを作り上げた超越者だ。


 双方ともに一般人や兵士がなろうと思ってなれる者ではなく、熟練と洗練を重ねた省吾やローガンでさえ、該当しているとはいい切れない程の者達だ。


 第三次世界大戦の中で、その超越者ともいえる努力をした天才達に、省吾は敵として幾度も巡り合った。本来省吾は生き残る事さえ不可能だったはずだが、強い意志で命を代価に限界を超え、作戦を成功させてきたのだ。


 その兵士として完璧に近い省吾ではあるが、あらゆる局面で動揺しないほど完璧な訳ではない。それは、人間という存在そのものが、完璧になりえない為、仕方のない事といえるのだろう。


……どうしたらいいんだ。


 敵能力者を動揺させなければいけないはずの省吾だったが、敵以上に動揺してしまっていた。既に、ポーカーフェイスも完璧ではなくなり、眉間に深いしわが作られている。


「おい! 考え込むな! 知り合いがいるんだろ。そいつからでいい、揺さぶれ。情報を引き出せ」


 喋らなくなってしまった省吾が、動揺していると分かったミスターは、マイクに向かって指示を出していた。交渉の達人であるミスターは、隙を作るのと間を置く事は別であるとよく知っており、現在省吾が作ってしまった会話の空白をよくは思っていない。


「思い出話でも、なんでもいい! 相手の会話は俺が拾って、返事も考えてやるから、会話を続けろ! 早くしろくそガキ!」


 相手が動揺を立て直せるほど時間を作ってしまった省吾に、ミスターは危機感を覚えて大きな声を出し始めていた。


「早くしろってんだ! 今、立ち止まるのは、最悪の選択だぞ! おい!」


 ミスターのいいたい事を理解しながらも、省吾は口を開けない。


……それでいいのか?


 実は、省吾をそこまで戸惑わせているのは、今まで省吾を生かしてきた、省吾自身の勘なのだ。省吾自身にも、そこまで自分が動揺している理由は分かっていないが、省吾の中にある直感は殲滅の選択を拒んでいた。


……殲滅を選ばないなら、他の選択肢はなんだ? 敵を逃がす? いや、それは駄目だ。くそ。どうすればいい?


 無言で自分達を見つめる省吾を見つめ返し、敵能力者達は心音を早めている。そして、額に汗を滲ませる者や、笑顔にも見えるほど顔をひきつらせている者もいた。


 平静な状態の省吾であれば、それに気が付けただろうが、動揺から相手の観察がおろそかになっている。敵全体の動きを重要だと考えてしまい、監視衛星からの画像を優先してみているミスターも、敵一人一人の変化を見落としていた。


 ひりひりと痛む手を押さえたケイトが、悲しげな表情を隠す為に俯いた。そして、オーブリーの瞳に灯った怪しい光が、より一層強くなる。


……どうすればいいんだ! くそおぉ!


 心の中で迷いを強く叫んだ省吾の耳に、聞き取れるぎりぎりの呟きが届いた。


「ふん……馬鹿が……」


 それは、敵能力者の男が油断から口に出してしまった言葉だ。


……あっ!


 動揺は隙を生み、思い込みはミスへと繋がり、その隙とミスはピンチへと直結する。


……もしかして、まだ仲間が?


 耳につけるだけの小型イヤホンや、謎の金属に仕込んだ盗聴器を作る技術が、敵にある事を思い出した省吾は青ざめる。


 敵どころか山ごと破壊できるだけのミサイルを、省吾達は用意した。だが、小型のインカムを通して会話を聞いていた敵の仲間が増援に来るならば、その状況を覆せる技術か能力があるはずだ。


……敵? 来るのか?


「あれ? 気が付いた?」


 省吾が拳銃の安全装置を外し、銃口をオーブリーに向けた。その銃口を向けられたオーブリーは、隠していた余裕の笑みを表に出した。


 拳銃を構えた省吾にも、九ミリ弾程度では、敵になんの効果もないと分かっており、ミサイルの発射を司令官に伝えようとしていた。しかし、省吾の中でアラームを鳴らす直感が、その言葉を吐き出させようとはしない。


「ごめん……なさい……」


 悲しそうに顔を歪めたケイトは、もう涙を流してはいないが、謝罪を口にした。その瞬間に、省吾の中でミサイルを発射しなければいけないという理性のランプではなく、直感のランプが真っ赤にかわる。


……まずい!


「じゃあね。お馬鹿さん……はっ?」


「えっ?」


 思考ではなく直感に従って体が動き始め、省吾はほぼ無意識で走り出していた。そのあまりにも素早い反応に、敵能力者達は省吾の姿を見失う。


 だが、表情にはそれほど焦りを出しておらず、安堵の感情が強く読み取れる。それは、省吾だけでなく国連軍の思い込みによる隙を、敵が突く事に成功したからだ。


 敵が自分達の拠点へと瞬間的に移動していたのは、個人の能力ではなく、別の科学技術による転送だった。その転送は、行き来する場所を固定する必要がある為、能力者達はすぐに転送は出来なかった。しかし、省吾達との会話を能力者達が隠していた通信機で聞いていた敵の仲間が、その場所を拠点側から変更したのだ。


 それにより、省吾が考えた敵側の増援は来ないが、九人はその場からすぐに逃げ出せる状態になっていた。通信機で仲間からのその連絡を聞いた敵能力者達は、転送準備が整うまでばれてはいけないと緊張していたのだ。


……間に! あえぇぇ!


 敵能力者である九人が、順次転送されていく中で、省吾は足の腱が切れてしまうのではないかと思えるほど急加速していた。一番転送が遅れたケイトの服を、限界を超えて走った省吾は右手で鷲掴む事に成功する。


 その事が、直感で動いてしまった省吾は、どれほどの意味を持っているかを分かっていない。


「きゃあああ!」


 視界が真っ白い光で覆われた省吾は、短い間の浮遊感に襲われた後、女性の大きな声を聞きながら頭を固い物へぶつけた。


……ぐがっ!


「はあっ? 嘘だろ?」


「おいおい。勘弁してくれよ」


……ここは?


 額にこぶを作った省吾は、そのこぶを手で押させ、床に寝転んだ状態から上半身だけを起こす。省吾が見回した明るい部屋らしき場所は、潜水艦の操舵室を思わせる作りで、別室への地下通路のように床や壁が全て金属で出来ている。


……まさか、一緒に連れてこられるとはな。最悪の更に下って所か。


 敵能力者達に取り囲まれた省吾は座ったまま、反射的に背中を壁につけ、握っていた銃を捨てて両手を上げた。


「やれやれだな。この馬鹿は……」


 呆れたように省吾を見下ろした敵の男性は、大きく息を吐いた。


「でもぉ、始末できると考えれば、いいじゃない」


 肌の黒い女性が、笑顔を作りながら目を細めるが、その目は本当に笑っている訳ではない事が誰にでも分かる。絶対的に有利な立場から、省吾を見下ろしてサディスティックな笑みを浮かべているのは、その女性だけではない。


「いたたっ……」


 省吾の隣でうつ伏せに転んでいたケイトが起き上がると同時に、オーブリーが腕を引いて省吾との距離を取らせた。


「早く! 立って!」


……ピンチとチャンスは、コインの裏と表か。


 どうする事も出来ない状況に、戦場の残酷な現実を見続けてきた省吾は、焦りを見せない。覚悟はすでに出来ているのだろう。


「お前……まさか、投降すれば殺されないとでも思ってるのか?」


 焦るどころか転送前の動揺すら消した省吾を見て、学園で恐怖を与えられた敵の男性が、腕を発光して見せた。だが、怯みすらしない省吾は、その男性をただ真っ直ぐに見つめ返す。


「気に入らねぇ……。気に入らねぇなぁ! お前は、俺を舐めてるのか? ああ?」


 省吾の悔しがる姿がどうしても見たいらしいその男性は、光る掌をかざしたり、殴るふりをしたりと色々試したが省吾の表情は一切変化しない。


「じゃあ、あんたが始末してくれるのね?」


 その光景を見つめていた女性の言葉で、男性は動きを止め、光を消した。


「いや……。流石にそれは……」


「じゃあ、誰がどうするの?」


 肌の黒い女性が仲間の男性達に目線を投げかけるが、首を左右に振る者はいても、縦に振る者はいない。


……隙はある。だが、逃げきるのは難しいな。


 黙って敵を見ている省吾は、諦めたわけではないが、自分から逸れないオーブリーの視線は知覚している。そして、オーブリーともう一人の男性だけは、常に臨戦態勢を解除していないとも感じ取っていた。


 省吾の優れた直感は、その状況下で逃げる事は不可能という残酷な現実も、曲げる事なく教えてくる。


「分かったわ。私とカーンで始末する」


 隙のなかったオーブリーと、そのオーブリーにカーンと呼ばれた男性が省吾に歩み寄ろうとした。その目には、他の者と違い本当の覚悟が見て取れる。


「だ……め……駄目えええぇぇぇ!」


……うん? なんだ?


 仕方なく拳を握ろうとした省吾に、オーブリーの脇をすり抜けたケイトが、自分の体を盾にするように抱き着いた。


「ちょっとぉ。ケイト……」


 省吾の首に痛いほどの力で抱き着いたケイトは、呆れた顔をしたオーブリーに背中を軽くたたかれても、首を左右に振って離れない。


「駄目ぇ! この人を……エーを、殺さないで! お願いよおぉぉ」


……ぐっ!


 耳元で叫ばれた省吾は、耳を痛みに似た感覚に襲われ、片目を閉じた。その省吾の肩が、じんわりと暖かくなっていく。


……さて、どうする?


 省吾は腰に装備しているナイフで、ケイトを人質にとる事も考えた。だが、自分に抱き着いたまま泣く相手を人質にとれるほど、省吾の心は死んでも腐ってもいない。


「分かってるの? タイムリープの仕事は、これで終わりじゃないのよ? 次は、この二十年後を変えに行くのよ? そいつは、邪魔になるはずなのよ?」


 ケイトに問いかけたオーブリーは、問いかける事すら嫌なのか、表情筋が歪んでいた。


「ノアや、テンペストの前身組織を処理しなければいけない。その重要性は、分かっているな?」


 構えを解いて腕を組んだカーンに背を向けたままケイトはうなずいた。


「なら俺達の使命は、忘れたわけじゃないんだな?」


 再び省吾にしがみ付いたままのケイトが首を縦に振ったのを見て、カーンが金色の髪が逆立った頭を乱暴に掻き毟った。


「諦めろ。ここでなら、殺しても歴史に影響はない。そいつは、始末しておくべきだ。俺がやってやるから」


……なるほど。ここか。ここだな。


 カーン達の一挙手一投足に意識を集中させていた省吾は、首を左右に振り続けるケイトに、出来るだけ優しい声をかける。


「シスター? すまないが、少しだけ腕の力を緩めてくれ」


「えっ? エー?」


 数センチしかない距離で、ケイトが見たのは視線の強さを取り戻した省吾だった。


「あっ……」


 省吾の真剣な顔を見て、頬を染めたケイトは、腕を省吾に解かれても抵抗が出来なかった。


「ふぅぅ……」


……覚悟を決めろ!


 ケイトを膝の上に乗せたまま、省吾は上半身の服を脱ぎ始め、装備を全て解除して見せる。背負っていた通信機の裏に隠した拳銃や、ナイフ、防弾チョッキ、手榴弾をオーブリー達に見える形で省吾は床に置いたのだ。


 それを見ていたオーブリー達は、額に汗が噴き出している。オーブリー達にも、省吾がその気ならば、幾人かは怪我か最悪命を落としていたと分かったのだろう。


「殺される覚悟は、もう出来ている。だからこそ、少しだけ交渉の時間が欲しい」


 ケイトを説得しようとしゃがんでいたオーブリーは、省吾の瞳を直視してしまう。


「うっ……」


 林道から幾度も省吾の目を見ていたオーブリーだが、敵意も殺気もない強い意志だけをたたえた、その瞳を見るのは初めてだ。省吾の真っ黒な瞳に、飲み込まれる様な深さを感じて気圧されたオーブリーは、上半身を少しだけのけ反らせ、唾液を飲み込む。


「なっ! 何よ! これで信用しろって……」


 自分の叫び声で、自分自身が省吾に囚われそうになっていると気付いたオーブリーは、頭を激しく左右に振る。


「どうした?」


「ごめん。なんでもない」


 心配するカーンに、愛想笑いで謝罪したオーブリーは、自分を落ち着かせて省吾へと視線を戻した。


「で? 交渉って、何かしら? ガンマスター」


 落ち着きを取り戻して問いかけたオーブリーも、省吾を殺す事は嫌だと考えており、問答によりその嫌な時間を先延ばしにする弱気な選択をしたのだ。


「この部屋。もしくは、この建物は時間の影響を受けない……特別な場所なんだな?」


 オーブリーだけでなくカーン達も表情をしかめた事で、自分の予想が的中したと省吾は確信を持った。


……ここからだ。


「ここでなら、俺に説明は出来るか? どの道殺されるなら、事情を聞いてから殺されたいんだが?」


「それは可能だが、聞いてどうする? 事情を知っても知らなくてもお前を消さなければいけない事に、こちらは変わりないぞ?」


 言葉を詰まらせたオーブリーに変わり、長身のカーンが省吾を見下ろしながら返答した。


「俺は、殺される覚悟があるといったはずだ。事情を聞いて、折り合いのつく答えを俺が出せなければ、殺せ。抵抗しないと誓おう」


 オーブリーに視線を向けたまま喋っていた省吾は、素早くカーンへその視線を移した。


「だが、事情を教えられないというのなら、全力で抵抗する」


 省吾に負けじと強い眼光を返していたカーンだったが、徐々に額から大粒の汗が浮きだし、その汗は金属で出来た床へと落ちていく。


 腹の決まった省吾を相手にするには、カーンやオーブリーでは役者が不足しているらしい。無言で視線を交わしたオーブリーとカーンは、大きく息を吐いて吊り上げていた眉尻を下した。


「分かった。降参よ。ガンマスター」


 小さく両手を上げて見せたオーブリーは、表情を明るくしたケイトに目配せを送る。


「ただ、シャツは着てくれる? 若い女性が、これだけいるんだから」


「了解した」


 省吾が半袖の軍用シャツを着る間も、ケイトは膝の上から動こうとはしなかった。


……どいてくれとはいえないな。


 涙の痕が残る笑顔で近距離から自分を見つめるケイトに、省吾は何をいえばいいかが思いつけない。その思いつけない事を、重要ではないと結論付けた省吾は、いつもの様に考える事を投げ捨て、重要な会話へと戻る。


「未来を、変えたいのは分かっている。その……何を変えようとしているかを、まずは教えて欲しい」


……一人増えたな。能力者達は、この十人だけなのか? 全員、思っていたよりも若いな。


 省吾の事を完全に信頼したわけではない能力者達は、変わらずに省吾を取り囲んでいる。そして、その拠点らしき場所にいたと推測される、見たことのない一人も省吾の左隣に立って訝しげな顔を維持していた。


「私達の世界は、荒れに荒れているの……。三つの勢力に分かれて、今も超能力による戦争を続けているわ」


「俺達は、その悲劇を起こさせない為に、戦争の根源を潰しに来た」


……なるほど。こいつらは、その勢力の一つに所属しているのか?


「お前達は、正義を口にした。なら、お前達の組織は、正しいんだな?」


 省吾の少し強くした言葉にも、オーブリー達は全く怯まずにうなずいて見せた。その目に嘘が無いと、省吾は勘で感じ取る。


「他の組織は、弱者を力で支配しようとしているの。その中でも、ノアって組織は、能力の無い者を殺すとまで宣言したわ」


「ちっ……。何が、人間の進化だ……」


 オーブリーの説明に、省吾の右隣に立っている男が、舌打ちをして目を閉じた。


……ノアとやらに、嫌な目にでもあわされたのか? こっちからも、嘘は感じないな。


「だから、私達国連は、皆を守らないといけないの」


 聞き慣れた単語に、省吾が首をゆっくりと傾げた。


「国連? お前達も、国連なのか?」


 省吾の瞳から放たれる圧力から解放されたカーンは、真顔で返答をする。


「ああ。三つの組織全て、元国連だ。現在も、国連と名乗っているのは、俺達だけだがな」


 少し情けなく眉をハの字に変えた省吾を見て、オーブリーが視線を外して考え事を始めた。そして、省吾に一番伝わりやすいだろう言葉を選んだオーブリーは、ゆっくりと自分で考えた説明を口に出す。


「いい? 貴方の時代に、世界は国連に統一された。これは、分かるわよね?」


 省吾は、オーブリーにうなずいて見せる。


「それは何故? それが出来た一番の要因は?」


「ああ……なるほどな。指導者の問題か」


 国連が今ほど人類にとって有益な存在であるのは、フランソア、コリント、ランドンが自分を犠牲にしてまで頑張っている事が大きいと、省吾は知っている。そして、その三人の指導者を国連が失えば、組織に淀みや亀裂が発生するだろう事も、容易に想像できた。


「そうよ。貴方のボスは、優秀なの。いえ、優秀過ぎたのね」


 フランソア達に成り代われる人材がそうはいないと、すぐに考えつけた省吾は顔をしかめていく。その顔をケイトが至近距離からにこにこと笑いながら見ているが、省吾はそちらへ気を回さない。


「お前達は、かなり若いようだが……。正規兵なのか? それとも、若い人間だけでの理由があってのプロジェクトなのか?」


 省吾が発したその質問に、オーブリー達全員が顔を悲しそうにゆがめる。


「戦争が……長い間続いているのです。長い……長い間……」


 質問された事に返事をしたのは、ケイトだ。その俯いたままか細い声を出したケイトは、顔を上げずに肩を小刻みに震わせる。


……うん? もしかして。


「大人はどうしたんだ?」


 強く目蓋を閉じていたオーブリーは、そのまま下に向けていた顔を上げる。そして、目蓋を開いて、省吾に潤んだ瞳を見せた。


「ぐすっ……。みんな死んだ。国連側で生きているのは、戦えない老人と、戦わざるを得ない子供だけ……」


「そうか。すまない」


 省吾は一度目を閉じて、鼻をすする音がおさまるのを待った。


……やはり、俺からはこれしかないか。


「ふぅぅぅ」


……人生を手放す覚悟は、もう出来ている! 後は、説得のみだ!


 息を吐いた省吾は、瞳に強い意志を戻し、ケイトに次いで自分の一番近くにいるオーブリーを真っ直ぐ見据える。


「その戦いに、国連の兵士として、俺を加えてほしい」


「はっ? はぁぁ?」


 先程まで泣いていた相手に、それを忘れさせるほど予想外な言葉を、真顔の省吾は投げかけていた。いつも通り、自分の発言に命を掛けている省吾は、ふざけている訳でも、相手を笑わせたいわけでもない。


 オーブリーとカーンは、省吾の言葉で目に溜まった涙を、服の袖で拭き取る。


「あ……あんたなぁ……」


 乱暴に頭をぼりぼりと掻き毟るカーンを、省吾の目を見ていたオーブリーが振り返って見つめた。


「ごめん。ちょっと、まかせていい?」


「んっ? ああ……。でも、まかされてもなぁ」


 困っているカーンは眉を情けなく歪めたが、返事を聞いたオーブリーはそれを気にせず、その場を離れる。


「おいおい。分かってるのか? たかが、セカンドレベルじゃ、一週間も持たずに殺されるぞ? 相手は、本気なんだぞ?」


 呆れたように言葉を吐きだす男性の能力者に、瞳の強さを揺るがせない省吾は真っ直ぐな気持ちを伝える。


「俺達がお前達と争わない為には、未来の戦争を終わらせるしかない。過去を変えるのも一つの方法だが、未来で決着をつける事で終わらせたい」


 未来の泥沼な戦争が、終わるとは思えない能力者達は、省吾のその言葉だけですぐに納得するはずもない。


「いや……だから……」


「俺が、お前達に提供できるのは、俺個人の戦闘力だけでなく……。戦術も、だ」


 兵士として戦いながらも、兵士としての教育をまともに受けていない能力者達は、その言葉にピンとこないようだ。


「戦術とは、戦いを自分達の有利に進める事だ。劣勢を覆す事も出来る。悪いが、兵士としてのお前達には、それが欠落している。そして、そのお前達を殲滅できない敵も同様だろう」


 超能力至上主義である能力者達は、自分達よりも劣る省吾に馬鹿にされたのかと思い、表情に怒りを出す者もいた。


「何が、戦術だ! そんなもので、戦争が終わるのかよ!」


……全く分かってないようだな。まあ、そのおかげで俺達は、付け入れたんだが。


「今日、お前達は、超能力者でもない兵士に、窮地へと追い込まれたはずだが?」


「ぐっ……」


 省吾は、仲間同士で顔を見合わせて言葉を詰まらせている能力者達を見回した。そして、戦術が欲しいと能力者達に思われる為に、敢えて強い言葉を使う。


「戦術を使えば、能力が劣っていようと……。能力がなかろうと、人数で負けていようと……。敵を無力化できる!」


 腹の底から声を出しただけのセカンドである省吾に、高レベルの能力者達は気押され、数人が喉を鳴らして唾液を飲み込んだ。


「なるほどね……。でも、貴方がそうする理由が、私には理解できないわね。私達が憎くないの?」


 一冊のバインダーを脇に抱えて戻ってきたオーブリーは、再び省吾の前に座り、鋭い眼光をぶつけた。その眼光を省吾の黒く深い瞳は、弾き返すのではなく、吸収していく。


「確かに、お前達のせいで、俺の大事な仲間が死んだ……」


 省吾の言葉に、ケイトが唇を噛んだ。


「だが、俺の仕事は……するべき事は、恨みを晴らす為に戦う事でも……。ましてや、憎しみで人を殺す事でもない! 人を守る事だ! 俺は、その為なら命を惜しむつもりはない!」


「ふっ……」


 先程までとは違い、表情に余裕が出来ているオーブリーは、省吾の言葉で笑う。だが、そのオーブリーが作った笑顔は、先程までの省吾を馬鹿にしたものでも、含みのあるものでもない。


「私達まで、守るっていうの? ガンマスター?」


「困って、泣いている者の為に手を差し出し……命を真っ先に投げ出すのが、兵士である俺の仕事だ。手を汚したくないなら、いくらでも俺が汚してやる。だから……」


 一呼吸置いた省吾は、今まで以上に大きな声で訴えかける。


「俺を、信じろ!」


 日本では古来より、言葉には力があると考えられており、言霊という単語もその為に出来たと伝えられている。


 災害により日本で育っていないとはいえ、省吾も日本人である事に変わりはない。そのせいなのかは誰にも断定できないが、省吾の言葉で少し前まで敵だったはずの能力者達は心を揺さぶられ、心強さともいえる熱をいだいた。


 中でも一番影響を受けたケイトは、無言で省吾の胸元に抱き着き、目から暖かい水を流す。


「信頼に足る、証は?」


「爆薬を常に持てといわれれば、そうする。一週間で死ぬ毒を飲めといわれれば、飲んでやる。だから、俺にチャンスをくれ」


 目頭を熱くしたオーブリーは、省吾に背を向けて立ち上がり、一言だけ呟いた。


「ガンマスター。少し、貴方に酷な話をするわよ」


……酷? まあ、どうでもいい。


「好きにしろ」


 オーブリーは、持っていたバインダーのページを開き、仲間達に見えるようにした。


「この部分をよく読んでくれる?」


 能力者達は省吾への警戒が緩んだのか、囲む事を止めてオーブリーに近づき、指さされている部分に目を細める。


「嘘っ……これって……」


 オーブリーの持っていたバインダーには、戦火から免れた貴重な国連の資料が、ファイリングされていた。そして、オーブリーが指さしている資料には、省吾の殉職した情報がはっきりと記載されている。


 殉職者の一覧情報であり、時期や詳細は書かれていないが、省吾が所属している部隊と名前に間違いはない。


「そう……彼は、殉職したとされているわ」


……まあ、そうなるか。


 その言葉でケイトは顔を上げて睨むが、オーブリーは笑顔のまま首を横に振る。


「勘違いしないでね。これって、彼が私達についてくるって事じゃない? ほら、正式には殉職じゃなくて、殉職扱いになってる」


 意味が分かったらしいケイトの顔が少しだけ明るくなり、流れ続けていた涙が止まる。


「つまり、情報を得た彼は、過去に帰還せず、失踪者扱いになったと考えられない?」


 その情報を話の布石にしたオーブリーは、先程まで睨み合っていたはずの省吾を擁護する側にまわり、仲間に加えようと説得を始めた。


「まぁ……こっちに、損はないか」


「ええ? でも、大人って嘘つきじゃん」


……俺を守ろうとしている、か?


 オーブリーが仲間を説得している間も、省吾は動かずに床に座ったまま、静かに能力者達の決断を待っている。そして、ケイトは何故かその仲間達の会話に加わらず、省吾の首に両腕をまわしたまま仲間達を見つめていた。


 そのケイトの行動は、能力者達が省吾を受け入れなかった場合に備えたものだとも、解釈できる。その為、省吾は黙ってされるがままになっているのだ。


 だが、別の意味も読み解いたカーンは、仕方ないと肺の中にあった空気を吐き出し、オーブリーの後押しにまわる。


「奴を帰れない様にして、手伝わざるを得ない状態にも出来るはずだ。なにより、俺は信じてもいいと思えている」


 能力者達の中で、リーダー格にあたるオーブリー、カーン、ケイトがなびいた事で、省吾の受け入れが決定した。


……人間の可能性は、無限大か。イリアに見せてやりたいな。


「凄いな。この建物すべてなのか?」


「そう。この全部が、タイムマシーンなの」


 能力者達の時間移動に使用する建造物は、潜水艦内部どころか日本の田舎に建てた一軒家並の広さがある。


……時間移動に、質量は関係しない? いや、そんな事ないよな。


 オーブリーから、落ち着いた場所に移動しようと提案された省吾は、能力者達全員と通路を歩いていた。その通路は、別室と軍拠点をつなぐ通路と作りは似ているが、何故か足音は全く響かない。


……この金属は、特殊な物か? 俺だけでなく、他の足音もほとんどしないな。ダクトはあそこか。人間の力であけられるか?


 逃げ出すつもりはない省吾だが、移動中も癖で退路を探し、その場で戦闘が発生した場合まで考えている。


「あっ、そこに座って。コーヒーでいいかしら?」


「あっ、ああ。アイスで頼む」


 食堂として使われている部屋へ案内された省吾は、長机にある椅子の一つへ座り、部屋の中をきょろきょろと見回していた。その部屋は、省吾が転送された部屋と同様に全面が青く光を反射する金属で作られており、全く飾り気がなく、机と椅子以外にはなにもない。


……軍拠点の食堂より、殺風景だな。出入りは、扉が二つだけか。


 金属製のコップを人数分、室外からトレイに乗せて運んできたオーブリーともう一人の女性は、それをそれぞれの前に置いた。そして、オーブリーは省吾の正面に座り、自分の隣にいるカーンと、省吾の左隣にいるケイトに目で合図を送る。


「あの、自己紹介から始めますね?」


 ケイトの言葉に省吾がうなずくと、能力者達は端から名乗り始めた。


「で、最後に私がオーブリーね」


 礼儀として省吾が改めて所属と名前を名乗り、オーブリーが口を開く。


「さて、時間は十分あるけど、どう進める?」


……これは、兵長から学んだ、効率的な会議の進め方を実践してみるか。


「申し訳ないが、先に情報開示を頼む。知識水準を可能な限りフラットにしておかないと、話がかみ合わないはずだ。伏せる必要がある部分は、伏せて構わない」


「了解。じゃあ……」


 能力者達との打ち合わせは、まず省吾に必要だと思われる情報説明から始まった。最初にカーンが説明したのは、省吾からすると百年以上未来の話になる、能力者達の居た時代についてだ。


 フランソア達が年齢により引退した後でも、すぐに国連が崩壊したわけではなく、しばらくは平和な時代が続いた。しかし、その平和な時代に、国連の崩壊へとつながる亀裂が、少しずつ入り始めたといえる。


 フランソアのように確固たる信念が無い次世代の政治家達は、惰性的かつ直情的に国連を迷走させてしまう。欲にまみれた黒い世界で、コリントのように全てを投げ出せる潔さの無い資産家や権力者達は、資本主義の悪い部分のみを世界に蔓延させた。誰も逆らえないほどの規模に膨れ上がった軍に所属した者達は、ランドンの馬鹿ともいえるほど真っ白な思想より、力に溺れる事を選んだ。


 その世界での対立構図は、金銭、超能力、権力等を持つ者と持たざる者といった、分かりやすいものだけではなかった。持った者同士の対立や、私怨、私利私欲で動き出す者を含め、様々な思惑が複雑に絡み合い、人間の到達したもっとも平和とされた時代が崩壊したのだ。


 戦争は何も生み出さないと表現した者もいるが、戦争をしていない第三勢力が戦争をしている組織に、戦争で使用する物資を供給して潤う事が多い。しかし、省吾から見て未来にあたる世界では、その第三勢力は別の戦争に物資を供給しつつ、自分達までもが戦争をした。


 結果、軍需関係や超能力の技術等は急速に発展したが、人類の総数自体が急激に減少していったのだ。それも、戦争が長く続いたせいで、平和を育てる苗床となるべき教育が失敗し、偏った思想の指導者を幾人も排出する事となった。


「ルークの持っていたナイフも、その戦争中に技術が確立されたのか……」


「そうよ。他にも液体窒素を刺した場所に注入するナイフや、誘導機能付きの弾丸なんかも作られたわ。まあ、時間への再介入後はその技術どころか、兵器の技術自体がほぼなくなってたけどね」


……これは、聞いておくべきか?


「その……ロボットは、開発されたか?」


 真面目な顔で問いかける省吾に少し不適切な思考があると、返答をするカーンは考えもしなかったようだ。


「いや。アンドロイドやサイボーグも、作られていないな。ただ、失った腕と遜色なく動く義手や、人工臓器は作られた」


「生身の超能力者が、高レベルになったからね。必要なかったんでしょ」


 カーンの説明に補足をしたオーブリーでさえ、腕を組んで眉間にしわを寄せた省吾が、少し気落ちした事を察知できない。


「なるほど、未来は切迫しているわけだな……」


……なんだ? まだ、何かあるのか?


 未来の世界を説明し終えたケイトやオーブリー達の顔に、影が差した事に省吾は気が付いた。


「まだ何か、重要な事があるんだな?」


 隣に座っていたケイトがうなずき、問題の原点となる部分の説明へと話題を移した。


「全ては……たった一つの、歯車から始まったんです」


……歯車? 何かの比喩か?


「オーパーツって、聞いた事ありますか?」


 腕を組んだまま自分を見つめる省吾に、ケイトは質問をする。


「んっ? あの、年代がおかしい出土品のことか? 詳しくはないが、本で読んだことくらいはあるな」


 オーパーツとは、遺跡発掘時等に見つかる出土品の中でも、作られた時代の文明が持っていた技術や知識では製造が不可能とされる物だ。そのオーパーツを見て、失われた超古代文明の存在を主張する者や、大昔に宇宙人が地球に来ていた等の、想像を膨らませた者も少なくない。


「確か、ほとんどはよく調べると製造可能だったり、後の人間が埋めた物と証明されていたりしたはずだが?」


 省吾のその情報を肯定する様にケイトはうなずいたが、話はそこで終了しない。


「でも、本物もあったんです。たった一つだけ……」


 ケイトの言葉を、すぐにオーブリーが補足し始めた。それを見た省吾は、グループ内で交渉や会話は、オーブリーがメインで行っているのだろうとぼんやり考えていた。


「私達も、その最初の事は、伝え聞きなんだけど……。その歯車に、ある種の力を加えると、異世界への門が開くの」


……異世界? 時間跳躍じゃないのか?


 話のつながりが分からない省吾は、首を少しずつ傾けていく。


「あ、異世界といっても、ファンタジー的な事じゃないぞ。四次元空間といった方が伝わりやすいか?」


 カーンに補足されても、省吾の眉間に出来たしわが深くなっていくだけだった。


「あのですね。タイムリープの理論は、そのオーパーツが見つかる前から、完成されていました。ですが、それを実証するための莫大な力も、装置も人類には開発できなかったんです」


 時間跳躍について深く考えた事もない省吾は、ケイトの言葉を黙って聞くことしか出来ない。


「何よりも、パラドックスの問題で、過去は変えられないとされていました。この意味は分かりますか?」


「いや……すまない。もう少し詳しく、頼めるか?」


 ケイトに目で合図をしたオーブリーは、ポケットからメモ帳とボールペンを取り出し、何かを書き始める。


「あの、絵を描きますので、それを使って説明しますね」


 その説明しようとしている内容は、省吾でも理解できるように、理論や方式を省いて簡略化されているものだ。


「これは、凄く大雑把な説明だけど、分かってね」


 オーブリーは、パラドックスの流れを書いたメモを、省吾に見せる。省吾が見せられたメモには、AとBという二人の人物が仮定されていた。


 メモの内容とは、事故で死んでしまったBを救う為に、Aが過去へと向かい事故を処理してしまうと、Bの事故を防ぎに行くAがいなくなり、時間軸が元に戻ってしまうというものだった。


「これが、一番簡単な説明よ。このBが助けられた後に、未来のAに助けに行ってほしいと願うなどの方法も、結局無理になると理論により証明されたの」


……うん? おかしくないか?


「これだと、結局何をしても、過去は変えられないという事じゃないのか? なら、今のこの状況はなんだ?」


 待っていたかのように、ケイトやオーブリーよりも先にカーンが口を開く。


「その部分を、変えたのが異次元の存在だ。異次元にいく事で、今の俺達のように、時間の流れに左右されない存在を一時的に作り出せるわけだ」


「異次元にいる人間は、そこで記憶も存在も一時固定されるからなのよ。だから、私達は過去に介入できるの」


 説明された事を理解できた省吾の頭が、やっと正常に回転を再開した。その事により、省吾は勘と知識である答えにたどり着く。


……ここが、特別な場所? もしかして。


「ここはもう、その異次元なのか?」


 ケイト達が無言でうなずくのを見て省吾は目を閉じ、なんとか自分の早まった鼓動を落ち着かせようとしていた。


 だが、省吾の直感は、警戒のアラームを発信し続けており、それを許さない。

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