七
国連の本部があるヨーロッパは、時差の関係でまだ深夜だ。にもかかわらず、フランソア達トップ三人を含め、多くの人間が活動を停止していない。それは、既に日が昇っている日本で、省吾達が行っている作戦が国連の未来を左右する程重要な為だ。
フランソア、コリント、ランドンは、重要な判断を迫られた際、すぐに話し合いによる結論を出す為、同じ部屋にいる。三人が別々の仕事をこなせるように作り変えられた会議室に、電話のコール音が響いた。
「はい。ええ、そうよ。ええ、ええ、分かりました」
電話の受話器を取ったフランソアは、省吾達が作戦を第四段階へと移行した報告を受けた。フランソアは自分を見つめる二人に、報告された内容を伝える。
「第四段階へトラブルなく移行したそうよ。町の被害は、想定していた半分以下。怪我人もなし」
報告を聞いたコリントが、大きく息を吐いてネクタイを緩めた。
「ふぅぅ……。取り敢えずは、順調ってところか。流石、坊主だ。今度こそ、ご褒美を受け取らせないとな」
ランドンはコリントと違い、表情を緩めないどころか眉間のしわを今まで以上に強く刻み、腕を組んだ。
「我等は、待つ事しか出来ないが……。最大の山場を迎えたようだな」
フランソアはランドンの言葉にうなずき、腕を組んで背もたれに上半身の体重を預けた。天井を見つめるフランソアは、両手が微かに震えており、それを二人に気取られない様に腕を組んだようだ。
フランソアが強くなければいけなかった理由を知っている付き合いの長いコリントとランドンは、その事に気付きながらも指摘はしない。
「エースを……。あの子を信じましょう。あの子は、誰よりも強い子だもの」
心を通わせた友人兼同士である女性の言葉にうなずいた男性二人は、そこで喉の渇きを感じた。三人がいる部屋は、三人が体調を崩さない様に暖房がよくきいているが、そのせいで少し空気が乾燥しているのだ。
「俺だ。悪いが、コーヒーを……」
内線としても使用できる電話の受話器を持ち上げたコリントは、短縮ボタンを押して秘書官や補佐官達のいる部屋へと連絡を入れた。
「私は水がいいわ」
「こっちは、コーラを頼む」
コーヒーを三つ頼もうとしたコリントは、抜かりの無い二人からの要求に仕方ないと表情だけで返事をした。
「ああ、コーヒー一つと、水とコーラも一つずつだ。ん? ああ、アイスでいい。急いでくれよ」
他の二人よりも体脂肪が多いコリントは、フランソアにあわせて適温が保たれている部屋を、暑いと感じていた。その為、コーヒーをアイスで持ってくるように、秘書官へと指示を出したのだ。
「坊主……。信じてるぞ……」
アイスコーヒーを頼んだ事で、ある男性の事を思い出したコリントは、受話器を置いて呟いた。そのコリントの言葉が耳に入ったフランソアとランドンも、同じように大切な人物へと思いを巡らせる。
「はい。では、失礼します」
フランソアへ作戦の移行を報告した日本特区司令官は、受話器を置くと急いでローガンへと視線を戻した。司令官やローガンがいるのは特区司令本部の作戦司令室であり、様々な計器、通信機器や特区の地図を映した大型モニターが並んでいる。
「そうだ。高度を維持しろ。指示があるまで近づくなよ」
省吾が作戦を立案した段階から会議に出席し、作戦内容を熟知しているローガンが戦闘機の部隊へと指示を出している。敵能力者達に戦闘機が近づきすぎると、相手の能力で奪われてしまう可能性がある為、パイロット達に近付きすぎない様にローガンが注意を促しているのだ。
「誘導信号は……現在、五十七番から七十二番までです」
監視衛星からの画像と、林道に事前設置したミサイルの誘導信号発信機からの信号を照らし合わせたオペレーターの兵士が、ローガンへと報告した。
「よし。だが、ターゲットロックはまださせるな。信号を間違えない様に、確認を続けろ。エースの位置も見失うなよ」
ローガンから指示を受けたオペレーター達は、うなずいてモニターに視線を戻すと、計器の数字を再度照らし合わせる。
敵を追い込んだ林道には、数日前から兵士達がミサイル誘導用の信号発信装置を大量に仕込んでおり、誤爆等の人的ミスが発生し難くなっていた。発信機等をわざと敵に近付け、機械的な信号に関しては敵が注意を払っていないと調査を済ませているミスターが提案した方法だ。
省吾達国連からすると、敵の目的も背後にいるかもしれない組織の事も無視できず、交渉による情報収集が第一目的でミサイルによる敵殲滅は最終手段でしかない。その為、現在山の上空を旋回している戦闘機は、敵能力者にミサイルを見せつけるパフォーマンス的な意味が大きい。
もし、戦闘機を敵の能力により奪われたとしても、本部から直接対地ミサイルを発射する準備も済ませている。
「指揮は任せていいな?」
「ああ」
ローガンの許可を得た司令官は、省吾が背負っている通信機からの音声が聞けるヘッドフォンをかぶった。
「うっ! ボリュームを下げてくれ」
「はっ!」
ヘッドフォンから聞こえた銃声で顔をしかめた司令官は、部下に音量の調整を依頼し、反射的に外したヘッドフォンをもう一度かぶる。司令官が聞いたのは、省吾による再度の威嚇射撃を通信機が拾った音だ。
「動くな!」
他の能力者と違い、金色の美しい髪を持った女性は省吾への歩みを止めなかった。相手に動いてほしくない省吾は、弾丸を女性の顔から数センチ離れた位置を通過するように放ったのだ。
相手の女性は弾丸ではなく、省吾の強い言葉で肩をびくりと反応させ、銃を構えたままだが歩みを止めた。
「くそっ! 卑怯だぞ!」
「そうだ! 正々堂々と勝負しろ! そんな事も出来ないのか! この! クズ野郎がっ!」
敵の何人かは金髪の女性と違い、省吾の言葉で殺気立ち、体を淡く発光させている。
……なんだ? ここまで来て、状況が理解できないのか?
驚くほど不利な状況でも上からの態度を止めない敵に、省吾は目を細め、対応方法を頭の中で選択する。
……まさか、こんな嫌な部分まで、ミスターの予想通りとはな。仕方ない。
「いいか。よく聞け。お前達が国連をどう思っているかは知らないが、俺達は交渉を望んでいる」
省吾が選んだのは相手に正確な状況を認識させ、国連が望んだ交渉の段階へ進む事だ。敵の能力者達が、自分達のように素早く状況を判断できないだろう事は、敵を素人と見たミスターが予想していた。
状況を逸早く分からせるために、戦闘機を見える位置に旋回させているのだが、省吾が期待した程の効果はなかったようだ。
「ふっざけんなよぉ! 何が交渉だ! 何も理解してない、馬鹿共が!」
「そうよ! あんた達は、間違ってるのよ! 私達が正しいの! 分かりなさいよ! 馬鹿!」
……パフォーマンスで、誘導弾を使う訳にはいかないしな。少し間は抜けてしまうが、説明をするか。
「こちらは、お前達がこの先にある山の中へ入らないと、テレポート出来ない事を知っている」
テレポート出来る場所まで知られているとは思ってもいなかった敵は、分かりやすく動揺を顔に出した。もしかすると、敵は今すぐテレポートで逃げられるというはったりも、使うつもりだったのかもしれない。
「戦闘機に積んだミサイルと本部にあるものを合わせれば、数分でこの林道を更地に変える事も可能だ。地図を書き換えなければいけないレベルでだ。この意味は分かるな?」
自分達を殺せるといった省吾に、敵能力者達は歯を剥きだすほど怒りの表情を向けた。
「今、俺達の状況も、本部でモニターしている。お前達が、下手な事をすれば終わりだと思え」
銃口を尚も向けている省吾の交渉が、強制であると理解出来たらしい敵の幾人かが、目を閉じてしゃがみ込んだ。しゃがみ込んでいない他の者達も、悔しそうに天を仰ぐ者や、怒りからか拳を発光させずに強く握りしめている者がいた。
……やっと交渉の土台が出来たな。さて、ここからだ。
その中で一番冷静さを保っているのは、乗り物を遠隔操作する能力者である黒髪の女性だけだ。その女性は両手を上げて降参を体で表現する。そして、まだ省吾に向けて銃を構えたままだった金色の髪を持った女性の隣にまで歩み出た。
「貴方の勝ちね。ガンマスター」
……こいつが、リーダーか?
両手を上げている黒髪の女性を見た省吾は、その女性の瞳に何かの思惑を感じ、自分の中で警戒を少しだけ引き上げた。その女性が相手にはっきりと負けを伝えたにも関わらず、何かを考えているとすれば、油断させて逆転等、省吾にとってプラスの事ではないはずだからだ。
「か弱い女性に銃を向けるの? 案外、小さい男なのね」
女性からの挑発に、省吾がのるはずもなく、交渉のペースを相手主導にさせない為にもすぐさま反論する。
「お前達の力は、知っている。俺一人では……いや、一対一でも敵わないだろう。だから、この拳銃程度では意味がないとしても、俺は銃を手放さない」
話に全く乗ってこない省吾を見て、黒髪の女性は鼻から息を吐きつつ、目を細めていく。勿論、その女性の視線は、省吾に好意的なものでは無い。
「油断はしないって事? 手は下してもいいかしら? ガンマスター?」
女性の煽るような言葉に全く動揺しない省吾は、冷静な返事を返した。
「お前は信用できない。そのままでいて貰おう」
片方の眉をぴくりと上げた黒髪の女性は、息を吐き出しながら首を左右に振り、省吾の指示に従う。
他の感情的な者達と違い、交渉出来ると考えた省吾は、その女性へ意識の大部分を集中していた。そのせいで、金色の髪を風になびかせている女性が、涙を流し始めている事に注意を注げない。
「まず、お前達の目的を……」
「エーの馬鹿ぁ! 何も知らないくせにぃ!」
戦闘機の飛行音だけが聞こえていた林道に、銃声が鳴り響いた。
「きゃあぁ!」
……甘い。
金髪の女性が放った弾丸を、難なく躱した省吾はトリガーを引き、女性が持っていた拳銃を弾き落とす。能力者である金色の髪を持った女性は、動揺からか避けられるはずの弾丸を、避けることが出来なかった。
「これが、最後の警告だと考えろ」
銃を弾かれた時に痛めた右手を押さえて、金髪の女性は座り込んだ。その女性の隣に、両手を上げていた黒髪の女性が座り、手の怪我を確認する。
「大丈夫? うん。怪我は軽いわね」
握っていた手を数回優しく撫でた黒髪の女性が、立ち上がりながら省吾を睨む。
「ちょっとぉ! 女の肌に傷が残ったら、どうしてくれるのよ! 少しは考えなさいよ!」
「俺の目的は交渉だ。だから、眉間を撃ち抜かなかった」
怒りの感情をぶつけてきた女性に、省吾は殺気のこもった視線を返し、自分が本気であると分からせる。
「私が……私が馬鹿だったんです……」
その省吾の持つ戦場で鍛えた殺気に、黒髪の女性ではなく金色の髪を持つ女性が反応した。
「貴方が、私達の障害になるって分かってた。でも……でも……私は、貴方が……」
……なんだ? 何がいいたい?
涙をこぼしながら手を押さえて立ち上がった金髪の女性が、何をいいたい事が分からず、省吾の眉間にしわが出来ている。
「私達は、大事な使命を持って……未来から来ました!」
金色の髪を持った女性の言葉に、黒髪の女性だけでなく仲間達が焦り始めた。
「ちょっ!」
省吾だけでなく、通信機を通して話を聞いていた司令官も、固まってしまう。
……流石にこれは想定外だ。イリアにでも指示を仰ぐか?
金髪の女性が嘘をついていないと直感で答えを出した省吾は、未来人相手に交渉人として自分が不十分ではないかと感じて顔を歪める。
「未来は、悲惨な状況にあります! それを変える為に、私達は来たんです!」
黒髪の女性は仲間の発言を止めようとしていたが、もうどうしようもないと思えたのか呆れた顔を作り、省吾に視線を戻した。
「過去の改ざんは、繊細な仕事です。今、こうして貴方に事実を伝えるだけでも、私達のいた世界は変わってしまったかもしれません」
困惑で顔を歪めたままの省吾は、涙ながらに訴えてくる女性に、どう返事をしていいかすら思いつかない。
「本当は、貴方をどうにかしなければ……いけませんでした……。仲間は……貴方を殺すべきだとも……」
……支離滅裂だな。全く分からん。
「何故、そうしなかった? お前達なら、出来たはずだ」
俯いて何度も涙を袖で拭う女性に、省吾は真っ直ぐな質問を投げつけた。その言葉が、女性の心に悪い意味で突き刺さるとは、考えてもいないようだ。
「貴方は……貴方は覚えていないでしょうけど! 私は……私は……」
省吾に怒りのこもった視線を向けた後、金髪の女性は涙の量をさらに増やし、悲しそうに表情を歪めた。
……覚えていないか。なるほどな。
任務中の省吾は、心を平静に保ち、私語は極力避ける。だが、人間としての感情が完全に死んでいる訳ではなく、涙を流している女性を見て無視したいなどとは考えない。
……金色の方が、自然だな。あれは、染髪だったのか?
「髪は……染めていたんですか? シスター?」
省吾の吐き出した言葉の意味が分からない、ケイト以外の能力者達は疑問を感じて眉をひそめた。だが、ケイトだけが大きな目をいっぱいに開き、ぱくぱくと口を何度も開いては閉じている。
「な……なん……で?」
「どうしたの? シスターって……あいつは、何をいってるの?」
二人にしか分からない状況を理解しようとしている黒髪の女性は、ケイトの肩に手を置き質問をしていた。
……俺も聞きたい所だが、今は任務だ。
「なんで、覚えてるのよ……」
ケイトの呟きを聞いた黒髪の女性は、覚えているという言葉で何かを理解したらしく、鋭くした目を省吾に向けた。
「貴方……貴方は! ノアの構成員だったね!」
「いえ、違います」
とても重要な事を叫ばれたらしい省吾だったが、意味が全く分からず、反射的に兵士としてではなく素の返答を行ってしまう。
……ノア? なんだそれは? 聖書のあれか? いや、構成員っていったしな。
「本当の事をいいなさい!」
黒髪の女性だけでなく、他の者も体を発光させて構えたのを見て、省吾はノアの意味を考える事を後回しにした。そして、交渉を行う為には、その何かよく分からない組織の構成員ではないと、言い切るしかないと考えを纏める。
「俺は……国連軍、特務部隊所属。戸籍上の名称は、井上省吾! 階級は中尉だ! それ以上でも、それ以下でもない!」
敵の能力者達も、一般人よりは勘が優れているらしく、省吾の言葉に嘘が無いと感じ取ったようだ。その為、余計に混乱し、首を傾げながら仲間達と顔を見合わせている。
「名前……分かったのですか?」
ケイトは自分と省吾にしか分からない質問を、涙を拭いながら投げかけた。
……これは、返事をするべきか? 焦ってはいけないが、交渉に移るためだ。致し方ない。
名前に全く執着が無い省吾は、いつもの様にストレートな言葉で返事をする。
「本名は、不明のままです。任務に必要だったので、登録しましたが……。いや、まあ、今の俺の本名ですかね。ただ、こだわりはないので、エーでもエースでも好きに呼んでください」
銃を構えはしているが、以前と全く変わらない省吾を見て、ケイトは駄目だと思いながらも笑顔を作ってしまう。それを見ていた黒髪の女性は、腕を組んで省吾に目を向けた。
「私の名前は、オーブリーよ。この子との会話を聞いた限りだと、貴方は多少話が出来るのかしら? ガンマスター?」
オーブリーの目から、敵意が緩んだ事を確認した省吾は、交渉の準備が敵にも整ったと判断した。そして、拳銃の安全装置を作動させると、腕を曲げて銃口を敵能力者達から逸らした。
「こちらの第一目的は、交渉だ」
「いいわ。命を盾に取られてるんだし……。交渉に乗ってあげようじゃない。ただ、その前に……」
ケイトとアイコンタクトを交わしたオーブリーは、省吾に問いかけた。
「この子の能力は、精神干渉。それも、レベルはフォースよ」
山中でケイトの能力を受けた事のある省吾は、うなずいて見せる。
「だから、他人の記憶も部分的になら消す事が可能なの」
……なるほどな。あの時も、未来改ざんの為に行動していたのか? となると、住民から記憶を奪ったのは、未来を思い通りに変化させるためか。なるほど。これは、洒落にならないな。
シスターとしてのケイトの消えた理由が、大よそ理解できた省吾は、もう一度首を縦に振って見せた。
「何故、貴方だけ記憶が残ってるの?」
「俺が聞きたい」
オーブリーは、省吾が嘘をいっているようには感じなかったらしく、視線をケイトに戻すが、ケイトは首を素早く左右に振る。
「いくら……あの……あれだとしても……。私は、手を抜いてません。能力は使いました」
オーブリーやケイト達にとって、省吾の記憶が消えていない事はかなり重要な問題らしく、仲間達で視線を交わす。
……テレパシーを、使っているか?
超能力者同士のアイコンタクトを見て、なんらかの相談をしているのだろうと、省吾には分かっていた。本来、交渉を開始したい省吾は、その行動を止めさせ、交渉を始めようと提案するべきなのかもしれない。
だが、省吾はその意思をすぐには口には出さず、熱が出てもおかしくない程、頭を回転させていた。省吾自体にも考える時間が必要であり、顔に焦りは出していないが、内心は穏やかではない。
……未来から来たか。どうする? どうすればいい?
省吾とマードックは、敵が未来予知の能力を持っているのではないかと予想をしていた為、未来を変える為だといったケイトの発言は想定内だった。しかし、時間を移動できる技術や能力が敵側で確立できるとは考えておらず、未来人と直接交渉する事になるとは考えてもいなかったのだ。
……この交渉方法は、失敗だったか? どうするべきだ?
未来予知の能力は、完璧ではなければ予知夢を見る能力者などを含め、セカンドレベルで国連側にも存在している。だが、未来を予知出来る能力者達を活かす方法は、現在の国連側では少ない。その原因は、その者達の的中率が低いというのもあるが、見える情報がランダムでいつの未来を予想したのか全く分からないのだ。
また、その能力者達は数年以内に自分が朝食でパンを食べるらしい等といった、利用方法すらない情報を見る事も多く、利用したくても出来ないといった方が正しいのかもしれない。その未来視がどれほど重要な能力かは、省吾達にも十分に理解できており、利用方法が無くとも予知能力者達は国連内で優遇を受けている。
もし、敵がその能力を自由に扱えるのならば、場合によっては国連側に引き込みたいと省吾達は考えていた。そして、未来を良い方向へ導けるのであれば、逆に国連側が敵の考えに賛同してもいいというカードさえ用意していたのだ。
それは、人を殺さなくてもいいように世界最大の力を持った国連が協力すれば、敵と分かりあえるだろうと結論を出したフランソアが作った切り札としてのカードだった。
だが、それは未来予知の能力者達に対しての交渉用カードであり、未来人が相手では状況が変わる。相手が未来人だった場合、未来人達は下手な事が出来ないだろう事は省吾にも予想出来る。
過去の世界を未来人が間違って変化させれば、自分達の世界どころか、自分達自身が消え去ってしまう可能性も持っている。未来人達は、先祖を殺すどころか、親や祖父母の婚姻や出会いを邪魔するだけで、存在が消えるはずだからだ。
敵が間接的な行動を続けた理由まで大よそ推測できた省吾は、交渉用に用意していたカードがあまり役に立たないと考え、焦り始めているのだ。
……情報の開示を要求して、応じてくれるか?
敵能力者達の命を人質にとっても、喋るだけで自分達が消えてしまうならば、人質としての効果はないだろう。歴史の改ざん等について知識がない省吾は、そのように考えていた。その事だけでも、省吾が交渉人になったのは失敗といえるだろう。
その場の交渉人として国連側で適しているのは、海千山千の敵をかく乱できる交渉術をもったミスターであり、情報をもっとも早く処理できる頭を持ったマードックだ。敵の前に出られるのがその二人ではなく、個人の戦闘力が特出している省吾だったのは、国連にとって不運だったのかもしれない。
だが、それすらも運命の一部であり、決まりごとのように歯車はその連動した回転を止めはしない。
「ちっ……。俺が行くべきだったか?」
省吾の持つ通信機からの情報を、司令官と同様に聞いているミスターは、舌打ちをして不満を表現した。交渉はその場の空気を読みことも重要であり、省吾にインカムを通して指示できるとはいえ、ミスターも正しい指示を導き出せないでいる。
ミスターと同様にヘッドセットをつけて本部の情報処理室にいるマードックも、省吾に持たせたカードが不十分だと感じ、掌に汗を滲ませていた。
「エース。焦っちゃ駄目。交渉はタイミングよ」
考えが纏まらず、待ちに回ってしまった省吾達に、オーブリーが目線を戻した。省吾達とは違い、敵は意見を纏めてしまったようだ。
「ガンマスター。こちらは、すぐにでも未来に帰りたいの。大人しく帰してくれないかしら」
「ノーだ。ノーと答えろ」
国連側が掴んだ、最後かもしれない絶好の機会を捨てろといった敵に、ミスターが誰よりも早く反応した。そのミスターと同じ考えを、少しだけ遅れて出した省吾も、急いで意思を伝えた。
「それは駄目だ」
省吾の返答を予想通りといった顔で聞いたオーブリーは、息を大きく吸い込んだ。
「頭の足りないガンマスターも! その奥で話を聞いているだろう馬鹿も! よく聞きなさい! 私達は、喋りたくても喋れないのよ! それぐらい、理解しなさい!」
省吾の背負う通信機を通して話を聞いていた全員が、オーブリーの威圧的な言葉に不快感を覚えて眉間にしわを寄せた。
「今すぐに、私達を開放しなさいよ! 帰ってあげるって、いってるんだから!」
オーブリー以上に威圧的な言葉を、黒い肌を持った女性が叫んだ。
「それは、出来ない。お前達が、今帰ったとしても、また来ないとは言い切れない。俺達は、人々を守らなければいけない。だから、この場を作ったんだ」
殺気を可能な限り抑えながらもオーブリー達を睨みつけた省吾は、理由を述べて要求を断った。
「この……馬鹿共が! だから、お前達は馬鹿なんだ!」
「そうだ! 俺達は、正しい事をしているんだ! 何も分かってないお前達は、黙ってみていればいいんだ!」
敵能力者達は交渉しようという答えを出していないらしく、女性二人に続いて他の者達も強気の要求を口に出している。
……正しい事?
色々な経験が浅い敵能力者達は、徐々に省吾の眼光が鋭くなっていく事に、気が付けない。
「やれやれ……。この際だ! はっきりいってやる! お前達の正しいと思っている事は、全部間違いなんだよ!」
「そう……俺達が正義なんだ! 分かったか!」
……正義だと?
「うっ……」
理由の説明できない敵能力者達は、言葉の勢いと圧力だけで、交渉を一方的に打ち切ろうと狙っていた。だが、省吾の怒りと殺気をこめた恐ろしさしか感じない眼光で、言葉を詰まらせ、冷たい汗を滲ませる。
「人を殺して、正義を口にするのか。お前達は」
眼光だけでなく、省吾の低く怒りのこもった声に、敵が思わず後退っていく。
「ちょっと! エース落ち着いて!」
「こっちが感情的になってどうするんだ! 馬鹿が!」
マードックとミスターの声は、通信機を通して省吾の耳に届いている。だが、二人のその言葉でも省吾はすぐには止まらない。省吾が思い出しているのは正義の旗を掲げ、人々を不幸のどん底へと落としていった武装勢力の指導者達だ。
正義の対義語を悪ではなく別の正義という者がいるが、それは正しいといえるだろう。ある者が自分の信じる正義を行使する為に、別の正義に戦争を仕掛ければ、お互いが悪であり正義なのだ。
戦争を経験した兵士である省吾は、その正義を全て間違いだとは思っていないが、弱い者を踏みつけながら掲げられた正義の旗を認めはしない。故に、戦わなければいけなかった辛い現実の中で、自分達が戦犯として裁かれる覚悟を持ち、正義を掲げずに平和だけを純粋に追い求めたフランソア達グループに身を置いたのだ。
怒りを敵に見せた省吾は、怯んでいる敵能力者達に問いかける。
「正義というなら……。何故お前達は、人を殺す道を選んだ?」
省吾の言葉に、敵能力者がわなわなと体を震わせ始めた。
「殺してない! 私達は、殺してないの! あれは、事故なのよ! そう……事故よ……。私達は悪くない……間違ってない」
「何も知らないくせに、勝手な事をいうな!」
省吾の発した殺しという言葉は、想像以上に敵能力者達を動揺させる。
「エース! 聞きなさいったら!」
「いや。これでいい」
ミスターは、マードックが止めようとした省吾の言葉を、肯定した。
「えっ? でも……」
交渉術として相手を動揺させる事は間違いではなく、優位に立っている今ならば有効だとミスターは考えている。
「もう、吐いた言葉はどうしようもない。それなら、もっと揺さぶれ。相手がぼろをだすまでな」
ミスターからの指示を聞く前から次の言葉を考えていた省吾は、後押しされると同時にその言葉を口に出した。
「お前達には、殺さない方法が選べたんじゃないのか? 何故、そうしなかったんだ」
省吾の言葉で、一番冷静だったオーブリーさえ、顔を歪め始める。それだけ、指摘されたくない部分だったのだろう。
「お前にいわれたくねぇぇんだよ! くそ野郎が! お前こそ金で人を殺す兵士だろうが!」
「こっちの気も知らないで! お前達に、何が分かるっていうんだ! ふざけんなよ!」
怒りの炎を燃やしつつ、頭の中を冷たい思考で回し始めた省吾は、敵のその動揺を見て自分が図星を突いたのだと考えた。
「人を殺す覚悟もないなら、他の方法を模索しろ。そうすれば、こちらも力が貸せる可能性がある」
通信で会話を聞いているミスターは、省吾にしてはましな誘導だと考え、目を閉じてうなずいた。
だが、ノートに情報を書き込んでいたマードックは手を止め、頭を乱暴に掻きむしっている。マードックだけがパラドックスという言葉を思いだし、現在の矛盾に気が付いているようだ。
「何? これは? どうなってるの?」
省吾の作戦は、マードックも成功する確率は高いと考えていた。それは、敵の能力が未来予知だと思い込んでいたからだ。
敵が優れていたとしても、未来予知の能力では全てを見通す事が出来ないと、マードックと省吾は仮定して作戦を立てていた。それを証明するかのように、敵は省吾達の動きに気付けず、罠にはまった。
「そう……これなら、予知をコントロールできたとしても、見たいと思わなければ未来は見えない。だから、気付けない可能性が高い。この仮説は間違えてない。でも……」
予知能力者ではなく未来人を相手にした場合、省吾達に取り囲まれる部分までが過去として残るはずであり、敵には回避が出来るはずなのだ。
また、歴史に必要な事として敢えて取り囲ませたなら、敵が動揺するはずもなく、現状にはなりえない。敵が全てを分かっていて芝居をしている可能性もあるが、インカム越しに聞く敵の声からは超能力者でないマードックでも分かるほどの動揺が感じられた。
「未来が変わり始めているの? いえ、それもおかしい。過去に来ている人間が、過去からの影響を受けていない? 何故? 何? これは?」
自分の動揺を伝えたくないマードックは、インカムのマイクをオフにした。そして、現場からの情報には耳を傾けつつも、ぶつぶつと独り言を呟いて答えを探す。
しかし、決定的な情報が不足していては、天才であるマードックでも答えにたどり着くのは容易ではない。そして、例え正解を含む答えにたどり着いても、それを実証する術はない。
「敵なら殺す覚悟もある。でも、今は罪のない人を……。そんな事はね……。私達も分かってるのよ……。でもね……」
省吾の発した言葉で顔をしかめて黙っていたオーブリーが、震える腕を組んで閉じていた目蓋を開いた。
「仕方なかったんです! 私達だって、好きでこんな事していません! でも、どうしようもなかったんです!」
言葉を詰まらせ気味だったオーブリーではなく、再び涙を流し始めたケイトが省吾に訴えかけた。
「私達だって……。嫌で嫌で……。でも! もう、こうするしか他になかったんです!」
ケイトの言葉に、省吾の瞳に灯っていた炎が揺らぐ。それほど、ケイトの言葉には悲しみなどの様々な想いがこもっているのだ。
……どうすればいい?
敵能力者達から情報が得られない省吾は、判断が出来ずに顔をしかめるしかない。
……これ以上、犠牲者を出させてはいけない。だが。くそ。どうする?
怒りと反比例して冷たくなった思考で状況を整理した省吾は、次の一手を思いつけずにいる。
ケイト達が情報を国連に教えられない部分は、ケイト達の命に関わる可能性もあるので、ミサイルで優位に立った現状でも問い詰めるのは難しい。国連側が折れ、ケイト達の言い分を相手からの説明なく信じ、人を殺さないようにする為に協力するのが省吾の持つ最終手段だった。
だが、その申し出も涙ながらにケイトから受けられないといわれてしまった以上、国連側ではどうする事も出来ない。勿論、国連側が事故だったとしても人が死ぬ切っ掛けを作るケイト達を、見て見ぬふりをする事も出来ない。
この状況下で、省吾が選ばなければいけないのは、未来から見て間違いだったとしても、人々の命を脅かす敵能力者達の殲滅になる。インカム越しに状況を聞いているミスターも同じ考えにいたり、兵士としては正しいが、人としては冷酷ともいえる判断を省吾に伝えた。
「もう、どうしようもねぇぞ。ここまで来たら、揺さぶれるだけ揺さぶって、情報を聞き出してから消えてもらう以外にない」
……他に手はないのか? もう、駄目なのか? くそっ。
敵の全容が見えず、目的さえ未来を良い方向に変えるというはっきりとしない情報しかないのだから、省吾でなくても判断できない者は少なくないだろう。
最低限、情報を得るか敵との不戦を取り付けるまで、この交渉は成功したといえない。情報を得ずに、敵を殲滅するのは、国連にとって最後の手段ではなく、最低の手段なのだ。それでも、省吾は選択しなければいけない状態まで、追い込まれていた。
時間的にリミットがあるとは考えていない省吾は、焦らないようにと自分に言い聞かせながら、何度も別の方法を頭の中で模索する。
「ふぅ……」
今まで黙っていた、日本特区司令官は息を吐き出し、その重い口を開いた。
「状況は、大よそ聞いていた。中尉の知り合いがいるのも分かった。だが、目の前にいる者達以外にも、敵が来る可能性がある。敢えて命令はしないが、決断が必要だとはいっておく」
……くそっ! これしかないのか?
表情には出していないが、省吾は動揺しており、敵から意識が逸れてしまう。そして、省吾は敵の目が怪しく輝いた事を見逃した。