六
日本には古来より、数えるのも面倒になるほどの神が存在する。それは、昔の日本人が、人間では計り知れない自然現象や偶然を、個別で存在する神の御業だと考えたからだ。
他の国でも神とされる事の多い太陽や月だけでなく、病気や幸運、果ては食器やトイレにまで昔の日本人は別々の神がいると考えた。元々人間では計り知れない事を、神の御業と呼んでいたのだから、人間がその答えを探しても見つけられないのかもしれない。
実際に、人間やそれ以外の生物を大混乱に陥れた隕石による大災害後でも、日本の四季は災害前と変わらず移り変わっている。人間にとって大問題だった天災も、地球と人間に名付けられた神には、些細な出来事だったのだろう。
便宜上、日本人が冬の終わりと定義した二月末日の学園は、一月以上に冷え込む日も多く、まだ春の予兆すらない。
PSI学園、高等部セカンドクラス一年の教室では、登校を終えた生徒達が朝のホームルームを迎えるまでの時間を、それぞれのグループで談笑する事で潰している。思い出したくもないであろう、人生の汚点を残してしまった彰は、一ヶ月の時間をかけて周囲からの信頼を少しずつ回復させていた。
一時は激しい怒りに飲み込まれた彰であったが、所詮はただの高校生であり、悪人になりきる勇気など持っていない。省吾を殴り倒したいとは考えたようだが、それをしてしまっては本当に自分の学生生活が終わると彰にも分かっており、離れて行きそうだった友人達を繋ぎとめる事に尽力した。
クラスメイトからの陰口や冷たい態度に一週間耐え抜いた彰は、皆の頭が冷えた所で個別に喋りかけ、言い訳をしたのだ。その言い訳の内容は、下級生から省吾が暴力を振るっていると聞き止めたかったや、日時は嘘だったが、実際に省吾が暴力をふるっていたのを過去に注意した等だった。
省吾への信頼がクラスメイトにない為、その言い訳を信じた者が幾人かおり、そのグループに彰は混ぜてもらえたのだ。そして、彰が悪い奴ではないと思っていたケビンや、人間誰しも過ちを犯すと考えて許した者達が、彰に喋りかけるようになった。
そうなれば、元々クラスの中心だった彰は、自分の居場所を確立することが容易い。今も友人達と週刊雑誌の内容について喋っている彰に、以前ほどの発言力はなくなっているが、元の地位に戻りつつはある。
勿論、省吾の事を知っている綾香や、嘘を男性よりも勘付きやすい女子生徒からは、依然として距離を置かれたままだ。だが、クラス内での恋愛さえ望まなければ、彰の幸せな学生生活にはなんの問題もないだろう。
省吾と喋ることが出来ず落ち込み気味だったイザベラも、その苦痛を時間により克服し、友人達と笑いながら喋っている。暖房のきいたその教室では、本当にいつもと変わらない日常が営まれていた。
友達と喋らず、空を見て考え事をしているのは、綾香だけだ。
「おっ?」
「あれ? 武田?」
チャイムの音が鳴り響いた教室に入ってきたのは、担任の堀井ではなく、数学を担当している武田教諭だった。その為、教室内にいる生徒達は武田教諭を不思議そうに見つめ、理由説明を待っている。生徒達からの挨拶を聞く武田教諭は、出席簿を開きながら頭を回転させる。
「はい。おはよう。ええぇ……堀井先生は、インフルエンザだ」
自分が教室に来た理由が、一番生徒達に伝わりやすいであろう言葉を、武田教諭は頭の中から選び出した。そしてそのまま、他の生徒や教師にインフルエンザをうつさない為に、堀井が学校を一週間程度休むと告げる。
「後、リベラ先生と……この教室だと、井上もそうだな。他に……」
イザベラは省吾がインフルエンザにかかったと聞いて心配から眉を歪めるが、本当の事情を知っている綾香の表情に変化はない。
「インフルエンザの怖さは、お前達も知っているな? 命に関わる事はそうそうないが、熱っぽかったらすぐにいえ。なんせ、うつるからな」
生徒達はニュースなどで、新型のインフルエンザが流行しているとの情報を知っており、武田教諭の説明に疑問を持たない。実際に、省吾や堀井以外にもインフルエンザで休んでいる生徒もおり、疑う余地すらないのだろう。
「へへっ……」
省吾の机を見て、少しだけ笑った彰が視界の端に移った綾香は、顔をしかめた。そして、何もいわずに、武田教諭に向けていた目線を、もう一度窓へと戻す。
綾香の見つめる朝の空は、冷たく澄みきっており、太陽の眩しく感じる光を彼女の瞳に届けていた。その瞳に不安の色が見え隠れするのは、その日省吾達が下準備を整えた作戦が、ついに実行される事になっているからだ。
特務部隊の預かりになってはいるが、綾香とジェーンは正式な兵士ではない為、その作戦に加わる事は出来ない。
既に実行され始めたその作戦は、国連にとって重大な作戦ではあるが、人が紡いだ歴史の中では些細な事だ。その為か、大きな唸り声をあげて回転していた運命の歯車が、また一つ噛み合った事に誰も気が付けない。
日本特区の団地に、帽子をかぶりマスクをつけた人物がいた。その者は男女兼用の服で厚着をしている為、外見から男女の区別はつけ難い。だが、身長があまり高くはない事と、見えている目元に化粧がされている事から、女性ではないかと推測できる。
その女性が、風邪をひきやすい季節にマスクをつけていても、違和感を覚える者はいないようだ。彼女がいるのは、ごく普通の団地住宅地域であり、出勤の波が終わった事で出歩いている人間は少なかった。
女性が団地で行った事は、朝のあわただしい時間に一階のベランダに置いてある、プランターの位置を変えただけだ。それを壊したり、持ち去ったりした訳ではない。その行動を、たとえ住民に目撃されたとしても、怪しまれるかもしれないという程度だ。
自動販売機で缶入りのホットドリンクを購入した女性は、団地に隣接した公園のベンチに移動して座った。そして、公園の清掃をしている、管理人らしき高齢の男性を見つめながらマスクをずらし、そのドリンクをゆっくりと飲み始める。
マスクをずらして見えた口元には、目元と同様に化粧がされており、口紅がより女性らしさを際立たせていた。
「ふぅぅ……」
公園の清掃を終えた管理人の男性は、中腰の作業で痛みを感じたのか、腰の付近を自分の拳で叩き、背中を後ろにそらした。そして、回収した二つあるごみ袋の口を縛り、公園からそれを持って出て行く。
管理人が公園を出ると同時に、マスクをした女性は、先程までゆっくり飲んでいた缶入りの飲み物を、口につけた状態で上方に傾けて一気に飲み干した。そして、マスクで再び口を隠した女性は、ベンチから立ち上がると公園の自動販売機の隣にある、ゴミ箱へと向かって歩き出した。
だが、空き缶をゴミ箱へは捨てず、ゴミ箱から少しだけ離れた位置に立てたまま放置し、ベンチへと戻っていく。口元をマスクで隠した女性は、誰にも気づかれないようにほくそ笑む。その一見意味があるとは思えない行いで、女性の仕事は終了するはずだったからだ。
「よいしょっと!」
マスクをした女性がプランターを動かした部屋に住む主婦は、脱水まで終わった洗濯物の詰まったかごを抱え、ベランダへ出た。その主婦は、抱えている洗濯物を干そうとしているのだろう。
「きゃっ!」
何の変哲もなかったその光景に、変化が発生する。
抱えていたかごで視界のふさがれていた主婦は、プランターの位置が変わっている事に気付けなかった。そして、プランターにつまずいてバランスを崩した主婦は、かごを抱えたまま後頭部を金属で出来た窓枠へ向かわせてしまう。
かごを手放し、手をつけば怪我はするかもしれないが、大事にはならないだろう。しかし、咄嗟に持っている物を手放し、受け身を取る事がなんの訓練もしていない主婦には出来なかった。
本当に訳も分からない状態で、小さく叫んだ主婦の命は、作られた不運の犠牲になろうとしている。
「あっ……えっ?」
ベランダの手すりから身を乗り出した、東洋人の男性に腕を掴まれた主婦は、九死に一生を得る。そして、その場に座り込んだ主婦は、胸部の心臓がある部分に手をあてていた。
自分の早くなった鼓動が、少しずつ元に戻っていくのを手で感じている主婦は、助けられたのだと理解したらしく、男性に頭を下げた。
「あ……ありがとう」
国連軍の戦闘服を着た省吾は、主婦に一度うなずいて見せた。
「どういたしまして」
主婦は鳩が豆鉄砲を撃たれた顔をしていたが、ベランダに散乱した洗濯物を見つめ、洗い直す必要を感じて顔を歪めた。
「あぁ……あら? あらぁ?」
かごを拾いながら立ち上がった主婦は、もう一度若い軍人に礼をいうつもりだった。だが、主婦が立ち上がった頃にはつい先ほどまでいたはずの場所から、省吾の影も形もなくなっており、きょろきょろと首を左右に振る。
「これで最後……」
ベンチに足を組んで座るマスクをした女性は、ジャージ姿の男性が公園に入ってきたのを見て、誰にも聞き取れない程小さな声で呟いた。
ジョギングをしているらしいジャージ姿の男性は、若くはない。それは、顔のしわだけでなく、額がかなり後退し白髪が多い事からも分かる。冬場でも汗が出るほど走ったジャージ姿の男性は、息が上がっており、公園で休憩するつもりなのか速度を落としていた。
ついに走るのをやめて歩きだした男性は、水分を補給しようとしているらしく、ポケットから小銭入れを取り出して、自動販売機へ向かう。息切れが激しいその男性は、自分の進行方向上に女性が置いた缶があると、意識をしていない。
ベンチから立ち上がった女性は、缶へと向かう男性の足を見て、背中を向けた。そして、缶が男性に蹴られたらしい音を聞いて、薄く笑う。
だが、待っていても、男性の転倒する音もうめき声も聞こえなかった為、振り返った。そして、両目を見開く。
「ここにきて……くっ!」
マスクをした女性が見たのは、サイレンサー付きの拳銃を握った省吾だった。女性が置いた缶は、男性に蹴られたのではなく、省吾によって放った弾丸に弾かれたのだ。
自分の足元で何があったのか分からないジャージ姿の男性は、音を立てて飛んで行った缶を不思議そうに眺めている。
「もおぉぉっ!」
……逃げるのか。好都合だ。
敢えて女性の前に姿を見せた省吾は、走り去る女性を追わず、公園の隣にとまっている車へと向かった。そして、車に乗り込んだ省吾は、そのままマイク付きヘッドフォンを片耳に押し当てると、仲間達と情報連結を行う。
「こちらは完了だ。今から、そちらに追い立てる」
省吾が発案し、ミスターが指揮をとったあぶり出し作戦は、十分すぎるほどの成果を残した。
日本特区内に潜伏していた全武装勢力の居場所だけでなく、その者達と繋がっていた国連職員や一般人を全て特定しただけでも、作戦は成功といえるだろう。それだけでも、許可を出したフランソア達の面目も保たれる。
作戦の最終目的である敵能力者達を特定した省吾達は、人工衛星すら導入し、考えうる最高の監視を行った。その中で、敵能力者達を追い込む作戦発動を一週間ほど延期したのだが、それは二点ほど問題が解決しなかったためだ。
まず、一点目は分かりやすく、敵能力者達の拠点が、国連の全技術を投入しても確認できなかったからだ。高レベルの能力者達は、武装勢力と同じ拠点にはおらず、別の組織だという事までは判明した。
だが、日用品や食料を一般人に紛れてスーパーなどで呑気に購入していた敵能力者達は、テレポートで拠点まで移動しており、場所の特定が不可能だったのだ。敵は軍人である省吾やミスターからすると、素人同然の動きを見せるが馬鹿では無いらしく、テレポートを使えば国連軍が敵拠点にたどり着けないと分かっていたのだろう。
次に、敵能力者達の目的や、それを行う手段が恐ろしく間接的で、特定するのに時間がかかったのだ。主婦や初老の男性にしかけたように、敵能力者達はその有り余る力を使うわけではなく、偶然の事故で人を殺害していたのだ。ファントムの襲撃や病気以外でも事故で死んでいる人間は多数おり、それが今まで敵の行動を見えにくくしてしまっていた。
また、狙われた人々は国連の職員や軍関係者に絞られていたわけではなく、諜報部員の調査でも共通点すら見つけられなかった。その為、相手が狙うターゲットは、いまだに絞り込めていない。主婦や男性を省吾が守れたのは、能力者達を監視し続けていたおかげでしかない。
最終的にマードックと話し合った省吾が出したのは、敵に未来予知の能力者がいるのではないかという結論だった。偶発的でしかない事故を起こす事は、力を使わなければ超能力者でもできる事ではなく、未来でも見えなければ不可能だからだ。
未来が見えるらしい敵の最終目的は、推測不可能だと割り切った省吾は、ミスターを含めた数人で作戦の最終段階を練り直した。そして、国連の動きがばれていない以上、敵の予知が完璧ではないとマードックが断言した事で、一斉攻撃の決行へと至ったのだ。
……兵長、准尉の班も問題なしだな。
「よし。予定通りに」
特区の各地で、事故により命を失うかもしれなかった人々を特務部隊員が救う。そして、特務部隊員達は、敵に一度だけ姿を見せてその場を離れた。その特務部隊員達からの報告を省吾が受け、作戦を次の段階へと移行する指示を出す。
敵に特務部隊員が姿を見せ、逃げられた場合と、向かってこられた場合の二種類が、各々の場所で計画されていた。だが、特務部隊員に向かってくる敵能力者は一人も現れず、もっともシンプルで成功率が高い作戦へと移すことが出来た。
「中尉! 到着です!」
運転をしていた部下からの声を聞き、省吾は通信兵へと目を向けた。そして、通信兵がうなずいた事で、偽装車両から降りる。
……軍曹の班も完了だな。
「了解した。そのまま距離を保て」
通信兵に続いてビルの階段を昇る省吾は、通信兵の背負った通信機器で、移動中も部下に指示を出し続けていた。そして、そのビルに拠点を事前仮設しておいた部屋に入り、置いてある日本特区全域の地図を広げてペンで状況を書き込んでいく。
……さあ。ここからだ。
省吾に続いて部屋へ入った特務部隊員と選りすぐられた一般兵は、急いで部屋に準備されていた武器へと手を伸ばしていく。その兵士達は、敵能力者の非道な行いを知っており、省吾には劣るが目に怒りの炎を灯している。
「急げ! 時間が無いぞ!」
「アイ! サー!」
省吾の大きな声に、それ以上の声で答えた兵士達は、武器の準備を終えると部屋を飛び出し、所定の持ち場へと向かう。それを見た省吾が、自分の武器をチェックし始めた頃、特区内のビルが立ち並ぶ町中で銃声が轟いていた。
「くそおぉぉ! どうなってるんだ!」
敵能力者である男性は、銃弾を能力で防ぎながら、歩道を全力疾走していた。すでに男性は、呼吸の邪魔になるマスクを路上に捨て去っている。
「うおっ! またかよ! この!」
敵の男性は、進行方向をふさぐように急停車した車を見て、両足の裏と地面の摩擦力で体の慣性を消した。そして、車から降りてきた兵の銃弾を空中で停止させ、兵士の居ない方向へともう一度走り始める。
男性は、いくら走っても通行人を見かけない事に、疑問を感じながらも、その意味を考える余裕がない。かつて省吾が降したルークよりも、銃弾を自在に止める事がその男性には出来るらしい。だが、いたるところから伏兵が現れ、スナイパーに狙われているのでは悩む事もままならない。
「どうなってやがっ! あぶねぇ!」
スナイパーの放った弾丸を避けた男性は、先程までいつもの様に事故の原因をなんの問題もなく作っていた。気の緩んでいたその時の男性は、自分の周辺にいる者達全てが、国連の職員だけになっていた事には、気が付けなかった。
「この! くそ!」
人間が反応出来ないはずの速度で飛んでいるライフル弾を、男性は超感覚を含めた能力で回避していく。超人といえる力を見せている男性だが、数百メートル離れたビルの屋上にいる兵士への反撃方法は持っていないようで、銃弾の届かない場所へと逃げるしかない。
「目標。予定通り、北に移動」
ビルの屋上から省吾へと無線で連絡を入れた兵士は、長距離射撃用のライフル銃をベルトで肩にかけると、次の場所へ向かって走り出す。男性を狙撃していたその兵士は、特務部隊員ではないが、長距離射撃に自信がある堀井と同等かそれ以上の腕を持っている。
敵の位置を正確に把握し、長距離での攻撃や、集団待ち伏せ及び罠の戦法をとれば、一般兵でも敵能力者達を追い込むことが出来るのだ。超能力がほとんど武器とならない敵に、数の少ない特務部隊員達だけで戦いを挑むよりも、集団戦法をとると決めたのは省吾だった。
敵がファントムではなく超能力者である以上、もっとも有効な手段は通常兵器による攻撃なのだ。プロの軍人である省吾とミスターは、勝利とそれによってもたらされる情報を最重要だと認識しており、卑怯だとは思っていない。
敵が恐ろしいほどの能力を持ち、それに匹敵する力を持つ兵士が、省吾を含めて国連軍には誰もいない為、超能力で対抗しようなどとそのプロの軍人達は考えないのだ。省吾が敵能力者と戦ったデータを見た優秀な頭脳を持つマードックも、通常兵器による集団戦術が最も有効だと答えを出した。
敵は人数が少なく、直接的な交戦を望まない傾向にあり、戦術の素人である。勘と経験でそう結論を出した省吾の作戦は、敵の弱点をとことんまで攻めるものだ。それは、スポーツマンシップとは真逆の、綺麗事では済まない戦場で培われた、ある意味で戦術らしい戦術といえるだろう。
「くそっ! はぁ! はぁ! はぁ!」
人の居ない町を、複数の能力者達が走っている。目的は、国連軍の弾丸から生き延びる為だ。必死に走り続けている敵は、自分達が向かいたい方向に、国連軍がわざと誘導しているのだと気が付いていない。
人工衛星まで使った監視により、国連軍は敵能力者達のある行動パターンを、見つけ出していた。敵能力者達は、全員拠点からの移動にテレポートを使用しており、いきなり現れては消える。そのような敵を補足する事は、無理ではないかとミスターには思えたが、省吾の勘により解決された。
これも偶然ではあるが、敵が消える場面と現れる場面が、計三回ほど監視衛星で撮影されていた。そこから、省吾は勘で敵がある一定地域からしか、目的の場所へとテレポート出来ないのではないかと考えたのだ。
その意見を、テレポートでの移動距離には、限界があるだろうと考えていたマードックが、後押しした。そして、三つの点を結んで円を作り、その周囲一キロを重点的に監視したところ、敵の起点を押さえる事に成功したのだ。
ただ、敵全員がテレポート能力を使えるかという部分に、マードックと省吾は首を傾げたが、現実の映像を否定する事は出来なかった。その点については、省吾達軍関係者やマードックだけでなく、他の研究員達も交えて話し合われた。
しかし、他人を移動させる能力者がいるのではないかという意見が、最も支持を集めただけで結論は出せていない。そして、作戦には好都合だと省吾が判断した為、再検討は作戦終了後まで持ち越される事となった。
「はぁ! はぁ! はぁ!」
敵能力者の男性は、国連軍に移動方法の情報まで知られているとは考えておらず、目的の林道へ向かってひた走っていた。
「またかよ! くそっ!」
省吾達は敵を疲弊させるようなルートで誘導しており、その黄色人種である男性も、息切れが激しい。
「もういい! はぁはぁ……。雑魚共が! はぁはぁ……」
進行方向を装甲車にふさがれた男性は、立ち止まって呼吸を整えながら、兵士達を睨んでいる。何度目になるかも分からない程同じ事を繰り返された為、走る事に嫌気がさし、キレてしまったのだろう。
「後悔しろおぉぉ!」
握った両拳を省吾の何倍も発光させた男は、叫んだ。そして、目の前にいる兵士に能力を振るおうとした。だが、敵の能力が兵士達を襲う前に、開け放たれたビルの窓から爆音と共に弾丸が発射される。
「くそおおぉぉ!」
男は自分に向かってくる弾丸を感知して、素早く握った拳を開き、自分の周囲に光の膜を作り上げた。
……よし!
ある一部隊のみに無線がつながるように、腰につけた無線機のチャンネルを切り替えた省吾は、ライフルのスコープから一度目を離す。
「撃て。一斉射撃だ」
マイクに向かって指示を出した省吾は、自分も巨大なライフルのスコープに目を戻し、トリガーを引いた。
光る弾丸を発射した省吾の使う大きなライフルとは、戦車の装甲すら貫く、アンチマテリアルライフルだ。そして、省吾の居るビル以外の窓からも伸びているのは、全てアンチマテリアルライフルの黒い銃身だった。敵が反撃した際に対処するその部隊は、特務部隊員だけで構成されており、ほぼ全員が省吾の取り寄せたアンチマテリアルライフルを装備していた。
光の膜に守られた男を、そのアンチマテリアルライフルから発射された、人間を撃つには不適当ともいえるほど強力な弾丸が襲う。
……計算通りだ。いける。
「こ……この……くそ……」
ルークよりも防御能力に優れているらしい敵でも、頭上から降り注ぐ強力な弾丸攻撃には防御に徹するしかない。学園で敵能力者と戦った省吾達の記録から、マードックは敵の防御能力に関して大よその数値をはじき出していた。
なんの力もこもっていないアンチマテリアルライフルの弾丸だけでは、防がれるだけでなく反撃される可能性も高いのだが、そこに省吾の能力を加えれば話は変わる。省吾はあらゆる武器の威力を高めることが出来る為、敵を倒せなくても防御のみに縛り付けられるとマードックは算出したのだ。
「あいつ……ぐう! あいつが、銃使い? なんだ? この力?」
マードック達研究員よりも能力者の真実を知っている敵の男性は、省吾の居る方向に目を向ける。
「こんな、力が……セカンドに? あいつはなんだ?」
マードックも気が付いていない省吾が保有する能力の本質に気が付いた男性は、全ての力で膜を維持しつつ顔をひきつらせていく。
サードやフォースといった力を持っている者達は、ファーストやセカンドの能力者よりも質と量が高い為、色々な事が出来る。だが、敵側だけでなくマードック達研究員は、どの超能力も根源をたどれば明確な分類わけが出来ると結論を出していた。サイコキネシスでいえば、抑え付ける力や振動させる力が、その根源とされている分類だ。
ファーストからセカンドになり、個別のように見える能力も、その根源を合成した力であり、混ぜ合わせる能力や配分で効果が違っているに過ぎない。男性が作り出している光の膜も、サイコキネシスの力であり、セカンドレベルでは弾丸を止める事は出来ないが、発生させられる者は国連側にもすでに存在している。
その全ての事を知っている男性は、根源で分類できない省吾の力を感じ、表情をゆがめているのだ。弾丸の威力を高める能力者は、その男性も省吾以外に知っており、別段変わった能力ではない。それでも男性が驚いているのは、省吾が武器によって高められる威力が違う点だ。
「なんだ! この威力はっ! くっ!」
学園で省吾と戦った仲間から情報を得た敵能力者達は、省吾の能力値をマードックと同様に計算していた。拳銃から放たれた九ミリ弾が、倍程度の威力になっていたと仲間から聞いた敵能力者達は、省吾の強化が九ミリ弾と同等だと考えた。
サイコキネシスとは手の延長といえる能力であり、銃の威力を高めるのは弾丸を押す力になる為、限界が存在している。九ミリ弾の威力を五とすると、省吾の力は五になり、拳銃から撃ちだされる弾丸は、十の力があると計算できるのだ。そして、別の弾丸の威力を十とすると、省吾が使った場合、本来十五にならなければおかしい。
しかし、省吾の強化は足し算ではなく、掛け算として作用し、十の威力がある弾丸を放てば二十にまで引きあがるのだ。そんな馬鹿げた能力は、マードック達よりも超能力に詳しい男性も存在を知らず、困惑しているのだ。
男性は省吾よりも超能力者としてだけなら上ではあるが、無限の力を持っている訳ではない。光の膜を作っている超能力量には明確な残量が存在し、弾丸を一つ止めるごとにそれは消費されていく。その残量が、省吾の弾丸を防ぐたびに、大きく削られていくのだから、焦り始めても当たり前なのだろう。
「こんな……このまま……このままでは!」
省吾の弾丸を停止させるまでの時間が少しずつ伸びて行き、自分が作り出した光の膜が揺らぎ始めたのを見て、男性が冷たく粘り気のある汗を流す。
……来たか。
銃撃による爆音の中で、隣にいた通信兵は省吾に手信号を送った。
「撃ち方! 止め!」
省吾からの通信を聞いた特務部隊員達は、男性へ向けての一斉射撃を中断させた。
「弾切れか? 助かったああぁ!」
限界の近づいていた敵の男性は、その場から走り去っていく。それが、計画通りである省吾は顔色を変えない。
「あぶ……はぁ、はぁ……危なかった。最悪だ。あいつは、危なすぎる」
尚も監視されているとは考えていない男性は、省吾と戦った二人の仲間が危険だといった事を思い出しながら、郊外の林道へと向かって走る。
……あちらは抵抗せずに、逃げたか。問題ないな。
部下達からの報告を受けた省吾は、通信兵が両手で広げた地図を指でなぞり、場所の確認を行う。現在省吾が直接指揮をとっているのは、自分がいる部隊を含めて三つ。その全てが、敵能力者からの反撃時に対応する部隊だ。
省吾自身がいる部隊だけ、射手が十人だが、他の部隊は二十人おり、省吾の居ない穴を武器の量でカバーしていた。
「お前達は、先に次の場所へ向かえ。すぐに、追いつく」
自分のいる部隊の部下から返事を聞いた省吾は、アンチマテリアルライフルをベルトで肩にかけると、別の銃が入ったケースへと手を伸ばす。そして、自分のいない部隊へ指示を出しながら、ケースに入っていたスナイパーライフルを組み上げていく。
「お前達は来るな!」
階段を上り屋上の扉を蹴破った省吾は、自分の後ろからついて来ていた二人の兵士を止め、一人で屋上からスナイパーライフルを構える。
省吾に付き添っている二人は、特務部隊員ではなく、重い通信機器を背負った通信兵と、弾丸や武器を背負って補助役に徹した戦闘へ直接参加しない一般兵だ。その二人は、省吾を直接補助する役目を与えられるだけの体力と能力を持っており、一般兵の中ではかなり優れた人材といえる。
だが、敵能力者達の能力が全て分かっていない以上、屋外は危険な場所になる可能性があり、省吾はその二人を屋内に留まらせたのだ。
……見つけた! 行けぇ!
スコープを覗くだけでなく、千里眼の能力を発動した省吾は、弾丸に誘導の力を与え、スナイパーライフルの引き金を引いた。通常、人間が一キロ以上先の対象を正確に撃ち抜くことは、百パーセント無理とはいえないが難しい。
だが、千里眼を持ち、弾丸の軌道を変化させられる省吾には、それを実現させることが難しくないのだ。
「きゃあああぁぁぁ!」
敵である女性二人は、トラックのコンテナで抱き合って、乗っていたトラックが電柱にぶつかった衝撃と恐怖に耐えていた。
「大丈夫? 怪我は?」
「平気です……車は?」
目を閉じた黒髪の女性は、能力で乗っているトラックの状態を確認し、首を左右に振った。その女性が持っている能力は、乗り物の遠隔操作だ。以前学園でヘリを使い、省吾と戦った仲間を助けたのもこの女性の能力だった。それは車やヘリの操縦方法を知ってさえいれば、千里眼と質が高く射程距離の長いサイコキネシスで実現可能な能力といえる。
マードックとその敵の能力を予測していた省吾は、顔色を全く変化させずに対応しているのだ。一人の仲間と町中で合流し、銃弾を受けない様にコンテナに乗り込んだその女性が操縦していたトラックは、省吾のライフルにタイヤを全て撃ち抜かれ、走行不能になっている。
「逃げましょう。あいつらが、来る」
顔が真っ青になっている金色の髪を持った女性と、うなずき合った黒髪の女性は、コンテナから降りて走り出す。その手を握り合った二人は、乗り物操作以外にも力を有しているようで、普通の人間では不可能な速度で飛び跳ねるように移動を開始した。
……よし。次だ。
敵二人が逃げる光景を千里眼で見つめていた省吾は、屋上から中へ戻り、補助役の男性兵士にスナイパーライフルを渡す。
「次だ。急ぐぞ」
男性兵士から預けていたアンチマテリアルライフルを受け取った省吾は、そのまま走り出し、補助員二人もそれに続く。
それからも反撃を試みた敵は、徹底的に特務部隊員の集中砲火を浴び、能力の残量を減らして逃走するしかなかった。牧羊犬に追い立てられる羊のように、敵能力者達はテレポート可能な山中へ向かって、必死に走り続けている。
……よし。すべて、想定内だ。
敵能力者達が全員町中から出た事を確認した省吾は、無線機のチャンネルを変更し、指示を出す。
「第三段階成功だ。怪我人もなし。次の段階へ移行だ。気を抜くな」
省吾からの全域無線指示を受けた兵士達は、速やかに行動を開始した。この段階で、一般兵の半数は戦闘から抜け、町の状態回復へと作業を移す。
「そちらの準備は? よし、頼んだぞ」
通信兵の背負った通信機で指令本部へと連絡を入れた省吾は、そのままヘリに補助の二人と乗り込む。その省吾が向かうのは、敵がテレポートする山中の手前に伸びた、林道だ。
「はぁ! はぁ! よっ……よかった。無事か?」
九人の敵能力者達は、林道で合流を果たし、息切れで肩を揺らしながらお互いの無事を喜んでいた。
「奴等、追って……はぁはぁ……来てないか?」
索敵が出来らしい女性能力者に、省吾と学園で戦った男性能力者が問いかける。
「ええ……はぁぁはぁぁ……町を出てからは、誰もついて来ていないわ」
かなりの距離を走らされた敵能力者達は、女性からの返事を聞き、アスファルトで作られた道に座り込んだ。能力者達九人が座り込んだのは、山頂へと続く日本政府統治時代に作られた細い道で、普通乗用車が対面通行できるぎりぎりの幅しかない。
また、使用率の低さから、国連統治下になって一度も補習工事が行われておらず、ひび割れや穴がいたるところに見受けられる。
「冷たいな……うわっ……」
朝露で湿っていた道に不快感を覚えた男性は立ち上がり、ガードレールに寄りかかった。そして、苔の生えた古いガードレールを触った掌から、ぬるりと気持ちの悪い感触が伝わり、顔をしかめる。
呼吸が平常に戻り始めた他の八人も、臀部が濡れるのを不快に思ったのか、立ち上がっていく。
「まさか……最後の日に、本気の罠を仕掛けてくるなんてね。馬鹿ばっかり……最悪よ」
「まあ、全員無事なんだ。よしとしよう」
敵の九人は、その男性の意見に笑顔でうなずく。どうやら敵は全員、省吾達が町中で九人を殺そうとは考えていなかったと、本気で気が付いていないようだ。
「しかし、俺達をあそこまで追い込むなんてな……。敵の指揮官は、優秀だったんじゃねぇか?」
「それでも、所詮はただの人間だがな」
自分達が助かったのは自分達の実力であり、生来の運だとしか考えない敵能力者達は、まだ何も終わっていないと分かっていない。
「さて、帰還するか」
「そうね。今回は、ここまでね」
標高が町よりも高くなっているその林道から、日本特区の町を少しだけ眺めていた九人は、その場から歩き出そうとした。
「あっ! そうだ……。あの、銃使いだが……あいつは危険だったぞ。やはり、あいつは……」
先頭を切って歩き出した男性は、省吾の危険性を仲間に伝えようとしており、注意が散漫になっている。
「危ない!」
顔を後ろに向けながら歩き出した男性の前に、少しだけ後ろを歩いていた女性が力を投げつけ、迫っていた弾丸を破壊した。
「あいつっ!」
木の陰から拳銃を構えた省吾が、九人の前に姿を現した。その省吾が持っている拳銃の銃口からは、火薬臭い煙が空へ向けて昇っている。
「止まれ。抵抗すれば、容赦はしない」
省吾の姿を見た九人は、周りに国連軍が潜んでいるのかと疑い、付近を見渡すか索敵の能力を発動していた。そして、眉をひそめた敵は、拳銃以外に何も持っていない省吾を見て、焦りを消して構えを解く。
「はったりも、いい所だな。お前だけじゃないか」
一人の男性が余裕の笑みを浮かべ、省吾に見下したような目線を送る。
「大方……。あんただけが、追いついたんでしょう? 舐めてくれるじゃない。一人で、何が出来るってのよ!」
男性とは逆に、隣の黒い肌を持った女性は、省吾を威嚇するように睨んで叫ぶ。
「で? どうするのよ?」
乗り物を遠隔操作する力を持った黒髪の女性が、一緒に逃げてきた女性に問いかけていた。その二人以外は、全員省吾に視線を向けており、追い立てられた怒りがその目から読み取れる。
「ごめんなさい……。私のわがままに付き合わせて……」
黒髪の女性と逃げてきた金髪の女性は、かぶっていた帽子を道に投げ捨てると、コートの中に隠していた拳銃を出して仲間の前に歩み出た。
「ここで私が……決着をつけます!」
その金髪の女性と、省吾は初対面ではない。年末の山中で、セカンド達を能力で気絶させたのは彼女だ。服装は違うが、省吾は勘によりそれを察知していた。
また、かぶっていた帽子から以前肩を自分の放った弾丸で傷付けはしたが、取り逃がした能力者も彼女だと省吾は気付いている。
「あんたを直接襲わなかったのは、その子に頼まれてただけなのよ。この意味が分かるわよね?」
……なるほど。もう、殺せるといいたいのか。その判断は、遅すぎるな。
省吾を生かす理由が無くなったと暗に説明した黒い肌の女性は、鋭い眼光を省吾に飛ばした。
「まさか、その豆鉄砲で、俺達と? 勘違いもいい所だ。雑魚が」
学園で省吾と戦った男性は、相手が一人でも勝てると思ったのは、自分の敗北が原因かもしれないと考えた。そして、一対一なら自分は負けない事を、省吾に思い知らせようとも考え始めている。
……殺気立ってきたな。ここが、限界か。
「勘違いをするな。そして、そこから動くな」
尚も歩み寄ろうとした金髪の女性に、威嚇発砲を行った省吾は、銃から左手を放し、空を指さした。それを見た敵の何人かが、反射的に空を見上げ、驚きから目を見開いて息をのんだ。
……能力者であるお前達には、はっきり見えるはずだ。戦闘機も、その装備したミサイルも。
「あの戦闘機が、お前達にも見えるな?」
省吾が単身で敵の前に姿を現したのには、理由がある。それは、敵と交渉をする為だ。
敵の防御能力が推測できた省吾達には、敵が戦闘機のミサイルを防げないと分かっていた。そして、現在敵と省吾が向き合っている林道は、使用率が非常に低く、ミサイルの爆撃で数日間通行不能になっても住民にほとんど影響はない。
敵からの情報が欲しい国連は、敵をこの状況に追い込み、正面から相対しても生き残れる可能性が一番高い省吾を交渉人としたのだ。
……俺の命は、交渉材料にはなり得ない。
勿論、その交渉人になると省吾自身が申し出た為、実行された作戦ではある。
「可能であれば避けたいが……。俺は、お前達と一緒に、爆撃に巻き込まれる覚悟はできている」
「嘘……だろ?」
……状況が理解できたらしいな。ここからだ。
空を見上げていた敵は、目に涙を浮かべた。そして、その目を省吾へと向ける。