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名無しのエース  作者: 慎之介
三章
24/82

 午前中から特区に降り始めた雨は、雨足も風も強くない静かなものだ。だが、長時間の雪が混じった冷雨は気温を下げ、生徒達の寮へ向かう足を速めさせた。


「もう……」


 教室で自分の席に座っているイザベラが、バッグから取り出した櫛を使い、自分の髪をとかしながら窓の外へ目を向ける。柔らかい髪質のくせ毛であるイザベラは、湿気が多くなると髪がはねてしまい、思い通りにならない。


「また、ストレートパーマあてようかなぁ……」


 クラスメイト達が部活動に向かうか、帰路についたせいで、教室にはもうイザベラしか残っていない。そのイザベラは、櫛をしまうとバッグの無くなった席を見つめ、もう一度大きな溜め息をついた。


 その席とは、壮絶な自爆によりクラスでの居場所がなくなり、傘も差さずに寮へ走って帰った彰のものではない。仕事に向かう為、授業が終わると同時に教室から消えた省吾の座っている席だ。


「早過ぎるのよ……馬鹿……」


 勘が異常なほど特出している省吾は、教室にいる者の視線を感知している為、クラスメイトの誰にも気付かれずに抜け出すことが出来る。元々、歩くのが速い事もあり、廊下に出るまでに気付けなければ、その日の省吾を止める事は誰にも出来なかっただろう。


「ちょっとぐらい……隙を作りなさいよ……。あんたは、それで辛くないの?」


 片方の頬を自分の机につけたイザベラは、それからしばらく、遊びに誘えなかった男子生徒の席を眺め続けた。イザベラがぼんやりとして時間を過ごしている頃、省吾がいつも使っている自動販売機の前で、ジェーンがバッグに手を入れた。


「落ち着いて。ね?」


 ジェーンは、先ほどのイザベラと同じように髪を櫛でといている。だが、そのジェーンはくせ毛ではない為、本来その場で櫛を使う必要はない。


 別室に任務として初めて待機に向かうジェーンは、緊張をほぐそうとそれを行っているのだが、効果はあまりないようだ。震える手で髪をとかし続けるジェーンは、瞬きを忘れ、口の中が乾燥し、呼吸が早くなっている。


「ほら、大丈夫よ。ね? 遅れますよ?」


「ふぁい!」


 綾香に手を引かれたジェーンは、同じ方の手と足が同時に前に出るほど緊張した状態で、隠し扉をくぐった。ジェーンにはまだ、カードキーが配布されておらず、しばらくは綾香と行動を共にする事になっている。


 その期間で裏口への入り方を含めたルールを、ジェーンへ教えて欲しいと省吾から依頼された綾香も、ジェーンとは別の緊張感を持ってはいるようだ。


「しっ! しちゅれいしばす!」


 コンピューターの並ぶいつもの部屋で先に待っていた堀井は、初めて入ってきた綾香を思いだし、苦笑いで二人を迎える。


「大丈夫ですから。今日は、堀井先生とリベラ先生と四人ですし」


 上手くしゃべれないジェーンはぷるぷると震えながら、綾香の引いた椅子に座り、何度も深呼吸をする。


「飲み物買ってきたわよぉ。好きなの選んでねぇぇ」


 綾香達が部屋に到着したすぐ後に、ホットの缶ジュースを抱えたエマがいつもの様に笑顔で入室した。


 半時間かけて三人で落ち着かせたジェーンに、堀井が仕事について必要な事を教えていく。エマは、自分よりも人に教える事が上手い堀井にジェーンの事を任せ、綾香に報告書の作り方を教えていた。


「あれ? エマさん?」


「どうしたのぉ?」


 エマが過去に作った英語で書かれた報告書と、日本語で書かれた報告書を綾香は見比べていた。その際に綾香は気になった事があり、エマに問いかけていた。


「この、伍長ってエマさんですよね? 堀井先生よりも……」


 綾香が聞きたい事が推測できたエマがにやりと笑い、わざとらしく胸を張った。


「これでも、最前線にいたからねぇ。年は、私が下だけど、階級は上なのよぉ。凄いでしょ?」


 ジェーンへの説明に一段落が付いた堀井は、缶コーヒーを一口飲むと、エマの話を補足する。


「私は、特務部隊に入るのも遅く、戦中は最前線に出ていませんからね」


 ノートに教えられた事をメモしていたジェーンは、清書を中断して思った事を口に出した。


「じゃあ、先輩の中尉って階級は、凄いんですね」


 堀井とエマは、ジェーンの言葉をすぐには肯定しなかった。少し考え、裏の事情を教えるべきか悩み、堀井が仕方なく掻い摘んで説明する。


「中尉は、諸事情があって中尉でとどまったんです」


「とどまった? じゃあ……」


 眉間にしわを作ったままの堀井は、一度うなずいた後に言葉を続ける。


「本来ならば、大佐になっていてもおかしくない人なんですよ。でも、年齢的な事を含めて今はまだ中尉なんです」


 堀井やエマが喋り難そうにする理由が分かっていないジェーンは、首を傾げたまま固まってしまう。しかし、二人が喋れない内容も理由も知っている綾香は、口を閉ざしたまま窓の外へ目を向ける。


 尚も雨が止まない窓の外に通行人はおらず、特区内全体でも出歩いている人間は少なかった。その代り、道を走る車の台数が増え、電車を利用する人数はいつもより多い。


 繁華街の歩道を歩く人の中に、黒く大きな傘を差し、パーカーを着ている男性が歩いていた。その男性が着ているうすい灰色のパーカーは、水滴が当たった部分だけが、濃い灰色に変色している。パーカーのフードを顔が隠れるほど深くかぶっている男性を見て、寒さと雨のせいだと勝手に推測した通行人達は誰もその事を気に留めない。


 傘を握っていない手を腹部のポケットに差し込んだまま歩いていた男性は、目的地だったらしいビルの前で立ち止まり、短い時間ビルを見上げた後中へと入っていく。貸しビル形式になっているその建物は、各階層に複数の企業が入っており、一階にはエレベーターとポストぐらいしか目立った物がない。


 傘立てに畳んだ傘をさした男性は、滑らない様にブーツの底についた水分をマットに吸い込ませ、壁に掛けられた企業名の書かれた看板に目をやった。そして、目的の階を確認し、そのままエレベーターのボタンを押して、開いた扉の中へ乗り込む。


 エレベーター内に乗り込んだ男性は、尚もフードを深くかぶったまま目的の階に向かう為、ボタンを押した。その男性が向かうのは三階のはずだが、五階のボタンも押している。それは、男性がどこの階で降りたかを誤魔化す為だ。


 男性が下りた階層に企業は入っておらず、入居してくれる企業を探しているように見える。だが、裏口へ回り込み、特殊なカードキーを使う事で、その階層が偽装された特殊な場所だと分かる。


 男性が三重にもなった扉を全てくぐると、完全な防音が施されたクラシックな雰囲気の酒場になっていた。雰囲気にあわせて品のいいクラシック音楽が流されている店内に人は少なく、店員すらも髭を生やした体格のいい人物が一人いるだけだ。


 カウンター内でコップを磨いていた店員は、入ってきたフードの男性に一度目線だけを向け、コップを置いた。そして、皿を取り出して何かの準備を始める。


 店内を軽く見渡したフードの男性は、丸いテーブルをソファーで囲った席へゆっくりと歩き出す。その男性が向かった席には、既に三人の客が座っており、自分達に近付いてくる相手を見つめていた。


 フードの男性が空いているソファーに座っても、他の三人が不審がっていない光景で、知り合いなのだと分かる。


「ふん……。相変わらずの無表情か。気味悪いな」


 かぶっていたフードをずらした省吾に、ミスターが挨拶代わりの嫌味を投げかけた。それを気にもしていない省吾は、皿に入ったミックスナッツを持ってきた店員にコーラを注文する。


「あら? 酒じゃないの? 坊や」


 ミスターの部下である女性が、小馬鹿にしたような言葉を発するが、省吾はストレートな返事をした。


「俺は戸籍上、未成年だ。日本で未成年の飲酒は犯罪だ。後、喫煙も」


 ミスターの部下である女性と、もう一人の男性も省吾を煽る様に鼻で笑うが、ミスターだけは笑わない。代わりに、省吾の頭から順に舐めるように見つめ、目を細めていく。


 その国連が運営し、諜報員の連絡所として使われている酒場でのミスターは本性を出している。その為、外見こそ普通の会社員にしか見えないが、纏っている雰囲気は堅気の人間と全く別物だ。


 他にも諜報員らしき人間が酒を飲んでいるが、ミスター同様に怪しい何かを纏っており、店員すら只者ではないと見る者が見れば分かるだろう。そんな中で、私服の省吾は動きにこそ隙はないが、威圧感を発しておらず、逆に目立つ存在だ。


……注目されている。か?


 諜報員達の視線を感知し、苦笑いを浮かべる省吾は、店員からコーラの入ったコップを受け取り、ストローが必要ない事を告げた。そして、コーラを一口だけ飲むとコップをテーブルに置き、口を開く。


「お前の力が必要だ。助けてほしい」


 ミスターの部下二人が、省吾の言葉で目を細めて眉間にしわを寄せた。どうやら、省吾の態度が不相応に横柄だと感じたようだ。だが、部下達と違い、ミスターだけが少しだけ口角を上げ、テーブルを指さす。


「おい、くそガキ。コップはコースターに置け」


「ん? ああ、すまない」


 省吾はミスターの言葉を素直に受け入れ、厚紙で出来たコースターの上にコップを置き直した。


「これだから、礼儀知らずの東洋人は嫌いなんだ」


……そういえば、事務次官のお孫さんも、東洋人が嫌いだったな。


 コップに球体の氷と一緒に入っている琥珀色の液体を二口程飲んだミスターは、話の本題に入る。


「大よその話は、ボスから聞いている。打ち合わせをしようじゃないか。お前と同じ空気を長時間吸うのは、気分が良くないんでな」


 省吾はミスターの嫌味を気にするそぶりも見せず、バッグから資料を取り出し、自分の考えた作戦を喋り始めた。


「ふんっ……。わざわざ、お前が俺を呼ぶはずだ」


 説明を受けたミスターは呆れたように呟くと、腕を組んで省吾の顔に目を向けていた。


「貴方以外に、この作戦を成功させられる人はいない」


 省吾の褒めているとも取れる言葉に、ミスターはしかめた表情を緩めたりはしない。その作戦が、どれほど難しいかが分かっているのだろう。


「お前は本当に、無茶ばかりだな。くそガキ」


……依頼は受けてくれそうだな。


 諦めた様に息を吐き出したミスターを見て、省吾は無言でうなずいた。


「まず、使える人数から教えろ」


「ああ」


 省吾が考えた作戦の穴を、諜報員であるミスターが指摘し、より完璧に近づける作業が一時間ほど続いた。


……よし。これでいい。


「作戦内容は、頭に叩き込めよ。間違っても、その資料を持ち出すな。俺達の命に係わるからな」


「了解した」


 おしぼりでコップの周りについた水滴を拭き取ったミスターは、そのままコップをつかみ、酒を飲み干した。その事に気が付いた部下の女性は、ボトルを両手で持つと、空になったコップに酒を注いでいく。


「お前は、馬鹿みたいに真面目なままだなぉ。おい」


「お前だって、仕事には真面目じゃないか」


 ソファーの背もたれに体重を預けたミスターは、資料を暗記する為にかじりついている省吾を見つめた。


「ふん。仕事がそんなに好きなのか? くそガキ?」


 敢えて仕事といったミスターの言葉を深く読み解いた省吾は、資料に向けていた視線を短い時間だけ、目の前に座るスーツ姿の男性へと移す。その瞳に、禍禍しくも思える炎を見たのは、ミスターだけだ。ミスターの部下である二人の視線は、省吾がテーブルに置いた資料に向けられていた。


「けっ……やっぱりか。誰がやられた」


 ヨーロッパで活動していたミスターは、省吾の事をよく知る一人であり、その目を見るのは初めてではない。省吾が自分の階級を超えた動きをした事で、仲間の命が奪われたのだろうとミスターには分かっていたようだ。


「ジャックとタイラーだ。それに……」


 目蓋を閉じた省吾は、敵能力者のせいで犠牲になった仲間の名前を、隠す事なくミスターに伝えた。


「よく分かった。もう、いい」


 ミスターからの返事で、省吾は資料の暗記を再開する。


「ふん……くそガキが……」


 コップを何度も傾けるミスターは、薄暗い店内で再び目を細め、無言で作業を続ける省吾を眺め続けた。


……これで最後だな。


 テーブルに設置された大きな灰皿で、資料をすべて焼却し終えた省吾は、フードをかぶると立ち上がった。


「じゃあ、作戦開始は明日からだ。頼んだぞ」


「お前と違って、給料分は働くさ」


 席を離れる前にミスターに顔を向けた省吾は、相手がコップを持った手を上げた事を確認してから、レジカウンターへと向かった。省吾が店を出るまで見つめていたミスターの部下二人の目線は、あまり好意的なものでは無い。


「さて、お前達。忙しいのは明日からだ。今日は、存分に羽を休めよう」


 ミスターは店員を呼び、酒を追加注文し始めた。


「あれが、化け物ぉ? やっぱり、噂は噂ね」


 茶色い髪を持った女性は、つばを灰皿に吐き捨てる。


「特務部隊も、所詮あの程度って事だ。なぁ?」


 もう一人の部下も、省吾を馬鹿にする為なのか、まわりに聞こえるほど大きな声で笑い出した。平凡な外見をした彼等だが、諜報部員である自分に誇りと自信を持っており、特務部隊員達よりも自分達が優れているとさえ考えている。


 派手な事の少ない仕事ではあるが、自分の名前や経歴を全て抹消し、調査対象に溶け込む事の出来る彼等は覚悟がある上に実際に優秀だ。多少プライドが高くても、許される場合が多い。


「おい。そろそろ、その馬鹿な笑いを止めろ」


 ミスターの言葉で笑いを止めた二人の部下は、上司へと顔を向けていた。


「腹はたたないんですか? あんな無能そうな東洋人の子供が、わざわざミスターを呼び出すなんて失礼ですよ」


 態度が悪かった理由をやっと喋った部下に、ミスターは笑顔を向ける。


「まあ、俺も特務の奴らは、無能な馬鹿だと思ってる……。だがな……」


 ミスターにつられて笑顔を作った部下二人は、上司の目が鋭くなると同時にその笑顔を消した。


「あいつだけは、別だ。あれは本物の化け物だ。噂の信頼性が無いといったお前は正しいが、あいつは噂以上の化け物なんだよ」


 戦場にいた時よりも圧力を抑えていた省吾を見て、ミスターは背筋に寒気を覚えたようだ。生徒にまぎれる為に力を抑制した省吾に、本性を知るミスターだけが何かを感じ取ったのだろう。


 顔を見合わせて怪訝な顔をした部下二人に、目の鋭さを消したミスターが珍しく語り始めた。


「お前達、俺がまだ国連にいるのは、なんでだと思う?」


 ミスターからの予期せぬ質問に、二人の部下はすぐに返事が出来ない。


「あいつを敵に回したくないからだ。特に、仲間をやられた時のあいつとは、何があっても敵対したくねぇな」


 省吾と以上に自分の事をほとんど語らないミスターだが、信頼する部下が二重スパイではないと確信をしているらしく、思い出を喋り出した。


「あのくそガキと、俺が初めて会ったのは……」


 省吾とミスターの出会いはヨーロッパではなく、砂漠に囲まれた秘密工場であり大戦の最中だった。その工場は資金が潤沢なある武装勢力が、兵器を作る為に秘密裏に建設したもので、千人を超える狂信者達が働いていた。


 ウランがその工場へ持ち込まれた情報を聞きつけ、潜入を試みたミスターは危機に陥っていた。超能力者であるミスターは、工場を襲ってきたファントムに自分も襲われてしまい、咄嗟に力を使ってしまったのだ。


 諜報員として未熟だったその頃のミスターは、その事を上手く誤魔化しきれず、銃を構えた敵に囲まれた。能力を隠していた新参者を、敵が疑うのは当然だろう。両手を上げたその時のミスターは、拷問後に殺される事を覚悟した。


 だが、ミスターの耳に届いたのは銃声ではなく、爆発音だった。そして、侵入者がいると叫ぶ男の声が、遅れてミスター達のいる部屋にも届く。ミスターを囲んでいた五人のうち三人が、銃を持ったまま部屋を飛び出した。その隙を見逃さなかったミスターは、一人から銃を奪い、危機を脱出した。


 動かなくなった敵兵士を奥の部屋に隠したミスターは、建物からとびだし、大混乱に陥った敵を見て首を傾げた。敵すらも正確に状況が分かっていないのだから、仕方のない事だろう。秘密工場は、たった一人の少年兵にかき回され、ほとんどの人間がパニックに陥っていたのだ。


 その時、特殊部隊に所属していた少年兵こと省吾は、まだセカンドになったばかりで、能力が完全には使いこなせていなかった。それでも省吾は、膨大な敵が潜む秘密工場に、一人で戦いを挑んでいた。


 省吾の所属していた部隊は、敵の罠にはまり、包囲された。そして特殊部隊の仲間達は、年の若い省吾を銃弾から、守りぬいた。自分の体を盾にして。


 息をひきとる前の上官から、省吾は逃げろとの指示をうけていた。しかし、冷たくなった仲間全員から、認識票をちぎった省吾は、それに従わない。数日をかけて敵のトラックを発見し、工場へと潜入したのだ。そして、影にまぎれて行動を開始した。


 圧倒的に不利である省吾が選んだのは、ゲリラの戦い方を思い出させる奇襲、待ち伏せ、かく乱だった。建物から出たミスターが見たのは、省吾の策にまんまとはまった敵の姿だったのだ。敵は侵入者がいる事を口伝いで聞いてはいるようだが、ダクトや下水溝を利用して移動する省吾を、容易には黙視できない。


 工場内の通信施設を最初に潰した省吾は、驚くほど効率的な動きをしていた。警報装置の回路を壊していた省吾に、敵は長い時間全く気付けなかった。工場内の電力をまかなう発電施設を守っていた敵は、自分達の心臓が止まった事を意識する事なく、永遠の眠りにつくほどだ。


 武器を奪い、敵を的確に減らしていく省吾は、引き金を引きながら、一度も立ち止まらなかった。そうしなければ戦闘不能になってしまう為ではあるが、姿を敵に発見されにくくもなるからだ。


 かく乱された敵は、情報不足により混乱し、状況を理解する前に襲撃を受け、さらに混乱していった。見えない敵を恐れて銃を乱射した敵同士の相打ちは、省吾の居ない場所でも行われていった。


 更に、敵から奪った手榴弾とプラスチック爆弾で省吾は、罠を仕掛けた。扉を開くたびに爆発が発生し、仲間が次々と消えていく中で、パニックを起こさない人間の方が異常といえるだろう。


「仲間を殺された時のあいつは、そこらの一個大隊より恐ろしいってこった」


 ミスターの話に、部下二人はごくりと唾液を飲み込んだ。そして、思い出したように握っていたコップを口元に運ぶ。


「それから俺は、核の実験をしていた建屋に向かったんだがな……」


 省吾の弾丸は軌道を曲げることが出来る為、ウランを加工していた施設周辺にいた敵は、銃が放つ火を見る事もなく次々に倒れていった。


「その時、炎を背負ったあいつに出くわした……」


 銃弾が飛び交う施設の前で、ミスターは階段の陰に隠れていた。恐怖から動けなかったわけではなく、施設にもぐりこむタイミングを見計らっていたのだ。


 工場の建物から次々に爆発が起こる中で、ミスターは自分の目を疑った。マシンガンを装備した敵が、引き金を引く前に拳銃しか持たない省吾に倒されたのだから、ミスターの気持ちが分かる者も少なくはないだろう。


 建物が燃える炎を背にした省吾を、ミスターは初めて目撃した。その時の省吾は、既に全身が傷だらけになっており、灰色の戦闘服はずたぼろに破れ、いたるところが血で赤黒く変色していた。


 当たり前の事ではあるが、敵の拠点に一人で乗り込むのは、自殺行為だ。生き残る事すら絶望的な状況では、省吾でも無傷で戦う事など不可能だったのだ。人間の目でははっきり見えないほどの速度で飛ぶ銃弾と、爆発による破片を浴びながら、省吾は急所だけを守り、戦い続けていた。


 ミスターは部下二人に喋らなかったが、飢えた狼すら怯ませるほどの眼光を放った省吾に、その時自分から名乗り出た。拷問されても自分の事を喋らない自信があったミスターだが、省吾の目を見た瞬間、銃を地面に置いて両手を上げたのだ。


 省吾が特殊部隊の戦闘服を着ていた事も大きな理由ではあるが、諜報員になって以降のミスターが恐怖から名乗り出たのは後にも先にもその時だけだった。


 ウランの加工がおこなわれている可能性があった施設を指さしたミスターは、その事を説明した。ミスターから説明を受けた省吾は、任せるとだけ呟くと、爆発の続く工場内に走り出してしまった。


「あれほどクレイジーな奴は、国連どころか、敵でも見た事なかったぜ」


 酒を飲み干したミスターがコップをコースターの上に置くと、部下の女性がすぐにボトルを掴んで酒をコップに注ぐ。


 ミスターは部下二人の顔を見て、笑いながら首を左右に振っていた。それは、二人が酒も飲まず、話に聞き入っていたからだ。


「ふぅ。あのガキの話が、噂されやすいのもよく分かっただろう? あいつは派手好きじゃないが、結果的に派手になることが多い奴だ」


「えっ……あ、はぁ……」


 先程まで省吾を馬鹿にしたように笑っていた男は、気恥ずかしそうに目線を逸らし、小さな返事をした。それでも、すぐにその男性が目線をミスターに戻すのは、話の続きが気になっているのだろう。


「あの……それからは?」


 待ちきれなかった部下の女性に至っては、催促までしてしまう。


「まあ、施設に敵はほとんど残ってなくてな。ウランは俺が一切合切奪ってやった……」


 敵の輸送用小型トラックにウラン等を全て積み込んだミスターは、爆発の続く工場からそのまま逃げだした。


 工場を出てすぐに、トラックのコンテナに何かがぶつかった音を聞いたミスターは、車を走らせながらミラーの角度を手で変えた。目の前に障害物がなかった為、ミスターはアクセルを踏んだまま上半身を窓から出した。それは、ミラーに映った光景が信じられなかったからだ。


 小さなトラックのコンテの上には、グレネードランチャーを工場側へ構えた省吾がいたのだ。ミスターが叫ぶ前に省吾が握った回転式グレネードランチャーから、全ての弾頭が発射された。


「あのくそガキ、俺に会ってから何を仕込んでたと思う?」


 部下二人が答えを出す前に、ミスターは回答を教えた。


「あの大馬鹿は、爆薬を連鎖的に誘爆する様にセットしてやがったんだ。それも、俺の行動を予測して、作戦に組み込みやがった。可愛げの欠片もねぇ奴だ」


 コンテナの上で工場が大爆発を起こしたのを見届けた省吾は、グレネードランチャーを投げ捨て、運転席の上へと移動した。そして、フロントガラスの窓枠を片手で掴むと、助手席の扉を開き、中へと滑り込んだ。


「ひゅぅひゅぅと気持ちの悪い呼吸をして、呟いたのは助かっただ。いかれてるとしかいえなかったな」


 戦闘中の省吾しか知らなかったミスターは、助手席に座っている子供の姿をした怪物に、銃を向けるかをその時本気で悩んだ。瞳の火が弱くなった省吾が、助かったと年相応の顔を向けなければ、その車に乗った二人のうちどちらかはこの世にいなかったかも知れない。


「また、更に可愛げがないのが……」


 その工場を壊滅させた功績は大きく、駆け出しの一諜報員だったミスターは少尉相当官にまで出世した。核の脅威を潰し、国連に反目する敵武装勢力の中でもかなり厄介だった敵を減らし、武器供給ラインを絶ったのだから正当な報酬だろう。


 だが、省吾は所属していた特殊部隊全員での功績だと言い張り、個人での報酬を受け取らなかった。ミスターの証言もあり、個人の功績である事は誰もが分かっていたが、戦死した仲間を思う省吾の気持ちをフランソアが汲み、部隊へ報酬が送られた。結果として損をした省吾だが、自分の判断に悔いはない。


「それからも、やばい組織とのどんぱちには、必ずあのガキが出張ってきやがる。あいつは、俺と敵にとって疫病神ってやつだ」


 自分達が見た省吾と、ミスターから聞いた噂の英雄が重ならない部下二人は、黙って顔をしかめ始めた。


 その二人が何を考えているかが分かっているらしいミスターは、鼻から息を吐き出すと、金属製の皿に入っているナッツへと手を伸ばす。口に含んだナッツを噛み砕くミスターは、工場から逃げる最中の事を思い出していた。


 死ぬ覚悟が出来ていた省吾が、ミスターのトラックに乗り込んだのは、助かろうとしたからではない。ミスターの任務がどれほど重要かをすぐに判断し、ウランを積んだトラックを敵の追撃から守る為に敵殲滅を中断して、死ぬまで戦う為に乗り込んだのだ。


 実際に工場から出た敵追撃隊は、省吾のライフル弾により全て潰された。ただその代償として、軍拠点まで逃げ延びたトラックから自力で降りられない程省吾は衰弱し、生死の境を彷徨った。


「怪我の手当てまで後回しにしやがって……くそガキが……」


 ミスターの呟きが聞き取れなかった部下二人は、上司へ顔を向けた。


「あの……」


「なんでもねぇ。酒だ。追加注文!」


 実直すぎる性格をした省吾は、ミスターの様なひねた考え方をする相手を、完全な味方につけられない事が少なくない。だが、省吾の本気を見てしまったその者達の多くは、敵にまわりたいと考えないのだろう。


……さて、次は本部だな。


 寮に帰り着いた省吾は、自分の部屋で服を着替え、本部へと向かう為に再び部屋を出た。それは、敵能力者を潰す作戦を、省吾が次の段階へ進める為だ省吾が本気で動き出した事を、敵能力者達はまだ知らない。


 寮のエレベーターから降りた省吾は、冬用の青いジャケットを羽織っており、先程までの怪しさが感じられない。一階のロビーを抜ける間に黒い手袋を両手につけた省吾は、寮の木目調である扉を押し開き、透明なビニール傘を差した。そして、自分の車がある駐車場ではなく、路面電車に乗る為に、繁華街側へと歩き出した。


……みぞれか。このまま雪になるか?


 辺りは既に真っ暗になっている為、天候の具合は分かり辛いが、省吾は傘にぶつかるみぞれの音で判断したのだろう。マンションから漏れる光や街灯を頼りに歩いていく省吾は、いつもの様に隙が少なく歩くのも速い。


……んっ? あれは、もしかして。


 寮から少し離れた場所にある、コンクリートで周囲を固められた小川に気配を感じた省吾は、目を細めた。省吾の持つ千里眼に、透視などの力は付加されておらず望遠だけの能力であり、月もない夜には綾香と力を合成でもしない限り敵を見る事は出来ない。


……フェンスを越えている? まさか。


 日本特区は理想的な設計がされた都市であり、小川一つにも作った理由がある。それは、大雨等の水害をおこさない為に、下水道や暗渠の排水を補助しているのだ。その排水を主目的とした人工の小川は、雨のたびに水かさが増す為、事故の無い様にフェンスが張り巡らされている。


 だが、省吾が見つけた人影は、そのフェンスを越えていた。飛び込んでしまうのではないかと不安を感じた省吾は、様子をうかがう為に闇にまぎれて近づく。


「ちくしょう……ちくしょおおおぉぉぉ!」


 四つん這いでコンクリートの地面を殴っていた彰が、突然大声で叫んだ為、省吾もびくりと体を反応させてしまった。


……兵長はしくじったのか? 飛び込むなよ?


 近くの民家から漏れる光でうっすらと見える彰は、全身がずぶぬれになっており、どれほどその場にいたか省吾にも推測できない。


「這い上がってやる! 俺を舐めるなよ! くそっ! くそっ!」


 彰の言葉で飛び込む気が無いのだろうと判断出来た省吾は、息を吐きだし、冷たい外気がそれを白く変色させた。


「こんな所で終われるか! そうだ! 俺の可能性と本気は、こんなものじゃない!」


 悲劇の主人公になりきって叫んでいる彰に、省吾は声を掛けるかを考えていた。


……友人ではないにしても、危ないや風邪ひくぞ、くらいは大丈夫か?


 周りが見えていない彰は、省吾が自分を見つめている事も、近くの民家に住む住人が通報するか悩んでいる事も気付かない。


 彰は何度もコンクリートを殴りつけているが、最初の一撃がかなり痛かったらしく、二発目からはほとんど力が込められていない。それこそが、彰の意思の強さと覚悟の深さを表しているのだが、暗闇の中では省吾でもその事に気が付けていないようだ。


「井上えぇぇ! お前にこの苦しみを、倍返しにしてやる! 見てろ! 必ずだ!」


……なるほど。声は、かけない方がよさそうだ。


 渋い顔になった省吾は、生徒ではなく職員の方が良かったと、改めて心の中でフランソアへの愚痴を呟いた。そして、その場を離れた省吾は携帯電話をポケットから取り出し、軍ではなく警察へ彰の事を通報する。


 その省吾は純粋に保護対象の体を心配し、精神的な安定を本当に望んでいる為、警察に保護されれば安全だろうと考えているのだ。


……風邪ひくなよ。さて。


「あ、兵ち……堀井先生ですか? 実は……」


 警察に彰が厄介になった場合のフォローを堀井に任せた省吾は、到着した商店街で足を止めた。それは、酒場で飲んだコーラの糖分が呼び水となり、空腹を感じたからだ。


 省吾がいる繁華街の歩道には、人通りが少ない。だが、飲食店などの店内は賑わっており、コインパーキングも満車になっている。歩道からその満席らしい店内を見た省吾は、満席になり難いファミリーレストランの看板を見つけて足を向けた。


「はぁ……。ここは駄目だな」


 ガラス張りで中が見える作りになっているファミリーレストランが、省吾の危機を救ったのかもしれない。客の中にリアを見つけた省吾は、他の店を探そうとそのファミリーレストランから離れて行った。


 ドリンクバーがあるそのファミリーレストランは、学生達もよく利用する場所であり、学園の生徒がいても不思議ではない。


……あれは、資料で見た合同コンパというものか?


 広いテーブル席に座っていたリアの両隣には取り巻きの女生徒が座っていたが、正面には大学生だとおぼしき男性が三人座っていた。一刻も早く彼氏を作りたいとリアが取り巻きの女生徒に漏らした為、その合コンは開催されたのだ。


 省吾の事が気になっているリアではあるが、他にもっといい男性がいればと考えるのは、当然の選択肢であり、間違いではないだろう。何よりも省吾側からすれば、自分ではなく適切な良識を持った男性と、リアの仲が深まる事は好ましい。


……神山と違って、彼女は順調だな。やはり、時間は偉大だ。


 腹の虫が声を上げ始めた省吾は、ジャケットの上から傘を持っていない方の手で腹部をさすり、店を探す。


「素敵です! もう、痺れました!」


……うん?


「一生聞いていたいくらいです」


 カラオケボックスから出て傘を差したケビンを見た省吾は、反射的に路地に身を隠してしまった。


「ありがとう、皆。元気が出てきたよ」


 女生徒四人を引き連れたケビンは、爽やかな笑顔で四人全員にソフトタッチをしていく。鼻息が荒い女生徒達は、そのケビンの行動を嫌がるどころか喜んでいるようで、より体をケビンに近づけていた。


「さあ。もう遅いし、寮まで送ろう」


「ええぇぇぇ……」


 ある意味で彰よりも健全な精神を持ったケビンは、女生徒達に不適切な事をするつもりはない。だが、女生徒達からするとそれに不満があるらしく、もっと一緒にいたいと駄々をこねる者までいる。


「ファントムが現れても、俺が守ってあげよう。ね? 送るから帰ろう。自分を大事にしないと……」


 カラオケでの熱唱と、女生徒達からの励ましで元気を取り戻したケビンは、女生徒をなだめながら寮に向かって歩き出した。


 ケビンと十分な距離が出来た所で、省吾は路地から出た。そして、暗闇に消えていくケビンの背中を見つめる。


……うちの生徒は、バイタリティに富んでいるな。


「良い事……か?」


 周囲を見回した省吾は、飲食店の店内に学園の生徒がかなりいる事を改めて認識し、商店街での食事を断念した。空腹を我慢したまま本部に到着した省吾は、顔をしかめている。電車内でお腹が鳴ってしまい、注目されたのが嬉しくなかったのだろう。


「あら? どうされたのですか? 中尉」


 本部の食堂で省吾を見つけたリンダは、自分の食事を持って正面の席に座った。


「珍しいですね」


 日本食が苦手な事を隠さなくてもいい本部の食堂ではあるが、省吾は寮で趣味を楽しむ為にあまり利用しない。その省吾が食堂にいるだけでも驚いていたリンダだが、顔をしかめて食事を口に運ばない相手を見てさらに驚き、心配する。


「あの、中尉? 大丈夫ですか?」


 マッシュポテトをフォークで潰していた省吾は、鼻から息を強く吐き出し、自分を心配するリンダに顔を向ける。


「ムーア補佐官……」


 省吾から返事がもらえたリンダは、不安な表情を緩め、優しく笑う。


「補佐官は、学生時代生命力にあふれていましたか?」


 省吾からの質問らしき言葉が理解できなかったリンダは、英語での会話を正面に座る男性に進めた。


……ぬっ? 間違えたか?


「失礼。まだ、日本語は十分ではないようだ」


「あ、いえ。でも、中尉は英語を喋っている方が、しっくりきますね」


……ぐっ!


 リンダの何気ない言葉は、日本語に自信が出始めていた省吾に、ダメージを与えてしまう。


「それで、先程の質問は、どういった意図が?」


 十代の学生は多感であり、溢れ出るほどの元気があるのが普通なのかと、省吾はリンダに問いかけた。英語で。


「それは、人それぞれですよ。中尉。私はハイスクール時代、大人しい方でしたよ」


……やっぱり、うちのクラスが、特別元気なのか。


 空腹を思い出した省吾がポテトを口に運び始めた為、リンダも自分の食事に手を伸ばして食べ始めた。


……俺は、彼等についていけるだろうか? 仕事の忙しさによっては、難しそうだな。


 リンダからの世間話に適度な返事をする省吾は、脳をクラスメイトとの関係考察に使っており、少し離れた位置から若い作戦参謀に見られている理由を考えない。


「私は、イベントのパーティーで、友人が増えましたね」


……パーティー?


「ゲーム大会的なイベントは、ありだろうか? 補佐官」


「はい。でも、テレビゲームではなく、ボードゲームやカードゲームの方がいいですよ」


……馬鹿な!


 楽しい事が趣味のゲーム以外に思いつけなかった省吾は、眉間に深いしわを作って固まった。その省吾を見つめるリンダは、釘を刺しておいて正解だったと考えている。


「プラモデ……」


「駄目ですよ。それは、パーティーでする事ではありません」


……そんな馬鹿な! 楽しいのに!


 その心の叫びを省吾は口に出さなかった為、誰にも迷惑をかけてはいない。だが、川に向かって叫んでいた彰以上の気持ちが、それには込められていた。


 無論、その事は正面に座って呆れているリンダですら、汲み取れはしない。

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