弐
残存兵やファントムの出現も警戒しなければいけない状況で、一部隊だけが残ったのにも明確な理由がある。それは、少年が兵士として戦っている理由と全く同じなのだ。
その時の国連は、慢性的な人員不足に悩まされていた。食料や水の確保、資源の調達、家屋を含めた環境の整備等。人間が生きていくために最低限必要な作業すら、人手が足りていなかったのだ。その上で、ファントムの脅威から人を守る為に、人数の少ない超能力者を効率よく配備しなければいけない。
超能力者達は、ファントムに対して絶対的優位に立てる存在だが、人間の武力集団にはそうはいかない。貴重な人材である超能力者達は、常に兵に守られている。それと同時に前線で戦う国連軍兵士も、ファントムから超能力者達に守られていた。
戦場で戦火が拡大する事も多々あり、最前線に配属された超能力者が幾人も犠牲になった。そして、超能力者の到着が遅れ、ファントムの犠牲になった部隊も少なくない。世界の約六割を国連が統治する状況にあっても、まだ人口は緩やかな減少を続けていた。
少年に構えられた銃の安全装置は、既に外れている。物音を最小限に抑え、常に遮蔽物を背にした少年は、町の中で兵士が隠れている可能性がある場所をしらみつぶしに確認していく。周囲を警戒し続ける少年は、小さな物音にすら銃口を向ける。十代の人間では不可能と思えるほど洗練された熟練兵士の動きを、少年は体現して見せていた。
同じ部隊の四人は、教会周辺を交代で警戒しているだけだが、少年は単独行動を任されるほど経験と技術が高いのだ。他の四人では、これほどスムーズに町を探索する事は出来ないだろう。これが国連設立後も少年が兵士として残った最たる理由だ。
その少年は物心ついた頃には既に銃を握っていた。そして、地獄の中を生き残って身に付けた技術と経験は、類稀と表現するにふさわしいほどに成長を遂げていた。
人数こそ少ないがその少年以外にも、十代の少年少女達が戦場に立っている。強制ではなく志願者のみだが、十代の若者達を戦地に送り込む非人道的な行為を、人員不足である国連の指導者達は選ばざるを得なかった。
町を進む少年は兵士としての技量以外にも、強いとは言い難いが超能力を発現させていた。超能力の副産物である直感力と大人以上の早く的確な判断で、少年は戦場を生き延びてきたのだ。
大人でも力に目覚める者がいる為、兵士の中からそういった存在が出る事は何ら不思議ではなかった。超能力を持った兵士達だけで作られた特殊部隊も、国連軍の中に存在する。ただ、その者達は本来の階級から力の発現と共に、特進するなどの優遇を受けている。それだけ貴重な存在なのだ。
当然ではあるが、優遇とは無為に甘やかす事ではない。兵士ではない超能力者を送り込めない激戦地へと送られる事への見返りに与えられた優遇を、手放しに喜ぶ者は少なかった。
特殊部隊所属であるその少年も、今回の作戦を成功させる為だけに送り込まれたのだ。町の探索を終えつつあるその少年兵は通常の優遇に加え、国連の指導者達から特別扱いを受けていた。
各地で現れた同年代の超能力者の中では、少年の力は強くない。しかし、大人を含めた全体で見た場合は、特出して弱いわけではない。そして、超能力の強さは訓練や時間経過により強くなる者も少なくない為に、少年の可能性には期待が寄せられていた。
兵士としても驚くほど優秀な少年は、頑固な面はあるが性格も軍属に染まったせいで従順だった。その為、指導者達だけではなく、軍の上官等、彼を好意的に思う人物は少なくない。
「東地区、異常なし。一時帰投する」
仲間から了解と短く返事を受けた少年は、無線機を防弾繊維で出来たベストにあるポケットの一つにしまう。そして安全装置をかけた機関銃を、ベルトで肩から下げた。
「ふぅ」
一度少しだけ大きく息を吐いた少年は、教会に向かい歩き出す。先程より警戒を緩めてはいるが、少年が周囲への警戒を完全に解いたわけではない。遠距離射撃され辛い場所を歩き、小さな物音にも足を止め身構える。
命のかかった戦場で警戒は足りない事はあっても、し過ぎる事はないと少年は良く分かっている。何よりも、自分にどれだけ責任があるかを知っている少年は、気を緩めない。
人員不足ではあるが、本来警護を五人だけにする事はないだろう。しかし、今回は少年の力を期待して現場の指揮官が五人だけを残した。少年はプロの兵士として、その重圧を感じるほどの任務がどれほどの意味を持っているかよく理解して、取り組んでいるのだ。
「こちらは異常ありません」
教会に帰り着いた少年に、教会の入り口で銃を構えていた兵士が敬礼をする。少年の階級は、その三十代らしき兵士よりも高い。
「では、引き続き警戒を」
「はっ」
兵士に挨拶としての指示をした少年は、周囲を警戒しつつ教会内部へと入っていく。
教会内では、シスター三人による食事の配給が始まっていた。食器を持った住民達が簡易の机に置かれたパンとスープを貰う為に、列を作っている。
住民達が一時避難しているのは教会の礼拝堂だが、国連軍により床に固定されていた椅子はすべて撤去済みだ。広い床には、シートや布団が敷き詰められている。
少年は、夜の監視を行っていた兵士が仮眠をとっているシートに向かう。そして、ヘルメットを脱ぎ装備の詰まったベストを外す。そのまま座り込んだ少年は、体の緊張をほぐす為に肩と首を回しながら水筒に入った飲料水を飲み、教会内を見回した。
食事の配給を受けた住人達は、嬉しそうに自分のエリアに戻り食事を始めていた。食事への感謝で涙ぐむ老人を見つめ、少年はその町の厳しい環境を想像する。国連の統治下内では食料問題が解決に向かっている。
だが、そうでない地域の住人はファントムや武力集団からの暴力だけでなく、飢えとも戦い続けている。少年も災害の混乱中に死を感じるほどの飢餓を経験しており、戦争を続ける武力集団に怒りと憎しみの感情を覚えた。
少年が次に目を止めたのは、医療の心得がある神父が怪我人や病気の対応をしている光景だった。ぐずり始めた小さな子供を、神父は懸命に看病していた。軍の医療品は可能な限り渡したが、少年には医療の知識がなく手伝うことが出来ず、遣る瀬無い気持ちになる。
住民が全滅する前に国連軍が間に合ったこの幸運な状況すら、悲しみを伴うのが大災害以降の現実だ。
「はぁ……」
水筒からもう一口水を飲んだ少年は、眉間にしわを寄せて頭を片手で乱暴に掻き毟る。そして、溜息をついた。
「お疲れ様です」
少年に話し掛けたのは、若いシスターの一人だった。そのシスターは顔つきと瞳の色から白人のようにも見えるが、髪が黒に近い。その為、黄色人種と白人種の血が混じっているのだろうと、少年は推測した。
優しく笑っている修道服を着たそのシスターは、瞳が大きく鼻筋が通った綺麗な顔立ちをしている。長いまつ毛と上品ではあるが少し人より厚みのある唇を、男性ならば魅力的に思えるだろう。
「あの、これ。召し上がってください」
魅力的な笑顔を少年に向けたシスターは、金属製の食器に入ったスープとパンを差し出した。食器にはスープだけでなく、金属で出来た先割れスプーンが入っていた。それを使って食べろといっているのだろうと、少年にもすぐに分かる。
「あ、いえ、俺は」
兵士である少年は、シスターからの好意に顔を曇らせて躊躇した。少年はシスターが嫌いなわけでも、メニューが気に入らない訳でもない。
元々、町には全くといっていいほど食料がなくなっていた。その為、国連軍が立ち去る前に可能な限りではあるが食料を提供した。ただ、戦闘行為を継続しつつ補給を待たなければいけない国連軍の可能な限りであり、潤沢とは言い難い程度の量だった。
最悪の事態も想定し、人員輸送用の車両が到着するまで、食事の量を切り詰めなければいけない状況だ。百人もの人間で分配すると、一日一食が限界だった。
既に配給分を食べ終えてしまい、少年兵を羨ましそうに見つめる幼い子供すらいる状況での食事は、気が引けてしまったのだ。
「駄目です」
「はっ?」
目を真っ直ぐに見つめて放たれたシスターの言葉に、少年は素直な驚きを口に出した。
「貴方だけ全く食べてないじゃないですか。他の方は少量ですが、食べてくれています」
「いえ、俺は」
何とか断ろうとした少年のしかめっ面に、シスターは両手に持った食料以上に顔を近づけた。鼻息がかかるほどシスターに距離を詰められた少年は、困惑の表情を浮かべ、体を少しだけ強張らせる。
「他の方から、貴方が一番働いていると聞きました。その貴方が無理をしてはいけません。万全の体調で職務に従事するのも、義務ではありませんか?」
プロとしての自覚を十分すぎるほど持った少年に、シスターの口にしたその言葉は効果的だった。渋々ではあるが、少年は食料を受け取った。それを見たシスターは、嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。しかし、次に少年がとった行動でその笑顔は消えてしまう。
「いいの? お兄ちゃん?」
「喧嘩せずに分けろよ。いいな」
少年はパンを一欠けらだけちぎり口に運ぶと、残りを子供達に差し出したのだ。
「うん!」
少年から食料を受け取った子供達は少しでも多く食べたいはずだが、苦労を共にした友人達と仲良く分配を始める。その光景を少年は表情を変えずに見つめ、口を動かしている。
「あの? 私の話を聞いていました?」
咀嚼していたパンを水と一緒に喉の奥へと流し込んだ少年に、顔の赤みを増したシスターが詰め寄ろうとした。シスターは誰の目から見ても分かるほど、少年に対しての不満を顔に出している。少しだけ声を大きくするためにシスターが息を吸い込むと同時に、少年が口を開いた。
「俺はこれだけで、三日以上の戦闘行為を続けられます」
少年の言葉に、偽りはない。
食料の補給が断たれる事もしばしばある最前線で戦い続ける少年は、水さえあれば一週間程度絶食状態に陥ってもパフォーマンスをほとんど低下させない。そのように体が順応出来なければ、生き抜けないほど少年の日々は過酷だったのだ。
「ですが!」
不満を抑えられないシスターの言葉を、少年は遮って喋り続ける。
「何よりも、同じ事をしている貴女が俺に怒るのは、筋違いじゃないですか?」
三人いるシスター達は、全員が自分の分すら配給しているのを少年は知っていた。年長のシスターが、他の若い二人に強要している訳ではない。それぞれ三人共が自分の空腹を水で誤魔化し、隠れて自分の食事を住民に渡して食べたふりをしているのだ。
少年にその行為がばれていた事に驚き、シスターは絶句してしまう。そして、少年が顔を逸らすと、複雑な表情をしたシスターは溜息と同時にその場を離れた。好意を好意として素直に受け取るのも大事なのだが、少年はその部分が少しだけ理解できていない。戦いに明け暮れた日々を過ごした少年にとって仕方ない事ではあるが、素直すぎる性格が良くも悪くもそのまま人に伝わってしまう。
その夜、少年はいつものように背中を壁に預け、座ったまま眠っていた。装備は身に付けたままだ。襲撃に備えてすぐに動ける準備をした上で、わざと眠りを浅くしているのだ。十分な休息ではないが、慣れている少年にはそれほど苦にならない。
見張りの兵士二人は別として、ほとんどの住民が寝静まった深夜、少年の閉じられた目蓋が微かに動く。浅い眠りの中で眼球運動が始まっているのだ。浅い眠りは少年に夢を見せる。その夢の内容は、過去のものだった。
大災害以降の記憶しかない少年が見るその夢に、明るい部分は少ない。うなされてはいないが、額に大粒の冷や汗が滲み出してくる。そんな少年の皮膚から脳に信号が送られた。
少年は目蓋を開くのと同時に、安全装置を外しつつ拳銃を抜いていた。そして、鋭い眼光と銃口を自分の眠りを妨げた人物に向ける。
「起こしてしまいましたか……」
窓から差し込んでくる月明かりで、シスターの悲しそうな表情が少年にもはっきりと見えた。昼間少年に食事を渡したシスターは、ハンカチで少年の寝汗を拭っていたのだ。大きく息を吐いた少年は拳銃の安全装置を作動させ、ホルスターに戻す。
「すみません。寝ぼけました」
「いえ、お気になさらないでください」
出来るだけ小さな声で謝った少年に、シスターも小声で返事をして微笑む。その目からは、慈しみともとれる暖かさが感じられた。
「あっ、あの、もう大丈夫です。ありがとうございます」
シスターは、目覚めた少年の汗を尚も拭きとろうと、ハンカチを持つ手を伸ばしていた。その手を、少年は右の掌で遮り、少しだけ申し訳なさそうに軽く首を左右に振る。
首を振りながら服の袖で汗を拭きとった少年を見て、両膝を床についてハンカチを構えていたシスターが体を引く。肺にたまっていた二酸化炭素を多く含む空気を、少年は鼻から一気に吐き出し、無意識に水筒へと手を伸ばす。少年が喉の渇きによる不快感を消す為に水を飲んでいる姿を、シスターは何もいわずに眺めていた。
水筒のふたを閉め、頭を掻いた少年は、目線を左右へ交互に彷徨わせた。挙動不審にも思えるその少年の行動は、自分が置かれた状況をどうすればいいかが分からずにとってしまった事だ。
床に正座をしているシスターが、その場を離れないのだ。シスターは、今も少年をじっと見つめ続けている。寝静まった人達を起こしてしまう可能性があり、少年は会話を避けたかった。だからといってシスターに見つめられながら眠る事も出来ない。何よりも、少年の頭は驚きで完全に覚醒してしまい、眠気を全く感じなくなっていた。
少しの間目線を泳がせていた少年は、機関銃を持って無言のまま立ち上がり、出入り口へ向かって歩き出した。そして、可能な限り音を立てない様に扉を開いて外へ顔を出す。
「んっ? どうかしましたか?」
顔を出した少年に、扉を出てすぐにある柱の裏で身を潜めていた見張りの兵士が気付き、話しかけた。
「目が覚めて寝付けません。よければ、見張りを交代してください」
少年は見張りの兵士よりも階級が上ではあるが、敬語で見張りの交代を願い出た。それは暗に、命令ではなく個人的な頼みだと兵士に伝わる。少年よりも年上である兵士は、少し考えはしたが静けさにより眠気を覚えており、礼をいって立ち上がる。
先程まで兵士がしゃがんでいた場所に座ろうとした少年の顔が曇る。中に入る兵士と交代で、シスターが外へ出てきたのだ。トイレを含む生活に必要な施設は教会内に全て整っている為、シスターが屋外に出る合理的な理由はない。
人間は、見通しのきかない夜の闇を、本能的に怖がることが多い。ファントムの出現が夜に限定されている訳ではない。だが、ファントムの出現後、それまで以上に闇を恐れて夜間に出歩く人は少なくなっている。それを分かっている少年には、シスターの行動が不可解でしかない。
夜の散歩に向かうつもりならば、やめさせようと考えていた少年の動きが止まる。シスターは少年に近寄り、隣に座ろうとしているのだ。
その予想外の状況に思考が停止しそうになった少年は、両目を閉じて何とかそれを食い止めた。そして、遮蔽物の多い自分の待機しようとしていた位置へ座るように、無言でシスターを促した。少年の指示に、シスターは素直に従う。
シスターを一人にするだけでなく、目立つ位置に移動するわけにもいかない少年は、シスターの隣に座った。中に入っていろと強くいうべきか少年が悩んでいると、シスターが口を開いた。
「ごめんなさい。少し貴方と喋りたくて」
「はぁ」
「私は、ケイト。シスターケイトです」
「俺は、アルファフォーです」
ケイトは少年を見つめながら、自分の名を名乗った。少年も礼儀として、自分のコードネームを口にした。それは少年にとって当たり前の事なのだが、ケイトは少年の返答に満足しなかった。
「差し支えなければ、本当のお名前も教えて頂けますか?」
ケイトの言葉に、少年は返事を詰まらせた。名乗る事を許されていないといった、軍の規律はない。しかし、少年は返答に悩む。
「あの、Aです。アルファベットのエー」
「はい?」
そのままケイトが受け入れてくれればと願った少年の望みは、叶わなかった。
「その、えっと。あっ、トランプに準えてエースと呼ぶ人が多いです」
少年がふざけていないのはケイトにも理解できたが、返答には納得できない。名前がアルファベット一文字の東洋人など、今まで出会った事がないからだ。首を傾げているケイトに、少年は仕方なく説明を始めた。
少年にとって、それは久しぶりの事だった。正式に国連軍へ所属してからは、コードネームか階級で呼ばれることがほとんどで、名乗る機会が少なくて済んだからだ。少年は名前の説明をするために、渋々自分の生い立ちについて語リ始めた。