七
人間の内面は、驚くほど脆い。他人からは失敗だとさえ思えない些細な事で、心が折れる。自分以外の誰かが発した何気ない一言で、心が傷つく。
場合によっては、いい意味でいった言葉や、褒め言葉ですら逆の意味を勘ぐってまで心を閉ざす。人の中にいながら、他人の心を読むことが出来ない人間は、未完成どころか欠陥品なのかもしれない。
省吾の連絡により病院へ運ばれたリアは、白いベッドの上でまだ目を覚まさない。医者の診断では、喉が圧迫により少しだけ炎症しているだけで他に異常はないはずだが、彼女は目を覚まさない。
その医者からリアの状況を聞いたのは、肉親ではなく担任である堀井だった。武装勢力が関わった事で、状況を重く見た国連はリアの両親へ連絡する事を保留していた。
「状況を……私なりに説明しました」
リアを診断した当直の医者は、偶然ではあるが国連の信頼を得ている人物だった。その為、治療の助けになればと考えた堀井は、省吾から得た情報を武装勢力の部分だけうまく省いて説明していた。
「あの医師なら問題ないだろうな。で?」
念の為、省吾も担当医の素性をチェックし、堀井の行動に問題が無かったと考えている。
「精神的ショックで、心を閉ざしているのではないかと言っていました。目を覚ました後も、精神科への通院を検討する方がいいとの事です」
安全を売りにしている特区で、セカンドが今のような事態に見舞われた事は、重大な問題である。問題の大きさが分かっている省吾は、既に国連上層部への連絡は済ませている。
方針をフランソア達が決めるとはいえ、省吾が何も考えなくてよいわけではない。家族への報告、リア自体へのフォロー、世間への対応、今後の対策、力を手に入れたらしい敵勢力に対する対策。問題の量と大きさが洒落ですまない状況で、省吾の表情は晴れるはずもない。
「俺には分からないが、精神的な原因で、力を落とす能力者もいると聞いている」
問題が山積みの中で、まずリアの心配をする省吾に、堀井は自分の持っている知識で返事をした。
「その事例は、報告されていますね。ですが、能力者の精神が安定すると同時に、能力も戻る場合が多いですから、それに期待するべきでしょう」
しかめっ面をした省吾は、腕組みをして何度も大きく息を吐いていた。そして、思い出したように腕時計を見る。
「時間だ。方針はまた連絡する」
「了解です。お気をつけて」
外に出た省吾は、リアの治療中に病院の駐車場へ持ってきていた自分の車で、日本特区司令部へと向かった。今回の件で、緊急会議が行われるのだ。
学園以上に重要情報や兵器が置いてある司令部は、厳重な警備で固められている。車の窓を開けた省吾が警備の兵に身分証を提示する事で、重く頑丈な金属のゲートが開かれ、省吾は指定の駐車スペースに車を止めた。
「井上中尉。お待ちしていました」
軍の制服を着た女性補佐官が、省吾を玄関で待ち構えていた。事の重大さを知っているらしいその補佐官は、表情と動きから緊張が感じられる。
「お急ぎ下さい。こちらです」
玄関で靴をスリッパに履きかえた省吾は、補佐官に急かされながら会議室へと向かう。その会議室には、既に日本特区司令官が椅子に座っていた。そして、衛星回線を使ったビデオ会議の機材を、専門職らしき者達が急いで準備している。
「特務部隊所属、井上省吾! ただ今出頭しました!」
「ご苦労。堅苦しいのは無しだ。その席に座れ」
「はっ!」
敬礼をした省吾に、司令官は座ったまま隣の席を指さした。省吾が座ると同時に、専門職員達が省吾と司令官を映す為のカメラを設置する。すると、プロジェクタがスクリーンに投影していた青い画面に、省吾と司令官の顔が大きく映し出される。専門職員達はそのスクリーンを何度も見ながら、カメラの角度を調整する。
数分後、準備を終えた専門職員達は補佐官に機材の操作を任せて、部屋を出て行く。彼等は、会議に出席する権限がないからだ。
「とんでもない事になったな」
「はい。場合によっては、戦争の引き金にもなりかねません」
日本人ではないが、東洋人である司令官は省吾と同じ毛の色をした眉を、指で撫でつける。そして、省吾が信じられない程、動揺しながら連絡してきた事を思い出す。
「お前がこの特区にいてくれて、今日ほどよかったと思った事はない」
省吾は敵に完敗した事を思いだし、悔しそうに眉間にしわを作って返事をしない。兵士として戦い続けた省吾の精神力は、同年代の者達よりも強いといえる。しかし、戦地から長期間離れた事で、明らかに全盛期より弱くなってしまっていた。
「お前がどう思っているかは知らないが……。お前でなければ騙されていたセカンドの女生徒を救い、敵を追い返した上に、生きて情報を持ち帰る事は出来なかったはずだ。胸を張れ」
上官から気を使われた事を恥じながら、小さな深呼吸をした省吾は、動揺を殺して強い目線で顔を上げた。省吾が顔を上げると同時に、部屋の明かりが落とされ、スクリーンに国連の重要人物である六人の顔が表示された。
表示されたのは、事務総長であるフランソアに、日本以外の二つの特区にいる司令官二人、超能力研究所最高責任者であるマードック博士。そして、国連でフランソアに次ぐ指導者であるコリント事務次官と、ランドン事務次官だ。
社会経済部門を統括するコリント事務次官は、災害以前は自他ともに認める悪徳政治家だった。その酸いも甘いもかみ分けた知識と経験で、今の国連は維持されている。
世界最高の軍を保有する国連安全保障部門を統括するのは、ランドン事務次官だ。彼は、野球の盛んな国でホームラン王に輝いた経験もある。省吾以上に白い内面を持つ彼は、腐敗しやすい軍を誰にも恥じる事の無い組織にしている。
「おお、坊主! でかくなったなぁ。うちの下の孫娘が、旦那探してるんだが、会ってみる気はないか?」
最初に喋り出したのは、コリントだった。軽い口調だが、それが重い空気で会議が進まない可能性を考えた、コリントなりのやり方なのだ。コリントのやり方を、その場の全員がよく知っている為、肩の力を抜いて笑う。だが、笑いがおさまると同時に、全員が引き締まった顔をカメラに向ける。
「まずは、中尉。偶然だけど、特区に貴方を配属してよかったわ。ご苦労様」
「はっ!」
立ち上がって敬礼をした省吾に、フランソアは無言で座るように手を動かした。そして、両肘を机につき両手を口の前で組み、省吾に詳細説明を要求した。
省吾は自分の得た情報を、可能な限り七人に説明した。その説明は、報告であり省吾の考えを述べる時間ではない為、現実に起こった事だけをたんたんと喋る。
「振動ナイフに、テレポートを使う……フォースか……」
省吾以外の七人は無言になり、自分の中に湧いた疑問を自分自身で一度整理する。
「私はよく知りませんが、振動ナイフは技術的に再現できるものなの? それが、どれほどの脅威になるか、分かる?」
フランソアは、兵器に詳しいランドンや他の司令官に質問をした。その返事を、ランドンが即答する。
「医療器具として、既に超音波振動メスは導入されています。超音波が振動の動力かどうかは分かりませんが、技術的に不可能では無いはずですよ」
ランドンは省吾からの緊急連絡の内容を聞いて、振動メス等の資料を既に集めていた。その中には、省吾の防弾チョッキを日本特区にいる技術開発局員が、大急ぎで調べた報告書も含まれている。ランドンは、その資料や報告書を見ながら発言する。
「振動兵器については、中尉の切り裂かれた防弾チョッキもあるので、大よその推測が済んでいます。金属すら切断する切れ味は侮れませんが、銃を持った兵士なら対処可能でしょう」
そのままランドンは、振動ナイフについての説明を始めた。フランソアとコリントが想像し易い様に、振動ナイフをランドンは超小型のチェーンソーだと表現した。そして、そのナイフには切れ味を得る為に振動させた事で、一つの大きな欠点が出来たと言い切る。
振動ナイフの欠点とは、振動による摩擦熱だ。省吾が身に着けていた防弾チョッキの断面は、熱により微かに溶けていた事を局員達は見落とさなかった。
医療器具であるメスならば、切断面を焼く事で出血量が抑えられることはいい事だ。だが、人を殺す為の武器ならば、敵の失血が抑えられてしまい、その効果は邪魔な場合が多いだろうと技術局は結論を出した。
「相手がその超能力者でなければ、気をつけてさえいれば、いいだけだと私も思います。ここで、恐れるべきは、そのナイフを開発できる敵の技術でしょうね。天才でもいるのかもしれません」
ランドンの説明を聞いたフランソアは、敵の兵器について問題の優先順位を下げる。そして、次にセカンドが狙われた事についてふれる。
「エース? そうね。現場を見た貴方が、一番わかってるわね」
階級が低いせいで自由な発言が許されない省吾は、挙手で発言権をフランソアから貰った。
「自分は、敵がセカンドの女生徒を騙せたのは偶然だったと、推測しています」
「偶然? 的確にセカンドと接触したんだぞ?」
他の特区司令官は内通者を疑っており、省吾の意見に首を傾げる。
「敵は、学園の内部構造を、セカンドとはいえ生徒に調べさせていました。そのレベルの情報なら、職員は全員知っています。セカンドである生徒をそれ以上利用するのではなく、用済みとして始末しようとした事からも内通者の可能性は薄いと思われます」
説明には納得したようだが、疑問点が残るオーストラリア特区司令官が省吾に質問する。
「セカンドだった生徒に、敵が運よく接触したのか? 知っていたのではないか?」
「その可能性は捨てきれませんが、セカンド以上の超能力者は相手が超能力者かどうかを、勘ではあるのですが……かなりの精度で見分ける事が可能です。特区内で、超能力者の未成年ならば……」
省吾がいいたかった事が先に理解できたその司令官は、無言で分かったと片方を軽く上げ、首を数回縦に振る。
「なるほど。偶然目を付けた超能力者の生徒が、セカンドだっただけの可能性は……確かに高いな。だが……」
ランドンが次の言葉を口にする前に、日本特区司令官が計画を喋る。
「念のため、軍で内部調査チームを作り、調べさせます。一週間ほどで、結果報告は出来るでしょう」
「次は、敵が特区内に侵入した件についてだけど……」
フランソア達が資料を持ったことで思い出したように日本特区の補佐官である女性が、省吾と司令官に紙一枚の資料を渡した。それは、ローガンが作成したもので、省吾と検討した事まで記載してある。
「こんなもん、どうしようもねぇぞ? 警備顧問は、あの死神だ。不備があるはずがないしなぁ」
「確かに、テレポートを使われたのでは、防ぎようがないでしょうね」
コリントは、超能力の知識が少ない。ランドンとの意見を一致させた上で、マードックに質問をする。
「テレポートってのは映画の中みたいな力だが、その映画に出てきたバリアって作れねぇのか? マードックよう?」
「無理ですね。力がある事は目で見て分かっています。しかし、超能力には解明されてない部分の方が、まだ多いんですよ。力の源や、発生のメカニズムは、いまだに不明のままです」
そのやり取りから、八人がもっとも重要だと思っている敵の能力者について、話題が移行した。
「イ……マードック博士? 貴女はフォースと名乗った敵の能力を、どう見ているの?」
俯き気味に資料を見ていたマードックは、フランソアからの質問に、長い黒髪をかきあげながら顔を上げた。
「中尉からの話で推測するならば、超感覚で移動先の空間を分子レベルで読み取り……。サイコキネシスの力で空間ごと、交換しているのだと思えました」
コップに入った水を一口飲み、飲み口についた口紅を指で拭き取りながら、マードックは話を続ける。
「空間を交換するには、信じられないほどの力が必要でしょう。そんな力は、セカンドにも発生させられません。ですから、それを実現した能力者を、サードやフォースといって差し支えないでしょうね」
敵に間違いなく自分たち以上の力があると、超能力研究の第一人者が認めた為、七人は黙り込んでしまう。悲観的になったのではなく、対処方法に頭を巡らせているのだ。
考え込んでいた七人の中で、コリントが最初に口を開いた。
「もしかして敵は、人体実験でもして、人工的に超能力者を強化したりしているんじゃないか?」
コリントの発言で、ランドンが閉じていた目蓋を開く。
「人体実験ですか? また、恐ろしい事を……」
「お前らも知っての通り、俺は元悪徳だ。下衆の考えは、下衆には分かるんだよ」
コリントの冗談を、フランソア達は笑えなかった。敵武装集団の非道な行いを知っており、あり得ない話ではないと思えたからだ。だが、その考えをマードックがあっさりと否定した。
「何故だ? あの、あれだ。映画でよくある、脳を肥大させる体に悪そうな薬とか、あるんじゃないか?」
「確かに、能力者達の脳は、力の制御で使う一般人が使っていない部分が発達しています。ですが、それは能力発現後に力を使って鍛えられた為です。脳を何かの方法で強化しても、操作がうまくなる程度で、力を飛躍的に向上させる事は出来ません」
敵側に偶然、進化した者が現れたとも考えられる。だが、皆がマードックの説明を聞いて考えるのは、敵が自分達よりも超能力の核心を掴んでいる可能性だった。そして、いるかどうかも分からない、兵器と超能力を研究する天才を、思い描く。
「ふぅ。これだけの情報で、門外漢の私達が考えても、仕方ないわ。博士と研究所に期待しましょう」
「はい。全力であたります」
フランソアの言葉を聞いて、マードックの目が怪しく光る。頭の中で作り上げた、自分を超える天才に、ライバル心が芽生えたらしい。イリア・マードックは、十五才で大学院すら卒業した才女だ。彼女は研究者にしては好戦的な性格をしており、今までライバルをその天才的な実力で追い落としてきたほどだ。
「なら、最後の話だな。坊主。俺の知る中で最強のお前なら、次はいけるな?」
コリントの言葉に、省吾はすぐに返事が出来ない。それは、自分の力を過信することなく、正当に分かっているからだ。眉間にしわを寄せたまま返事をしない省吾に変わり、マードックが発言をする。
「これは馬鹿にしている訳ではなく、コリント事務次官は超能力の知識が少ない様に思えます。その点を、私から簡単に補足しても?」
「相変わらず、ストレートないい方だな。まあ、間違ってない。頼む」
少しだけ不快な顔をしたが、コリントは素直にマードックからの説明を求めた。
「超能力の強さを測定する際、私達は二つの単位を用います。簡単にいえば、量と質です。量はそのまま強さですが、質が高いとより高度なことが出来ると考えてください」
マードックは、専門的な知識の乏しいコリントでも理解できるように、超能力の解説を続けた。
量が多い能力者は、感知の範囲が広く、サイコキネシスでかなり重い物を動かせる。質の高い超能力者は、範囲内でのより詳細な分析や感知ができ、折り紙を折る等の複雑な動きが可能な者までいる。
つまり、千里眼と武器の強化が出来る省吾は、バランス型であり、量も質も極端には優れていないのだ。マードックは、能力の強さだけでいえば、省吾に勝ち目がないと言い切った。だが、彼女はそこで言葉を止めはしない。
「でもね、エース。貴方のその能力だからこそ、勝ち目があると思うの」
カメラ越しではあるが、省吾とマードックは真剣な眼差しを交差させる。
「イリア……」
「貴方は武器の力を、超能力で底上げ出来る。つまり、武器が強力なら、劣っている能力分を補えるって事よ。逆にいえば、そのフォースと戦えるのは、国連内で貴方ともう一人のセカンド能力を持った、特務隊員くらいじゃないかしら」
最初期にセカンドとして目覚めた省吾の能力を、マードック博士はよく知っている。何より、マードックはもう一人の特務隊員よりも、省吾の力を信頼している。
フランソアについて回っていた頃から省吾を知っているコリントとランドンも、信頼の視線と笑顔を送る。二人は、任務の重圧にも省吾本来の強い心が負けないと、よく知っているようだ。
その光景を見た日本特区司令官は、省吾の実力を十分に知りつつも、トップ達に贔屓にされていると噂されてもおかしくないと、呆れたように少しだけ笑う。そして、ランドンに許可を求める。
「井上中尉に、個人武装制限解除の、許可をいただけますか? 事務次官?」
「許可しよう。エースだけじゃなく、日本特区内の全兵士が持つ装備も、ワンランク制限解除を許可する。書類は、後ほど回しておいてくれ」
トップ達の後押しを受け、省吾の瞳に烈火を思わせる瞳の強さが戻った。それを見て、重苦しかったフランソアの雰囲気が変わる。そして、省吾を作戦の軸にした計画を口にした。
「生徒の対応と、世間への発表は、コリントと私で考えます。エース。貴方は、学園を多少休んでもいいから、敵勢力撃退に動いてちょうだい。貴方の負荷が増えるけど、やれるわね?」
「はっ!」
気合が入った省吾は勢いよく立ち上がり、その心意気を表現するような敬礼をする。その勢いで倒れた椅子を見て、補佐官が笑いをこらえる。
「人員の増強は……」
フランソアに、コリントが思い出した事を教える。
「死神の奴が、俺に無理矢理調整させて増員した、特務部隊員達がいるはずだ。そいつらを、警備強化じゃなく、敵勢力のあぶりだしに使えるはずだぞ」
「ローガンの無茶も、たまには役に立つわね。それでいきましょう」
会議は、それから半時間ほどで終了した。司令官と打ち合わせを終えた省吾は急いで学園へと戻り、堀井達部下に今後の方針を説明した。
現在世界最高の組織である国連で、力も知恵も才能もある者達が、事態の解決へ向けて全力で動き始めた。それは、その世界でそれ以上はないのではないかと思えるほど、最高の対応だ。だが、戦争を終結させるほどのその力でも、なんでも願いが叶う訳ではない。もしかすると、人間が望んだだけで与えられる奇跡など、神は作るつもりもないのかもしれない。
省吾がルークと遭遇した夜が明けると同時に、日本特区の環境が激変した。敵武装集団が、フランソア達の予測した通りに、動き始めたのではない。自然災害とも考えられ始めているファントムの活動が、目に見えて活発になったのだ。日本特区内でのみ、ファントム達の出現率が、五倍から二十倍近くにまで跳ね上がった。世界中での出現率が、減少傾向にあったファントム達のその状況に、敵がファントムを出現させるすべでも持っているのかと疑いたくなるほど、日本特区はファントムが現れ続けた。
その状況は国連軍兵士や、セカンドクラスの生徒達だけに、負担をかける訳ではない。それだけの回数、ファントムに襲われれば死傷者の数は増えていく。被害者の家族、病院関係者、日頃ほとんど出撃しないファーストの生徒、処理をする国連の軍に所属していない職員等、影響は波紋のように広がっていく。
一般人や生徒の死者数が、それまでとほとんど変わらなかったのは、特務部隊員と超能力者である生徒達が、死に物狂いで戦い続けたおかげだ。ただ、全力でファントムの対応にあたった功労者達が、何のリスクもなくそれを実現できたわけではない。睡眠どころか食事の時間さえ満足に確保できない状態で、セカンドの生徒は学園の制服よりも、戦闘用の服を身に着けている時間が長くなっていた。
人間は苦しいときほど、内にある本性が表面化しやすい。だが、苦しみながらも同じ敵と戦う事で、強い信頼と連帯感が生まれやすいのも、そういった場面だといえるだろう。疲れや睡眠不足で、いらいらや不満を募らせ、喧嘩等もしてしまう生徒達だが、窮地による友人達との結びつきで、それをなんとか乗り切っていた。
また、生徒達の安全も守る必要がある特務部隊員は、怪我人を増やしながらも、生徒達以上に全てをかけて戦い続けていた。省吾との再会を楽しみにしていた増援の隊員達も、その楽しみを感じる時間が確保できていない。なぜなら、その状況下で一番働いているのは、省吾だからだ。
限界が来た時のみ、五分から一時間程度の仮眠をとり、食事も移動中にしか行えない状態で、省吾は特区内を駆けずり回っていた。酷い場合には、バイクを運転しながら片手で握った拳銃の弾丸を発射し、そのままノンストップで次の現場へ向かう事もある。戦場で鍛え上げた体と精神を持つ省吾だからこそ可能な事であり、その努力が日本特区での死傷者数増加に歯止めをかけ、生徒達を守る要になっていた。
だが、省吾も目に見えて限界が近づいてはいた。怪我人を担ぎこんだ病院で、医師に命に係わると休養を勧められたほどだ。それでも、栄養剤の注射だけで車のエンジンをかける省吾が、部下達から慕われるのは当たり前なのだろう。
敵がファントムであり、一般人から見て表面上は何も変わらない日本特区だが、戦場の血生臭さが常に空気と混じりあっている。それに呼応するかのように、省吾の目には最前線での鋭さが戻っていた。
フランソア達が送り込んだ増員部隊でも間に合わない程、昼夜問わず出現するファントムのせいで、生徒達の出席が今まで以上に不規則になり、省吾とリアの不在が目立たない事は唯一の幸いなのかもしれない。
体力だけでなく精神力も削られるその状態は、一週間続いた。たかが一週間と思えるかもしれないが、残念な事に人間は一週間を不眠不休で戦い続ける事の出来ない生物なのだ。そんな窮地に、一筋の光明が差しこんだ。綾香やジェーンを含む超感覚に優れた能力者達が、ファントム達の出現している場所を感じ取ったのだ。
切っ掛けを作り、中心となったのは綾香だった。彼女は探索能力だけでなくテレパシー能力にも長けており、その二つをうまく融合した。優れた能力を持つ者達の感覚を、テレパシーを使って接続し、透視や千里眼能力を複合した大規模な索敵に成功したのだ。その結果、日本特区のある場所に敵が固まっている事が分かった。
「やはり、間違いありません」
学園の軍拠点内へ入る事を許されたセカンドの超感覚に長けた能力者達は、一番大きな会議室で再度索敵実験を行っていた。その結果を、堀井達兵士に綾香が伝えた。敵が掃討出来ると考えた兵士達だけでなく、ファントムの発生原因が突き止められるかもしれないと考えた研究者達も、綾香の言葉で沸き立つ。
「高梨さん。範囲と大よその位置を教えてくれますか?」
座っている綾香の前にある机に、堀井が特区内の地図を広げた。そして、ペンを渡された綾香は、迷わずにその地図へ情報を書き込んでいく。
「この山が中心部のようですね」
日本特区は、日本国の領土内にかなり大きく確保されていた。その為、日本の地形上、特区内にもいくつかの山が存在する。
綾香が敵の位置を書き込んだ場所は、その山の一つで、標高はそれほど高くない。また、木材を育てる為だけに使われている山であり、民家等が存在しない。
「はい。霧状の敵はつかみきれませんでしたが、五十体ほどだと思われます」
敵の数を聞いた堀井は、自分なりに作戦を考える。本来それは堀井の仕事ではないが、司令部の作戦参謀達も忙しさでパニック寸前になっており、丸投げするわけにはいかない状態なのだ。
「町中に潜伏している敵の位置は、分かりますか?」
「はい。ここと、ここ。後、ここに気配がありました」
綾香がつけた地図のしるしを見て、堀井は作戦を決めた。街をファースト達と一般兵に任せ、活動可能なセカンドと特務隊員で現地に向かい、一掃する作戦だ。
「ありがとうございます。では、食事をこの場所に運ばせますので、しばらくの間ここで休んでいて下さい」
集まっていたセカンドの生徒達にそういうと、堀井は地図を持って会議室を出た。そして、通信室でビデオ会議に似た仕組みの通信機を使い、司令官へ索敵の結果と考えた作戦を報告する。
「よくやった、兵長。その作戦でいこう」
堀井の作戦内容を聞いた司令官は、即決した。それほど後がなく、遅れを取れば悪化していく状況なのだ。それから短い時間ではあるが司令官を中心にローガンや作戦参謀達によって、堀井の作戦が練り込まれた。
「私は、ファントム達に対抗する力が無い。退路確保に回ろう」
ローガンは地図にいくつかの丸を書き込み、合流地点を話し合う。敵の数が今まで記録された事もないものである為、失敗時の脱出まで考えて入念な打ち合わせが行われているのだ。
「よし。今すぐに決行だ」
司令官から締めの言葉を聞き、打ち合わせを行っていた全員が動き始めた。夕暮れが近づいている時間ではあるが、翌日まで待つだけの余裕すら無くなっているらしい。
作戦参謀や補佐官は、事前承認出来るものと事後承諾の書類を担当別に大急ぎで作成にかかり、通信兵達が特務隊員達に緊急招集をかけた。そして、作戦に参加するセカンドの生徒達への連絡は、作戦司令部より正式な依頼として行われる。
通信室に残った堀井は、省吾へ連絡を入れる。ファントムの半数以上を一人で片付けている省吾は、現場から現場へ移動し続けており、司令本部や学園へ急には戻ってこられない事を、堀井は知っていた。その為、省吾との打ち合わせは、自分が個別で行うと堀井自身が申し出ていたからだ。
日本特区内には、二種類のガソリンスタンドが存在した。一つは通常の企業や個人が経営するガソリンスタンドで、もう一つは国連が運営する国連職員への割引があるガソリンスタンドだ。
堀井からの連絡が入る少し前、その国連が運営するガソリンスタンドの一つへ、給油をする為に省吾は車を乗り入れていた。そのガソリンスタンドでトイレを借りた省吾は、車に戻る前に雑貨を販売している建屋内に入り、自動販売機でコーヒーを購入する。
ガラス張りの店内には、クリスマスの飾りつけがされており、つけたままになっているテレビからは、サンタを連想させる歌が流れていた。それを見た省吾は家族のいない自分と違い、同僚達は家族と過ごしたいだろうと考えている。その為にも、自分が頑張ろうと気合を入れた省吾は、缶コーヒーを一気に飲み干した。そこへ、堀井からの連絡がはいる。そして、省吾は堀井から作戦を聞いた。
省吾の乗ってきた車の後部座席に、物騒な銃火器がある事を、窓を拭いていたガソリンスタンドの店員は気付いている。だが、軍用の給油カードを出した省吾には、何も聞かない。そして、通報する事もなく、若い軍人だとぼんやりと考えているだけのようだ。
「詳細は、今からメールを送りますので、確認してください。それから作戦は、中尉の到着を待たずに、開始されます。可能な限りで構いませんので、早急な合流をお願いします」
敵がいる山からかなり離れた位置にいた省吾を待つと日が完全に暮れてしまう為、救援として合流させるべきだと作戦司令部は判断していた。
携帯電話で会話をする省吾に、ガソリンスタンドの店員が、ペン付きホルダに挟まれた給油カードと伝票を差し出す。店員を見た省吾は、作戦内容を喋るわけにはいかず、堀井に簡単な返事をした。
「了解した」
携帯電話の終話ボタンを押した省吾は、伝票にサインをして車に乗り込み、メールの到着を待った。省吾や堀井の使っている携帯電話は、軍用の特殊なものであり、市販の携帯電話よりも盗聴され難い。その点に、省吾も不満はない。だが、省吾の眉間にはしわが入っている。強烈な印象を残したルークの事が頭から消えない省吾は、現地で敵勢力が待ち伏せしているのではないかと考えているのだ。
……教官も、作戦立案に参加しているんだ。問題は、無いか。
「ふぅ」
メールの内容を確認して息を吐いた省吾は、そのまま目的地へ向かって車を走らせた。その省吾は、もう少し自分の意見に自信を持つべきだった。いくら優秀なローガンでも、連日の疲労や老いによる体力低下には、抗えない。省吾が認めている堀井や作戦参謀達も、寝不足による思考力の麻痺には逆らえない。
打ち合わせを終えた特務隊員達は、生徒達も乗せる中型の軍用輸送車両に乗り込む。そして、その軍用車両が学園に到着すると、既に打ち合わせを終え、待ち構えていたセカンドの生徒達が速やかに乗り込んだ。彼等は、ファントムだけでなく武装集団の潜む山へ、何も知らずに出発する。そのメンバーの瞳からは、連日の苦痛を終わらせようという、強い意志だけが感じられた。その者達は、希望が絶望の一側面でしかないと考えもしていないようだ。
軍用輸送車両四台で移動しているのは、セカンドの生徒二十八名、特務部隊員十四名、一般兵七名だ。一般兵は車の移動や雑務をこなすだけで、今回の戦闘には参加しない。余裕を持った人数とは言い難いが、疲労や怪我でリタイアした者が多い中で、最大限の人数を司令部が確保した結果だ。それを分かっている兵士や生徒から、文句は出ていない。
彰や綾香達生徒は、能力を考慮した上で、二人組に分けられた。超感覚に特出した者は、サイコキネシスが特出した者とくみ、バランス型はバランス型とくむことになる。そして、その生徒二人に特務部隊員一人が加わり、三人で一チームを作っている。
「頑張りましょう!」
「ああ! 明日からは、いつもの日常生活だ!」
綾香と同じチームになった彰は、いつも以上に気合が入っている。
「明日は、臨時休校の予定です。作戦を無事遂行して、ゆっくり休んでください」
綾香達と同じチームになり、自分が特務部隊員であると明かした堀井は、握手をした二人の上に自分の手も重ねた。そして、笑いながら二人とうなずき合う。綾香達だけでなく、ケビンやイザベラ達も同じチームになった者同士で握手を交わし、お互いを励まし合う。そして、作戦の最終確認を特務部隊員達と行った。
立てられた作戦とは、各三名十四チームで敵を円のように囲み、その円の中心へ一斉に追い立てるようにファントムを狩っていく方法だ。人数を分散させる危険はあるが、チーム全員がサイコキネシスを使える為、各個人の負担を分散し、効率的で討ちもらしの少ない作戦だと司令部は考えたのだ。
「到着です!」
車の通れないけもの道だけになった地点で、十四チーム全員が車から降りる。そして、特務部隊員を先頭に、山の中へ分け入る。
「行きますよ」
堀井を先頭に、綾香達も待機予定場所へと走った。堀井を含めた特務部隊員が、機関銃を装備しているのは念の為であり、武装集団への警戒は薄い。
「予定通りだ。奴等、のこのことやって来たね」
高い木の上に隠れていたルークは、腰につけていた無線機で仲間へ連絡を入れた。それを受けた山中に潜む仲間が、武装集団の面々へ情報を流した。山中に銃を持って潜む敵武装集団の男達は、舌なめずりをして獲物の到着を待つ。その男達も堀井達同様にチーム分けされており、チームに一人ずつルークの仲間である超能力者が紛れているようだ。
敵側の作戦指揮をとっているらしい、スカジャンを着て帽子を深くかぶった人物は、作戦開始予定時間を仲間達に伝えた。口ぶりから、真っ向勝負をするつもりはない事が分かる。そして、連絡を終えたその人物はルークに省吾の事を確認した。
「ん? ああ、銃使い? 来てないね。でも、あいつはきっと来る。僕の勘がそういってるんだ。ん? 大丈夫。必ず、僕が仕留めるよ」
無線を切ったルークは、怪しく壊れた笑みを浮かべ、省吾を待つ。命の尊さに感謝して、奪う瞬間を想像しているようだ。
冬でも緑色をしている杉の葉に積もった白い雪が、太陽が落ちて行き赤から黒へ変わっていく。
生徒達が進んでいるのは舗装された道どころか、けもの道ですらない。落ち葉や枯草の上に雪が積もった、ただの斜面だ。山中訓練を行い、日頃から体を鍛えている特務部隊員に、その移動はさほど苦痛ではない。だが、ただの超能力を持った学生達にとっては、拷問にも思えるだろう。
特務部隊員がナイフで道を開き、進みやすくはしているが、どうしても移動速度には限界がある。連日のファントムとの戦闘で、疲労を溜めこんでいる者も多い状態では、さらにその限界が低くなる。そのマラソン以上に苦しい状態を、生徒達は気合で乗り切る。今頑張れば、翌日からまた平和な毎日が戻ってくるという希望が、支えになっているのだろう。
太陽が空から居なくなるまでに、所定の位置につくはずだった十四チームだが、その予定は大幅に遅れた。周辺が薄暗いではなく真っ暗になった状態でも、まだ最後のチームが予定位置にたどり着けていない。そんな中で、作戦開始時間に間に合わないはずだった省吾が、山道まで車進める事が出来たのは、不幸中の幸いだろう。
「はっ! ははぁっ! 来た! あれだ!」
木の上で双眼鏡を覗いていたルークは、山道を上る車のヘッドライトに気が付いた。そして、超能力者特有の鋭い勘で、その車に省吾が乗っていると確信を持つ。
「もうすぐ、来るよ。準備して」
木の根元へテレポートしたルークは、武器を準備していた武装集団の強面達に指示を出した。
「ああ、分かった。一台だけか?」
「そう。しくじらないでよ?」
真っ向勝負しか認めないといっていたはずのルークは、その強面達に省吾の車を狙わせるつもりらしい。言動に支離滅裂な部分のあるルークの表情からは、何を考えているのかが読み取れない。何度もくすくすと笑いながら肩を揺らしてナイフを眺めるルークから、仲間であるはずの強面の面々も距離を置いているように見える。
近づけばナイフで刺されそうという雰囲気は、皮肉にも学園での省吾のイメージと同じなのかもしれない。だが、ルークの方が、どう見ても危険だと誰でも感じ取る事が出来るだろう。
「ふへっ、ふへへへへっ。今日は、何人切り刻むのかなぁ?」
雲間から差し込んだ月光を、ナイフに反射させて笑うルークの目は精一杯見開かれ、瞬きをほとんどしないせいか血走っている。その姿をいい表すなら、狂人で間違えてはいないだろう。
「これは? これは、まずいぞ……」
山道を登りきる前に、作戦を再度確認しようとした省吾は、携帯電話を開いた。そして、異常に気が付いた。
……敵だ。間違いなく、敵がいる。
圏外になるだけではなく再起動を繰り返す携帯電話の画面を見て、その周辺に電波異常がおこっていると分かったのだ。
……くそっ。連絡も出来ないのか?
「くそっ!」
ハンドルを片手で握り、俯き気味に携帯電話を見ていた省吾が、顔をあげる。そして、軍用の無線機に手を伸ばしたが、その無線も使い物にならなくなっていた。
……くそおおぉぉ!
無線を後部座席に投げ捨てた省吾の目に飛び込んできたのは、自分に向かってくる対戦車ロケット弾だった。車のボンネットに突き刺さった弾頭は、そのまま車を巻き込んで爆発する。
ファントムが潜んでいる山の中は、時折獣らしき鳴き声が聞こえる。だが、雪が音を吸収しているせいなのか、耳鳴りがするほど静かだった。最後のチームからの連絡を待つ彰達は、身を寄せ合って寒さを我慢していた。その耳に、車の爆発音が届いた。
「何?」
「どこかのチームが、ファントムと接触したのか?」
立ち上がり、辺りを見回す彰と綾香は、車の爆発音だとは思っていないようだ。戦場を経験した彰も、兵士としては未熟であり、事の重大さに気が付いていない。
「……無線が? なんだ? どうなってるんだ?」
一人だけ事態の重みを理解している堀井は、自分の顔から血の気が引いていくのを感じている。特務部隊員は今回の作戦に爆発物は持ち込んでおらず、超能力でも爆発が起こらない事に、堀井だけが気が付いているのだ。
堀井は、遅れていた省吾が到着して、ファントムに爆発物で攻撃をしかけた可能性も考えた。だが、省吾は建物等環境の被害を常に考慮しており、爆発物をあまり使わないのを思いだした。
堀井の考えは、最終的にファントムでも味方でもない誰かがいるという、答えに行きついたのだ。そして、急いで仲間へ連絡を取ろうとしたところで、無線が使えなくなっているのだから、焦るのは当たり前だ。
「二人とも、座りなさい……」
「えっ? 先生?」
「早く!」
立ち上がって周りを見渡していた彰と綾香に、堀井が強い言葉で指示をした。日頃の温厚な堀井しか知らない二人は指示に素直に従い、良くない事が起こっているのだと察した。生徒である二人を守らなければいけない堀井は、胸に手を置いて小さな深呼吸をした。そして、状況の整理と今後の行動を模索する。
堀井の中で真っ先に消えたのは、作戦の実行だった。敵武装勢力が潜んでいる可能性がある中で、さらに別の敵と戦えば被害者が出ない方がおかしい。そして、爆発音が聞こえた方向へ確認に行くのも、愚行だと思えたようだ。
残った選択肢は、三つ。別のチームがいる方向へ移動するか、行き違いにならないように、その場で仲間からの連絡を待つ。そして、一番近い退避予定場所へ向かうかだ。
無線を敵に潰され、仲間と連絡で意識あわせが出来ない状況で、優秀な堀井も判断に迷う。予定外の事があれば、本来退避を選ぶべきだが、それを敵から逆手に取られる可能性が高い事が分かっているのだ。
堀井達がいる山は、木材の運び出しをする為に、省吾が使った以外の山道も七本ある。そして、その七本中三本に輸送車と仲間の兵士が、退路確保として待機している。それは、各チームが退避する経路が、その三本に限られるという事でもあるのだ。
自分達の退避を妨げるのがファントムであるならば、超能力を持つ堀井達には退けることが出来る。だが、敵武装勢力であれば、機関銃一つで生き残れる可能性は薄い。
「移動します。ついて来てください」
考え抜いた堀井は、仲間のチームがいる方向へ移動を開始した。それでは守る生徒が増えてしまうが、生徒達も超能力で敵武装勢力に立ち向かうことは可能であり、特務部隊員が二人になれば生き残る可能性が増えると考えたのだ。堀井と同じタイミングで異常に気が付いた、各チームの特務部隊員も堀井と同じ検討を開始していた。その各人が、大戦を戦った猛者であり、的確に状況を読み取り行動を開始する。
ただし、意思疎通が出来ていない為、他のチームがいる方向に向かう者達だけでなく、その場で待機するか、退路へ後退を始める者が出てしまった。情報が不足しており、どの行動も正解とも失敗ともいえない状況であり、仕方のない事だ。十四人の特務部隊員がとった行動を、責める事は出来ない。何よりも、その全ての行動は、相手が考えた予想の範囲内であり、どれを選んでも結果はさほど変わらないのだ。
静かだった山の中に、発砲音がこだまし、火薬が作った危険な光が数え切れないほど瞬く。それに伴い、待機を選択したチームも動かざるを得なくなった。
「伏せてっ!」
堀井にいきなり頭を押さえつけられた綾香は、顔から地面にぶつかり、斜面を少しだけ滑り落ちた。それを見ていた彰は、過去の軍隊経験から危険なのだと判断して、自分もその場にしゃがんだ。
状況が分かっていなかった綾香の耳にも、機関銃が発しているらしい音が届き、恐怖心が芽生える。いくら心構えが出来ている兵士だとしても、自分の身に危険が及べば怖がるのは当然であり、恥じるべき事ではない。そこから、もう一度動けるかどうかが、一番重要なだけだ。
「援護します! 走って!」
機関銃の発射光が見えた方向に、しゃがんだまま銃を構えた堀井の指示で、綾香と彰は走り出した。機関銃の弾丸を短く刻みながら発射する堀井も、敵のいるらしい方向に銃を向けながら、綾香達の後に続く。他のチームも、敵からの銃弾を避け、立ちふさがったファントムを消滅させる。そして、仲間と合流し、山から生きて脱出する為に走った。
その走っている方向が、敵の銃撃で少しずつ誘導されている事に、誰も気が付かない。生徒を守る事に意識が集中している特務部隊員も、同じような景色が続く中で正確な方角を意識できない生徒も、徐々に一ケ所に集められているとは思ってもいないようだ。
「あれ? もう、終わり? はぁ、人間って儚いねぇ」
爆発した省吾の乗っていたであろう車を見つめて、ナイフを構えていたルークはそれを解く。同じように銃を構えていた男達三人も、仕事が一つ終わったと感じ、仲間同士で頷き合っている。
自分達が相手にするのは、信じられない程強い兵士だと聞かされていた男達の中では、不死身のサイボーグ戦士が連想されており、爆発では死なないと思っていたようだ。勿論、車の爆発に巻き込まれ、運以外で無傷でいられる人間は、存在しない。
恐怖の戦士と戦う緊張から解放された男達の笑顔は、燃える車の炎に照らし出され、不気味に見える。笑っていないのは、肩透かしを食ったルークだけで、つまらないといいたげに燃え続ける車を眺めていた。
「うおおっ! っとぉ! ははっ! ははははっ!」
黒い煙を立ち上らせ、怪しく揺らめいていた炎の中から、小さな光に包まれた弾丸が飛び出す。その弾丸に頭を撃ち抜かれたルーク以外の男達は、何も分からない間にこの世からいなくなった。
ロケット弾を見た瞬間に扉を開いて、省吾は外に転がり出していた。そして、身に着けていた白い迷彩色のコートを利用して行きの中に身を潜め、隙をうかがっていたのだ。念を入れて発射光すら隠す為、燃える車越しに放った省吾の弾丸だったが、ルークはそれを空中で止めて笑っている。
「ずるいなぁ。このおじさん達に悪いと思わない?」
浮いていた銃弾を地面に落としたルークは、自分の不意打ちを棚に上げて省吾を非難する。それを、聞く気もない省吾は、まだ燃え続けている車を背に、真っ直ぐルークへと歩み寄っていた。
……怖がるな! 生きようとするな! 覚悟を決めろ!
省吾の瞳には、背後で燃え盛る炎も見劣りするほどの、強い覚悟の光が宿っていた。マードックの避けるべきだとの忠告は、無駄になったようだ。既に、省吾の目から生への執着は消えている。
省吾はルークと初めて会った日の本部会議終了後、マードックに敵の対策について相談をしていた。相手の能力に未知数な部分が多い中で、マードックは距離を取って不意打ちするべきだと省吾にすすめた。
その理由は、遠距離からの不意打ちのみ、成功確率が三割あったからだ。しかし、そのもっとも成功率が高い作戦を実行するにも、相手より先に敵の位置を捉える等の、難しい条件をクリアしなければいけない。それほどルークは、危険な相手だ。
至近距離の弾丸すら防いでしまう敵を倒す為、相手の隙をついて弾丸の速度が速いライフルなどで、けりをつけるしかないだろうといったその時のマードックに、省吾は別の事もたずねていた。もし、その不意打ちが失敗した場合、次に成功率が高い作戦はあるかという事だ。敵の能力に不明な点が多い中では、頭のいいマードックでも、もっとも有効な手段が相手の油断やミスにかけるしかなくなってくる。
敵と正面から向き合う事で油断させ、隠しているかもしれない能力を使わせない事で、勝てるかもしれないとマードックはいった。だが、その方法では運や偶然に頼った部分が多く、成功率が一割以下だとも省吾に教えていた。
考えた作戦の前提条件を満たす事の出来なかった省吾だが、車から飛び降り、気配を消して隠れる事で、自分が死んだと思わせようとした。それは、遠距離ではないが、それと同じだけ成功する可能性がある、唯一といっていい作戦だった。だが、その策がつうじなかった以上、省吾は選ばなければいけなくなっていた。電波妨害されていない場所まで退避するか、マードックから止められている真っ向勝負に挑むかをだ。
省吾は、退避を選ばない。テレポートを使うルークから、逃げ切れる可能性が薄いという理由ではない。退避して救援を呼ぶ時間で、仲間や生徒が犠牲になる可能性が高いからだ。死の恐怖さえ、いとも容易く乗り越えた省吾の強い意志は、命を落としてでも仲間達を救おうとする覚悟を選ばせた。
負けたとしても、ルークを足止めする事で、一人でも助かればとまで考える省吾の目に、一切の迷いはない。現実を見据える省吾は、英雄を目指している訳ではない。兵士という歯車のまま、仲間や生徒達の命を救う為だけを考えて、銃を握るだけだ。
武器を積んでいた車を破壊され、省吾が今装備しているのは、握っているオートマチック式の拳銃一丁と、脇につけたホルスターにあるリボルバー式の拳銃一丁だけだ。
「逃げないのかい? まあ、僕は助かるけど」
自分に近寄ってくる省吾を見て、ルークは笑顔を崩さない。ルークの持つナイフが、スイッチをオンにした事で振動し始めた。
……集中しろ。
ルークと数メートルの距離まで近づいた省吾は、目線と同じ高さに握っていた拳銃を構える。そして、迷わず三発の弾丸を発射した。
「僕は、やっぱ。あんたの事、嫌いだな。特に、迷わずに殺そうとする……」
省吾の放った弾丸は、ルークに苦も無く防がれた。喋り続けるルークを見つめる省吾の目線は、集中する事でさらに鋭くなる。だが、体には一切の緊張がなく、強敵を前に柔軟性を保っていた。
「その目がなっ!」
千里眼で自分の周りだけを監視していた省吾は、背後に現れたルークを察知した。ルークの振動ナイフは、防寒用の迷彩柄であるコートを切り裂いた。だが、飛び込むように前転した省吾の体は、ダメージを受けていない。
回転する力を利用して立ち上がった省吾は、振り向いて銃口をルークに向ける。そのまま発砲しないのは、ダメージを与えられないだけでなく、弾を減らす結果にしかならないと分かっているからだ。
前回同様に出現場所が分かればと考えた省吾だが、出現後に感知するのが限界だった。銃弾を防がれてしまうのだから、回避する事しか出来ない。省吾が狙っているのは、相打ちだ。だが、それを成功させるためには、相手に今まで以上の隙が必要になる。
銃弾が向かってくるとも思わない程、ルークが油断するには、省吾がダメージを受ける必要がある。そして、相打ちに持ち込むためには、致命傷に見せながら、自分の受けるダメージを最小限に抑えなければならない。
自身の命がかかった局面で、どれだけ手を伸ばしても届くとは思えない可能性に、省吾は挑んでいる。死を恐れず、絶望しない省吾の目から、強い意思はまだ消えていない。
全く怯まない省吾を見て、ルークは焦り始めていた。大勢の人間を手にかけてきたルークだが、プロの殺し屋や兵士ではない。つまり、精神的な鍛練は、行っていないのだ。
日頃の支離滅裂な言動も、人を殺した重みによる、精神の歪みだと考えられるだろう。その脆い精神しか持たないルークは、あり得ないほど特出した超能力で、敵を瞬殺してきており、接戦の経験が無い。そのせいで、ルークには焦りが生まれている。そして、隙が出来にくくなっていた。その省吾に不利な状況で、転機は訪れる。
「人間ってさぁ。失敗するじゃん?」
省吾を睨んでいたルークが一度だけ、目線を外した。鼻周辺をジャケットの袖でふき取るふりをして、腕時計を見たのだ。
「お兄さんもそうだろ? 失敗ぐらい誰にでもあるよねぇ?」
時計を見ただけの小さな隙では、省吾は動き出せなかった。黙って銃を構え、相手の出方を見るしかない。
「そうなんだよ。人間は誰でも間違いを犯すんだ。でも、失敗してもやり直せる」
時計を見てからのルークは、消えかけていた笑顔が戻り、何故か省吾に喋りかけている。
「フォローなんていくらでも出来るんだ! そうだよ! そうに決まってるんだ!」
何を仕掛けてこられるか分からない省吾だったが、ルークのその行動を良くないものだとは勘で感じとった。そして、動き出そうとした。だが、その判断は少しだけ遅かった。
音もなく、山中に津波にも似た強い超能力の波が発生した。それは、敵側の指揮をとっている帽子をかぶった超能力者が使った、奥の手だ。特務部隊員と生徒達は、その射程範囲に誘導されていたのだ。攻撃を受けたセカンドの生徒達は、その場で気を失い、斜面を転げ落ちた。
敵が使ったのは精神を直接攻撃する能力で、超能力が強い者ほど影響を受けやすい。ルークや敵側の超能力者は、同等の力を使ってサイコガードでその影響を遮断しいる。また、超能力者ではない敵武装勢力の兵士達は、影響が少なく耳鳴り程度で気を失いはしない。
「うぐっ! があああっ!」
サイコガードで多少ではあるが抵抗した省吾は、気を失わなかった。だが、頭をハンマーで殴られたような衝撃を受け、視界が霞み、耳と鼻から血を流す。抵抗した事で、気を失わない代わりにダメージを受けた省吾は、咄嗟に銃の引き金を引く。弾丸を防御させる事で、テレポートを防ごうとしたのだ。
……やられたっ!
歪んでいた省吾の視界が戻ると同時に、自分が何に弾丸を放っていたかがはっきりと見えた。それは、ルークではない。円柱状に切り取られた土の塊だった。
「ばぁぁぁか」
ルークは、自分の体を覆う円柱状の空間しか、交換できないという弱点を持っていた。また、抵抗する何らかの力があるらしく、人間や動物の一部分を切り取ることも出来ない。だが、その抵抗がないものなら空気だけには限定されず、地面や水面でも切り取って交換が可能だ。
省吾がルークだと思い銃弾を浴びせていたのは、囮として交換された、ただの地面だったのだ。
「死ねよ!」
狂気の顔を浮かべたルークは、削れた地面の中から立ち上がり、省吾の心臓を目掛けてナイフを縦に薙ぎ払うように振り上げた。
囮と精神攻撃という奥の手を使ったルークは、勝利を確信していた。そして、その勝利の喜びは、脳から大量の化学物質を分泌させ、ルークに見た事の無い世界を見せる。何もかもがゆっくりと動いているように見える世界で、ルークの比類なき切れ味を持ったナイフは、省吾の脇腹へと到達した。
血が、切れた皮膚の隙間から噴き出すよりも早く進むそのナイフは、防刃繊維で出来た服や防弾チョッキをものともせずに、省吾の心臓へ一直線に突き進んでいた。
しかし、ナイフの刃先が省吾の肋骨に到達する頃、ルークは異変に気が付いた。ナイフの刃が深く刺さるどころか、省吾の体から抜け出してきているのだ。最終的にナイフの刃は、下から数えて三本目の肋骨を傷つけた所で、省吾の体外へ出てしまう。それが分かっているルークも、ただ見つめていたわけではない。深く突き刺す為に、手を伸ばそうとしていた。
だが、その活性化した脳が見せる世界の中でも、物理法則は有効だ。世界がスローに見えるほど意識が加速しても、ルークの体が付いてこないのだ。振りぬこうとしている腕を、止める事が出来ない。省吾の右胸部から抜けてしまったナイフの刃は、省吾の左袖部分を傷つける事にも成功した。だが、ナイフを振るっているルークの顔は、強張る。ナイフの抜けた理由が分かったらしい。
奥の手を使って、脳を攻撃された省吾だったが、気力のみで体を無理やり動かし、ルークに対応して見せているのだ。弾が尽きたオートマチックの銃は、省吾に手放され、まだ地面に落下している最中だった。
持っていた銃を手放した省吾は、左手でホルスターの銃をとる為、体を捻っていたのだ。左手を右わき腹に伸ばせば、人間の体は自然と右の胸部が後ろにそれる。そのおかげで、ルークのナイフは省吾に致命傷を与えられなかったのだ。
省吾が掴んだリボルバー式の拳銃は、接近戦を考えて用意されたものだ。リボルバー式の拳銃は弾数が少なく、弾の交換に手間取る。だが、構造がオートマチックよりも単純で、色々な弾丸を発射できるという利点もあるのだ。軍用に開発された弾丸を装填したそのリボルバー式拳銃は、ナイフが振りぬかれると同時に、銃口をルークへと向けていく。
鍛えていないルークと練磨された省吾では、体のポテンシャルが全く違う。省吾は銃を抜いた瞬間に安全装置を外し、当たらない事など気にせず、引き金を引き、銃弾を発射しながら銃口を敵に向けている。銃口が自分に向ききる間に、ルークが出来たのは、空いていた左手を省吾にかざす事だけだった。加速していたおかげか、ルークの防御は間に合った。
しかし、それを分かっているといわんばかりに、ルークの頭部に向けて固定した銃から、省吾は幾度も銃弾を発射した。その銃弾に、誘導の力は使っていないが光を発していた。省吾が使ったのは、威力の強化だ。
ルークに超能力を乗せた弾丸を放った際、乗せていない弾丸よりも止めるのに時間がかかった事を、省吾は見逃していなかった。そして、サイコキネシスの力はサイコキネシスで打ち消せるという事を、省吾は思い出していたのだ。
戦車の装甲にでも突き刺さる威力の弾丸に、超能力を乗せて、ルークの防御を突き破ろうとしている。それが、隙を作れなかった場合の、省吾が用意した最終手段だ。
「うわあああぁぁ!」
超能力は、使用者の感情が爆発する際に、想像以上の力を発揮する事が多い。じわじわと自分に迫ってくる弾丸と、省吾の殺気がこもる目を見たルークは、恐怖により全身から凄まじい発光現象を起こした。
スタングレネード並みの光を放ったルークは、防ぎきれないと思われた省吾の最終手段を、止めるだけでなく弾き返していた。極限の戦いの中で、チャンスはピンチに切り替わる。弾かれた銃弾は、地面に突き刺さるだけでなく、省吾の肩と太ももを貫いてしまったのだ。
「がっ!」
ルークに吹き飛ばされた省吾は、そのまま木に背中から激しくぶつかる。
「ははっ!」
崩れ落ちる省吾を見て、ルークは笑う。大逆転に成功したのだから、当然だろう。笑うルークは、省吾の目が怪しくきらめいた事に全く気が付かない。
「僕の勝ちだぁぁ……えっ?」
……いいや。俺の、勝ちだ。
心臓を銃弾に貫かれたルークの体は、一度ふわりと浮きあがりそのまま地面にうつ伏せに激突した。倒れたルークは、自分が死ぬ理由すら分かっていないだろう。
省吾はホルスターから抜いた銃の銃口が、相手に向ききる前に引き金を引いていた。それは、焦りから当たらないのに発射していたわけではない。作戦を二段構えにする為に、誘導の力をこめてわざと当てずに発射していたのだ。
誰もいない方向へ森の中を進んでいたその銃弾達は、ルークの発光現象がおさまると同時に急反転した。そして、隙だらけになったルークの背中に突き刺さったのだ。
「僕は……悪くない……僕が悪いんじゃない……こうするしかなかったんだ……」
ルークの最後らしい言葉を聞いた省吾は、顔を歪めながら立ち上がる。
……動け! こんな痛みぃぃ!
「ごほっ! はぁはぁはぁ……」
ルークを倒したからといって、省吾の仕事が済んだわけではない。これから生徒を守る、本当の仕事が始まるのだ。
立ち上がった省吾は、車が燃える炎で照らしだされた舗装されていない道に、目をやった。そして、積んであった武器が、投げ出せている事に気が付く。
……まだ、終わりじゃない。
武器を回収する為に、省吾は歯を食いしばって歩き出した。その眼光は、鋭い強さをまだ失ってはいない。