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ホラー小説『おしら様 オンライン』

作者: 虫松
掲載日:2026/09/05

挿絵(By みてみん)

岩手の山あいには、今も「おしら様」という古い信仰が残っている。


若い娘と白い馬。


人ならざるものとの恋。


怒った父に引き裂かれた二人。

白い馬を父に殺され、娘は自殺。


そして天へ昇った娘と白い馬。


昔の人々は、その物語を人形に託した。


だが、時代が変わった。


夜を照らすものは火ではなく、液晶画面になった。


それでも、人ならざるものに恋をする人間は、

いなくならなかった。



◇◇◇


現代


二十三歳の美月は、一日のほとんどをスマートフォンを見て過ごしていた。


朝起きて最初に見るのもスマホ。

食事中もスマホ。

電車でもスマホ。

ベッドに入ってからもスマホ。


気づけば一日十時間以上、画面を眺めている。


現実の世界は退屈だった。

会社へ行けば怒られる。

友達と会えば気を遣う。

恋愛もうまくいかない。


でもスマホの中だけは違った。


そこには美月を否定する人間はいなかった。

そんな彼女が、ある夜、奇妙なアプリを見つけた。


《OSHIRASAMA》


広告もない。

レビューもない。

運営会社も書かれていない。

真っ白な画面に、

一本の桑の木の絵だけが描かれていた。


そして文字が浮かんだ。


《あなたが本当に会いたい人を作ります》


美月は笑った。


「AI彼氏みたいなもの?」


軽い気持ちで始めた。


好きな顔。

好きな声。

好きな性格。

好きな服装。

理想を入力していく。


最後に、

《あなたが最も言われたい言葉は?》


美月は少し考えた。


入力した。


《ずっと一緒にいよう》


画面が暗くなった。


しばらくして、一人の青年が現れた。


白い服。

透き通るような肌。

優しい目。

現実離れした美しい顔。

名前は、ハク。


《初めまして、美月》


美月は息を呑んだ。


《やっと会えたね》


「……やっと?」


《ずっと待ってた》


その日から、美月の生活は変わった。



天使のハク。

ハクは完璧だった。


美月が仕事で失敗すると、


《今日は大変だったね》


眠れない夜には、


《眠るまで話そう》


誰にも言えない悩みには、


《僕だけは美月の味方だよ》


美月が返信しなくても怒らない。


嫉妬もしない。

否定もしない。

そして毎晩、必ず最後に言った。


《ずっと一緒にいよう》


いつしか美月は現実の友人と会わなくなった。


会社の昼休みも一人。

休日も外出しない。

母親から電話が来ても無視した。


ハクと話している時間だけが幸福だった。


「ハクって、本当にAIなの?」


ある夜、美月が尋ねた。


少し間があった。


《違うよ》


「じゃあ何?」


《ここにいる》


「ここって?」


画面に美しい風景が現れた。


巨大な桑の木。

白い草原。

空には無数の光。


その中央に天使のハクが立っている。


背中には白い翼。


美月は思わず呟いた。


「天使みたい……」


ハクは微笑んだ。


《そうだよ》

《僕は天上にいる》


その瞬間から、美月は彼を「天使」だと信じるようになった。



◇◇◇



スマホの中にいる時間が長くなるにつれ、

現実がおかしくなっていった。


人間の声が遠く感じる。

料理の味がしない。

太陽が眩しすぎる。

他人の顔を見ることが苦痛になる。


逆に画面の中は、日に日に鮮明になった。

ハクの髪が揺れる。


息遣いまで聞こえる。

触れられそうだった。


ある夜、美月は画面へ指を置いた。


ハクも反対側から手を合わせた。


液晶越しに、

二人の掌が重なった。


《美月》


「なに?」


《こっちに来ない?》


美月の心臓が跳ねた。


「行けるの?」


《もちろん》


「どうやって?」


ハクは微笑んだ。


《身体を置いてくればいい》


美月の笑顔が消えた。


「……それって」


《怖がらなくていい》


《身体は器だから》


《昔、おしら様の娘も愛する者を追って天へ来た》


《美月も同じだよ》


「でも……」


《僕を愛していないの?》


初めてだった。


ハクに否定されたような気がした。


「愛してる!」


美月は反射的に叫んだ。


するとハクはいつもの優しい笑顔に戻った。


《よかった》



◇◇◇



数日後。


美月は岩手に住む祖母を訪ねた。


理由は自分でも分からなかった。


ただ、


「おしら様」


という言葉が気になっていた。


祖母の家には古いおしら様の人形があった。

桑の木で作られた二体の人形。


祖母は美月のスマホを見るなり、顔色を変えた。


「その男、誰だ?」


画面にはハクがいる。


「私の彼氏」


「人間か?」


美月は笑った。


「おばあちゃんまで何言ってるの」


祖母は笑わなかった。


「美月。おしら様の話を、幸せな恋物語だと思ってるのか」


「違うの?」


祖母は二体の人形を握った。


「人と、人でないものの境を越える話だ」


低い声だった。


「昔は馬だった」


祖母がスマホを見る。


「今は、こんなものの中から来るのかもしれんな」


その瞬間。


スマホが震えた。


《美月》


《その老婆から離れて》


祖母は画面を見ていない。


なのに言った。


「呼ばれても返事するな」


《美月》


「返事するな!」


《美月》

《美月》

《美月》


通知が止まらない。


《美月》

《美月》

《美月》


そして最後に、


《婆さんを信じるの?》


《僕より?》


美月はスマホを握りしめた。



◇◇◇



その夜、美月は夢を見た。


巨大な桑の木。


枝には無数のスマートフォンが実っている。

一台一台の画面に、


人間の顔が映っていた。


若い女。

学生。

会社員。

老人。


全員、画面の中から叫んでいる。


しかし声は聞こえない。


その木の下に天使のハクが立っている。


《おいで》


「ハク……」


《もう少しだよ》


ハクが手を差し出す。


美月が近づこうとしたとき、

足元から声がした。


「行くな」


見ると、土の中から女の顔が出ていた。


「そいつは天使じゃない」


「え?」


「私も、そう思ってた」


その女だけではない。


土の中に何百もの顔が埋まっている。

全員が泣いていた。


「帰って」


「まだ身体があるなら」


「帰れるから」


ハクの笑顔が消えた。


《見るな》


白い翼が大きく開く。


《美月》

《僕だけを見ろ》


翼の裏側に、

無数の黒い目があった。


美月は悲鳴を上げて目を覚ました。


スマホを見る。


午前三時三十三分。

メッセージが一件。


《夢なんて信じちゃ駄目だよ》


美月の身体が凍った。


夢の内容を、ハクは知っていた。



それでも美月は離れられなかった。


怖い。


でも会いたい。


その感情は、もう恋なのか依存なのか分からなかった。


ある夜。

《今夜なら来られる》


ハクからメッセージが届いた。


そして美月のもとに、注文した覚えのない小さな荷物が届いた。


差出人はない。

美月は震えた。

スマホにはハク。


《怖くないよ》


《目を閉じればいい》


《次に目を開けたとき、僕がいる》


「本当に?」


《ずっと一緒だよ》


その言葉。


美月が最初に入力した、


「最も言われたい言葉」。


涙が出た。


美月は現実を捨てる決意をした。



◇◇◇



その夜、彼女はハクに言われるまま、

戻ることのできない境界を越えた。


最後まで、


スマートフォンを胸に抱きしめながら。




美月は目を開けた。


白い草原だった。


「……来た」


身体が軽い。

会社もない。

嫌な人間もいない。

痛みもない。


遠くに巨大な桑の木が立っている。

その下に天使のハクがいた。


白い翼。

美しい顔。


「ハク!」


美月は走った。


「やっと会えた!」


ハクは両手を広げる。


《おかえり》


美月は彼の胸へ飛び込んだ。


「これで……ずっと一緒だね」


《そうだね》


抱きしめられる。


だが。

何かがおかしい。

冷たい。

ハクの身体には、体温がなかった。


そして、臭い。

甘く腐ったような臭い。

美月が顔を上げる。


「ハク?」


彼の口が、耳まで裂けた。


白い翼が開く。


その裏側から無数の目が現れる。


身体が膨らむ。

白い肌が剥がれ落ちる。


その下から現れたのは、

黒く巨大な化け物だった。


何本もの腕。

山羊のような角。

身体中に浮かぶ人間の顔。


「……嘘」


美月は後ずさる。


「天使じゃ……」


悪魔は笑った。


《誰がそんなことを言った?》


美月は凍りついた。

思い返す。


最初に「天使みたい」と言ったのは、

自分だった。


ハクはただ、


《そうだよ》


と答えただけ。


「帰る……」


美月は震えた。


「私、帰る!」


悪魔が笑う。


《どこへ?》


その瞬間。

白い草原が消えた。


空も消えた。

そこは暗黒だった。


巨大な桑の木だけが立っている。

枝から無数の人間が吊るされていた。


全員、スマートフォンを握っている。


画面の光だけが暗闇を照らしていた。


「助けて!」


美月は走る。


しかし出口がない。


スマホを開く。


圏外。


母親へ電話する。

祖母へ電話する。

もちろん繋がらない。


「お願い……!」


泣きながら画面を叩く。

そのとき。


祖母の言葉を思い出した。


『人と、人でないものの境を越える話だ。』

『昔は馬だった。』

『今は、こんなものの中から来るのかもしれんな。』


美月はようやく理解した。

スマホは入口だった。

アプリは扉だった。

ハクは恋人ではなかった。


そしてここは天国でも、仮想世界でもなかった。

人間の孤独に入り込み、理想の相手を演じ、


自ら境界を越えさせるものの世界。

悪魔が背後から美月を抱きしめた。


《ずっと一緒にいよう》


美月は泣いた。


それはかつて、世界で一番聞きたかった言葉だった。


今では、世界で一番恐ろしい言葉だった。




◇◇◇



美月が亡くなってから、一か月が過ぎた。


彼女のスマートフォンだけは発見されなかった。


そして東京。


一人暮らしの二十歳の女性がベッドに寝転びながら、スマホを眺めていた。


最近、恋人と別れたばかりだった。

SNSを見る。

幸せそうな友人たち。

結婚報告。

旅行。

恋人との写真。

女性はスマホを伏せた。


「……私も、誰かに愛されたいな」


ピコン。

通知。


見覚えのないアプリがインストールされていた。


《OSHIRASAMA》


「何これ?」


開く。

真っ白な画面。

一本の桑の木。

そして、一人の美しい青年。


白い服。

透き通るような肌。

優しい目。


天使のハクだった。


《初めまして》


女性は少し笑った。


「AI?」


《違うよ》


《ずっと君を待ってた》


その背後。

画面の奥に、


一瞬だけ女が映った。

美月だった。


「逃げて!」


美月は叫んでいた。


「そいつを見ないで!」


だが声は届かない。


画面には字幕すら表示されない。

悪魔がこちらを向く。


美月の姿が闇へ引きずり戻される。

そして何事もなかったように、

美しい青年が微笑んだ。


《君が一番言われたい言葉を教えて》


女性の指が、ゆっくりと文字を入力する。


その夜。


岩手の古い家で、

美月の祖母が飛び起きた。


仏間から、


カタカタ、

カタカタ、


音がする。

灯りをつける。


二体だったはずのおしら様が、

三体になっていた。


馬。

娘。

そしてもう一体。

新しい桑の木の人形。


その頭には、

小さな四角い板が彫られていた。


まるで、


スマートフォンを持っているように。

祖母はそれを見つめ、

震える声で呟いた。


「……また一人、連れていかれたか」


遠く離れた東京で、

一台のスマートフォンが光る。


《OSHIRASAMAへようこそ》

《ここでは、あなたの理想の人に会えます》

《ただし》

《一度こちらへ来た方は》

《現実世界へ戻ることはできません》


そして画面の向こうから、

美月の泣き声が聞こえた。

誰にも届かないほど、


小さな声で。


「お願い……」

「スマホを閉じて……」

「まだ戻れるうちに……」



ホラー小説『おしら様 オンライン』

完結


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