第22話
私は次々と、危険水域に沈みかけている個人顧客たちのポートフォリオ画面を切り替えていった。
画面が変わるたびに、目に飛び込んでくるのは一様に、鮮烈な赤色で点滅する警告マークの群れ。
もれなく全員が、システムの警告を完全に無視していた。
それも、つい昨日今日見落としたというレベルではない。数ヶ月、下手をすれば半年以上もの間、システムの悲鳴を放置し続けているのだ。
「……これが『月足手法』のように、超長期の目線でじっくり構えるロジックを選んでいるなら、決済まで数ヶ月放置されるのも分かる。だが、彼らは揃いもそろって、比較的展開の早い『日足手法シリーズ』を選択しているんだぞ?」
日足手法において、テクニカルの根拠が崩れたということは、相場のトレンドが完全に反転したことを意味する。
システムは当然、その瞬間に「前提が崩れました」と、契約者のスマホやPCへ容赦なく警告メールを叩き込んでいる。
なのに、彼らは損切り(ロスカット)すらしない。
「なんのためのシステムだか……」
私はこめかみを押さえ、モニターの放つ無機質な光を見つめた。
損失を自動で限定させ、本業や生活を守るための防護服として与えた最先端のシステムが、ただの「含み損の墓標」と化している。
「少なくともこの人たちには、完全な無用の長物でしたね、係長」
部下もすっかり肩の力を落とし、手元の資料をデスクに置いた。
事業者たちのように、日頃から数字のプレッシャーに晒され、規律の重要性を骨の髄まで叩き込まれていない一般の個人顧客にとって、相場の含み損を直視することは、それほどまでに耐え難い恐怖なのだろう。
目を瞑って放置すれば、いつか奇跡が起きて買値まで戻るはずだ――そんな、ギャンブルで破滅していく人間の典型的な認知バイアス(現実逃避)が、データとなって可視化されていた。
オフィスに、気力のない二人の重いため息が、白く溶けるように響いた。
彼らが抱えている巨大な損失の元凶となっているのは、案の定、特定の「2つの泥船銘柄」だった。
1つ目は、典型的な『仕手株(ボロ株)』。
事前の講習やテストであれほど「JPX日経インデックス400、S&P500、NASDAQ100のいずれかに所属する、流動性と信頼性の高い時価総額上位企業」を推奨していたというのに、彼らは一攫千金の誘惑に負けて怪しげな仕手筋のオモチャに手を出したのだ。
まあ、投資管理システム導入や警告と同様、これもテストの段階では正しい答えを強制されるが、一度審査に通ってしまえば、実際の運用先を銀行が法的に強制・凍結することはできない。その制度の隙間を突いた、愚かなギャンブルの成れの果てだった。
そしてもう1つは、2033年現在の市場を象徴する『AI-IoT時代の敗者企業株』だ。
AI用の高性能チップと電子基板を製品に増設・組み込むことで、爆発的に利益を増やす企業と、逆にコスト高騰を吸収できずに利益を減らす企業の差が激しくなっていることは、我々も再三にわたって説明してきた。
そしてその残酷な格差は、今や株価という形で最も顕著に、かつダイレクトに市場へ反映されている。
彼らは、AI-IoTの波に乗って製品が大ヒットすると世間で期待され、チャートが綺麗な右肩上がりの「パーフェクトオーダー(移動平均線が短期・中期・長期の順で美しく並ぶ上昇トレンド)」を描いている最中に、イナゴのように群がって日足で高値掴みしたのだ。
しかし、いざ蓋を開けて決算が発表されると、思うように製品が売れなかったり、中には半導体やGPUの「原価上昇」を価格に転嫁できずに自滅して赤字転落する企業が相次いだ。
これは中小企業だけでなく、かつて日本を支えたような大企業の間でも地殻変動のように起きていた、令和の群雄割拠(大淘汰時代)の現実だ。
当然、業績未達のニュース一発で株価は窓を開けて大暴落する。
だが、もしも講義を真面目に受けていた「規律ある顧客」であれば、家電量販店での実際の売れ行きやネット上の冷ややかな熱量を観察して自ら危険を察知できただろう。
あるいは、予測が外れてもシステムから「あなたの設定したテクニカルの前提は崩れました」という無機質な警告メールを受け取ったその瞬間に、投資マニュアルの教え通り、感情を殺してためらわずに「全損切り」を執行していたはずなのだ。
「規律さえあれば、『今回は見込み違いのミスだった。だが損失は最小限に抑えた』と割り切って、次の有望銘柄へ資金を移動させることも、あるいは次のチャンスまで現金保有のままでじっと息を潜めて待ち構えることもできたはずなのに……」
私はモニターに映る、含み損で身動きの取れなくなった真っ赤なポートフォリオを睨みつけながら、奥歯を噛み締めた。
彼らは、下落していくチャートから目を背け、「いつか戻る」という根拠のない祈りに命金を委ねてしまった。
その結果、資金は完全にロックされ、今この瞬間も右肩上がりで最高値を更新し続けているゴールドの波(最強のインフレヘッジ)に乗るチャンスすら、永久に失ってしまったのだ。
「来月も一定額の給料が入るから補填できるだろう、とでも考えていたのだろう。
それが甘えであり、事業型組との必死さの違いか・・・」




