第20話
「――という状況でありました。あちらはゴールドという盾を持たない代わりに、3%を超える高手数料の系列新興国投信をセットにすることで、帳簿上の数字を無理やり作っているようです」
私が一通り調べ上げた兵庫産業銀行のスキームを説明し終えると、樫村課長はパソコンの画面を見たまま、キーボードを叩く手を止めずに答えた。
「そうかね。素晴らしい行動力だ、大山さん」
あっさりとした、あまりにも淡白な返事。
その一切の驚きを含まない温度感から、私はすぐにすべてを察した。
「……ご存じだったようですね」
「そりゃあねえ、大山さん。他行の類似商品がどのような中身で、どこに破綻の信管を抱え込んでいるのか、調べない方がおかしいじゃないか」
課長はそこでようやくタイピングを止め、眼鏡の位置を直しながら不敵に微笑んだ。
そりゃそうだ。銀行員として、ライバルの手の内を把握しておくのは当然の義務だ。
だが、私自身のここ1年間の動きを振り返ると、完全にその視点が抜け落ちていた。
このハイブリッドローンを自行で発売する前は、毎日が泥にまみれるようなドブ板営業の連続。
いざ発売に漕ぎ着けたら、今度は申込者の殺到で、狂ったように押し寄せる顧客候補の講習とテストを捌くだけで、第2融資課の全リソースが持っていかれた。
そして1年が経ち、運用が完全に軌道に乗ってからは、既存顧客の実際の事業データ、日々の投資動向、さらには激しく乱高下するゴールド価格の変動をリアルタイムで追跡する業務に追われ続けた。
――要するに、忙しすぎたのだ。
自分たちの構築した「1.5%金利の要塞」を維持することだけに必死で、いつの間にか、他行の情報を自発的に得ようとするインセンティブそのものが、私の中で著しく薄くなっていた。
『他行は教育をせずに、審査テストも形だけやっているバカばかりだ』
最初に上層部から共有されたその情報だけで、私の脳は思考停止してしまっていたのだ。
彼らがバカなのは事実だが、そのバカなりに「身内だけは絶対に損をしない邪悪な中抜きシステム」を構築し、ウチの2倍の速度でマーケットを侵食しているという現実。
「彼らは顧客を救うために金を貸しているんじゃない。インフレという火事場で、顧客に高い手数料の薪(投信)を背負わせ、自分たちだけが延命するための煙を上げているだけだ」
樫村課長は冷酷に言い放つと、モニターに兵庫産業銀行に乗り換えた大口顧客たちのリストを映し出した。
「そして大山さん。思考停止した獲物から順番に、その薪の重みで圧死する。」
ついに、かねてより開発が進められていた地銀連合製の『投資管理システム』のベータ版が、満を持して現場へと投入された。
我々が顧客に配布している投資マニュアルには、株、FX、さらには株価指数や商品先物のCFDに至るまで、連合のブレインが磨き上げた実践的な手法がいくつも掲載されている。
しかし、その中身をよく見ると、デイトレードに近い「4時間足」の手法はわずか3種類しか存在しない。それ以外の手法は、すべて『日足、週足、月足』という、極めて長い時間軸をベースにしたものだけだった。
短期の画面に張り付くようなギャンブルはさせるな。
『事業という本業から、一瞬たりとも目と意識を離すな』――マニュアルの構成そのものが、連合からの無言かつ強烈なメッセージだったのだ。
そして、この新システムは、その思想をより完璧な形で自動化するものだった。
顧客がテキストにある手法に基づいてポジションを持った際、そのテクニカルの前提が崩れた場合、システムがそれを検知して経営者や住宅ローン組へ警告メールを自動で送信する。
メールの内容は極めて無機質だ。
『銘柄タグ3の週足手法2が○月×日に崩れました。』とだけ、機械的に送られてくる。
このシステム導入は無料のオプションであり、あくまで希望制。
そして「警告」に過ぎないため、メールを無視してポジションを持ち続けても、銀行側からのペナルティや一般ローンへの格下げといった罰則は一切ない。
使い方も至ってシンプルだ。
指定業者であるA証券の口座とシステムをリンクさせ、購入した株や通貨に対して、自分で『テキストの週足手法2』と設定を選ぶだけ。
あとはシステムが24時間、機械的に相場を監視してくれる。
「これなら……四六時中スマホのチャートを気にして、本業の工場のラインや営業がおろそかになる心配もありませんね」
部下が感心したように画面を見つめる。
その通りだ。経営者やサラリーマンたちは一度ポジションを仕込んだら、警告が鳴り、手法の前提が崩れたことが確定するその時まで相場のことを完全に忘れて本業に勤しむことができる。これこそが、本業の黒字化を大前提とするハイブリッドローンの「正しい兵器運用」だった。
さらにこのベータ版の画面では、希望契約者がいつでも自分の「累積ゴールド評価額」や「現在のローン残債金額」をリアルタイムで視覚的に確認できるようになっていた。
残債の数字が減り、その横でゴールドの金色のグラフがインフレの波に乗って右肩上がりに膨らんでいく。
この画面を開くたびに、経営者たちは「自分たちは守られている」という強烈な全能感と、連合への絶対的な帰依を脳に刻み込まれることになるのだ。




