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なんでも奪う妹を辞めたら、姉に婚約者を譲れと言われまして

掲載日:2026/04/04

 ヒンシェルウッド公爵家の温室でのんびりお茶を飲んでいたユリアは、姉のハリエットの要求に目を瞬いた。


「ユリア、耳が悪くなってしまったの? スコットを譲ってと言ったのよ?」


 ハリエットは薔薇のような唇を小さく動かしながら、小鳥のさえずりのような美しい声で呪いの言葉を囁いた。


「アントニー殿下に婚約破棄されたから、わたくしがスコットを婿に迎えてヒンシェルウッド公爵家を継ぐわ」

「婚約破棄!?」

「ええ。真実の愛に目覚めたんですって」

「嘘、だってそれは!!」


「そうね。本来ならあなたがそのお相手だったはずなのよね? でもユリアも言ってたじゃない? シナリオの強制力というものが働いたらわからないと」


(どういうこと!? そのためにも私は誕生会を欠席したというのに!!)


「ユリアはわたくしに、なんでも譲ってくれるのよね?」


 無邪気に笑うハリエットは、萌黄色の瞳を輝かせて『わたくしはやっと、自由と優しい夫を手に入れることができるわ』と、両手を組んで舞台女優のように天に祈った。




 * * *




 ユリアは五歳のとき、磨き上げられたヒンシェルウッド公爵家のダンスホールのど真ん中で転び、三日三晩寝込んだ。軽い脳震盪という診断だったが、その割には言動がおかしい。


 それもそのはず、ユリアは前世というものを思い出して混乱していたからだ。


 初めは「これって異世界転生!?」とテンションが爆上がりし、次第に鮮明になっていく記憶に背中が冷たくなった。


 ここが前世で読んでいたWEB小説、ヒンシェルウッド公爵令嬢のハリエットがアントニー・フロイント第二王子に婚約破棄される『なんでも奪う妹に婚約者を奪われた令嬢ですが、幼馴染からの溺愛なんて聞いてませんっ』の世界だと気付いたからだ。


(どうしよう、ユリアに転生しちゃった)


 ユリアとは、ハリエットからアントニーを奪う妹の名前である。


 ハリエットの実母は病弱だったらしく、ハリエットを産んですぐ亡くなってしまった。残されたハリエットは半分だけ血のつながったユリアに虐げられ、使用人以下の扱いを受けて育つ。

 掃除洗濯はもちろん、お針子のような仕事までさせられ、食事を抜かれるのは日常茶飯事。

 部屋はかび臭い窓のない納戸。

 婚約者であるアントニーから贈られる装飾品やドレスは「貧相なお姉さまより私のほうが似合うわ」と、ユリアに奪われた。


 ハリエットの心の支えは、実母の形見のネックレスだった。

 ハリエットと実母の繋がりを証明する萌黄色の瞳。その瞳色のネックレスは、彼女が一人ではないことの証であり、彼女が自分の心を取り戻すためのアイテムだ。

 そのネックレスさえもユリアに奪われたとき、ハリエットの心は悲鳴を上げる。


 ハリエットは儚げな線の細い美女だが、俯いていることが多く、少々暗く見える。

 それに対し、ユリアはコロコロと笑う明るい女の子だった。桃色のふわふわの髪は綿あめのようで、水色のくりくりとした瞳はキャンディーのよう。小柄ながらも体は柔らかな曲線美を描いており、前世風に言うならエロ可愛い。


 政務に疲れたアントニーは、徐々にハリエットの暗い顔を見ると気分が落ち込むようになっていく。幾度となくアントニーの元を訪れるユリアの溌剌とした明るさが、疲れたアントニーを癒し、徐々にユリアに惹かれていってしまう。

 最後は『真実の愛に目覚めた』という理由でハリエットと婚約破棄し、ユリアとの婚約を宣言してしまうのだ。


 身を屈め、失意の底に沈むハリエット。

 周囲のざわめきが大きくなったところで出てくるのがヒーローのスコット・オルグレンだ。


 ハリエットと同い年で幼馴染のスコットは、陰ながらハリエットを支えてきた。

 婚約破棄され、傷つき、歩けなくなっていたハリエットを颯爽と抱き上げ、彼女を安心させるように微笑む。

 令嬢に人気のある精悍な顔立ちのスコットがハリエットをお姫様抱っこで連れ去った瞬間、会場は騒然となる。


 観衆はスコットのヒーローぶりに感嘆し、節操のない第二王子とユリアには冷ややかな視線を向ける。ハリエットを嘲笑っていたユリアは周囲の冷たい反応に愕然とするのだ。


 スコットは、アントニーに婚約破棄された自分には帰る家などないと嘆くハリエットをなだめながら侯爵邸に連れ帰る。ハリエットはオルグレン侯爵と長兄に「ずっとここにいるといい」と言われ、温かく迎え入れられた。


 しかし、侯爵夫人だけは王子に婚約破棄されるような令嬢を連れ帰ったことに怒り心頭だった。

 二人を結婚させようと動き出した侯爵と長兄の陰で、ハリエット自ら侯爵邸を出ていくよう仕向ける。


 しかし、虐げられることに慣れすぎていたハリエットは上品な侯爵夫人の意地悪など気にする様子もなく、健気に振舞う。

 嫌がらせの数々にお礼を言われるうち、侯爵夫人は「実家でどんな扱いを受けていたというの?」と困惑する。スコットの助けもあり、徐々に侯爵夫人の誤解も解け――二人は相思相愛の仲になって結婚するのだ。



 *



 ユリアが転んで前世を思い出したとき、ハリエットとユリアは普通の姉妹だった。

 思い出したのが早かったから、今なら間に合う。

 ハリエットからは何も奪わず、仲良く暮らしていれば婚約破棄は回避できるはず。

 ユリアはなんとしてでもハリエットを幸せにしたかった。


 それにはまず『なんでも奪う妹』を辞めることにした。

 そしてお姉さま好き好き作戦である。


 ハリエットの後をついて歩き、一緒に寝たいと駄々をこね、布団に入れば絵本を読んでとせがむ。

 面倒見のいい優しいハリエットは自分より小さい子を無下にはできない。その性格を知っていたユリアは幼な子の魅力を最大限活かしてハリエットにまとわりついた。


 ユリアは舌ったらずだったので「おねえしゃま」とか「しょれで」とか「わたち」などと言ってはハリエットを萌え転がした。

「おねえしゃま」と言いながら抱きつき、ふくふくの頬っぺでハリエットの頬をつつく。ハリエットが帰ってくればはしゃぎまわり、一緒に食事をしておやつを食べて、よく笑った。


 艶やかな白い頬に、柔らかな金の髪、美しい萌黄色の瞳。個性的な作家に作り出されたビスクドールのようなハリエットに「わたくしの可愛いユリア」などと呼ばれたら、ユリアのほうこそ萌え転がってしまう。


「こちらこそお姉さま大好きですわ!!」

 本心である。

 実際は「こちらこしょ。おねえしゃま、だいちゅきでしゅわ」になってしまうが、お姉さま好き好き作戦は見事に成功した。


 次はお父さま好き好き作戦である。

 領地にいる父に何度も手紙を送った。


 お母さまがハンカチに刺繍をしてくれました。

 とても綺麗なのでお父さまにもお見せしたいです。

 お姉さまは妃教育が始まり、とてもお忙しそうです。

 お身体が心配です。

 お父さまが帰ってこなくて、ユリアはとても寂しいです。


 初めは無反応だった父も、徐々に領地から帰ってくる回数が増えていった。

 ひたすら手紙を送り続けること数年。

 つたない文字が達筆になるころには食事中の会話が増え、貴族にしては仲のいい家族になれたと思う。


 全て順調だった。

 ハリエットが小説で閉じ込められていた納戸も使っていない家具を押し込んで塞いだ。

 ハリエットは毎日、形見のネックレスをつけている。

 ユリアはなにも奪っていない。


 むしろ奪われたものがあるぐらいだ。

 ハリエットが好きすぎる『心』と、豊満なお胸だ。


 本来ならユリアのほうが豊満なお胸をゲットしていたはずなのに。ユリアのエロ可愛さはどこへ? 前世の薄い身体ごと転生しなくてもいいのにと思ったものだが、ハリエットの幸せのためなら目を瞑ろう。きっとあのお胸はアンソニーとの仲を安定させる効果があるはずだ。


 ユリアはなにも奪わない妹から、なんでも譲る妹へ昇格していた。


 虐げられずに育ったハリエットは誰もが振り返るほどの妖艶な美女に成長し、姉妹仲はよく、何も起こらない――――はずだった。


 ハリエットが十八歳、ユリアが十六歳になったときのことである。


 領地へ帰る父と王立学園へ登校するハリエットを見送り、家庭教師が来るまでの時間、趣味の編みぐるみを作ろうとしていたときのことだった。


「ユリアが妃になるべきよ」


 ノックもせずに入ってきた母が唐突に切り出した。

 母は、初めて見る顔をしていた。

 何かに取り憑かれたような、正気とは思えない顔色だった。


「お姉さまほど妃に向いている方はいないと思いますが?」

「まさか。わたくし譲りのその美貌。ユリアこそ妃に相応しいわ。今から王立学園に通いなさい。そしてアントニー殿下に近づき、誘惑するのです」

「誘惑!? 何を仰っているんですか? 殿下に近付いたところでどうにもなりませんよ?」


 嘘だ。ユリアは知っている。

 本来であれば学園へ入学し、三年生のアントニーに近づいている時期だ。

 入学したばかりのハリエットの妹を、アントニーは無下にできない。

 アントニーは何度も訪ねてくるユリアに最初こそ戸惑いを見せるが、そのうちユリアが訪ねてくるのを楽しみに待つようになる。


 それを知っているユリアは、アントニーとの接触を避けるために父に頼み込み、入学を一年遅らせてもらっていた。一年間は家庭教師をつけてもらい、編入試験を受けて二年生から入学する予定だ。


「入学の手続きは済ませてあります。すぐに準備なさい」

「編入試験を受けていないので入れません」

「そんなものはお金でどうとでもなります」


 母は背筋が凍るような薄ら笑いを浮かべていた。

 母の侍女が学園の制服をユリアに着せようとしてくる。


「やめて!! お父さまにも来年からでいいと言われてるのよ!?」

 母の侍女は顔色一つ変えず、ユリアのドレスを脱がそうとしてくる。


「必ずアントニー殿下を誘惑して妃となるのですよ?」

「嫌!! 絶対に嫌!! そんなことに何の意味があるの!?」

「意味? ユリアまでそんなことを。わたくしの尊き血を王家に繋いでこそ、わたくしが生きている意味があるというもの」

「お父さまがこんなこと許すはずない!!」

「あんな腑抜けた男のことなど、語る価値もない」

「なんでそんな酷い言い方を。昨日だって楽しそうに笑ってたのに!! お母さまはお父さまのことが好きじゃないんですか?」


「好き? ハッ、くだらない。ヨルン王国の王女として生まれたわたくしが、なぜあんな男のことなど。婚姻ですら腹立たしかったというのに。終戦の証としてこの国に嫁いだわたくしの恨みなど、お前にわかるものですか。せめて王妃であれば怒りも収まるものを。この国はわたくしの尊厳を踏みにじったのです。妻を亡くした男がいるから嫁げと。公爵位ぐらいが丁度いいと。小国のくせに舐めたことを!! わたくしは、こんな辱めを受けるために生きてきたわけではなくってよ!!」


 母の怒りはユリアの想像を超えていた。

 ずっと母の顔色は窺ってきたはずなのに、何一つ見えていなかった。


 ヨルン王国と我がマルメ王国が国境で長らく争っていたことは知識としては知っている。辺境領は甚大な被害があり、終戦となった日は国中が喜んだ。しかし、どれもユリアの生まれる前の話で、それを身近に感じることはできなかった。


(お母さまがヨルン王国の第二王女だったのは知ってたけど……)


 我が家では戦争の話はタブーだ。

 元敵国同士の結婚。

 光の届かない深淵へ沈めた感情は、家族を守るためだったはず。


(私は絶対にアントニー殿下を誘惑なんてしない)


 母は終戦の証と言ったが、それは友好の証でもある。

 第二王子の婚約者の座に無理やり収まった原作のユリアは両国の顔に泥を塗ったことになる。

 もはや我が家の不仲の問題ではない。


 ユリアは腕を掴んでいた侍女の腕を引っかき、彼女が怯んだ瞬間、部屋を飛び出した。


 一階に降り、空き部屋となっている部屋に入って鍵を閉める。

 何かあったときに逃げ込めるよう、前々から準備していた部屋だ。

 窓もあるし、洗面と風呂と小さなキッチンがある。


 母はヒステリックな声で扉を開けるよう叫んでいたけれど無視した。

 当然、食事は運ばれてこなかったが、ユリアは準備を怠ってはいなかった。

 お湯を沸かしてお茶も飲める。非常用のビスケットを齧ることもできる。


「大丈夫、大丈夫。そのうちお姉さまがお父さまに連絡してくれる」


 ハリエットには学園への入学を遅らせるときに、小説の話をしておいた。かなり悩んだものの、今となっては話しておいて良かったと思う。


 しばらくして帰宅したハリエットが扉の下から手紙を入れてくれた。

 手紙には、人が変わったようにヒステリーになった母のことと、父に手紙を送ったことが書かれていた。


 小説内ではユリアの傍若無人ぶりばかり目立っていた。母は扇子で口元を隠して後ろから見ているだけ。母の心理描写もなく、結婚に至った背景も書かれていなかったので全く気付かなかった。


(昨日の晩餐は楽しそうに笑っていたのに)


 父が帰る直前、ナーバスになっている母には気付いていたが、それでも昨日は楽しそうだったのだ。


 ずっと思いつめていたのだろうか。

 自分の存在価値を見出せずにいたのだろうか。


 胸に迫るのは母の孤独だった。

 母を一人にしてしまったのは、ユリアだったのではないか。

 好き好き大作戦はほとんどの時間をハリエットと父に向けてしまっていた。

 もっと母と触れ合っておけばよかった。


 気高く見えても、母の中身は突然敵国に嫁がされた十七歳の少女のままだったのではないか。



 コンコンッ


 窓ガラスが音を立てた。

 窓際に立ち、相手の顔を確認してから鍵を開ける。

 静かに入ってきたのはスコットだった。

 手には大ぶりのハムと袋いっぱいのパンを持っていた。何日分かという量だ。


「スコットさま、さすがに多すぎますよ」

「まずそこに突っ込むの?」

「私一人じゃさすがに消費できません」

「続けるんだ?」

「一緒に食べませんか?」

「呑気!!」


 のけぞったスコットの喉ぼとけが見える。ユリアは背中がカッと熱くなるのを感じた。


(ヒーローなだけあって、めっちゃかっこいいし、妙に色っぽいから困る)


 そんなことを考えていないと、泣いてしまいそうだった。


 スコットは黒の瞳をユリアに向けて「大丈夫?」と優しく聞いてくれる。

 心細さと焦燥と不安がないまぜになっていたところに、不意打ちのようなスコットの温かさがユリアの心を揺さぶる。


「大丈夫です」

「よかった。ハリエットから連絡もらったときは息が止まるかと思ったよ」

「……あり、がとう……ございます」


 ピンチのときこそ笑うといい。

 大抵笑っていればやり過ごせると、ずっとそう思って生きてきた。

 でもそれだけでは駄目だった。


 母を追い詰めてしまった。

 王宮育ちの母は、泣くことも自分の気持ちを口にすることも知らずに育ったのではないか。

 

 もっと早く気付いていれば――――



「よかった。とにかく無事でよかった」


 スコットはパンとハムを横に置いて、ユリアの頭を撫でた。

 スコットが泣きそうな顔をしているのは、ユリアが泣きそうな顔をしているからだろう。



 ハリエットと恋仲になるかもしれないスコットとは距離を空けるつもりだった。家族の前ではニコニコと笑っていたユリアが、スコットを見るとよそよそしくなる。それが悔しかったのか、スコットはずかずか入り込んできた。ハリエットがいなくてもしょっちゅう遊びに来るから、そのうち無視もできなくなって――


 ユリアが家族仲を改善しようとしていることに気付いて、アドバイスをしてくれるようになった。


 公爵領が収穫時期だから今は忙しいだろうと。父への手紙は家族が元気に過ごしている程度にしたほうがいいとか。

 今は仕事が落ち着いている時期だから、会いたいと伝えれば帰って来てくれるだろうとか。


 学園に入学したくない理由までは言えなかったけれど、入学を一年遅らせたいと相談すると、二年から編入すればいいとアドバイスしてくれた。父には「お姉さまと比較されるのが辛いんです」と言えば許してくれるだろうとも。


 アドバイス通りに手紙を送ると、驚くほど上手くいった。

 二年からの入学も、すぐに許可が下りた。


 好きになってはいけないのに、好きにならずにはいられなかった。



「お母さまの孤独に気付けなかったんです」

「そんなことない」

「私のせいなんです」


「ユリアのせいじゃないよ。ユリアはまだちゃんと喋れないころから、みんなのことを必死に守ろうとしてた。父上に帰って来てもらいたかったのも、ハリエットと母上のためだったよね。それ以上どうしろと? 本来であればユリアは守られるべき立場の子どもで、なんの力もないのに、自分にできることを探してた」


「それだけじゃ足りなかったんです。学園に今から入学して、アントニー殿下を誘惑しろって言われました」

「正気の沙汰じゃないね」

「絶対に嫌。お姉さまの幸せを邪魔したくない。私は誰からも何も奪いたくないんです」

「奪うどころか与えすぎだと僕は思うけどねぇ」


 スコットの逞しい体に抱きしめられ、とうとう涙が溢れてしまった。

 背中をあやすみたいに撫でられてしまえば止まらなくなる。

 ひとしきり泣いた後、パンにハムを挟んで二人で食べた。

 味付けは何もなかったのに、スコットがいてくれたからとても美味しかった。



 父が帰宅したのは五日後だった。相当無理をして引き返してきたのがわかる。

 見かけた父はやつれた顔をしていた。

 父は母としばらく揉めていたが、母を馬車に押し込め、一緒に領地へ行ってしまった。

 その後は家令が公爵家をまとめることが決まり、ハリエットとユリアは平穏な日々を取り戻した。


 父からは、母のことは心配ないと書かれた手紙をもらった。

 学園への入学は二年生からでいいとも。

 そして、ついでのようにスコットとの婚約が決まったと添えられていた。


(スコットさまと婚約!?)


 さすがに公爵家と侯爵家が結んだ縁に否を突きつけるほどの力はない。

 なにがどうしてこうなったのかとスコットに聞いても「僕との結婚が嫌なの?」と呑気な問いが返ってくるだけ。


「嫌じゃないです!!」

「じゃあいいじゃん」


(嫌じゃないからよくないんだってば!!)


 スコットとハリエットは最終的に結ばれるかもしれないから、なんて本当のことなど言えるはずもなく、あっという間に時間は過ぎていく。


 その間、不思議なことが起こっていた。


 ユリアがスコットにもらった毛糸やお菓子、そのお菓子を包んであった可愛い包み紙や綺麗なリボンなどをハリエットが欲しがるようになったのだ。

 ユリアが大切にしている物ばかりだ。


「それ、譲ってくれる?」

「これ……?」

「そう。とっても可愛いから欲しくなっちゃった」


 ユリアは断るのが苦手だ。

 前世でも、嫌なことを嫌だと言えなかった。

 友達に誘われると断れなかったし、お似合いだと言われて好きでもない人と付き合ってしまったこともある。自分が無いと言われればそれまでだが、前世ではそうすることが処世術だと思っていた。



 泣く泣く手渡した数々のユリアの宝物は、すべてスコットがらみで、ハリエットがスコットを憎からず思っているのは確かだった。


(でも、私とスコットさまの婚約は家同士が決めたことだから)


 ハリエットに大切な物を譲るたびに言い聞かせた。ハリエットとスコットが結ばれる未来に目を瞑って。

 そんなことを二年も繰り返しているうちに、とうとうハリエットは『スコットを譲れ』と言ってきたのだ。



 アントニー第二王子の誕生会。

 二十歳になった王子は誕生会で婚約者に求婚し、指輪を渡すのが慣例となっている。

 この国の王子たちの儀式であり、令嬢たちの憧れの場であった。


 その記念すべき誕生会の日に、婚約破棄されることがどれほど屈辱か。

 公衆の面前で、公爵令嬢が好奇の目にさらされるのだ。


(私が参加してなかったのに婚約破棄されたなんて……)


 そうなれば、ハリエットが公爵家を継ぐためにスコットと婚約するのが筋だろう。

 彼は、この物語のヒーローなのだから。


 原作でもハリエットとスコットが結ばれた。

 いま、それを邪魔しているのはユリアだ。

 天を仰ぐハリエットから視線を外し、ユリアは長い睫毛を伏せた。


「お姉さま」

「なぁに?」

「お姉さまはスコットさまのことがお好きなんですね?」

「別に?」

「じゃあ、なぜ……」

「そうするべきだからよ。ユリアだって、わたくしがいくら聞いても『お父さまが決めた婚約だから』としか言わなかったじゃない? つまりスコットとのことは義務でしょう? 義務なら長女のわたくしが請け負うわ」


 スコットと婚約してからハリエットには事あるごとにスコットのことが好きかと聞かれたが、いつも曖昧な答えしか返せなかった。


『ハリエットと結ばれるかもしれないから』


 けれども、本当はそれ以上に言えない理由がユリアにはあった。



 前世の記憶だ。



 中学生のときに好きなアイドルを友達に打ち明けたら「ダサッ」と言われてしまい、自分の『好き』に自信がなくなってしまったのだ。

 それ以来、ダサいと言われないように私は必死だった。


 みんなが着ている服を着て、みんなと同じメイクをして、みんなが聴いている曲を聴いて、みんなが美味しいと言った物を食べて、みんなが可愛いと言ったものを可愛いと言って、同じ写真を撮ってSNSにあげて――


 みんなが好きなものが好きで、嫌いなものが嫌いで。

 みんながキモいと言えば、それはキモくて。

 みんながお洒落だと言えば、それはお洒落で。


 みんなを基準にすれば私は守られる。


 みんなが、私の世界を創っていく。


 写真の中で楽しそうな『みんな』

 少しのことで不機嫌になる『みんな』

 失敗した人を嘲笑い、自分は絶対に失敗しない『みんな』



 顔色をうかがい、言葉をひねり出し、失敗しないよう流行を探って、疲弊していく。


 そうしているうちに、私は私の『好き』どころか『私』がわからなくなった。



 そのまま大人になった私はある日突然、限界を迎えた。

 ベッドから起き上がれなくなり、何日も仕事を休んだ。

 ぼんやりスマホを眺めていたとき、なんとなく開いた小説投稿サイトで読んだ小説が、この世界だった。


 必死で生きるハリエットを見ているうちに、少しずつ心が動いて。スコットの優しさに触れているうちに心が癒されて。


 小説の世界に浸っているうちに、私は私の『好き』を見つけた。

 心は自由だと気付いたのだ。

 私がわからなくなっている『私』は、すぐには見つからなかったけれど、この『好き』だけは大切にしよう。


 そう思った瞬間、起き上がることができた。



 だから転生したとき、ハリエットのことも、父のことも母のことも大切にしたかった。

 抗ってみたものの、スコットのことを好きになってしまった。

 

 ハリエットのことは『好き』と口にできても、スコットのことは口にできない。声に出す勇気がなかった。



「ねぇ、ユリア。スコットのことも譲ってくれるのでしょう? わたくしにユリアの髪色の毛糸もくれたし、猫柄の包み紙もくれた。キャンディーのリボンがユリアの瞳の色で、わたくしはどうしても欲しくなってしまったの。ユリアはなんでも譲ってくれたでしょう?」


「スコットさまは、物じゃありません」


「そんなこと、わかってるわよ」

 変な子ね、とハリエットは笑う。


「スコットさまは……」


 スコットがくれたお揃いの猫柄のカップを握りしめ、ユリアは息を吸い込む。


 この世界は『可愛い』が足りない。

 前世みたいなキャラクターグッズがないからだ。

 ないなら作ればいいと、編みぐるみを作るようになり、一番最初にスコットの愛猫を作った。

 スコットは想像以上に喜んでくれて。

 そんな些細なことが嬉しくて。

 婚約してからは、スコットからたくさん『可愛い』ものをもらった。

 ユリアは、自分が思っている以上に『可愛い』ものが好きだと気付いた。


 スコットは、ユリアの知らないユリアに気付かせてくれる。



「譲れません。ごめんなさい。お姉さまからは何一つ奪いたくないし、私が持っている『物』なら全部あげてもいい。でも、スコットさまだけは譲れません。ごめんなさい……好き……なんです」


「なぁに? 聞こえなかったわ。もう一度言って?」


「好きなんです!! スコットさまが、この世界で一番好きなんです!!」


「わたくしが一番じゃないの!?」

 ハリエットは淑女らしからぬ形相で叫んだ。


「ごめんなさい!! スコット様が一番です!! 一番好きなんです!! あんなに色気があるのに驚くほど可愛くて。ギャップがすごくて。黒髪と黒目を見ていると安心できて、それで、めっちゃかっこよくて、めっちゃ可愛くて、めっちゃ優しいんです!! 語彙力を喪失するぐらい好きなんです!! だからごめんなさい。なんでも譲る妹は卒業します!!」


 ユリアは必死に頭を下げた。


「スコット、ちょっと顔出しなさいな!! わたくしのユリアに何を吹き込んだの!?」

「えっ?」


 下を向いていたユリアが顔をあげると、嬉しいような怒ったような顔をしたスコットがユリの花束を持って現れた。


「あなた、ユリアに何か吹き込ん……もしかして、手を出したんじゃないでしょうね!?」

「出すわけないだろ!! 未来の王子妃が下世話なこと言うなよ!!」

「では何故わたくしが二番目なの!?」

「むしろ僕が一番で何が悪い!?」

「おかしいじゃない!! わたくしがずっとユリアの一番だったのに!!」


「出た、ハリエットの根拠のない自信!! ユリアの気持ちはユリアのものだろ!? もうお姉ちゃん大好きユリアは卒業なの、これからは僕とユリアの世界なの。何が『スコットのことなんて好きじゃないかも』だよ。ちゃんと好きってユリアは言ったからな!? 二度と邪魔すんなよ!?」


 罵りあう二人にユリアは目を瞬いた。


「あのう、さっきから何を?」

「ユリアは、ハリエットから何度も僕のことが好きか聞かれたよね?」

「うん」

「そのとき、君は曖昧な返事しかしなかった」

「ごめんなさい」

「それはいいんだ。なにか事情があるのはわかってたし。ただこのユリア過激派のハリエットがさ、そんな男にユリアは渡せない、今夜、婚約破棄されたことにしてスコットを譲れと言うから、ユリアが譲ると言ったら、ユリアのことは諦めろと言い出したんだよ」


 ユリアは文字通り開いた口がふさがらなかった。

 なぜかハリエットは豊満な胸を張ってドヤ顔である。


「お、お姉さま、それは過激すぎませんか」

「どうして? 可愛いユリアを取られるんですから、このぐらいして当然よ」

「えっと、確認なんですが、婚約破棄は?」

「嘘よ。アントニー殿下はわたくしにメロメロよ。今日だって誕生会を抜けてここに来ることを了承してくれたわ」

「それは、良かったです? ね?」

「そうね。ユリアのお陰でわたくしも幸せになれそう」


 ようやくハリエットらしい笑みを浮かべながら手を伸ばし、ユリアの頬をそっと撫でた。


「わたくしは大失恋ですわ。可愛い妹に二番目と言われて」

「二番じゃダメなんですか?」

「ダメですわ!!」


 ハリエットが首を振る。

 どうやって説得しようかユリアが頭を悩ませていたら、ハリエットの後ろに控えていた侍女が「お嬢さま、そろそろお時間です」と言って、大きな箱をテーブルに乗せた。


「開けてみて?」


 言われたとおり箱を開けると、ハリエットに譲ったユリアの大切なものが入っていた。


「ユリアはなんでも譲るって言うから心配だったの。嫌だと言ってくれるのをずっと待っていたの。あまりにも言わないからスコットのことなんて好きじゃないのかと思ったわ。これからは、好きなものとは好きと。嫌なことは嫌だと言わなきゃだめよ?」


「ごめんなさい」

「謝るのはわたくし。ごめんなさいね。こんな意地悪な姉を許してくれる?」

「許すもなにも。私は昔からずっと、お姉さまのことが大好きですよ」

「二番目にね?」


 美しく笑ったハリエットは、手紙をユリアに渡した。


「お母さまから、お姉さまに?」

「ええ。読んでみて?」


 震えそうになる手を叱咤して手紙を開いた。

 あれから母とは会っていない。


 手紙には、ハリエットへ冷たくしていたこと、ユリアを王子妃にしようとしたことへの謝罪と、ユリアにも謝りたいけれど、もう少し時間が必要なことが書かれていた。細く小さな母の文字を指でなぞると、母の後悔が伝わってくるような気がした。


「不器用な方ね」

「……そうですね」

「わたくしは、冷たくされたとは思ってなかったんだけど」

「気持ちを伝えるのが苦手なんでしょうね」

「そうね。お父さまがずいぶんと心を砕いて、お母さまに寄り添ったみたい。二年かかってしまったけれど、ようやくお母さまと穏やかに過ごせるようになったみたいよ」

「そうですか……それはよかったです」

「そのうち、お母さまにお手紙をさしあげてみたら?」

「そうですね。そうします」


 ずっと気になっていたが、なかなかきっかけが掴めずにいた。

 ユリアが余計なことをすると事態を悪化させるのではという不安もあった。

 母が落ち着いてきたというのであれば、ユリアから歩み寄るのは難しいことではない。


 ユリアの反応を見て静かに頷いたハリエットは、スコットを睨む。


「スコット」

「なに? まだ邪魔すんの?」

「ユリアを幸せにしてね」

「言われなくても」


 スコットとバチバチと火花を散らしたあと、ハリエットは温室を出ていった。

 それを見送ったあと、スコットはユリアの前に跪く。


「優しくて、気配り上手で、みんなを幸せな気持ちにしてくれる、可愛いユリアのことが大好きだよ。あらためて、僕と結婚してください」


 ピンク色のユリの花を手渡された。

 芳醇な香りが漂い、ユリアは微笑んだ。


「ずっと曖昧な事しか言えなくてごめんなさい。私もずっと大好きでした」


「よかった。嫌われてはいないとは思っていたけど、ちょっとだけ心配だったから。父を通してユリアが十四歳のときから婚約の打診をしてたんだけど、公爵閣下になかなか了承してもらえなかったんだよねぇ」


「そうなんですか? 知らなかったです」

「ユリアが可愛過ぎて手放したくなかったみたい」

「お父さまって全く表情が変わらないから、感情がよくわからないんです」

「それは立場上、仕方ないよね。父にはユリアの入学を遅らせた理由を『婚約してないユリアが学園に行ったら釣書が殺到するから』って説明してたみたいだよ」


「それは親ばかすぎませんか?」

 あの無表情な父がそんなことを口にしている場面など想像できない。ちょっとこそばゆい。


「父も『だったらスコットと婚約させて欲しい』って困ってたよ。僕も、どんどん綺麗になっていくユリアが誰かに取られやしないかとずっと心配でさ。ハリエットは過激だし。ユリアが僕を譲るって言い出したらどうしようかと思ったよ」


 スコットは困ったように頬をかいた。


「スコットさまのことは、誰にも譲りません!!」

「うん。約束だよ?」

「はい!!」


 二人は微笑み合い、そっと顔を寄せた。

 二人の間からユリの香りが立ち上る。甘く濡れたような香りは、しばらく消えることはなかった。



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