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史的な夜話 其の二十二

作者: 戸倉谷一活
掲載日:2026/02/23

Y:あのぉ。

T:はいはい。

Y:いつになったら、本能寺の変へと話は戻るんでしょうか?

T:今しばらくお待ち下さいな。

Y:わしはかまへんけど、言うてる内に十年があっと言う間に過ぎてそうやんけ。

T:宜しいがな、誰も困りゃぁせんよ。

Y:それはそうやも知れんけど、誰か一人ぐらいはまってるやも知れへんやんか。

T:心配せやんかて、その内に話は戻りますがな。

Y:ほんまかいな。

T:病んどる他人に心配されとうないし。

Y:病んどるとか言わんとって。色々ありすぎて辛いんやで。近い内に腐乱死体で発見されるやもしれんけど、気にせんとってな。

T:また、この人は無茶苦茶言うとるし……

Y:それぐらいの気持ちにならんと、立ち直れへんよ。色々諦めて、世界なんて滅んじゃえ的な気持ちになって、今、それが少し消えて、ちょっと前を見ようとか、そないな気持ちになってきたかなぁ。まだまだ時間はかかるやろうし、とりあえず餓死せんように、ご飯は食べてるけどさ、それでも、色々面倒やなぁ、思うよ。

T:わしはなんと言えばええねん?

Y:無視して話を進めてくれよ。

T:ほな、進めますけどな、本能寺の変が起きる前、羽柴秀吉は備中高松城を攻めとったやないですか。

Y:水攻めの話ですな。

T:順番は前後するかもしれませんけど、話すとさ、ここで毛利家は備中高松城を救えなかったやないですか。それを家臣団はどない捉えとったんやろうか、そこが凄く気になってるんですよね。

Y:はぁ?

T:お城を一つ失うただけや無うて、周辺の城も取られてるやん。領地も伯耆、美作、備中を取られとるやん。ええこと一つも無いやん。毛利家の家臣団として、どないに総括したんやろう、主人である毛利輝元はどない思たんやろう、その辺が凄い気になったりしません?

Y:いきなりどないしたんよ?

T:多くの人は何故、撤退する秀吉を毛利側が追わなかったか、そこを指摘しはるけど、秀吉は清水宗治が自害して、毛利の軍勢が撤退するのを見てから、秀吉も撤退を開始してるんですよね。それで高松城には杉原家次って言う親戚の伯父さんに三千人の兵を与えて任せてるんですよ。だから、仮に毛利家が秀吉を追い掛けようと本気になったら、まず、備中高松城にいる杉原家次のおっちゃんを倒さないと、前へ進めないんですね。

Y:ほな、あれやな。今度は毛利家が高松城を水攻めにせなあかんわけやな。

T:知っての通り、秀吉は高松城を攻める時に、現金で土嚢を買い集めてるんですよ。地元の人らに一個いくらか忘れたけど、足元に転がってる土、泥にお金払うって言われたら、そりゃぁ皆、協力するやん。今まで働いて当たり前、言うこときかんやったら斬るぞ!殺すぞ!って言われとった地元の農民らが、率先して協力して、あっと言う間に高松城は水浸しになるわけですよ。戦争にビジネスを持ち込んだんは、秀吉やないかって思うんですけど、どない思う?

Y:知らんがな。

T:いずれにしても、毛利家が高松城を水攻めしようとして、秀吉と同じ規模の堤防かなんかを造ろうとしたら、時間かかると思うで。高松城の近所に住んではる農民とかも、秀吉は堤防造るんに協力したら、銭っこ貰たのに、毛利はんはケチやなぁ、言うて、だらだら仕事して、前へ進まへんと思うんよ。

Y:ただ働きほど嫌なもんは無いで。

T:それに、秀吉も高松城を攻めた側やから、念のために食糧とか、武器とかを充分に杉原家次に持たせてると思うんよ。万が一のことがあっても、しばらくは持ち堪えてくれって、頼んでいたと思うし、もう一つは岡山城に宇喜多秀家の軍団が一万人居って、連携して毛利の軍勢が追ってきても、この辺で抑えてなって頼んでたと思うで。

Y:そう言えば、毛利ってこの時、どれぐらいの人数を率いてはったんよ。

T:実を言うと明確な人数って言うのがわかってなくて、最低でも一万人はいただろうとは言われとるけど、残念ながら正確な史料が無いんよね。

Y:そうなんや。

T:本によっては五万人とか書いてあるけど、それは秀吉の残した手紙かなんかに書いてある人数で、実際に秀吉が数えたわけでもないし、今の時点でこれを信じていいのか、わからないんだよね。それと秀吉は毛利を攻めるのが担当で、そこに専念すればええねんけど、毛利は九州の大友さんとも揉めてはったから、そっちにも気ぃ使わなあかんから、秀吉が居らんようなって、気ぃが楽になったんやないか。

Y:大河ドラマなんかやと、追うとか追わんとか、揉めるやないですか。

T:もう一つ、山陰地方には伯耆国の羽衣石(うえし)城に南条元続さんが守ってるし、因幡国の鳥取城には宮部継潤さんが居て、しっかり守ってはるんやな。この二人が軍を率いて出雲国とかに侵入して引っかき回したら、毛利としては秀吉を追い掛けるとか、それどころじゃぁないと思うんよ。

Y:なるほど。

T:秀吉も、大友さんに手紙とか書いて送って、今や!関門海峡渡って、毛利の領内引っかき回したれって、言うてるやもしれへんやん。

Y:それはありそうやなぁ。

T:まだあって、毛利家って瀬戸内海の水軍を味方にしてはってんけど、その中には村上水軍って言うのがあるんですね。

Y:昔、一緒にしまなみ海道を旅しましたよねぇ。

T:その村上水軍には大きく能島(のしま)(いんの)(しま)来島(くるしま)の三つがあるんですけど、その中の来島が裏切っちゃうんですよ、秀吉に口説かれて。これが備中高松城を攻める一か月前やったかな、天正十年の四月のことなんですよ。同じ時に塩飽水軍、児島半島の高畠水軍、直島の高原水軍なんかも秀吉に口説かれはって、毛利と縁切ってはるんですよ。

Y:上手いこと口説いてはるんやなぁ。

T:もう一人口説かれた人が居ってさ、それが毛利元就の娘婿の上原元将元将(もとすけ)さん言う人が居るんですよ。

Y:アカンやん、それ!

T:そうなんですよ。吉川元春、小早川隆景からすれば妹婿に当たる人なんですけどね。しかも、備中高松城の近くに日幡城ってのがあって、そこに詰めてはったんやけど、秀吉側から、こっちにおいでって言われて、寝返ったんやけど、二年ぐらい後に病気で亡くなってはるんよ。

Y:それで出世したんですか、婿の上原さんは?

T:何一つ目立ったことも無く、人生終わらはったんですよ。

Y:駄目だよ、この人。

T:まぁ、でも、毛利家の中では疑心暗鬼というか、婿さんが裏切ったから、次は誰が裏切るんやろう的な、そないな状態になったから、毛利としては国境(くにざかい)を堅く守って動かない状態にして、丁度良かったんや無いかなぁ。Y:ほんまに毛利が秀吉を追い掛けとったら、誰か裏切ったんやろうか。

T:具体的名前なんかはわからなかったけど、実際にそないな噂みたいなんはあったみたいよ。毛利家も元就の時代から、色んな敵を下して、ここまで大きいなりましたやん。中には昔の方が良かった、今の待遇に不満が有るとか。

Y:戦に負けて、毛利家に飲み込まれた人らやったら、そう言う不満って有りそうやね。

T:今の企業とかでも有りそうやないですか。合併とかで大きな会社に入っても、待遇が改善されへんとか、給料上がれへんとか。

Y:今の時代有る話やろうね。

T:四百年前やったら、口説かれたらそっちに付いて行くとか、人数集めて暴れるとか、そういう感じやろうし、秀吉が撤退して毛利としては良かったんやないかな。

Y:そうなるんやろうね、さっき言うてたやん、九州の大友さんとも揉めてるとか。

T:そっちへ全力注いで、不満なんかも無くせたんやないかな。それと、秀吉も慌てて姫路城まで引き上げたわけや無うて、岡山城の東、ちょっと行ったところに沼城ってお城があって、そこに入って少し休んではるんですよ。どれぐらいの時間休んだかは知らんけど、ここで休みながら情報収集したり、毛利の動きを気にしたり、兵士を休めたり、色々しとったんやないか。

Y:こないして話を聞いとると、大河ドラマって結構出鱈目やないですか。

T:それは、監督と脚本家にでも言うてくれ、ここで何言われてもなんともでけへんよ。

Y:そうですねぇ。

T:姫路城に入って一泊して、そこから東へと走るんですけど、それでもなんやかや言うて夜は泊まってるんですよ。明石、兵庫、尼崎、こないな感じで。

Y:そうなんや。

T:大河ドラマ観て、興味が湧いて、調べて下されば一番ええんですけど、ね。

Y:すんまへんなぁ、頼ってばっかしで。

T:それで、話を戻しますけど、備中高松城の水攻めが天正十(一五八二)年の五月、六月なんですけど、前年に鳥取城を攻めてるんですよ。

Y:さっき、宮部さんの名前が出てましたね。

T:秀吉が攻め落として、宮部継潤さんに城を任せてるんですよ。この鳥取城を攻める時、秀吉は商人に頼んで鳥取城周辺で米とかの買い占めをさせてるんですよ。ほんまかどうかは知らんけど、城内の米まで売った人が居るとか、そんなことも有って鳥取城は備蓄米が非常に少なくなったんですね。

Y:相場の倍以上とか、聞いたこと有るよ。

T:実際の値段は知らんけど、若狭国の商人に頼んだんは確かみたいよ。

Y:ふぅ~ん。

T:鳥取城の周囲に十二キロの柵を設けて、人の出入り封じて、城の周囲に住んどった人も否が応でも鳥取城へと逃げ込むことになったんよ。

Y:大変やん。

T:住民だけでも二千人居ったとか。そこへ元から城内にいた兵士や城将吉川経家ら合わせて約二千人、合わせて四千人が食うに必要な食糧が無くて、それでも六月下旬から十月中旬辺りまで四か月かな、持ち堪えたんですよね。秀吉はもっと早くに降服してくれると、思とったようですが、吉川経家ら城方も踏ん張りましたよ。

Y:随分と餓死者を出したと聞いたことが有りますよ。

T:悲惨なので、ここでは語らんですが、興味があればご自分で調べて下さい。

Y:やめとくよ。

T:秀吉は天正六年三月から天正八年一月まで三木城を包囲して、世に三木の干殺(ひごろ)しと言われるんですが、この三木城も食糧が無くなるまで包囲し続けて、合わせて攻撃を繰り返してどうにか落としたんですね。時間もかかりましたが、兵の損害も大きかったから、鳥取城を包囲した時は、城から離れた場所に柵を設けて、事前に米の買い集めを行って、兵の犠牲を最小限に留めようとしたようやな。Y:秀吉も大変やなぁ。

T:備中高松城の合戦で毛利家は輝元、元春、隆景が出てきたけど、鳥取城の合戦で毛利と織田信長の一大合戦が行われてた可能性もあるんやな。

Y:そうなんや。

T:近年の調査で、秀吉が陣地を築いていた跡地が発掘されて、立派な陣地跡が出てきたから、鳥取城で雌雄を決する予定があったのでは無いか、その様に言われているんや。

Y:歴史が変わってたやもしれんわけやな。

T:そうですね。三木の干殺し、鳥取の(かつ)(ごろ)し、高松城も粘ったら餓死者が数多出とったやもしれんですね。

Y:怖いなぁ。

T:上手く言えへんけど、毛利家が鳥取城の救援に積極的やったら、救えなかったにしても、上原元将とか、水軍の皆さんが口説かれて離れていくって事は無かったんやないか、そない思うんですよね。

Y:積極的に救おうとはしなかったんですね。

T:食糧を送ったんですけど、目の前で船ごと沈められたり、吉川元春が救援に出かけてんけど、遅くて間に合わなかったとか。

Y:あかんやん。

T:毛利家ってさ、毛利元就という人が、急成長させた家なんやけど、この元就さん、知っとるやろ。

Y:あんまし詳しいないよ。

T:ほれ、大河ドラマでも主役やったやんか。

Y:随分前やんか。覚えてないよ。

T:(がつ)(さん)富田(とだ)城に尼子さん一家が居て、元就と争ってはってんけど、永禄八(一五六五)年の九月から翌年の十一月まで月山富田城を包囲して、尼子さんを倒すことができたんですよ。鳥取城と同じで食糧が乏しなって、城内に閉じ込められた人ら揃いも揃ってやる気失うて、尼子の親分さんが諦めて投降しはったんやな。

Y:それであれやな、尼子の親分さん、打ち首やな。

T:それが、尼子さんらは助命されて、毛利家の家臣かなんかとして迎えられて、明治まで続いてはるんよ。

Y:良かったと言ってええんか?

T:尼子さんらが名門一家やったから、元就も打ち首って簡単にはでけへんかったんやろうね。

Y:名門やったんや。

T:話が長うなるから、控えるけど、元就も月山富田城を一年以上包囲した経験者なんやから、それを参考にしたら、鳥取城が包囲された時点で、救援に行かんやったら、元就の名に傷付くやん。

Y:そうか、秀吉が元就を参考にしたかもしれへん、それを言いたいんやな。

T:そこまでは言わんけど、わしが毛利家の家臣やったら、不満有ったやろうなぁ。どうしても元就の時代と比べてもうて、元就時代を懐かしんだり、秀吉の方が魅力的に見えてまうやもしれへんよ。

Y:そないなもんやろか。

T:時代も違うし、簡単に比べることはでけへんやろうけど、上原元将とか、水軍の皆さんが逃げ出したんは、鳥取城を助けられなかった辺りから、心の中では毛利家から逃げ出したいとか、そない思とったんかなぁ、って。

Y:言われたら、そないなんちゃうけって、思うようになってきたよ。

T:毛利家の本拠地って、今で言うと広島県の安芸高田市にある郡山城なんですよ。元就自身は中央を目指さない、領地の拡大も求めないとか、そないな考えやったみたいで、鳥取城にはそもそも興味が無かったのか、領地が広なり過ぎて、手に負えなくなっていたのか。なんにしても高松城の水攻めの時、秀吉は毛利側に伯耆、出雲、美作、備中、備後の五か国を譲れって、強気の条件で講和を持ち掛けてたんですけど、この五か国って、元々が尼子さんの領地やったから、負けたから毛利に従っているだけ、心から毛利に従うとるわけやないでって思とる人も多かったんやないか、そうも思うんよね。

Y:さっき、中央を目指さないって言うたけど、どういうことよ?

T:武田信玄は京都を目指したやないですか。京都に行って将軍を補佐したいとか、そう言う意識があったんやけど、毛利元就なんかは京都を目指さない、その姿勢は崩さないって決めてはったんよ。元就は若い頃、大内さんの家臣やってんけど、その大内さんは京都に行って、将軍様を支えたりしとって十年ぐらい帰ってこんかって、その間に地元はガタガタになって、格下やった尼子さんなんかが力をつけて領地を脅かすとか、そう言う状況になったんよ。それをみてきた元就やから、京都、中央を目指すのはやめとけよって言うてたんよ。

Y:中央って京都のことやったんかいな。

T:はい、そうです。

Y:政治で例えると、知事にはなっても、国会議員は目指さん方がええでって、事やろうか?

T:そないな例え方されてもわからへんよ。

Y:伝わらんかぁ……

T:伝わらんよぉ……

Y:でも、本能寺の変が起きてなかったら、毛利家ってどないなっとったんでしょうね。

T:信長にこき使われて、振り回されて、遅かれ早かれ消耗しとったんやないですか。四国征伐に駆り出されたり、この時点で柴田勝家がまだ上杉と交戦中やったから、勝家の応援に行けとか、言われてたやもしれへんし、一番現実的なんは九州の平定に駆り出されて、ボロボロになってるとか、そないな感じかな。実際、秀吉と仲良うなってから四国征伐に行ったし、九州平定に行ったりしとるし。

Y:なんでボロボロになるんです?

T:関ヶ原の合戦の時も、毛利輝元って貧乏くじ引いて、領地減ってるやないですか。どこかで損する運命なんやないか、と。

Y:歴史の中に、「if」はアカンって言うけど、本能寺の変が起きてへんかったら、ほんまにどないなっとったんでしょうね。

T:少なくとも、わしの楽しみが一つ、減ってった言うんは間違いないな。

Y:それは、確かに。

T:そう言うわけで、次回は本能寺の変へ、話を戻しましょうね。

Y:お願いします。

T:でわ、お休みなさい。

 上原元将は元祐とも表記されます。


 沼城は亀山城とも。浮田小学校の東隣にあったとか。

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