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第9話 僕は、『南条緋月』となった

 オーディション当日。事務所とは別の場所で行われるので、小園から送られてきたメールの場所まで出かけた。家を出るとき、陽翔から声をかけてもらえるかと少し期待していたのだが、大学が思った以上にに忙しいらしく、すでに家にもいなかった。僕は「いってきます」と、小さく言葉を残してマンションを出た。


 卒業式が終わってから、陽翔や仕事関係以外では誰にも会っていないことに気がつく。少し苦笑いをしながら、駅までの道を歩いた。

 麗月にも連絡はせずにいたのだが、今から『緋月』のオーディションへ行くことだけ、メールをいれておく。


「さぁ、頑張ろう。僕ができる最高の『緋月』を」


 電車に揺られ、目的地の近くへ着いたとき、見知ったスタッフを見つけ、会場までの案内を頼む。言われた部屋に入り、一人静かに目を瞑る。『如月湊』は、今日は必要がない。僕が思う『南條緋月』をイメージしていく。留学している音大生でピアノ専攻、天才と言われる弟、音楽一家から逃げるように海外へ出たが、相変わらずピアノを弾けない毎日。人生に悩んで、音楽を辞めようとか考えていたところに、友人と呼べるチェロリストとある少女と出会った。楽しそうにヴァイオリンを弾く彼女の明るさに惹かれ始める。

 そう……、彼女に惹かれていく、そんな始まりの場所を今日はオーディションとして、見られるのだ。


 ……僕、ピアノ、弾けないんだよね。あぁ、僕じゃない。僕じゃないよ。緋月だった。


 今日はそのシーンはないが、イメージは少女に声をかけられるところから始まる。まさに物語の冒頭で、一目惚れをする……、そんなシーンでもある。


「湊くん、そろそろいいかな?」


 控室へ僕を呼びに来てくれたのは、小園ではなく女性スタッフだった。「小園さんは?」と聞きそうになって、僕は開きかけた口を閉ざした。いつも小園が付き添ってくれるとは限らない。現場へ一人で行くこともある。何故、今、小園がいないことを残念に思ったのか。首を横に振って、甘い頭の中をクリアにしていく。

 多少なりの不安があったのだろう。いつも大一番では、どんなときでも小園が付き添ってくれていた。僕は女性スタッフにニコッと笑いかけ、「お願いがあるんだけど?」と近づいた。


「何かな? 湊くんにお願いとかされるのは、初めて」

「そうだよね。いつもは、小園さんがいてくれるから」

「あぁ、なるほどね。それで?」

「背中をありったけの力で叩いてほしいんだけど」

「……背中を?」

「うん。験担ぎみたいなもんなんだけど、小園さんは今日いないみたいだし」

「……わかりました。後を向いて」


 女性の力は小園の比べて弱い。いつもの半分くらいの痛みに苦笑いしながら、「ありがとう、行ってくるよ」と微笑む。


 ーー僕は、『南条緋月』となった。


 僕は役を作り込むというより、感じたままの役になりきったほうがあっていると思っている。降りてきた『緋月』と意識を交換するイメージだ。


 指定された部屋に入った瞬間、空気が違うと感じた。

 指定された椅子に腰掛け、目の前にあるピアノに内心ドキドキとしながら、静かに待つ。


 ……もう、ここは麗月が創り出した世界なんだ。


 そう感じた瞬間、聞き覚えのある声で「excuse me」と話しかけられる。

 振り返ると社長が満面の笑みでこちらを見ていた。

 僕は「何か用?」とぶっきらぼうに返すと社長は苦笑いをしながら、今流行りのアニメ主題歌……を弾けるか聞いてくる。


 僕……もとい、役である『南条緋月』は、日本から逃げるように海外へ出てきた音楽大学ピアノ学科の音楽留学生。生活のためにクラブで弾いたりラウンジで弾いたりしている苦学生でもない。

 ただ、弾けなかったピアノに久しぶりに触れられたことに、何とも言えない気持ちで、ピアノを見ていた。ピアノしかない僕もとい緋月は、あちこちにあるストリートピアノというもので遊ぶことを教えてもらった。友人である『光希』に。

 そこに話しかけてきたのが、ヴァイオリンを持った同い年くらいの女の子だった。流暢な英語で話しかけてくるが、日本人特有の丸い雰囲気は感じられた。


「3,2,1」


 僕は弾けないピアノを前に、緋月なら……と考える。思考が湊になりそうになるのを振り切り、僕は椅子を引いて立ち上がり、弾けないピアノを弾き始める。昔、義母に教えてもらった「猫ふんじゃった」を弾くと、どっと笑いが審査している月影から漏れているが気にしていられない。


 だって、僕は『南条緋月』だから。アニソンは弾けないけど……、これなら、弾ける。格好だけでも……。


 その場がどこか欧州の大きな駅にあるストリートピアノだと思い浮かべていけば、目の前は石畳みの古い駅に早変わりした。社長は多才なので、ヴァイオリンも弾けるのだが、僕に合わせて「猫ふんじゃった」を弾くので絶妙な音の混ざり具合に鍵盤から目を離して社長の方を見る。だんだん、女の子に見えてくる。小説の一節にもあった、自然と笑みが浮かんできた。


「ねぇ、君! 最高だね!」

「ありがとう。あなたもいい音させてる!」


 笑いあったあと、最後の一音が鳴り止んだ。この場に、会場の拍手はなくとも、二人が盛り上がって息を切らしながらの演奏は、心から楽しかった。


 ……やばい、これ、オーディションだった。


「いつも、君はここで弾いているの?」

「だいたいは。夏休みの間は、いろんなところで弾くつもり」

「すごくピアノ弾けるけど、何者?」

「一応、音大生。って言っても、まぁ、いろいろね?」

「そっか。私も音楽学校に通ってて、今年の秋からの留学なの。今日は、下見だったんだけど……、あなたにあえてよかったわ。名前を聞いても?」

「緋月」

「素敵な名前ね?」

「あなたは?」

「次、会ったときに教えるわ! じゃあ、またね!」


 彼女はヴァイオリンケースに詰め込み、「じゃあね!」と手を振って駆けて行く。本当に、そこは、ヨーロッパの石畳をパタパタとかけていく彼女の背中を僕は見送った。


「……じゃあね。また、会えるかな」


 呟いた言葉は、次の人のリクエストと共に消えてしまう。


 オーディションはここまでだった。時間にして、たったの10分足らずのものに、僕のありったけの『緋月』を込めてみた。手ごたえは……、わからない。僕なりのとしか言えないが、月影を見れば、まだ、笑っている。


「湊って……ピアノ弾けないんだっけ?」

「かろうじで、猫ふんじゃっただけなら……」

「そっかそっか。こりゃ、大変だな」

「それって……!」

「合格とは言ってないから。まぁ、あとの二人を見てからだな。よかったよ、湊の『南条緋月』。イメージ通りとはいかないけど、うん、よかった。結果は、気長に待っていてくれ」


 月影の隣の空いている席に社長も座る。これから、僕の審査をするのだろう。「ありがとうございました」と一礼をして部屋から出る。思わず、ふぅっと息を吐いた。


 ……緊張はしないと思っていたけど、してたみたい。


 やれることはすべてやった。あとは、月影が、社長が、どういう判断をするのかだけである。

 僕は陽翔のことを思い浮かべ、荷物を持ってマンションへと向かった。

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