第3話 遅かった理由は
マンションに帰ると、「遅かったね?」と、陽翔が自分のスーツケースを転がし、寝室から出てきた。この仕事が終わったら、同棲することになったので、少しずつ、陽翔が今住んでいるマンションから、荷物をこちらに運んできていた。陽翔は、学校から帰ってきてから荷物を詰めると言っていたので、仕事向けにスーツケースに荷物をやっと詰め終わったようだ。
陽翔は、すでに、制服から緩い服に着替えていた。
「ちょっと寄り道」
「卒業式が終わったらすぐに帰るって、昨日、言ってたのに、湊が寄り道とか珍しいね? 霜月だっけ? 呼び止められた?」
「いや? 卒業式の途中で抜けてきたから、未彩には呼び止められてないよ」
僕の答えに驚いている陽翔。卒業式の最後まで残ると思っていたらしい。そうしたい気持ちはあったけど、夜に乗る飛行機のことを考えれば、最後まで残ると間に合わないことくらい予想ができていたので、先に出たのだ。芸能クラスは、僕らを一目でも見たいと卒業生だけでなく、在校生も集まり、毎年花道ができるくらいだ。僕はそれを避けるために、先に会場を後にした。芸能クラス以外と関わりがなかったので、特に誰かに挨拶をしなくてはいけない人もいない。仕事を続けていれば、どこかの現場で会えるので、今日に限らなくてもいいと考えた。
陽翔も同じはずなのに、特進クラスの結束は強く、うまく帰してくれたらしい。後日、埋め合わせとして、仲の良かったメンバーで集まることになったそうだ。
「ヒナは早かったんだな?」
「あぁ、……迎えが来てたから」
「弥生さん? 会いたかったな」
「あっちはあっちで忙しいから、俺だけマンションに送りつけて、会社へ向かったよ。息子の制服姿なんて、気にもしない」
少し不貞腐れた陽翔が、ソファにどかっとかけた。僕は制服のままだったので、着替えに向かう。
ベッド横のサイドテーブルに、麗月から預かった原稿を置いた。
「湊?」
「ん?」
「遅かった理由は、……告白?」
「そんな暇なかったと思うけど? 包囲網を張られる前に抜けたんだから」
「じゃあ、何?」
リビングから聞こえてくる陽翔の声は、何かを探っているようなものだった。陽翔本人は、探っていることを隠しているつもりだが、全く隠れていない。
着替え終わって寝室から出て行くと、こっちを見ていた。
「あっ、やっぱり、白のパンツか。春らしく。薄桃のカーディガンなんか羽織っちゃって……。可愛いじゃん!」
「何言ってるんだか」
「それ、着ると思ったから、こっちは、こんな感じ!」
じゃーん! と、僕に今日のコーデを見せてくる。見覚えのあるデニム、見覚えのある水色のパーカー、見覚えのある時計などなど……、どれもこれも僕のものばかりだった。
「ヒナ、それ……全部、僕のじゃない?」
「なんでわかるの? 全然、着てなさそうなのに」
「わかるよ、さすがに。それでいくつもり?」
「もちろん!」
マンションにあるものは、陽翔の好きに使ってもいいとは言ったが、この分だとあのスーツケースの中も、同じだろう。僕はそれ以上何も言わず、そっと陽翔のスーツケースから視線を外す。
「それで? 遅かった理由だよ! 告白じゃないなら何?」
「あぁ、うん。よくわからない」
「よくわからない?」
「そっ、僕もまだ、よくわからない。何者にもなれないかもしれないし、何者かになるかもしれない」
「意味がわからない」
「小園さん来るまで、まだ、時間あるなら……、何か食べる?」
陽翔に声をかけてからキッチンへ向かうと、後ろから「なんかはぐらかされてる」と聞こえてきた。僕だってわからないんだから、説明のしようがない。あまり時間がないことを考えながら、冷凍庫から食パンを取り出した。冷蔵庫から卵を取り出してスクランブルエッグにしていく。バターを少し入れたので、香りがしたのだろう。クンクンと陽翔が近いてきた。
「卵サンド?」
「食べるでしょ?」
「もちろん!」
食べることが大好きな陽翔のために多めに作った卵サンドは、あっという間に二切れとなった。
「お待たせ! 空港へ向かおうか?」
部屋に入ってきた小園も卵サンドの香りに気がついたのだろう。残っていた卵サンドに手をのばす陽翔にツカツカと小園は寄っていって、まだ、皿に卵サンドが残っているか確認をした。すかさず、陽翔は何か言いたげにしていたが、小園が残っていた卵サンドを両方の手で掴んだ。パクパクと素早く食べてしまったので、水を渡し喉を潤している。陽翔は不満げに小園を見上げているが、水を飲み終わった小園は「空港へ向かおうか」とニコリと笑って僕らの出発を促した。
飛行機の快適な旅になることを祈りながら……、車に荷物と共に乗り込んだ。あきらかに、卵サンドの恨みと言いたげな陽翔に、僕が食べようと思って取っておいた卵サンドを渡す。
「これ、湊のだろ?」
「いいよ。今日は動いてないから、お腹も減ってないし」
「じゃあ、遠慮なく」
嬉しそうに卵サンドを口に運ぶ陽翔が可愛い。急ぎすぎて口元に卵を付けているので取ってやると、少し照れ笑いをして「ありがとう」と言った。
「どういたしまして」
「湊は、本当によかったの?」
「食べ終わってから聞かれてもね」
「……あぁ、確かに」
空港までの道のりは、ご機嫌になった陽翔の歌声が車内を支配する。少し浮かれている陽翔とは別に、僕のスマホが鳴った。あの麗月からのメールが届いたのだ。
原稿は家に置いてきたので、送られてきたデータを開く。びっしり書かれたその小説を確認し、そっと画面を閉じた。
いつの間にか陽翔の歌声は聞こえなくなっていた。どうやら、空港に着いたようだった。




