第10話 最高以上のものを
「……ただいま」
マンションへ帰るとシーンと静まり返っている。陽翔が先に帰っていると思っていたが、どうやら、まだ、出かけているらしい。そんな予定は聞いていなかったのだが、大学に通い始めて、バタバタとしている陽翔を知っているので仕方がない。誰もいないことに寂しさを感じた。
「一人か。まぁ、いいや」
スマホを取り出し、ピアノが弾けるアプリを出した。ほとんど弾けないのだから、適当に触る。
「ピアノかぁ。ツッキーは弾けるんだっけ?」
ツッキーが適当な音を鳴らしているアコギのBGMを聴きながら、オレンジジュースを飲んでいる僕の姿が思い浮かび、ふふっと思わず笑ってしまう。さっきのことを思い出したが、それよりも仕事優先だ。スマホの電話帳から、再度、ツッキーを探して、受話を押す。忙しいのか、いつもすぐに出てくれるのに、かからなかった。
「ヒナもいないし、ツッキーも捕まらない。何しようかな……」
今、一人の時間は、正直、しんどかった。考えないようにしていても、オーディションのことを思い出してしまうから。僕なりにうまく『南条緋月』をできたと思っていたけど、『緋月』の解釈があっていたのか不安にもなった。やれることはやったのにも関わらずだ。
……誰かと話したいな。
スマホの電話帳を順番に見ていく。目に止まったのは、未彩だった。
選んで受話を押すと、こちらはすぐに出てくれた。
「珍しいな? 湊」
「そうだね。何してた?」
「……んー、ちょっと役を取るためにオーディションに行ってた」
「……未彩でも、オーディションあるんだ?」
「天下のアイドル様にだけは言われたくないなぁ。オーディションは、歌舞伎でもあるさ。まぁ、上役からの話が降りてくるようなものも多いけど。湊なんて、オーディションなんて受けなくても、引く手数多だろ?」
未彩がいうことは、半分あっていて半分あってない。確かに『ジストペリド』になってからの仕事量は、3年前に比べれば、比較にならないほどの仕事量がある。その中でも、僕たちにあった仕事を調整してくれている小園に感謝してもしきれないほど、真っ暗なスケジュールだ。
ジストペリドの二人でというものもある中、僕だけにくる仕事ももちろんある。
高校卒業と同時に、仕事一本にすると公言していたので、さらに忙しくなると聞いていた。
ただし、今回はこちらからの持ち込み。ただでさえ、仕事量を調整してもらっている身でありながら、やりたいと直談判したのだ。『南条緋月』の役は、必ず手にしないといけないというプレッシャーに気持ちが重くなっているのだろう。
「未彩の方が、僕と違って、役者としては、完成されてるだろ?」
「まぁ、湊よりかは役者歴は長いけど、それは、歌舞伎の世界だけだから。最近、少しずつ、テレビも意識してるけど……、舞台とテレビでは全然違う。役者として、まだまだって感じることしかないさ」
「その中で、今出せる最高のものを?」
「もちろん! それは、全役者が考えてることじゃない? 今もてるものの最高を、最高以上のものをって。湊もステージに立てば、毎回そうだろう? 今日も最高以上だった。明日は今日の最高以上のものをって」
当たり前のように言う未彩の考え方がすごく好きだ。どんなときでも、最高以上のパフォーマンスをファンには届けたい。僕ができる唯一のお返しだと思うから。たくさん楽しんでほしいのだ。
その日、辛いことがあって落ち込んでいたとしても、その数日、涙していた日々が続いていたとしても、その数週間、その数ヶ月……、彼彼女たちの生活でどんなことが起こっていたとしても、少しでも笑顔に繋がる一瞬に力を貸せるなら、そのためにも頑張るのは、僕の使命だろう。
「湊の頑張りは知っているけど、置いていかれちゃった感じがするな」
「何言ってるやら。歌舞伎界のプリンスが、界隈の殻を破って出てきているのに、戦々恐々としてる同世代なんていっぱいいるし」
「そうは言っても、俺はこっちがメインだからなぁ。やっぱり、歌舞伎が好きだし」
「見てればわかるよ。次はいつ公演?」
「そうだなぁ……、オーディションの結果次第で、スケジュールが決まるから……」
「そうなんだ?」
海外ロケがあると言う未彩。興行でも、最近は海外公演があるとかで、それほど身構えてはいないらしい。僕はと言うと、海外ツアーもあるから、だいたい海外を年の三分の一くらいはフラフラしている。
「海外ロケって、どんな役やるの?」
「それは……、まだ、内緒」
「なんだよ。教えてくれてもいいだろ?」
「まぁ、そのうちわかるよ。で、なんか、用があったんじゃなかった?」
「何もないけど? 時間があったから、電話しただけ。そういえば、話すのって、卒業式以来だね?」
「確かに。ほとんど、一緒にいたのに、全然会わないのな。学校って、ある意味では、すごいよな」
久しぶりによく知っている未彩と話したことがすごく楽しく、何だかホッとする。お互い、仕事があったから、毎日一緒というわけではなかったが、長い間、一緒の学校へ通っていたから、声を聞けたことで、少しだけ、オーディションからの緊張から解放されたような気がした。




