第40話 「黒の炎」
港の石畳に、足音と怒号が重なっていく。
覚醒の紋で目の焦点を失った兵が、波のように押し寄せた。
「チッ、きりがねぇ!」
ヘイルが黄金の手甲で一人の喉を払い、小盾を叩きつける。冥蝕盾の面に青白い燐がまた一つ、ちろりと灯った。
「援護に入る」
シンラがドランから身を引き、ヘイルの側面を刈り払う。槍の石突きが槍兵の脛を打ち、倒れたところをヘイルの爆足がまとめて吹き飛ばした。
「なぁシンラ! 竜になるやつは、やんねぇのか!」
「極力、使いたくはない。理性を失い、二度と“人”に戻れなくなる」
「そうかよ!」
ヘイルは短く笑い、首筋に刃を通す。
血飛沫。足元で石が濡れ、焦げた匂いが立ち上る。
「そっちのデカブツ、一匹さっさと倒せ!」
ヘイルが叫ぶ。
「言うのは簡単なのよ、このデカブツ――しかも、なんか臭いし!」
マリカが鼻をしかめる。
「……臭い、だと……」
金剛ドランの眉がぴくりと動いた。だが、攻撃は止まらない。
ドランは右手の大剣を水平に投げ放つ。鋼の板が唸りを上げ、回転しながらマリカへ。
同時に、残った左の大剣を抱えたまま、投げた剣の刃に飛び乗った。
滑空する刃が土壁に影を落とし、その上を騎る岩甲冑。異様な圧が迫る。
「来な」
マリカは土の精霊――ドンゴロに意識を送り、足元から土壁を幾重にもせり上げた。
一枚、二枚、三枚――。だがドランの滑空剣は壁を貫く。
崩落の轟音。砂塵の向こうで、マリカは素早く銃身に自らの血を塗る。
赤の凝固弾が土壁に“しゅっ”と吸い込まれ、硬質な音へと変わっていった。
「――固まれ!」
最後の土壁が赤く脈動し、瞬時に岩よりも固い層へ。
ドランが乗った剣は、そのままぶすりと突き刺さって停止した。
「ちっ」
ドランが壁を砕こうと腕に力を込める、その瞬間――。
土壁の横から、土煙を割ってマリカが飛び出した。
「そっちは人形!」
ドランの縦斬りは、マリカ――ではなく、土で編んだ即席の人形を真っ二つにする。
逆サイド。真正面から駆ける本物のマリカが、赤の弾を四発、至近で叩き込んだ。
「おらぁぁッ!」
二剣で防がれた二発が火花になり、漏れた二発がドランの右膝を打つ。
じわり、と膝の内側が凝固。岩のように重く、片膝が石畳にめり込んだ。
「――今!」
マリカが両手を地に叩く。土が蛇のように伸び、ドランの腰と両腕、脚を縛り上げる。
ドランが膂力で破ろうとした瞬間、マリカはさらに赤弾を土へ。
土の拘束が鉄帯のように締まり、金剛の名を持つ巨体を無力化した。
「やっぱ、うち――強くなったかも~~」
マリカがどや顔。
「……エンメル、早く助けろ!」
悔しげにドランが、路地の奥へ名を叫ぶ。
「――五穢律の!」
エトの顔色が変わる。
「ドラン。俺の名を呼ぶなと言ったはずだ、マヌケめ」
ぬるりとした声が割り込んだ。赤いローブの男――詠獄のエンメルが、フードの影から白い歯を見せる。
掌に炎の陣。詠唱が刺突のように短く、鋭い。
「炎槍」
タケシへ一直線。
「うおっ――!」
タケシは皇帝から授かった黒剣を抜き、炎槍を斬り割る。
刃にまとわりついた炎が“黒”に変じ、剣身と合わさる。
黒い焔が刀身に絡み、黒炎剣が唸った。
「ぶっつけ本番だけど――できた!」
手応えに、思わず口角が上がる。
「ほぉ、そんな芸当もできるのか」
エリオスが目を細める。
タケシは黒炎剣を構え、エンメルへ踏み込む。
黒い焔が床を舐め、ローブの裾を焦がす。
エンメルは一歩、二歩と下がり、「厄介な能力だな」とぼそり。
「お前らが――ピクシスが言っていた“英雄ごっこ”の連中か」
「それがどうした」
タケシは肩越しに吐き捨て、切っ先をわずかに跳ね上げる。
エンメルの口角が、楽しげに歪んだ。
「今日は引く。ドランの雑兵もやられた。……だが、覚えとけ。この大陸に来て、生きて出られると思うなよ」
「どういう意味じゃ?」
エリオスが問いかけるも、エンメルは答えない。代わりに、ゆっくりセロラを見た。
フードの奥の目が、いやらしく細まる。
「仲間面してるが、信用するな。……青髪。お前はまだ“マルグレン”じゃねぇか」
ねっとりと舌で転がすように言って、踵を返す。
「待て!」
エリオスが転移陣を半径二十メートルに展開、追跡の座標を掴む――が、
新たに雪崩れ込んだ覚醒兵が壁になって塞いだ。
「細けぇ話は後! 先に全部倒すぞ!」
ヘイルが叫び、爆装の踵で一帯を薙ぐ。
シンラが無言で突進、槍の一撃ごとに二人、三人と兵が瓦解した。
アルの矢が関節を射抜き、エトが負傷者の止血を回る。
タケシの黒炎剣が敵を裂き、マリカの黄が敵の平衡を奪う。
エリオスは杖で“脆化紋”を刻んでは、的確に数を減らしていった。
――やがて、港に静けさが戻る。
*
石畳に尻を落とし、タケシは息を吐いた。「……なんとか、倒し切れた」
「ふん。呪腕引裂剣を出しときゃ、もっと早かったがな」
ヘイルがぼやく。みんなの視線がぴしっと刺さったので、仮面の下で咳払い。
「……まぁ、いざって時だけにしとく」
マリカが、チラとセロラを見る。
「で。さっきの、セロラの件だけど」
セロラはヘイルの背で、しっかり鯨のぬいぐるみを抱きしめたまま、ひとこと。「はぁ、疲れた」
「こいつが“まだ”マルグレンだとしても、今んとこ害はねぇ。それで十分だろ」
ヘイルは肩を揺らし、いつもの調子。
エリオスが穏やかに続ける。「マルグレンがどのくらいで安定化へ移るかは、ワシも研究したことがないでの。……ただ、マルグレンも種族の一つ。街で暮らす者もおる。さっきのエンメルとやらは、疑心暗鬼を植え付けたいだけじゃ」
「そうですね」
エトが頷く。「エルノアでもマルグレンを保護して、ネフェルへ導く活動はしています。セロラさんなら大丈夫です」
「……ふん」
セロラはぷいと横を向くが、抱える鯨はぎゅっと強くなった。
タケシは拳を握った。「仲間のことを、あいつ――敵みたいに言いやがって」
「上陸そうそう、五穢律。……派手だね」
アルが苦笑する。彼の視線は遠く、煙の柱をいくつも数えていた。
*
マリカに固められたままの金剛ドランに、ヘイルが歩み寄る。
「質問だ。“エンメル”とはどういう関係だ」
「俺の国――バスレア侯国の軍にいる同僚だ。それがどうした」
鉄面皮の奥に、かすかな苛立ち。
エトが一歩進む。「ドランさん。五穢律をご存知ですか?」
「なんだそれ? 二つ名みたいなんはねぇぞ、あいつに」
ドランは本当に首を傾げている。マリカが肩をすくめた。
「本気で知らない顔だね。現場の駒ってやつか」
「この大陸は国同士の争いが激しい。五穢律どころではないんじゃろう。……ゆえに“やつら”には、動きやすい土壌、というわけじゃ」
エリオスが静かにまとめる。
タケシは息を吸う。「ドランさんの国を辿れば、エンメル経由で禍星の情報に届くかも」
「賛成だ。英雄探しも大事だが、敵の勢力を削る。まずはエンメル」
ヘイルが短く言い、みんなが頷いた。
*
その時、青地に三日月の紋をつけた鎧の一団が駆け寄ってきた。
先頭の男が兜を脱ぎ、胸に手を当てる。
「オルディナ公国軍、ベーコン。――我々の街を救っていただき、感謝します」
名前のインパクトに、アルが「お腹すく」と小さく呟いたのは、誰も突っ込まない。
「捕虜を領主へ引き渡したい。どうか館へ」
ベーコンは礼を重ね、ドランの拘束を丁寧に引き取った。
領主館。
石造りの広間に、堂々たる体躯の男――ハガイタスがいた。
「我らが街を救ってくれた英雄諸君。……礼を言う。あなた方がいなければ、住人の多くが死んでいた」
「感謝はいいが、理由を教えろ」
ヘイルが遠慮もなく切り込む。「なんで争いが起きた?」
ハガイタスは重々しく頷き、地図を広げた。
「近頃、バスレア侯国は“ドラン”と謎の男を迎え入れ、周辺の小国を武力で従え中堅国へとのし上がろうとしている」
指が港町から伸び、いくつかの赤い印に触れる。
「大義名分も薄い。ただの略奪だ。……やつらはまず覚醒の紋を我が住人に打ち、内側を混乱させる。その隙に奇襲。――ここら一帯では悪名が轟いている」
「倫理観、ゼロ」
マリカが吐き捨てる。
タケシは奥歯を噛んだ。「理由もなく、あんな虐殺を……」
「匂いますね、バスレア」
エトが目を細める。
「何が臭い? ……体臭なら、確かに湯浴みをしていなさそうだった」
シンラが真正面からズレた答えを出し、エリオスが「そこじゃない」とため息をつく。
「とりあえずだ」
ヘイルが全員を見回す。「今日は休む。明日は情報収集。――タケシ、お前は復興を手伝え。顔が売れる」
「もちろん」
タケシは即答した。胸のどこかの痛みを、作業で紛らわせたかった。
ハガイタスは深く頷き、「宿と食事は街が持とう」と温かな言葉をくれた。
窓の外で、夕日が黒環山脈の縁を赤く染める。
遠いどこかの峰へ、黒い鳥が二羽、音もなく飛んでいった。
――バスレアの影を追う。
――そして、詠獄エンメルの名に、輪郭を与える。
物語は、また一歩、戦の大陸の奥へ




