第39話 「上陸」
白鯨ミルアが海面をすべる。セロラの契約精霊だ。
水の線が陽光を裂き、船は風よりも静かに、だが確実に前へ前へと引かれていく。
「それにしても、ミルアが船を引いてくれるから進みが早いね」
マリカが欄干にもたれ、髪を潮風に遊ばせる。頭の上では土の大精霊ブタ――ドンゴロが、もぐもぐと乾いた粘土を噛んでいた。
「ミルアなら一ヶ月でルヴァンドまでつける」
セロラは短く告げ、白鯨の背びれに視線をやる。頬にかかる髪を指で払う所作が、いつになく柔らかい。
「本当なら半年かかるみたい」
エトが手帳をぱらぱらとめくり、空の色を見上げて微笑んだ。
甲板はのどかだ。アルは千里眼を閉じて釣り糸を垂らし、エリオスは日陰で小さく居眠り。ヘイルは船尾で煙草を咥え、煙を海に落としている。シンラはいつもの黒い全身鎧で、タケシの隣に直立不動だ。
「そういえばヘイルはルヴァンドにいたんだろ? 危険人物とか、強い人っているの?」
タケシが問いかけると、ヘイルは煙草の火を指で弾き、面倒くさそうに、それでいてどこか楽しげに口を開いた。
「いるさ。嫌になるほどな。……ただ、俺様が向こうで動いてたのは二年前までだ。大陸間を渡れるやつは少ねぇし、ノーザリスにゃ新しいニュースが届きにくい。が、当時の“目立ってた”連中はこうだ」
ヘイルは指を折りながら、低く列挙する。
「まず、S級冒険者パーティが三つもある。ノーザリスやセリオスは一つずつだろ? 平均の地力が違うってこった。
一つ目、【血と肉】。リーダーはヴァログ。五人編成、連携がいやらしく手堅い。老舗だ。
二つ目、【黒曜の境界】。リーダーはカイ・ヴァルグレイン。三人と少数だが“個”が化け物。特に“闇魔”リリアは飛び抜けてる。
三つ目、【戦輪の牙】。リーダーはガルド。全員フェルガ族(獣人)で、正面から潰してくるタイプだ」
「へぇ……広い大陸にしては、意外と少ないんだな」
タケシが言うと、ヘイルは肩を竦めた。
「甘いな坊主。ルヴァンドには“パーティ”より厄介な看板がある。――【ルヴァンド大陸十環】(じっかん)だ。所属も国もバラバラ、ただ“武勇と戦歴と恐れ”で輪を刻んだ連中。誰が言い始めたか知らねぇが、俺様も当時その一角に入れられてた。俺様を除いた九人はこうだ」
ヘイルは海図の端に、器用に指で輪を描く。
「剣聖イレーネ。
死弄ガイア。
戦狂ホル。
雷纏アクア。
闇魔リリア。
金剛ドラン。
聖女カイラ。
魔操エイジン。
獣王ガー。
……どいつもこいつも、国や宗派もバラバラだが、目立つには十分な怪物だ」
アルとタケシは顔を見合わせて同時に小さく震えた。「なんだか強そー……」「わかる……」
エトがセロラの方へ身を寄せる。「そういえば、ルヴァンドでは“覚醒の紋”を使った五穢律の活動が多いんでしたよね?」
「そう」
セロラは視線だけで返し、それから小さく息をついだ。
「禍星ノクタルの居場所や、五穢律の細かい配置は……“申し訳ない”。私は外での任務が多くて、アルガスと行動することがほとんど。だが、知ってる限りは言う」
甲板の空気が、わずかに固くなる。
「“紋戯”のピクシス。第二律主軸、クズ。
“虚垓”ナサロク。第五律を使うらしい。アルガスは“こいつもクズ”と言っていた。
“詠獄”エンメル。第一律を使う。名だけ知ってる。
……私とアルガスの穴埋めに、別の五穢律が入っている“はず”。交流は、人による。私はセリオスが多かった。ピクシスはノーザリス。残りはルヴァンド中心」
「セリオスでは何を?」とタケシ。
「アルガスの命令に従った。ルアの回収と、各地に“大きな線”を引く作業……」
セロラが言い淀む。エリオスが長い眉を撫でた。
「線……第三律の陣の匂いがするのぉ。なにを描いたやら」
セロラは少しだけ視線を遠くに外し、ぽつりと落とす。
「“禍星ノクタルの拠点”にも一度だけ行った。転移の門を使ったから、正確な場所はわからない。おそらくルヴァンド。……“大きな山”の上。周囲にマルグレンが暮らしていた」
「大きな山、ねぇ……」ヘイルが舌打ちまじりに笑う。「ルヴァンドで“山”って言えば候補は限られる。“黒環山脈の主峰”だろ。山肌が黒曜に近くて、雪が輪のように残る。嫌な場所だ」
エトは頷いて閉じた手帳に指を添えた。
「五穢律も気になりますが、ヘイルが挙げた“強者”の中に英雄がいるかもしれません。……会えばわかる。ひとりずつ、当たっていきましょう」
「了解だよー」アルが子犬のように手を上げ、シンラは「隊長に従う」と短く。
――海は、穏やかに進んだ。
*
一ヶ月のあいだに、巨大タコの魔物が吸盤で甲板をぺったり覆ったこともあったし、空からは鋭い嘴の“風切鳥”が襲来した。だが、白鯨ミルアの推進力と、強くなった一行の連携は盤石で、危機はすべて“イベント”として消化された。
「……見えてきた」
アルが千里眼を開く。瞳の焦点がわずかに遠のき、次の瞬間、眉が寄った。
「あちこちで煙。……“戦ってる”。旗が違う」
マリカが望遠鏡を覗き、低く口笛を吹いた。
「ふん、港の支配権争いってわけ。黒地に銀の三日月――青の縞に斜槍の紋だね」
「オルディナとバスレアの戦争だ」
ヘイルが言い切る。
タケシは胸の中がざわつき、欄干に手をかけた。
「早速かよ……どうする?」
「一旦、離れた入り江に停めよう。極力、関係ないものに首は突っ込みたくないの」
エリオスが静かに提案する。だが。
タケシの視界に、細い路地で泣き叫ぶ声が映った。兵が――武器を振り上げた刹那。
「――助けに行こう」
気がつけば口が勝手に動いていた。
「気持ちはわかるが、ここじゃ“普通”だ。やってたら進めねぇ」
ヘイルの声は冷たく現実的だ。
タケシはヘイルを睨んだ。
「黙ってろ! 目の前で……見捨てられるか!」
二人の間に火花が散る。エトがひとつ息を吐き、淡く微笑んだ。
「修練で時間を使いましたから、賛成はできません。……でも、タケシさんらしいですね」
アルは涙目でうんうん頷く。
「助けよう」
シンラは迷いなく
「隊長に従う」
マリカは肩を竦めた。
「ヘイルに賛成だけど、ボスの“顔”もわかる」
エリオスは指先でひげを撫で
「まぁ一月海の上で暇じゃったしの」と笑う。
「……ちっ。少数派かよ。――わかった、やる」
ヘイルは煙草を海に投げ、仮面の下でニヤリと笑った。「派手にいくぜ」
*
港町オルディナ・カスパ。
石畳は血で濡れ、遠くの市場から煙が昇る。泣き叫ぶ声、怒号、剣と剣の打ち合う音――。
「下がって!」
マリカが青の水弾を街路へ連射、噴き上がった水壁で逃げる民を守る。
エトは第二律の鎮痛・癒皮で倒れた少年の傷を縫い、アルの矢が風に運ばれて追撃者の膝を貫く。
シンラは隊長の前に立ち、突進してきた兵の槍を素手でへし折った。
「こいつら、様子がおかしい」
エリオスが眉を顰める。腕を落とされても、兵は倒れない。呻き声も出さず、ただ前へ。
セロラが目を細めた。
「“覚醒の紋”。理性が飛ぶ。……救うのは“難しい”」
タケシは、血走った目を見て歯を食いしばる。
「……でも、トドメは――」
「甘いこと言ってると死ぬぞ」
ヘイルの呟きは低い。縦に、横に。黄金装備の手足が炎を纏って爆ぜ、迫る兵を排す。マリカの黄が平衡を奪い、エリオスの杖が“脆化紋”を刻み、シンラの足捌きが最小の動きで首根っこを落とす。
時間が伸びたように感じるほど、長い戦いだった。
やっと街角の最後の一人を押し留めた時――。
「……来るぞ」
シンラが顔を上げた。
路地の奥から、重い足音がふたつ。
ひとりは、鎧ごと岩のように分厚い全身甲冑の大男。両手に幅広の大剣を二本。
もうひとりは、赤いローブをまとい、フードで顔を完全に隠した痩せた男。ぶつぶつと、低い詠唱。
空気が熱を帯びる。ローブの男が詠唱を締め切った瞬間、天から炎の奔流が落ちてきた。
「まとめて――“結界”!」
エリオスが第三律で半球の光を張る。火柱が弾け、熱風が路面を舐め、結界の表面が波打った。
同時に、ヘイルとシンラが前へ。
シンラの槍が疾る。だが大男の二剣がそれを受け止め、火花が散る。
ヘイルの斬撃は、ローブの男の前に出現した薄膜に阻まれた。
互いに、牽制一合。
「テメェら、何者だ」
タケシが問うと、大男はガハハと兜を外し、ひげ面を晒した。
「俺を知らねぇとは――この大陸は初めてか。金剛 ドラン様だ」
「十環の……」
タケシの背に冷や汗が流れる。ヘイルが船上で挙げた、あの名だ。
ローブの男は名乗らない。フードの奥から、ただ、冷たい呼気だけが漏れる。
その時、四方の路地からまた足音。
数十の兵が――目が虚ろなまま――タケシたちを取り囲んだ。
エリオスがざっと数を読む。「五十。面倒じゃの」
「キモい顔したデカブツは、うちに任せな」
マリカがカットラスを翻し、ドンゴロが「ブヒッ」と鳴いて跳んだ。
ヘイルは黄金の手足に爆装を走らせ、群がる兵へ。
タケシはローブの男と正面から向き合う。エトは後方で医療と支援、アルは高台に飛び上がり、風とともに矢筒を開く。シンラは体を沈め、ドランの二剣と向き合った。
「隊長。生きて」
「任された!」
短い視線の交差。息が合う。
ローブの男が指を弾く。炎の縄がタケシの足首に絡みついた。
「くっ――!」
タケシは即席で“簡盾”を錬り、踏み出しざま盾面を叩いて炎を散らす。武器錬成はこの国の律規制には引っかからない、ここは港だ。
男の掌の前で、赤い陣がひとつ、ふたつ。
「第一……いや“複合”かよ!」
タケシは即座に“回環刃”を起たせて水糸を斬り、水蒸気の幕で視界を崩す。
ローブの男は詠唱のテンポを上げ、タケシは心の中で舌打ちした。
背後では、マリカとドランの斬撃が交錯していた。
ドランの二剣は、石をも砕く重量。だがマリカの黄は、ドランの踏み込みのタイミングを刹那ずらす。
「おっと」
マリカは片足で体を開き、青の水弾を足場にして二段目の跳躍。上からのカットラス。
ガギィン――!
二剣がそれを受けた瞬間、ドランの口元がにやりと歪む。「いい腕だ、海の女」
「褒め言葉として受け取っとく!」
マリカが唇を吊り上げる。頭の上のドンゴロが「ブヒブヒ!」と鳴き、足下の石畳がぐにゃりと盛り上がってドランの膝を絡め取ろうとする。
「土の大精霊か。――悪くない」
ドランは両足に力を込め、石を粉砕して抜ける。体躯は岩、踏み込みは雷鳴。マリカの腕がしびれた。
「周囲、閉じる!」
ヘイルが短く怒鳴り、爆足で兵の輪へ突っ込む。黄金の手甲がひとりの剣をはじき、反転しざまに小盾“冥蝕盾”で司令格の喉元を打つ。
ぐ、と兵の目が濁り、ヘイルの盾面に青白い“リュエルの燐光”がちろりと灯る。
「借りとくぜ」
ヘイルは獰猛に笑い、爆装の蹴りで三人をまとめて吹き飛ばした。
エリオスは後衛のエトと背中合わせ。杖の先で兵の肩をちょん、と突く。「“脆化紋”」
次の瞬間、アルの矢が音もなくそこへ吸い込まれ、兵は崩れた。
「エト、ルアの流れを維持――“鎮痛・癒皮”は割り切って軽傷だけに回せ」
「はい!」
エトの額に汗、しかし手は迷わない。声は柔らかい。
シンラとドランは、剣と槍の距離で火花を散らす。
シンラの槍が喉を狙えば、ドランの左が受け、右が返す。
ドランの二剣が胴を薙げば、シンラはすんでで半歩落とし、槍尻で顎を弾く。
「……隊長の護衛は、譲らない」
「なら、倒して行け」
二人の足下で、石が砕けるたびに灰が舞い、港の鐘が遠くで鳴った。どこか、別の街でも火の手が上がっているのだろう。
タケシはローブの男との距離を詰める。
男は短く詠唱し、空に“歪み”を生む。落下してくる黒い杭――。
「“簡盾”――連結!」
タケシは盾面を組み木のように重ね、杭を逸らす。
反撃。“糸銃剣”の銃口にルアを込め――いや、違う。タケシは自分の背中を押す声を思い出す。(迷うな。できることをやれ)
「詠唱、止める――!」
鎖錨を地へ打ち、体を振り子にして一気に間合いを潰す。男の結界が膨らみ、火花が散る。
「くそっ、厚い!」
だが、届かない距離じゃない。タケシは歯を食いしばり、回環刃で結界の“縫い目”を探る。真眼が、微かな“ほつれ”を告げた。
「――そこだ!」
刃が縫い目を裂き、男の肩口にうっすら傷が走る。
下がるローブ。口もとだけ、笑っていた。(見られている……“誰か”に)
「タケシくん、無理は――!」
エトの声が飛ぶ。
「わかってる!」
短い応答。胸の鼓動は早いが、足は止めない。
路地の端から、新しい影がまたひとつ、ふたつ。――間に合わない。
ヘイルが舌打ちした。「きりがねぇ……!」
セロラが海を振り返る。「ミルア、もう一度――」
白鯨が低く鳴き、港の水面がうねった。波が路地へと舌を伸ばし、足を取る。
「助かる!」マリカが親指を立てる。
その時。
ドランが二剣を地に突いた。
足下からゴウ、と空気が抜け、港の石畳全体が微かに震える。
「――“来い”。」
まるで合図のように、覚醒兵が一斉に叫びをあげた。
エリオスが片目をすがめる。「増援……いや、陣の“上書き”じゃ」
フードの男のローブがふわりと舞い、口の端がわずかに上がる。
「おしゃべりはここまでか」
ヘイルが肩を回し、黄金の手甲に熱を宿す。「派手にいこうぜ」
タケシは包丁と鎖錨を握り直し、ローブの結界の“ほつれ”に意識を集中させる。
シンラは槍の石突きを地に打ち、体を沈めた。
マリカは黄を爪先に流し、視界をぶらす準備。ドンゴロの背に土の小山がもこもこと生まれる。
エトは深く息を吸い、十秒先の未来を覗く。
アルは高台から矢羽を撫で、風と潮の子にお願いをする。
エリオスは杖を構え、第三の指で空に目に見えない“罠”を記す。
黒環の風が、港を抜けた。
――戦端が、同時に開く。




