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第十九話 「渦ノ庭」



 海が立ち上がった。舳先のはるか上、空と勘違いするほど青黒い“壁”が、こちらへ覆いかぶさってくる。第四の女――セロラが指先を捻った瞬間、静止していた輪が“押波”へ反転したのだ。


「青、連打ぁ!」


 マリカが叫ぶ。彼女の指がトリガーに踊り、リボルバーから青弾が次々と吐き出された。弾は海面に触れた途端、握り拳大の“踏水の塊”へ変わり、船尾に等間隔で貼りつく。後ろから海が押した。青のジェットが、船体をぎゅうっと前へ押し出す。


「“鎖錨”、行く!」


 俺は真眼で波柱の“芯の窪み”を視る。情報が頭に刺さる。吐き気を押し込み、鎖を撃ち込んだ。一瞬、鎖が空を掴むように止まる。そこが波の関節だ。俺は全身のルアを鎖に流し込み、舳先の向きを“上へ”捻る。


「アル!」


「見えてる!」


 アルは弓を持たない手を舷側に添え、千里眼で遠くを拾った。第四にささやき、波の子を掬い上げる。俺とマリカの作った“細い道”が、巨大な波柱の“肩”を斜めに走る線として浮かぶ。


「今、“肩”に乗る!」


 船体が軋み、甲板のロープが悲鳴を上げた。青のジェットが背中を蹴り、鎖が波の窪みで“返し”を作る。舳先がぐい、と持ち上がった。


 ――の、しかかった“壁”を、俺たちは滑り上がっていた。


 甲板の全員が、喉を詰まらせてしがみつく。船は“直撃”を死角に変え、波の肩を削りながら走った。だが代償は出る。マストの一本が耐えきれず“メキリ”と音を立て、途中で折れて海へ倒れた。帆が裂け、滑車が弾け飛ぶ。


「一本持ってかれた! だが生きてる、まだ行ける!」


 マリカが歯を食いしばって叫ぶ。海塩に濡れた髪が顔に張りつき、頬の紅潮が戦の色になっていた。


 波柱の向こう側――岩棚に黒衣の影。第四律のセロラが涼やかに指を組み、彼女の隣、右腕を糸の塊で補っている第三のアルガスが、面布の奥で口角を上げた。


「来ましたね。」


 アルガスが右腕の糸束をひと撫で。水面に見えない糸が走る。第三の陣が編まれ、海が濁った。足元の水が粘りを帯び、どろりと“粘土”へ変わる。


 次の瞬間、セロラが掌をひとひら。粘土化した波が“形”を持ち、棍棒や槌、壁となって襲い来る。質量の凶器。青では散りにくい、赤では重すぎる。黄で平衡を崩そうにも、粘土は“重さ”で押してくる。


「うっ……!」


 飛沫弾が簡盾に叩きつけられ、腕が痺れる。回環刃で“縫い目”だけを裁とうとするが、水ではない粘性体は縫い目を隠す。近づけない。セロラが、波の上に糸で紋を縫って“水爆”を点火する。爆ぜる度、舷板が抉れ、舵が悲鳴を上げた。


 アルが深呼吸した。弓を下ろし、かわりに矢筒から何も取り出さない。


「オイラ、ちょっと“とっておき”やる」


 アルは長弓の下端を甲板に突き立てる。弦をつまむ指先に、風と潮の子が集まってくるのが俺にもわかった。精霊の矢が、弦に“宿る”。弦は普通の弦より重く、響きは低い。


「タケシ、糸、ちょうだい!」


 アルの意図が、雷みたいに頭へ落ちた。俺は糸銃剣を持ち、“細い糸”を矢の先端――精霊の矢の“基”に巻き付ける。巻けば巻くほど、精霊の矢が“重さ”を帯びる。


「マリカ!」


「任せて!」


 マリカが迫り来る粘土の壁へ赤を撃ち込み、凝血の筋を作る。そこへ青の水穿で内側から孔を通す。壁は“重いまま崩れる”。小さな息苦しさが、女の第四にわずかな歪みを生んだ。


「行く!」


 アルは全身を弓へ預け、弦を限界まで引き絞った。肩、背、腰、脚、ぜんぶで引く。弓は限界の低音で唸り、次の瞬間、弦が“消えた”。矢が、風と潮の子の背に乗って飛ぶ。


 直線。雷の匂い。セロラの横顔がはじめてわずかに険しくなった。彼女は粘土の波を前に立て、矢を止めようとする――貫通。アルガスが右の糸腕を前に出し、矢を受けた。


「私も忘れ……」


 言葉の途中で、糸腕が“爆ぜた”。雷が糸の結節を逆流し、一本一本を焼き切っていく。アルガスがたまらず膝をつき、痛みを笑いで誤魔化した。


 セロラはなおも滑らかに後退する。風の子が矢の舵を取り、水の子が道を“繕う”。逃げれば逃げるほど、矢は“追いかける”。避けても避けても、そこにいる。


「――っ」


 背中。セロラの肩甲の内側に、矢の刃先が“生えた”。前に、腹の下から矢の尖端が突き出る。女がはじめて顔を歪める。


「今だ、“糸”!」


「了解!」


 俺は糸銃剣の糸を巻き取り、矢と一緒にセロラの胴を“引く”。流体の抵抗が重く、筋肉が焼ける。


 アルガスが悲鳴のように嗤った。足元に無数の“縫い目”を起こし、自爆のように爆破陣を連鎖させて、ものすごい推進で俺たちへ突進してくる。


「させない!」


 マリカがカットラスを引き抜き、刃に風の子が沿った。彼女の斬撃は風の段差を作り、突進するアルガスの足裏から接地感を奪う。そのまま横から潮の肩がさらい、アルガスは“相手の船”側へ吹っ飛んだ。舷に身体を打ちつけ、糸の右腕の残滓でどうにかしがみつく。


「拘束完了……!」


 俺の糸がセロラの四肢に絡み、巻き取りが“あと少し”に届く。


 その“少し”を、第四の女は許さなかった。彼女は声にならない息を絞り、縛られた身体のまま、海の“全層”へ命じる。


 海が、立ち上がった。


 さっきの“壁”は垣根だった。今のは、山だ。大地が海から生えてくる。船の影が飲み込まれ、陽が消える。


「……無理だ」


 誰かが言った。俺の喉も同じ言葉になりかけた。


「乗るよ」


 マリカが言った。冗談ではない声だった。「乗る。乗るしかない。足は――ある」


 彼女は青の弾を、船尾に、舷側に、どこにもかしこにも“置いた”。青の塊が生み出す推力は船体を悲鳴の中でも前へ押し、舵の代わりをした。船員たちは命綱を掴み、甲板に横倒しになって“張り付く”。


「全員、しがみつけ! 舷側の釘でも、帆柱の根でも――生きてろ!」


 マリカ自身も舵輪の根に腕を絡める。アルは弓を胸に抱え、足をロープに通した。俺は糸銃剣の糸を舷側に巻き、腰を縛った。


 ――津波の“峰”に、乗った。


 世界が反転した。海の“谷”が、空より深い。島影がありえない角度で流れ、鳥が下から飛ぶ。セロラは縛られたまま気を失い、アルガスは彼女を拾おうとしては波に投げられ、結局、別の波の影へ消えた。


「たっか……」


 俺の声は勝手に薄くなった。足がすくむ。立ってないけどすくむ。


「こういう波に乗れないと、海賊はやってられないよ!」


 マリカが笑った。目は笑っていないが、口は笑っていた。全身に力を込めないと浮いてしまいそうな感覚の中で、その冗談だけが“いつもの彼女”の印だった。


 どれほど流されたのか、時間の感覚はとうに壊れている。やがて、黒く固い線が前方に横たわった。陸だ。岬の崖が、津波の影の下に“屹立”している。


「衝撃、来る! ……捕まれ!」


 マリカが叫び、全員が最も頑丈なものに腕を回した。青の塊がぎゅうっと悲鳴を上げ、ジェットが最後の踏ん張りを見せる。


 津波の“頭”が、岬に到達した。


――


 北の森を抜けて、泉が開けた。そこは“座”だった。空の光を底から灯すような泉。風の気配が濃く、草の一枚一枚が歌っている。


 ……そのはずだった。


 泉の縁に、狼が倒れていた。狼といっても、毛並みは水藻のように光り、体毛の間から“風”が漏れている。大精霊――この座のアリエル。その背に、細かい“紋”と、道化の小さな足跡が交じっていた。


「……やられたのか」


 ヘイルの声が、いつになく低い。彼は仮面の下で目を細め、そっと泉際に膝をつく。リュエルの体毛が微かに震え、かすれた風が漏れた。


『……笑う仮面の人間……紋を弄び……ここを、穢した』


「第二律の使い手、か」


 エリオスが唇の内側で言う。眉間に薄い皺が寄った。「厄介な手合いじゃ。第三を笑いものにする、戯れの徒。……嬢ちゃん」


「はい」


 エトは膝をつき、アリエルの額――風が集まる“匂い”の位置に、掌を置いた。薄く仮初の星を灯し、第二の“温循”で温いルアを流し込む。自分が削れる感覚に顔をしかめるが、止めない。


『……やさしい星……すまぬ。北へ、行った。笑う仮面は、北へ』


「助かる」


 ヘイルは短く礼を言い、アリエルの傍らに落ちていた“欠片”を拾い上げた。透明な結晶片。風が中に閉じ込められている。アリエルが少しだけ首を持ち上げ、静かに目を閉じる。許しの合図。


「“アリエルの欠片”、確保。……だが、こいつは“ついで”だ」


 エリオスは泉の縁に残された“筆致”の方向を追う。軽い陣の屑、無意味なようで意味を持つ線。北を差す。


「嫌な匂いがする。放っておけん」


 ヘイルとエトは、同時にうなずいた。


     ◇


 北へ向かう森道で、世界がふいに暗くなった。雲ではない。影が、空を覆う。


「……何だ、あれ」


 ヘイルが顔を上げる。遠目に、山のような黒い“壁”。音が遅れて届く。地鳴りではない、海鳴りだ。壁は動いている。向かってくる。


「津波だ」


 エリオスの声に、一片の迷いもない。「でかい」


「どうすんだ、じいさん」


「飛ぶ」


 返事と同時に、エリオスの足元に第五の“浮”が起動した。彼の身体がふわりと持ち上がる。上昇限界近くの樹冠より上で、杖先が空を縫い始めた。第三の“結界陣”。円の重なり、四角の補助、鍵の結び。空中に巨大な“膜”が張られていく。


「ヘイル! 嬢ちゃん!」


「りょーかい!」


 ヘイルはエトの腰を片腕で抱え、吸着靴で岩壁を駆け上がる。結界の内側へ“避難”。エトは額に手を当て、十秒先を見て最短の位置をコールした。


 ――津波が来た。


 世界が一度、真っ白になった。音がない。結界の外で全てが砕けているのに、中は静かだ。だが次に、鈍い“なにか”が結界にぶつかった。


 船だった。


 舳先が生き物の顎のように上がり、裂けた帆が蛇みたいに暴れている。甲板に、見知った影。


「――タケシ!」


 エトの声が、喉の奥で破裂した。ヘイルが仮面を傾け、あっけにとられる。


「おいおい、お前ら何してんだよ!」


 結界の弧面に、船がひしゃげながら“ひっかかった”。青の塊が最後の息を吐き、船体が結界に“貼りつく”。中も外も、全員が目をむいていた。


 マリカが舵輪にくぐりついたまま、呆然とこちらを見る。アルは弓を抱いたまま、濡れ鼠で笑っている。セロラは甲板の端で縛られたままぐったりし、アルガスの姿はどこにもない。


 ヘイルが、短く息を吐いた。仮面の奥で、確かに笑っている。


「今は――真面目ターンだな」


 エリオスが陣の張力を微調整する。結界が“受け皿”を作り、船体を滑らせて森の外縁の浅い窪地へ導いた。大地が水を受け止め、波の残滓がざわざわと森に吸い込まれていく。


 世界が、ようやく、止まった。


     ◇


 甲板に、荒い息が戻る。タケシは“糸”を解き、膝から崩れた。マリカは舵輪の根から身を起こし、顎で短く笑う。


「……間に合った、ってことで、いいのかね」


 エトは船縁へ駆け寄り、タケシの肩を掴んだ。何か言おうとして、言葉が出ない。代わりに、こつん、と額をタケシの肩に押し当てた。


「うん。……ただいま」


「おかえり」


 よれよれの二言が、結界の内側で重なった。


 ヘイルは仮面の下で口笛を吹き、縛られたままのセロラを足先で突いた。女はまだ気を失っている。背中の矢傷は深いが、致命ではない。


「さて。宴の前に――聞きたいことが山ほどある」


 エリオスが杖をつき、狼の座の方角を一瞥する。風が、今度は穏やかに彼らの頬を撫でた。リュエルが、薄く目を開けていた。星と風と海の匂いが、同じ“北”の端で、束になった。


 そしてみんな同時に気づく。崖の向こう、まだ沖のはるか先。青い光が、もう一度だけ、かすかに脈打ったことに。


 ――“青”は、まだ遠い。だが、追える。いや、追うのだ。

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