第三十一章 火喰いの影
火は、いつも“賢いふりをした馬鹿”から崩れる。
数日後の夜。
南門近くの軍需倉庫前で、怒鳴り声があがった。
「離れろ! 火が出てる!」
「残火だってよ!」「違う、“火喰い”って――!」
《蒼い月》を出たナナシの足が、自然とそちらへ向く。
酔いは半分残っているが、それでも嫌な音だけは聞き間違えない。
「……やっぱりな。」
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現場は、残火の声明文よりずっと下品だった。
倉庫の前に油がまかれ、赤布を巻いた若者たちが火をつけて騒いでいる。
「王の武器を燃やせ! 戦争を終わらせろ!」
叫びは勇ましいが、炎の伸び方は無計画だ。
火は倉庫だけでなく、隣の商家のひさしにも舌を伸ばそうとしている。
「線、間違ってんぞ。」
ナナシはため息をつき、近くの水桶を乱暴に蹴り倒した。
飛び散る水を足と板で誘導して、燃え筋の上に叩き込む。
「おい、何してんだ!」
赤布の一人が掴みかかってくる。
ナナシは、そこらに立てかけてあった棒を片手で引き抜き、相手の腕を軽くはたいた。
「熱くなるのは頭だけにしろ。
民家に燃え移ったら、“戦争止めるヒーロー様”じゃなくてただの放火魔だ。」
「俺たちは残火だ! 王国に――」
「“残火”をそんな雑な口で名乗るな、バカ。」
棒切れで、そいつの足元の油壺を遠くにはじき飛ばす。
炎の線がちぎれ、倉庫の手前で力を失った。
もう一人が火種を持って走る。
ナナシは積み荷の板を引きずり下ろし、その前に立てて火を受け止める。
燃え移った板を地面に倒し、靴で火を潰す。
選んでいるのは敵味方じゃない。
「燃えたら困るほう」から順番にだ。
「おっさん邪魔すんな!」
「おっさんじゃねぇ。お兄さんだ。」
文句を言いながら、次の火筋に水を叩きつける。
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高い位置から、その光景を見ている影があった。
レクス・ヴァルド。
外套の内側で握った拳が、わずかに震えている。
「何をやってんいるんだ……あいつらは。」
火喰い――残火の名を騙った過激派セル。
“民を巻き込まない”という穏健派の取り決めを、あっさり踏み越えている。
そして、その線を体ひとつで塞いでいる灰色の男。
「……アッシュ。」
喉の奥から、かつての名がこぼれた。
すぐに小さく息を吐き直す。
「……いや、ナナシだな。」
《灰の剣》を振るった男。
自分と一緒に、あの地獄の中心に立っていた戦友。
今は、ただの酒クズをやっているはずの男が、
火と市井の間に立って、当たり前みたいな顔で火を消していた。
「……お前はもう、火から降りたはずだろ。」
責めるでもなく、縋るでもなく、その声には苦い笑いが混じる。
レクスは剣の柄に触れ、しかし抜かない。
あの夜、灰色の剣と一緒に焼けた光景が脳裏をよぎる。
“まとめて燃やす”結末を知ってしまったから、
今、同じ手を選ぶわけにはいかない。
「火喰いは切る。残火は残す。
……線を引くぞ、ナナシ。」
屋根の上で、ひとりごちる。
その下で、ナナシが火を叩き潰しながら毒づいた。
「戦争止めるために市井燃やしてんじゃねぇ。順番くらい守れ。」
倉庫は黒く煤けた程度で済み、民家は無事。
火喰いたちは「卑怯者!」と叫びながら逃げ散る。
翌朝、倉庫の壁には誰かの書き殴りがあった。
『火喰いは残火にあらず』
レクスはそれを見上げ、小さく息を吐いた。
「……ありがとな、ろくでなし。」
返事がないことくらい、最初から知っている。
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