第二十五章 灰色の平熱(昼)
王都アーレン南街区――昼。
陽光は鈍く、灰と雪が入り混じる冬の空。
通りは騒がしくも、どこかくたびれていた。
パン屋の煙突からは白い湯気が上がり、子どもたちは雪玉を投げ合いながら笑っている。
その足元を、酒臭い影がのそのそと歩いていた。
「……昼は眩しすぎるな。酒が薄まる。」
ナナシは空を一度だけ睨み、
冒険者ギルド《アーレン支部》の扉を、足で押し開けた。
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「……来ましたね、ろくでなし。」
カウンターの奥、受付嬢が眉を“へにょり”と下げていた。
ペン先には疲れが滲み、書類の束が小山のように積み上がっている。
「おう、仕事を探しに来た。」
「“探す”だけで、“やる”気はない顔ですね。」
「察しが早い。さすがギルド一の現実主義者。」
「褒めても何も出ませんよ。」
「酒なら出る。」
「帰ってください。」
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軽口がひとしきり交わされたあと、
受付嬢はため息をひとつ落とし、机の上の紙を滑らせた。
「……これです。昼の軽い依頼。」
『犬の捜索 報酬:銅貨8枚 依頼者:ケン』
「……犬の名前は?」
「ケンです。依頼主の旦那さんもケンです。」
「地獄みてぇな案件だな。」
「現場はご近所です。行けば分かるって言ってました。」
「“行けば分かる”って言う奴ほど、分かってねぇんだよな。」
「だから、あなたに回しました。」
「……恨みでもあんのか?」
「愛情です。」
眉がへにょり下がったまま、妙に優しい言葉。
ナナシは紙を丸めて懐に突っ込み、
「あー、しょーがねぇ」と呟きながらギルドを出た。
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雪が、灰と混じって降っていた。
踏みしめるたびに「しゃり」と鈍い音がする。
寒さよりも、退屈が身に染みる季節。
「雪と灰の違いが分かんねぇのは、悪くねぇな。」
ナナシは口元で笑い、銀貨の半分もない安酒をひと口。
昼から飲むのはいつものこと。
それを“習慣”と呼ぶか“堕落”と呼ぶかは、もはや誰も気にしていない。
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依頼先の路地に着くと、
犬どころか、木箱を抱えた若い男がうずくまっていた。
「おい。お前、ケンか?」
「え!? あ、はいっす! 俺はケンっス! 転生者のケンっス!でも依頼人とは違うっス!」
「お前もケンかよ、地獄を広げるな」
「犬探してる最中っス! ……てか、こいつが多分ケンっス!」
木箱の中で、しっぽだけがかすかに動いた。
「“多分”て言うな。命に“多分”使う奴はだいたいバカだ。」
「ははっ……マジで世話になってて! 俺、いずれは英雄になりたいんス!
チートは無いけどモテたいっス!」
ナナシは煙を吐き、無表情のまま言った。
「……燃えやすい奴ほど、そう言うんだよ。」
「え? なんスか?」
「いや、なんでもねぇ。犬、返せ。」
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ギルドに戻ると、受付嬢がまだ書類と格闘していた。
「おかえりなさい。どうでした?」
「犬は見つけた。多分。」
「“多分”は禁止って言ったでしょう。」
「じゃあ、“気がする”で。」
「もっとダメです。」
眉が再びへにょりと下がる。
ナナシは机の上に依頼書を投げ、
「終わり」とだけ言って暖炉の方へ向かった。
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その背中に、受付嬢の静かな声が追いかけた。
「……でも、よかったです。
昼にあなたが戻るなんて、珍しいですから。」
ナナシは振り向かずに片手を上げた。
「昼は苦手だ。眩しすぎて、酔いが抜ける。」
「それは健康的なんじゃ……」
「いや、悪酔いの始まりだ。」
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外へ出ると、灰混じりの雪が赤く染まり始めていた。
どこかで鍋の匂い、どこかで笑い声。
この街の「普通」は、いつも少し焦げている。
「……火はもういらねぇ。でも、湯気くらいは悪くねぇな。」
ナナシは酒瓶をあおり、
吐息に混じる煙を空へ流した。
その煙は、雪と灰のあいだに紛れて消えていった。
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