第二十三章 紅蓮の証
灰混じりの雪が、昼を薄く照らしていた。
王都北工区――かつて紅蓮装具の実験が行われ、今は封鎖された区画。
だが、その奥から小さく赤い光が立ち上っているのを、ナナシは遠目に見た。
「……嫌な色だ」
風に乗ってくる焦げた金属と油の匂い。
それは十年前と変わらない、“燃える音の前触れ”だった。
---
午前。
通りの人々が、妙に北を見てざわついていた。
「なんか、赤い煙が……」「誰かが燃えてる?」「いや、灯りだろ」
そんな会話を抜けて、ナナシは《蒼い月》の裏通りを歩いていた。
手には酒瓶、口には煙草。
目は曇っていないが、焦点はどこにも合っていなかった。
その時、誰かが駆け抜けるようにすれ違った。
リオンだった。
息を荒げ、笑っている。
「見ててください! 俺、本当にやれるんです!」
そう言って、北へ。
その足取りに、迷いはなかった。
愚かしいほど、真っ直ぐだった。
「……そうかい。お前も、燃える方か」
ナナシは追わなかった。
だが、空の色が変わるのは早かった。
---
数時間後。
街の北半分が赤に染まり始めた。
煙が柱のように立ち上り、風が灰を運ぶ。
ナナシはギルドに戻る途中、息を呑むような熱風に足を止めた。
「こいつぁ、懐かしいな……」
その笑みは、どこか歪んでいた。
笑うしかないような、諦めの笑み。
北工区へ走る。
地面には焼けた靴、焦げた雪、そして焦げ跡――それが、まるで“手形”のように残っていた。
壁の影で、まだ赤く燃えるものがひとつ。
紅蓮装具。
人の形を失ったまま、なお灯を吐いている。
中から、声が漏れた。
「――止まらない……! 俺、英雄になれるって……!」
リオンの声だった。
歪んで、震えて、嗄れて。
その声はもう、届く場所を間違えていた。
「リオン……お前、何を燃やしてやがる」
ナナシは瓶を置き、周囲を見渡した。
倒れた木製の足場、割れた管、油の臭気。
そこかしこで、赤が這い回っている。
炎は蠢いていた。
形を持たず、叫びのように揺らぐ。
その中心――リオンの身体の半分が、紅の金属に覆われている。
紅蓮装具が彼の肉を取り込み、魂を燃料に変えていた。
「熱い……けど……気持ち、いいんだ……!」
「馬鹿野郎……!」
ナナシはその場に転がっていた鉄棒を拾い、燃える床を蹴って踏み込む。
鉄が鳴り、灰が散る。
紅の装具が反応して、刃のような光を放った。
衝突。
熱と圧。
ナナシの袖が燃え、皮膚が焦げる。
それでも彼は止まらない。
「英雄になりたきゃ、まず燃え尽きろ!」
鉄棒が装具の中枢部を叩く。
紅蓮の炎が爆ぜ、空気が裂けた。
熱風が吹き抜け、リオンの声が消えた。
その瞬間、光が弾ける。
紅が白に変わり、世界が一度だけ無音になった。
---
灰が降る。
立っているのはナナシだけだった。
手には折れた鉄棒。足元には、焼け焦げた装具の残骸。
中心に、黒くなったコートの切れ端。
「……活躍、できたじゃねぇか」
ナナシは笑って、煙草を取り出した。
火をつけると、灰がまた舞う。
その火は小さく、弱く、静かだった。
風が吹く。
焦げた空気の中、灰光のようなものが一瞬だけ揺らめいた。
冷たくも熱くもない。
ただ、生きているような光。
「……ああ、また同じだな」
ナナシはその場を離れた。
背中で、誰かが燃え尽きる音がした。
もう、誰も見ていない。
ただ雪だけが、すべてを覆っていく。
---




