幕間 灰と光のあいだ
英雄が帰ってきたのは、灰がまだ冷めきらない頃だった。
リュデアの戦は終わり、街は勝利の鐘を鳴らした。
けれど、焼け跡の匂いは風に乗って王都まで届いていた。
ナナシは北門近くの高台で、出立準備の列を見下ろしていた。
旗、馬、積み荷。兵士たちは光を掲げ、街はその背を見送る。
その中心に――ルクス。
白衣の裾が朝日に透け、肩の装具の跡がまだ痛々しい。
彼は人々の歓声に応えるように、笑って手を上げた。
「……戻る場所があると思ってる顔だな」
独り言のように呟く。
煙草の火は弱く、風に弄ばれている。
背後から、レミィの声が届いた。
「見送るの?」
「見送らねぇよ。……ただ、見てるだけだ」
彼女は並んで立ち、遠くの隊列を見つめた。
太陽が昇る。旗が光る。
歓声は熱に変わり、やがて風の音と混ざって消えていく。
「英雄って、行く時はいつもあんな顔をするのね」
「行く場所を知らない奴の顔だ。……燃える方向だけ見てる」
「止めないの?」
「火に説教しても、煙しか残らねぇ」
レミィは短く息を吐き、目を伏せた。
ナナシはその横顔を見た。強さと哀しさの境目にある横顔。
街はもう、光の話で持ちきりだ。
誰も気づかない。英雄が去ったあとの“空気の軽さ”に。
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昼。
ギルドの掲示板には、ルクスの名がいくつも残っていた。
《救世の英雄》《紅蓮の聖者》《戦果報告》。
紙は新しく、文字は黒い。だがその下に、古い紙が一枚だけ残っていた。
煤けて、角が折れ、名前は消えている。
ナナシはその紙を見つめ、指で折り目をなぞった。
「紙も人も、燃える順番がある」
受付嬢がそっと言う。
「あなたが残ったのは、まだ街に“燃え残り”があるからです」
「燃え残り、ね。……悪くない言葉だ」
彼女は困ったように眉を下げた。その仕草に、ナナシは短く笑う。
笑いながらも、胸のどこかが痛んだ。
光を見送るのは、いつだって灰の側だ。
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夜。《蒼い月》。
扉を開けると、琥珀の匂いがゆっくり流れた。
レミィが一杯を置き、言う。
「静かね。……英雄がいない夜は」
「静かなほうが、街は息できる」
「でも、寂しいのも本音でしょ?」
「寂しいのは、人のほうだ。火は、燃えるだけで寂しがらねぇ」
レミィは微笑んで、もう一杯注いだ。
外の風がカウンターの灰皿を撫でる。
ナナシはその灰を指で整え、ぼそりと呟いた。
「……いつか、また風が吹く」
その声は、焔のあとに残る熱のように小さかった。
夜の王都は静かで、やがて――新しい朝を迎える。
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翌朝。
北区の路地に、風がひとすじ流れた。
パン屋の煙突が白く伸び、工房街では木槌の音が響く。
灰は舞い上がり、どこかでまた、新しい“火”を探している。
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