あの運送会社を知っていますか?
人は、忘れることで生き延びる。
けれど、この世界には――“忘れられなかったもの”が、確かに残り続けている。
決して届かず、拾われず、どこにも還れないまま――
その荷物を運ぶのが、「零番物流」だ。
*
正式名称は、「零番輸送サービス株式会社」。
表向きはすでに廃業した旧運送会社にすぎない。だが実際には、“未練”や“想い”といった目に見えないものを密かに運び、必要とあらば「回収」さえも行う、実在と虚構の狭間にある謎の存在だ。
届け先は、地図に載らない住所や封鎖された倉庫。
ロゴは、無限記号(∞)と鍵を組み合わせた不可解な意匠。
知る人ぞ知る、日本の小さな都市伝説――それが幽かな零番物流だ。
“0番”とは、存在しないはずの“始点”を意味する。
この世界に漂う“未練”や“恋哀”は、ゼロから再配達される。
すなわち――なかったことにされた感情の「復元」。それこそが、零番物流の使命だ。
零番物流は、わたしたちの“真心”を宿した想いを、そっと届ける。
言えなかった愛情、届かなかった謝罪、断ち切れなかった執着、拭えぬ未練、そして冷たい憎悪――
心の奥に沈んだままの「届け損ねた手紙」を、“再配送”というかたちで、再び誰かの手元へと運ぶのだ。
怪異との唯一の境界線は、配達員が「人間である」という一点のみ。
けれど、その真偽も、定かではない。
それでも、忘れていたはずの遠い記憶に、零番物流はノイズを伴って干渉してくる。
届くはずのない手紙。
持ち主のわからない遺品。
あるいは、言葉にならないほど重く、鉛色をした感情さえも――零番物流は、“想いのこもった荷物”として、確かに届けてくる。
そして、ごくまれに――“回収”の対象となるのは、感情の根そのもの。
それら荷物を受け取るのは――
「憐人」と呼ばれる者たち。
救われたかったのに救われず、忘れたかったのに忘れられなかった不幸な人々だ。
零番物流の荷物は、彼らのもとへ、“必然的に”、“間違いなく”、か・な・ら・ず 届けられる。
この世界のすべての不可解な出来事は――
もしかすると、「存在しないはずの」零番物流の仕業なのかもしれない。
……いけない。つい、話しすぎてしまったわね。
こんな得体の知れない話を、誰に向けて語っているのかも、自分でもわからないというのに。
改めて、自己紹介をさせて。
わたしの名前は、朽木 縁。
遺品整理士として働く傍ら、ノンフィクションライターとして活動しているわ。
そして今――零番物流の真相を追い続けている者よ。
あの運送業者は、危険だ。
なぜなら、決して触れてはならない“何か”を運んでいるから。
その存在は、どうしようもなく“歪んで”いる。
わたしたちの世界と、ほんのわずかに。けれど確実に、“噛み合っていない”。
人は、忘れることで生きていける生き物。
それがもし、永遠に消えない呪いとなってしまったら――
そんな存在は、誰がどう見ても、「間違っている」。
だから、どうかお願い。
どんなに些細な情報でもかまわない。
たとえ、蜘蛛の糸ほどか細いものでもいい。
「零番物流」にまつわる手がかりを、わたしに託してほしいの。
この世と“あの世”の狭間に存在する、謎の運送業者。
「禍品工藝舎」とも密接な関係を持つ、零番輸送サービス株式会社のことを。
わたしは、ご遺族からの依頼で現地を訪れ、遺品に触れながら、その背後に潜む“怪異”と“未練”を探っている。
それを記録し、記事として綴りながら、同時に――
顔も声も思い出せない、幻のような“恋人”の行方を、いまも探しているの。
誰に向けて書いているのか、自分でもわからないまま。
それでも、胸の奥に、消えることなく刻まれている名前がある。
──「ナナミ」。
透明で、清らかで、どこか懐かしい、そのひと。
そして、脳裏に残された三つの記憶の断片。
一つ目は、何気ない会話の響き。
「おかえり」や「寒いね」といった、繰り返された日常の言葉たち。
なのに、その声の主の顔だけが、どうしても思い出せない。
二つ目は、“音だけの記憶”。
「……縁って、やっぱり、やさしいんだね」
その声は、ノイズ混じりに、わたしの脳内に何度も響いてくる。
三つ目は、右手の甲に残る温もりと香り。
「あの人はいつも、別れ際にわたしの右手をそっと包んでくれた。少し冷たい指先。そして、甘く漂う香水の匂い――」
……あれは、ただの夢だったのかもしれない。
それでも、右手に残るあの温度だけは、今もわたしを確かに震わせる。
──最後に届いた、“荷物”。
恋人が失踪したあと、自宅に届いた「宛名も差出人もない小包」。
中に入っていたのは、空白のフィルムを収めた写真立てと、黒い封筒。
その封筒の裏には、「零番物流」のロゴが、はっきりと押されていた。
わたしの名前は、「朽ちる縁」と書いて――朽木 縁。
それでも、忘れられた縁を、わたしは拾い集めていく。
もう二度と、大切な誰かを、回収される側にしてしまわぬように。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
ご覧いただき、心より感謝申し上げます。