2-3.悪魔の囁き?
窓から吹き込む風が、ペルフェの髪を揺らす。
乾いた涙の痕に、新しい涙が流れた。
「人助けのために、聖職者になる。それは、誰でも思いつく方法だと思う」
君は間違っちゃいない。とシキは、目を伏せる。
「でも、今のご時世、選択肢はいくらでもある。君は今になって、その答えに辿り着いた」
「……はい」
目を強く瞑り、ペルフェは赤くなった鼻を押さえる。
「君は十分、神に尽くした。……まだ若いんだから、自分のため──大事な人のために生きなよ」
五つしか年が離れていない娘に言うのもおかしいが、これはアネモスの言葉である。
ペルフェの感情が収まるのを待って、シキは深く息を吸った。
「偉そうなこと、言ってごめんね」とおどける。
「い、いえ! そんなことは……」
ぶんぶんと首を振り、ペルフェは涙を拭った。
「……子供の頃は単純でした。人を救うなら修道女だって考えて、疑わなかったんですから」
深呼吸のあと、静かに語りだす。
「シキさんの言う通り、この選択は間違ってはいない。でも、選択肢は他にもあった。それに気づいたとしても、あと戻りはできない。周りが許すはずがない。って思っていました」
「そんなこと、ないと思うよ」と、シキは笑う。
「カエルム修道院の人たちって皆、結構ゆるいから。君に『ご飯行っておいで』って送り出したり、クルーガーに憧れたりしてたでしょ? 君の決断だって、きっと受け入れてくれる」
「そう……かもしれませんね」
ペルフェの表情が、少しだけ柔らかくなった。
「このやり取りって、聖職者の言う『悪魔の囁き』ってやつだろうね。君に、修道女をやめるよう言っているんだから」
神様、聞かなかったことにして。とシキは、天を仰いだ。
「もう一度言うけど、選択肢は君にある。『神が』とか『立場が』とか悩むことはない。数年後『あの時、こうしていれば』と後悔しないように。一瞬の葛藤を乗り越えれば、楽になるから」
「……本当に、あなたは不思議な方です」と、ペルフェは目を閉じた。
「心を見透かされている気分です。言ってほしい言葉をくれる」
ありがとうございます。と頭を深く下げた。
「……偉そうに説教するのが、俺の悪い癖だ。……前に『聖人ぶるな』って、怒られたことがある。……悔しいけど、その通りなんだよなぁ」
顔をしかめ、シキは後頭部に手を当てた。
「そろそろ、待合室に戻ろうか」と、腕時計を見る。
「そうですね。アルバが嫉妬しちゃうかも」
「あいつの邪眼は、もう勘弁だよ」
椅子から立ち上がり、二人はカフェをあとにした。
※
待合室では、アルバが待っていた。
邪眼を向けることもなく「おかえり」と片手を挙げる。
「ごめん、待ってた?」
「いや、ちょうど終わったとこ。会計待ち」
アルバが首を振ったと同時に、受付から名を呼ばれた。
「あ、私が行ってくるよ。待ってて」と、ペルフェは会計へ。
「……どうだった?」
アルバは横目で、シキを見た。
「九割はうまくいったんじゃない。背中は押せたと思う」
ベンチに座り、シキは「もし……」と呟く。
「ペルフェが修道女をやめて、外の世界に出たいって言ったら、お前はどうする?」
「もちろん、ついていくよ。あいつの『夢』って、サクスムだけでは収まらないと思うから」
特に驚くこともなく、アルバは淡々と答えた。
「よく分かってるじゃん。流石は、未来の旦那」
「……うるさい」と、アルバは呟く。
しかし、顔がニヤけている。
「お待たせ」と、ペルフェが戻った。
「ありがとう。……帰ろうか」
「うん」
アルバの目を、ペルフェは真っ直ぐに見返す。
何かが、彼女の中で変わった。纏う空気は澄み切っている。
車椅子を押す背を見つめ、シキは微笑んだ。
もう熟年夫婦だな。と心中で呟きながら──。