3-1.憑依
──ズン。と建物全体が突き上げられた。
不気味な地響きに、シャンデリアが激しく揺れる。
小さく薄かったはずの靄が、クルーガーの全身に広がった。
靄は波打ち、竜の頭のように姿を変える。
『クルーガーの魂に、残渣が共鳴したらしい』
感情を押し殺した声で、アネモスが語りかけた。
『最も恐れていた事態──人への憑依だ。共通の感情を持つ者に反応し、力は増幅される』
「その感情が『復讐心』ってわけか?」
シキは、頭上で暴れるシャンデリアから離れた。
『さよう。とにかく、融合を阻止するのだ』
急げ! とアネモスは声を張る。
「やっぱり、そうなるのかよッ!」と、シキは駆けた。
砂を巻き上げ、一瞬でクルーガーの前へ到達。
融合しかけているとはいえ、器は人間の体。電撃を叩き込めば、戦闘不能にできる。
しかし、目論見は甘かった。
シキの足元が爆発し、大理石の破片が散る。
ギリギリで回避するも、顎を切ったらしい。
滴る血を拭い、シキは「はっ」と笑った。
「こりゃ、迂闊に近づけないな」
クルーガーから距離を置き、エントランスの隅を見る。
縛られたペルフェと、アルバがもがいている。
まずは、あの二人を何とかしなければ。
「こいつで……どうだ!」とシキは、ウィンドミル投法を繰り出した。
例えるならボールを、下から上へと投げる動きである。
右手から風が放出され、足元の砂を舞い上げた。
殺傷能力はないが、目潰しには丁度いい。
クルーガーは何かに気づいたらしく、頭上を見た。
砂塵の中で、何かが煌めく。無言で片手を上げると、床が隆起。
地下の岩盤は分厚い盾となり、襲いかかる金属の塊──シャンデリアを防いだ。
視認性が戻り、目の前にはシキがいた。
背後にはペルフェとアルバ。すでにロープは解かれている。
「……そのガキどもに拘っていなければ、俺を殺せただろうにな?」
クルーガーの声と、別の声が重なって上がった。
耳を塞ぎたくなる、金属が擦れるような声色だ。
どうやら、意識はエザフォスに乗っ取られているらしい。
「そんなにも、己を崇拝する人間が大事か? 愚弟よ」
「……俺は、お前の弟じゃない」と、シキは吐き捨てる。
「久しぶりにシャバに出れたっていうのに、まだ崇拝されることに執着してんの?」
「小僧、口の聞き方を知らないようだな」
鳶色の目が赤く染まり、空気がビリビリと震えた。
残渣とはいえ、巨大な殺気は侮れない。
「愚弟よ。人に寄生するなど、誇りを捨てたらしいな? その脆弱な器ごと、復活の糧になってもらおう」
片手を掲げると、地響きが起きる。
シキがぶち抜いた入口が、隆起した岩に塞がれた。
動揺するペルフェとアルバに、シキは首を振った。
「大丈夫、所詮は絞りカスだ」と、余裕の笑み。
「シキさん」と、ペルフェが囁いた。
「接近するには、一人では無理です。……私が注意を引きます」
流石は、兵士としての訓練を受けただけはある。
この状況でも協力を申し出るとは、見上げた勇気の持ち主だ。
「だから、終わらせてください」
黒真珠のような目に、クルーガーが映った。
「……わかった、頼んだよ」
驚いた様子だが、すぐにシキは頷く。
「アルバ」
振り返ることなく、弟分の名を呼んだ。
「俺があいつに突っ込めば、お前らを守れなくなる。……ペルフェのこと、任せたよ」
「あ、あぁ」と、アルバは何度も頷いた。
任せろ。と言いかけるも、もうシキの姿はない。
二歩で間合いを詰め、シキはクルーガーへ。否、エザフォスへ跳ぶ。
右手には青い光が集い、一振りの刀が姿を現した。