1-2.大地を跳んで
しかし、拳銃が火を噴くことはなかった。
シキの姿が、忽然と消えたのだ。かと思えば、守衛の視界の隅──下から手が伸び、拳銃が弾かれる。
「なにっ!? ──うごッ!」
慌てる守衛の顎に、アッパーがめり込んだ。
ゴン。と上がるのは、骨と脳天を揺さぶる音。
衝撃で額が天を向くが、頭頂を掴まれ急降下。待っていたのは膝蹴り。
再び鈍い音が響き、守衛はノックダウン。
どさり。という音を最後に、車庫前は静寂に包まれた。
「……こいつも、クルーガーの仲間か?」と、シキは独りごちる。
素早く、守衛を車庫内に引きずった。
「ん?」と、シキは目を細めた。
はだけた制服から、左胸にタトゥーが見えたのだ。
蝋燭に、髑髏と小銃。趣味の悪いデザインだ。
「このタトゥー、どこかで──」
蝋燭。と呟いた瞬間、シキは瞠目した。
車庫にあったロープで、守衛を柱に縛り付ける。
「まずいまずいまずい」
裏口の門を飛び越え、シキは灯りのない車道へ。
「どこだ、どこに行った?」
目の前は闇、振り返ればカルボ市の灯り。
遠くには、ライトアップされた光の塔。
思い出せ。とシキは、考えを巡らせる。
ペルフェとの会話、アルバとの会話。そして、クルーガーとの会話。
── ピルゴス鉱山ですね。坑道内部は崩落の危険があるため、立ち入り禁止となっています。
昼前の、何気ない会話が蘇った瞬間──。
息を吸ったまま、シキは呼吸を止めた。
──決して、立ち入らぬように。
「『行く』とも言っていないのに、クルーガーは『行くな』と言った」
『そこに、ペルフェがいると?』
邪魔をしないよう、黙っていたアネモスが声を上げる。
「呼び出すには、うってつけの場所だ。行く価値はある」
『なら、地脈を使え』
「あぁ、もちろん」と、シキは右手を掲げた。
同時に、一陣の風が吹く。
砂煙の中から現れたのは、無数のトンボ。風の下級眷属だ。
不可視のトンボは瞬く間に飛び去り、闇に消えた。
気象兵器は地脈を開く際、到着地点に眷属を送る。周辺の情報収集と、到着地点の固定のためだ。
ここからなら三十分はかかる距離を、一瞬で飛び越えられる。
すぐに、シキの眉が動く。
「捕捉した。跳ぶぞ」と、右手を薙いだ。
空間が裂け、色とりどりのパステルカラーが揺蕩う世界──地脈が現れた。
空を飛べないエザフォスが、移動手段として使用した不可視の道。
迷わず、シキは地脈へ。
スニエークとの、死闘の際に発現した力だ。もう己のものとしている。
ふわふわとした、宙を漂うような感覚。空を飛ぶよりも、圧倒的に早い。
エザフォスはこんな力を持っていたのに、アネモスに嫉妬する意味がわからない。とシキは思った。
地脈の終わりは、あっという間に訪れる。出口を示す光へ、シキは踏み込んだ。
到着地点は闇が広がっていた。静かに着地し、しばらくはその場に留まる。
「ふぅ」と息を吐いたのは、数秒後のこと。
目の前には、錆びた鉄骨のゲート。看板には『ピルゴス鉱山』のかすれた文字。
奥には、小高い山がそびえ立つ。
採掘の衰退期にガスの層を掘り当て、大爆発の末に多数の死傷者を出した。
このまま採掘を続けるのは、危険と判断し閉山。現在に至る。
錆びた鉄と岩のみが残され、人はいないはず。だった。
数軒の建物から、光が漏れている。
「当たりだな」と、シキは口角を上げた。
唯一、クルーガーの上を行けたに違いない。
──まずは、手前の小さな建物を制圧しよう。
闇に紛れ、シキは音もなく歩き出した。