1-3.獣人の国
船内アナウンスで、シキは目を覚ました。
じゅるり。とヨダレを拭い、伸びをする。
シキは船が苦手だ。酔いはしないが、どうも眠くなる。
ヴェルメルを出航後、レヒトシュタートを経由し、デースペルへ入る旅程だ。
なぜかというと、アリステラの一部の国では、パスポートなしの自由移動が基本。
協定のない異大陸へ渡るには、出国審査が必須である。
窓の外には薄明の空と、暗い海が広がる。
十一月の、デースペルの日没は午後五時前後。
やがて、遠くに街の灯りが見えた。大陸の玄関口、サクスムだ。
街の灯りは段々と近づき、到着のアナウンスが鳴る。
シキ含め、数十人の乗客が下船した。
今は観光のオフシーズンに加え、サミット開催中。
サミット会場──聖地のお膝元であるサクスムは、厳戒態勢真っ只中。
そのせいか、入国者は少ない。
入国審査は、いつも以上に厳しいだろう。
しかし、IMOの隊員手帳を見せれば、すんなりと入国できた。
ターミナルから一歩出れば、そこは獣人の国。
名を『ガウダ連邦』。大陸全土が一つの国である。
鳥人、魚人、人狼、人間が治める四つの州で構成される。
アリステラとデースペルを繋ぐ細い陸地──東部のアングストゥム地峡一帯が、人間の自治州サクスムであり、西部にガウダ人の州が存在。
内陸部は高山に瀑布、大平原に砂漠と自然豊かであり、国土の半分以上が未開の地。
ちなみに、人間の入植は近年だったため、国名は『ガウダ連邦』のままだ。
ナツメヤシに、オウギヤシとダイオウヤシ。異国情緒あふれる植栽に、潮風と砂埃が入国者を出迎える。
デースペルも冬期だが、日中の平均気温は二十度〜二十五度。
殺人級の紫外線が降り注ぐ夏よりも、冬の方がかなり快適だ。
まずはタクシーを捕まえ、首都カルボへ。なにせ乗合バスは、定員に満たないと出発しない。
「カエルム修道院までお願いします」
「兄さん、巡礼者か観光客かい?」
日焼けした運転手が、ルームミラー越しにシキを見た。
フレンドリーな気質は、この職種ならではだろう。
「巡礼者です」と、シキは適当に返した。
「へぇ、この時期に来るなんて熱心だねぇ。どこもかしこも、サミット中でピリピリしてやがる。兄さん、アリステラから来たのか?」
「えぇ」
「そっちは大変だったらしいな? レヒトシュタートでも騒動があったって聞いたぞ」
「よく知ってますね」
シキは視線を、車窓から運転手へ移す。
「俺はレヒトシュタートから移り住んだんだ」
それは心配だったよ。と首を振り、運転手は目を細めた。
「前皇帝が存命の頃は、まだマシな国だったんだがなぁ。娘に代替わりしてから最悪な国になったよ。……異民を迫害なんかするから、こっちに多くの難民が流れてきてる」
ほら。と視線の先には、薄汚れたテントがいくつも並んでいた。
「あれは……難民キャンプですか?」
「あぁ。全員、アリステラから流れて来た人間たちさ。近頃は多過ぎて、国境のゲートは封鎖されているらしい。それでも、密入国する奴が絶えないんだと」
「でも、入国管理局の職員はガウダ人だから、すぐ捕まる。でしたよね」
「そうそう、海から密入国しようなら魚人に捕まるし。上手く密入国できても、鳥人と人狼の追跡が待っている」
恐ろしい連中だよ。と運転手は顔をしかめた。
「ほら、あれがカエルム修道院だ」
シキの視線の先には、薄闇に佇む修道院。
約五百年前に建設されて以来、カルボ市の移ろいを見守ってきた。
赤い屋根にベージュの壁は、アリステラの建築様式と変わらない。
聖地へ行く前に、巡礼者と観光客が必ず立ち寄る場所だ。
気の良い運転手に当たったらしく、運賃の交渉はすぐ終わった。
観光名所のため、修道院入口には守衛が常駐。
隊員手帳を提示すれば、すぐに修道院の中へ通された。
サミットの期間中、IMO隊員は修道院や提携施設で寝起きする。
ちなみに、警備は毎年の恒例任務となったため、聖地近辺に宿泊用のIMO支部が建設中だ。
「IMOの方ですね。長旅、お疲れ様です」
ランタンを下げた神父が、シキを出迎えた。