2-2.眠れぬ夜
午前零時を過ぎ、修道院に静寂が訪れる。
エントランスを巡回する警官の足音が、遠くで聞こえた。
シキは上体を起こす形で、ソファに横になった。
今日のことを記録に残そう。とペンを持つも、手が止まる。
暗闇が広がる書斎から、ペルフェが顔を出していた。
「びっくりした」と、シキは胸を押さえた。
「……寝れないの?」
その言葉に、ペルフェは無言で頷く。
「そりゃそうだよね。……眠くなるまで、何か話す?」
シキは、一人がけのソファを指差した。
足早で談話室へ入ると、ペルフェはソファに座った。
肩までの長さの黒髪は、パーマがかかった猫っ毛。ウィンプルを外しているせいか、いつもより幼く見える。
仄暗い室内に、ランタンの火が揺れる。
警護対象とはいえ、室内に歳下の女──ましてや修道女と二人きり。
シキの脳裏にちらつく、アルバの顔。
この光景を見られたら、殺されるかもしれない。
「そうだ。今日、訓練学校でアルバと会ったよ」
飯、おごってやった。というシキの呟きに、ペルフェの顔が上がる。
「ありがとうございます。あの子、ちゃんとお礼言ってましたか?」
「言ってた言ってた」
帰りがけのことを思い出し、シキは頷く。
「デカくて目つきは悪いけど、話すといい子だったよ」
「もっと愛想良くして。って言ってるんですけどね。……昔よりは、笑うようになりましたけど」
呆れたように首を振るも、ペルフェの口元は緩む。
「うちに来てしばらくは、泣きも笑いも怒りもしなくて。まるで、抜け殻みたいな……」
「九歳で天涯孤独だもんね。そりゃ、そうなるよ」
そういえば。とシキは起き上がる。
「ペルフェのご両親は、どうしてアルバを引き取ったんだ?」
「もともと、両親は何人かの孤児を引き取って自立させていました。うちに来たのは、親が育児放棄をしたり、親を事故や病気で亡くした子たち。……戦争孤児は、アルバが初めてでした」
「へぇ」と、シキは身を乗り出す。
「何を考えているか分からなかったから、最初は怖かったです。でも、いつも私の後ろをついてきて、何でも手伝おうとするんです。それが可愛くて」
義弟のことを話す義姉の表情は、生き生きとして柔らかい。
「中等学校を卒業した頃から、急に冷たくなりましたけど」
思春期ですよね? と首をかしげた。
「あぁ……それは──」
恋だね。という言葉を、シキは飲み込む。
「え、何ですか?」
「……思春期だよ」
「やっぱり、そうですよね? でも、両親には従順だったんですけどね?」
「……ひどいよな、こんなにも優しい姉ちゃんを邪険に扱うなんて」
この際、暴露してやろうかな。という思いを抑え、シキは深いため息。
「なんだかんだ、心配してくれるので許してあげますよ」
ペルフェは、膝掛けに使っていたカーディガンを羽織った。
「……一つ、質問いいですか?」
一拍の沈黙ののち、ペルフェから声が上がる。
「ずっと気になっていたんですけど。シキさんって、その、お名前的に……」
「あぁ、俺は西洋人と東洋人の混血。母が、日輪国の出身なんだ」
初対面であれば高確率で聞かれる質問に、シキは淀みなく言う。
「とはいっても、日輪に行ったことはない。俺はヴェルメルの生まれだよ」
出身国くらいなら明かしてもいい。と考えたあと、言葉を続けた。
なにせ『シキ』という人間は、ヴェルメルには存在しない。
「そうなんですね、クルーガー神父もヴェルメル出身ですよ」
「聞いたよ、色んな場所を転々としてきたって」
「カエルム修道院には、一年前に来られたんです。これまではお年を召した神父様ばかりでしたから、修道女たちがときめいちゃって」
私たちには主がいるのに。とペルフェは苦笑い。
「いいじゃない。毎日が楽しいでしょ」
「まぁ、そうですね。神父様を見つけるたび、皆ではしゃいで笑い合って。……誰かに憧れることって、心にいいなって思います」
遠くを見るように、ペルフェは目を細めた。
「ペルフェには、そういう人はいないの?」
興味本位で、シキは問う。
「……いたとしても、私は修道女です。それに──」
何でもないです。と笑う顔は、どこか寂しそうに見えた。
再度、沈黙が訪れる。
今度は、ペルフェが口を開いた。
「お喋りしたら、心が軽くなりました。もう眠れそうです」
立ち上がり、深々と一礼。
「明日も早いもんね。おやすみ」
「はい」
おやすみなさい。と微笑み、ペルフェは書斎へ戻った。