3-2.傭兵の理由
止まっていた手が動き出し、ポットに湯が注がれる。
「十年前の、アリステラでの戦争がきっかけです。あの時、多くの難民が流れて来ました。泣き叫びながら、大人も子供も国境のゲートを叩くんです。あるお母さんが、痩せ細った赤ちゃんを抱いていて……」
タイルの床に、ペルフェの物憂げな視線が落ちた。
「もう、赤ちゃんは亡くなっているんですよ。……それを、目の当たりにしたんです」
当時のことを、思い出しているのだろう。大きな瞳が潤んでいる。
「私は裕福な家に生まれ、不自由なく育ちました。だから、こんなに救われない人たちがいるんだって、すごくショックを受けたんです。それで、救いを求める人の力になろうと」
「……子供の頃にそんな決断ができるなんて、すごいよ」
決して世辞ではない。本心から出た言葉を、シキは呟く。
「でも、現実は厳しかった。救いを求める人たちは、心に余裕がないんです。平気で盗みをするし、暴力や罵声を浴びせてきます」
「すごくわかる。俺も唾を吐かれたり、石を投げられたこともあった」
傭兵と修道女は、意外と似ているのかもしれない。
違うのは対価を得るか、否か。
「だから強くなろうって、聖衛兵に志願したんです」
「……修道女になったきっかけもそうだけど。君、すごい行動力があるね」
「私、思い立ったら、すぐ行動に移したくなるんです」
行きましょう。とペルフェは、食堂へ続く扉を開けた。
食堂は、聖職者と宿泊客の共用スペースだ。採光用の高窓からは、夕暮れ時の淡い光が降り注ぐ。
向かい合って座り、ペルフェは二つのカップに紅茶を注いだ。
「シキさんは、どうして傭兵になろうと思ったんですか?」
それは、ただの純粋な疑問だ。
「んー」と、シキは首をひねる。
答えに困る、非常に苦手な質問だった。
しかし、ペルフェが語ってくれた以上、教えなければフェアじゃない。
言葉選びに時間をかけ、静かに口を開いた。
「……復讐のためだった」
「え……?」
ペルフェの頭上に、クエスチョンマークが浮かぶ。
「訳わかんないでしょ? 安心して、今はそんな理由で傭兵やってないから」
ありがと。とカップを受け取り、シキは紅茶を口に含む。
瞑目したあと、ゆっくりと次の言葉を紡ぐ。
「今は世界中を飛び回って人を救うことが、俺の使命だと思ってる」
「世界中を?」と、ペルフェは目を瞬かせた。
「そう。西へ東へ、北国からこんな南国までね。結構、自由で楽しいよ?」
「すごいですね……。世界中を……」
視線を落とし、ペルフェはカップを両手で包む。
「まぁ、それなりにリスクはあるけどね」
紅茶に角砂糖を追加し、シキは美味しそうに飲み干した。
「今日はありがとう。ごちそうさま」
「あ、いえ! こちらこそ感謝です!」
我に返り、ペルフェは左右に首を振る。
すぐに「そうだ!」と両手を叩き、満面の笑顔になった。
「シキさん、明日の予定って決まってますか?」
「えぇ? 今度は何?」
ギョッとした表情を作ると、シキは大げさに身を反らす。
「明日は、訓練学校の一部が開放される日なのです!」
ちょっとお待ちを。とペルフェは一旦、食堂の外へ。
「校内全体が遺跡でして、歴史とロマンがたっぷりですよ」
持ってきたのは、聖衛兵の写真入りパンフレット。
「それは興味ある。行ってみようかな」
パンフレットを受け取り、シキはページをめくる。
「入場料は千ポンドになります、ぜひお越しくださいね!」
「……あ、入場料は取るのね」
ペルフェが商人の娘だったことを思い出し、シキの笑顔は引きつった。